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はてなキーワード: 共同幻想とは

2021-10-25

なぜ彼女他人とせっくすしてただけで嫌な気持ちになるのか

論理的に突き詰めてよくよく考えるとよくわからない。

 

彼女出会ったとき、すでに彼女処女ではなかった。

お互いこれまで何人かのパートナーがいたし、それを了解したうえで付き合い始めた。

中学生でもあるまいし、当然だ。

ポイント1:彼女過去他人セックスしていたが、その事実が嫌な気持ちにさせることはなかった。

 

付き合い始めた当初は会うたびにセックスしていたが、しばらくすると必須事項ではなくなった。

年のせいもあり、毎回やるのは体力的に厳しかった。

それでもいっしょに料理を作ったり、ゲームしたり、旅行に行くのは楽しくて、セックスがなくても二人で時間を過ごせることに幸せを感じていた。

ポイント2:2人の関係セックスは不可欠ではなかった。

 

親と子の間の絆にセックス不要だ。

親友との絆にもセックス不要だ。

親子愛や友愛セックス抜きにも成り立つように、男女の間の愛にもセックスがなくてもいいんじゃないか?

たとえばお見合い結婚する人はセックスする前に結婚してしまってその後何十年も連れ添ったりする。

たとえばパートナー障害があったりして、体力的にセックスできない体であっても結婚する人たちがいたりする。

巷のセックス信仰恋愛至上主義に踊らされた共同幻想なんじゃないか

と、このころからなんとなく思ったりしていた。

ポイント3:セックスがなくても愛は成立すると思いはじめていた。

 

先日、知人から彼女浮気してるらしいことを告げられた。

なぜ教えてきたのかよくわからない。

良かれと思ってなのか、正義感なのか、はたまた嫌がらせなのか。別に知りたいと思ってなかったのに。

それを知った後、なぜか彼女と会いたくない気持ちになった。

他人セックスしてる事実がなぜか私を嫌な気持ちにさせた。

 

過去セックスが不問で、現在関係セックス必要なわけでもなく、セックス至上主義なんて恋愛脳に侵された現代人の暫時パラダイムに過ぎないと喝破していたはずなのに、なぜ嫌な気持ちになってしまうのか。

所詮私も恋愛至上主義洗脳された現代人に過ぎないのか。

2021-10-08

吉本隆明

吉本隆明は、昨今の、共同幻想からも、対幻想からも、解放されていく人の出現を見て、なんと言うだろうか。

2021-10-04

anond:20211004172300

理解できるわけがないだろjk

生きてきた時代経験が違うんだ。

みんな分かり合えるみたいな共同幻想を持つな。

2021-09-17

レイシズムに限らず全ての差別構造根底には、無知がある。それは「自分所属しているグループ特別に素晴しいものだと主張」していることに他ならないから。

要するに知性がないかレイシズム実施する。科学を表層だけさらうと「分類」が出来るような気がするから、それに従って分類をしはじめる。本当の意味での知性があるとこの世界境界線なんてもの本質的にないことがわかるからレイシズム実施できなくなる。

この意味での境界線の主張は平和主義ではない。個々人を隔てる絶望的な境界線以外にこの世にそれはないという主張であるレイシストは知性が乏しいだけではない。要するにこの世界にたった一つの実存としてすっくりと立つ覚悟がないほどに幼稚なのだ自身はなにもせぬままで、誰かと何かを共にしている幻想に縋っている。

たった一人、裸で生まれて、そしてそれをスタート他者と生きていく覚悟のない幼稚で無知性な人間の言い換えがレイシストであるのだ。

君は国に属する人間ではない。君は君だ。君であることが最初にあり、その上部構造共同幻想として国家は浮かんでいるだけだ。そこに自身アイデンティティを一欠片でも依拠するのは弱者ですらなく、幼稚で知性に乏しい愚者だ。国家とは制度総体である以上、それは制度以上の意味を持たない。そこに意味を見出そうとするのは、たとえば恋心のような下らぬ幻想である

そうです。本日ベネディクトの命日。

2021-07-30

anond:20210730071634

競争が推奨され、勝者が讃えられるという社会構造

というよりは、学校現場政治闘争最前線であった時代後遺症というべき(現在進行形かもしれんが)

文部省教育委員会統治と、教職員組合支援党派との抗争は、弱い立場児童・生徒のストレスとなって波及し、最も弱い立場いじめられっこがスケープゴートとして黙認されてきたというのが真実

右派左派も、政治目的の追求のためには子供の人権なんて後回しにされる

悪いことに、日本教育関係者右派左派も、みんな仲良く集団生活という共同幻想を捨てられないんだ

いじめは今後もなくならないよ

2021-07-09

ゲームに「批評」は存在しないし、これから存在しないだろう。

バカが考えもせずに「ゲーム批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネット散見される。

録画してカウチポテト爆笑しながら鑑賞したいくらおもしろバカなんだけど、バカ心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲーム批評は今も昔もこれから存在しないので大丈夫です。


ゲーム批評が成立しない理由はとてもカンタン

「あらゆるゲーム網羅しているフリができる人がいないから」。


批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、

じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。


で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。

これがゲームでは大変むずかしい。


網羅性とは最初に言った「あらゆるゲーム網羅しているフリ」です。

そのとき発売されたすべてのゲームを一個人プレイする。

まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。

現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。

プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。

さらに、プレイヤーの技術的にクリアできないことがある。

JRPG基本的レベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームシューティングパズルゲームなどはプレイヤーのスキル依存するため、下手くそクリアできないという事態普通に発生する。映画小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけますゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。

すべてのジャンルが得意、というひとはあまりいません。

映画だってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPG範囲批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、○○専門の批評が成り立つのメインストリーム批評存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。


じゃあ、映画批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。

でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。

あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。

なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから


批評が成立するジャンルって古典に対する意識が高いんですよ。

暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画しょっちゅうやっている。

そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論ベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。

ゲームにはそれがない。

どの年代にも名作とされているゲームはある。

けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。

ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。

それ以上に最悪なのが、古典に関するアーカイブの欠如。

映画小説だって簡単アクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。

今でこそニンテンドーソニーアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。

出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。

かくして、「ゲーム批評なんて必要ない!」ってキレるバカ今日も元気に量産されるのです。

めでたしめでたし

2021-05-28

anond:20210528173425

みんな狂ってるからせめて普通っていう共同幻想に近づく努力しなきゃいかんよ?

ってのが社会の有り様でしょ

2020-10-15

anond:20201015124021

からその「〜と思ってそう」というのが共同幻想に影響されてるぞ

巨乳好きな男もいるけどやっぱ女は顔よ、顔

ブスにどんだけでかい乳つけても貧乳美人には絶対勝てんのや

anond:20201015123654

実は女の巨乳も実は「男はおっぱいが大きければ大きいほど喜ぶはず」という共同幻想産物に過ぎないんだよね

2020-10-13

人権存在しないとかいうアホ指摘

アホ理論ではあるけど、じゃあ人権現実存在するかと言うと存在しない。それはそうだ。

人間勝手に「ある」ことにして、人類全体で合意をとって活動の指針にしましょうっていう約束事なんだからな。

言語や神や金が実在しない情報やら妄想共同幻想であるのと同じで人権もこの世に実在はしない。

からってこれを無いとすると人間一人一人が無制限地獄のような苦しみを体験しうることになるのでマズイといった考えのもとに発案された概念なんだから当然だろう。

少なくとも神の奇跡みたいな嘘っぱちよりは100倍マシな概念だ。

地球は丸い!なんでグーグルマップ地球の形を無視して平面実装してるんだ!グーグル地球平面説信者のクソヤロウ

かいうのと同じくらいアホ

人間社会共同幻想で作られてるみなしルールだらけじゃん。地面に土地権利なんかないだろ。あれは勝手人間土地権利かい概念を作り出して管理してるだけでどこにも線なんか引かれてないだろう。

人権存在しないと声高に言うのなら、同じく実在しない不動産権利金融資産債権金も国家政府法律実在しないと主張して、それに応じた行動をしてみやがれアホたれ

人権批判するなら。機能してないとか、機能させるための仕組みが無いとかそういったことを指摘すればいいのに、

そんざいしないwwwwwwとか言うアホ丸出しの発言は、知能低すぎて引きます

2020-09-28

コロナ禍鬱を言語化したい

俳優自殺が相次いでいるが、コロナ禍鬱だと思う。

平成時代常識共同幻想高度経済成長幻想、祝祭幻想現実逃避用のショービズ幻想)みたいなもの崩壊した。

人が集まる「不要不急」業の価値が壊滅した。

昔あった単語の「終わりなき日常(幻想付き)ver」から「終わりなき日常(幻想なし)ver」に移行した感じかな。

こういうことに敏感な人は特にダメージを受けるんじゃないか

特に東京は「幻想で出来てる街」みたいなものから

東京のものが「お祭り騒ぎ多幸感システム化したディズニーランド」みたいなものから

そういう幻想の中で「キャスト」として生きてた、生きようとしてた人にはキツイはず。



東京都市生活、というか平成日本人生活ってのは「面倒な人間関係接触」を減らして、

自分に都合のよい幻想を維持向上してくれる人間関係を選ぶ」ことを目指してきた。

その幻想が壊滅ししまったら「人との接触がない、幻想もない」生活しかない。それはキツイわな。

昭和までは「日々の生活サバイバル人生から現実逃避」ができた

労働現実逃避」もあるが、コロナ労働日数や強度が薄い場合もきつい。

最後は「バーチャル現実逃避アニメゲーム漫画)」だが、これは元々ヒキオタク適性がないとできないしな。

2020-09-19

世界が狂っている時、自分正気であることをどう整理するか

脳内ダンプって感じでまあまあ、読む人のこと全然考えていない悪文です。なにかの主張とかじゃなく現時点での自分脳内の整理(とちゅう)です。

どっちが狂っているのかはまだ良くわからん

とりあえず世界には割と正常な部分と狂った部分が両方ある。当たり前だけど正常っぽい動きのほうが多い。

でも正常な主張や理論に基づくそれぞれの人の動きや制度の仕組みが重なって、狂った現実を紡ぎ出す場面も度々目にします。

よくわからないなりに、折り合いつけているんだけど、それはこの世界の狂った部分を認めているわけじゃなく、世の中狂ってるよな〜。世の中の狂った部分に巻き込まれないように注意して安全ルートを生きるしか無いよな〜。といった形で生きます

自分からなんちゃら教に足を運んで、狂気の渦に巻き込まれ必要ないし。

大企業とかエリート公務員目指して、圧倒的な過労状態で心身をすりつぶしながら、名誉だか金だかを価値の全てであると、そういった謎の心情にすがりついて、生きるのも良くわからないし。いや、わかるんだけど、その先に何があるかと言うと、実は何も無いのではないか、なにもないことをちゃん理解した上で空虚自分の命を燃やしていることに気がついているのか、それを飲み込んでの働きなのか。

そういった部分を考えていくと、ルサンチマンっぽくなるんですけど。

ルサンチマンと違うのは、そういう活動をする人の事自体批判とか反対とかはしないっていう、そういう考えというかポリシーはあったほうがみんな自分活動を認め合うことが出来て、比較幸せ世界になるのかなーって思うけど、

みんな他人の行いはおろかで醜く無用ゴミだと思ってる感じはする。自分他人がやっているどうでもいいこととか、どうでもいいことでエラソーにしているやつ見かけたら、脳天かち割っててめえの頭骨ヒヤシンス植えてやろうか!ってな気分にも一瞬なる。

だけど、まあ。エラソーにしてるやつが、エラソーな態度するかどうかと、自分人生にそのエラソーな態度がなんか関係あるのかとか考えると別に自分人生になんの不都合もないし、エラソーにしてるやつのこと別にどうでも良くなるので、エラソーにしたことに対して頭かち割るのはやりすぎだよなっていう、常識的結論がついさっきの激情を沈静化させるので、なんとか平静を保てます

保てない人が家族殺したりします。

大体の殺人は知人同士とか家族同士が多いですね。

殺されたくなかったら、交友関係とか家族関係メンテナンスに力を入れるべきです。

不審査警戒して監視カメラとか防犯ライトとかつけても意味ねーです。

あと自分が狂っているかどうかって、やっぱりわからない気がするので、自分が狂っている可能性をいつも頭の片隅に入れておいて、取り返しのつかない行動(たとえば殺人とか)をやらない、みたいな線引は引いていたほうが良い気がする。

でも自分家族とか知人とか皆殺しにされて、そいつらが絶対的悪事してたから犯されたりぐちゃぐちゃのミンチにされたり、死体にしょんべんかけられたりするの当たり前だよな〜みたいな感じで、世界中の人間が狂いまくって自分を敵視した時、殺人衝動を抑えることができるかと、まぁそんなこと無いんだろうけど、仮にそんなやべーことになったとしたらと考えると、流れぶち壊しですまないけど意外と殺人しないような気がする。

まあ実際になってみないことにはわからないんだけど、屈辱というものがどこから来るのか、ってのは自分社会のどの位置存在していて、その位置関係自分脳内の中の社会マップみたいな部分で自分のいちを誰しも把握していると想うんだけど、仮にそれを脳内カーストとでもしようか、

脳内カーストとずれた態度をされる、たとえば後輩から呼び捨てにされてパシッてこいとか顎で使われたら、めちゃ怒るひと居ると想う。その人は脳内カースト現実のズレに恐怖するし怒るわけですよ。なので、最初から脳内カーストがどれだけ信憑性あるのかとか、実は脳内カーストってのは妄想であり、現実世界と対になるものではないってことに気がつけるかどうかな気がする。

それに気がつけば、人はすぐに死ぬし、ゴミ雑巾のように殺されるし、ゴミ雑巾のように他人を殺すっていう現実を受け入れられる気がする。

それ受け入れるとどうなるかといえば、自分の苦しみがなくなるのかな。仏教だと多分そんな答えだろう。

神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)信じてる系の人なら、神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)が、私の日頃の行いを評価してさばきを与えてくださる、世の中の幸福バランスをもとに戻してくれる(公正世界仮説)みたいな、現実逃避のありもしない妄想にすがりついて、死ぬまで苦しんで生きるしかないっぽい。

自分のために怒ってくれるの嬉しい!っていう気持ちはわかるけど、そいつが怒ったからって現実が変わること無いし、もっと現実世界を丁寧に扱って、人間関係とか社会構造ヒエラルキーとか、そういった目に見えないどうでもいいことに固執するの、そろそろ狂っているっていう自覚は、ぽつぽつと気がつく人が出てきてもいい頃合いかな(過度な期待)〜って感じです。

透明のガラス戸ってあるじゃん。あれをガラガラ~つって閉めるふりすると、戸が空いたままにもかかわらず犬がそこに入れない〜っていう、見えない壁の存在を感じてる困っているわんちゃんめっちゃ萌え萌えきゅんきゅんのヤバかわ動画があるんだけど、(invisible door とかでググれ)昔だと宗教の謎の論理性のかけらもない嘘話を信じ込んで神の教え(文書書いたの人間だろ!)を守れば死後救われる系異常者集団現代だと人権とか金とか地位とか、そういうこの世に存在しない概念とかイデオロギーを盲信してる人ら(まぁ自分も一部イデオロギーの主張には乗ってるけどそれが宇宙の真理ではなく人間社会の秩序をより良くするための方便で、人工的に作り出された共同幻想であることは自覚してる)はさ、そういう妄想とか幻想を、現実と捉えてて教信者じみたムーブしているの、狂っているとしか思えないし、事実狂ってる。

社会ほとんどの人が空気のように受け入れてる概念(コンセプト)やイデオロギーってのが、妄想産物であると、共同幻想であると、どれだけ意識しているのか、一人ひとりがそれらを認識すると世界変わるだろうけど、

人間身体(脳を含む)は基本原始人と同じなので、急激な社会文化の変革は望めないかな。

実は自分というもの存在しないし、自意識ってのはこれら幻想と同じで実在はしていないらしいっすよ。これはなんとなくわかってて、ソフトなんだから意識も何かしらのデータであり情報であり、波とかいうとかっこよい理系っぽい感じする。なので物質の上に乗っかった性質みたいな感じで、実在しているかと言うと、実在はしていない感じする。神とか金とか役職みたいな感じで、世の中の人が俺の意識あるよな〜っていう感じに認識している(本人含む)ことで初めて、人間自我とか意識が立証されていて、すごい不安定もの人間社会の基礎になってるんですね。

参考になった方は高評価クリックして、チャンネル登録ねがいします!

2020-09-10

anond:20200910212840

それは主義思想のせいなのか?俺は関係ないと思うね

しろ共産主義現代に復活させることは不可能だ。

いわば「お国のためにみんなで我慢しよう」という発想は、「お国」という共同幻想が保たれていないと不可能であり、情報化した現代社会でそれを維持することは中国でさえ事実上できていない。

2020-09-03

anond:20200903134543

現代日本ではそのような運動オーガナイズできるほどの共同幻想が発生しえないレベルにまで価値観多様化し個々の感性が分断されているのだ

お分かりになりましたか

2020-08-22

ひろしまタイムラインについて、なんか言っとくか

https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=21

事情あり今は横浜に身を寄せているものの、大学から10数年暮らしただけあって、広島という街には愛着がある。

そういうわけで、この#ひろしまタイムラインの3アカウント8月に入ってからは頻繁に覗いていた。

地理がそこそこ分かるということもあり、ああ、あの橋から市内に入ったのか、とか(広島は橋が多い)、"体調悪い"って、あの辺は黒い雨範囲ではないのでは? と思って調べてみたら、元々の認定範囲内だった、とか、そこから最近黒い雨訴訟の背景をまた調べ直したり…これはこれで、なかなか興味深いものを感じていた。

ただ、全国的には注目を集めることもなく、特に8月15日以降はひっそりと、インターネットの片隅に埋もれていくんだろう、とか思っていた。もちろん、はてブ話題に昇ることもない。そこにこの騒ぎだ。


ところで、この騒ぎを受け、どういう体制でこのアカウント群が運営されているかを初めて知った。

監修者…知り合いというほど深い仲ではないが、顔とお名前が一致するくらいではある。広島にいた時、演劇に多少関わったことがあるので。柳沼さんの名前を見て、少しニンマリとしてしまった。

IさんやSさんも、直接のお知り合いというわけではないけれど、知り合いの知り合いくらいにはなる。広島人間関係は非常に狭い。特にIさんは、若いころ、理想演劇を求めて闘っていた時期を存じ上げているので、あの日々がこの活動に結びついているのか、と思うと感慨深さもある。


運営に携わる者、彼らなりの誠実さは感じるものの、こういう事態になってしまった。

あるコンテキストの流れ、そこにある湿った共感でもって駆動していた共同幻想が、別のコンテクストにぶつかってしまった。これは明白に事故だと思う。

広島(に住う人々)は、原爆戦争というキーワードにはセンシティブな一方、相対的人種民族)を初めとするさまざまな差別問題には少し鈍感だ。

Twitterというグローバルなサービス使用しないならこの鈍感さでも良かったのだろうが…一時期界隈を賑わした、コンビニ冷凍庫に入って写真撮る輩のようではないか。"誰も見ていない"とタカをくくった結果が炎上、みたいな。


しかし、私はここが正念場だと思う。運営者は覚悟を決めて、乗り切れ、と言いたい。

実はこの逆の事態が、もう10年以上前にあった。要するに、よそから来た者が広島人に大バッシングを浴びた事件である

その当事者は、「Chim↑Pom」。

2008年Chim↑Pom広島市現代美術館での企画展を前にして、そこに展示する映像作品広島市内にて制作していた。その内容は、飛行機チャーターし、晴天の空に「ピカッ」という文字を描く、というもの

これには大抵の市民不快感を表した。"ピカ"は言わずもがな原爆連想させる。それを誰のものでもない空に、一方的に描くとは暴力に等しい…と。

当事者団体も抗議の声を上げるには上げたが、正直、そうではない一般市民感情の激しさの方が強かったと思う。

作り手には作り手なりの思いはあったようだが、当然、この作品はお蔵入り。企画展も中止。

ただ、彼らは、そこで終わらなかった。これを契機として当事者団体対話を始める。

その仕事は「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という書籍として実を結ぶ。


原爆」に対してセンシティブ広島人、そうではない「Chim↑Pom」。

ここで起きたことも、それぞれの皮膚感覚の違い、流れるコンテキストの違いが引き起こし事故だった。

ならばChim↑Pomがどのようにして異なるコンテキストに向き合い、この事態を乗り切っていったかあなたがたが(もしくはこのいごこちのいい幻想なかにいる我々、広島人が)学ぶことはあるはずだ。


広島魂を見せろ。

2020-08-02

anond:20200802191641

だが聞いてくれ。JKというのは実在しないんだ。

JKとは日本人が抱いている共同幻想に等しい。

バーチャル存在であり、ミームであり、それがインストールされた女子高校生JKムーブエミュレートするにすぎない。

真なるJKというもの存在しえないんだ。

まりJK自称するものは、実体をともなう人間ではなく、情報生命なのだ

あるいは実体を持っていたとしても、それと重ね合わせになった情報生命体の側面が表出している状態と言っていい。

お分かり板だけタダ廊下

2020-07-14

anond:20200714073013

それは思い込みだと思う

商業作家ですら一切フォローしてないし

たまには共同幻想から離れても良いと思う

2020-05-08

日常系アニメ見るにもある種のリテラシーみたいなのが必要なんだな

とあるアニメ感想で「なんだよ、結局このヒロイン主人公のこと好きなのかよ」みたいなことを

割と本気の口調で書いてるレビューがあって、それ読んだ時に二重三重に衝撃を受けたんだよね

まずそのヒロインが明らかに主人公のことを好いているというサインは、それまでの場面で何度も何度も描かれてたわけ

たとえば溜息、たとえば目線、口角の動きや様々な仕草、口調だったり態度だったり、なんならカメラワークや光の加減なんかも含めてすべてがそういうサインだったわけ

でもそれってある種の共同幻想というかさ、まあ言ってしまえば「オタク文法」みたいなのに慣れた人じゃないとわかんなくて当然なのかもと思ったんよ

なんたって現実世界カメラワークなんてないしさ、他人目線の動きなんていちいち観察しないでしょ

まり我々がそういうある種の、感情に対する機敏さみたいなのを発動させるタイミングってもうアニメ見てる時か漫画読んでるときくらいしかないんだよな

で、もうひとつ衝撃だったのは

その感想書いた人はどうやら、「ヒロイン主人公のことを好いていない可能性」というのを割と無邪気に信じてたらしいということにもびっくりしたわけよ

だってそんなの信じられないでしょ、この類のアニメでまずヒロイン主人公好意を持ってないっていうのが、それこそ色々なサイン描写して明示的に伝えてこない限り、まずありえない

で、そうか、我々は特段の言及がなければヒロイン主人公に好感を持っているものだと無意識に前提しているんだな、ということにその時気付かされたわけね

そういうのもある種のリテラシーと言えるのかなって

推理小説では犯人を当てるための情報描写の中に必ずあるとか、そういう、誰かに教わったわけでもないけどそういうことと思ってる前提みたいな

そういうのが日常系アニメの中にもあるんだなーって思わされた出来事だったわ

2020-04-07

何でMMTアレルギーの人が多いかわかった

説明聞いたら商品貨幣論の「不換紙幣共同幻想説」より遥かに筋は通ってるし現実財務処理もそうなってるのに

どうして頑なにMMTを拒絶する人が多いかわかった

MTだと税金国家の財源でも何でもないので

「俺たちの血税無駄に使うな!」とか「俺は国に高額納税してるから社会に貢献してる!」みたいな言説が成り立たなくなっちゃうんだね

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