はてなキーワード: 内装とは
まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメのファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。
ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章の目的だ。
『うらら迷路帖』は2017年の冬クールにアニメ化された作品で、原作はまんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。
同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。
たくさんある。
キャラデザがかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。
OPの曲がかわいい。脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。
大正ロマン風の舞台設定がいい。建物や内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。
占いの番付によって入られる場所が制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラのリストラも自然にできる)というシステムになっているからだ。
なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作である『けいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。
『けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。
『ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術をテーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラの個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験をテーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。
ところが、うらら迷路帖の場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。
男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。
ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌え。いかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。
あと、占い師の番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。
占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないかと個人的には思っている。巫女服という制服(萌え要素)があるし、エロ漫画やエロゲーで培われたオタク独自の巫女文化があるからだ。
ようするに関係性萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。
メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム?
このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からわからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」
たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器はベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器はふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器のキーボードというのもまたそれっぽい。
たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノは困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店のバイト仲間。ちがう喫茶店でバイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。
ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人中100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすいものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。
ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。
佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたりは佐久に惚れこんでいる。
正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。
『うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。
しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列の作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系の雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。
日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現(趣味的)であることがほとんどだ。
『うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり、萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。
ストーリーがおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろいものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。
もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白。道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。
きれいなキャラ、きれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーもののエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界そのものがおかしかったりすることがほとんどだと思う。
これはおまけ程度の難点だけれど、ネットで無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ・亜人・メイドラはそんなことなかったのに)。
ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。
もちろん、男の興味を引く題材、関係性萌えの構築、ストーリーの希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信に積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。
それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。
※追記
ごちうさには、ちょっとしたからかい(ちょっとした毒)をしかけてくる千夜がいるし、青山ブルーマウンテンという駄目人間もいるため、キャラがきれいすぎることはない。
日常系というのは基本的にはストーリーを入れないジャンルだ。ただ最近はストーリー要素のある日常系も増えていて『New Game!』はその唯一の成功例。『New Game!』はいろいろとうまくやってるからストーリーを入れても大丈夫だったんだけれど、その「いろいろ」を語ると長~くなるので割愛。
そんなことはない。百合要素がほぼないのが『うらら迷路帖』で、百合要素たっぷりなほうが『このはな綺譚』。日常系ファンはちょっとした違いに敏感になる。
ka5me 自分は不必要な性的描写が多かったことだと思う。おなか見せられてまあ喜ぶんだけど日常系やライトな百合に求められている事じゃない。不必要なパンチラが単に下品と思われるのと同じ。
これは正論。でもおれ個人としてはもっとエロ推しでもよかった。後の方になるほどエロがなくなっていくんで、エロ要素も中途半端だったんだということにこの指摘のおかげで気づいた。やるなら徹底してエロくする、やらないなら一切やらない、という制作姿勢は大事。
いや、むしろきらら枠以外で『うらら迷路帖』を受け入れてくれる枠があるのかどうかが疑問。極端な話だけど、たとえばジャンプに連載されたとしたら確実に10週で終了だ。
好みに合わない理由というよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ。さすがに型なしになってるよ」ということを長々と述べさせていただいた。
shiju_kago ”ストーリーがある”が悪い理由というのもすごい話だが、一昔前のテンプレ以外やってはいけない時代劇がその位置にいたのかもしれない
ひと昔前の時代劇と日常系との共通項という発想がおもしろい。でもおれは時代劇のことがまったくわからないんで残念だ。
a-charin 私は女だからか占いも成長してくのもすごく楽しかったけど、あの唐突なエロが邪魔だったなあ。そういうのは個人でやるから表舞台では普通にしててくれ!やるならもうちょい自然にやってくれ!って毎回思ってた
女性向け日常系という道もあったのかもしれない、と思わせてくれる指摘。やっぱエロは余計なのかあ。
たまゆらはよかったよ。
dowhile 大成功した。話は以上だ
気もちはわかるけど(好きなアニメが人気が出なかった経験はアニメオタクならだれにでもある)、現実を見ようよ。
msdbkm "占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ" シンデレラガールズに藤居朋というアイドルがいましてね
アイマスは765のキャラを知ってるくらいでほとんど詳しくないんだけれど、そのキャラは占い師属性以前にアイドルじゃないか。占いは副業(おまけ)、本職はアイドルって感じなんじゃないの?うらら迷路帖の彼女らは占いが本業なんだよ。
他人の作ったコンテンツを「失敗した」とか断じて論じようとする人は一切信用できない。これが長年ネットしてきて得た知見ですわ。[……]「自分の審美眼に適わないから失敗」と言い換えて個人的な好みとの差異を詳述しているだけでしょ。
個人的な好みというよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ」ということを書いただけであって、おれ個人の審美眼なんてなにも関係ない。むしろキャラデザはいいと思っている(本文中に書いているよ)。『うらら迷路帖』を三話まで観てもらえれば書いていることを理解はできるよ(賛否はあるだろうけど)。
あと「他人の作ったコンテンツを失敗したなんて言ってはいけない」というのは基本的にちがうと思っている。つまり、どんな作品であってもさまざまな人びとが関わっていて努力しているのだからの悪く言ってはいけない、批判もしてはいけないということなんだろうけど、そんなのは馬鹿げている(評論家は観た作品を全部褒めないといけないのか)。成功した作品の成功要因について話していいのに、失敗要因は話してはいけない?そんなことはない。
どんな作品にもクリエイターたちの想いがこめられている。そのすべてが成功してくれればいいんだけれど、成功するのはわずかで、残りぜんぶは失敗だったり、微妙な成果だったりする。それが当たり前だ。成功を語ることもあれば、失敗を語ることだってある。それも当たり前のことだとおれは思うよ。
つーか、長年ネットをしてきた(自称)くせに、観たことのないアニメ作品の批判文を読んで(全部を読んですらいないらしいけど)「個人的な好みでしょ?」とか憶測で書き込んでしまって、あげく人格否定まで書いちゃうあたりどうなのよ。長年って何年?二年くらい?まあ、あれだ、このチーズは二年くらい蔵に寝かせて熟成させてるんですよ~、とか言われたら、二年!へえ長いですねえ~って返事しちゃうもんなあ。二年って長い。おれが十年弱ネットを見てきて得た「雑学」のひとつに「ネットは人を賢くしない」というのがあるんで、あなたの「知見」のほんの隅っこほうにでも入れてやってください。あと差異とか審美眼みたいなちょっとむずかしい言葉をあなたは使わないほうがいいよ、弱く見えるから。「違い」「好み」でOK
ケース1
父親が亡くなって料亭をやってけない娘が頑張って頑張ってなんとかしようとした状況を、通りすがりの主人公が「こんなのは料理ではない!!」「メニューも内装も外装も全て全てダメだから俺が変えてやる(娘ガン無視)」って勝手に娘の料亭を自分の料亭に変えたり
メニューのアドバイスとか娘の意見を取り入れているならいいんだけど、ほぼ全否定。
ケース2
ちょっと良くない扱いされただけでこいつ悪人!断罪!お前ら死刑!ざまあ!!私はおめえらと違って幸せになりました!!
法治国家であってくれ
ケース3
ヒーローが主人公に優しくする描写で何気に増田ならDV判定される発言を良くする。でも主人公はなあなあで絆されて怒らない。
性格が悪いキャラが他のキャラに怒られればいいのだけど、なあなあで暴力暴言ヒロインを放置してると速攻で萎える。主人公の都合を全く考えないヒロインを主人公は好かないでくれ!!君はそんなやつだったのか?!
ファンタジー小説だけにしとけば良いのに変に拘りなく恋愛描写を入れるから、作者無自覚のサイコパス主人公になったりするんだ。……恋愛のないファンタジーが読みたい。
この時期、いやこの時期じゃなくても人気なもの
それが生牡蠣。
でも、生牡蠣に対する人々のイメージは「おいしい」「あたる」「あたる」「あたる」
と、あたると考えている人が圧倒的に多いのだ。
僕は「生牡蠣が1280円で食べ放題」という驚きの情報を掴み社内に共有した。
世の中にはこのようなリスクを挙げ、生ガキを食べない人がいる。
私はこの考えはあらゆる人生の機会損失につながっていると思う。
生牡蠣を食べることで想定されるメリット・デメリットを一度整理したい。
・メリット
おいしい😋
やすい😍
ノロウィルスにかかるかもしれない💀
お金が減る💸
そして、これらの成立する可能性を「確実」か「不確実」で分ける。
・メリット
おいしい:確実💯
やすい:確実💯
ノロウィルスにかかるかもしれない:不確実❌
お金が減る:確実💯
ここで見てほしい。彼らが恐れているノロウィルスにかかる可能性は
不確実なのだ🤔🤔🤔🤔🤔🤔
加えて、挙げたメリットの2つはすでに享受できることが確定している🙂
一方で確定しているデメリットは1点だけ。
お金が減ることだけだ。
この時、言えることは
最善の状態では、「おいしく」「やすく」生牡蠣を食べられ、1280円だけ「お金が減る」
生牡蠣の美味しさとやすさは、ノロウィルスで寝込むデメリットを上回ることは確かだ😉
なぜならメリットは生牡蠣を食べるその瞬間だけではなく、思い出となりずっと続くからだ🤓
人間は記憶をし、その出来事を追体験することのできる生き物である。😇
僕は1年前に生牡蠣を食べたがその味や店の内装、そして友人との話を4割はおもいだすことができる🤓...く💁🐚😋デリシャス
人々は記憶を持っている。
体験は一過性のものではなく記憶という形でずっとのこる無形財産だ。
それは食べ物と違ってなくならない。
いつでもその価値を発揮できる。
博物館は昨日もやさまでみたイタリアミラノのドゥオーモみたいな内装してて、もろにテレビの影響受けてる夢だった
仏像とか絵がたくさんあった
日本でよく見るようなのもあった
でもそれ以外の展示品が不気味だった
仏像っぽい絵・像なんだけど、肩から上がボウリングのピンみたいな形してて、細長い顔してる
普通にまっすぐ立ってる絵・像ならまだいいんだけど、
それが横向きに倒れたりしてるのもあって、どうも見てて不安になる感じだった
隣にいた妹に、これなんかおかしくない?不安になるんだけど・・・って言ったけど、
別にふつう・たいしたことないと言われたのでなんとなく不満に思った
岸は草原が30度くらいの角度で海?川?に接してて、結構角度は急だったけど、
物事の不規則・不釣り合いにエロスを感じるのは、人間の性癖なのか僕の性癖なのか。
彼女がする友人の話の中に、彼女自身の話が混ざっているような気がした。
自分の彼氏のために援交をしている友達の話は、詳細が詳しすぎたのだ。
周りの客が僕らより後に来て、先に帰っていった。
それでも僕らは人のセックスの話をやめなかった。
この会はまたあるってことかな、その時は君はどんな恰好をしてくるんだろう。
勇気も自信もなかったのだ、去年に当時の彼女にフラれた時からずっと。
当時の彼女との関係が怪しいときに、その女の子が相談に乗ってくれた。
この会もその約束の会だった。
当時の彼女のようにもう誰も傷つけたくないとかいう最低にくだらない考えもあった。
そういや年明けていた、と思った。
何もかも僕は去年で止まっていた。
日にちの感覚も無かった。
進む気持ちもなかった。
君はもう2018年で生きているの。
僕はまだ2017年で止まったまんまだよ。
もう諦めなきゃね。
新型車用のアルカンターラ内装を発注してキャンセルして発注して納期繰り上げたら東レが切れて2000台前後で供給終了して現行車と新型車の今年頭からの新規生産分が全部網目地の布で納車されてるらしい
新型だけじゃなくて現行もオプションパッケージ入れても網目地で生産されてるのが現物確認されてアルカンターラがなんぼのもんじゃいと掲示板がちょっと騒ぎになってる
テスラの車はオンラインでのBTO直販とアウトレットのみで代理店扱いなしなので注文時にはアルカンターラ内装で宣伝して入金されてるけど仕様変更に関して納車時や公式の説明はないらしい
一応サプライヤがテスラの高い基準を満たせなかったくらいのことは言っているらしい
注文時と納車時で構成がどんどん変わってるのはいつものことだけどあからさまにサプライヤにキレられてグレード落とすのは珍しい
運転席側Aピラーにでかい亀裂が入ったボディが塗装されて組み上げられて納車された後で発覚して特にリコールとかはしなかった事件とか
ダブルヒンジガルウィングが走行中に突然なめらかに開いてうまくロックしなくて購入者が返品しようとしたけど揉めた事件と同じくらいかそれ以上には珍しい
外食のコスパはどれだけ腹が膨れるかに非ず。そんなに腹膨らましたかったら白米にごま油と塩かけてむさぼっとけって話。
にある。
なにも、オシャレな店がベストだといっているのではない。
合コンで良く使われそうなコピペしたオサレ感のあるお店なんて論外だ。
食事で連れていくと、うすっぺらい田舎娘以外からはセンスないと内心で思われるから気をつけろよ。
良いお店は、シチュエーションによって変化する。気の置けない友人となら、よっぽどボッタクリのお店とか、マズイとか、そんなんでない限りどこだって良いだろう。磯丸水産とか。
とはいえそれでは元も子もないので、ここではシチュエーションをデートと想定して「コスパ」について語っていきたい。
フォン・ド・ヴォーから作られたブフ・ブルギニョンなんて何時間も煮込むし、居酒屋で人気のポテトサラダだって自宅で作ろうと思えば手間がかかる。最近人気の刻んだいぶりがっこ入りポテサラなんかも手間かかっているな〜って関心する。あと、原木から削るハモンセラーノも最高。自宅だと多すぎて手にあまるし、初心者だとうまく切れないからね。
学生バイトがメインのお店はやっぱりどこか残念。良いお店って本当に良いんだよ。
お客さんに恥をかかせないためのさりげない気遣いや、豊富な知識、会話が盛り上がってないカップルに会話のいとぐちを与えるような話題の提供などなど……この店に来てよかったなと思わせる技術がすごい。
雰囲気。
客層が多種多様すぎるのだ。学生たちがだべってたり、ゲラゲラ騒いでいたり。照明が明るすぎるのもネック。まったく良いムードにはならない。面倒なのでソースはここには書かないけど、距離を縮めたい相手となら照明の明るくないお店の方がよいらしいよ。
常連同士の会話を楽しみたいという目的でないのであれば、隣の席と距離がある方が良い。落ち着くから。
個人のプライベートな会話も「隣の人に聞かれるかも」と思うと話しにくいものだ。
あとは、自分たちの年代、懐具合が同じような客層の店の方が落ち着けるだろう。
若者が年配ばかりの店に行っても落ち着かないし、ある程度の大人が学生たちの多い店にいても辟易するのは目に見える。
ちなみに、食べログなどの紹介文で店自らが「オシャレな」「スタイリッシュな」「女子ウケの良い」なんて御託を並べている店はだいたい地雷だと思っていい。
ここまでツラツラと書いたが、たくさんの店に足を運ぶことで自然と良い店とは、どんな店かわかってくる。それまでには、ハズレだなと思う店に合うことも多いだろう。そんなときは素直に、軽く1杯飲んだ後「別の店行こうか」と提案しても良いのだ。
有名な「このマンガがすごい!」とか何アレ。オトコ編とオンナ編でしか分かれていない。ただの書店員のオススメ漫画見本市でしかない。
アメリカ見てみ?映画産業や音楽産業が文化だって誇り持ってるからアカデミー賞だってゴールデングローブ賞だってグラミー賞だって事細かにさまざまな部門に分けて賞を作って選考している。尖った感性の作り手もちゃんと正面から拾い上げて審査しているのだ。
Wikipedia参考にアカデミー賞にどんな部門があるか見ていこう。
録音賞
衣裳デザイン賞
特別賞
このように総合的に一番良かった作品を決める「作品賞」の他に、ちゃんと映画の技術を評価する賞がいくつも存在しているのだ。
しかし、日本の漫画賞には漫画の技術を評価する賞がいまだにない!
だから「この描写方法は誰々が発祥」など起源議論がネットで耐えない現状もある。
アカデミー賞に当てはめて、日本漫画アカデミー賞を作るとしたら、各賞はこんな部門になる。
美術賞…優れた背景・小道具・大道具・機械美術、デザインに贈られる賞
短編漫画賞…20ページ以下で完結する優れた短編漫画に贈られる賞
衣裳デザイン賞…優れたキャラクターの衣装デザインに贈られる賞
長編ドキュメンタリー賞…50ページを超える実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
短編ドキュメンタリー賞…50ページ以下の実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
キャラクターデザイン賞…優れたキャラクターのデザインに贈られる賞。
ノミネートされる作品はその年に発表された回、その年に終わった漫画。ただし長期連載漫画の場合は「○○編」といった形でのノミネートや、「ちょうど○○が告白して区切りがついたから第○話から第○話までのエピソード」という形での年またぎノミネートも認める。よって前年までに候補になった回は落とされる。
もちろん本家アカデミー賞と同じく、一つの作品が複数の部門でノミネートされて五冠、六冠取ることも想定している。
漫画は立派な日本文化なんだから漫画技術を評価するために、漫画出版社は漫画アカデミーを立ち上げて今すぐにアカデミー賞の選考を始めるべき。
詳しくはココ。
→2枚のガラスの間に断熱性の高いアルゴンガスを封入したサッシ。ドイツではシングルガラスのサッシが禁止されて久しいので、もう複層の方が安い。歴史的建造物の復元とかでシングルガラスが使われるときはなかなか手に入らんで大変とか聞いた。
・外断熱というのは具体的にどういうものなのか
→簡単に言うと建物の躯体を断熱材ですっぽり覆うもの。外の気温の影響が小さくなるので躯体自体の温度の上下幅が少なくなり、夏涼しくて冬暖かくなる。躯体が雨風に晒されないので寿命が劇的に伸びる。木造日本家屋でも外張り断熱の技術が完成している。
→複層やと、アルゴンガスの断熱性で内側のガラスが冷えないので、結露しない
・湿気に強いってところ
→内断熱やと、夏に冷房で躯体の内側に結露するので、湿気がどんどんたまって、内装がカビたりダニが繁殖しやすい。外断熱やと、内外の温度差は建物の外にあるので、内側に湿度はたまらない。ただし、断熱層と躯体の間に通気層が必要
→縁側があって広くひらく開口部があって通気性を大きく取るのが日本の家屋という先入観か。外断熱は夏に弱いという誤解か。ともかく、北海道では夜のうちにストーブが切れることは凍死を意味する時代もあったわけで、チョー切実な問題やったてことやねん。と言っても、北海道ですらあんま分かってない建築士も多い。技術屋とは建築士や設備設計士のことです。
・一体日本のどこなんだ
・あとFITというのも俺は初耳で
→自然エネルギーの固定価格買い取り制度。feed in tariff。風車とかの設置費用が高くて普及しないのを解決するため、風車で作った電力をペイする金額で一定期間高く買い取ることを約束する制度。必ず儲かるのでバンバン普及→規模の経済が働いて風車が安くなる→さらに風車が増える→…。ただ、高く買い取る分を誰と誰がどんな割合で負担するか決めたりとか安くなっていく分を正確に見積って適時に買取価格を下げたりとか大変。
朝の数時間のみ経営という特別感に惹かれて知り合いとともに来店。店内の清潔感は普通。雰囲気は悪くないのだが照明がきつく、朝に来ることを前提で考えた場合ミスマッチといえる。店主の接客態度も悪くはないのだが、陽気かつフレンドリーなため、これまた朝にはキツいし、合わない人にはまるで合わない。
料理はというと、メニューは日替わりかつ店主の気分しだいなので当たり外れが大きい。さすがに飲み物くらいは普通のも用意しておいて欲しい。メニュー名も言葉遊びを多様していて洒落臭い(回文らしいのだが、後半部分が言葉として成立しておらず意味不明。これを回文だと言い張るのはライトノベルを純文学と言っている様なもので、喉に小骨が刺さったような気持ちになる)。
結論としては決して大衆向けの店とはいえないし、その枠組みから評価しても下から数えた方が早いと思う。近所に住んでいる馴染み客が利用するならばまだしも、僕たちみたいに遠路はるばる朝から足を運んでまで利用すると確実に後悔する。この店に行くのを提案したのは僕だったのだけど、週末の朝から来てくれた知り合いに申し訳ない気持ちになった。
なんだこのレビュー。
他はどうでもいい粗探しばかりだし、俺たちをまるで被害者扱いのように書いているのもどうかしている。
「こんなの、ほんとに参考するやつがいるのか」
「別に不思議じゃないだろ。要は“格式と権威”だよ。どこぞの三ツ星レビュアー組織もやっていることだ」
そういった組織の調査員は日々決まった食事をとることで味覚に確固たる“基準”を作る。
料理を的確に分析できるよう舌を鍛え、マニュアルによって“格式”を評価するんだ。
その評価基準を俺たちが共感できるかはともかく、単なる個人の感想とはワケが違う。
「タイナイはただ自分の気の赴くまま飲食店を練り歩いているだけだ。そんな個人のレビューに権威なんて持たせたらロクなことにならないぞ」
「厳密には個人の意見じゃない。ネットってのは大衆文化だからね」
「尚更ロクなもんじゃない。大衆に傾倒して意思決定をすれば、バカな結論を生みやすい。何も考えていないのに自分の考えだと錯覚し、無駄な自信だけはついてくる」
「言いたいことは分かるけど、それは僕の管轄外だ。あ、次の店に着いたよ」
弟はというとタイナイに乗せられて、次から次へと心にあるのかないのか分からないようことを言い続ける。
「恐らく、この料理をよく食べる人間であるならば、そのこだわり含めて舌鼓を打つのかもしれないけど、俺たちは初めて食べる人間だ。材料も聞いたことのないものばかりでイメージが湧かないし、如何に拘りぬいて作られたか力説されてもよく分からない」
「ここの料理は作り手のこだわりが強すぎる。味付けが濃い料理が良いとは限らないように、こだわりの強い料理は独りよがりでしかない」
「素晴らしい意見だ」
「俺たちはこだわりの結果生まれた“料理”を食べたいわけだけど、別に“こだわり”自体を食べたいわけではない」
「ははは、こりゃ名言が出たね。マスダ、君の弟はレビュアーの才能があるぞ」
俺には二人の言動が批評の装いをしているだけで、まるでゴロツキのように見えた。
さしずめ“批評ゴロ”だ。
そして、当日。
「ごめんね、週末の朝早くから。最初の店は朝のみの経営だから、どうしてもこの時間帯からじゃないとダメなんだ」
タイナイの言葉で引っかかったのは、その店のことよりも“最初の”という言葉だった。
この時点で嫌な予感が漂い始めていた。
「で、ここが目的の店、『竹やぶ焼けた』だ。第一印象はどう?」
「“どう?”って……注文どころか、まだ店の中に入ってすらいないのに何を言えってんだ」
俺と弟は、タイナイに導かれるまま店の中へ。
「はいーいらっしゃいー。3名さまね、好きなところ座ってー、すぐにおしぼりとお水持って来るから!」
店主らしき人が陽気に出迎えてくれた。
喋り方からして女性だと思われるが、イマイチ見た目で判別がつきにくい。
「うん? この水……」
「分かる~? アセロラを絞ってみたの! ビタミンCたっぷり。なんとレモン数十個分なのよ。でも“レモン何個分”って今日び権威が疑われる謳い文句だから逆に伝わりづらいかもね。うふふ」
「はあ……あの……」
「そうじゃなくて、メニューは?」
「日替わり一品しかないから、メニューは用意してないの。シェフの気まぐれよ! つまり私の気まぐれ!」
「……そうなんですか。ちなみに今日は?」
「『かなり毎週来た滝う油脂いまり中』。上から読んでも下から読んでも『かなり毎週来た滝う油脂いまり中』」
「は?」
「メニュー名よ。じゃあ、なるべく早く、なるはやで持ってくるから待っててね」
タイナイは店主が厨房に向かうのを見届けると、俺たちに話しかけてきた。
「で、意見を聞きたいんだけど」
「この時点でも言えることはいくらでもあるだろ。例えば店の内装とかの雰囲気とか、接客態度とか」
「ふむ、弟くんも」
「うん」
「それじゃあ何の参考にもならないよ。もう少し真面目にやってくれ」
そんなこと言われても、わざわざ口に出すほどの感想は俺にはなかった。
だがタイナイに奢ってもらう手前、ちょっと無理してでも捻り出さないと。
「えーと、そうだな。ちょっと照明がキツいような気がする。あとキツいといえばあの店主だな」
「あー、なるほど。弟くんはどう?」
「う~ん、悪い人ではないと思うけど……あまりお近づきになりたいタイプではないかな。ましてや朝とか特に」
「ほうほう、なるほど。やっぱり二人を連れてきて正解だ。すごく参考になるよ」
タイナイがやたらと頷いているが、本当にこんなんでいいのだろうか。
俺は不安になってくるが、弟はというとタイナイの反応に気を良くして、どんどん意見を盛っていく。
「何というか、ところどころ洒落臭いよね。この出てきた水とかも、正直これだったら普通の水にして欲しい」
「メニューだってそうだ。何だよ、上から読んでも下から読んでも同じって。しかも意味不明な言語で、言葉遊びとしては酷い出来だ」
「あ、こっちの出し巻き卵は美味い。付け合せの漬け物はビミョーかな」
「ふむふむ、弟くんの率直な感想は参考になるよ。マスダは何かない? ほら、このカルパッチョとか」
「いや……俺、ナマの魚介系はダメなんだ」
「なるほど。メニューが店主本位だから、こういう弊害が発生すると言いたい訳だ」
そんなつもりで言ったわけじゃないんだが、そう解釈するのか。
お気に入りの喫茶店は勿論色々な所へ探しに行くのも好き。そしてたまにはカフェにも行く。
レトロな雰囲気の喫茶店とは違い、洗練された現代的な内装に身を置くのもたまには良いなーって思う。
会社の飲み会で両隣が社内でもトップクラスの卑屈野郎達に挟まれた時、休みの日何をしているのかと聞かれたので、
「喫茶店で本を読んでます」と答えたら酒が入っているせいか「おしゃれぶるな」ということを言われてうんこぶっかけてやろうかと思った。
どうせインスタ映えとか○○女子とかそんな情報を見て言っているのだろうけど。
でもさ、単純に喫茶店とかカフェとか内装が素敵な空間で静かに過ごしたいじゃん。そこでゆっくり本読みたいじゃん。
もう!まったく!
ちょっと解説しとく。書いてみたら日産を擁護する論調になったけどまあいいや。
■おまえ誰だよ
少なくとも、今回の検査問題と商品の品質には関連がない。「完成検査」と「品質」をごっちゃにしている論調が散見されるので、そこを修正したく増田を書いている。
いま話題の「完成検査」は、安全に走るための最低基準をクリアしているかどうかを判定する工程であるが、現在の技術水準でこの基準を下回る車両が発生することはゼロに等しい(10/22追記:だから完成検査がなくても良い、にはならない)。「品質」は、承前の完成検査をクリアした上で、さらにその上の次元の、塗装が綺麗とか、耐久性が高いとか、ドアとボディの隙間が何ミリ以下だとか、そういう各社の独自基準の話。
例えばブレーキ検査。できたての車両を、ローラー台という地面がくるくるまわる台に載せて、車両を擬似的に走らせる。ブレーキペダルの踏む量と、減速具合(負の加速度)が既定どおりに相関していれば完成検査合格、ということになる。で、このブレーキの踏む量と減速具合はどちらもコンピュータが計測していて、自動的に判定が出る。認定検査員だろうと、補助検査員だろうと、ネコが踏んでいたとしても、判定にゆらぎは出ない。検査はコンピュータが判定しますということを国交省に届け出て、国交省もOKを出している。
■じゃあ何が問題なの
10月18日の出荷停止の前と後ろで問題を2つにわける必要がある。
■まず、前の問題。
既報の通り、検査は各企業で所定の講習を受けた認定検査員がやらないといけないということになっている。この検査員は国家資格の自動車整備士と違い、社内認定制度にすぎない。で、この制度のいい加減なところは、認定検査員になるための難易度が企業でかなりばらつきがあることだ。個人的予想だが、日産はこの認定検査員になるための講習の難易度が無駄に高く、検査員の確保に苦労していたのではないか。そうでなければ日産だけで問題が起きた背景の説明にならない。この予想が正しければ、日産の自爆ということになる。
翻って。せっかく苦労して取得した認定検査員の資格でも、やることはブレーキを踏む、ハンドルを回す、それだけだ。判定はコンピューターが下す。じゃあ何のための認定検査員制度なのか、ということになるが、正直私にはわからない。だから、この制度のない海外向け日産車については今日も問題なく出荷されている。
上記の事情を知るジャーナリストは、日産ではなく本制度に批判の矛先を向けていた。国交省もその自覚があり、問題の早期収束を狙っていたと思われる。
■後の問題
しかし、10/18の「その後も認定検査員以外が完成検査に紛れてました」は承前の「100%大丈夫です」という会見に対する裏切りになってしまった。
超トップダウン型経営の日産で、なぜ最高経営者の指示が徹底されなかったのか?社長は会見で「課長と係長のコミュニケーションのギャップが原因」と言っていたが、その人的ミスが本質ではなく、そのミスを呼ぶ物理的or人員配置的な要因が存在していたと推測する。報道されている内容を整理すると、こうだ。
一般に車両は、「プレス→溶接→塗装→内装→エンジン組み付け→検査」の順に進んでいく。当然、完成検査は最後の検査工程で行われていると思うだろう。しかし、生産効率を極限まで引き上げた結果、検査工程の一部が、各工程の間に挟まって飛び地状態になることがある。この飛び地の部分の対策が漏れていたということらしい。これは国交省も気がついていなかったために、問題の表面化が遅れる要因になった。実際のラインは「完成検査」で定められた項目以外にも、多数の社内基準の「品質検査」が入り込み「完成検査」と「品質検査」は複雑なまだら状態になっている。このうち「完成検査」は「認定検査員」が実行しないとアウト(でも海外向けならセーフ)、ということになる。マインスイーパかよ!
なので、現場の社員が確信犯的に完成検査を蔑ろにしていたわけではなく、
社員「えーと、エアコンスイッチの検査OK・・・と、じゃあ次はウインカーのスイッチっと・・・」
国交省「あ、いまおまえウインカーのスイッチ触ったな!ここは検査ラインじゃないけど、実はそれ完成検査の一部で、おまえは違反の幇助をしている!」
社員「ナ ナンダッテー!! Ω ΩΩ」
という感じなんだと予想する。初手で工場を止めてでも飛び地になった検査ラインの調査と集約をすべきだったし、経営陣は問題の大きさを見誤った。
*繰り返しになるが、それで検査ラインを集約し認定検査員を揃えたところで検査精度は集約前と変わらない。
■じゃあどうしたらいいの?
うーん、どうしたらいいんでしょうね。。。
某知事の「安心」と「安全」は違うんです!に通ずるものを感じている。
■10/21追記
誰も幸せにしないガラパゴスな制度の問題を指摘してきたので、翻って日産を擁護する論調に聞こえるが、この論理展開ではなぜ日産"だけ"で問題がおきたのかの説明ができない。既に個人的推測は書いたものの、真相はわからない。第三者調査の結果待ち。
■10/22追記
私が推論した検査員養成について、日経テクノロジーオンラインに言及がある。10/23までは無料閲覧できる。
http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/feature/15/122200045/102000180/?P=2
養成期間は2ヶ月。私の知る限りでは長いほうに入る。だだ、それをもって日産で問題が起きた(日産以外で問題が起きなかった)原因とするには論拠が乏しい。
どこに行くか何を食べるかは、インスタのタグ付けで探す。
行ったところや食べたものは、加工してインスタに載せる。
「インスタに載せたいから、〜に行きたい」そういう動機って本当にあるんだ。フィクションかと思ってた。
例えば、「コーヒーが好きだから、評判のカフェに行きたい」ではなく、「コーヒーは好きではないが、内装が可愛くインスタ映えするから行きたい」そういう風に行き先を決めたりする。
いまここにある誰かや何かの関心・興味ではなく、インスタの向こうの誰かを意識した行動。そういう価値観は私にはなかったから、ただただ新鮮だった。
(余談であるが、国境を越えるはずのインターネットやSNSが、リアルな繋がりをより強固なものにしていることも興味深いと思う。)
彼女が一眼レフを買ったのも、猫が好きなのも、カフェが好きなのも、子どもが好きなのも、インスタに映えるからなのかもしれない。
最近スマホでぽちぽちブログをラウンドするのが趣味になっていますが、はてなブログの人たちは結構会社を辞めていてびびります。
工場の工員や僕のような肉体労働、職人が多いですが、会社を辞める人は少ないです。
都会にいってフリーターをやったりスーツ職で頑張ってる人もいますが、ブログでくっていくとか、ユーチューバーでくっていく人は全然いないです。
友人のほとんどはユーチューブで稼いでいる人は芸能事務所に勤めていると思っています。みんな趣味であげているのだと言っています。
だから、ブログで退職してフリーでくっていく、などの日記があると、もしかして都会では会社がなくても稼げる仕事があるのか? と不思議に思います。
アパートの大家になる!起業する!ビジネスをする!飲食店を開店する!とかならわかりますが、そういった事でもないようなので、まじで不思議です。
それはどうやって誰が給料を払っているのか。田舎では信じられない話ばかりです。
アフリカ人ですらスマホで決済してるのに、日本の田舎はおわってます。
気になったので、一応、書いておきました。
近所のインドカレー屋がとても美味しい。
カレーの種類が多く、セットだとどれでも選び放題だ。
が、客がいない。とにかく客がいない。
12時に行ったら貸し切りだった。私にカレーを出したあと、シェフは通路をじっと眺めて過ごしていた。
店を出る時に「来てくれて本当にありがとう、また来てね」とナン度も頭を下げられた。そこまでしなくていいのに。
こんなに美味しいのにナンでお客さん入らないのか。
心当たりがひとつあるとすれば、内装がナンとも言えない感じでショボいことだ。
インド風とはまるで違う。カフェっぽくして失敗してダサくなっちゃった感じ。
でもそれだけなんだ。飯は美味いのだ。
近所にできた美味い店をみすみす潰すのは惜しい。