はてなキーワード: 利き手とは
言いたいことのまとめ
同性婚推進派が「同性愛者は左利きのようにポジティブな偏見を持たれるけど面と向かって罵倒されない扱いになって欲しい」と考えるなら左利きを例に出すのはわかる。しかし同性婚という仕組みを世の中に根付かせたいという目的で左利きを『成功した良い例』として出すのは全く間違っている
「隣の家に左利きが引っ越してきたところでお前の人生に関係ないから同性婚を認めろ。左利きには差別はないのに同性愛に差別があるのはおかしい」という意見をみる。
上の意見を言う人の根拠は性的マイノリティは10人に1人いて、その割合は左利きと同じだかららしい。
では、あなたが普段生活していて左利き用の物はいったいどれくらい目にするのか?
改札も会社の備品も日用生活品もどれくらい左利きのものが右利きと同じくらいの値段で同じ割合で普及している?
増田は普段右手を使うから何人かは増田が左利きということを知らない
なぜ右手を使うかというと世の中の道具のほとんどは右利き用だから
増田は箸とボールだけ左のまま字と道具は右に矯正されて大人になった
親の判断は今思えば正しいと思う。習字教室で左手で書いていた友人はとても書き辛そうだったしとても目立っていた
そもそも増田は文字は右利き用にできているから”仕方ない”と思っている
左利きはストレスを感じるという呟きが定期的にバズる度に「自分はそんなに不便に感じたことはない」と意見する左利きが必ずいる
増田もそうだ。生まれながら利き手じゃない方で使うからそこまで不便は感じない
右利き用より少し割高な左利き用の道具を揃えるほどじゃないという不便さに慣れた「諦め」に近い
この感覚で生きることが性的マイノリティが求める左利きと同じ待遇なのか?
あと「昔は左利きは差別されたけど、今は逆にスポーツとか芸術方面で秀でるから羨ましい」も別に褒め言葉じゃないからな
「オネエはみんな面白いから友達になりたい」と言うとキレる奴が同じ口で「左利きは器用だから」という場面は何度か遭遇した事がある
才能あるやつが左利きの場合に優位になるだけで、左利き単体でいい思いをすることはほとんどない。大体の人は右利きの為の世の中に慣れているからだ
むしろ今後同性婚などが認められる可能性がある性的マイノリティと、これからもずっと右利きの世の中で生きることに生まれながら適応するのが殆どの左利きを同列に語るのはおかしいのではないだろうか?
同性婚を語る時に左利きを引き合いに出す人は、現時点で右利きが優位に働く世の中に左利きが生きている事に対してはどう思っているんだろう。
もちろん増田の親戚のように「ぎっちょは親の躾が悪い」という人はこの数十年かなり減った。しかし0ではないし、面と向かって言わないだけでうわ…と思う人は必ず存在する
そして新しく「左利きは器用・芸術肌」という偏見は広まっている。これに関しては「いい意味だから」という認識のせいで左利きに対して悪意なく浴びせる人が多い。もう何十人も言われてこちらはうんざりしている
世の中の仕組みは特に左利きにとって生きやすいわけではない。左利きが単に右利きの世の中で生きるのに慣れただけだ
増田は左利きが生きやすい世の中に変わってほしいとは思わない。あまりにも右利き前提に世の中が成り立ちすぎて、もう取り返しがつかないと思っているからだ。増田だって今更文字を左で書こうとは思わない。文字が「右利き用」の時点で左利きが快適に過ごせる世の中は来ない
だから同性婚推進派は左利きを引き合いに出す時に『良い例』として出すのではなく、むしろ取り返しのつかない『失敗例』として左利きを引き合いに出せ
小学生の時に地元で評判の良かった少人数制の個人塾に通ってた。
・まず同じ学年で3人組を作る
・宿題→1人忘れで3人全員、指示棒打ち3回ずつ
・自習室→利き手の反対の腕に手錠。鎖で教室中央に繋ぐ。トイレや離席は休憩時間のみ。
・自習中、授業中の居眠りは居眠りした人だけ指示棒打ち5回
・「はい」か「いいえ」の返事忘れ→返事忘れた人は指示棒打ち5回
結果的に渋幕と筑附に合格した。同じ3人組だった人や他のクラスメイトも市川中や開成、筑駒など志望校に全員合格できた。あの頃は恐怖でどうにかなりそうだったけど、頑張った時はすごい褒めてくれたし、頑張るべき時に頑張らなかった人間の末路話は小学生ながら背筋が凍った。大人になった今ではかなり恩を感じてる。今はもうそういう教育は不可能なんだろうな。
昨日3回目のワクチンを打ってきた。歩いて行ける小さなクリニックだ。
1.2回目の時は予約がほぼ埋まっているような雰囲気で、順番を待つ時も接種後の15分待機も座る場所が足りないほどの状況だったが今回はかなりすいており、接種する時も前回のような流れ作業ではなくいかにもベテランといった雰囲気の看護師さんがゆったりと打ってくれた。
「あぁそうですか、いやこうしてワクチン打ってるとね、左利きの人ってけっこういるもんなんですよね」
そんな会話にハァ...とか中途半端な返事をしているうちに接種は終わった。
左利きの割合は約10%程度と言われている。そりゃけっこういると言っていいだろう。しかし見た目でわからないから気づかないだけなのだ。毎日とっかえひっかえ来る患者の10%も左利きなんだろうが、利き手がどちらかか確認するような機会がないし、字を書いたり箸を持ったりするのを見なければわからない。挙げ句左利きでも書く時や箸だけ右なんていう人はざらにいる。
そこでワクチン接種で利き手を申告する患者(?)を見て思うのだ、「左利きってけっこう多いんだな」しかしそれだけだ。へー左利きなんですね、とベテラン看護師は接種を控え緊張している者に声をかけて場をなごませる。その言葉にはなんの裏も意識もなく、天気の話くらい無難な会話だ。もし自分の子供が左利きだったとしても、それを思い悩む親なんていない。世間にもっとも自然に受け入れられているマイノリティと言えよう。
そして調べ方や地域によってばらつきがあるようなのだが、LGBTQの割合もまた10%前後と言われている。左利きと同じだ。
そしてLGBTQであることも、見た目だけではわからない。そして左利きであることを人に申告する機会も必要もないのと同様、LGBTQであるということを普段の生活で表明する機会もなければその必要もない。
例えば一緒に食事をして、箸を持つ手に気づいた時のように、会話のはしばしで「夫が...」と言ったら「あ、ゲイの方なんですね、うちの兄弟もそうなんです」みたいな感じで普通に反応してくれたら良い。スポーツで左利きが重宝されるように、LGBTQもその特性を生かした職場に配属になったら良い。どうしてそういうふうにならないのだろう。
そういえば昔は左利きを矯正しなればだらしないとかみっともないとか言われる風潮があって、自分も昔「きちんと右手で書けるようにしつけてもらっていないなんて、ご両親は何をしているんでしょう」と言われたことがあり子供心にずいぶん傷ついたものだが、あと何十年かしたら少しは何かが変わっているのだろうか?
そんなことをぐるぐる考えていたら、だんだん頭が重くなってきて、熱も上がってきた。
今日は早く寝ようと思う。
あのさ、
知り合いの寿司屋の大将がコロナ罹ったとかで肺炎の症状がヒドくてピンチでギリギリ入院出来たからよかったわー、
なんて言ってたのよ。
なんだかアウトかセーフなのかどちらかよく分からない絶妙は状態よね。
それからの容態は聞いてないんだけど、
でね、
分かるわよ。
たしかに何百万の超確立の万が一つの確立でとんでもない副作用出るかも知れないけど、
コロナ喰らった辛さに比べたらって、
どちらのリスクを取るかって
考えたら分かりそうなものだと思うんだけど。
私の場合は幸い熱も出ず腕が痛いので、
その時ばかりは利き手だけで戦えて勝てる!って
でもよくよく聞いてみたら、
なんか心配になるわ。
うーん、
私の場合だと、
じゃ!
俺が!俺が!じゃどうぞどうぞ!ってダチョウ倶楽部さん方式でもあるとともに、
打たない人の言い分を聞いてみるとさ、
これワクチン打ったから蔓延しているコロナウイルスが減ってるってワケじゃなくて、
文字通り耐性が付いている人ガイルから平気な人が多いってことで、
まったくコロナのウイルスが世の中から減ってきているの意味ではないわよね?
これはさすがにかけ算の順番の掛ける順番の意味が違うような話では違うわよね。
私でもわかるわ。
ひとえにやっぱり病院嫌いとかそういのもあるのかもしれないわね。
でもやっぱりコロナ罹って喰らってとんでもない目に遭うより、
プロヤキウとかセイジの話しみたいに下手にしないようがいいかもしれないわねって思ったし、
やっぱり
手洗いうがいヤクルト1000に限るわ。
うふふ。
今日は珍しいわよ。
草餅頂いたのでそれを合うかはまあ別として
草餅いただきました。
話しが飛躍してお饅頭が好きってことになって
なんでもお饅頭ならこっちが引き受けてくれると思ってくれても困るんだけどって、
草餅ならウェルカムだわ。
饅頭怖い!っていって饅頭攻撃を喰らいたいって言ってる創作現代落語ではないの。
草餅だけよ私が食べられるのは。
温まる温活の朝よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!