はてなキーワード: 創作物とは
youtuberとか全然わからないんだが、ヴァンビとかいう人、スパイダーマンという既存の創作物を借りてんのに「日本最速で〇〇になりました」とか言ってドヤってるように見えるんだけど、あれどういうこと?
みたいなツイート(今はもうツイートじゃないんだっけ??)見たけど、大多数は無関心だとおもうよ?
特に思想を表明しない=反対、ではないっていうのは大前提で自分の考え。
好きあってるならできるようになるといいよね(ただし積極的に動くことはしない)みたいな消極的賛成、法律で認められてないからなあ…っていう現状維持、婚姻に伴う税とかの優遇は次代への期待可能性への投資だから同性婚はちょっと…という制度面故の反対、同性婚とかきめえんだよざっけんなっていう積極的反対、そしてもちろん愛し合う二人がたとえ同性でも認められるようになるべきという積極的賛成。
色々な考えを持っているだろうさ。
ちなみに私は制度面故の反対、だから同性はもちろんちゃんと扶養とかできるんなら一夫多妻・一妻多夫も認める準婚姻みたいなのができたらいいんじゃない派。
少なくとも現状創作を発表できる年齢の人間は、恋愛の一つのゴールとして結婚というものがあるわけじゃん。
それ故にBLGLの物語の終着点…というよりはその後のセックスを盛り上げる前座として結婚する描写があるってだけでそこまで深く考えてないんじゃない?法律も憲法も知らん、どうでもいい。推しが結婚!可愛い!幸せ!さあ結婚初夜エロエロックス解禁スタート!!!あ~今までは抑えてたんだ~~うわーほぉぉ~~エッチですね~~~ってだけでしょ。少なくとも私はそう。
法的に禁じられているからこその背徳、絶対に叶わないからこその美を感じているからこそ現実で認められるのが嫌!って人も中にはいるだろうけど、そういう人は少数派か、いてもそれを表に直接的には出さない理性を感じるんだよ。
創作では認めてるのに現実では認めない!これは同性愛の消費!みたいに言う人が避けられてるのは、その選ぶ言葉が敵を作りやすいのもある。
一次なら合わない人だなって離れるけど、二次という他人の成果を勝手に使ってる人だと自民党とか壷とかのワードくっつけるから余計にうわ…ってなるんだよ。少なくとも私はそうだよ。
でも第一はなんていうかな、積極的にこっちの考えを探ってそれを定義して気にくわなければ差別や消費、自分の思いと合致してれば仲間扱いっていうのがただただ不快。個人的には毒親に類する不快感と嫌悪感がある。
仮面舞踏会というか昔の盆祭りというか、身分も考えも探らないし探られない、ただ今ある情熱に従ってヤりましょうっていう場なのに、仮面なり笠なり剥ぎとられて顔面さらされて、身分階級しがらみ諸々責め立てられてる不快感じゃないかな。
どんな人間でもそのバックボーンを気にせず、ただ共通の目的で自然と集まって自然と離れる場だったのに、その思想に至るまでのことを根掘り葉掘り聞かれたら離れていくし嫌われる。
制度には積極的に反対はしていないけれどアレと同類になんて見られたくもない→だからそっと離脱→離脱理由を正直に言わない程度の理性はある→「私から逃げたってことは差別主義者!」「えっ?!」……みたいな感じなんだよね、こっちとしては。
避けられてるのは同性愛を消費していることを指摘される恐怖や後ろめたさからじゃなくて、暗黙の了解をぶち壊して快適な泥沼をぐちゃぐちゃにしていくお前らが嫌だからだよ!やめろ!この快適な泥沼に精製水をぶちこむな!いやこれ精製水じゃねえ開封して口つけて飲んでから常温放置3日後の水素水だきったねえな!!って感じだよ言語化すると。言語化が下手すぎて嘆かわしい。
少なくとも私は単純に現実はほぼどうでもよくて強いて言うなら準婚姻制度ができてらいいねで、創作物ではBLGLその他もろもろのエッロイセックスが見たい。
それだけ。
独占権を守るという意味ではリベラルの敵であろう知的財産権が属地主義や登録主義などを採用しているのはその合理性からだよ
だからきめつのやいばのパチモノDVDはきっちり関税でとめられるんだ。
そうでなければ発明も漫画も小説も演劇も、すべての創作物も文化もすべて国のモノ、国の統制下。国がその場その場で判断します。そう、赤い国のやり口だね。
そういう国ではもちろん国の判断、すなわち一般庶民が官僚の体面をまもってあげつつワイロをあげる行為が最強なんだよね。
恣意的属人的判断よりはリストで判断するほうがよっぽど公平じゃないか?
いやならおまえが全部の輸入品について特許技術・意匠権・商標権・知的財産権・ついでにATTやワシントン条約を侵害していないか関税で一人で判断してみせろよ。
2回目のコロナになった。
もう現実や未来からの逃避として映画やドラマ、それらの二次創作を接種して、脳や身体を麻痺させるのには飽き飽きしている。
それなのにまたそれを繰り返す。それらは素晴らしく機能する。わたしには、逃避としてではなく創作物を楽しめた時期があっただろうか。きっとあったと思う。でも登場人物たちの人生や、素晴らしい作品に関わる人たちの人生を手放しで称賛するには、私はいまの自分の人生に満足していなさすぎる。
素晴らしい作品を観て思うのは、この作品に関わる人たちは、自分たちの人生を誇らしく感じるんだろうな、という羨ましさだ。俳優にはキャリアがある。私の大好きな映画で主役を演じる俳優は、私の生まれる前に作られた映画で端役を演じていたし、ドラマにも出ていたし、若い頃から俳優として、プロフェッショナルとしてのキャリアを積み上げてきた。
では、私のキャリアは?わたしは何者でもない。私は創作者に憧れている。たまに二次創作を書いて、自分の物語を書いてみて、完成させられない。書くにも読むにも、集中力が足りない。時間を浪費するだけだ。何もかもがもう遅い気がするのに、自分は若すぎる気がする。
半年以上付き合っているパートナーがいたときはこんな風に悩まなかった。ロマンティックな関係を保てる人間、あるいは自分の隣で人生を歩んでくれると思える人間との関係値があるときは、私の人生には何もないなんて思わなかった。私が持っていて、今も変わらずに持っているもの、フルタイムで人間関係の悩みのない仕事とか、私を愛していて金銭的な心配とは今のところ無縁にみえる家族とか、素晴らしい友人たちとか、そういったものが私の人生のすべてだったし何一つとして失っていないのに、今は何もない人生に思えてしまう。私は誰かにロマンチックな関係の中で一対一で愛されることを夢見る。わたしは昔付き合っていた人とそういう関係を築いていたと信じる。でも、そういった関係をまたいつか誰かと築くということは、今の自分自身からはとてつもなく遠いところにある。
生きがいになるような仕事と愛が欲しい。ということなのだと思う。これを手に入れるような人は、もう既に何かを成し遂げているべき年齢なのではないかと焦っている。何もかもが遅く、もうどうにもならないだろう、と不安だ。心と身体が麻痺したように、何もできない。それで映画を観る。指を動かせば、現実を忘れてしまうような素晴らしい世界が待っている。でもそこには積み上げてきたキャリアと愛が映し出される。私が持っていないもの。逃場はなく、私は虚しい。
いや増田の感性は素敵だけどさー既に指摘されてるようにそれは増田の感性と教養と自然の素晴らしさであって。
だいたい「スーパーが博物館」って表現も、それいいフレーズだけどさ、都会にはその博物館も沢山あるわけじゃん、
成城石井も紀伊国屋も北野エースもビオセボンもディーンアンドデルーカもあって、
その上でチェーンじゃない地元密着のスーパーもあるわけよ。あとは中華食材の店、韓国食材の店、南米やハラル食材店もあるしね。
ほんで選択肢の多さだけじゃなくって、それぞれのスーパーで働いてる人達によって棚に多様性が生まれる、それが都市の文化だと思うよ。もちろんコンビニとファストフードで生きることもできるし、外食三昧もできる、ピンキリが幅広くて沢山のレイヤーと選択肢がある、それを生み出せる人間と消費できる人間が居て文化が構築されてるんだよ。
だいたいさ増田はその田舎出身じゃないだろ、増田にとってまだ新鮮さがあるからそういう風に言えるのであって、例えば増田が30なら30年間その田舎にいたらその感性や教養って育ってないと思う。思春期〜青年期にある程度都会を経由してるからこその増田の文章だろ。自覚あるだろうけどさ。
それにこういう文脈で自然挙げてくる人多いけど都会でも自然の良さって感じられるからね、別に。23区は都市計画で公園も多いし、人が植えて人が手入れしてる自然でも自然は自然だから自然に合わせて自然に育ってくんだよ。最初は植えた感アリアリの苗木がだんだん根を下ろして、街と自然の一部になってってるのに気づくと頑張ってんなぁって気になるし。
至る所で雨と土の匂いだってするし四季の移ろいも感じられるし、朝日や夕陽の美しさも街に合わせて違うように感じられるしさ。
小田急から見る春の夕陽と中央線から見る秋の夕陽と、冬の山手線の始発から暫く経って感じる朝日と、夏のゆりかもめで感じる朝日とそれぞれ全然違う良さがあるしな。確かに星が見えないのは認めるが。ビルで見切れてる入道雲も言ってみれば大自然だし、秋になればトンボも飛ぶし、てか荒川沿いでも東京湾でもひらけた空は拝めるし。あと増田はたぶん植物園増田と同一増田だと思うけど、植物園だって行こうと思えばフラッと行けるよ。
カニ、カニ可愛いよね、でも文学や創作物と生活や日常の結びつきの話をしだしたらもう都会は文化そのものじゃん、言うまでもなく。
百合もBLも大好物だし、俺自身がフィクトセクシュアルであることからLGBTsとかSOGIとかセクシュアリティとかの話題には関心がある方だけど、「アライ」の「Shipper」と聞くと警戒しちゃうのはそういうとこだぞって感じ。
スレミオ:本編での結婚を祝福し創作を続けている人もいれば、「スレミオ大勝利」宣言してグエスレ民の悲鳴ツイートを晒して嘲笑したりする攻撃的な無産もいる。クラスタの人数が多いため、害悪オタの人数もそれなりにいる。
グエスレ:前から同性愛ヘイター・ミオリネアンチが多いクラスタではあったが、最終回でスレミオが結婚してから激化。本編を無視してグエスレ成立if時空の創作を続けている人もいるけど、グエスレ創作をRTしながら本編や「百合豚」への呪詛を吐き散らし続ける人も多い。本編でスレッタからグエルへの恋愛的関心が皆無であり、エラスレやシャディミオと違って成立可能性がまったく無かったため、同性愛蔑視とミオリネ叩きくらいしか本編に対して言えることが無くなっている。「本編は地雷なので観ません」宣言する人も。害悪スレミオ民から最も喧嘩を売られ攻撃されているクラスタだが、グエスレ民からスレミオにもしょっちゅう喧嘩売ってるので、どっちもどっちに見える。
エラスレ:グエスレほど同性愛ヘイターが目立たない(どうしてグエスレとエラスレでこれだけ差があるのだろう?)。4号生存if時空の創作を続けている人が多く、スレミオ民との殴り合い頻度もグエスレよりは低い。ミオリネアンチして晒されたエラスレ民はいた。4号×スレッタ完全固定派が4・5・様×スレッタの同一顔面逆ハーレム派を受け入れられないエラスレ内輪の中のギクシャクのほうが目に付く。本編で5号がノレアに行ったとき「5ノレいいね」となった派閥と、エラン顔は全員スレッタのものであってほしいというスレッタ棒ビュッフェ派閥の間でも利害が不一致となり、エラスレ=4スレのみだった頃からの相互フォローエランクラスタ内でもギクシャクした。
シャディミオ:シャディミオメインのCP厨は水星ファンダムが壮絶なシャディク叩きムードだったときにも耐えてきた歴戦の猛者なので、ミオリネが結婚したくらいで折れることはなくシャディミオ成立if時空の創作を続けている。グエスレにとってミオリネが邪魔なので邪魔者処理としてシャディクとくっつけようとするサブCP需要がシャディミオにはあり、シャディクやミオリネのキャラ理解が曖昧な創作が投稿される。シャディミオメイン推しの人と、邪魔者処理のサブCPの人とでは熱量が違うので結構露骨に創作物にキャラへの興味の無さが漏れ出てしまってて笑える。シャディミオメインの民はエラスレ民同様、同性愛ヘイト発言はせず粛々とシャディミオ解釈に向き合っている傾向にある。
ラウグエ:最終回の1話前でお祭り騒ぎして、最終回でお通夜。グエスレ民がミオリネアンチするのに比べると、ペトラは発言量・尺が少なすぎて短所を晒し上げる余地すらないからか、ペトラアンチ化したラウグエ民は少ない。そのかわり運営叩き、脚本叩き、脚本家への誹謗中傷、「同性愛ヘイトの上層部の圧力がかかってラウグエ成立が妨害され異性愛に変更された」などの陰謀論に走る人が複数みられた。