はてなキーワード: 再版とは
追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。
○増補新版にしか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙なウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない
○弥助の事書かれて無い2017年版大航海時代の日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人が異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど
そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか
そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも
(肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)
○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年の再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。
○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社と協議の上、Amazonに修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。
(後掲岡先生のXより)
アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるから問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。
弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから、普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね。
また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね
なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。
「戦国大名は黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない
かもしれない。
アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授のロックリー先生が、「戦国大名は黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。
しかし、これはロックリー先生のデマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生の名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)
東京大学史料編纂所の准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授のルシオ・デ・ソウザ先生の共著である「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。
屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易に関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)
また、ロックリー先生の著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。
ロックリー先生の著作が2019年出版、岡・ソウザ先生の著作が2017年であることから、ロックリー先生は岡・ソウザ先生の著作を参考に書かれた可能性がある。
つまり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生が奴隷と言い換えてしまったようなのだ。母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。
ちなみに岡先生・ソウザ先生の著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生・ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。
ただ、ロックリー先生の著作は英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。
商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035)
せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。
注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg)
書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミスが発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。
書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。
書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。
ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。
岡美穂子先生によると次の通りだ。
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
岡先生のブログによると、左翼系知識人は日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼は絶対嫌とのことだ。
ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。
弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。
○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。
○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまったからでしょうね。
○「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力をしたことは存じております。
○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外で出版した本のレビューを権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。
ここから、①右翼・右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生の著作は読み物だが、ロックリー先生の努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生は史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身の著作を修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。
著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護の論陣を張っていた。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみにオンラインハラスメントの日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?
ラノベレーベル名乗って無くてもラノベ出してる所はあるしラノベってカテゴライズ自体が後付けだから客観的な指標は無い
作者が謳う場合もあるし作者は意図してないけど出版社がそう取り扱う事もあるし公式には言われてないけど読者の多数が判断してそうなることもある
だからお前の指すそれはラノベじゃねえよっていう議論自体が不毛な所業
これは小中学生でもサクッと読める娯楽小説だなって感じたらラノベって判断でも間違ってないし
ラノベレーベルからハイファンタジーやハードSF出したって構わんのだ
ちなみに昨今は古典文学や古い小説に萌えイラストを添えて再版していることも多いので表紙が可愛い女の子っていう定義はもう当てはまらない
俺もコンビニで箱で買えた
ポケカ転売騒動というか、ポケカが投資になるよみたいな話はひとまずここで終わりを迎えそうで非常に嬉しい
そしてパックをむきたい
それがイーブイヒーローズ発売の5月あたりから1年近くできていなかったので、ようやく日常が戻ってきて嬉しい
2018年11月発売のウルトラシャイニーの時は社会問題化、は言い過ぎかもしれないけど、ポケセンのビル中に列ができる様子がネットでも書かれた
だってウルトラシャイニーは箱買いしてそれを全部カード屋に持っていけば、中身の当たりはずれに関わらず必ず買い取り額がプラスになる、という話だった
過去パックは壊滅して、ポケカを新しく始めようにもなにひとつ買えない、という状況だった
それでも、ブイズGXのスターターキットや、12月発売のタッグボルトなどは、発売日にイオンに行けば普通に買えた
一週間もせずに売切れたりはしていたような気はするけど、発売日に仕事帰りに買って帰ろー、仕事はよ終わらんかなー、みたいなワクワクはあった
2019年に入ればウルトラシャイニーもぼつぼつ再版され、過去パックも再版されて、迅雷スパークを見つけてはたくさん買ったのが懐かしい
そんな騒動はもう終わったのかな、と思い始めた2019年の5月末、エーフィ&デオキシスGXの構築デッキが発売され、そこに入っているプレシャスボールを転売するだけで儲けになる、ということが起きた
お店で60枚カード買って、その1枚(プレシャスボール2枚収録だったから2枚か)をカード屋に持っていくだけで58枚のカードとお小遣いが手に入る現象
で、それから半年、ポケカ品薄はもう過去の話と思っていた2019年11月、サンムーンが終わってソードシールドが始まった
という限定セットが発売された時だった
これもまあ、発売日にポケセンには売ってたんだけど、すぐになくなった
そしてこの中に入っている限定プロモ1枚が、セットそのものと同じ値段以上で売れる、という話になっていた
おいおい、またあのエーフィデオキシスみたいじゃん、とか言っていたら
2021年4月発売の漆黒のガイスト、白銀のランスは仕事終わりじゃ1種類しか残っていない、という事態に遭遇した
あのウルトラシャイニーのころだって、発売日の仕事終わりでパックは買えたんだぞ?
どういうことだ?
と思っていたら、その次に出たイーブイヒーローズは完売でついに手に入らなかった
そこから抽選販売に申し込まないとポケカは買えないという生活が始まった
なんで改善したかというと、ポケモンのカードの封入率が上がって、女の子のイラストのレアカードの封入率が下がったらしい
女の子のイラストのレアカードが50万だかバカな値段で取り引きされるらしく、それが減ってポケモンやボールのレアカードが増えればプレイヤーには影響なく転売ヤーにだけダメージがいく仕組みらしい
「一緒に逃げよう」。私はシノブにそう返事すると、SNSでシノブ以外の同人サークルのメンバーをみんなブロックした。シノブも同じだった。
それからしばらくが大変だった。
「どうして約束を守れないんですか!」
「これまで何か問題があっても、みんなで話し合って解決してきましたよね」
「とにかく定例会議に来てください。逃げないできちんと相談して下さい」
同人サークルのメンバーはサブアカウントを作って毎日代わる代わるメッセージを送ってくるのだった。
「何があったのですか? 大変だとは思いますが、みんなできちんと相談して、早く問題解決する事を願っています」
再版の通販を待っていたファン達からも、どこから噂が流れたのか、こんな励ましのメッセージが次々に届いた。
私も本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、無視するよりほかなかった。
傷口が浅いうちに逃げた方がいい。ここで余計なことをすると、余計に傷口が広がる。
しばらく後、同人サークルのメンバーの何人かは「シノブ・カヲルとは今後縁を切らせていただきます」と宣言した後、シノブと私のSNSアカウントをブロックした。
今日のオンライン定例会議は夜9時から。突然の仕事で遅くなって今は10時。これまでは2時間位掛かるのが普通だったから、もう議題の半分位は終わっているだろう。
しかし、帰宅してPCを立ち上げると、既に会議は終わっていた。
「もう、やめたい。もう、あの会議には出たくない」。
*
シノブは同人サークルを立ち上げたばかりで、今日は同人誌を執筆したメンバー達と打ち合わせをする事になっていた。
私、カヲルも同人サークルを運営している。サークルと言ってもメンバーは一人だ。
「フォトショップ持ってるよね? 印刷所に入稿する原稿を作れるのはカヲルさんだけなんだから! お願い!」
本当は自分自身もコミケ合わせで作りたい作品があって、スケジュールはギリギリ。
でも、何もかも初めてのシノブのこんなお願いに、私も重い腰を上げて手伝う事になったのだ。
「冬コミって今から申し込めば大丈夫?」とシノブ。「締切りはもう過ぎたよ。でも売り子を手伝ってくれるなら、うちのサークルスペースに作品を置いてもいいよ。もし当選したらね」。
シノブをはじめメンバー達みんなも生き生きとして原稿を作成し、薄い本の実物の姿がだんだん見えてくるにつれて、熱狂は最高潮に達した。
そして「マイナージャンルなので、献本分を除き十冊程度売れればいいでしょう」と、その何倍かコミケに持って行ったら、二時間で完売してしまったのだ。
*
しかしそんなシノブが、同人サークルをやめたい、オンライン定例会議にも出たくないと突然言い出したのだ。
これは本当にきりの悪いタイミングだった。
「あの完売した本、私も欲しかったんだけど、再版はあるの?」と何人かに聞かれていて、「今検討中です」と答えていた。
シノブも「通販と、1月の文学フリマ京都や夏コミでカヲルさんのサークルスペースに出す予定です」と答えていた。私からはまだちゃんと「いいよ」とは言ってないのに、ちゃっかりしてるなあ、でもまあいいか、と思った。
リサイクルショップや修理工、マニアショップやフリマアプリみたいに物を大切にすることで産まれる産業もあるよ。
どんどん捨てて埋め立てられて地球温暖化で地球が破壊されたら地球が持たない。
レトロゲーム修理業者やマニア系古本屋なんて物を大切にする文化から産まれた産業じゃないか。
そもそも中古品の流通による企業への資金供給不足による経済の停滞が嫌ならメーカーが再版すればいいだけ。
事実バトルトードみたいにプレミアゲームが再販される事例もあるしニンテンドーオンラインやミニファミコンみたいな擬似的な再版もある。
メタルスレイダーグローリーやラブクエスト、イデアの日が新品で再版されたら高くても買うな。
同人誌は発行者の趣味でやってるものだし、そもそもグレーゾーンの趣味なので「儲け」を優先するものではないけど明らかにたくさんの人が「欲しい」と思ってるその人の本に対し少量しか刷ってない。
コロナの影響もあり実際のイベントがなかなか参加出来ない昨今だけど、コロナ前まではいつも目立って長い列が出来ていた。
他サークルの前も埋めてしまうほど。(当ジャンルはあまり列が出来ないちょっとだけマイナージャンル)
そして今Webイベントが盛んな昨今もtwitterのTLでは「買えた」「買えない」合戦。
そのサークルさんはここ数年このジャンルで活動してるし、そろそろ部数を読めてもおかしくない頃。
また毎回その様に騒ぎになるし、なんだったら複数回厳しい意見のマシュマロが届いていてTL上で返信しているのを見る。
「どうしてもっと刷らないのか?」って。
マシュマロで匿名からその様に攻撃するのを「良し」とは思わないけど、確かに買い手さんを煽って目立とうとしてる様には見える。
「自分の趣味なんだから発行部数は自分で決める!私の勝手です!」と返事してるけど、確かにそうだけどそれで何度も再版してまた即完売してを繰り返し、またそのマシュマロ応戦をTLに流されるのは見てて気持ち良くない。
そもそも今はWebイベントだからまだ良いとして、実際のイベントだと人様のサークルの前を埋める列に対してなんとも思わないのかな?って。
多分少ない部数でサークル参加申し込みしてるから島中配置になる。
どうなんだろう?
コロナの影響でイベントが開催されないせいで、人気同人誌の通販戦争が起きている件について。
凄いもので、人気絵師の同人誌が1分も経たずに在庫無しになって、その事について、
「なんで小数部しか刷ってないのか」とか。「相互、フォロワー優先ずるい」とか。
好きな絵師相手にアホな焼きマシマロ送る馬鹿がでたというTLの流れを見たんだけど、
コレって本当に通販に負けた人間が送ったんじゃなくて、このタイミングを狙った人気絵師の士気を下げたい人間が送ったんじゃないかとゲスパー。
なぜなら、正直、通販にちょいちょい負けている人間としては、たしかにもっと刷ってくれれば・・・と思いもするが、
それよりも、「通販戦争に勝った!」とか、「取り置き有難うございます~!」とか言っている人間の方に嫉妬や悪意は湧くもんじゃないだろうか。
アイツを融通して・・・より、
アイツが融通されているのが許せない・・・とかなる方が自然な感じがするんだが、
愛しさ余って憎さ100倍とかそう言うやつなのだろうか。
あんな焼きマシマロ送っても、人気絵師の気持ちは盛り下がるばかりで、再販してくれる望みを下げるだけなのだが、
(焼きマシマロ送る人間は知能が低そうなので、本当にあのマシマロで再版してもらえると思っている、みずからの首を締めるアホなのかも知れないが)
それよりも、人気絵師の士気を下げて、ひいてはジャンルから撤退して貰って、得する人間といえば、
人気絵師がいなくなったら自分に日の光が浴びるんじゃないかなんて思っている絵師とかの方が可能性が高そうだなぁ。なんて思う。
最近はてなを腐女子が埋めているようで申し訳ないんだけどここしかこういう話をできる場所がない。ごめんね。
他の方の部数の話を見て自分と違うことに驚いたので「びっくりした」と言いに来ました。
簡潔に言うと、「自分はこうなので他の人も似たようなものだと思っていたら、人によってかなり違った」という話です。
私の場合、印刷部数も実際の頒布部数もブクマ数の3〜5倍くらいになります。
二次創作するジャンルによってブクマ数も頒布数も変わるけど、比率はいつもそのくらい。
サンプル数をあてにすると全然足りなくなるんだな、と気付いてからは自分の財布と相談しつつブクマ数の2〜3倍ほど刷ってました。
そんでも足りなかったら再度財布と相談して、可能だったら再版。
みんなサンプルはブクマしないのか、してくれると助かるんだけどな、と思っていました。
が、私がここにお邪魔するきっかけになった、部数について話をしていた方は、
30、80ほどブクマされた本の実際の頒布数が、それぞれ15冊ほどだったそうで。
でも、その小説をpixivに再録したらブクマが4桁もついたらしく。
ブクマ数は参考になんねえ!!と仰っていました。
いやたしかに参考にはならないと常日頃から思っていたけど参考にならないってそっちの方向なのか!!!!!!
人によってずいぶん違うんだなあ。
ジャンルによっても違うのかもしれないけど。
びっくりした。本当にそれだけでごめん。
※フェイクあり。
これは自カプオンリーへの参加を断念した腐女子の嘆きの日記です。
私はアニメや漫画、小説などの二次創作をすること、読むことを楽しむオタクの中で、BL妄想が大好きな人種です。
それもライト層ではなく、本を出したり買ったりする、首どころか頭の天辺までどっぷり同人沼に沈んだ人間です。
※公式に金を落とせというご指摘もおありでしょうが、何か出たら喜んで買ってます。今回は金銭の授受を伴う二次創作の是非は脇に置かせてください。
そういう人種にとって、同人誌即売会は特別なイベントです。同じものを好きな人と本を売り買いし、お喋りできる場だからです。
そんな特別で非日常のイベントの中でも、更にちょっと特別なのが、カップリングオンリーだと思います。
普段のオールジャンルやジャンルオンリーでは、逆や攻め違いのサークルさんも近くにいます。相手にとっても私は逆や攻め違いです。敵ではありませんが、同ジャンルであっても、やっぱり少し違う相手です。
ですがカップリングオンリーなら、同じカップリングが好きな人ばかりで島が作られます。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、お仲間しかいません。天国です。
買いに来る人も自カプを好きな人ばかりです。楽園はここにあった。
7月12日に開催された七夕FES.はそんなカププチオンリーの集まりですが、普段と少し違うことがあります。
それは全てのオンリーが、サークルの投票によって決まったものだという点です。
詳しくは割愛しますが、同人文化を応援しようという目的で、新刊を印刷したり、既刊を再版したりすると、印刷所から「新刊カード」というものが配布される、というキャンペーンがあります。
カードはいくつか活用用途がありましたが、このオンリーもその企画の一つです。
「新刊カード」を投票券に交換して、イベント会場ないし郵送(制限あり)で投票する形式で行なわれました。
このお知らせに、界隈は色めき立ちました。
オンリーはオールジャンルのイベントとは少し違う雰囲気があります。
過去に活動していた移動済みの人や、参入を迷っている人、普段はオン専の人が、オンリーがあるなら、と参加を決めることがあるからです。しかもカププチ。つまり自カプの本がずらりと並ぶ。
これは勝ち取らねばならない。そんな空気になりました。
それでも、新刊や再録本を出したり、再版をかけたり、別ジャンルの友人に譲って貰ったりして、どうにかこうにかカプオンリー開催決定までこぎ着けました。昨年の冬のことです。
この時点では、私を含めて多くのサークルが、この七夕FES.に参加するつもりだったはずです。
しかしその後、状況は一変しました。世界を襲った新型コロナウィルスによる影響です。
春以降、多くの同人イベントが延期・中止を余儀なくされました。
もちろんその他のコンサートや各種イベントやスポーツ等の大会も同様で、飲食店やアミューズメントその他、各方面に甚大な経済的被害が出ました。
夏には収まっていないかという希望的観測も虚しく、現在も新規感染者は増え続けています。
その状況下で、政府から出ていたイベントの開催の制限が緩和されたのが、この七夕FES.の直前でした。
屋内なら最大5000人以下もしくは収容人数の50%以下の、数字の小さい方までなら、感染症対策を取れば、開催して構いません、ということになりました。
私は当然のように、コロナが騒がれはじめるより前にサークル参加を申し込んでいました。
友人たちも同様です。投票を呼びかけた立場上、退くに退けない、という友人もいました。
規制が緩和されるとはいえ、この状況で開催されるのか? 本当に?
仮に開催されたとして参加できるか?
私が行けたとして、友人や買い物に来てくれる人はどうか?
悩んでいる間に月日は過ぎていきました。
主催から感染拡大防止のガイドラインの類いが出たのは、サークル参加申し込み締め切り翌日の6月6日の夕方でした。
そこには、高齢者や基礎疾患持ちの人と、その同居者は来場の自粛を検討してください、という旨のことが書いてありました。あくまで自粛のお願いで、なんら強要するものではありません、というようなことも書いてありました。
今確認できるものは少し内容が変わっています。私も記憶で書いているので不正確でしたら申し訳ございません。ただ、内容的にはおそらく大きな違いはないと思います。
こちらも大人ですから、当然リスクを考慮して判断をします。ですが、腑に落ちない思いがありました。
もともとオンリーは、オールジャンルのイベントと比較すると集客が少ないです。
更に7月は閑散期です。だからこそ、このタイミングにカププチを設定したんだと思います。
これはつまり、人の少ない7月に、試しにイベントを開催してみて、その後の8月の東京大阪のイベントへの対策を考えようとしているのではないかと、そう感じました。
↓の一覧を見ればわかる通り、このカププチが初カプオンリーというカップリングが多くあります。
https://www.akaboo.jp/event/item/ca039.html
処女厨みたいでなんですが、初の自カプオンリー、しかも自分たちの手で勝ち取った自カプオンリーを、とても粗雑に扱われていると感じました。
ここに掛かっているのは端的に言うとお金で、もっと言えば愛情です。情熱です。執念と熱意です。
それらは同人活動の根本的なものでもあると、私は思います。それをないがしろにされていると感じました。
東京都知事から、都民に対し、他県への移動を遠慮するようにとの要請が出されたのが、7月4日でした。
検査対象を増やしたことと、自粛の解除の影響か、東京の新型コロナウィルス感染者が拡大していたので、無理もないこととは思います。
あと1週間で、関東から大阪に、イベント参加できる状況になるだろうか?
友人たちと相談し、どう考えても遠征での参加は難しいこと、3日から一般参加者用の入場チケットが販売開始されているので、出欠の告知は早い方がいいことを確認し合い、このタイミングで欠席のお知らせをしました。
9日、主催から開催直前のサークル参加者宛のメールが届きました。
来夏に12日のカプオンリーの再開催を企画していますとのことでした。
まるで「来年またやるから、今年は諦めろ」と言われている気分でした。
私達が投票したカププチは、今回の無番のこのカププチなのに。
一年後にはジャンル移動している人だっていて、今と同じ情熱の本が出るか分からないのに。
それに、再開催ということは、今回参加者(欠席者含む)もまた申し込みをしなければなりません。
サークル参加費用はそこまで高額でもありませんが、無にするには惜しいお金です。
来夏に、はたして参加できる情勢になっているのかも分かりません。
ここまでの状況で、私はもう、無邪気に喜ぶ気力もなくなっていました。
春に移動した今年の夏コミは中止でしたが、当選サークルは一部分しかサークル参加費が戻ってきていません。それと比べれば、開催された以上は返金がないのは諦めるしかない。
特に私は、主催の自粛要請の対象でも、移動の自粛要請の対象でもありませんでしたから、自分の判断での欠席なのは事実です。
でも、次また開催されるか分からない、行けるか分からない、人が来ないかもしれないイベントに申し込むのは冒険に過ぎる。そう感じました。
会場の写真が上がっていて、そのあまりの「疎」ぶりに乾いた笑いが出て来ました。
ただ、気になったことがありました。主催を心配する呟きが散見されたことです。
欠席したサークルには返金するんだろうから、という内容の呟きを見て、あれ? と思いました。
開催された以上は返金なんてありません。サークル参加費用と手数料は払いっぱなしです。
返ってこないのは仕方ありません。
でも、誰一人返金されていないのに、まるで主催が返金しているかのように誤解されるのは業腹です。
ネット主体で通販メインになるのか、いずれは元の形に戻るのか。
短期的には、8月以降のイベントが開催されるか、あるいは中止延期になるか、その時、返金はあるのかどうか。
ただ、参加申し込みをした人が泣きを見る結果にならないことを強く願っています。
いままでは一冊でも欲しい人の手に渡るようにと通販分余分に刷るも
その余分以上にイベントで余ったうえ通販も思うようにうごかなくて
不良在庫を1年以上イベントで持ち歩くのも恥ずかしくなってこっそり在庫処分したりしてたけど
今回は通販を考えず1回のイベントで完売する量だけ刷ってみた。
そうするとスペースで頒布しているときから心の余裕がまるで違う。
これまでは、この時間でまだこれだけしか出てないとまた大量に持ち帰ることになるなと思いながら
隣を買ってうちをスルーしていく人たちを恨みがましく思っていたけれど
今回は純粋に欲しい人にだけ買ってもらわないと在庫が切れてしまうので
一人ひとりスペースに来てくれる人に全力でありがとうって言えるしむしろ在庫がもつことに安堵感さえ覚える。
通販も残りわずかな在庫をつっこんだら瞬殺し、見事に手持ちがなくなった。
たとえ少部数でも、売り切れるって思った以上に気持ちがいい。
以前出した本もその方式で売り切れる部数だけ刷って、イベント途中で完売した。
そこですぐさま通販分を再版し書店通販した。瞬殺するかと思いきや、書店は長い間残った。
イベント前に返納をかけ、イベントでは再版分まで完売したが、取り置きまで頼んできたサークルも含め感想は1通も来なかった。
前回と今回のことを比べてみて思う。
感想はあるともちろん嬉しいだろう。
しかし、たくさん売れれば感想がいただけるチャンスは増えるかもしれないが、まったく徒労に終わることだってある。
感想をモチベーションにしたり期待するのは健全とは言えない。淡い期待を抱くとがっかりすることになる。
欲しい人にわたるように親切に再版までかけても、さらっと買われて読まれて終わるだけ。そこにコミュニケーションは発生しない。
前回はたくさん売れれば感想が一つでも増えるかもと淡い期待を抱いてしまったために失敗した。
でも、考え直してみると、10部しか売れなくて感想がたくさん来るのと、50部完売したけど感想は一つも来なかったのとどちらが嬉しいかというと、
自分は完売のほうが嬉しいのかもしれない。それだけお金を出してまで欲しいと思ってもらえたということにとても達成感を感じる。
感想は思った通りの感想が頂けるとは限らない。読み違えていたり、やっつけ感想、交流感想、なんだってありうる。
今回は欲しい人全員には渡らなかったかもしれないけれど、目標としていた部数は完売できたのでとても充実した気持ちだ。
原稿に夢中で大した宣伝もできなかったけれど、執筆中からひっそりといいねをとばしてくれたり、会場や瞬殺した通販で新刊を手に取ってくれた方々ありがとうございました。
次の本もがんばります。
という独り言でした。
先日5/25~5/26に開催されたゲームマーケットに行ってきた。初参加で、25日のみ。
気になる物を買って大変満足しているが、初参加で思った「宣伝の下手さ」について話そうと思う。
前置きとして言っておくと
・ヲタク♀
・売り子の経験多数
なので、同人誌即売会と絡めて話していく。
ゲームマーケットにはカタログを購入し、ざっと見渡してから乗り込んだ。
事前準備にサークルカットから気になる所をいくつかピックアップし、更に踏み込んでツイッターやHPなども確認した。その上で乗りこんでいるが、明らかに宣伝が足りない人が多い気がした。
ツイッターやHPを見ても更新日が過去のもので、最新の更新も、その日に何を頒布するのかきちんと書かれていない。
ゲームマーケットは公式HPで宣伝ができるのに手抜きしている人が大変多い。
サークル参加経験者として、イベント前日まで準備している人が多いのを知っているのでよく分かるが、発信がなければ一般参加者は「このサークルに何があるのか」が全く分からないので非常に困る。
なのでできるならきちんと情報発信してほしいし、完売して再版予定がない作品にはそう明記してほしい。過去作品が欲しいと思ってうきうきしながら訪ねて、なかった時の落胆さは半端ではない。
正直ボードゲームはどんなものでもプレイしてみないと面白さが分からないので、新作は一回目より二回目の頒布で売れるんじゃないかと思う。
新作が売れる所は、宣伝が上手だったり、当日のルール説明が上手だったり、何かしら工夫をしているはず。
実際目を引いた所は宣伝をきちんとしていた印象だった。
当日購入したサークルの印象
・ダイマが上手
当日購入しなかったサークルの印象
・スペースに近付いても無言。愛想がなくても良いけどルールも飾ってないのだから説明ぐらいしてほしい
・背面ポスターが小さすぎて何も読めない(A3を横にしたのを二枚並べて飾るぐらいのサイズは読めない)
なお宣伝に重きを置いているので、ゲームの面白さは省いています。
なので自分にはこのゲーム合わないかも、と思ったスペースの話はしていません。
反対に、次回購入、もしくは通販などで手に入れようかなと思った所
即売会って基本的にもう情報社会になっていて、あんなに広いホールを全部回って見て決めて買う、なんてしていたら正直時間がないので、事前に調べるんですよ。ただでさえ試遊とかやってるから、17時まで開催していても全部は難しい。
それでもやっぱり情報収集で抜ける所はある。そのためにフライヤーがあると後で確認しやくて大変嬉しい。
実際に二個ぐらいフライヤーで気になるゲームがあったので、機を見て購入するつもり。
フライヤー配ったりして試遊ゾーンに人を置くとなると、当日かなり人数が必要なのはよく分かっている。売り子とか足りない所あったし。
人員確保にフライヤー用意に、絶対に大変だけどした分は見返りがあると思う。
もし今回宣伝下手だったかもという方がいたら、是非お願いしたい。事前のアピールと当日の設営、本当に大事だから。ゲームが面白くても損してるから。
ほんと誘われたら売り子でも何でもするんだけどな~~~遊ぶだけでそっち系のコネないんだよな~~~十一月も楽しく一般参加してきます。
久しぶりに更新してみようと思う。
友人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。
まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。
それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。
多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。
ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。
本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁や出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。
頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから、純粋に自分が書いたものを褒められることはうれしかった。
私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。
で。
私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。
まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。
それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家のリフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。
手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。
読書も編み物も楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。
甘いものが好きだ。
果物もケーキもクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。
デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。
私の中の小さな私が死んだ。
わたあめを食べに行った。
かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。
また「毒の色だよ」と言われた。
私の中の小さな私が死んだ。
やめてほしいと伝えた。
好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたはあなただから。否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなたの趣味を否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。
まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。
私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。
私は責任の中で生きていて、全てが過去の選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。
もう一人、小さな私が死んだ。
じゃあ、と、振り返ってみたら。
殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。
そんなことはなかった。
こちらからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。
気づいたら、中くらいの私が死んだ。
そうしたらもう、ダメだった。
言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる。
こんな人の傍にいてはいけない、と。
きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。
だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。
後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。
ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。
傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。
調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話の努力もした。
だから、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。
一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。
私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。
「再版の予定があるなんて一言もツイートしていない」というが、現段階における予定の有無に関係なく、今後もし再版されることがあれば、その場合に誤字脱字の指摘は確実に役立つ。
「紙媒体だから」というが、小谷野敦は紙媒体の著作の正誤表を自らのウェブサイトに公開し、随時追加している。そういうやり方もある。
https://anond.hatelabo.jp/20190426211521
文意が通らない部分、口語体が悪目立ちする部分もありますが、指摘はしていません。
なお、当方は校正者ではなく、バイトの面接すら通らない30代の無職です。専門家ではないので校正の質は低いと思います。ご容赦ください。
———
女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。
(はてな匿名ダイヤリーは文章を書くのに許可は入りませんが、「書かせてほしい」はママでOK?)
まぁタイトルの通りなんだけど。
正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。
(「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った話」にしたほうがタイトルと対になりますが、ママでOK?)
筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。
(「報告を送ってきた人」にする? 「当事」は「当時」にする? 「同人上がる」から「同人から上がる」にする?)
小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換が自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。
(「小説同人やってる」から「同人小説をやってる」にする? 「解ってくれる」は後にひらがなの「わかる」も出てきますがママでOK? 「誤字脱字誤変換」は「誤字脱字」にする? 誤字脱字と誤変換は意味がかぶりますが、あえて意味を分けて使ってるのであれば、ママでOKです。「でてくる」とありますが、統一されていないので、「出てくる」にする? 「てくることよくあること」から「出てくることはよくあること」にする?』
そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力はちゃんとしてるつもりだった。
読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。
(「指摘してくる人にも」から「指摘してくる人は」にする?)
いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。
(「いやこれは、」から「いや、これは」にする? 「私が弱小サークルだったので」は修正がいると思われますので、「私が」を取るか、「私のサークルは弱小サークルだったので」にする? 筆者に確認要)
二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンルで活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。
いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルやカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。
(「いままで」は「今まで」で統一する? 「わかっていて」は「解っていて」に統一する?)
誤字脱字誤変換を完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブの更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「なくした」は「無くした」に統一する? 「解る」はママでOK? ”でない神本よりでるくそ本”はかぎかっこでくくり、「でない神本よりでるくそ本」にする? 「くそ本」はママでOK? 不適切な表現ですが、あえて用いるならママでOKです。「2,3ヶ月」は後に出てくる年数表記と統一し、「二、三ヶ月」にする? 「新刊をだしたし」は「新刊を出したし」で統一する? 「ピクシブ」の正式名称は「pixiv」ですが、ママでOK? カタカナ表現でも間違いではありません。「どんな時間の使い方してた」は「どんな時間の使い方をしてた」にする?)
で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。
お手紙にツイッターのIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。
(「ツイッター」の正式名称は「Twitter」ですが、ママでOK? カタカナ表記でも間違いではありません。感嘆符の後にはスペースを入れる?)
その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。
Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレスに感想を送ってくれる人だった。
最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプの感想だった。
(「最初の一通目」は重複表現なので、「最初」か「一通目」にする? 「このやりとりはすごくツボだった、とか」は「このやりとりはすごくツボだったとか、」にする?)
だから私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。
(「感想が嬉しいです。は、」「感想が嬉しいです、は」にする? 「本文のやり取り気に入って」は「本文のやり取りを気に入って」にする? 「そういうたぶん、」は「たぶん、そういう」にする?)
私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。
そこに、誤字脱字報告が記載されていた。
いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。
それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。
ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。
(「ピクシブ」はママでOK? ”すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。”はかぎかっこでくくり、「すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね」にする? 文の語尾の句点は取る?)
だけど紙媒体は印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言もツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。
Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ。
(「わかっていた」は「解っていた」に統一する?)
Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。
読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ。
だから私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんからは特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから。
(「手にとって」は「手に取って」で統一する? 「誤字脱字がありすみません。」は「誤字脱字があり、すみません。」にする?)
きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。
(「そんな風に」は「そんなふうに」にする?)
まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。
(「お察しとの通り」は「お察しの通り」にする?)
私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。
私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「私は自分にできる限り」は「私は自分でできる限り」にする?)
締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。
(「締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、」は意味が通らないので修正要です。「修正作業で遅れてもいいように締め切りは常に早割りを狙って、」にする? 筆者に確認要)
自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。
毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。
友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書きと横書きで印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換は存在した。
そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。
いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。
Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。
でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。
自分が私生活を犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。
これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換を修正して頒布することは、不可能なのだ。
どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。
(「くる」は「来る」で統一する?)
でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。
(「疲れていた私が下した判断が」は「疲れていた私が下した判断は」にする?)
タイトルの一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。
(「ここまで長くだらだら書くの」は「ここまで長くだらだら書くのは」にする?)
私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。
(「感想を送ろうとしてる人が居たら」は「感想を送ろうとしてる人がいたら」にする? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
同人誌は基本的に素人が趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから、同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「商業」は「商業誌にする?)
私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。
(「誤字脱字報告新刊のたびに」は「誤字脱字報告を新刊のたびに」にする?)
こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。
(「でてくる」は「出てくる」に統一する? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
———
全ての誤字脱字は拾いきれていないと思います。
女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。
まぁタイトルの通りなんだけど。
正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。
筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。
小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換が自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。
そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力はちゃんとしてるつもりだった。
読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。
いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。
二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンルで活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。
いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルやカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。
誤字脱字誤変換を完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブの更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル。
で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。
お手紙にツイッターのIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。
その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。
Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレスに感想を送ってくれる人だった。
最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプの感想だった。
だから私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。
私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。
そこに、誤字脱字報告が記載されていた。
いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。
それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。
ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。
だけど紙媒体は印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言もツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。
Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ。
Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。
読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ。
だから私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんからは特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから。
きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。
まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。
私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。
私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。
締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。
自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。
毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。
友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書きと横書きで印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換は存在した。
そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。
いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。
Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。
でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。
自分が私生活を犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。
これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換を修正して頒布することは、不可能なのだ。
どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。
でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。
タイトルの一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。
私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。
同人誌は基本的に素人が趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから、同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います。
私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。
こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。