はてなキーワード: 冒涜とは
なんでみんなが叩いているのかさっぱりわからん。むしろ叩くことによって、あの時代の文化の中心点だった花魁を女郎と同格にしてるんだよ。叩いて救ってんのかなんかしらんが、あの当時生きた花魁が蔑まされてんの。
吉原は本当に華やかで、大名であっても花魁にフラれることがあった。金さえ積めば一夜を共にとかじゃないんよ。身売りへの同情のみで無理解に叩くことは、吉原が必死で作り上げてきたブランドとプライドをズタズタにする行為。文化への冒涜。今の尺度で語って、わかった気になって同情するのは、もはや花魁が不憫。彼女らからプライドすらも奪う気なのか?花魁なんだぜ。他と一緒にすんな。
吉原は憧れの世界。お前らがセコセコ行くその辺の風俗店を想像しながら叩いてんじゃねーよ。
こんなことはっきり言って古典落語をかじった人なら当たり前に知ってる。50年前から聞いてきた。まず紺屋高尾でも聞いてこいよ。いい話で面白いから。
セクシー田中さんについて、小学館の倫理観が腐ってるのは今に始まった話じゃない
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d6ab27702c8492ae9e97376ac8ae47b12ac0a30
しかもテレビドラマになっただけで、それほどヒット作がある人気漫画家じゃない人に、
そこまでやってやる筋合いじゃないんだろうな。
以前小学館が出してる本を読んで衝撃を受けたことがあったんだけど、
https://www.amazon.co.jp/dp/4093888175/
これあんまり売れなかったのか、あんまり話題にならなかったけど、
本当にとんでもない内容で死者を冒涜というか、ホラーというか。
多分誰も読んでないから一番参考にされてるレビュー貼っておく。
本当に小学館は、なんでこんな本出していいと思っちゃったんだろう。
Twitterをぼーっと眺めていたら絵描きさんが "創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり"だという旨の発言をしているのを見かけた。
別にその人のことは良く知らないし、その人がその発言をすること自体が悪いこととは思わない。思想は自由だし、その人なりにバックボーンやプライドというのがあるだろうから、そういったものは尊重したい。
でも私はこの言葉をひどく何度も反芻している。何度も反芻している。雪が降って鬱になってるだけなのかもしれないが作業中も何度も頭の中をよぎって止まない。
私は7年くらい前からあるプロの絵に一目ぼれしてそんな絵が描けたらいいなと思って絵を描いてきたのだが、同時にその時くらいから絵を描くことがあまり楽しくなくなったように思う。
たまたま精神や思想、ある程度の技量が成熟する時期と被っただけなのかもしれないが、時期的には、その時のはずだ。
これに因果関係があるのかはさておいて、現状も私は絵を描くことがあまり楽しくない。
一時創作と二次創作の違いだとかいった意見が発生しそうなので一応言及するが、私はここ最近一時創作しかしてない。でも絵を描いてるときは楽しくない。キツい。辛い。
設定を考えたり、ストーリーを考えたりしているときは楽しいが、キャラクターデザインをしているときとか、構図を作っているときとか、本当に楽しくない。
こればかりは断定するが、この感覚の原因は私の不勉強と努力不足でしかない。アイデアが湧かないのは観察力を鍛えることを怠ってるからだし、構図が出ないのも人体デッサン頑張ってないからだ。
創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり。改めて、この言葉を反芻する。
私は終わっているのだろうか。
いいなぁ、キラキラしてて、フォロワー多くて、絵上手くて、いろいろな人から認められて。
私は全然だ、淀んでいるし、フォロワーいないし、全然魅力的な絵が描けない。
でもこれまで描いてきた。他の人より努力するのが下手で質も量も悪いから他の全てを投げ捨てて描いてきた。
楽しくない程度でやめてたまるか。
楽しくない程度でやめるのか?それは、お前、冒涜じゃないか。いったい何人の絵描きが苦しみながら芸術を生み出してると思ってるんだ。
創作的な活動をする人間を美化するから、絵を描く人が減るんじゃないのか?超えちゃいけない倫理を踏み越えるんじゃないのか?
苦しむのも楽しいんだなんて意見があるかもしれないが、それは言葉遊びに過ぎないだろ。
勿論絵を楽しむことは否定しない、好きにやればいい、勝手にして、その素晴らしい表現を続けてほしい。
どうか頼む、私に絵をやめろと言わないでほしい。
あなたよりも能力の低い人が必死に頑張って泣きべそかいてそうやって描いた絵にもきっとその人なりに価値がある。
楽しくないことを頑張ってる人を否定しないでほしい。
結局のとなころ、自殺は悪いことだという差別意識から取り除いていかなければ、安楽死合法化は反対されて終わるだろうな
諦めて死ぬより頑張って生きた方が正しいという価値観そのものを破壊しないと、いつまで経っても物言わぬ死者への冒涜と誹謗中傷は続く
人権だの自由だの言ってるがなんのことはない、所詮は社会にとって都合が悪いかどうかだけで自死という選択そのものを否定しているだけだ
なるほど、たしかにその結果が周囲にもたらす影響は大きいかもしれないが、それを理由にするならそれこそ愚行権の否定だろう
真に人間そのものに価値があると思うのならば、賢き者と愚かな者を分けぬように、生者と死者を分けずに扱うべきであり、死んだその瞬間から単なる無機物として扱うことに慣れすぎてんだよ
社会からの離脱者を徹底的に叩いて貶めて、口ではいくらでも寄り添うような言葉を吐いておきながら、最終的には社会維持のために、その想いそのものを根本から否定する方向にしか話を持っていかないのは欺瞞でしかない
国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。
以下、本文。
インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた
キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!
金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失と絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と
イスラム教圏には
「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?
欲望にかられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と
「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤの神聖なる教えを見失い、英語と数学を肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。
神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と
儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死に勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?
真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化を冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と
仏教圏には「煩悩に囚われ、機械に依存し欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?
仏陀の教えに従わず、無常の理を知りながらにして迷信やドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。
正しい手段で生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と
ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナの奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である。
人の尊厳を軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである。
神々が授けた文化の智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益な努力である」と
今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビが蔓延っている.......」と書かせた
このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーのほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという
なぜかわざわざ詳細な時間を伝えた上で全く間に合わない
例:「あと5分で着きます!」→15分は来ない
おそらく子どものサイズを基準に作られた地下鉄の7人掛け座席に体格のいいおじさんがぎゅうぎゅうに詰まっている。
ドアから離れるなと教育を受けている。入り口はぎゅうぎゅうでも中に入ればスカスカなので、騙されずに乗るといい。
具体的にはコク、旨味、出汁の概念が一切存在しない。味付けは胡椒、唐辛子、味噌のみ。
関東のコメダに慣れ親しんだ人間は名古屋のコメダに絶望し割高なパサパサデニッシュを舐めながら静かに涙を流す。
ゴミと小便を垂れ流す名古屋では道が汚すぎるので酔っ払いが寝ておらず治安がいい。
子どもを教育せずにひたすら増やすとどうなるか、名古屋にくれば全てがわかる。
どこにでもとにかくイオンかイオンに準ずるものを建てないと気が済まないのか、イオンがとにかく大量にある。イオンに脳が毒されて駅ビルすらイオンのような雰囲気を醸し出させてしまう。
最悪。
結局パルワールドの件で燃えているのって、ポケモンのブランディングの影響でしょう。
ゲーム的な面白さという点ではだいぶ以前からポケモンは低評価がされつつあって、批判の一つに組み上げたブランドに胡座をかいている、みたいな話がある。
逆に言えば、胡座をかけるくらいには世界的なブランドとして成立しているわけじゃん。
ポケモンという不思議な生き物について、可能な限り愛らしく隣人として存在し、データではなく友人としての扱いを心がけ、暴力的な描写については極力誤魔化し、ぼかし、触れるにしても悪印象を可能な限り避けるように取り計らってきているわけで。
そのブランディング自体は成功していて、全世界の子供を含めた人々に愛されるコンテンツとして成立しているという点では、本当に稀有な存在なわけで。
じゃあ、そのブランドを真っ向からぶち破るのを見た時、どうなるかってったら「よくやってくれた」と「よくもやってくれた」の二つしかないわけじゃん。
ブランドを愛していた側からすれば、ゲーフリ株ポケ任天堂が自縄自縛で雁字搦めの中でなんとか継続しているコンテンツの禁忌を平然と、しかもわざわざ似せてまでされたら冒涜されたような気になるに決まってる。
ブランドを疎んでいたり、大した興味がない側からすれば、今までぼかされたり誤魔化されたりしたところに真正面から取り組み、しかもゲーム性は(どのような組み合わせであれ)洗練されているのだから絶賛しても足りない。
ブランドの問題なんだから自意識に絡みついてくるし、感情的な反論も増えるのは(正しい訳でもないだろうが)理解できる。
そのブランドを築き上げて来たのはポケモン側なんだから、ある意味予期されていたことでもあって、それが正しい形に結実するのか、あるいは間違った形に結実するのかはこれからわかることだろう。
https://twitter.com/kawanantokasan_/status/1732381993470673148?t=zvLvmuEPmtPdut5ZfUkXTw&s=19
https://twitter.com/kawanantokasan_/status/1732607523864404248?t=LGxV1FJC6pUm-NrBeoVBLw&s=19
週刊誌が『一部報道では「女性ホルモン」を投与しはじめていたとされるryuchell』というネタを使ってカルーセル麻紀氏にインタビューさて、『ryuchellもその急激な変化に苦しんだのではと想像できます』とカルーセル麻紀氏が本人について知らないのに勝手に想像で語ってる記事を読んで、勝手に『主要死亡原因』なる意味不明な概念をでっち上げる人、他人の死への冒涜極めてない?
ある作家のポストを引用するがこの作家に対して何かしらの感情があるわけではなく、絵師と言われる人間に見られる言動への疑問に対する例とさせていただく。
コレは全然違う話だけど、イベントで良く言われるのが「とっても可愛いですね!大好きだから私も真似して描いてみます!」
こう言われて嬉しい人いるのかな?といつも謎に思う
キャラクターイラストを描く作家に多く見られるが、他者の作品が自身の作品に似る、他者が自身の作品に影響を受ける、自身の作品が誰かの作品に似ているという反応をされることに対する強い拒否反応を示す人が多い。
そもそも例外なく作家は幼少期に絵を描き始めてから絵の上達を経て作家活動を行うようになるまで他者の影響の元にスタイルを生み出しているはずだ。
言ってしまえば作家のスタイル、オリジナルというものは他者のコピーの積み重ねに手癖による変化が起こった程度のものであり、絵柄は他者からの借り物と言ってもいいものである。
借り物は言い方としてキツいかと思うが、その作家のスタイルは美術史という連綿と続く歴史の大河の一滴に過ぎない。
他者に影響を受ける事に対してこのように拒否反応を示すのは次世代の文化の発展を邪魔する行為であり、自身が影響を受けた作家に対する冒涜ではないだろうか。
例えばこの作家の絵柄を見ると目を上瞼と下瞼のみ描写し目の左右、つまり目尻目頭を描写していない。
この描き方は日本においては東映動画が「太陽の王子 ホルスの大冒険」で導入してからアニメや漫画に広まったものだ。
東映動画もこの描き方は旧ソ連の「雪の女王」で行っているものを真似たものである。(これは「雪の女王」のDVDに収録されている特典映像で宮崎駿氏が語っている)
ソ連の「雪の女王」を制作したソユーズムリトフィルムの他の作品にもこの描き方を見られるが、一節にはこの描き方は銅版画でインクの付着する面積を減らして印刷時の事故を防ぐ目的で自然発生的に生まれたと言われている。
また、この作家は影や髪の毛質感表現に輪郭線に沿ったハッチングを行う手法を用いている。
この描写方法はヨーロッパの本の挿絵において広く用いられている。
パッと見ただけで描写方法に他者からの借り物の表現を行っている。
自身がそれをしながらこのように他者が自身の作品から学ぼうとする事を拒否するのはいささか傲慢に思える。
このような発言はどういうわけかデザインフェスタのようなイベントに出展していたり小規模なギャラリーでの個展やグループ展でキャラクターイラストを発表する作家によく見られる。
一方、アニメーターや漫画家にはこのような言動はあまり見られない。
漫画家は自身や他の作家の歴史的系譜について研究している人も多いし、評論家がそのような研究を行うことへの拒否感はあまり見られない。
評論家に関しては「私の作風の源流はそこにない」という異論が作家の側から出ることはあるが。
増田は現職に就く前は動画マンをやっていたが、アニメーターにおいても漫画家同様に絵柄やアニメートのスタイルがどこからの影響かを語っている人も多い。
金田伊功氏の影響を受けたアニメーターたちが金田系と呼ばれたりするのがそれだ。
実際、増田がいたスタジオの諸先輩方は自身に影響を与えた先人について語る場面を随分見てきた。
Wikipediaなどはテンプレートに「影響を受けたもの」「影響を与えたもの」という項目があるくらいだ。
絵柄パクなどという言葉があったり、自分に絵柄の似ている作品を他人に取り下げるように求めたりイラスト界隈は不穏な事が随分見られる。
このような態度は後進が成長するのを阻害するし、文化として研究する上で障害になる。
何より作家間にいらない諍いを生み出す原因になるため、考え直すべきだと増田を考えている。
今回Xからポストを引用した作家は美大を出ているが、美術史を学んだであろう人ですらこのように系譜を途絶えさせるような言動を行う。
専門学校卒や完全に独学のイラストレーターや同人作家ではよりこのような言い方は悪いが勘違いが酷い。
『週刊文春』の11月30日号、P.108の単ページコラム『言葉尻とらえ隊』(執筆者は能町みね子さんというライターさんらしい)で、元増田の告発が取り上げられていたよ。
時事報道での言葉尻にツッコミを入れるコラムで文春の記者さんじゃなくてゲストの方が書いてる連載っぽい(伝わるかな…雑誌とかあんまり読まないからさ)。
内容は、まずビッグモーター社の「ゴルフを愛する人への冒涜ですよ」って発言事例から始まり、宝塚のヘアアイロンでの火傷の件を取り上げて、家父長制的な宝塚の体質について論じ、最後に元増田の内容について書いておられた。
「対象への愛」を人質にとって、無給でファンにここまでさせることができる強固なシステムが成立しているのだ。本業である劇団員は言わずもがなでしょう。こんなお茶を濁した会見では終われない。
って、あの会見のことを批判していたよ。
本記事じゃなくてコラムの方でだけども、雑誌に載ったのは同じ。
もしかしたら文春の編集部に反響があるかもしれないよ。たとえば元増田と同じような私設FC活動をされていた人から情報提供とかあるかも? 現場にいた人にしかわからないことはたくさんある。
興味がある人は、本誌を確認してみて欲しいな。あと、私は別に文春の回し者とかじゃないんだけどね。たまたま親が買ってた文春をたまたま読んでたら、あらま、ってもんですわ。
マジ最高。
やっぱ資金力って神だわ。
まあモンスターヴァースってストーリーはあってないようなものなんだけど、ゴジラ-1.0はぶっちゃけストーリーもマイナス評価みたいなもんじゃん?
永遠の0みたいなのを現代価値観でやられてもそれってもう当時の日本人に対しての冒涜じゃん?
「馬鹿で洗脳されやすいから天皇陛下サイコーでカミカゼしたアホの集まりですよ」みたいな事言われてもソレは違うじゃん?
日本という島国があの時代を生き延びるための本気のハッタリじゃん。
生存競争の中でビビって完全に諦めた奴にはもう負けしか無いっていうか。
麻雀でオーラス3位のときに「4位になったら最悪だからガード固めておこ」とかやってたらもう一生カモにされるだけだから攻めるしか無いみたいな。
未来からやってきた人間の価値観を昭和に逆流させてそれで当時をぶった斬るのやっぱ違うと思うんだよな。
潔い。