はてなキーワード: 労働争議とは
安倍政権の「実績」 2012年→2019年(データにより2018年)(追記あり)
失業率: 4.1% → 2.2%
税収: 43.9兆円 → 60.2兆円
平均賃金:297万 → 306万
ひとり親貧困率: 54.6% → 48.1%
男女賃金格差: 70.9 → 74.3
長時間労働者(週60時間以上)比率: 9.0% → 7.5%
出生率:1.41 → 1.36
殺人事件数: 383件 → 293件
左派やリベラル派は、「安倍政権は暗黒時代だった」などと言っているが、
以上の実態の改善を無視し続ければ、ますます支持を失っていくことになるだろう。
これらが「アベノミクス」の成果なのかどうかは、正直よくわからない。
そもそも改善の程度はそこまで大したものではない(特に貧困率)。
「アベノミクス」で明確に改善、正常化したと言えるのは、株価と為替だけで、
また、失業率や自殺者数の減少など、民主党政権で既に改善傾向にあったものも多く、
「民主党政権が改善させたものを自民党が引き継いだ」と解釈できるものが多い。
他にも税と社会保障の一体改革、消費増税、育児支援策、官邸権力の強化など、
民主党政権の課題を安倍政権が引き継いで実現した、というものが多い。
需要重視の「デフレ脱却」にしても、最初は菅直人が言いはじめたものである。
リフレ派は「経済音痴の民主党政権から経済通の安倍政権に変わって日本が復活した」
と言うが、それは全くの事実ではない。
本気でそう解釈しているとしたら、それは学者を名乗るべきではないのはもちろんのこと、
人としてまともに相手にすべき人ではない。
(追記)
現在も総理候補の菅官房長官を苦労人と持ち上げる報道が目立つ。
(追記2)
「消費増税さえなければもっと成功した」という人が多いが、これは間違っている。
正直、お前ら政治をどんだけなめんてんだよ、と思う。
消費増税しなけば、政府の歳出が大幅にカットされたに決まってるだろ。
与野党内にたくさんいる新自由主義派や財政再建派を粛清・虐殺でもしない限り、
政治というのは、妥協の妥協のそのまた妥協ということがわかっていない。
低所得者の医療・介護保険料軽減措置も、保育無償化措置だって導入されなかった。
医療費だってもっとボロボロに削減されてコロナ対応がやばいことになっていたと思う。
充実分は大したことないという批判は感受しなければならないけど。
増税反対と言ったら竹中平蔵や高橋洋一などがブレーンとして出てきて、
いま減税とか言っている人たちは、
特に声で参加している者。
日本では伝統的に俳優や声優の類は個人にも関わらず労働者としての扱いがされず、日本俳優連合は小規模法人の立場を守るという形で組合員を守っている。
キズナアイ事件、ゲーム部事件、牡丹きぃ事件(これは自業自得の見方も強いが、適切な対応がなされていれば救われていたかもしれない)と誕生から僅かな間にいくつもの労働争議を抱えている。
他にはアズマリムを始めとしたサイバーエージェント関連。特に問題にはなっていないがミライアカリの所管は個人的には問題と思える。
現状殆どのIPは自社で育成し自社で運用するという形から、シンプルな紛争で収まっている。
しかし今後IPの売買が発生した場合、見た目の権利一式と共に声担当まで売られるとなると、再契約時の条件交渉は極めて演者側に不利となりかねない。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
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2019.06.27 再追記にも一部補足追記した。内容は変えていない。
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zyzy
証拠があろうが「同意があったと勘違いさせた、死に物狂いの抵抗ではなかった」という理由でやりたい放題だからね。んで無理矢理名誉男性作って盾にして、それを指摘されたら「おんなのてきはぁぁぁぁ」言い出すのな
いじめはどんな世界にでもあり得るけど、流石に解雇までいくと法律的に反撃しないのがおかしい経歴もあって嘘松か、本人の中で被害加害が反転するタイプのDV気質だったんだろうな、としか言いようがない。
hawaruna
女の子なのに特撮が好きなのは変という周囲を突っぱねて業界に入ったらそこには女だからという理由でセクハラ三昧というさらなる地獄が待ってるのか…
虚偽DV訴えてた自爆自殺した元自衛官が本当にDV加害者なのが発覚した事もあるから一方の話だけで叩くのは危険 https://anond.hatelabo.jp/20161025032408 /元社長なら無意識にマウント癖が出てたのかも/男女逆でも嘘松認定されてるわ
grdgs
本人が人気あったっと思い込んでただけかもしれないし、定年退職おじさんにありがちの押し付けがあったからかもしれないから判断できないね。て書くと「女ならすぐ同情される!男性差別だ!」って輩が出てくるかな
tora_17
本当に酷い舞台裏。性犯罪被害にあうかも知れない後進や子供達のために黙るより声を上げる方を選ばれた事が立派でよくぞ言ってくださったと思う。ヒーローそのもののような魂をお持ちの方だ。
「おじさんだから解雇」は法的に信じ難い。女性性を必要以上に強調してるが、元社長父に「性別無関係で先輩の元に入る新人」意識はあった?「女と女のブラック職場」への見下しが露骨で、こんな人が来たらトラブるわ
uehaj
最初からわかっていて雇用したのだから「おじさんだから」だけが理由のはずがない。それを理由にしめされたなら、元社長は労働法規にも詳しいはずで、反論は可能。ここに書かれてないことは何だろう。
elephantskinhead
ヒーローの裏側が完全に怪人で草生えない
疑うなと言いたいのではなく、疑いは持っていいんだけど、二次加害するような言葉は残さない方がいいんじゃないの?と。
ブックマークは個人のものだけど、誰もが見られるものでもあるので。
再追記
ところで、@tora_17のtwitterのbioに
●togetter及びまとめブログ等へのツイート転載禁止/●当方に直接連絡して許諾を得ないツイートのリンク及びスクリーンショット掲載を禁止し、破った場合一件5万円請求します
と書いてあるんだけど、これ、拘束力あると思う?
駐車場の「無断駐車は罰金10万円」と同じで、どう考えても認められないと思うし、転載はともかく、批評のために引用する分には、twitter社の引用ガイドラインを守れば、何の問題もないだろうけれど。
とはいえ、面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なので、当該tweetは掲載しない。
というのは、@tora_17、ついに@doctor_nwに向けて、要約すると
「『おじさんだから解雇』は法的に通らないのにあっさり受け入れているのはおかしい。根本原因は女性を糾弾する姿勢に現れる傲慢さだ」
といったリプ送りやがったんだよ…。(@tora_17の当該tweetは探してね)
記述された言動に不自然な点はないかとか、それは本当に起こり得ることなのか、といったことを懐疑的な目で精査するのは構わない。
さっきは、「二次加害するような言葉をブックマークコメントに残すのはよくないのでは?」と書いたけれど、まあ、そんなこと書く奴はゲスな人間性を衆目にさらしているだけではあるし、好きにしろ、と、ぎりぎり割り切れる。
しかし、さすがにリプ送るのはどうなの?
具体的な証拠があるならまだしも、何の証拠もなく、「○○は××だから~に違いない」と、しかも自分にとって都合の良い推論だけで。
(こういうときは、自分にとって都合の悪い推論を展開していって、それでもなお確実に言えることだけ、ようやっと若干の説得力が出るものだぞ)
tora_17は、ヒーローショーの女性に対して「セクハラを訴えずに退職するのはおかしい。退職の根本原因は、こうやって告発する姿勢に現れる傲慢さだ」とかリプ送れるの?
なあ、言えるのか?送れるのか?おい。
勘違いするなよ。私は怒っているんじゃない。激怒しているんだ。
こういう二次加害を恐れ、ハラスメントを告発できないでいる一人の女…いや、ここで女とか言い出すのは卑怯か…、一人の人間として、激怒しているんだ。
スタートアップA社から別業界のスタートアップB社に転職した。
A社はプロダクトにも愛着があったが、経営陣(というかCEO)の会社内部に対する姿勢に疑問を覚えて辞めた。
他にも色々な理由はあるが、一番の理由を挙げるとしたら、それがネックだった。
転職活動をしたのは、ちょうど自分の業務が最高に忙しいときで、
とにかくこの状況から逃げないといけない、という乱れた状態で始めてしまっていた。
隣の芝生は青く見えた。
そしてB社の芝生を選んだ。選んでしまった。
固定残業代が45時間、これはありがちでA社もそうだったからよい。
タイムカードを正確に記録させており、45時間以上残業している人がごろごろいるにも関わらず、
残業代は支払わない。
新入社員に聞かれても、45時間超過分についての支給は濁しているらしい。
しかし、社内チャットツールでは「支払わない」とclose channelに書いてしまっている。
労基署入ってきたらどうするんだよ。
時間超過の出勤簿も、超過分の残業代を支払っていない給与明細も発行しておいて、
支払う意思がないって引くだろ。
スタートアップにありがちな御託を経営陣はごちゃごちゃ言っているそうだが、
まして雇用契約書には超過分を「支払う」と明示した上で会社と被用者の印を捺している。
契約不履行だろ。
もはやその話を引き継ぎ上聞いてから、会社に対して貢献したいという気持ちが一ミリもわかなくなった。
その他にもコンプライアンス的にどーよ、内部統制これいつかとれるの? 経営者がそれじゃ無理だろ。
誤解がないように書くけど、自分は残業代をもらいたいわけではない。
普通に刑事罰もあり得る法令違反を改善する意思もないと聞いて引いたのだ。
それでIPOしたいだとか、控えめにいって潰れたほうがいい。
まあ、管理部門的な部分が後手に回るのはわかるよ。
そこに力割けない・割きづらいのがスタートアップなのもわかってるよ。
俺が変えてやる! という熱意さえない。
法律守る気もないのに人だけはスキル関係なくガンガンとってる。
チームメンバーは初日から放置してくるので自走してたら「勝手にやるな、承認とれ」と言い出す。
後出しジャンケンコミュニケーションコスト激高野郎が抜かしてるんじゃねえよコラ。
オタクの人ら、70年代から内でも外でもひたすら喧嘩してる連中のあつまりなんですが…。
宮崎駿や高畑勲が組合作って労働争議やったり、庵野秀明らがアマチュアから商業業界に無理くり入り込んだり
ポルノ分野で力をつけてメジャーに乗り込んだり(Keyとかニトロ)、タフな人はたくさんいるんですよね。
もちろん弱い人もいるでしょうが、それはどのような属性の人にもいるかと思われます。
社畜が会社を訴える物語は、経済小説という分野になるのでファンタジー路線のライトノベルには向いてないという話ですよね。
オタクが逃げている、というのは全くそぐわない。やろうと思えばできるけど、市場に対して有効かどうかという問題です。
彼らの主張には賛成できかねますが、それは直接・または間接的に反対意見を伝えることで彼らが自主的に転向することを期待していました。
また、YouTubeやGoogleのような独占的な大企業は社会に対する責任があるので利益のために何をしてもいいとは思えません。
スポンサーが逃げるから(経営上損だから)BANという理由を認めてしまうと、例えば労働争議に対する労働者側の意見や公害問題に対する被害者の意見を封じ込めることも肯定してしまうことになります。
現に古くは悪徳商法マニアックスがGoogle八分になったり、最近だとamazonが粗悪なUSBケーブルに対する批判的レビューを削除していたりしていますが、あなたはそれを肯定できますか?