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はてなキーワード: 再婚とは

2024-10-09

anond:20241008120339

うわあ私の彼氏の元嫁みたいw

こどもがほしかった彼氏はさっさと別居して離婚して私と再婚していま子供一人育てててもう一人妊娠してるけどとっても幸せです♡

2024-10-07

親戚の女性

韓流アイドルが大好きで韓国人結婚して渡韓したら、たった2年で日本に戻ってきてさ

その後いろいろ苦労してやっと離婚が成立したんだが、その後の再婚活動がまったく上手くいかない

再婚寸前まで行ったこともあるんだけどお相手が親戚の戸籍を取り寄せたら破談になったと聞いた

思い当たる点についてはポリコレ的に言えないけど、やっぱりそうだよなぁ……という感じ

2024-10-05

結婚するか悩んでる

私:50代のおばちゃん

相手40代前半のおじさん

お互い独身でもう10年くらい付き合ってる

お互い結婚願望はなく、私は病気子供は望めない

相手にはずっと「かなり年上なのにいいのか他に若い女の子を探した方が、子供も産めるし」と言ってきたが

年上好きで子供興味ない、といわれて付き合ってた

私は自分の年齢と子供が作れないこと、そしてアセクの傾向もあるのでずっといつでも相手が別れを告げてきてもいいように

いつでも身を引けるように、自分環境に彼の存在を大きくしないように、家族に紹介したりなどのつきあいは一切してこなかった

そもそも家族にはずっと彼氏がいないことになっているので私が死んでも彼は私が死んだことすらわからないだろう

ライン以外で繋がっていない

彼の存在は友人にも言っていない

からずっと、彼はいい人なので私なんかよりもっと若くて子供も作れる女性にするべきだとずっとずっと言っている

ただ相手が私がいい、と言ってくれるのでずるずると付き合っていた

 

そんな彼が40過ぎて思うところでもあったのか、結婚したいといいだした

子供別にいらないらしい

お互い多忙の身で、会える時間も少なく、もう一緒に生活して籍を入れたい、とのことだった

理屈は分かるし、一緒にいられるならそれは私も嬉しいのだけど

そうなると一気に発生するもろもろの作業を考えるだけでうんざりしてきた

だが結婚メリットもわかるし、私は一人娘なので介護はいかずとも老後に一緒に生活できる家族がいると助け合えるなと

最近考えないでもなかった

でもだ

私はここで己の醜い感情に気づいてしまって頭を抱えている

彼氏には一切いっていないし、彼氏は私の住所も仕事も親のこともほとんどしらないが、うちは実は……めちゃくちゃ……金持ちなんだ……

ぶっちゃけ私は働かなくても生活出来るのだが、親の金に頼りたくないので平凡に働いている

一人娘なので両親の遺産が入るとしたら全部私のものになってしま

そして年齢的にも私が早く死ぬだろう、と、なると遺産は全部彼氏、そして子供はいいから最終的には彼氏の親戚のものになる

彼氏の家庭の話は私も聞いているが、みなお金には困っているタイプ人達だった

とはいえ彼氏が代わりにお金を払っているとか、彼に無心するというタイプでもないらしい。単にいっては悪いが低学歴収入というやつ。

彼氏含め大卒親族に一人もいなかった。

はいここで汚い気持ち誕生

この人と結婚すると私の親が汗水垂らして働いたお金達は最終的に彼氏家族の懐に入って、生活費や贅沢に使われちゃうのかー……

 

まあそんなこと彼氏には言えるわけもなく

結婚するのなら彼氏がいいとは思っているが

ていうか彼氏結婚して両親にあってもらう、となると我が家経済状況なんてもう家見ただけで一発で分かるわけで

彼氏はおそらく給料は私より低い。

私は一般的サラリーマンの娘的な風情をずっと出してきたし、「金がないからなかなか買えないよねー」みたいに言ってたし、フレンチ

彼氏が奢ってくれたときにはとっても感動して喜んだ

いや彼氏が奮発してくれたことは本当に嬉しかったしフレンチはおいしかったけど、「フレンチはじめてなんだ、マナーとかあるのかな」と照れる彼に

「私も結婚式みたいな場でしかよくわかんないし」とか言ってた。ほんとはけっこう食べてる

彼氏家族が嫌だとかそういうわけじゃないんだけど、金が欲しいとかあんま思ったことなかったけど

私となかよくしてくれて、よく世話してくれる親戚のおばさんになら別に遺産全部あげてもかまわないけど、彼氏に全額あげるのは全然いいんだけど。

旦那のしらん親戚にとられるのってこんな嫌なもんなんだな

いや、そも私が早く死んで彼氏再婚したらその奥さんのものになんのか。めっちゃいやだな

あーーーーどうしよーーーーー

2024-10-02

anond:20230626103415

池澤夏樹プロフィール

本名:福永夏樹(ふくなが なつき)

生年月日:1945年7月7日

出身地:北海道帯広市

最終学歴:埼玉大学理工学部中退

池澤夏樹さんが結婚したのは1972年

相手日本航空キャビンアテンダントをしていた直美さんという女性でした。

この結婚により安価飛行機に乗れるようになった事で諸外国を訪れた池澤夏樹さん。

そして池澤さんが魅了されたのが南太平洋の島々。

後に池澤さんは「マリコ/マリキータ」や「タマリンドの木」、「南の島のティオ」など南の島が舞台となっている作品を発表。

さら谷崎潤一郎賞を受賞した「マシアス・ギリの失脚」も南の島が舞台となっています

きっと池澤夏樹さんは南太平洋の島々で創作意欲を刺激されたのでしょうね。

もし池澤さんが日本航空CAだった直美さんと結婚していなければ現在ほどの評価はされていなかったかもしれません。

そう考えると池澤夏樹さんが人気作家となれたのは妻、直美さんのおかげと言っても過言ではないでしょう。

離婚したが関係は良好?

結婚後も非常に関係が良好だったという池澤夏樹さんと直美さん。

ところが1999年7月離婚しています

ただ、二人には「円満離婚らしい」「離婚後も友人関係?」といった噂があるんだとか。

それならば、なぜ離婚したのか不思議ですが当人達にしかからない理由があるのでしょうね。

なお、直美さんは池澤夏樹さんと離婚後、弁護士トーマス・J・ショーエンバウムさんと再婚

2023年現在は「池澤・ショーエンバウム・直美」としてコンサルティングや講演活動を行っているようです。

へー池澤って母方の苗字だったんだ

2024-09-28

虎に翼を叩いているアカウントって不倫願望の女ばかりなの?

Xで朝ドラの虎に翼を叩いているアカウントが軒並みその比較大河ドラマの光る君へを持ち上げているんだけど。

いや、不倫じゃん…。主人公不倫させてそれを美化させるという、紫式部に対する尊厳破壊にも程があるドラマじゃん。

虎に翼と比べるまでもなく、文句無しの最低最悪、クソドラマだとしか思えないんだが。

モデルの人に対してちょっとでも敬意があったら出来ないでしょ。

同じ改変でも、史実では不倫していてドラマではそれをなかった事にする方向の改変なら理解出来るんだが、どうして逆をやってしまうのか。

で、カーネーションって朝ドラも虎に翼との比較でよく持ち上げられていたのは知っていたけれどその内容はつい最近まで知らなかった。

このドラマ主人公不倫するのかよ…。うわぁ…

まあこっちは史実でも不倫してたらしいけれど、ドラマ史実そのままじゃないんだし改変してもいいところだったのでは?

しかも「周囲から非難を浴びる。気丈に仕事をこなしつつ」って何周囲が悪いみたいに言ってるんだよ。それを言うなら「相手奥さんを傷付けつつ」だろ?

主人公不倫を美化しているのがほんともう無理すぎる…こんなドラマが名作扱いだとか正気かよ。

マジで何なんだろ。どんだけ不倫が好きなの?美化したいの?

真っ当な恋愛ではなく不倫しか憧れられないってちょっとどうかと思う

虎に翼の方も史実では再婚相手奥さんが亡くなった直後に再婚しているから、

おそらくは不倫していたんだろうけれど、そこを改変した虎に翼よりもそのまま描いたカーネーションの方がさら気持ち悪い。

2024-09-24

能登大雨で行方不明になった中学生女子の家庭

輪島中3年の喜三翼音(きそはのん)さん(14)の捜索は23日も続いた。両親や祖父母らも活動に加わり、翼音さんと親しい同級生らが祈るように見守った。

 早朝から警察消防自衛隊重機などを使って倒木や土砂をどかす作業を続けた。父の鷹也さん(42)や母の紗菜さん(25)、祖父母らもスコップを手に、写真文房具などの持ち物が見つかった場所を重点的に捜した。

https://www.chunichi.co.jp/article/962177

喜三翼音(きそはのん)さん(14)

母の紗菜さん(25)

喜三翼音(きそはのん)さん(14)

母の紗菜さん(25)

11歳で出産・・・

どういうことなんだ!?

俺は胸が高鳴るのを感じた。

長男の翔杏(しあん)さん(13)がサッカー練習試合で外出し、鷹也さんは午前7時半に勤務先の製材所へ。妻の紗菜(さな)さん(25)と次女の桜音(みおん)ちゃん(1)は保育所行事に出掛け、塚田川沿いの家に残ったのは2階の自室で寝ていた翼音さんだけだった。

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1526574

更に13歳の息子!?

11歳で子供を産んだとして、うっかりできてしまい愛し合っているので周囲も認めるということはあっても

流石に立て続けに二人目を産むことがあるというのか?

 鷹也さんが2年前に再婚し、ともに暮らす妻の紗菜さん(25)も直後に外出先から電話し、「なるべく高いところに逃げて」と伝えた。翼音さんは「うん、分かった」と応じたが、午前10時には連絡が途絶えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06fe3a735819ad46629b2b3a5151483fffbc51ee?page=1

なんだ、再婚

そうだよな11歳は産める子も多いだろうけど流石にないよな

ハーッ安心したのかガッカリしたのかわからない

2024-09-23

anond:20240923162056

無償労働を投げ捨てて有償労働に切り替えるより、有償労働を投げ捨てて無償労働に切り替える方が楽

例えば育休使ってから元のキャリアに戻るよりも、育休を使う方がイージー

過労の環境からはいつでも逃げられる

家族を養わなければいけない?離婚率も高ければ養育費未払い率も高いし男性再婚率も高い

男性モードチェンジが容易ということだ


2点ダウトかな

労働から降りて家庭に入るという選択肢がないのは事実でしょ

スキルがない1-1面で死ぬ男性には家庭に入る選択肢やゆるい労働結婚するという選択肢がないことも救済がないといえる、独身という立場で比べるなら女性よりはるかに条件いいはずなんだけどね

一回結婚してから降りたり(普通レベルに働けるなら)独身悠々自適選択肢が遥かにイージーモードなのも明らかだけどなぜか自滅して文句を吐き散らすやつが一定数いる

霞が関トランス女性女子トイレ使用許可を出すよう最高裁が命じる

この50代のトランス女性は未手術で男性器を維持し、戸籍上も男性のままだが女性として生活している

職場近くの女子トイレ使用を認めず、多目的トイレ男子トイレ使用者のいない離れた場所女子トイレだけ使用させる運用になっていたが、

それを不服として訴えて最高裁で勝訴

しか現場では、女子トイレ使用不可のままになっている

経済産業省トランスジェンダー女性の50代職員に対し、勤務階から2階以上離れた女性トイレを使わせたのは「違法」と判断した昨年夏の最高裁判決めぐり、同省が判決から1年以上経っても、トイレ制限を続けていることが分かった。

https://archive.md/iRiUa

このトランス女性投稿

トランス男性への品評)

わきまえないトランスジェンダー・霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

普通に膣使ってせくすしていそう。

良い悪いじゃなくて。

https://archive.md/eeios

(手術してないのに女子トイレに入るなと言われ)

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

はいはいちんちん至上主義者なんですね。

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

そんなにチンチンが気になって気になって仕方ないのですね。

それって、ちんちんに対する恋なのかも???

https://archive.md/oWhqk

わきまえないトランスジェンダー・霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

ちんちんがいつも気になって仕方ないのですね。

世の中の普通の人は、女性に見えて女性として生活しているMTFに対して、「この人にはちんちんがついているのか、ついていないのか」みたいなことは気にしません。

https://archive.md/19y77

霞が関ハードコアOL @METI_GID_MtF

日夜、そんなに人の性器を気にされているのですね。大変ですね………。

性器の大きさとか硬さにも気をかけていらっしゃるのでしょうか?また生殖能力とかも?

https://archive.md/1NrNH

わきまえないトランスジェンダー・霞が関にゃんにゃんOL 🙀

‏ @METI_GID_MtF

#どの施設男性器ありの人の入場を許すのかの情報一覧

イオンモール東久留米

ドンキホーテ武蔵小金井

丸井国分寺

西友国分寺

島忠府中店、島忠小平店、ドイト東久留米

ジョイフル本田瑞穂

伊勢丹新宿店、高島屋新宿店、西武百貨店池袋店

そごう横浜店、忘れてた、ヤオコー全店

https://archive.md/GXstT

わきまえないトランスジェンダー・霞が関にゃんにゃんOL 🙀 @METI_GID_MtF

今日イオンモール東久留米行ったよーー

あと、スターバックス西東京新町店にも!!

自分で言うのは憚れるし恥ずかしいが)完パスMTFトランスジェンダーが女性トイレ使っているからね!!!

https://archive.md/FtABd

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

😙✨😜✨😅✨🤤✨🥰✨🙄

✨🏋️‍♂️✨🤸✨🚴‍♂️✨🏋️‍♀️✨🤸‍♂️✨

🙄✨ #キンタマキラキラ金曜日 ✨😘

✨🧘‍♀️✨⛹️‍♂️✨🤾✨🏆✨🐎✨

😲✨😙✨😚✨😝✨😜✨🤩

      ∧_∧    

    O、( ・∀・)O 

    ノ, )    ノ ヽ   

   ん、/  👺 ヽ_、_,ゝ   

   (_ノ ヽ_)

㊗️夏棒🍆

https://archive.md/iiIfZ

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

こっちは数百万円かけて死ぬ気でトランスしているんじゃい。

あんたか戦争ふっかけてきたのなら、受けて立つし、どちらかが殲滅するまで続ける。

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

TERFさんたち、カジュアル喧嘩をふっかけるし、自分には被害が及ばないと考えている。

大間違いなのにね。

https://archive.md/O8rkz

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

私が下ネタ書くとかみついて来るTERFさんたち、たくさんいますけど、

女性ヘテロ彼氏旦那さんがいるのなら、夜はちんぽ咥えて、つっこまれて喜んでいるんでしょ?

ネットでは、やたら性的もの拒否したがる女子中学生みたいな言動をしつつ。

ネットカマトトとでも言うのかな?

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

女子中学生「きゃ~不潔!!!センセー!めてぃ君がこんなイヤらしいこと言っていました」

n十年後、せっくすざんまい

archive.md/p1LbJ

わきまえないトランスジェンダー🇺🇦霞が関にゃんにゃんOL🙀@METI_GID_MtF

トランスジェンダーを排除して安全を確保するように再婚相手排除すればよかったのに。

「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性絶句した「すべてが壊れた日」(現代ビジネス)

archive.md/w8RqJ

2024-09-19

モテ男でも婚活再婚)は難航して、結局ナンパ結婚してた

中学校からずっと彼女切らさず20位で結婚

顔はヤンキー系統だけど悪くなく、運動部でいい成績遺して筋肉もしっかりある

子供もいて正社員20代後半で年収500万

この位のスペックでも、離婚して再婚のために婚活したら苦戦の連続婚活女に苦言呈しまくってた

性格に難があって付き合ってから、とかじゃなくて入口の時点で「女の理想が高すぎてバカじゃねーかと思う」と

「なんだよ年収600万からとか」「歳食う程理想高くなるのなんなん」みたいな

結局居酒屋普通に店員ナンパして、当時19歳の巨乳の子結婚

価値が低い年増が要求が多くて、若くてかわいくておっぱい大きい子の方が付き合いやすいからそっち狙え」とは彼の名言

俺もその言葉大事に胸にしまいながら若い子にも年増にも相手にされずに孤独死しそうです

僕はまあ低スペックなんでしかたないね

2024-09-16

anond:20240916151146

家族・親戚らの境遇

宮﨑は両親のほかに姉妹2人がいたが、彼らに対して「お前たちも死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせ手紙殺到した[61]。長女は勤めていた会社を辞め、既に結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。事件後に宮崎の両親はいったん離婚し、母親の姓で再婚した[57][62]。

父親の弟2人も退職した上、長弟は持っていた会社を妻の名義に変更し、5つの会社役員を全て辞職。次弟には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかいから」と妻を説得して離婚、娘たちは妻に引き取らせた[63]。母親の兄の2人の息子は警察官高校教師であったが辞職した[64]。背景には週刊誌暴露された影響があったと言われる[65]。

父親自殺

家族は宮﨑の逮捕から1年後に引っ越した。宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したが父親はこれを拒絶。4年後の1994年父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りをつけると、東京都青梅市多摩川にかかる神代橋 (水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。

作家佐木隆三父親自殺を「現実逃避であり、被害者家族を顧みない行為である」と非難した。佐木はほかに私選弁護士をつけるよう要請してきた宮﨑を拒絶したことについても批判している[66]。私選弁護人を選定しなかったことで国選弁護人が選ばれ結果国費が使われるからというのがその論旨であった。宮﨑の父親には私選弁護人をつけるだけの経済力が十分あり、佐木は父親への批判として「家庭における父親の不在」というキーワードを挙げている。

父親とかねてから交流があり、事件後も父親とのコンタクトを定期的に続けた新聞記者は、「この事件を通して、加害者家族は罪を犯した加害者以上の苦痛にさいなまれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている[67]。

宮﨑の父親は、自分糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、まったく関係のない自分親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞したりすることを余儀なくされていることに苦悩していると、インタビュー言及していた[68]。

2024-09-12

私も鬱病になってみたい

タイトルの通り。

客観的に見てわりと辛い半生を送っているにも関わらず、鬱病どころか心療内科にかかるような症状がまるで無い。

症状が無いことが症状です、と言われたら納得してしまレベル

でも泣きも笑いもするし、日々楽しいし飯はうまいセックス気持ちいからやっぱりなんも悪くないんだと思う。

正直自分も心の病気とやらになってみたい。

日々辛いことがないわけじゃない。でも病的な症状にならない。なぜだ。不幸度が足りないのか判定して欲しい。

辛かった(はず)の半生

  • 親への送金
    • 母親要望に応じて送金してる
    • ぶっちゃけ給料の半分以上を送金してた時期もある(別居)
    • まぁでも送金やめたらのたれ死んじゃうし。それは寝覚め悪いからやだ。
  • 不妊
    • 病気というか体質というか微妙なセンのとこだが原因アリで妊娠は難しいという診断
    • 女としてマジ欠陥品

こんな感じ。

あらためて書いてみると子供時代のことはどーしよーもないし、大人になってからは運良く仕事途切れたことは無いし、金はまぁ親にとられなきゃもっと資産築けただろーけど生活に困るほどは全然困ってないし、やはり鬱病になるには不幸度が足りないのかもしれん

2024-09-11

anond:20240910164351

うちのお父さん(一人っ子)は、

父親(じいちゃん)が死んだあと、

齢60超えにして、初めて自分腹違いのお兄さんがいることが判明してて

わいめちゃワロタ

じいちゃん再婚だったんだよね

特に遺産とかなんもないのでもめたりはしなかったっぽい

虎に翼は批判絶対さな信者ワラワラと沸いてきて本当に気持ち悪いな

とりあえず自分主人公の娘と、主人公再婚(事実婚)相手の子供達が可哀想過ぎて到底これを賞賛するのは無理だと思った

2024-09-10

娘の誕生日を一緒に祝えない元夫

娘が行きたいと言っていたレストランで、誕生日を祝ってやろうと思った。

娘の誕生日が別れた元夫との面会日にかぶりそうだ。

帰ってきてから、連れていけばいいかと思ったけど、元夫も誘ってやったら喜ぶだろうなと思った。

でも、私には再婚予定の彼氏がいる。

もし彼氏が嫌な思いをしたらと考え、誘うのをやめた。

不倫をして、最終的には離婚を選んだ元夫よ。

君は喜ぶ娘の姿が見れなくて、悲しくはないのだろうか。

いや、元夫自身が娘を祝ってやれば、それですむことなんだろうが…

大きなプール、はじめてのキャンプ浴衣をきてお祭りに行く。

楽しそうにする子供の姿を見ていると、君はここにいなくて本当によかったのかい?と思ってしまう。

彼氏子供ことをよく考えてくれている。

きっと大丈夫だと思うし、幸せにしてみせる。

元夫のことが時々気がかりだ。

いつになったら、気にならなくなるのだろう。

早く時が過ぎればいいのに。

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-09-06

anond:20240906053646

ADHDと違って、ASDには効く薬とかもないから、精神科医療は役にたたない。最近就労移行支援を行う企業も増えてるから、そういう企業社員は「ぜひ、ウチでと弟さんの就労サポートを!」と引き受けようとするが、本人にやる気がないとそれも難しい。

弟本人より、お母さんが自信を持って好き勝手に行動してもらうように働きかけるのが良いと思う。

再婚でも旅行でも趣味でも氷川きよしの追っかけでもなんでも良いから、弟さんが、ニートで居続けるためにお母さんにかけてる呪い(練炭ロープあくまで表面で、もっと沢山ある)を突っぱねれるように、弟さんのことを無視して、増田はお母さんに子育てが終わったらチャレンジたかたことを聞いてみて、それを応援することからはじめたら。

anond:20240906053646

ADHDと違って、ASDには効く薬とかもないから、精神科医療は役にたたない。最近就労移行支援を行う企業も増えてるから、そういう企業社員は「ぜひ、ウチでと弟さんの就労サポートを!」と引き受けようとするが、本人にやる気がないとそれも難しい。

弟本人より、お母さんが自信を持って好き勝手に行動してもらうように働きかけるのが良いと思う。

再婚でも旅行でも趣味でも氷川きよしの追っかけでもなんでも良いから、弟さんが、ニートで居続けるためにお母さんにかけてる呪い(練炭ロープあくまで表面で沢山ある)を突っぱねれるように、弟さんのことを無視して、増田はお母さんに子育てが終わったらチャレンジたかたことを聞いてみて、それを応援することからはじめたら。

anond:20180803201454

昔付き合ってた女性写真の加工・・・・さすがにこれは引くw。SNS時間がかかりすぎる。友人や知り合いに紹介してもらえ。喫茶店スナックママでもいい(ウチの親父はそれで再婚した)あとな、早朝の散歩コースで60代以上のオジオバがたくさんいるはずだ。あの人たちと仲良くなって紹介してもらうという手もある。朝5時ごろからうろついてるよ。

2024-09-02

anond:20240902230223

男女のカップルがそんなに長く添い遂げるもんかね

同性婚すら許されず婚姻歴が何年続いたかという公的統計も取れない同性愛槍玉にあげるけど

ノンケ歴代彼女は何人~彼氏は何人~離婚した~親権が~再婚が~って別れまくりじゃん

男女のカップルが別れないなら共同親権あんなに大騒ぎしないだろ

アホらしい

2024-08-31

anond:20240831093200

伴侶や子供再婚理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする

いい歳こいてくたびれた子持ちのおばさんが再婚なんてできるわけないと思うんだけど何故かその辺を楽観視してる話が世の中には多くて理解に苦しむ

人生意味なんてあるのか by 負け組中高年」の意味ちゃんと伝わってないな―と定期的に感じる

本当の命題は、「毎日仕事で嫌な思いをして、休日家族サービスのために連れ回され、特別趣味もなく、子供や伴侶から特に好かれている感じもなく、身体も少しずつだめになっていき、昔楽しめことも少しずつ飽きてきた。生きることで得られる幸福度は下がっていく一方だけど、仕事で求められる責任や面倒くささはドンドン増えていってる気がするし、かといって楽な仕事をすれば「年齢の割にこんなショボイことしかしてないのか」と冷ややかな目を向けられ結局辛い思いをする。進歩する技術や変化するルールについていく能力も失われ、ただただ生きるということに必死にならなければいけない。こんなにも辛い思いをしてまで生きるほどの価値が今の人生にあるのか?表層をただ眺め回しただけでは、毎日苦痛釣り合うだけの幸福毎日得られているなんて思えない。人生の深層にはなにか素晴らしいものが埋まっているのだろうか?私がまだ気づいていない生きるに足る何かが。そういった妄想にすがることでなんとか日々の無聊を慰めてきたが、いい加減ただ苦しくて退屈で先の見えた人生なんて終わりにしたほうが幸せな気がしてならない。

死んでしまえば今ある日々の幸福は失うが、同時に今ある全ての苦痛から逃げられる。

生き続ければ日々の小さな快楽を得られても、同じく日々の苦しみを味わい続けることになる。

表面上だけで電卓を叩けばプラスマイナスに勝っていると思えなくなったこ人生、それでも何か、まだ死ぬべきではないと思えるものがあるのだろうか(なお、住宅ローン子供養育費については十分な貯蓄があり、伴侶や子供再婚理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする)」

なんだよなー。

ここがちゃんと伝わってるとは思えない回答が多いんだよな―といつも考えてしまう。

それをギュっと圧縮するなら「死ねば全てが終わるが、生きれば全てが続く、続けるだけの価値がこの人生に残っているのか?」って言い方のほうが正しい気がするんだよねーといつも思ってしまう。

2024-08-30

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-08-28

多様性なのに東出昌大さん再婚叩かれる

多様性多様性いうてるのに

パートナー複数いる」っていうのに文句言う人多いのなんでやろね。

例えば妻がセックス拒否で何年も我慢させられ

他の女抱いたら浮気浮気と責められる。

君らもうちょっと想像力働かせて寛容になったら?

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