はてなキーワード: 冠詞とは
連日のように新しい英語学習アプリの話題がホッテントリ入りするけど、
そもそも語学教育の専門機関じゃない、有象無象のwebサービス屋さんが収益目当てに作るアプリを
なんでそんなに絶賛できるんだろうか。
これとか典型的な例だけど。↓
http://www.yamamototetsu.com/entry/eng-app
まあ、ゲームでもするつもりで何となく英語に親しめればいいかなー?という人でも、
いいかげんな監修によって変な英語を刷り込まれる可能性はある、と考えるべきだ。
(余談だが、しょっぱなから英文法を軽視するような学習方法はあまり効率的ではないと思う。
算数の問題なら、四則演算を知らずに感覚だけで2次方程式や関数を計算するのは時間の無駄だと
誰でもわかると思うのだが、なぜ語学に関しては文法学習が嫌われるのだろう?
中学高校で習った文法の基礎は、必ず最短距離での理解を可能にしてくれる。
身の回りを見ても、この中学高校英語を完全に忘れている人が多すぎる。)
ここから本題の、スマホそのものが英語学習最強ツールだという話。
個人的な体験談に過ぎないけど、手間やお金を掛けない勉強法ではある。
自分の場合、過去20年以上ずっと日常的に英語を使う環境にいてadvancedレベルの語学力だが、
それでも日々、使わないと記憶から消えていってしまう語彙力に悩まされていた。
英字新聞は読むのに時間がかかるし、字幕なしだと映画は辛いなあ、という感じだった。
それが、スマホを購入した4−5年前から劇的に向上した。はっきり自覚できる変化だ。
しかも所謂学習アプリとか、有料のサイトなどは一切使っていない。
ポイントは、「興味のある時事ニュース」を「海外の報道ソース」で、
通勤中でも昼休み中でも、スマホひとつでいつでも手軽にチェックできるようになったこと。
例えば5年ちょっと前、Wikileaksのアサンジが英国で裁判にかけられた時は
傍聴人のジャーナリストが法廷内からリアルタイム・ツイートすることが許可されるという
画期的なことが起きていたので、
海外ジャーナリストやニュースメディアを多くフォローしている自分のTwitterタイムラインには
英語のtsudaり(懐かしい表現)が怒涛のように流れてきた。面白かった。
「アラブの春」が始まる頃にはAljazeera Englishのライブストリーミング・アプリで
エジプトのモルグから反体制派の死体の山を中継したり、リビアで砲弾飛び交う中でのリポートがあったり
日本のメディアでは絶対流れない映像と音声のオンパレードだった。
昨年のパリ・テロ事件では、フランスのニュースの英語放送France 24をアプリ視聴していて
リアルタイムで酷い事件が進行しているのにキャスターたちが冷静で、日本での報道とはかなり違った。
他にBBCやCNN、活字系ニュースならThe Guardianなども頻繁に利用する。
ニュースのライブ・ストリーミングをスマホのイヤフォンで聴くというのは
ヒアリング能力アップに絶大な威力があるなあ...と実感した。
自宅で衛星放送のCNNをTV視聴するのよりよくて、ひとつひとつの言葉が脳に直接届く感じで、
慣れるとどんなに早口で喋られても聞き取れる。
それに各国の英語放送を聴くことで、様々な訛り(アクセント)も聞き分けられるようになる。
仮に知らない単語が出てきてもスペルが想像でき、すぐ意味を調べる習慣もつく。
テキスト系ニュースでは、知らない単語やフレーズを辞書で調べる手間がワンタップなので、
また、そもそも世間で話題の海外ニュースについて、現地ソースから深い理解が得られるというのは
自分の好奇心も満たすし、友人との会話のネタにもなるしでいいことずくめ。
そんなことをやっていたら自然とネイティブとの日常会話でも発話能力が上がり、
「言いたいことが表現できずにストレスが溜まる」ということが減ってきた。
自分は50代前半。中年過ぎても英語力のブラッシュアップは可能だと気づけて嬉しいのだ。
繰り返すけど、スマホを使うようになったここ4-5年で、
残る問題は「英語を書く」ことだが、こればっかりはネイティブに校正してもらうのが一番いい。
(Gingerという優秀な校正アプリがあるけれど、これは中級から上級者でないと
サジェストされた言い回しのどれが正解なのか判断できないのが問題。
実際、Gingerを褒めそやす英語初心者のブログ記事を見かけたことがあるが、
例に挙げられていた英文が滅茶苦茶で破綻しているのに本人が全然気づいていなかった)
「書く」ときには、どうしても自分が知っているフレーズの使い回しでなんとかしようとしがちだが、
同じことを繰り返すと間違ったままで向上しなくなる。
アナル最高!
アヌス学派の連中は肛門のことを、アナルは形容詞だからアヌスと呼べと主張している。
私も、そりゃそうなんだけどアナルの方が一般に浸透してるからなぁ、とアナルを使い続けてきた。
ただ、アナルが間違いなのと同じくらいアヌスも間違いなのではないかと、最近思う。
アナルは間違いだと主張するならば、アヌスに冠詞を付けていただきたい。
アヌスと単独で使うとそれは肛門という抽象化された概念であって、あの生々しい朱色の肛門は連想されないのだ。
あと、発音はエイナスって感じだから、読み方も間違ってる(アナルも同様だが)。
アナルが形容詞だとか文句言うんだったら、the アヌスとでも呼べばいいのか?
前の投稿で、「knowの目的語はthose thoseは"authorities"を修飾してるわけじゃない。」というトラックバック(http://anond.hatelabo.jp/20151012181641)を頂いた。
「those “authorities” pro-fessing to know」の構造がどうしても気になったので、某所でネイティブに聞いてみた。
得られた解答を元にすると、
「those “authorities”」が現在分詞 pro-fessing to knowで後置修飾されてるという理解で正しいみたい。
thoseの品詞は、「determiner」、つまり「限定詞(=《常に名詞の前に置かれる機能語で,冠詞・形容詞的用法の指示および不定代名詞・代名詞および名詞の所有格などをいう》.)
だと教えられた。
thoseは、“authorities”を前から限定しているのであって、単独で代名詞として働いてるんじゃない。
ここから引用→http://ejje.weblio.jp/content/determiner
結局、「those “authorities” pro-fessing to know」は、「(英文法について)理解しきっているつもりになっている(自称)権威者たち」みたいな意味みたい。
トラックバックしてくれた人には申し訳ないけど、「knowの目的語はthose」であると解釈すると、いくつか不自然さがある。
①「those」のみがofの目的語だとすると、関係代名詞 which,thatが省略されていることになる。
省略可能なのかもしれないけど。英文法学者じゃないのでわからない。
②those が knowの目的語だとすると、
those “authorities” is pro-fessing to know
“authorities”を主語と捉えて、is pro-fessing to knowという形にしなきゃいけなくなると思う。
“authorities”が単独でpro-fessingで後置修飾されてると考えると、“authorities”が文章構造の中で浮いちゃう。
「Grammar in Your Pocket Series Introduction」の1節。
S What you learned from your parents 人が親から教わること
V was
C the way words sounded 言葉の発し方、発音
①主語のyouは「あなた」じゃなくて、いわゆる「総称のyou」、一般的に「人」を指すyouだと思う。
②「words」という無冠詞複数形だから、およそこの世に存在する(英語の)単語、言葉全てを指してる。
the way words sounded
→the way how words sounded
→the way which words sounded in
→the way in which words sounded
→how words sounded
注1 your other two sentences = the other two sentences である。
注2 主語 the reasons it wouldn't
ただ、to indicate~は、the meaningを修飾するものじゃなくて、change the meaningした「結果」を示す不定詞だと思う。
the meaningは、「"all over." 」を受けているはず。
https://answers.yahoo.com/question/index?qid=20150904151357AAZyRwY
Best Answer: Short answer: you don't need it because you have the word "all."
簡単な答え:既に「all」という単語が付属しているので、定冠詞theは必要ない。
All of these sentences are correct as they are written without the addition of the definite article.
Adding "the" wouldn't be incorrect, but it is unnecessary and sounds a very awkward.
theを付けることが間違いとは言えない。けれど、不必要な上にとても奇妙だ。
The purpose of the definite article is to identify a specific example of whatever you're talking about.
定冠詞の役割は、あらゆる話題に上った事柄のうち、特定のものを指し示すことである。
In all of your examples, there is no specific example being pointed to, because you're talking about all of them.
全ての例文で、特定のものが指し示されていない。なぜなら、特定のものではなく、「全て」に言及しているからだ。
"The" could replace "all" in some cases.
"The 26 people on board the plane were killed," is correct and means the same thing as "all 26 people."
「The 26 people」は正しく、"all 26 people." と同じ意味になる。
It wouldn't work that way with your other two sentences 注1
, and the reasons it wouldn't might just create more confusion. 注2
For #3, you could write "all of the chapters." In #1, "all of the" would make it sound like there may have been more than 26 people.
③では、"all of the chapters."と述べてもよい。①の"all of the"は、その26人以外にも人がいたかのように聞こえる。
It doesn't work in #2 because "all corners" is sort of a figure of speech that just means "all over."
②ではそういう風には解釈されない。"all corners"は、"all over." (そこいら中, いたるところ.)の意味を持っているからだ。
To say "all of the corners" changes the meaning to indicate that you're specifically talking about the corners,
and only the corners, which Africa doesn't literally have. 注3
In #1, If you were talking about specific ones out of the entire group, you would need to use "the."
①では、全体の中から特定の人達に言及するなら、theを使う必要がある。
For example, if only some of the people were killed on the plane and some were not,
you could use "the" to talk about the ones who were killed.
死亡した人達に、「the」を用いることができる。
"The 26 people who were killed on the plane were all sitting on the left side.
Everyone seated on the right side survived."
In #2, If you were talking about specific corners, you could say,
"the death trail touched the northern corners of Africa."
#3) "There are summaries at the beginning of the first three chapters"
最初の3チャプターには、要約がついている。
②そのトラは(他のトラに比べ)大きい。 →内的限定
theという定冠詞の役割は、ある特別な、特定の、唯一の存在を指すために使われる冠詞である。
外的、内的の前提として、「この世に存在あらゆる種類、あらゆる状態のトラ」(=tigersだな。これは。)の円をイメージする。
この円の外に更に、「動物」というカテゴリーの円(=つまり、animals)をイメージする。
①の外的限定は、動物というカテゴリーの中で特に、「tiger」という「特別な、特定の、唯一」に限定してるんだと思う。
で、結果として、他の動物(ゾウ、イルカ、サルその他なんでも)との対比というニュアンスが生まれる。
「トラ(=tigers)」の円の外との関係で、theの「限定」という本質的意味を受けてるから、これを「外的限定」という名前で個人的に呼ぶことにした。
②は、逆に「トラ(=tigers)」の円の内部で、ある種類、またはある状態のトラに限定している。
tigersの内部である「トラ」に限定しているから、これは内的限定と呼ぶのが俺は良いと判断した。
重要なことは、内的限定にしても、外的限定にしても、theの「特定にものに限定する」という本質が共に生きているということ。
実際のところ、①の外的限定は文語的、抽象的な言い方で、②に比べると実際にお目にかかることは少ないかもしれないけど。
少ないだろうけど、たまに見かけることはある。
例えば、今日のgigazineの記事中に出てくる写真内にある英文。
http://gigazine.net/news/20150908-32-hours-workweek/
The U.S. enproee averages 47 hours of work per week
この「The U.S. enproee」はtheの総称用法のはず。
たぶん、
U.S. enproees averages 47 hours of work per week
っていう無冠詞の複数形でも、アメリカの賃金労働者全体を指すことはできるし、
俺的には、無冠詞複数形ではなく、theの総称用法を使って書いてるのは、
およそ「世界中各国の賃金労働者全て」というカテゴリーの特に、「アメリカの賃金労働者は、」っていう対比のニュアンスを
出すためじゃないかと思ったんだけど。
の、ドイツ語はよくわからないのでいいとして、フランス語はおかしかった。
要するに、北海道を「北」と「海」と「道」にわけて単語を当ててもフランス語の響きにならない。冠詞がないとフランス語にならない。「のーるめーるりゅ」じゃなくて「りゅどらめーるでゅのーる」でないと(ドイツ語として意味が通ってるのかどうかは知らない。英語は冠詞について適当な言語なので、ノース オーシャン ロード、でふつうに英語の響きになっている)。あと、「Rue」はどっちかというと街の小路とかの意味で、北海道の道にあてるならアベニューかルートかなぁ。でも、そういうのをきちんとやろうとすると、2ちゃん的な面白みなくなるなぁ。
ということを思いつつやってみた。ちょっと適当なのもあるけど。
県 | まちがい | ただしい(多分) |
---|---|---|
北海道 | ノル・マリン・リュ Nord Marine Rue (北の海の道) | アベニュー・ド・ラ・メール・デュ・ノール Avenue de la Mer du Nord |
青森 | ブル・フォレ Bleu Foret (青い森) | ラ・フォレ・ブルー la Foret Blue |
秋田 | オトムナル・シャン・ドゥ・リ Automnal Champ de Riz (秋の田) | リジエール・ア・ロトン Rizière a l'Automne |
岩手 | ロシュー・マン Rocheux Main (岩でできた手) | マン・ロシュー Main Rocheux |
宮城 | パラタン・シャトー Palatin Chateau (宮殿の城) | パレ・ロワイヤル Palais Royal |
山形 | モンタニャール・フォルム Montagnard Forme (山間の形) | フォルム・ド・ラ・モンターニュ Forme de la Montagne |
福島 | ジョワイユーズ・イル Joyeuse Ile (幸福の島) | イル・ド・ラ・ボヌール Île de la Bonheur |
新潟 | ヌーヴェル・ラギューヌ Nouvelle Lagune (新しい潟) | (たぶんあってる) |
石川 | ピエルーズ・リヴィエール Pierreuse Riviere (石の多い川) | カイヨー・ド・ラ・リヴィエール Caillou de la Riviere |
富山 | リッシュ・モンターニュ Riche Montagne (富んだ山) | ラ・フォルチュン・ド・ラ・モンターニュ la Fortune de la Montagne |
福井 | ジョワイユー・ピュイ Joyeux Puits (幸福の井戸) | ル・ピュイ・ド・ボヌール le Puits de Bonheur |
山梨 | モンタニャールド・ポワール Montagnarde Poire (山間の梨) | ポワール・ド・ラ・モンターニュ Poire de la Montagne |
長野 | ロン・シャン Long Champ (長い野) | (たぶんあってる) |
岐阜 | フルシュ・オ・コトー Fourche au Coteau (丘にある分かれ道) | (よくわからない) |
栃木 | マロニエ Marronnier (トチノキ) | (たぶんあってる) |
群馬 | トゥルポー・ドゥ・シュボー Troupeau de Chevaux (馬の群れ) | (たぶんあってる) |
茨城 | シャトー・デピーヌ Chateau d’Epine (茨の城) | (たぶんあってる) |
埼玉 | プロモントワール・デュ・ロワ Promontoire du Roi (王の岬) | (なぜ王) |
東京 | エスト・キャピタル Est Capitale (東の首都) | キャピタル・ド・レスト Capitale de l'Est |
神奈川 | ディヴィーヌ・ポム・ドゥ・リヴィエール Divine Pomme de Riviere (川の聖なる林檎) | (よくわからない) |
千葉 | ミル・フォイユ Mille Feuille (ミルフィーユ…じゃなかった、千の葉) | (たぶんあってる) |
静岡 | カルム・コリーヌ Calme Colline (静かな丘) | コリーヌ・トランキル Colline Tranquille |
愛知 | フィロゾフィ Philosophie (哲学) | ラムール・ダンテリジョンス l'Amour d'Intelligence |
三重 | トリプル Triple (三重の) | (たぶんあってる) |
兵庫 | アルスナルArsenal (兵器庫) | (たぶんあってる) |
滋賀 | ヌリサント・ジョワ Nourrissante Joie (栄養のある喜び) | (よくわからない) |
大阪 | グランド・パント Grande Pente (大きな坂) | (たぶんあってる) |
京都 | キャピタル Capitale Citadine (都市の首都、もはや何が何だか) | キャピタル capitale |
奈良 | ポム・ボンヌ Pomme Bonne (良い林檎) | ボンヌ・ポム Bonne Pommeだ |
和歌山 | シャンソン・ジャポネ・ドゥ・モンターニュ Chanson Japonais de Montagne (山の日本の歌) | (たぶんあってる) |
鳥取 | シャス・ドワゾー Chasse d’Oiseau (鳥を獲ること) | (たぶんあってる) |
岡山 | コリーヌ・モンタニャール Colline Montagnard (山間の丘) | (たぶんあってる) |
広島 | ヴァスト・イル Vaste ile (広い島) | グランド・イル Grande Île |
島根 | イリエンヌ・ラシーヌ Ilienne Racine (島の根) | ラシーヌ・ド・リル Racine de l'île |
山口 | アントレ・ドゥ・モンターニュ Entree de Montagne (山の入り口) | アントレ・ア・ラ・モンターニュ Entreé à la Montagne |
愛媛 | エマーブル・プランセス Aimable Princesse (愛らしい姫) | プランセス・エマーブル Princesse Aimable |
徳島 | モラル・イル Morale ile (モラルの島) | イル・ド・ラ・モラール Île de la Morale |
高知 | オー・アンテリジャンス Haut Intelligence (高い知性) | (たぶんあってる) |
香川 | ヌイユ Nouille (麺類) | (たぶんあってる) |
福岡 | ジョワイユーズ・コリーヌ Joyeuse Colline (幸福の丘) | コリーヌ・ド・ボヌール Colline de Bonheur |
佐賀 | スュポール・ド・ジョワ Support de Joie (喜びのサポート) | (たぶんあってる) |
宮崎 | パラタン・プロモントワール Palatin Promontoire (宮殿の岬) | カップ・ロワイヤル Cap Royal |
大分 | グランド・ディヴィジョン Grande Division (大きな分割) | (たぶんあってる) |
長崎 | ロン・プロモントワール Long Promontoire (長い岬) | ロン・カップ Long Cap |
熊本 | ウルス・ヴレ Ours Vrai (本物の熊) | (たぶんあってる) |
鹿児島 | イル・ドゥ・ファオン Ile de Faon (子鹿の島) | (たぶんあってる) |
沖縄 | コルド・オ・プレヌ・メール Corde au Plaine Mer (沖にある縄) | (たぶんあってる) |
やってみたところ、やっぱりドイツ語ほどかっこよくない。結局、構造が英語と似てるからあんまおもしろくないのかも。ドイツ語は何でもかんでも一単語にしちゃうところが厨二病的にいけるのかなあ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。
他国の言語の勉強なんか必要ないなどと馬鹿なことを言い出した。
I am catでいいだろ、という類のことを言われた。
その後の会話でも彼は完璧な翻訳機の存在に疑いを持っていなかった。
冠詞が抜けたことに関しては、とりあえず置いておく。
最も問題なのは本の虫を自称する人間が、一人称である吾輩という言葉のニュアンスを全く気にしていないことだ。
日本語における一人称、俺、私、僕、拙者、我輩などは英語においては一様に"I"になってしまう(例外がない訳ではないが、基本的に)
そのため、ずっと一人称が僕だった心優しい少年が敵に立ち向かう際に一人称を俺に変える展開の熱さや、
ボクっ娘特有の可愛らしさは残念ながら日本語を学んで貰わない限り外人に伝えることはできない。
つまり、何が言いたいかというと、
日本語を母国語にしておきながら、ニュアンスを理解していない馬鹿の分まで
1.
日本語は相の言語で、物と物との関係性を繋いでどういう風に物が集まっているか、という全体像を作り上げる、いわば和集合の言語。
英語は大まかな焦点から徐々に具体像へと削り込んでいく、いわば積集合の言語。
この違いを知っておかないと、英語として成立はしているけど、和集合で出来ている、不自然な所謂日本人英語になってしまう。
2.
英語のもつonの感覚が分かればhaveの感覚も分かる(大体同じ)。
inの感覚を身に着けると、冠詞の使いどころが分かる(inで表現できるものは冠詞が要らない)
3.
日本語でも英語でも「過去形」は「遠まわしに和らげて言うニュアンス」があり、その感覚から派生した語意がある。
ってあたり。