はてなキーワード: 勇壮とは
この手の晒しコンテンツという奴にそう深く触れることはこれまでなかったのだが、まあ要するに意味深な発言をするSっぽい猫耳に釣られたのだ。
最初のうちは声なしなおかげで、迷惑配信者が他のプレーヤーに蹴っ飛ばされるのを単純に笑っていられるのだが、途中から声が入ると事情が変わる。
偉そうな子供がボイチェン使って「はい論破」とか言っているのを延々聞かされるのはなかなか苦痛だ。
だがさらに見続けていると今度は「下手」と言われるのがよほど応えるのか急に泣きだしてしまう。
その上にはついぞ己の常軌を逸した横柄さに無自覚なまま「虐められたくないよ」「僕がどんな思いで毎日過ごしてると思ってんだよ」と喚く。
母親への中傷によく反応しているが、彼の家庭環境がまともとはとても考えられない。
他のプレーヤーをすぐに裏切者と認定したり、逆にアイテム一つで仲間だと信じきったりする様子からは、境界性人格障害に典型的な「白か黒か」の二極化思考が伺われる(こういうことを書くとネットの住民がすぐ誹謗中傷に使うのでよくないのだが)。
恐らく彼の親は善悪というものを教えることなく、ただ自分の気分次第で彼を褒めたり叱ったりしてきたのだろう。
そうすると子供は何によって人が喜び何によって人が怒り悲しむかを学習することができず、「味方だから大丈夫」か「敵だから危険」かをその場ごとに判断することでしか他人を理解することができなくなる。
そしてまた彼は自分を無条件に他人より優れたものとした。そうでなくては誰からでも裏切られる可能性のある彼は自分を保てない。
たとえ敗北を喫したとしても、それを何とか「自分=最強」の図式に組み込まなければならないのだ。
彼はメンタルが強いから何度も配信を行ったわけでは決してない。
世にも脆弱な己自身を、せめてゲームの中では確立しようともがき続けたのである。
全く悲しい話だ。
彼は既にアカウントを消した。
こうした話で再特定される例は寡聞にして知らず、もう二度と彼の姿を見ることは叶わないだろう。
だが今の時点でそうして形成された人格が、後に改善していくとはどうにも考えがたい。
きっと彼は現実世界で蓄積される膨大な不満(不安というべきかもしれない)を、今後もネットのどこかで解決しようとあがき続ける。
やがて上手くすれば年功序列の息が長い企業に就職し、数年を耐えて「下の人間」を首尾よく手に入れるかもしれない。あるいはもっとろくでなしになるか。
いずれにせよ誰も(自分さえも)幸せにすることなく生きてゆく。
恐ろしいことだ。
丸太で組んだ円形馬場の中を、鈴や造花を背負って疾走する馬に法被に地下足袋姿の若者が飛びつき、人馬一体となって
駆け抜けていく勇壮な祭礼。
愛知県の高浜市や知多郡東浦町を中心とした知多湾岸で行われていますが、高浜の“おまんと”は、全国にも知られています。
中でも春日神社で行われる「おまんと祭り」は高浜市無形民俗文化財に指定されています。
馬の背に神様のよりしろ(神霊が宿るもの)となる飾りを載せ、飾り馬具をつけた馬を社寺に奉納する「馬の頭(馬の塔)」という
祭礼が、愛知県尾張地方から西三河地方にかけて分布していますが、“おまんと”はその「馬の塔」から派生した祭礼だと
考えられています。
http://anond.hatelabo.jp/20160125150456
俺はキラキラ第一世代。まぁ何年生まれが第一世代かは正確には知らないけど、多分その辺だと思う。
俺の名前は、「騎士」と書いて「ナイト」と読むような、キラキラネームとしては地味な名前だ。キラキラネーム黎明期故の奥ゆかしさだったのかもしれん。今のように「読まない漢字を無理やり突っ込む」だとか「ぼんやりとしたイメージで無理やり読ませる(空をアとよませるような)」ということはない。しかしそんな俺でも人生は地獄だ。毎朝鏡を見て己のブサイクぶりに絶望し、名前を書くときに絶望し、自己紹介して絶望する。
「キラキラネームは美男美女なら許される」みたいな話があるだろ。アレは嘘な。なぜなら、コンプレックスによって人間の見た目容姿なんてのは簡単に歪むんだよ。遺伝子が良くても環境で顔は醜く歪む。
想像してみろよ。取引先に名刺を渡した時の「あっ…」っていう空気を。さらに、「キミくらいの歳で、もうこういう名前なんだねぇ」と言われるその場を。俺はなんて答えればいい?「親からもらった名前です!」って胸をはれると思うか?人間関係は第一印象でほぼ決まるという。その第一印象でいきなり「こいつは…」と値踏みされるのが、初対面の数だけ経験するんだぞ?
人生に何度初対面があるか考えたことがあるか?
結婚して子供を産んで後はパートなりなんなりするだけのババア(あえてこう言う!)はもう初対面なんてそうそう無いだろう。だからクズみたいなキラキラネームを量産するんだろうな。だがこれから無数の自己紹介、無数の挨拶、無数の初対面が待ち受けている子供はわけが違うんだよ。学校だけで何回自己紹介があるかわかってるのか?しかも、それは自分がアクティブに活動すればするほど増えるんだぞ。値踏みされる機会が!
「最近はみんなキラキラだから大丈夫」などと言う奴がいるがな。違うんだよ。全然その認識は間違ってるんだよ。ババアめ。くそ。ババアめ。キラキラネーム全盛期だからこそ生まれる差別があるんだよ。「キラキラネームではない」というだけで上に立った気持ちになる、そういう奴らが生まれてきたんだよ。しかも、そういう奴らは環境が良いことが多い。簡単に言えば金持ちで、それ故に教育がなされ、つまり能力が高いということだ。「自分は日本人である」というだけで外国人を差別する奴らがいるだろ。アレと似たような構造が生まれたんだよ。無駄な構造がな!気の利いた名前でもなんでもない、ただの無知無教養から生まれるクソみたいな名前が差別を生むんだ。
名前にシャチだと?断言するがそいつは一生イワシだぞ。メダカかもしれん。いや、デメキンだな。名前のせいで醜く歪んだ哀れなデメキン。いいか、勇壮な名前をつけるとな、「名前と顔があってないっw」という無用な差別を生み出すんだよ。哀れなシャチ君。お前はその半生を、人生で最も大事な時期をデメキンとして生き、仕事に苦労し、結婚にも苦労し、そして親の介護はしないだろう。俺もしないつもりだ。盆にも正月にも帰らない。俺は何もしない。
すげぇ安堵した。涙が出るほど嬉しかった。
「親からもらった名前を」なんて言う奴がいるがな。俺の名前は大好きなおじいちゃんの名前から字をもらってる。本当に誇らしい名前だ。胸を張って自分の名前を言えるのがどんなに素晴らしいことか。
碧志摩メグについて、公認として認定した志摩市の行政の方たちや、何が悪いんだあんなの秋葉にあふれてる絵だろうと言ってる人達に、どうやればこの違和感が伝わるのか考えてみた。
君に届け!
例えば『裸祭り』。
全国的にいろんな地域で行われていてニュースでも流れるので志摩市行政の方もご存じだと思います。
男性(氏子)がふんどし一枚の裸で行う勇壮な祭りで、神事でもあります。
「うちの町おこしをしたいなあ…」とある日その町の行政担当者が考えます。売りとしては『裸祭』だろうと、そこらへんは課内でも一致。
「結構観光客も来るし盛り上がるイベントなんで、これをうまく使ってPRしよう!」と決定するわけです。
課内ミーティングでいろんな意見がでます。近郊からだけじゃなく全国から。さらにいうと、今はやっぱりグローバル。世界中から観光客を呼びたいね。とか。
このあたり、どこの行政も同じようなことを考えてるんじゃないでしょうか。 多分碧志摩メグを募集したり公認した志摩市行政担当の方も同じような考えがあったように勝手ながら推測しています。で、志摩市の行政担当者の方は、キャラクターを決めてポスターなどに掲載しPRしよう、という方向に落ち着いたんではないでしょうか。で、そのキャラクターを選ぶ際の選び方に、私は違和感を感じるわけです。
その違和感について、裸祭のある町の行政担当者の場合で説明させていただきます。
碧志摩メグに関して私が主に感じる違和感というのは、この裸祭の例で言いますと、その町の行政担当者が町おこしのために裸祭のアピールをすることにして、世界的に有名なゲイ専門誌にPR広告を打った、というようなものと同じではないかと思うのです。
効果は、どうなんでしょう?まあ仮説なので、効果はあるとしてこの件についての裸祭町行政担当者の言い分を聞きますと。
「男性(ノンケ)の裸を性的な目で見る方々にとっては、裸祭はそりゃー生でみたいでしょう。だって男がふんどし一枚でたくさん目の前にいる祭りですよ!? 自分も男だから、女の人が裸で押し合いへし合いする祭りがあると言われればかなり興味を持つので、ゲイの人達の気持ちもわかります。しかも全世界のそういった嗜好の方を対象にすればかなりの数がこの町に呼べます。当然観光客としてお金を落としてくれるわけです」
「ただちょっと裸祭を性的な目で見たり、ふんどしお尻ばかりを写真をとったり、氏子(ふんどし一枚の男性)にたいしてナンパをしたりにやにやとからかいの言葉をかけたりするようなことがあっても、町おこしのためですから!氏子の方も我慢してくれると思うんですよね」
「まあからかいの言葉といっても、『いいからだ!』『写真とらせてクダサイ』『いいヒップだねえ』とかそんなもんですよ、多分……まあ海外のゲイのかたですので、当然体格もよくガチムチ系も数多くいると思います。嫌がらせの暴言を吐く人もいる……かもしれませんが、まあそこは町おこしのためなんで氏子には我慢と自衛してもらうってことで。これ、どうですか!?いいアイディアでしょう?」
……って裸祭町の行政担当が言ったとして、志摩市行政担当の方は違和感を感じないでしょうか?たとえば……
(1)「いやいや……いくら全世界にPRできて観光客がお金おとしてくれるっていってもね、あれは祭りであって性的に誰かを楽しませるために裸でいるわけじゃないでしょう?」
(海女さんも同じですよね)
(2)「しかもあれは、神事ですよ。真面目に皆やってるんです。そんな本質を知ろうともしない裸目当ての冷やかしをされると、祭り自体の価値がさがります」 (おっしゃるとおりです。海女さんも楽な仕事ではなく伝統としての価値もあります。PRに使いたいのなら行政がまずその価値を理解して大事にしてください)
(3)「それに祭りに参加してる裸の男性(氏子)だって嫌でしょう。自分は男好きでもなんでもないのに、勝手に知らない男からそう言う目で見られて、不愉快だし失礼ですよ」
(まさにそれです。海女さんに対してとても失礼ですね)
(4)「あとね、別にそんな裸祭を性的な目で楽しむ人だけにターゲットを絞ってPRする必要がどこにあるんですか?あの勇壮な祭りは、ノンケの男性だってお年寄りだって楽しめますし、子どもも女性も、性的な視点からではなく楽しめる祭りですよ。なのに、性的な目で楽しむ人だけにPRしていると、他の層は面白くないでしょう。裸祭を見に行こうかと思ったとしても、でもゲイの人向けの祭りだしやめておこうかってなりませんかね」
(海女さんの碧志摩メグもそうですね。私は女ですが、なぜ私に対して海女という仕事をPRする価値がないと志摩市行政が思ったのか、さみしいし不愉快です)
どうでしょうか。性別を反対にしてみたら、男性諸氏にも少し感覚がわかりませんか?
でも萌え絵というのは基本的に対異性の恋愛感情や性欲を刺激する目的に特化して作られたものです。
(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)
私は女ですが、(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)←この辺のことを女にされても特に何も感じません。なぜ意味もなくそんな恰好表情をしているのかと逆に気味悪く思います。
ストーリー性のないイラストなら特にそうです。 碧志摩メグの場合は、対男性に対して性的にアピールしているわけです。
女性子どもは無視ですか……とも思います(裸祭町の例でいうと(4)に該当します)
海女さんも不愉快だろうなと思います。(裸祭町の例でいうと(1)(3)に該当します)
そして海女という職業に対する価値を、媚びるだけの仕事であると貶める恐れがあると言う意味では(2)が一番罪深いんではないでしょうか。
裸祭の意味が、単なる男の裸が無料でたくさん見れるそういう嗜好の人にとって嬉しいイベントに成り下がることについて、何とも思いませんか?
そういう嗜好の方が、この祭りに興味を惹かれるのはわかります。
ですので、そう言った風俗やそう言った雑誌で存分にご覧になればいいんじゃないでしょうか。
わざわざそれを目的としていない裸祭でそれを実行するのではなく。
普通の話しですよね?
海女さんも同じです。
萌え絵を見て恋愛感情や性欲を刺激されるのは当然で全然いいんです。男性向けとして他の層に対して配慮された特別の場所であれば。
でも志摩市の公認というのは、そういう場所ではないですよね。にも関わらずそれを志摩市が音頭取って煽ってるのが問題なんです。
萌え絵も悪くありません。
それを見て、かわいいと思ったり恋愛感情や性欲を刺激された方も悪くありません。
なんだよ女は無視かよと不愉快に思った人も、特に悪くないでしょう。
萌え絵は私も好きです。ギャルゲーもストーリーがいいものならしますしアニメもみます。ですが、行政が、海女という職業のPRとして公式認定するにはあまりにも偏りすぎています。 子どもにも説明しづらいですね、あれでは。
秋葉原のギャルゲーの絵としてはかわいいしいいんじゃないでしょうか。特に文句は無いです。「こんな海女いねーよww」とは思うと思いますが、萌え絵が好きな男性からお金をとるという目的にはかなっているので。ただ、コンビニや学校など子どもや女性の命着く床に堂々と置くのは控えてほしいですが。
やはりTPOやPRの意味、そして自分達の立ち位置や公共性について考えずに適当に町おこしをしようと考えた安易な志摩市行政が一番ダメダメなんではないでしょうか。
今回の騒動でPRできたかもしれませんが、正直マイナス方向のPRですよね。
海女さんまでも本人の意向を気にせず組織のために利用する、男社会のずうずうしさ、女の意見を尊重する気がないのががとりわけ目立つ案件で、観光客のほとんどを占める女性の反感をかったのは言うまでもありません。
結局は男性からは仕事の内容とかそう言うのは関係なしに、ああいう風に性的に見られてるんだなあという認識がひろまっちゃったので。
やり直しは恥ずかしいことではありません。
ぜひ認識不足を謝罪の上、再考し素晴らしい志摩市海女さんのPRを検討してください。
※もちはもちや。志摩市行政担当者さんは、予算獲得の方面にがんばり、PRの目的、ターゲット、方法、マネタイズの仕方などについては、専門家をその金で雇った方が良いと思います。
※裸祭=男の裸を誰にアピールするのか、という問いについて、どう答えますか?
女の裸のアピール先は男性なので、多くの人は普通ひっくり返して、男の裸のアピール先は女性と思われるかもしれません。
ですが、私は違うと思っています。
女性は特に興味もない男の裸を見たいとは思わない人が多いです。
女から見て、興味のない男からの性的な視線に対する不快感を男性に理解してもらうには、
男(ノンケ)から見て、ガチムチのゲイ(タチ)からの性的な視線について想像した時の不快感が、近いのではないかと思います。
体力や力が自分より上回るタチの存在から、ネコとして性的な目で見られている、という構図から考えると上記が近いと思ってます。
http://anond.hatelabo.jp/20150215211439
まずは地元の話になるんだが聞いてくれ。
「よいよい、わっしょい」の掛け声とともに、背中合わせで激しくもみ合る、 勇壮な祭として、この地方に知られている。
祭のあと、男達は集会所に集まり、普段着に着替え、飲み合う。
六尺は、激しい祭でドロドロボロボロになるから、使い捨てで、ゴミとして出される。俺はいつもそれが狙いだ。
こっそりさらって家に持ち帰る。 そして、深夜、俺一人の祭が始まる。
俺はもう一度汚れた六尺のみ身に付け、部屋中にかっさらってきた六尺をばら撒き、
汚れた六尺は、雄の臭いがムンムン強烈で、俺の性感を刺激する。
前袋の中のマラは、もうすでに痛いほど勃起している。 六尺の中に顔を埋める。臭ぇ。
汗臭、アンモニア臭や、股ぐら独特の酸っぱい臭を、胸一杯に吸い込む。溜まんねえ。
臭ぇぜ、ワッショイ! 雄野郎ワッショイ!と叫びながら、前袋ごとマラを扱く。
その六尺には、我慢汁の染みまでくっきりとあり、ツーンと臭って臭って堪らない。
その六尺を締めてた奴は、祭で一番威勢が良かった、五分刈りで髭の、40代の、
ガチムチ野郎だろうと、勝手に想像して、鼻と口に一番臭い部分を押し当て、
思いきり嗅ぎながら、ガチムチ野郎臭ぇぜ!俺が行かせてやるぜ!と絶叫し、 マラをいっそう激しく扱く。
ガチムチ野郎の六尺を口に銜えながら、ウオッ!ウオッ!と唸りながらマラを扱きまくる。 そろそろ限界だ。
俺は前袋からマラを引き出し、ガチムチ野郎の六尺の中に、思いっきり種付けする。
どうだ!気持良いか!俺も良いぜ!と叫びながら発射し続ける。
本当にガチムチ野郎を犯してる気分で、ムチャクチャ気持ち良い。
神宜庁は20日、記者との談話の中でレベルアップ時のファンファーレを廃止する方向で検討していることを明らかにした。
ファンファーレは勇者一行のモチベーションを高め、バラモス城攻略の一助となっているという意見もある一方、「モンスターが死んでいるのに不謹慎」、「モンスターがかわいそう」などという意見が一部からあがっている。神宜庁がファンファーレを廃止する背景について、専門家は戦線の膠着による厭戦感情の広まりと、それに伴う教会の求心力低下を回復する狙いがあるとみている。
この談話を受け、全勇連(全国勇者連絡会)は緊急声明を発表した。全勇連会長ルイーダ氏は、「レベルアップ時のファンファーレは勇壮、勇猛でなければならない。このような決定はとうてい受け入れられない」とし、反発を強めている。
最近ふと気付いたのですが、僕は、相当男くさい系の映画が好きなんですね。映画『ゴッドファーザー』は、男は、父親は、どう在るべきか、どう生きるべきかと全編を通して強迫的なまでに問いかけていると思います。
メジャーで公開される戦争映画は、かなりの割合でちゃんと見ています。『ブラザーフッド』『男たちの大和』『硫黄島』『父親たちの星条旗』も見ました。古代スパルタ王国に材を取った『300』でも、筋肉美を誇示するかのような男たちの勇壮な戦いぶりを楽しんできました。アメリカ沿岸警備隊の『守護神』も良かったです。
その一方、青年期前期の女性を描いたコミックやアニメも好きです。『プリキュア』『ローゼンメイデン』『らき☆すた』『ハヤテのごとく!』はとても有名だから、取り立てて言うほどではないかも知れませんが。
「青年期前期の女性」というのも徒らに硬い言い方ですね。ええ、「目の大きい可愛い女の子が沢山出て来る系」と言えばその通りです。心無い人はすぐにロリコン呼ばわりするかも知れませんが。ただ、基本的にはあまり「萌え」ていないと思うし、「萌え」は良く分かりません。むしろ、英語で言うところの interesting(興味深い)というニュアンスに近いのではないかと思っています。
両極端ですが、現実ではどうあっても自分が生きられない世界に触れて、補おうとしているのでしょうか(表面的に軽く自己分析)。ちなみに、少年誌的な世界にはあまり惹かれません。
本田透『喪男(モダン)の哲学史』という本は面白かったです。古代から現代に至るまでの思想を総覧しながら、著者の主張はぶれることがありません。現実への絶望・失望が文化を形成してきたのであると。ただ、やや希望を持った解釈をすれば、3次元(現実)の世界のみならず、2次元(脳内)の世界は必要であり、2次元の暗部を現実に漏らさない自我の強さを持ちながら良い部分を投影していくことで現実は豊かなものになるであろう、という主張も同時に行われていると思います。
…さて、『らき☆すた』を1篇見てから寝ることとしましょうか。
増田ねこがお題をだすにゃ。
分岐自由(ただし分岐した内容はなんらかの形で自分で終わらせるネ)
視点自由(主人公は分岐した時点で変えていいにゃ。分岐するなら視点を変えることを推奨するにゃ。)
タイトルをタグにするにゃ[週末増田小説20070525]A(主な分岐)-0(その枝番)
書きすぎない。一回の投稿で80行ぐらいが限度だにゃ。
http://enema.x51.org/x/07/05/1546.php
http://www.asahi.com/science/update/0524/TKY200705240142.html
「生態系の破壊を警告」21世紀ノアの方舟
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007052373818
流れ着いた巨大な死体の正体をさぐるべく(最初の)主人公がギニアに飛ぶ
生き物の正体をさぐるために歴史学者、生物学者様々な場所でさまざまな人に会う
調査を行う科学者と強硬派の環境保護団体の活動に争いにまきこまれる
そして主人公は夢から醒め、遅刻だー☆と食パンを加えながら学校へ向かって疾走する。
という最後の一行はまた別の話しである。
最終的に増田で開発された小説そふとにより閲覧できるようになるのにゃー
http://anond.hatelabo.jp/20070524163333
とおもったら、なんかもう別のがはじまってるにゃーー