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はてなキーワード: 前者とは

2009-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20091008034232

前者は鍛えられますが後者は感じる事も出来ないくらいに衰えます。

今の俺。

「脳の右側で描け」を読んで写実画の練習したり、クラシックを聞き込んだり(フリーソフト再生速度を速めたり遅めたりも)、フットサルに打ち込んだりして非言語論理的な部分を鍛えようとがんばってます。まだどれも始めて半年くらいだけど、3年後くらいには別人になっている予定。

http://anond.hatelabo.jp/20091008003341

人の情緒には、「ほぼ正確に言語化できる部分」と

「どんなに頑張っても言語化した時点で不自然になる部分」があります。

で、言語を使って理性的に思考してると、

前者は鍛えられますが後者は感じる事も出来ないくらいに衰えます。

でも言語は「後付け」で設定された道具なので

それは、生き物としてはアンバランス不安定な状態なのです。

だから「言語以外の部分」を鍛えろ、という御話。

 

したがって、本当は「直感」と呼ぶのも不自然なんだけれど、

言語でしかコミュニケーションできない人を啓蒙するには

「直感」なり何なりの表現を使わざるをえないのです。

(でも、やっぱり「直感」という表現は不自然なので、本質に辿りつかず、

元増田みたいな疑問に囚われるのです。)

2009-10-07

コンデジデジイチの選択について

http://anond.hatelabo.jp/20091006210805

 今年デジイチコンデジ両方買った増田が来ましたよ。

 ツッコミをモヒモヒして待ってたのに、はてブばかりが伸びてる割にトラバツリーがイマイチ伸びてないように見えるので、増田からも。

使い方の違い

 基本的に「コンデジ」と「デジイチ」を「使い方」という面から差別化するなら、前者レンズカメラに据え付きであり、後者レンズを替えられる、というのが最大の違いとなる。因みにこの分け方の場合、「一眼レフ」ではないオリのE-P1だのパナのGH1だのは、後者。こいつらは「レフ」と表現されるミラーを持たないからデジイチにしては薄くて軽いが(ミラーってカメラの中で斜めに寝た状態にあるから、場所喰うんよ)、ファインダが光学じゃないから、気をつけろ。ファインダが光学である利点は、↓とかを参照。無論、ファインダがデジタルであることのメリットもまたある。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/480

 は置いといて、コンデジの場合、レンズが据え付きだから、後で替えが利かない。「画質がいいですよ~」とか店で言われたのをそのまま受け取ってGR3とか買っちゃうと、運動会でガキが豆粒にしか写らなくなるので注意だ。一方、やたらズーム率の高いデジカメ買っても、所詮今の高画素カメラであればトリミングさえしてしまえば十分だったりするので、用途によってはオーバースペックになることもある。ただ、コンデジの場合多数派は後者で、要するに「誰でも何でも撮る」ことを優先していて、ズーム率も高いしシーンモードも色々ある、ことが多い。

 自分も、コンデジを買うなら「汎用性」を重視すべきだと思う。ほぼフルオートで、ズームで構図とる以外はほぼカメラ任せでも、とにかく常時携帯して何か見つけたら撮るくらいの気持ちで付き合えば、かなりお気に入りの存在となるはずだ。その場合、広角端を意識して買うべし。さっきも書いたが、ズームはある程度まではトリミングで誤魔化せるからな。

 逆にデジイチレンズが交換できるのが、逆に、あれ撮りたいこれ撮りたいとかなってレンズ無限に買い出すと、レンズ1本でコンデジ2~3台レベルなんてのは普通にいくらでもあるので、財布に気をつけろ。概ね、こうしたレンズ選びは「何を撮るか」の目的に合わせたものになると思う。被写体がはっきりしている場合には、向いているだろう。最初にキットレンズからはじめて、撮る目的が色々見えてきたら、というのはレンズを選ぶ感じか。

暗さとの戦い

 室内とか曇天とか、ちょっとした悪条件でカメラシャッタースピードはすぐ落ちるので、特にコンデジ携帯だと家で子供とかぬこを撮る場合に大いに苦労する経験をされた方は多いだろう。

 シャッタースピードは、当然のことながらカメラが受け取る光の量に比例する。逆に言えば、同じ明るさでもカメラで受け取れる光の量を増やせばシャッタースピード稼げるわけで、受け取る量は「レンズ口径を広げる」か「素子を大きくする」ことで実現し、このいずれについてもデジイチコンデジを大きく凌駕する。ただ、素子の大きさに制約のあるコンデジにおいても、素子の形状や光の受け取り方を工夫することでこの制約を突破する試みは存在し、全社の代表格として富士のEXRシリーズ後者の代表としてソニーのExmor-R採用コンデジがある。

 無論、それでもデジイチとの性能差は大きいのだが、どうせ室内で子供とかバシャバシャ撮っても、A4にすら引き伸ばさず、せいぜいL版でアルバムに収めるくらいなんだったら、コンデジのこの辺りの性能が高いヤツでシャッタースピード稼げば、十分歩留まりのよい撮影になるだろう。それでも「画質がいい方がいい!」だったら、基本デジイチレンズキットでそんな明るいのは無いので(例外:パナソニックのGF1→キットレンズが20mm/F1.7)、レンズを別途見積もるのを忘れるべからず。

遊びとして

 少なくとも今現在の話として、コンデジは、現下の不況画素数競争の終焉、携帯撮影文化の定着という逆風の中で絶賛苦戦中である。そうした中で、(特にソフトウェア的な)技術だけは着実に進化を遂げる中で、進化の袋小路的な変態機能が各社から繰り出されている。カシオの超高速連写、ニコンプロジェクタ内蔵、富士3Dコンデジなど、言わば「ガジェット的」方向性が見出されるコンデジは多い。こうした機能に「釣られてみる」のも悪くは無いだろう。

 一方、デジイチというか伝統的なカメラにおいては、伝統的な遊びとして、テレコンやワイコンマクロレンズフィルタ(クロススクリーンキラキラ夜景とか、NDフィルタで滝の流れを撮るとか)などによる様々な表現手法が存在する。こうした機材による撮影表現遊びは、ハマると愉しいだろうと思われ。

コンデジは「カメラが絵を記録してくれる」もの、デジイチは「自分意図を切り取る」もの

 色々と違いを述べたが、最大の違いはここかも知れない。

 コンデジはともかく、結構オート化している。高級なものはある程度マニュアル機能も充実しているが、そういうのはむしろ、デジイチを持ってる人が軽さや機動性を求めて購入するものだろう。

 確かに、シーンの操作やズームなど、撮影者の意図入力されるものだが、大きな方向性としてはプログラムシフトだの絞り優先だのシャッター優先だのよりは、カメラが「勝手に決めた」設定で撮影が行われ、カメラが「勝手に」補正し、時にはカメラ勝手に顔色まで認識してくれた上で、絵として記録される。AFファインダの敏捷性も高くないので、タイミング的な意味でもある程度カメラに「引っ張られる」部分はあるだろう。というと何かコンデジ駄目じゃん的な印象はあるが、実際「カメラが決めてくれる」気持ちよさ、みたいなのは、確実にある。暗所などの弱点はあるが、記録としての歩留まりは確実に今のコンデジは確保してくれるだろう。

 で、デジイチの方はというと、これも一部にはオート機能がオプション的に充実してたりはするものの、総じてはある程度以上「撮影者の意図」を反映する機材である。観光地とかで「シャッター押してください~」と声を掛けてデジイチを渡す人は、普通はいない。

 絞りをコントロールしてボケを付けたり付けなかったりとか、わざとシャッター速度を最適からはずして流し撮りとかをしてみたりとか、ピントを被写体の目に合わせてみたりとか、色のバランスを変えてみるとか。こういう機能は、ある程度コンデジにもあることはあるが、制約が付いてるケースが大半である。言わば、コンデジが「メニューから選ぶ」もので、デジイチが「自分で組み合げる」もの。ただ、センスがなければ、機材がいくら良くてもヘボいものしか出来ないという意味で、間違いなく敷居は高く、挫折したら投資無駄になるリスクもあろう。

 そうは言っても、素子とレンズの質の高さでしか実現できない絵はあるので、金と目的があるなら、デジイチに挑んでみるのも良いかな、とは思われ。

匿名性をねらってのボイチェは危険

ここ数年、動画共有サイトや生配信サイトが盛り上がり、動画を通じて、さまざまな人間の声を耳にすることが多くなった。

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そうした動画でよく見かけるのがボイスチェンジャーである。念のために説明すると、これは声を変えるソフトだ。

ずっと以前から、テレビでは、犯人を目撃した証言者が出演の際などに、プライバシーを保つためにボイチェが使われてきた。

だから、聞いたことのある人が大半だと思う。

このボイスチェンジャー略してボイチェが使われている目的は二つあって、一つは変な声になるのでネタとしておもしろいから、もう一つは匿名性である。

前者についてはここでは触れない。問題は後者である。

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ボイチェは匿名性を狙って用いられているが、その匿名性は大して高いものではない。

テレビで用いられるボイチェは、非常に高級なため、元の声を声紋解析ソフトで解析してもわからないようになっているが、

市販のボイチェやフリーソフトのボイチェというのは、声紋解析で容易に「誰それと声が一致する」と判明するのだ。

声紋解析というと、素人には馴染みがないかもしれないが、解析を行うフリーソフトが存在し、少し使い方を覚えれば、素人でも使える。

よって、素人でもボイチェの声の正体が分かってしまうのだ。

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ただし、声紋解析というのは、ボイスサンプルAとボイスサンプルBが声紋という点でどれくらい一致しているかを見る解析であって、

ボイスサンプルが無い人を割り出すことはできない。言い換えると、声紋解析をする時には、候補となるボイスサンプルを集めてきて、

どれと一番似ているかを判別することになるので、候補が多い時にはかなり面倒ではある。

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さて、ボイチェだから匿名性が確保されると信じて安心するのか、発声リズムイントネーションや口癖を変えない人もよく見受けられる。

話の内容には気を遣っても、無意識的な癖にまでは気が回らないようである。

ただでさえ、こうした癖というのは、気をつけていても本人の気づかない部分で露呈しがちなのに、全く気が回らないとなると、

それだけでかなり声紋解析の候補が絞り込まれてしまうのである。

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こうしたことから、ボイチェを匿名で好き勝手話すためのツールとして使うのは危険だといえる。

いわゆる「祭り」「炎上」の状態になろうものなら、ネットの向こう側でたくさんの素人が解析することとなり、たちまち誰であるか特定されてしまう。

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では、高い匿名性で好き勝手話したい時はどうすればいいか?

一つには、2chなどの匿名掲示板で我慢するということが挙げられる。

だが、音声で伝えたい場合もあるだろう。その場合には、「ゆっくり」など、音声読み上げソフトを使うのがよい。

そうは言っても、地声をそのまま匿名性の高い音声に変換したいと思う人もいるだろう。そういう場合には、代わりに話す人を置くという手もある。

また、これはお勧めしないが、ボソボソ話すなど声質を普段と変えてボイチェに掛けることで、比較的解析の困難さが増す。

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いずれにしても、匿名性を完全にすることはできないのであって、特定されたら困るようなことを話すからには、覚悟が必要だと思う。

2009-10-06

[]10月6日 ああいやだ

こんばは。司法修習生増田です。

いよいよ明日から起案4連発です。それに加えて模擬裁判の記録も検討しなければなりません。泣きそうです。

さて、昨日に引き続き、事実認定の話をしたいと思います。

眠いので資料も見ずに殴り書き。

証拠には、大きく分けて、書証と人証の二つがあります。

書証というのは平たく言えば、書類のことです。契約書、とか、領収証とか。

書証は訴訟において非常に重要な役割を果たします。

ですが、現実は甘くありません。書類だけで、事実関係が全て分かるなんてまれなことです。

そういったときに、書証を補充してくれるのが、人証です。

人証というのは、つまるところ、誰かの証言・供述のことです。要するに、証言台に立つ証人の発言ひとつひとつです。

これまた非常に重要なのですが、書証と違って、人証は非常にやっかいな特徴を持ちます。

それは、証拠として固まっておらず、変動しやすいと言うことです。

たとえば、証言台に立つ証人の気持ちを考えてご覧なさい。

しっかりと準備をして臨んだとしても、慣れない法廷で、衆人環視の中、相手方当事者から詰問され、裁判官からも矛盾をつっこまれ、

そんな状況の中で、きちんと思った通りの答えを言えるとは思えません。

それに、外部から見ても、大嘘をつく証人だっています。

では、そのように儚い人証は、どのように信用できるかを判断すればよいのでしょうか。

これについては、具体的な裁判例の蓄積により、何を考慮要素とすべきかについて、ある程度の類型化に成功しています。

1.利害関係

証人の場合、どちらかの当事者利害関係があると、そちらの当事者に有利なように発言をねじ曲げがちです。

たとえば、親子関係にあったら、普通かばい合って、互いに有利なことを言うはずです。

そうでなくても、金銭関係や主従関係があっても同様です。

2.他の証拠との符合

真実を述べているのなら、他の動かしがたい証拠と符合する証言になるはずだ、という経験則によるものです。

実務では、非常にこれが重視されます。

3.供述の経過

供述自体の内容の移り変わり、ということです。

具体的には、発言の内容がコロコロ変わっていたりすると非常にうさんくさい

供述の変遷といって、これもよく検討事項としてあがっています。

4.供述態度

おどおど、言葉を選びながら話している人を見ると、嘘をついているように見えます。

自信を持ってはきはきとしゃべる人は、真実を述べているように見えます。

もっとも、慎重な人は真実を述べていても前者のようになりますし、一流のペテン師は、顔色一つ変えずに嘘をつくでしょう。

なので、これはあんまりあてには出来ないとされることが多いです。

5.核心部分かどうか

証人が嘘をつく場合、まさに争いなっている部分、核心部分で嘘をつくはずです。

どうでもいい事項について嘘をついても得をしないからです。

したがって、核心部分で、上記1~4の判断要素が満たされるなら信用性は普通以上に増すことになります。

というわけで、供述の信用性についてはこのような判断をしていくのですが、さらに人証の特色を考える必要があります。

なにかというと、100%嘘をつく人も、100%真実だけを述べる人もいないということです。

発言のひとつひとつを区切って考えていくべきです。

あっさりと、「あいつは嘘しかつかない」と決めつけてしまうのは思考停止に他なりません。

こういう判断ってのは、ネット上で「あ、こいつ嘘ついてるw」というような場合にも応用できるかも知れませんね。

生命男子の続・生命世界の紹介7コンセプト

ブクマが20もついたので続き.

細胞骨格と結合組織・発生と組織形成

細胞骨格というと,モーターの役割つまり骨格筋における化学エネルギー運動エネルギーの変換を取り持つアクチンミオシンすべり説が有名だけれど,細胞骨格はどうやら細胞生理において輸送作用をもち重要な機能を持つらしい.この辺を拡散モデルとの対比の分子モーターモデルで説明するのはちょっと理系カップルならではかな.次元が減るのと熱物理化学的な親和性のための吸着力で輸送が可能になるというお話細胞外骨格や結合基質もつながる.

結合組織は単に体の支持・結合に役立つだけではなく免疫情報伝達・熱と物質輸送等さまざまな機能がある.膠原病から反対に考えてみると普段の結合組織は発生と同様に機能が生理的に制御されている.

で,発生.発生はもう受精卵がヒトになるというので面白いこと請け合い.ちょっと妊娠の話とか混ぜて彼女の考え方を聞いてみてもよいかも,・・・,ではなくてモルフォゲンモデルという古典的な制御のモデルだけでなく最新のモデルの話もあわせて,アポトーシスの話や系統発生繰り返し説にふれてみるとよいかも.発生と完全に地続きのはなしになる.内部状態と環境とが幹細胞の分裂とできた細胞分化とにかかわってくるんだ.

細胞生理―シグナル伝達と細胞環境間における統合と出入力モデル

人間の器官レベルの制御機構神経系と内分泌系が担っていて,後者の支配を前者が受け持つから神経系―受容効果系は人間重要な部分.基本的には前者が高コストだから後者の低コストの制御も合わせて使うと考えればよい.糖の出し入れをいちいち神経で支配していたらエネルギーがかかりすぎる.

んで,システムバイオロジーやさきほどの細胞情報伝達のつながりで,ある細胞につきそこへの全入力エネルギー物質・輻射)・エントロピー・テンパラチャー)と全出力と全内部統合演算とを想定するモデルを考えられるから,細胞の出入力と内部統合につきシステム建設することが多細胞でも重要なんだなどと自分の扱う細胞システム生物学宣伝をしてみる.

個体の行動モデル

単細胞でも人間でも何でもよいのだけれど,先ほどと同じで出入力統合あるいは受容統合効果で考えることは同じ.で,感覚器からの情報統合して,記憶などとも統合し出力をすることを考えるのだけれどこれがしこたま難しい.単細胞生物でも走性に記憶バイアスがかかることなんかが知られているけれど,ブラックボックスとして考えたくなる.強いて僕が考えていることはある入力に大しては特異的に発現しやすい出力があるということから統合のあり方を考えていくのと,神経の機能回路モデル数学的に建設していくのと,があるけど全然専門外.恋した僕の気持ちも僕にはわからない.

単細胞生物生理と地表生態系の類比

地表(海含む)では重力が卓越していて生物や多くの物質は地表に束縛される.そこで単細胞生物と同様に生態系は多くのコンポーネントがあるシステムだと考えることができる.そのサブシステムとしては大陸・海洋・気象・太陽系との関係なんかがある.ある個体や生物種・生物群の動態は細胞内における細胞小器官の動態に似ているかな.どちらもシステム特性を規定しているのは物理法則だという点は共通.

確率過程の生命への応用

ダーウィンはすごく頭がよかった.で『The Origin of Species by Means of Natural Selection: The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』(1st,1859)のなかで

The slightest advantage in one being, at any age or during any season, over those with which it comes into competition, or better adaptation in however slight a degree to the surrounding physical conditions, will turn the balance.

という一節がある.(個体に変異が起こりその)性質がほんの少しでも有利なら生態系バランスを変化さす,と括弧内をつけくわえてみると,変異と自然選択のモデルが考えられる.たとえば点変異がDNAにおこって対照状態で細胞生理の変化を定量的に計測ないしシミュレートするモデルとか.

そんなのでなくとも分子動態を確率的に扱ってみるとか.

数学物理学と制御工学細胞

僕の興味はというと数理モデル物理法則のもとに組み立て細胞の制御システムモデルリバースエンジニアリング的に,帰納することにあるんだよと再び告白.

承前:http://anond.hatelabo.jp/20091005002132

遺伝子・転写・翻訳で三概念と数えれば十個あったのです!

2009-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20091003114559

答 :当然「前者」。

理由:人間は「意味」に生きる生き物だから。

説明:自分が「楽しく」生きた後、世界が滅亡するとしたら、死の瞬間「おそろしい虚しさ」に襲われるしかない。

   個人の死を越えて永続する「意味」や「価値」がある、少なくともあると信じられるから、有限でしかない人生

   に絶望せず生きていける。だから人間は「意味」の世界に生きている。

   どうせ死ぬなら、満足して死にたい自分人生を肯定して死にたい。長さは問題ではない。

   まあ、前者を選ぶと人生が悲惨に充ち満ちた短い人生後者なら栄光と満足に包まれた太く長い人生、というなら

   少し迷うけど、それはフェアな選択とは言い難いよね(w

   だからまあ、単純な長短と人類未来なら、人生が多少短くなっても当然人類が明るい未来を迎える方が満足。

http://anond.hatelabo.jp/20091003114751

たとえば戦争中に戦地で死んでいった兵士なんかは、全員前者を選んでいると思う。

まあ、後者を選んでも楽しく生きることができる目処が立たないケースもあるだろうから、

単純に割り切ることはできないけどね。

2009-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20091002153849

その人は知らないけどIPA未踏ソフトウェアの人は何人か知ってる。

ものすごい優秀であることは認めるけど、天才ではなくみんな秀才だよ。

1日16時間プログラムする人間と1日8時間人間の差

1年で5840時間の差 10年で約58416時間の差 8時間努力した人間1年分で2年勉強してる。

たとえば、単純計算

20歳からプログラムを初めて30歳 1日8時間の人と

10歳からプログラムを初めて15歳で1日16時間の人がだいたい同じスキル

6歳からプログラム初めて、16歳なら実に前者換算で40歳相当のスキル保有。

そんなもん、普通の人が太刀打ちできるわけ無い。

こういう状況で30や40の人が16歳の人を見て、すごい天才だとかいうのはおかしい。

これって、単純スキルだけの話じゃなくて、脳みそを訓練してる時間ともいえる。

1日16時間絶えず脳みそを使ってる人と、そうでない人の脳みその発達が同じとは思えない。

これらはみんな、後天的な物で、先天的な物じゃない。

天才って言うのは、こういう、秀才の上を行く人のこと。

1日16時間 3歳ぐらいから、音楽を始めた 人たちが天才と認める音楽家が天才。 同じように

1日16時間 3歳ぐらいから、プログラムを初めて40歳ぐらいになった人が、16歳ぐらいの人を見て、おれの何十倍もすごいと評価したら、それが天才。

でも、そのクラスはいまだ見たこと無い。

 

天才がいるかどうか?じゃなくて、先天的な才能という前に、尋常じゃない努力を評価してあげてほしいという事。

http://anond.hatelabo.jp/20091002113150

では「一般的に差別はよくないと言われるが、果たして本当にそうか?」ではどうでしょうか。

そういう質問をすること自体を否定する人っているのかなあ。質問の内容自体はありふれているので、そこで若干軽く見られるケはあるかもしれないけど。

少し気になるんだけど、この質問を向けられたときに「差別は良くない」という結論に達した相手を「常識に縛られているじゃないか」みたいな見方はしてないよね?為念。

常識に縛られない考え方」というのは、思考の枠組を「常識」から解き放つためのものでしかなくて、「結論が常識的にならない」ということとは全然違うってのは注意すべき点だと思う。だから、結果として「差別は良くない」と回答されたとしても、それは必ずしも矛盾とは呼べない。(問題になるのは結論ではなくて過程である、ということ。もし、過程の段階で「常識」を用いた思考停止が見られるのであれば、「矛盾」と言っても良いと思う)

余談だけど、挙げられた例では「差別」という言葉定義をしっかりしないと、有意義な議論にはならないと思う。差別意味倫理的な善悪の概念を分けないのなら、「差別」は当然に「良くない」ことになるし、差別意味倫理的な側面を結び付けないのなら、「差別」は必ずしも「良くない」こととは限らない。(ただし、後者意味であっても、必ずしも「良くないとは限らない」からと言って「差別」全体が「良い」ことにはならない。)前者意味差別定義するか、後者意味差別定義するかで回答が全然変わってくるわけで・・・。この説明で上手く伝わるかどうかちょっと怪しいけど、「好ましくない扱いの差を差別定義する」ならば、語義からして「差別は良くない」というのは自明よね?「単なる扱いの差を差別定義する」ならば、必ずしも「差別は良くない」とは限らないのも自明。そういう「差別」という抽象的な概念を、ろくに定義もしないまま議論しようとしても雲を掴むような話にしかならないと言うか、言葉遊びみたいにしかならんと思うなー。

もしどうしてもそうした話題で議論がしたいなら、(差別として扱うべきかどうか)議論の分かれる個別のテーマについて、それが「好ましくない扱いの差」に当たるかどうか、について具体的な討論をした方がよさげ

2009-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20091001215048

よくわからないけど、お前さんが結婚する時には、妻に3万円じゃ足りないと告げて、妻にも小遣い以外の部分の明細を出してもらって、話し合って決めればいいだけのことだろう?

明細を出した際に、妻の小遣いが10万円だからお前さんの小遣いが3万円になってるのか、家賃水道光熱費、食費生活費、貯蓄、その他の必要な出費によって否応なくお前さんの小遣いが3万円にならざるを得ないのかにもよるだろう。

後者なら、むしろ「しっかり管理してくれている妻ありがとう」となるだろうし、前者なら離婚視野に入れて話し合いをすればいい。

女は年齢じゃないんだけどさ

女は年齢じゃないんだ、というか20過ぎたら30後半までは大体一緒なのかも知れない。

つい最近、20歳の子とやった。こちら36歳。

ちょい前、35歳の時に20歳の女性とやった時は、その体のよさに感激した。肌はしっとり吸い付くようで、肉体はピチピチしてて、どこも綺麗で。

だけど、今回の20歳の子は、若いからといって肌がいいというワケでもなく、体の張りが違うよーとかいうのでもなく。フェラがすごい上手な上に騎乗位がすごくてそれで出そうだった。

「俺は若い子とやってるんだよな?だよな?何かこないだやった37歳の女性とあんま変わらんぞ……!?」と思いながらやった。

前者タバコを吸わず、後者タバコを吸う子。

タバコなのか?やっぱタバコなのか?と思う。タバコ吸ってる女性でも、30半ばでかなりいい人もいる。けど、20歳ぐらいだとタバコを吸って肌もよくて肉体もいい、なんて女性に会った事が無い。

まぁ、年齢じゃないんだろうな。

体質とか、生活習慣とか、いろいろあるんだろうけど、若いからって無理して食べる事は無いな、と思った。

ああ、今日から無職だ。女遊びも暫く出来ないな。

http://anond.hatelabo.jp/20091001094117

セキュリティリスクデータ喪失危険、どちらをどれほど重視するかによって判断が変わってくるよな。前者が最重要ならしょうがないので高信頼性のUSBメモリを使い、寿命が来る前に速やかに交換するという処理になると思う。

セキュリティリスクをさほど重視しないのなら、RAIDみたいに二重バックアップするとか、定期的に追記型メディアバックアップを取るとか、そんなところじゃないの。

そりゃセキュリティは大事だけど、過度に重視して仕事が滞っては本末転倒なので、まずそれを判断するのが先じゃないかな。

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929122837

20年くらい昔のオタクの多くはそうでなかったんだよ…

今大多数を占めるライトオタクと一緒にされたくないよね。

たとえば、コミケとかでサークル数10程度以下のジャンルばかりをメインにする旧世代。

企業と壁、流行ジャンル、あとせいぜい中堅だけで帰る新世代。

まあべつに若くても前者、歳食ってても後者みたいのいるけどさ。

同じに呼ばないで欲しいわ。

先鋭化が止まらない

在特会  http://www.youtube.com/watch?v=Q8b2wivPsyE&

20090927西岡応援を邪魔し帰れコールされる応援団  http://www.youtube.com/watch?v=7wqtVmQtKqM

非常にヤバい。言ってしまえば、日本がもはやヤバいことになりつつあるのかもしれん。

この2つに共通することは、結局ある種の集団は先鋭化してヤバい方向に向かっていくってことだ。

(まぁ今回俺が本当にヤバいと思って書いてるのは前者のせいだが)

たぶん、両者とも「自分たちが正しいことを行っている」と考えているんだろう。

じゃなきゃこんなことやらないはずだ。もしかして単純に思考回路ブッとばしてるだけかもしれないが。

それに加えて「たぶん、みんなもそれを分かってくれるはずだ」とどこかで思ってるはずだと俺は思う。

なんせ、こういうのはある種の一体感承認を求めてやってるからね。

で、そこで「もしかしてみんな分かってくれない、分かってない」と考えたときに

(例えば今回の選挙の結果であったり、球場全体からのブーイングなどといった自分たちが少数派であると気づかざるを得ない状況だとそうなるよね)

他に拠り所がある人の場合、ある種の余裕があるし、それにそこまでいれこむ必要性はないが

他に拠り所がない人の場合、自分たちの正当性を主張することしか選択肢はない。

自己正当化であり、それは自己欺瞞を含む。そのことに気づくことはなく、そして必然的に先鋭化していく。

自分たちのアイデンティティを求めて。一体感を求めて。自分の正当性を求めて。

そして、それは意外にもたやすく満たされるのかも知れない。

とくに、ネット上の世界においては。

シナチョン」だとか言ってるやつが日本人の0.01%だとしても1万人はいることになる。

(2chでいえば、こういう奴らは一人10レスぐらいつけるから10万レス、あれ簡単に100スレ到達するなw)

そこでウジャウジャ集まってしまえばいくらでも一体感と正当性は調達できる。便利な世の中。

じゃあ、ネットがあるからこういう奴らは止められないのかっていえばそうじゃない。

問題はなぜそこまでして自分たちのアイデンティティ、正当性、一体感を求めてる人がいるのか、

ひらたく言えば、自分には価値があると思いたい人が(反対に言えば自分に不全感を持ってる人が)なんでこんなにいるのかってこと。

まぁそこら辺は言い古されてきたようなことがあるけど(核家族化とか、格差拡大とか、終身雇用の崩壊とか、クソ労働環境wとかとか)

まぁ、日本の成長が止まっちゃったってのはデカいよね。政治って結局資源をどう分配するかってことだからさ。

それプラス、今ってビジョンがないからね。日本自体の。日本ってどうなりたいのって感じ。

それプラス、ロールモデルになりうる人もあんまりいないしね。イチローはすげぇが俺のロールモデルになりえないw

まぁ見えないところにいるんだろうが、そういう人がロールモデルになりうるっていう掘り起こしがもっと必要だよね。

それプラス、神が承認してくれればいいんだけど、日本って無宗教だからね。仏教がんばれよw

(あと、どんどんマニュアル化されて交換可能な存在になっているからっていう論を俺は馬鹿にしていたんだけど、

最近それは意外に正しいのかも知れんと思いなおしてる。

家族とか、地域社会とか、友達とか恋人でも何でもいいが、交換不可能な関係性っていうのは意外に自分の存在意義を保っているから馬鹿にできん。

そういう関係性がSNSとかによって築けるのかどうかは知らないが)

俺論を総括すれば、「己の拠り所になるものがどんどん無くなってきてる」ってこと。それがないとやっぱきついよね。

つまり「自分の周りの環境はどんどん悪化していって、国自体にビジョンがなく、自分自身のロールモデルもない」奴らが、ネットによって容易く集まり

自分の"仲間"を見つけ、国自体に"ビジョン"を見つけ、自分自身の"ロールモデル"を見つけて(櫻井よしことか、チャンネル桜の誰々とか、多分w)」

体感であるとか、正当性であるとか、自分には価値があるという感情を見出そうとする。

で、"仲間"以外は分かってくれないという現実にぶつかると、その"仲間"をつなぐ教義(あらゆる意味でのイデオロギー)を強めていって、行動は先鋭化していく。

いくつかの集団がフラッシュバックする。

結局、未来が見えない日本っていうのがリアルになってきたってこと。

そして、それが個人の不全感をもたらす。

2010年代の課題として、この個人の不全感をどうするかというのが最重要課題に多分なる。今回はその萌芽。

中国を始めとした外国とやっていかざるをえない状況に加え、日本が多様性を認める国になるためにもこの課題は解決しなければならない。

不全感を抱いた個人は多様性を容認しない。

日本をどうしていくかというビジョンがほしい。

教育経済政治すべてがこの個人の不全感を満たすために機能しなければならない。先鋭化を防がなくてはならない。

文化?それは勝手に先鋭化していくでしょw

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<追記>

http://b.hatena.ne.jp/articles/200910/428

フランス少子化対策に成功しましたが、最初にまずフランス文化を後世に残したいか否かを決めたんです。

 残す、という意見でまとまったら、次に『フランス文化を残すためにはフランス語を話す人口を増やすべきである』と決めた。

 国全体で理念をはっきり掲げ、コンセンサスが取れているので、政策がぶれないんです」

例えば、こういうことだよな。

http://anond.hatelabo.jp/20090928194445

寄生する、短絡的な生き物についてのことである。

集計値にはいかようにも解釈可能な幻想が施され、言霊となり「善」や「正義」を装いメンバーコントロールする。

それら「善」「正義」は、普遍的なものではない。厚生最大化の対象は、属するチーム内に限定される。

「他チームより優位に」が本質目標であり、その意味で、多分に偽善的な「善」「正義」であり、その裏の顔は、コミュニケーションの本性と同様、「他者の操作」である。

30年後、短絡的な生き物もおしなべてモナド化させられ、集計値(⇔単子)という言霊により宿主を操作する、ということも不可能化する。

一方注意深き者は、偽善自己防衛の狭間で苦しみ、要素価格の均等化に怯えながら暮らすのがそこまでの未来である。

タカリとは、前者のことをさす。

「善」や「正義」を捨て、評判を拠り所とし、私的言語世界に戻り、機械論者となり、生態圏をずらしにかかるのが、裕福な人間だ。 9.28 8:21 修正

2009-09-28

common sense


個には、それぞれの生活があって、それぞれの社会がある。そういった個が集まり、社会が集まり、世界となる。換言すれば、そのような世界があるからこそ、生活の基盤が形成され、属する社会必然的に決まるのかもしれない。

個と個が互いに相手の社会を侵し合い、生活が作られるのだと思う。または、侵し合う事自体が、生活の一部になっている。なり得る。

生活は性格で決まる。侵される程度を極端なまでに最小限にしようと試みる者も居れば、出来る限り大多数の個と侵し合うことで何かを得ようとする者も居る。丁度良さは、性格で決まる。生活が決まる。

前者の言い分はこうだ。ただでさえ侵し合いの世の中。必要な場面以外では、単純に、個で在りたいという願い。または、侵す事自体の罪悪感。現実逃避

後者の言い分はこうだ。ただでさえ個は個である。単純に、何かを得たい。補いたい。または、寂しさの紛わし。孤独である事の違和感自己中心。

理解し合えない。だが、今日も、明日も、あさっても、生活は行なわれる。社会は機能する。世界は回る。折り合いをつけて。当たり前のように。当たり前の事だから。

http://anond.hatelabo.jp/20090927215121

昨晩、あまりにも変態なpostを連発された(78回にわたって続いた)のでその人をremoveした。

たぶん別に相手はなんとも思わないだろうけど、なんかちょっと淋しくて悔しい。

2009-09-27

Twitterユーザーバカばっかりで気持ち悪くて、精神が腐ってる。

ここ最近自分のTLで起こってることまとめ

  • 謎の顔文字だけをひたすら連鎖RT。何がおもしろいの?何がしたいの?意味のない言葉を流すなとは言わないが、そんなにオトモダチとツルんでるのが好きなのか。よかったね。死ね
  • 歯の浮くようなTwitter小説とやら。へたくそな上に気持ち悪くて見ていられない。点画もマトモに制御できないような140字制限で生まれるものなんかあるわけないだろ。「字数制限のある中こんな表現が出来る俺カッコイイ!」というナルシズムが露骨に見える。別にtwitter小説にかぎらず、この手の「名言」をひねろうと必死になってる奴も同罪。死ね
  • メンヘラ女。心の問題をどうこう言うつもりはないが、辛い辛いを叫んでも、ここにおまえの求めるものはないぞ。入院しろ。頼むから。死にたいといってもすぐに助け船を出せるような器用な連中ばっかりじゃないんだ、世間は。死ね
  • 未成年女子と、それにひたすら絡みたがる男。よかったね、現実では相手してもらえないような女子高生に絡んでもらえて。「w」やらなんやら取り混ぜて、あからさまにひっつき絡んで気持ち悪いぞ。チヤホヤされていい気になってる女も同罪だ。恥を知れ。しかるのち死ね
  • 日々ライフハック模索してる奴。おまえの生産性はいくら知識を詰め込んだところでTwitterに張り付いてる時点でたかだかしれてます。お国のために死ね
  • くだらない変態postをする奴。そしてそれにひっつく「変態ワナビ」。前者ははやく死ね後者は死ぬ価値すらない。
  • そして、そんなユーザー達をリムーブ出来ない、twitterをやめることもできない、そしてせいぜい増田でグチをたれながすしかない結局は同じ穴の狢であるヘタレ精神の腐った俺。死のう。

http://anond.hatelabo.jp/20090926201029

公的資金注入後に巨額の退職金取ってくやつとかはどうにかしたいが、

そもそも企業がつぶれたら従業員はみんな路頭に迷うんだぜ。

しかも、公的資金を入れても救わなくちゃならない企業ってのは、潰れた場合に連鎖的に他の企業にまで影響が及んですさまじくたくさんの企業がばたばたと潰れる、って判断されたってこと。

企業優先個人切り捨てじゃなくて、「影響を受けて失業するかもしれない人たち」と「その資金を社会福祉に回して救える人たち」を天秤にかけたってことだ。前者には一時的な痛みとして我慢してもらって後者にした方が長期的には良かったはずだ、という議論はありだが、後者を選ばなかったのは個人切り捨てだ、っていうのは短絡的。

2009-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20090926173245

いざなぎ超え景気が1~2%で5年、いざなぎ景気は11~12%で4年。

いざなぎ超え景気5年はいざなぎ景気1年分にすら及ばない。

しかも前者デフレだから名目で見ると全然増えてない。

2009-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20090925071302

技術っていうのはユーザのところに届かないと意味ないわけ。

「今までに無かった技術を開発する」のと、「その技術を必要としている人に届くものにする」というのは、それぞれ違う役割で、どっちも重要だし、どっちも大変だよ。

両方できればそれに越したことはないけど、性質が違うから両方成功させるのは難しいね。前者だけやって消えていった企業はたくさんある。一般に金を儲けるのは後者だから (金を払うのはユーザなんだから仕方ない)、前者の方を贔屓したくなるのはわかる。だけど後者の功績を否定することはできないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090925031115

日本ならではの光景だという事だな。

自分は盗まれるのが嫌だから荷物を放置しないけど、他人が荷物を放置しているのを見ても心配にならない。

一つ気になったのは

それと、人間誰にでも魔が差すってことはある。それは意思薄弱だって言われりゃそうなのかもしんない。

でもさ、そういう気持ちを起させてしまう、その可能性を与えてしまうって事自体が失礼だと思うんだ。

この“失礼”の対象は“心配をしてしまう周囲の人間”に対してでしょうか、それとも“魔が差してしまう人間”に対してでしょうか。

どちらとでも読めてしまうと思います。以下仮定を前提として。

前者だとしたら、

盗もうとする気がない周囲の人間を心配させるのを“失礼”というのは、モラルの要求がちょっと高いのではないかと思いはするがまだ理解できるし、

自分も周囲を心配させたくないという動機で、事前に心配を起こさせないような対策をする事はある程度は必要だと思う。

しかし、後者であるなら、隙があれば盗もうという気持ちが湧いてくる人間に対して“失礼”という言葉を使うのは違和感があります。

放置する行為が人を試すような作用を働かせるから“失礼”だという事でしょうか。

2009-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20090924162815

人間目の前の小さなマネー未来に起こる大きな価値あるものだったら前者しか見えなくなるのもある意味仕方ない。

- 目の前の小さなマネー → 完成までにかかる1000億円。既執行分も含めて5000億円ぐらい。

- 未来に起こる大きな価値あるもの → 将来起こりうる洪水渇水によって生じる、都市機能・人命・経済活動への損害(を回避するという価値)。priceless。

こうですか!?分かりません(><)

八つ場ダム

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2

の記事。


地元の人とか、公共事業に携わってる人とか、大変だと思う。

人間目の前の小さなマネー未来に起こる大きな価値あるものだったら前者しか見えなくなるのもある意味仕方ない。

だけど、考えてみよう。

あのダムを完成させるのに少なくとも1000億円以上これからかかるのだ。

これは私たちの血税

1000億円使われて旧時代の遺物が作られる。


既にいくら使ったかは関係ない。

「やめる」

この一言でこれだけ莫大な、それこそ一生かかってもお目にかかれないような金額が無駄遣いされずにすむんだ。


そして学生時代環境保全を専攻していた身としては、公共事業が止まった!という事実に驚きつつも感動している。

これでもしかしたら、「計画があるから」なんていう理由で貴重な自然破壊されることが少しは減るかもしれない。様々な努力により、市民の力によって公共事業を止められる時代が来るのかもしれない。

そう考えると、私はとても嬉しいし、この英断拍手を送りたいと思う。

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