はてなキーワード: 刑事とは
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ
県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした
なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった。山崎兵八は運転免許があるので、警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、精神障害と診断されたために免許を剥奪された。
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって 大貫挙学 東洋大学非常勤講師 松木洋人 慶應義塾大学大学院
松木 洋人
大貫 挙学
すべてサイト運営の責任にしてしまうのが筋。民事でも刑事でも。前者はみんなで訴えてそういう判例、後者は政治方面で頑張ってそういう法律を作る。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/597359
否認すれば勾留が長期化するという刑事司法の厳しい現実を身をもって体感し、勾留されながら裁判で争うことは並みの精神力では現実的には非常に厳しいことを痛感しました。争わずに早期に勾留から逃れる選択をしたのは私自身ですので、判決は真摯に受けとめたい
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
最近の漫画増田の流れに乗りたいので、昔似たような増田見た気もするけど書いてみる。
この1〜2年、LINEマンガやコミックDAYSを中心に気になった漫画を読み漁っている。話題作、恋愛、スポーツ、ミステリ、ギャグ、SF、コミックエッセイとジャンルは何でも幅広く読んでいるが、その中でも特にグルメ漫画が好きだと気がついた。
好みのものや有名どころは粗方手を出してしまったので、まだ見ぬグルメ漫画に出会いたい。
傾向としては1つの料理に特化した作品より、いろいろな料理を出している作品の方が好き。
真似して作りたくなるので巻末にレシピがついているとなお最高。
異世界系はあまり読んだことないけど、最初の方だけでも無料で読めるなら手を出してみたい。
いつかティファニーで朝食を
ざんげ飯
焼いてるふたり
かしまし飯
ごほうびごはん
日日べんとう
いぶり暮らし
作りたい女と食べたい女
めしぬま
パパと親父のウチごはん
今夜すきやきだよ
サチのお寺ごはん
●野原ひろし 昼メシの流儀
●ご褒美おひとり鮨
●月夜のグルメ
●よなよな。 -今夜も呑んで忘れましょう-
●真夜中ごはん
●思い出食堂
●ちいちゃんのお品書き
他にもいろいろ読んだ気はするけど、思い出したら追記していく。
寝て起きたらたくさんトラバ・ブコメが来ていて超助かる。はてなーありがとう!
「タイトル知ってたけどそれ料理の話だったのか!」という作品も結構あって嬉しい。
多分傾向としては家族や恋人のために料理を作って一緒に食べる日常系(きのう何食べた?、焼いてるふたり、ざんげ飯など)、実際に存在している店を訪れる食レポ系(孤独のグルメ、いつかティファニーで〜、野原ひろし〜)の作品が好きなんだと思う。地方住まいなのでなかなか真似して行けないが。
あと主題が料理じゃないから書いてなかったけど、ゆるキャン△、ふたりソロキャンプみたいなキャンプ漫画も好き。
順次追加していく。
追記2
恋愛絡む作品は基本的に男女モノが好きだけど、BLも百合も美味しく食べます。
ブコメでアルティスト書いてくれてる人結構いて嬉しい。ちょっとここで挙げたものとは系統違うかなと思って書かなかったけどいいよね。
ゴールデンカムイは大学生の時に友人からグルメ漫画と聞いて、リスの脳みそ食べるシーンを見て衝撃を受けた。最終章アニメ化決定ヤッター!!
みをつくし料理帖あげてくれてた人もありがとう!!増田は小説で全部持ってるけど、コミカライズ知らなかった。後で探してみます!
鍋に弾丸を受けながら
鬱ごはん
幸せは食べて寝て待て
ながたんと青と
異世界居酒屋のぶ
愛がなくても喰ってゆけます
三十路飯
琥珀の夢で酔いましょう
いいなりごはん
よりみちエール
anond:20230611184223の元増田だけど、正直、未成年の水着撮影会に関する話は驚いた。
大前提として、俺は二次元専門のオタクなので、実在する未成年の水着撮影会とか反射的にキモッと思ってしまうし、そんなのに群がってるのはヤバいでしょ、とも思う。でも同時に、ドラマや映画の子役に対しても違和感があるんだよね。仮に自分だったら、子供時代の演技なんて絶対映像に残してほしくないし、親が個人的に持ってるくらいならいいけど、公共の電波でバラ撒くのは恥ずかしいし、自分のプライバシーを尊重してほしい、やめてくれって言うと思う。っていうか、子役にキャアキャア群がる光景も大概キモいでしょ。「鈴木福 バスツアー」で検索してみれば超弩級の性的消費が見れるよ。実在の子供に群がるロリコンおじさんもショタコンおばさんも両方キモい。
とはいえ俺は、まあ演技とか水着姿それ自体に問題があるわけじゃないから、と思って両方を許容してきたんだけど、未成年の出る水着撮影会はアウト、というのが主流になるなら、子役も禁止にしないといけないと思うよ。
水着撮影会に出る15歳の子供より、ドラマや映画に出演する10歳の子供の方が自己決定権を有している、っていう理屈はどう考えてもおかしいよね? 実在の子供が自由意志によらず公共の電波や映画館で晒し者になるのは間違ってる。ドラマや映画は子供を出すのをやめて、CGや、見た目が幼い役者で代用するか、子供の出てこない作品だけを作るようにするべきだ(刑事ものとかなら子役は必要ないはず)。その制約がキツいなら実写製作はやめてアニメでも作れば? アニメなら成人が演じる子供キャラを好きなだけ出せるわけだし。
去年やってた『鎌倉殿の13人』では、実朝暗殺後に京都から当時2歳の三寅(九条頼経)が呼び寄せられる場面が描かれていた。年端も行かない、日本語の発話もおぼつかない幼児がそれを演じていたのだ。非常に面白い大河ドラマだったが、どう考えても自由意志なんてものを持ちようがない幼児を公共の電波で晒し者にすることは、中高生の水着撮影会に群がる以上に子供をモノ化していると思ってしまう。これまでは、水着撮影会がオッケーなんだから子役もアリでしょ、って思ってたんだけど、水着撮影会はNGというのが世の趨勢なら、真面目に子役を禁止しないと辻褄が合わない。
えっ? 子役は望んで演技をしてるからいいんだって? 都合のいいときだけ子供の自主性を盾に使うなよ! 演技では何も損なわれない? 水着の写真を撮っても何も減らないよ! 演技は何も恥ずかしいことじゃない? 少なくとも俺は恥ずかしいと思うし、逆に水着が恥ずかしくないっていう子供がいたらどうするんだよ!
俺ははてなーの皆さんが水着グラビアがなくなっても全く痛痒を感じないのと同じように、ドラマや映画が作れなくなっても、その表現の幅が狭まっても何も困らない。実在児童の保護はグラビアの表現の自由よりも優先するんだよね? さあ、一緒に子役反対を叫ぼう。ドラマや映画や水着撮影会に18歳未満の子供を出すな!
えー?芸能って芸術とか創造力なので若い才能は早く大衆の前に出てええやろ。異種だが藤井聡太さんは14歳でプロやし。一方で”水着撮影”ってなんやねん、て話やろ
ここで問題にしているのは同意する能力、自己決定権の制限なので。
人間は自由なので、成人であれば演技しようがヌードモデルになろうが自己決定権の行使なんですね。しかし子供は判断力が未熟なので、パターナリズムの観点から、あれは禁止これも禁止と制限を加えているわけです。
俺はずっと「まあ水着撮影会なんて、ピアス空けるのと同じように中高生なら別にええやろ」と思っていたんですが(根拠は前の増田を参照)、どうもはてなでは「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」の行使は中高生にはまだ早い! という論調が支配的なようなので、中高生に対して「水着姿を他者に撮影させる」程度の自己決定権も行使させないのであれば、より年少の子役やら何やらは擁護できないよね? という話をしています。
15歳の子供に、「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」がないのであれば、10歳の子供に、「自分の演技やら何やらを全国のお茶の間に放映する自己決定権」があろうはずもない。
プライベートゾーンが隠れた状態での撮影なんて、セックスやらヌード撮影やらと違って自己決定権の行使に至るハードルは低くてよいはずなんですけど、どうもハードルを上げるべきというのが主流の意見らしいんですね。それが駄目なら、より低年齢の子供が演技を全国放送で公開するのも駄目でしょう? 15歳の子供が水着での撮影に同意できないというのなら、10歳の子供からTVに出る同意をどうやって調達できるというんですか?
禁止論者への反論に「じゃあ全て禁止にすれば」を使うのは個人的には悪筋だなと思ってる/表現の内容ではなく、本人が望まない事を強制される事を禁止しないと全ての人の自由は守れない/禁止は面倒くさがりの理屈
ええと、俺が問題にしているのはまさしく「本人が望まない事を強制される事」ですよ。
年少者の場合は、たとえ「はい」と言っていたとしても、それを真正な同意として扱ってはならない局面があるわけです(性交同意年齢ってそういうことですよね。子供側がいくら「セックスをしたい」と意思表示していたとしても、それ未満の年齢の子供とのセックスはレイプとして扱われる。あとはエホバの証人の子供が輸血を拒否したので救命できず死んだ事件とかも、今では問答無用で輸血すべきという話になっているはず)。それは、年少者には自律した判断をする能力がない(ということになっている)ので、パターナリズムで「お前らに重大な事柄への同意能力はない!」と決めつけているわけです。
15歳の子供に、水着を身に着けた状態での写真撮影程度のことを自己決定する能力がない、とみなすのであれば、それより年少者のドラマや映画への出演への同意なんてできないでしょ、実質的に無理強いでしょ、ってことです。
だからこれは表現の内容どうこうの問題じゃないんですよ。成人が同意の上で出てるAVは問題ないけど、俳優を拉致してきて撮影した健全ラブコメ作品はまったく許容できないですよね? 同様に、水着撮影会程度のことが駄目なら子役も駄目ってことにしないとね、っていう話です。
「子役は本人の意思確認の段取りとか含めてもっと手厚く保護されるべき」とかではなく、一足飛びに「禁止」とか言い出すのは釣りだからなのか短慮なのか「反対派ってそんなもんでしょ」なのか。
「水着撮影会に未成年が出演する場合は意思確認の段取りを厳格に」じゃなくて「水着撮影会に未成年を出すな!」っていうところまで一足飛びに求めていたのははてなーの皆さんだったと思うのですが……水着グラドルに対して急進的な規制を支持していた人たちが子役には微温的に対応しろって言い出してるのがわけわかんないんですよね。そこは急進的に禁止しようよ。
極論だと言うコメントもあるけど、私的記録ならともかく、当人が望まぬ公開記録を残されるケースを考えたら子役禁止はそれほど不自然な成り行きではないと思う。子役を残すのには理性的な論理武装は必要になりそう。
「別に演技の映像が残るくらいいいじゃん、減るもんじゃなしw」といって子役を認めるのも一つの選択肢です。実際、なにか減るか? と言われたらなにも減らないので。ただその場合、「別に水着の写真が」という理屈も認めないと整合性が取れないですけど。
自分で自分のことを決めた結果、別の選択肢を選んでおけばよかった、と後悔することはよくあるけど、自分の選択の帰結は基本的に自分で背負うべき。自由な自己決定というのはそういうこと。ただ、子供は判断能力が未熟なので、自己決定権を制限してあとで後悔する可能性を減らしているわけですね。
えっ!? 未成年の水着撮影会の問題は子供の自己決定権の話じゃなくて「子供の水着姿を愛好するお前らはキモい」という話だったんですか???