はてなキーワード: 公立学校とは
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649
本人が自分の不努力を棚に上げて「格差・格差」と声高に自分への処遇改善を要求するのは、たとえワーキング・プア(現在は努力しても稼げない立場だがそもそもそのような立場になるような経歴自体が不努力な場合もある)でも間違っているが、親や家庭環境が、そもそも勉強に専念出来る状況になく、高校時代から奨学金を借り、大学卒業時には300万円以上の借金を背負っていて、大学の授業料は当然免除してもらって、尚かつ生活費は自分で稼ぐ為にバイトをしなければいけない状況にある場合がある。その場合、例え真剣に勉強する気があったとしても物理的に不可能であったり、肉体的・精神的ストレスを解消する為に休養が必要であったりして専念出来ずに成績が惨憺たる状態になる場合もある。
「格差」で問題視すべき点は、「格差の遺伝」であって、親が貧乏な場合に子供にチャンスが無くなるような状況だと思う。
親のせいにするのも何だが、どう考えても家賃とは別に毎月15万円の仕送りを貰って、携帯代は親が払ってくれて、教科書などの必要品はおろか車・パソコンなどの半贅沢品まで自由に買ってくれる友人の環境と、それら全てを自分で賄わなければならなかった俺の環境では、成績に差が出ても仕方ないと思わざるを得ない。これが良くない。バイトしなくても生活出来るくらいの福祉がなくては、「格差の遺伝」は阻止し得ない。まして、公立学校の教育が崩壊し、私立学校・塾に行かなければ一流大学には進めない現在では尚のことだ。
追記。
元増田の場合は稀な環境によって恵まれたかもしれないが、そうならない家庭も少なくはないし、仮に国立大までは行けたとして、中での争いに勝てない場合も少なくない。半年毎に10万円以上教科書代がかかったりするうちの学部はその教科書代の捻出だけでも悲鳴を上げていた。しかもアルバイトも当時103万円/年まで。それ以上になると児童扶養が外れて免除が減額され、授業料免除も半額もしくは無効になる。
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
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「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
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そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
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これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
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長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。