「出合い」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 出合いとは

2020-11-21

anond:20161009230602

私の友達旦那さんもアラフィフで年齢=彼女がいない人だったらしいのだが、友達婚活アプリで出合って結婚しとったぜ。人生どうなるかわかんねえよ。だからそんな落胆しない方がいいぜ。でもまずは出合いたいなら行動しないと、新しい人とは合えないと思います。年取れば、取るほどね。

2020-09-19

舐達麻は死生観が刺さった。

大きな喪失があった時期に出合い自分が感じていた死の危うさや怖さに近いものを感じた。

喪失を受け入れるためのキャパティ作り、感情言語化に役立った。

から好き

2020-07-13

anond:20200712141747

おけパ中島に狂ってる同人女各位へ 二次創作は既婚者との不倫と同じhttps://anond.hatelabo.jp/20200707233244

と同じ増田だろうか?

pixiv隠語タグみたいなのが好きではないか検索よけってどの程度を求めているのか知りたい

BLクラスタ存在のものを気づかせないレベルが求められるならともかく

出合い頭に二次創作イラストを見せないだけならサムネイルモザイクや注意書きにすれば検出されても問題はないんじゃないかと思う

2020-06-10

結局のところソープが最適解なんだけどさ

結局のところ、ソープで2万となんぼか払って、ランキング上位の子指名するのが手堅い選択なんだ

プロフィール写メ日記を良く読めば、サービス地雷もパネマジも回避できる

かけたコストに対して、確実にリターンが返ってくる…

それがわかってて、でも不思議なことに、どうしても割り切りを選んでしま

実際のところ、ホテル代まで考えるとコストは対して変わらない

リターンに関しては…かなりの割合で厳しいものだった

基本はお店で働けない子がやるもんなんだろう

これだけわかってるんだ

これだけわかっててなお、割り切りに惹かれてしま

結局のところ、自分バクチが好きなんだろう

ソープと違って結果が見えないのが好きなんだ

地雷を踏む一方で、たまに良い出合いになるのが好きなんだ

その理不尽さを含めて好きなんだろう

から一期一会を楽しんでいる自分が居る

2020-04-27

anond:20200427182034

結局最後はそうだから

仮にどんな金持ちでもどんな権力者でも出合い頭に頭カチ割られたら死ぬしかない

金も権力法律も目の前のこん棒の一撃を防ぐことはできない

2020-01-16

独身男性が犬を触る方法

教えて下さい

追記:

中型、大型犬が触りたい。後出しですまない。

独身なんで平日の昼間9~12時間放置するわけにもいかず、一人では飼えない。

散歩させている人んちのペットを触るのは難しいだろう、きもいおっさん出合い頭にボディタッチを要求されたらきもいだろ。飼い主だってまれた時の責任負えないだろうし。

ふれあい牧場系も考えたけどメインターゲットが小さい子供がいるファミリー層とカップルだろ?おっさんひとり、きっついだろ。

割と現実味があるのはペットショップのペットレンタルかな。おっきい犬いるといいんだけど。

2020-01-10

2年間の追っかけ活動に幕を閉じた


2.5のイケメン俳優等にハマってる人達が楽しそうで憧れてたんだけど、自分もやっと面白いと思える舞台作品出合い、いわゆるイケメン俳優で「推そう」と思う人ができた。それが2年前のことだった。

それからはその俳優が出る作品を中心に、2.5やそうでない舞台を観に度々劇場へ足を運んだ。

推しキラキラした外見とスタイルの良さが売りで、どんな舞台に出ても「彼はこのイケメンだらけのお話世界観の中でも格別なイケメンキャラなのである」と思わせる華があった。しかしそれ以上にアクションが上手で、いつかまた板の上で大暴れしてほしいなと思っていた。

そんな彼を追いかけているうちに直面したのは、彼の演技力の低さだった。最初は気にならなかったのだが、観劇の回数を重ねるうちに彼の演技はいわゆる「棒」であり、時には主演にもかかわらず共演の元アイドル女優にすら食われている状況だった。これまでは同じくらいのレベルイケメン俳優とばかり共演していたので気にならなかったのだが、長年活躍しているバイプレイヤーたちとの共演では、彼の台詞回しは抑揚の無さが目立っていた。

私は元々映画が好きだったので、彼がいつか映画に出るまでは応援したいという目標があった。もし舞台を観に行かなくなっても、年間3000円ちょっとくらいのファンクラブ会費はしばらく払い続けてもいいかと思っていた。

今年の年明けにファンクラブから年賀メールが届いた。それは夢小説のように自分名前が本文に何度か出てくるもので、最終的にメル画で見たような甘ったるい台詞推しが喋っている体の文章で締められていた。

そのことをネタにしようと思ってスクショを取ったが、私に推しができて楽しそうにしているのを見守ってくれた友人各位にそんなものを見せたくないなと思った。

それから少し迷ったのだけれど、まだ更新期間までだいぶ時間のあるファンクラブを、昨日やっと退会した。

自分の中で「ガチ恋営業のように女性に夢を売る商売をやってのける俳優は、たぶんファンに対して誠実ではない」というイメージがあり、推しがその片鱗を見せたことが残念で仕方なかった。

これまで彼からはそういう匂いがしなかったので安心していたのだが(交流イベント等は定期的にあったが、自分作品を通した彼が見たいためそれには一度も参加しなかったので雰囲気不明)、正月メルマガを見て「この人も事務所も、俳優としての限界を感じたからこういう方向に舵を切ったのでは」という疑いを持ってしまったのだ。

きっと彼はこれから俳優として成長するのは難しい。いつか有名監督映画に出演してそのアクション能力を充分に発揮してくれることを願っていたが、その願いに投資しても望みは叶わないだろう。

彼は私があらかじめ覚悟していたようなスキャンダル炎上もなかった。その辺は本当にきちんとしていて有難かった。それでも、生きている人間応援し続ける事はとても難しいのだ。それがわかっただけで充分だった。

彼のお陰でいろんな俳優(男女含む)、演出家脚本家や小劇団を知ることができた。俳優を軸に作品出会うことは今までにない体験だったし、生で見る舞台面白さも理解できた気がする。

また、残念ながら元推しから感じることはできなかったが、自分にとって「刺さる演技」が何なのか非常に明確に理解できるようになったような気がする。これは今後いろんな実写作品を見る上で役に立つ観点であろう。

かに熱狂的にハマっている人は楽しそうだ。だが自分はその真似事しかできなかった。だって相手は生きてる人間なのだから他人自分勝手理想希望を託し、期待することでエネルギーを得る生き方は、私には無理だった。「ガチ恋営業的な方向に行くのでは」と懸念している自分気持ち悪かった。

彼の演技が成長してないとか勝手に難癖をつけてしまったけれど、俳優自身のほうが数百倍もっといろいろなことで悩み、苦労しているだろう。頑張っている「人間」そのもの批評することは、作品批評することと全く違うように思え、私には心苦しかった。世間的にはアイドル俳優偶像)であっても、私にとっては尊重すべき他人の一人だったから。

彼が仕事でどんなキャリアを積みたいのか、そんな事は私にはわからない。だからこそ自分の「俳優として頭角を現してほしい」という望みを託してしまうのは間違いだったのだと思う。

いろいろ書いたけれど、彼を追いかけていた2年間で得たものは、チケット代よりもはるかに多かったと思う。彼が知名度のある脚本家作品や、ビッグタイトルに抜擢されるたびにテンションが上がった。追っかけ界隈の文化を色々学べた。現場で出くわす同担たちの会話を隣の席でこっそり聞くのも楽しかったし、ファンたちが心を込めて送ったであろうフラワースタンドの凝った意匠などにも都度感心したものだった。

ファンクラブを退会したことで非常に心が軽くなったことは確かだ。それでも、彼やスタッフたちには感謝気持ちしかない。追っかけ活動はまさに生涯学習であり、適度に楽しめた私は幸せ者だったと思う。

2019-11-19

オーフェンブギーポップ、どうして差がついたのか慢心環境の違い1

今年と来年の冬アニメ。共に前世スタートの長期シリーズであるライトノベル二作が再アニメ化される。

魔術士オーフェン(はぐれ旅)」と「ブギーポップ」だ。

原作開始と初アニメ化にそれぞれ数年の開きがあるし、ジャンル異世界ファンタジー現代SF風味異能オーフェン出版社レーベル)を富士見ファンタジアKADOKAWAからTOブックスに移籍した一方、ブギーポップは一貫して電撃(KADOKAWAから刊行し続けている……

といった細々した違いは存在するものの、テン年代および令和の視点から言えば、大雑把に「かつてアニメ化された昔の人気ラノベ」と括ってしまってもいいだろう。ブギーポップの新作アニメは今年の1月から3月まで1クール18話が放送され、ちょうど一年をおいて来年1月オーフェン放送開始予定となっている。

さて、上に掲げたタイトルについて。ここでの「差」というのは作品自体評価ではなく、あくまで今のアニメおよびその関連企画成功度合いについての話だが、果たしてどちらが格上なのか。

はっきり言ってしまうと、オーフェンが上、ブギーポップが下だ。現時点で既にオーフェンの新アニメ企画は、原作読者の盛り上がりの点でブギーポップを大きくリードしているように見える。

オーフェンは肝心のアニメがまだ始まってすらいないというのに、なぜそんなことが言えるのか。アニメとその周辺における、両作品の「差」を見ていこう。

コミカライズ

今回のアニメに合わせたブギーポップコミカライズは、アニメ化発表のほぼ直後から開始。アニメ化の範囲である「VSイマジネーター」「夜明けのブギーポップ」の2エピソードが、それぞれ異なる作家により漫画化された。「イマジネーター」の方は、上下構成である原作の、上巻にあたる部分までをベースにした内容になっている(打ち切りなのか当初の予定通りなのかは不明

作品としての出来自体は、いずれも適度に省略・再構成しつつ原作をなぞり、ビジュアル面ではアニメとも異なる独自解釈が随所に見られるという、手堅い造りになってはいる。のだが、どうせならアニメ化しない人気エピソード特にパンドラ」「ペパーミント魔術師」あたりをやって補完しても良かったのに、という気持ちもある。アニメ2期にでも回すつもりだったのかなあ……取らぬ狸の……

片やオーフェン新規コミカライズは3本。本編と言える長編シリーズの「はぐれ旅」、短編コメディの「無謀編」、そして旧版では無謀編の一部だった「プレ編」が、やはりそれぞれ別の作家の手で描かれた。

作品数がブギーポップを上回っていること自体は、それほど大きなアドバンテージでもないだろう。特筆すべきは、「無謀編」の担当作家が、あのファンタジーコメディエルフを狩るモノたち」の矢上裕だということだ。

いや、実のところ自分ちゃんと読んだことはないけれど、それでも名前は知っているぐらいには有名な作品であり作家であるアニメ化もされたし。

もちろん、何でもかんでも有名ベテラン作家を連れてくればいいというものではないが、これに関しては、代表作の連載時期が富士見時代オーフェンと重なっている同時代性や、コメディである無謀編との相性の良さからか、原作読者の反応も上々な人選だったようだ。

ベストマッチビッグネームの起用でオーフェンがやや有利といったところだが、ここはまだ比較的、両作の差が小さい分野と言える。

出版

新規コミカライズ以外の出版物の話。

ブギーポップアニメ化に合わせる形で、アニメ範囲原作5巻を新装版(単行本)で刊行している。表紙を含むイラストオリジナルイラストレーターによる新規描きおろし。また、分量はごく短いあとがき程度のものだが、本文にも書き下ろしがある。

アニメと同時期に原作イラストレーター自ら手がけた、原作1巻「笑わない」のコミカライズもやはり新装版で再刊。最初の予定ではアニメ放送中に合わせるはずだった?のが、たび重なる延期で結局放送終了後になったものの、原作本編の新刊も一応出ている。

アニメ作品出版社側の動きとして、ノルマは十分以上に果たしているとは言えるだろう。が、優等生的な物足りなさを少々覚えてしまうのは自分だけだろうか。

それに対しオーフェンは、旧シリーズ新装版は数年前すでに刊行済み。TOブックス移籍後の新シリーズも本編はほぼ文庫化完了していたが、新シリーズの「番外編」と旧作「プレ編」が、それぞれ2巻ずつアニメ化発表後に文庫化されている。

また、アニメ開始目前の来月末には新作長編が出る予定も……と、この辺まではブギーポップとそんなに変わらない順当なラインナップとなっている。だがオーフェンにはもう一つ、目玉と言える一冊がある。

今月末発売の『魔術士オーフェンアンソロジー』だ。

その名の通り、オーフェンに縁のある有名作家たちによる、公式二次創作短編集。歴史のあるシリーズだけあって執筆陣もそうそうたるメンバーがそろっている。

スレイヤーズ」の神坂一!(旧シリーズ時代には富士見の二枚看板オーフェン作者と合作経験もあり )

アニメ絶賛放送中!「本好きの下剋上」の香月美夜!(TOブックス仲間)

サクラダリセット」の河野裕(作者のファンらしい)!

デート・ア・ライブ」の橘公司!(ドラゴンマガジンオーフェン短編掲載したことも)

僕は友達が少ない」「妹さえいればいい。」 の平坂読!(よく知らないがオーフェン好きなの?)

そして解説は「ロードス島戦記」の水野良

と、いっそ胸焼けを起こしそうなほどの豪華さだ。参った参った。

実のところ、ラノベアニメ化する際などに他の有名作家を集めてこのような公式アンソロジーを出すことは、そこまで珍しいわけでもない。刊行期間の長い古参シリーズ場合はなおさらだ。それこそオーフェンの作者自身スレイヤーズ 25周年あんそろじー』に寄稿しているし、最近の例では他に『されど罪人は竜と踊る: オルケストラ 』などもあった。

からこそ、アンソロジーはもはや、出せる時にはとりあえず出しておくべき記念品みたいなものだと思うのだが……何でブギーポップは出さなかったんだろうか?あれだけ業界への大きな影響が(「〜以前・〜以降」だのと実態よりも過剰なほどに)強調して語られ、読者だったことを公言している現役人作家もそれなりの数が存在しているシリーズだというのに。もったいないしか言いようがない。

一応ブギーポップ側には、原作出版社であるKADOKAWA以外なので厳密に言えばアニメ連動の出版ではないが(敢えて言うなら便乗)、批評誌「ユリイカ」での作者特集というものもあった。これも最初企画を知った時には、公式アンソロジーと同じぐらいのインパクトを感じたし、実際インタビューや対談、書き下ろしの「竹泡対談」(読者にはお馴染みの会話形式SS)など、ファンにとって素直に価値のある部分も存在した。

ただ正直、作者本人以外の執筆陣がちょっと……それぞれの知名度や実績自体問題があるわけではないんだけど、ブギーポップやその作者を語ってもらう時になぜ敢えてこれ?と疑問が残る人選で……言葉を選ばずに言うと、なんで西尾維新呼ばねぇの?ってこと。他のメフィスト賞作家は3人もいるのに!

どうも全体的に、ユリイカに呼びやす人材の中で、ブギーポップというかラノベについてまあ知っていないこともないぐらいの人々(&新アニメ関係者)をなんとな〜く集めたような、芯の定まらない生ぬるい印象を受ける特集になっていた。これではとても、夢の公式アンソロジー代替にはなり得ない。

(ちなみに本拠地である電撃文庫ライトノベル誌「電撃文庫MAGAZINE」でもアニメ放送中にブギーポップ特集掲載されたが、これはユリイカなど及びもつかない完全にスッカスカで虚夢of虚夢な内容だったらしい(自分他人の評判を聞いて回避した))

その他

オーフェンアニメに先駆けて、今年の8月11月に「舞台版」の公演を二度行っている。いわゆる2.5次元だ。

異世界ファンタジーというジャンル、そしてラノベの中でもセリフや行動には直接表れない微妙感情や設定が特に多い原作という、2.5次元素人感覚からするとかなり難しそうな題材ながら、ツイッター等での反応を見るに原作ファンには大好評だったようだ。客の入りなどの数字的なことは不明だが、生身の人間ラノベキャラを演じ、実際に観た読者をあれだけ満足させられたのなら、それだけで大成功と言っていいだろう。

また、スレイヤーズフルメタルパニックと共に「富士見ファンタジア文庫レジェンド」の一つという扱いではあるものの、オーフェンはあの「パズル&ドラゴンズ」でのコラボ参戦も果たしている。今や、オタクカルチャーにおいてアニメ匹敵するほどの存在感を持つスマホゲーム。その中でもいまだトップクラスの人気&売上を誇るパズドラとのコラボなのだから、これはもう勝ち組と言わざるを得ない。

さて、そういったイベントめいた展開がブギーポップの方にも何かあっただろうか。

スマホゲーコラボ……無し。

KADOKAWAラノベ原作アニメは、放送中のコラボ率がわりと高いので期待していたのだが……。後述するキャラデザイン変更の問題により、原作版とアニメ版どちらでの参戦になっても角が立つからという理由でどこも二の足を踏んだ、のかもしれない(あくま憶測

それ以外では……そう、「“不気味な色”グミの配布会があった!

TVアニメブギーポップは笑わない」で、「夜明けのブギーポップ」編全4話を一挙放送する2時間特番が決定!それを記念して、アニメイト秋葉原店頭にて「“不気味な色”グミ」&「特製ポストカード」セットの配布会を開催致しま

いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”グミ」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな味がしたんだろう「“不気味な色”グミ」!

ところで……「“不気味な色”グミ」って、何?(不気味=ブギーというキーワード以外特に原作とは関係がない)

それから「“不気味な色”入浴剤の配布会も忘れてはいけない。

アニメイト秋葉原本館でTVアニメブギーポップは笑わない」のオンリーショップが開催決定!それを記念して、アニメイト秋葉原本館店頭にて「“不気味な色”入浴剤」&「特製ミニキャラカード」セットの配布会を開催致しま

いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”入浴剤」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな効能があったんだろう「“不気味な色”入浴剤」!

…………「“不気味な色”入浴剤」って、何???原作無関係だが合成促進剤の風呂だと思って入ると楽しそう)

別に、「“不気味な色”グミ」や「“不気味な色”入浴剤」が必ずしも悪いということではない。いっそ「“不気味な色”まんじゅう通称「ぶきまん」も作り、調子に乗って事業を拡大させ経営破綻に陥ったっていい。

ただ、そういう飛び道具的なネタは、「ファン普通に喜ぶこと」を一通りやった上で、ダメ押しとして追加するのが筋ではないだろうか。

2.5次元スマホゲーコラボけがファンへのサービスとして正解ではないのはもちろんだ(ブギーポップは意外に2.5次元素材としては向いてるんじゃないかとは思うが)。それでも、グミ入浴剤の前にはやれること、やるべきことが他にいくらでもあったのでは、とつい思ってしまう。

キャラクターデザイン

公開済みのPVキービジュアルなどを見る限り、今回のオーフェンアニメ化においては、単に基本的デザイン踏襲するのみならず、原作イラストテイストをかなり強く意識した画作りがされているようだ。これは周辺のメディア展開も同様で、前述のパズドラコラボにおいても原作イラストレーター自身オーフェンキャラ絵を一枚描きおろしている。

一方ブギーポップアニメ化にあたって、「ブギーポップ」のコスチューム以外のほとんどのキャラクターデザインを、原作イラストとは別に本編での描写から新規に設定し直している。分かりやすいところでは、原作ではセーラー服だったメインキャラの制服がブレザーになったりしている。

このデザイン変更をめぐって、原作イラストレーターとアニメ制作会社との間でトラブルがあったことは周知の事実だろうから、今さらここで改めて説明はしない。

自分はこのデザイン変更自体は、他の多くの人々が考えるほどには、作品の致命的な傷だとは思っていない。たしか原作ラノベの魅力にあのイラストが大きく関わっているのは事実だが、一つのアニメ作品として考えた時に、絶対に何があろうと譲れないポイントである、とまでは言い切れない。ラノベといえども小説であり本体あくま文章なので、ストーリー等の変更の方が重大な問題だ。

ただ、オリジナルストーリーだった前アニメに対し今回は原作をなぞるという基本方針アニメ化において、わざわざ「原作通り」から外れる要素を持ち込むのであれば、それなりの根拠必要にはなるだろう。変えるなら変えるで、原作イラストよりも明確に“カッコイイ”とか“カワイイ”といった、意図や売りが伝わるデザインであってほしい。

殘念ながら実際のアニメデザインからは、「なぜコレなのか」が感じ取れることは少なかった。敢えて言うなら、ややリアルに寄せたということにはなるのだろうが……「歪曲王」の耳が異常にデカ母子とか何がしたかったんだろう……

アニメ本編

今回のブギーポップアニメ原作エピソード単位で見た時に、世間一般での評価が最も厳しかったのは、やはり最初の「ブギーポップは笑わない」編だろう。

ただでさえ原作小説1巻を3話で消化する尺に余裕のない状況なのに、よりによって「間」を大事にする演出選択してしまったせいで原作セリフが大幅にカット。また、一つの出来事がそれぞれ別の人物視点から語られる各章からなる原作を、なぜか更に視点が細かく移動し時系列前後する構成に変更してしまったため、複雑さが無駄に加速することに。

これらはむしろ原作読者よりも初見視聴者の方に影響が大きく、キャラクターの感情について行けないとか、今のシーンがいつの出来事なのか分からなくて混乱するといった声が多く見られた。

そして何より、クライマックスのシーンでブギーポップトレードマークである「口笛」を吹かないという、信じがたい改変。これには原作読者が大いに驚愕することになった。悪い意味で。

出合い頭で深い不信感を植え付けられたせいか、あるいは単にそのまま視聴者が大量に離れたのか。後半に、特番枠で4話一挙放送された「夜明けのブギーポップ」のような名エピソード存在しても、作品全体の低評化は結局最後まで覆すことができないまま終わってしまった。

繰り返しになるが、オーフェンの方はまだアニメ放送開始していない上に、どういった構成になるのかも正式には判明していない。だがもしも大方の予想通り、順当に原作長編の一作目『我が呼び声に応えよ獣』を最初に持ってくるのであれば、やはりこのファーストエピソードの出来がアニメ化の成否を大きく左右することになるだろう。

原作ファンは、普通にやれば普通によく出来てるはずのこの話に、「口笛を吹かない」に匹敵するレベルの大大大チョンボ改変が混入しないことを祈っておくといい。でも、『獣』でそのぐらいクリティカルポイントって何があるかな。「ブラックタイガー」のカットとか?

(続き)

https://anond.hatelabo.jp/20191119205330

ノーヘルパトカーに追われ衝突、11年間脳障害の息子…母親「ぶつかった相手を責めるつもりはない」「これほどの償い必要か」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1995789.html

事故時、侑紀さんはヘルメットかぶっていなかった。家を出てすぐ警察官に見つかって追跡された。追跡を振り切って狭い路地を逃げる中、車と出合い頭にぶつかって転倒。全身を強く打った。」

「ベッド上の姿を見ると「これほどの償いが必要なのか」という思いがこみ上げる。」

加害者になって他の方への償いが続くよりはマシでは?、と泥酔した勢いで不謹慎な事を思った。

2018-11-09

anond:20181109020247

目的結婚なら結婚してくれる人とするんだよ。

まず付き合いたいってなら出会った女性の中で一番付き合えそうな人と。

付き合いたい人もいないってなら出合いを広げるしかいね

2018-10-14

anond:20181014110541

出合い系ででブスでいいか出会いたいわ

そんな出合いあったんだな

47年物の童貞だけどおれはなんらチャンスはなかった

風俗に行ったら体験はできるのかのしれんけどお金もったいないから行かなかった

出合い系・・・

おれみたいなカスうんこキモオタ顔でも出会えるんかな

でもどっちにしろ金かかるんか

2018-04-07

https://anond.hatelabo.jp/20180401223048

マジレスするとこんなことを匿名赤の他人に聞いてる時点で無理だよ

つまるところ楽をして自分のお眼鏡にかなう相手を探したいんでしょ?

社会人になってから恋人を見つけて結婚してたり相手が途切れないような人は

ちゃんといろいろと交流してその中で相手を見つけてるんだよ

そういう努力をしないでサークル出合い目的からダメとか自分で見切りを

つけちゃってるような思考してたら一生無理

サークルにしたってそこで即付き合うとかじゃなくそこで気が合う友達を探して

その人の伝手で良い人がいないか聞いてみるとかあるじゃん

仮にサークル内で良い人がいてもサークル迷惑をかけない方法だってあるよね

恋人になったら自分がやめるとか活動はいちゃつかないとかさ

あと三十路って恋愛相手としては普通にマイナスから

自分20代とき三十路の人を恋愛対象に見てた?

見てたとしてもかなりスペックが高い人だったんじゃない?

なんかまだ無駄プライド高いけど今まで恋人がいないってことは

あなたはそういう人じゃないですよ

2018-01-31

生理を告げるのってなんで恥ずかしいの???

自分は男なのでわからないんだけど、生理だと告げる恥ずかしさがわからない。

たまにあけっぴろげに今日生理で辛いわと言ってくる女子がいる。

でもそれを聞いても下品ではしたない女性だとも思わないし、辛いんだな可哀想にって感じだ。

今日日、生理を知らない男なんて童貞ですらいないだろうし生理の辛さも昔以上に男社会にも浸透してると思ってる。

からこそ、生理って恥ずかしいことでもないと思う。

でもこれは男の(しかも一個人の)捉え方でこっちが気にしてないからそっちも気にするなっていうのは違うし、女性側としては何を気にしてるんだろうと思う。

うんこ漏れそうだわ~」って言うのと感じなのかな?

仲良い人はさっきみたいなあけっぴろげな人だから同じくわからんって言うし、

よっぽど仲良くないとこんなこと聞いたらセクハラになるから聞けないよなぁ


追記

自分はそんなことないけど、一部で生理って性的ものってイメージがあるのか。それならちょっとわかるかも

無知童貞なら生理欲情サインとか捉えそうで怖いな

追記 生理DVを受けていた話

予想以上に伸びていた、コメントありがとう

まずいくつかのコメントに対して返信する前に、自分生理観の違いと世間生理観の違いについてちょっと驚いたのでそれについて語ろうと思う。

自分の中では生理といえばズーンとした腹痛やイライラといった気分障害的な意味合いが強くて、性的な要素や排泄物的な要素は極めて些末なことだと思っていた。

世間では違うみたいだ、排泄物的な認識の人もいれば性器連想させることだったりするんだとびっくりした。

この考えに至ったのは最初彼女が強く影響している。

彼女生理の症状が強めの人でさら強気な人だった。

その彼女生理DVを受けていたのである

まず生理の日にデートがあると出合い頭に「今日生理からイライラさせないで」と釘を刺される。

生理の日にちょっと粗相があるとすぐ喧嘩になってしまうので、(8:2で相手が悪くても)こちらが速攻で折れた。甘いものも買ってやった。

一緒に家にいるとき生理が来た時は、動けないからと近くのコンビニまでナプキンを買いに走らされたこともある。そのおかげかちょっとナプキンマスターだったりする、多い日用の羽つきの大き目のやつって言われたらあーあれかってなる。

そしてこちらが不満げにしていると決まって言われるセリフが「生理からイライラさせないで」だ。

男としては生理の辛さをわからないだけにもうそれ以上言えない、まあ実際本当にしんどそうな時もあったので何も言えない。

医者に嘘の診断書を書かせる生活保護不正受給者しか見えなかったが、「生理から」の大義名分になす術はなかったのである

これこそ生理DVである

生理から」と言えば、大抵のことは許されるのだ!!!!!

この生理DVの影響だろうか、僕にとって生理は非常に辛くて可哀想もの、気に触れないようになるべく慎重に行動するべきものという認識になっていった。

その印象が強すぎて排泄物的な連想もましてや性器連想など微塵もなくなった、気分障害と腹痛のサインしかない。

気を使ってくださいアピールができるのでむしろメリットもある(これはちょっと言い過ぎかもしれないけど)

そう思うとちょっと自分特殊な部類だったのかもしれない

 返信

別にいきなり生理って告げなくても、明らかにしんどそうにしてしまったり告げる必要が出てくる時はあるだろう、そういう時。

かに生理が軽い人はそもそも言う必要ないよね。

  • 一部の理解のない男のせいで~

かに。なっとく。可哀想に。

  • 周期知られるの怖い~

僕はお腹が弱くて月に一回下痢になります。今月はちょうどバレンタインデーのあたりでしょうか。

2018-01-11

anond:20180111153023

政治的に正しい男性自分からアプローチしないからでしょ。そういう男性別に珍しくない。

セクハラ』って言葉流行語大賞になる前は結婚したカップル出合い社内恋愛だった(という統計がある)。

フェミニストが声高にセクハラを叫んだあたりから、急速に男性からアプローチが難しくなる。実際、非婚化も進んだ。

いやさ、別にセクハラが良いとは思わない。逆に女性からアプローチが、それも頭がそこそこ良くて誠実な男性へのアプローチが増えるべきだったんだが、セクハラを訴えてたフェミニストはそこまで頭が回らない。結局、女性の考え方を変えるには至らないまま少子化が確定した(ごく最近アンケートだと20代女性告白率が増えてるが、これはフェミの働きかけ、というより単純に飢餓からだろう。フェミ的な出版物コラムは減っている)

キミの親しい人もさ、まぁ結婚したい気持ちがあるなら、結婚を勧めたらいい(35歳を越えると結婚可能性は減るのでその前に)それで救える女性が一人増えるなら暁光だ(君の職場関係者はやめとけ、IQが離れていると関係性を維持するのは難しい、という統計がある)

2018-01-08

"パンティーに出合いを求めるのは間違っているだろうか"との一致はありません。

2017-11-14

うちの親

うちの親、いわゆる毒親

学校いじめられたりもあって、引きこもったりメンタルクリニック通ったりする中で、カウンセリングにも通ってた。

その中でだんだん、うちの親に苦しめられている自覚が出てきて、カウンセラーさんにぶちまけたかったけど、「親」と言うことが、何か禁忌に触れるようで、先生にさえ言えず、当時は毒親なんて言葉もなかったから、苦しさと罪悪感で一杯だった。

子ども頃、何かで怒られたとき、「バカから遊戯トライアングルなんて任されるんだ」とか、今思うと意味の分からない罵倒に大泣きした。

小学校に上がれば、博物館へ行くのに無理矢理スカートをはけと怒られ、はかないなら博物館へ連れていかないとまで言われた。

どうしても嫌で下にキュロットはいてたけど、それも許されず、その日に撮った写真は全て仏頂面の苦い思い出。

まだある。

高校にあがり、寒くなったら去年のお気に入りダッフルコートを着ればいいかと思ってたある日、帰ってきた途端鬼のような顔で「ダッフルコートなんて子どもコートを着るな!買ってきたこれを着ろ!」と怒られたりもした。

全くもって意味が分からず、戸惑いつつも反抗した。不安になって、翌日友達確認したのを覚えている。

引きこもりときも、「自分のペースでやればいい」と言いながら、唐突に痺れ切らして激しく責め立てられて否定され、その度にどん底に落とされた。

「二十歳なんだから」は誕生日迎えた日からタコ

誕生日迎えた途端、昨日とは別人のように大人になれたら誰も苦労なんてしないのに。当時はそんなことにすら気づけず、ただただ自分でも自分ダメ人間だと否定していた。

そして私には兄がいる。

他の人に指摘されて気づいたけれど、母は考え方が古くて長兄を溺愛し、本人も「母親はみんな冬彦さんを育ててるんだ」とさえ公言した。

私が初めてもらった自転車はお古で、兄は新品だった。

中学生くらいまで、ずっと親と喧嘩になる度に兄をエコヒイキしている、と反抗していた。

そしていつも、私はヒステリーを起こしていた。

病院で働いてるとき感染症病気をもらってしまい、偏見と少ない知識不安に苛まれているときに「私(母)と兄はどうなるんだ!」と責め立てられたこともある。

一番不安なのは私だった。

泣きながら病気について調べ、発症しなければ感染もないことなどをメールで送ったら、三日後にケロッとした顔で「私(母)も兄もそんなの(病気)気にしないし」と言われた事が忘れられない。

かなり経ってから上記の言葉は傷ついたと伝えたら「だってそのときは本当にそう思った」と悪びれた様子もなく返事をされて、私の中で何かが壊れた。

いつも頼んでないことを自分でしては「○○してあげたのに」と見返りを求めてきたし、ただコンビニに買い物行くのにさえ「あんたも行くら行くけど」とよっかかってきて気持ち悪かった。

やっと新しいカウンセラーさんと出合い、それでも親との関係が私の考え方にかなり影響しているの気づいてもらうのに、一年以上掛かった。

それでも、20年ぶりにバッサリ短くした髪を、親が真似て同じようにずっと長かった髪を同じ長さに切ったとき嫌悪感は分かってもらえていない。

親とは家庭内別居みたいになって、一切口もきかず、自分生活自分で面倒を見出しから、私はヒステリーを起こさなくなった。

いつも感情に嵐を起こしていたのは、親と関わるからだと気づいた。

あの、スイッチが入ったように訳もなく急に込み上げてくる怒り。

自信のなさからブラック企業ばかり選んでお金貯めるどころではない、ギリギリ生活ばかりしてた。

ようやく、最近まともな仕事に就いたので、ここで踏ん張って家を出ようとしている。

何度も同じことを、わからせようと無駄努力を重ねてしまったのは、長年の憤り、親に対する分かってくれるかも知れないと言う僅かな期待があったと思う。

それが段々、距離を置いたことで不可能だと気づいた。

今はただ冷静に、スルーする力を身に付け、全力で逃げようと思う。

2017-10-24

腐女子が「ノッキンオンヘブンズドア」を見た

面白かった…そういう目線じゃなくても最高の映画だった…

さすがブロマンス映画金字塔、二人の出合いから最後まで、理想の男同士の関係性だった!といっても、明確にくっついていたり、そういう関係を匂わせるシーンはない。せいぜい手を繋ぐくらい。

しかし!そこがいいのである

私は露骨BL意識している雰囲気が苦手なタイプ腐女子だ。だからこそ、この映画はグッと来た。

死期が近い男二人が自棄を起こして逃避行。もうこれだけでテンションが上がる腐女子もいることだろう。しかしこの映画はこれだけではない。逃避行を続ける中で同じベッドで寝たり、相手を庇うなど徐々に二人は親友になっていく。

その旅の終わり、海でのラストシーン

美しさの中に胸をギュッと掴まれたような切なさがある、素晴らしいラスト。この終わりを見て泣かない腐女子はいないと思う。

以上が、腐女子が「ノッキンオンヘブンズドア」を見た感想です!でも正直私の語彙力でこの映画の良さを伝えきれてるとは思えない。興味が湧いた人は是非見て!腐女子じゃなくても!

2017-10-18

何で児童の列に突っ込む事故は男ばかりなのだろう

児童の列に突っ込む事故報道されて、漠然男性ドライバーだろうなと思ったらやはりそうだった。

何でそう思ったのだろう、そんなに男ばかりだったか検索してみたらヒットする突っ込んだドライバー達は見事に男性ばかりだった。

犯罪者男性に偏るのはわかるけど、事故で何でこんなに男性に偏るのか、事故の男女比ってそこまで偏ってたっけ?と調べてみた

2012年事故の男女比がヒットし、読んで納得した

スピードが遅く無謀運転は少なく出会い頭や追突されるのがメインならそういう事故は起こしにくいだろう

 

つーかこれだけ男性事故率が女性より高いのに女は運転下手とネットで散々叩かれてるのマジ理不尽だな

以下コピペ

男性免許保有者が約4,500万人で、女性免許保有者も約3,600万人と非常に多く、増加傾向にあります。ですので、事故件数は増加しています。男女のドライバーによる年間の人身事故件数ですが、

1995年

男性:49万5,899件

女性:16万9,274件

2012年

男性:40万3,119件

女性:19万4,509件

という数字になっています

死亡事故件数でも、男性2012年が2,735件、女性が660件となっています。ただ、男性のほうが免許保有者が多いのも影響していると思います

実際、女性運転男性に比べるとスピードが遅く無謀な運転が少ないため、大事故にはつながりにくいのです。男性のほうがスピードを出すため、死亡事故につながりやすいとわかっています

――女性ドライバーに多い違反事故はどんなものがあるのでしょうか?

四輪運転者人身事故法令違反別にまとめていますが、単純に件数が多いのは、安全不確認や脇見などの「安全運転義務違反」、交差点での安全確認を怠った「交差点安全進行義務違反」、そして「一時不停止」です。

――その中で女性ドライバー割合が顕著なものはありますか?

「一時不停止」ですね。2012年中は男性が1万4,385件、女性が9,444件で、女性割合は39.6%です。事故類型別にした場合は、女性は「出合い頭の事故」が多く見られます

――一時不停止をした結果、出合い頭の事故が多いということですね。

あとは、女性場合は「追突される事故」が多く見られます

――先ほど女性ドライバーはあまりスピードを出さないということをおっしゃっていましたが、その影響もあるのでしょうか。

スピードだけでなく、たとえば交差点などで、男性女性では曲がろうとするタイミングなどが微妙にちがったりするので、この微妙な差が事故につながってしまうケースもあると考えています。ですので、男性女性も「前の車の動きをしっかり見る」「どういう動きをするのか予測する」といったことをしっかりするといいと思います

2017-07-22

https://anond.hatelabo.jp/20170722104530

親しいねこ同士って出合い頭にお互いの口元の匂いを嗅いで、最近、何を食べたか確認しあってるよね。

それで、相手が良いモノを食べてたりすると、怒ってちょっかいだしてきたり。

2017-03-15

おちんぽ太郎

むかしむかしおばあさんが川でおちんぽを拾ってきました。包茎でした。かわだけに!

それからおちんぽ太郎はおじいさんとおばあさんに大切に育てられみるみるうちにズル剥けになりました。

ボケたおじいさんの発言によりおちんぽ太郎はお城にいる女騎士を屈服させる旅に出ました。選別としておじいさんから玉袋を貰いました。

旅の途中で、ビッチお姉さんに出会いました。

「あらかわいい坊やね。お姉さんが食べちゃおうかしら」

おちんぽ太郎童貞をあげてビッチお姉さんを仲間にしました。

そして、今度は雌豚に出合いました。

「おちんぽ欲しいのぉ」

性の悦びを知ったおちんぽ太郎中出しをしたあと雌豚を仲間にしました。

そして今度はオークに出合いました。ビッチお姉さんと雌豚を生贄に捧げ、オークを召喚したのです。

お城に着いたおちんぽ太郎一行は女騎士を探しました。けれど女騎士は見つかりません。探せど探せどお侍さんしかいません。それもそのはず、そういう時代なのです。

絶望したおちんぽ太郎は異世界に転生することを決意したのでした。めでたしめでたし

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。


まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。

もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ

なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。

本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。

「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)

原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。

そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。

また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。

最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。


それでははじめます。

導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。


まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。

そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。

しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業


解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。

同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。

同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?

『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。

諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。

『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。

『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。

すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。


解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。

不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」

感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47

2016-06-29

SNS疲れで若手俳優オタやめた話

だいぶ前はてブ等で長年同人をやられてた方がTwitterをはじめとしたSNSに疲れ同人卒業したり距離を置いたり…という記事を何個か見ました。

自分同人ではないのですが、2.5次元界隈でTwitterがしんどくなり、専用アカ消したりしたなあ…ということを思い出しました。

何がしんどくなったのか最初に箇条書きすると、

①色々な人と繋がり、共通フォロワーさんが増えたことにより、Aというフォロー外だけど苦手な人が出来た。フォローされないようブロック自衛していたが、Aがアカウントを変えたタイミングフォローされ、無視してたら、ほんのりフォロバを促すようなリプが来てしまった。(これが大きな理由)

②2.5次元2次元界隈でよく見られるゆるふあアイコン拒絶反応

金銭感覚の違い

イベントに行ける、行けない地方格差

自分フォローしている人達犬猿の仲になってしまった

引用RT空リプなどでの身内での変な馴れ合いに寒気

とかですかね…。

これらは未成年若いフォロワーさんに多かったように思えます

自分アニメ漫画といった作品に対しての熱は冷めにくいのですが、俳優声優さんアーティストさんといった人に対しての熱は元々熱しやすく冷めやすタイプでした。ところが、あるきっかけでとある俳優さんのことが気になりだし、気づけばめちゃくちゃブロマイド買っていたり、自分人生史上最大の沼に陥ったのです。こんなにハマった人始めてだしこんなハマり方したのも始めてだったのです。

そこで調子に乗った私は自分以外にもこの俳優さんのことが好きな人と知り合いになりたい!現場出合い厨とかしてみてぇー!と思って勢い余ってよくある繋がりたいタグでたくさんの方々と繋がりました。(といってもフォローは2桁でしたけどね!ちゃんと自分で見極めてフォローしたはずなんだけどね!)

最初はとても楽しかったです。毎日幸せハッピーって感じでした。推しに囲まれ生活最高ー!ってなりました。

でもこの頃から自分性格上②みたいなアイコンの人はあまりフォローしなかったしプロフもゆるふあ〜な感じの人はブロックしてたかな。

(ていうかぶっちゃけた話、ああいうゆるふあアイコンってどこが良いんですかね…はっきり言って痛いしダサいセンスない。本当にコラージュ上手くなりたいならそこらへんのアプリじゃなくてフォトショ使えば?写真の切り抜きとか透過とかスマホアプリよりフォトショGIMPのようなパソコンソフトのほうが優秀だと思うんですけどね。小さい画面で操作するのイライラしません?成人してもあんなのやってる人とかみると大丈夫?て思ってしまう…)



ところが、自分フォローをしている人達が段々と相互フォローで繋がっていき、⑥のように身内のノリみたいな変な馴れ合いが増えてきた頃から、少しずつ、居心地が悪くなっていきました。

元々「構ってちゃんタグ」とか「私のこと好きな人ふぁぼ」とかいうの好きじゃありませんでした。この頃からリプをURL引用したりする人とか出始めて、「なんで@でリプしないの?面倒臭すぎない?あんたと私の知らない人との会話とか興味ないし他所でやってくれ」って思ったり。あと内容のない薄っぺらいリプ合戦とかね。素で「〇〇好きあいちてる❤️」「私もやで❤️」みたいなリプ送りあってる人達よりも、「うんこ黙れ」みたいなリプ送りあってる人達の方が絆が強い気がします。(あくまでも個人の見解です)

また、③で前述した通り、どの界隈にもいると思うのですが、お金をたくさん使うのにお金にだらしない方はあまり良い印象を抱きません。

別に現場全通したりグッズをたくさん集める人全員嫌いという訳ではありません。が、現場行き過ぎたせいで、次のイベント代のお金を親から借りたりするのはどうなの…って思いました。このような発言をしている相互さんを見かけてかなり引きましたしそこからこの人のこと好きじゃなくなりました。趣味お金自分お金で遣り繰りしろよな。


④も2次元、2.5次元界隈ではあるあるではないのでしょうか。イベントってたいがい東京なんですよね。時々関西も少しあって、たまに福岡名古屋とか。アニメイベントだとほぼ首都圏ですね。当たり前ですけど、東京に住んでいる方はイベントに行きやすいですよね。

それに対し地方に住んでいる人は、チケット代以外にも交通費宿泊費もかかって、イベントが終わる時間曖昧だとドギマギしますよね。イベ終わりどうしよう、新幹線飛行機乗れるかな、いや一泊しようかな、夜行バス間に合うかな、最終じゃないと無理かな。とか。財布との戦いでもありますよね。公式よりも交通機関のほうにたくさん貢いでる…?!と気づいて絶望したり。TL見てるとイベントに行きまくる関東組とお留守番地方組とで闇を感じたりしました。

…え?関東に引っ越せばいいじゃんかよって?それが出来たら悩まねえよ!!東京家賃高すぎ!!いや家賃だけじゃなくていろんなもん高すぎ!!


このような事からだんだんTLを追わなくなっていき、裏垢に引きこもりがちになりました。

そしてある日、私は推しの動画付きツイートRTしたのですが、そのツイート主こそが前述したAでした。

私がリツイートした後「RTありがとうございました、もし良ければ相互になりませんか?」という内容のリプが来たのです。突然のことにびっくりした私は、そのままスルーしたのですが、②のようなゆるふあアイコン、そしてその人のツイート雰囲気が苦手で無理で…。

共通フォロワーさんが多かったのでいつかフォローされないように先に自分からブロックしました。


そして、数日後、Aがアカウントを移行した時にフォローされてしまいました。どうやらリプから察するに、少し前から私の事が気になっていたみたいです。フォローされた時はうわ、しまった…と大きなショックを受けたのを覚えていますプロフィール欄も詳しく書かれていなかったため、フォロー返すのやめよう、無視しよう、気づいていないフリをしようと思ったのです。実際それで昔自分が苦手なタイプの人からフォローきても何人かやり過ごしてたし。


ところがそのまた数日後にAからすみません!!!フォローさせて頂いたのですけど!!!」みたいな内容のリプが来てもう恐怖しかありませんでした。ツイート一字一句覚えてませんけど!が異常に多かったのを覚えています


今思えば普通にブロックしちゃえば良かったのにと思うのですが、その頃の私は共通フォロワーさんにAをブロックしたことをAに言いふらされでもしたら面倒なことになりそう…と変な考えを起こし、フォロバ後速攻ミューしました。

これあるあるだと思いませんか。共通フォロワー多すぎる苦手な人にフォローされてブロックしづらいの。

え、ないって?それはすまん。

色んなことが重なって重なって、もう大好きだったこのアカウントやTLが嫌になって、フォローしてる人も嫌になって、気づけばこの俳優さんを好きな気持ちも少し薄れていることに気がつきました。今までと同じポテンシャルでその方を応援できなくなってしまって、すごく残念な気持ちになりました。そしてフォローしてる一部の人に失礼な言動をして傷つけてしまった…。もうこれは本当に申し訳ないと思っているし、人間疲れが重なると言動が酷くなるんだなって痛感しました。

自分と同じ俳優さんが好きな人と繋がって想いを共有したいと思ったのに繋がった人が嫌いになってその俳優さんへの熱も薄れるなんて本末転倒じゃねえか!!くそ!!なんかとても悔しい。なんでこんなことで好きなものが離れちゃうんだろう。


その後私と同じような悩みを抱えていた付き合いの長いフォロワーさんと傷の舐め合いをしたり、やばいそれウケるめっちゃネタに出来るじゃんと励まされたり(?)したのは良い思い出。

この一連の流れから私が学んだことは、

Twitterで誰かをフォローする時はとにかく慎重に!石橋を叩きすぎることはない!

・なるべく年が近い人をフォローする!

(年が離れすぎてると価値観金銭感覚が明らかに変わるので)

共通フォロワーが増えすぎるのは危険複数人とのリプは楽しいがその分リスクを背負うことになる

……てところですかね。

結局今でもTwitterで長い付き合いがあるのは2.5次元にハマる前に繋がった2次元界隈の人ばかりです。

皆様も、TwitterSNSで少しでも疲れたなと思う時は早めに手を打たないと大変なことになりますのでお気をつけ下さい。


ちなみに⑤は、嫌になった方のフォローを整理して大丈夫な方だけ相互を続けていたらこんな感じの状態になってた。相互フォロー関係がいつの間にかなくなって、片方がアカウントを変えて悪口言ってた。これもあるあるじゃなかろうか…


あっちなみにAに前垢ブロックしてたのバレてたみたいです。もう最近ツイッタラー怖い。

※こいつ誰が好きだったんだろうみたいな詮索は呉々もお控え下さいませ。

2016-05-31

母親失格(追記あり)

小学生の娘との何気ない会話で突然、

「痛いのとかいやだから死にたくないだけで、

痛くないんなら別にもう死んでいい」

みたいなことを言われた。

小学生死にたいって。

娘がそんな気持ちになるほど、

生きることにつらさを感じていること。

自分のような者が母になってしまったことに最大級の罪を感じる。


自分も、小学生の時から、楽に死ねものなら今すぐ死にたいと思っていた。

人に馴染めず、劣等感のかたまりで、生きているだけで周りに迷惑をかけていると感じていた。

今でも、困った問題がある度に、

ここで自分死ね解決するだろうかと妄想にふけってしまう。



実際、自殺したら地獄に落ちるとか、

まれ変わって来世で苦労するとか、

そういう宗教的もの自殺を踏みとどまる人も多いと思うが、

自分は信じていない。



人より劣る自分が、

恥ずかしいとか、

情けないとか、

申し訳ないとか、

あと、痛みとか苦しみとか、

そういう生きづらさを感じずに済むことにただ憧れる。



正直、死にたくない人の気持ちがわからない。

もしも死後の世界とかがないとして、

しまず楽に死ねるとしたら、

それでも死にたくないと思えるものなのだろうか?



夫に出会う前、自分結婚とかしたくないと思っていた。

生きていたのはただ、

親を悲しませたくなかっただけ。

親が死んでから自殺しようと思っていた。


そう思っていたけど…

夫に出合い、優しくされ、

この人を困らせたくない、

優しさに応えたい、

がんばって人並みになって、

この人を喜ばせたい…

この人と一緒なら自分は変われるのではないか

そう思ってしまった。



それでも結婚前に何度か別れを申し出たのだが、

「がんばればなんとかなる!」

夫はどこまでも前向きという名の能天気人間だった。




今となっては、そういった類いの正義感や優しさに、

憤りさえ感じる。

人生から逃げようとすれば引き留めて助けるくせに、

なんとかがんばって無難に過ごしていれば無関心で関わらない。



死にたがる人を救っているように見えて、

実は逃げ道を塞いでいるだけで、

問題解決については他人事

がんばればなんとかなるとか言って、

がんばってなんともならなくても所詮他人事




娘が問題行動を起こしたり、

全面的に困った雰囲気の時だけ父親ぶって協力しても、

何気ない日常はいつも不在。

ただでさえ仕事でいつもいないのに、

仕事休みでもひとりで遊びにでかけてしまう夫。

結局は娘はほとんどの時間を私と過ごしてきた。




もちろん、

娘のためによい母になろうと努力はしてる。

回避性人格障害とか、

対人恐怖症ではないかと思う自分を克服できたと感じている。

だけどやはりなにかが人と違う…

それがなんなのかよくわからないけど、

生きづらさがなくならない。

そういうちょっとした世間とのズレが、

娘にまで生きづらさを感じさせてしまっているのだと思う。


つかこうなる覚悟はできていた。

私が返した言葉は、

あなたが死んだらつらいのは自分じゃなくて周りだから

死なれるとつらい。

誰か一人でも、つらい気持ちにさせたくない人がいるなら、その人のために生きて。」

その時は納得してくれた様子で、何気ない会話で終わった。



ただ、このまま生きていて娘が幸せを感じられる日が来るか正直まったく自信がない。

娘はADHDと診断されており、痛みに弱く、ストレスに耐性がない。

何事にもがまんができない。

他人から見れば、なんてワガママな子と見えるかもしれない。

人と話すことを極度に恥ずかしがり、

学校に行くのをいやがっている。




またあるときの会話では、

「私は子供なんて産まない。結婚なんかしない。」と言っていた。

私はそれでもいいと思う。

さらに言えば、

いつか娘が本当に死んでしまいたいと思う日が来るのならば、

自殺したってかまわない、と、思っている。

ただ、苦しまずに楽に死ね方法があるのなら、だが。

娘には、苦しんでほしくない。

ただ、わがまま放題に生きてほしいわけでもない。



けが必要自分を悲観したりせず、

上手に人に助けを求められるようになってほしい、

周りからの助けに感謝できる人になってほしいと願う。



娘が社会に馴染めるよう、全力を尽くしたい。

学校児童相談所病院適応指導教室カウンセラー

思い付くだけの関連施設相談を持ちかけて、

行き着いた方法ペアレントトレーニングであり、

地道に適切な対応を続けていくしかないと思っている。



ただ、あまりにも娘のわがままが収まらないとき

本当にこの子自分から社会に出られる日が来るだろうか、

社会に受け入れられる人物になるだろうかと不安になる。



つくづく、自分結婚さえしなければと後悔する。

口がさけても娘には言えない本音

娘に生きることのすばらしさ、正論を説きながら、

心の内では死に憧れている。



私のような心の弱い人間は、

すぐに他人に流される。

いくら独身の誓いを立てたところで、

優しくされれば心折れる。

子供を生んで不幸にするくらいなら、

やはり親に気遣いなどせず、早く死んでおけばよかったのかもしれない。

(追記)

http://anond.hatelabo.jp/20160604072833

2016-04-22

[]

イカ娘に会いたい

出合い頭に胸をつんつんってつついたらきょとんってしそう

2016-03-29

全米ライフル赤ずきんちゃん

赤ずきんちゃんは、金髪美少女でした。「将来、プロムに誘うならあの子だよな」村のにきび面の男の子たちはそう話し合ったものです。

やがて、平和な村に不穏な噂が流れてきました。なんと、狼団のテロリストが村に潜伏している可能性があるというのです。「愛国者法に基づいて山狩りをしよう」村長がそう呼びかけると、村人たちは松明と銃を手にテロリストを探し回りました。実のところ愛国者法は延長期限切れになって2015年6月に失効していたのですが、そもそも愛国者法がどんな法律か知らなかった村人にはそんなの関係ありませんでした。

やがて、テロリストが潜んでいそうな場所が見つかりました。赤ずきんちゃんのおばあさんの家です。やはり愛国者法に基づいて仕掛けられていた盗聴器から、「モスクがどうたら」という会話が聞こえてきたのです。もしかしたら「モスクワ」と言ったのかもしれませんが、警察署長は自信たっぷりに「証拠は揃った、揃いすぎるほどな!」と断言しました。村人たちの中には「盗聴でわかったのなら山狩りは必要なかったじゃん」と思った人もいましたが空気を読んで文句を言わないことにしました。

警察署長が「さる筋から派遣されたスペシャリストだ」と勿体ぶって村人に紹介したのはほっそりとした少女でした。目深にかぶった白いフードからは見事なプラチナブロンド。そのあいからは氷のように美しく澄んだ青い瞳が覗いていました。「彼女、すげーイカすな。なんのスペシャリストなんだろうな」村のにきび面の男の子ポルノめいた妄想で股間を膨らませながらそう話し合いました。

村の外れにある深い森、その奥へ奥へと白い少女が歩いていきます。やがて廃屋のならぶ集落が見えてきました。ここは開拓時代に栄えていた宿場町だったのですが鉄道が普及するとともに廃れ、ずいぶん昔から廃墟になっています。そんな廃墟一角赤ずきんちゃんのおばあさんは一人で住んでいたのです。こんなところにも老人問題の深刻さが見え隠れします。

白い少女は、おばあさんの家の前に立ち止まりました。ドアは半開きになっており、その前には広口のビンが転がっていました。つまり、ajar半開き)と a jar(広口のビン)の掛詞になってるわけです。そんなダジャレどうでもいいので少女は「おばあちゃん、入るわよ」と言いながらドアをぐいっと開きました。ドアを開ける際にも油断なく左右を伺い、ドアの下部や上部のトラップワイヤーの有無を瞬時に判断するあたり、さすがスペシャリストって感じです。

ドアを開けるとむせ返るような血の匂いしました。「おばあちゃん、すごい臭いね。まるで家のなかで人間解体をしたみたいだわ」そう言いながら白い少女は寝室へ向かいます。寝室に入ると、人型ロボットうずくまっていました。ロボットは「ぼく、いいロボットだよ」と言って高く手を上げて降伏意思表示しました。「いずれにせよあんたは赤ずきんの婆さんじゃあねえな。まあ死ねや」そう言うと少女は懐から取り出したソードオフショットガンで至近距離射撃します。BLAM! BLAM! BLAM!

このソードオフショットガンは、その名前の通り(sawed offは、のこぎりで切り落とす事)、普通ショットガンの銃身を切り詰めたもので、発射直後に散弾の拡散が始まるため、通常のショットガンと比べると有効射程は短いものの、至近距離殺傷力や有効性はむしろ増大しており、更に全体の長さが短くなった事で、屋内などの狭所で扱い易いため、特殊部隊などが屋内に突入する際、出合い頭の戦闘が(敵と鉢合わせする事)多いポイントマンエントリーショットガンとして用いる事もあるのです(Wikipediaより)。

ロボットはしゅうしゅうと煙を上げながら倒れ伏しました。少女は「しくじったな」とつぶやきました。おばあさんの家はいつのまにか一ダースほどの戦闘員に包囲されていたのです。

轟音とともに正面扉が吹き飛びます。おもわずそちらに包囲網の注意が逸れた隙に少女が裏口から飛び出します。銃弾が飛び交うなかをかいくぐり、戦闘員の背後にまわってショットガンを発射します。細身の体に似合わない怪力を発し、崩れ落ちる戦闘員の襟元を掴みあげるとそれを肉の盾としながら敵陣に突っ込みますわずか50秒で瞬く間に敵を殲滅した彼女の白いフードは、今や血でベッタリと染まっていました。その美貌と戦闘力から彼女は「血染め氷壁」と厨二っぽい二つ名で呼ばれていました。「白いフードが血で赤くそまるまで戦闘を止めない」アグレッシブ戦闘スタイルから彼女を「赤ずきん」と呼ぶものもいました。(←これ、書いてて恥ずかしい)

血と肉片で汚れた銃身をフードで拭うと、その銃身に刻まれ文字がくっきりと読み取れました:

In Gun we trust

から血染め少女が帰ると、村ではお祭りの準備がされていました。今日イースターお祭りなのです。血染め少女をみると、村人たちは「Meerica! Meerica!」と叫びました。突然音楽がかかり、村人たちはミュージカルめいて整然と踊り出します。バックコーラスは白い衣を着た聖歌隊です。聖歌隊には有色人種は一人もいません。スポットライトがあたる村の広場の中心に血染め少女が歩み寄ると、先ほどの戦闘で見せた獰猛さを微塵も感じさせない清らかな声で、「アメージンググレイス」を歌いました。

     おしまい

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