はてなキーワード: 公立学校とは
いや絶対発生するって。公共の施設でわんさか行われているのによく出くわすし。たとえネットワークを阻んだところで、宗教関係者の出入りまでは防ぎきれない。
利用申請時のガイドライン作成の際に詰めれば良いだけだと思うが。別に無制限に開放しろって話じゃないんだしさ。公立学校の場合、公共の施設である建前があるから、営利企業や宗教団体の利用なんかはシャットアウトすればいい。公共の施設で行われているのも、そこが密室だからだろ。開放された場所で大勢の目に触れられれば、周囲の大人達も自然と「あの団体はヤバい」と自己防衛するだろう。
どうして教師と部外の大人を対立構造で思い描こうとするんだ?どちらも児童の成長を願うという観点では目的の一致した立場のはずなんだが。
むしろ積極的に部外の大人の目を受け入れて教師と地域社会の共同体制を作り上げていく方向に持って行くべきだと思う。学校内のあらゆる問題を教師だけで解決しろというのがそもそも無理難題な話なんだからさ。
今の学校で起こっている問題というのは、そこが閉鎖的な空間である事に起因する物が非常に多い。教室が見知らぬ大人の目のある場所になれば陰湿ないじめに走る子供は減るだろうし(いたとしてもその場で大人が軽く声を掛けるなりして注意すればいい)、いわゆるモンスターペアレンツも、大勢の知人や地元民の目にさらされてる状態になれば、悪質な恫喝行為は減りこそすれ増える事は無いはず。
ttp://hibikan.at.webry.info/201003/article_51.html
(1)政治経済の重要な課題を抱えていて、通常は面会を申し込んでも断る立場の首相が、1人1万円の案件で外国籍の高校生ごときと会うなんて馬鹿げている。
日本の高校生は、面会を申し込んでも絶対に会えない。もし首相が末端の庶民に会うとしたら、ごく稀にある視察の場か、難病患者の救済決定など限定された特殊な要件のみだ。
なのに、健康で別に生活に困っていないのに「お金をもらえるという話を聞きました。私たちにもください」と言いに来る、厚かましい朝鮮籍の高校生とは会う。日本に何のメリットもない。
ダメですよと言って相手と気まずい雰囲気を作るために会うはずがないから、もし面会が実現するとしたら、支給決定を正式に伝え、カメラの前で笑顔で握手する目的で面会するとしか考えられない。
国交がないこと、在日の協力を得て実行した拉致事件、日本が抱える世界最高水準の累積赤字を何と心得ているのか。政治ごっこをしているんじゃない。マジで腹が立つ。
(2)国民新党も、日本国籍に増税して、外国籍にカネをばらまく法案に賛成かよ。選挙で落としてやりたいが、私の近くに国民新党の議員がいない。
亀井さんは、簡易手続きで在日に日本国籍をばらまけと言った人だから、怪しいとは思っていた。
国籍はチラシではない。厳格に審査した上で、上から下へ授けるものだ。対等かつ気楽な関係でばらまくものではない。ふざけるな。
(3)朝鮮政党の目くらまし作戦で、報道では「朝鮮学校を差別」と「国連人権委員会が日本に差別警告」ばかりが目立つが、私が繰り返している通り、朝鮮学校だけが支給対象ではない。法律はすべての外国人学校に適用される。
アメリカン・スクール、インターナショナル・スクール、先進各国の外国人学校に子供を通わせているような家庭の年収は、もの凄く高いんですよ。首都圏、近畿圏にあるアメリカン、インターだったら、多国籍企業の日本法人社長もしくは実業家クラスの家庭を対象としていますから、年収1500万なんて恥ずかしいというイメージです。最低でも3000万、億とか10億という単位の報酬を受け取っている人もゴロゴロいて、これが決して誇張じゃない。
(だから、高い学費を払えないような並のガイジンの子供は、日本の公立学校に通っているでのです。あなたの近所にもいるでしょう。)
(北朝鮮だって朝鮮学校に2億円送金しているそうだ。別にそれで困っていないし、どこの国もそうしている。(コピペ記事3つめ参照))
民主党の子供手当は、こうした超富裕な外国人家庭にも未来永劫、日本の税金を注ぎ込む政策です。一旦制度ができたら、あとで取り消せないのです。そもそも憲法第89条違反(外国の教育事業に税金を投入してはならない)なのに、あなた、許せますか?
財務省HPで予算書を確認してみてください(PDFファイル)。今後歳入が増える見込みが無いのに、社会保障費だけ10%も跳ね上がっている。
わたくし、こうやって書きながら、はらわたが煮えくりかえってきました。国籍条項を設けなければ駄目だ。お時間のある方は、首相官邸、文科省、政治家、政党に抗議メールをお願いします。
公教育は無料が原則である以上、給食費を請求しているってことはそれが教育の一環ではない、純粋なサービスだっていう意味だ。
それを拒否することはできず、勝手に出しておいて払わなければモンスターペアレント? いやいや、それってサービスの押し売りでしょう。悪いのは押し売りしている学校の方じゃない。
そんなこと言ったって子供は給食を食べたでしょうって? 未成年だぜ。「返せるものだけ」返せば契約は取り消せる。第一、自前の弁当みたいな飲食物を持ち込んだら確実に先生が取り上げるじゃない。給食以外食べるものがない状況に育ち盛りの子供を来させておいて、それは自由意志にもとづいたサービス提供契約じゃないよ最初から。
「きついことに耐える能力」だけじゃないんだよ、野球を教える「塾」のような側面じゃなくて、地域コミュニティの一形態もあるんだよ
桑田の言い分は分かるけど、少年野球は必ずしも野球選手を育てるためだけにあるんじゃないよ。むしろ公立学校のヌルさが足りなくて半ば強制的に少年野球をやらせる親もいるし、それこそ親の趣味で参加されてる場合もある。「カミナリおじさん」的な存在が少年野球にあるから参加させてる。申し訳ないけどこれは自分がソース。
カミナリおじさんの役割を持った人に噛み付く増田みたいな「オトナ」が、コミュニティ全体をぶっ潰すことになるのを分かってない。
世の中には株価とか景気の指標があるけれど、スカートの長さが景気と連動しているということも、よくいわれる。株について言えば、景気が良いから株が高いのか株が高いから景気が良いのか、微妙なのも周知なところである。スカートについても、実は同じことが言えるのではないか。つまり、スカートが短いから景気が良くなるということである。
これは少し考えればわかる。スカートが短ければ女性はパンツにも気をつかう。これがロングスカートだったら、タイムセールの3枚1000円のパンツでごまかされてしまう。パンツが300円と3000円とでは大違いである。女性が年間に買うパンツを10枚とすると、単価が300円と3000円とでは年間27000円の差が出る。全国には6000万人の女性がいるので、この差は実に年間1兆6200億円にもなる。波及効果を考えれば、パンツが内需を動かすといって過言ではない。景気回復のためには、短いスカートが必要であることは、もはや言を待たないものである。
ただ、近年の傾向を見ると、問題がある。確かにスカートが短く景気が良かったときもあるが、その景気は庶民に実感されるようなものではなかった。実感なき経済成長である。何かを見落としているといわざるを得ない。
ここで、バブル崩壊以降、継続して長くなっているものに目を向けたい。それは、女子体操服である。ブルマが廃止されて以降、日本は沈滞した雰囲気から抜け出すことができないでいる。心の景気回復のためにも、民主党は公立学校のブルマ復活に全力をあげて取り組むべきであると、声を大にして申し上げたい。
追記
神原則夫先生が、アカギを超える長寿連載として期待されていた「西校ジャンバカ列伝かほりさん」を終わらせてまで取り組んだ「世界に羽ばたけ轟先生」があと3回で終了するそうな。もうこの国は駄目かもわからんね。
でね、そこは浪人生の成績で進学成績を保ってるような学校だったの。
補習科っていうのがあってね、そこに四年生って呼ばれてる人たちがいて、
現役生からは「かっこわりー」とか言われてたの。
毎年320人から100人くらいは浪人してね、それでもいい学校を目指すほうがいいなんて姿勢だったの。
現役だとひっかかりすらしないような人間だらけだったんだけど。
文武両道とか言って、野球部もサッカー部も緒戦敗退するのに数十万部費がもらえて、
軽音部は3万できったねえ6畳のプレハブで活動させられてたんだけど。
今でも思い出すとむかつくのは、管弦楽部とその顧問の音楽教師だ。
たった3校だかの中で1位をとって、全国大会にまで行ってピッチグダグダの演奏かまして帰ってくる。
その遠征費が200万?勘弁してくれよ。お前ら、コードとかの概念すらわかってないじゃないか。
顧問は顧問で、利権にまみれすぎなんだ。
そのくせ俺が大音量で弾くへヴィロックはお気に召さないのか。
死んでしまえ。へたくそ。
今月13日の産経新聞「産経抄」では白洲次郎の言う「プリンシプル」の例として、60年代末の安保闘争について白洲が提起した「自分のふところ勘定だけで防備すればいくらかかるか」という視点を挙げている。
また暗に、フィリピン人不法滞在一家問題で、他人のパスポートで入国した両親を強制送還すること、ならびに公立高校における授業料滞納者に卒業証書を渡さなかったこと、もプリンシプルの例としている。
産経抄でのプリンシプルの訳は「原則」。ちなみに旧白洲邸の公式サイトでは「信条」という訳語を当てている。
さて。
2009年の今を生きる私が白洲次郎の口を借りて話すならば、と考えてみる。その場合、日米安保のプリンシプルとしたいのは自国の防衛費の額ではなく、東アジアの平和だ。今日本から米軍が去れば、或いは逆に今後十年の滞留を決定すれば、それが東アジアの平和にどう貢献できるのか、といった軸だ。平和以外どうでもいいと言い切ってもいい。
また不法滞在の話に関しても同様に白洲を気取って言うならば、どうすれば皆が幸せかという話でしかない。不法滞在が横行しそれによる犯罪の増加があり、という状況は幸せではないし、2万人の同情的な署名を集める人を法にそむいたという理由で強制送還する社会も幸せに暮らせる社会だとは思わない。
授業料滞納問題も同様。なぜ授業料滞納が問題かといえば、それを認めて滞納がはびこれば公立学校のシステムが崩壊し、教育の機会が減ることで私たちが不幸になるからだ。なぜ卒業証書を渡さないことが問題かといえば、やむを得ぬ事情で授業料を滞納した人が、それが理由で卒業できない社会はやはり不幸な社会だからだ。
つまり、私にとって白洲次郎のプリンシプルとは、原則ということばを使うならば「大原則」とでも言うべきものだ。翻って、産経抄の言う「プリンシプル(原則)」は「小原則」だ。規則であって、プリンシプルではない。皆が幸せになれないから悪なのではなく、法を守らないから悪なのだ、という主張は視野が狭く、内向きだ。
13日の産経抄は白洲を引いたりすべきではなかった。白洲は愛国者であろうが、産経によく見る内向きの愛国者ではない。内向きの論理だけでケンケンガクガクやっている新聞屋たちを外国人的な視点で見て、もう少しプリンシプルに注目したらどうだ、と言ったのがまさに白洲であった。
私の生まれた田舎は私立中学なんてなく、皆が何の疑問も持たずに近所の公立中学校に通うようなところだった。
公立学校の崩壊が叫ばれているが、私の母校も例外ではなくやっぱり荒れていた。
ガラスは割れ、生徒間でのいじめ、先生もいじめ、暴力、万引き、妊娠、煙草。
荒れに荒れていた。
先生たちはこの処理に追われて疲れてイラつき、余裕が無くなっていた。
当然学校中の雰囲気は悪く、おとなしい子、真面目な子は怯えて縮こまり、小さくなっていた。
私は幸いにもいじめには遭わなかったが不良が怖くていつもびくびくしていた。
先輩からの抑圧もきつく、特に運動系の部活はいじめの巣窟になっていた。
こんな学校だったから卒業式なんて泣けたものではなく、卒業したときはせいせいしていた。
(なぜか今まで散々暴れまわっていた生徒はこういう時だけ号泣していたりする。)
地元を出て大学に入り、周りの子たちの中学時代の話を聞いていてはっきりと思った。
公立なんて行くものじゃない。
子供に安全な生活をおくらせたいなら、せめて中学は私立に行かせた方がいい。
私立にもピンキリはあるが誰でも通える公立よりマシだ。
中学から私立に通っている友人の話を聞いていると、平和で羨ましくなってくる。
「あの中学で鍛えられたでしょ!」なんて言う人もいるが、とんでもない。
逆にストレスで上から横から押さえ込まれ、歪んだだけだった。
青春などこれっぽっちも感じなかった。
私の中学時代は今更どうすることもできないが、もし子供を持ったら私立学校に行かせたい。
わざわざ環境の悪いところに放り込んで疲れさせて歪ませたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20081126031331
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
つまりマスコミには自浄作用が無いということですか。それなら1回潰した方がいいですね。
なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。
そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。
いつも既得権益を批判している人たちが自分たちの既得権益は死守ですか?それなら1回潰した方がいいですね。
例えばみんながテロリストテロリストって言ってるアルカイダが(略
冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者が反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板をネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞の記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。
あなたの会社は雪印や不二家、あるいは他の企業の記事を扱った時、担当者や責任者が反省しなくてはいけないような状況をつくっていましたか?
普通の公立学校の子のお父さんが毎日新聞の記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞の記者だっただけで?
高校や大学の入試で両親の職業を問われたことはありますか?それが合否に関係しましたか?
えらい人たちはキャリアやお金やコネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。
だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。
つまりあなたの会社・業界のえらい人は責任を取らないということですね。
ならば、あなたの会社や業界がしてきたこと、具体的には責任追及を別の人がしないといけませんね。
「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。
マスコミ業界内の特定の個人を叩くのではなく、社員数数百??数千人の大企業、そして「第4の権力」とまで言われる業界全体を叩いているのですが。
日頃から政治家や官僚、大企業のトップなどに「反省しろ」「謝罪しろ」と言っているのに自分達はそれをしないと?
正しいかどうかは保証しません。
では、マスコミは「中立」で「正しい」のですか?
「中立」で「正し」かったら、なぜネットから批判をされているのですか?
いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。
「他のメディアは信用できないから、インターネット上に自分たちだけのメディアを作ろう」としている人や企業はたくさんあるよ。
J-CASTとか有名になってきたね。
ラジオやTV、新聞は設備投資もかかるし、新規参入が難しいからね。
ネットや直接の批判を少しでも受け止めようという気はあなたにも会社にも、そして業界にもないんですね。
そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。
この部分だけは私も同じ気持ちです。
今までそうやってマスコミ批判をたくさん見た。 自浄作用とか、マスゴミとか、あれこれ言われているけど、だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?
そんなに批判するなら、その崇高な精神を是非反映して業界自体を変えてほしい。
というか正直言って、そうやって批判する人たちは、その発言によってわずかな本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしているということにそろそろ気付いてほしい。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西麻布の個室でエロい飯食ってます。
そういう抗議をして泣くのは、あなたたちのような若者や、馬鹿正直にまっすぐな仕事している真面目な人だけです。
そうやって「お客さん」的立場から文句言ったり叩いたりしても「マスゴミ」は永遠に「マスゴミ」です。
なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。
そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。
例えばみんなが変態変態って言ってる毎日新聞がどれだけ雇用を生み出しているか考えてほしい。
冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者が反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板をネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞の記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。それでいいんですか?それで満足するんですか?普通の公立学校の子のお父さんが毎日新聞の記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞の記者だっただけで?
えらい人たちはキャリアやお金やコネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。
だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。
みんなはネットジャーナリズムがどうとか言うけど、そういうやり方をして泣くのは、叩く看板の下でご飯を食べてる中で最もみんなに感覚が近くて立場の弱い人だけだと思うよ。
「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。
そういう意味では「マスコミに言わせりゃ悪いのはネット」というのはあたってる。
「どっちもどっち」って感じだ。どっちも、自分らが100パー正しいと言い張っている。
ネットもマスコミも、自浄作用がほとんど作用してない&自分らが絶対正しいと言い張っている点ではまったく同じに自分には映る。
マスコミは頻繁に「自分が悪い」と反省していると、マスコミとして機能しなくなるから反省できない。
かかっているお金が大きいしプレッシャーも大きいしで修正が効かないのだろうね。
そしてネットは一つの大きな力として機能しなければいけないから、立ち止まって行動をやめにくい。
お金はないけど勢いは大きいし、行動をやめにくいプレッシャーというのはマスコミと同じぐらいだと思う。いわゆる「祭り」とか。
だから反省するってことは無いだろう。
結局、どっちもどっちに映るんだよね。
マスコミを壊してまで拡大させるほどネットジャーナリストは「中立」で「正しい」ものなんだろうか?
いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。
自分は学歴もないし才能もないから制作会社で1から叩き込まれているけど、はてなとか2ちゃんには高学歴で弁も立つ人もいるっぽいんだから、頑張ってコネ作ったりして新しいメディアを作ればいいのに。
少なくとも自分はそう思ってる。のでやってる。どうなるかわからんけど。
それもしないで、マスゴミ、マスゴミって叩いてばかりいるのはなんでなんだ?
こうして書いている間にも、ただネットで叩いたり、電凸して社会貢献した気になっている人たちは際限なく沸いてくるんだろう。
そうした行動の末には、その組織の中で一番弱い、電凸する人と同じような若い人や契約社員や派遣が切られるだけなのに。
彼らが自分らの世直しの仕方は間違っているということに気付くのはいつなのか。永遠に来ないかも。
そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。
http://anond.hatelabo.jp/20081125162529
b:id:westerndogのうわぁ ってコメントは一体どう言う意味なのだろうか?
うわぁこいつわかってねーよってならどの辺を勉強すればいいか聞くから教えてよ。
自分は、いまあるもの(マスコミ)は上手に使ってほしいし上手に共存してほしいと思ってる。
僕がwesterndogに「うわぁ」って思われてるように、マスコミのえらい人はネットの嫌マスコミな部分を「うわぁ」って思ってるんだってことだよ。
だから「うわぁ」って思っててもわかりあえないから、ちょっと一緒に考えないか?って言いたいんだ。
マスコミにも発言力はないけどネット寄りな若い人も居るし、そこをそんなふうにはねつけたらどっちも永遠に歩み寄れないし、どっちか(もしくは両方)が不幸になるしか落としどころが無くなってしまう。それでは何も進まない、今までと何も変わらないんじゃないかな。<nr>
俺も引用元の増田と同じような感じなので(小中公文式に・高三のときにZ会)結構知りたい。
もちろん金かけられるほうが有利なのは間違いないんだが、ソレほどまでに絶望的な差なのかどうか。
根源的に家庭環境が教育を許さないみたいな状況について言われると苦しいけど
その場合は公立学校の充実とかそういうレベルの問題でもない気がする。
金かけるほうだけが有利って言う状況は違うと思うけど……ね。
ただ学歴社会ってある程度勉強頑張れば階層を上がれる可能性はあるわけで
ソレはそれで一定の公平性はあるような気がするんだよな。
まず小中学校には「退学」や「停学」という制度自体が無い(学校教育法施行規則第26条第3項:義務教育における懲戒退学の禁止、同4項:学齢生徒への停学の禁止)だから何をしても学校は「放り出し」たりしないしできない。
高校における停学は、停学にあたる行為をした、という事実を認識させ、出席できることが当たり前のことでないことを今一度思い起こさせるための「処分」である。二度と復活が無いというものでない以上、学校は生徒を「放り出し」ているわけではないし、むしろ再び抱え込むために指導している。(ちなみに「停学」が「懲戒」として行われることは、まず無い。なぜなら正式の懲戒として停学を行うとそれは生徒の履歴として残さなくてはならないし教育委員会にも報告とかしないといけないので厄介。なので、あくまでも自主的な「謹慎」「出席停止」という形を取るのが普通。)
それから、親には養育『義務』があるけど、学校に課せられる『義務』とは『(望む者に、教育を受けられる)機会を与える義務』であって、自ら拒否する人間に無理矢理機会を与えるというのは基本的にサービス部分に過ぎない。馬を水飲み場に連れて行っても、無理矢理水を飲ませることはできない。学校は工場ではない。右から原料(児童)を入れれば左から製品(卒業生)が出てくるような装置ではないし出す義務が学校にあるわけではない。
さらに、普通に選択される多くの公立学校は教育のセーフティネットではない。小中学校に関しては退学という制度自体が無いから、極論言えば一日も通わなくても教師が出張してきたりして形だけ無理矢理「卒業」させるが、高校に関しては私立という選択肢もあるし中退者向けの私立単位制高校、フリースクールなどもある。大学へ進みたい人向けには、高認(旧大検)がありその予備校がある。現在、多くの場合通信制・定時制の高等学校がその受け皿になっているが、都市部では大抵キャパシティを超えかけているし、そもそも本来それは受け皿のための課程ではない。
個人的には、一度公教育を自ら「放り出し」た人間であっても、望めば再度公教育が受けられるように門戸を広くすべきだと考える(たとえば中学校で不登校になったのに「卒業」させられた生徒が、望めば再度公立中学校に通えるように。)が、許容量や指導上の問題、対応の難しさ(18歳以上が通学する場合喫煙を許可すべきか?、学生を狙った犯罪を企図する大人を排除できるか?、一般の大人に対して『校則』を適用することの問題、など)からほとんど実現していない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1026/OSK200810260045.html
>id:Dursanみたいな野郎が一番タチが悪い。お前が子供やその親にむかついたことなんて知らねーし関係ねーよ。それと公に体罰を認めることとは全く別だっつーの。
ごめ、読解力のない子がいるのを忘れてましたぁ(てへっ)
>塾講師時代、モンペの子供が親が教育委員会に訴えて教師をとばしたことを得意げに自慢した瞬間、おいらは体罰容認になりました。
っていうのは本当に世○谷区の小学生に言われた言葉。もちろんその子はおいらを脅したつもりだったわけさ。
まあ、絶望したね。もう、この段階でこれかと。こいつはこちらをコントロールしようとしてるな、と
いままで話には聞いていて、ホビットとかエルフみたいな存在だったのが、
急にゴラムになって現れましたよ。ほんとに頭が真っ白になったのを今でも覚えている。
塾なので、他の子の邪魔になると判断された時点で放逐される。
それは分かっていたみたいで、それ以上はなかったけどね。
チョット想像してごらんよ、そんな小狡いガキをいまの公立学校で担当したとする。
チョット怒っただけで、親が怒鳴り込む。
こちらが何の罰も下せない
(もちろん、隔離したところでモンペは精神的な虐待だと文句を言う)
のを知って、挑発し放題。周りの子も影響されて制御不能で学級崩壊。
こっちはもう投げ出すか、壊れるしかない。
ってこれがたぶん現実に起こっていることなの。
こんな状況で働いているの、公立学校の教師か勤務医ぐらいだよ。
悲しいけれど、力なき正義は無力というのは本当で
こんな平和にのほほんと暮らしていられるのも、
戦後日本が平和だったのも国際間の暴力が拮抗していたおかげだし。
おそらくこれから世界大戦が起こらないのも、暴力のバランスが保たれているからだと思う。
放逐するにしても統制するにしても
実力行使ってそうそう使えないじゃない。使えば使うだけ目減りするし。
使わないに越したことはないが、抜けない刀に意味はない。
刀が抜けないのなら、気迫なんて感じさせられるわけがない。
まあたぶん「気迫w」って言うんだろうね。
教える場面での「気」の流れが結構大事だって
言うのは分かってもらえると思う。
まあ、長くなってしまってすまん。
最初の部分を3行で言うと、
「○チガイが刃物を持っているから
絶望した」
最後の部分は
「暴力の裏づけを伴わない統制なんてありえない
抜けない刀に意味は無く、またそこから気迫も生まれない
しかし、目減りするのでそうそう使えない」
ってこと。
ごめん、なんだかまとまってないが推敲せずにアップする。
>「大人だって怒ったら手を上げるかもしれない」ことを抑止力とするのに、必ずしも制度的に「体罰を容認」する必要はないと思うのだ。あと、百歩譲って手を上げざるを得ないときがあっても、正当化はよそう。
『制度的に「体罰を容認」』しないと、『「大人だって怒ったら手を上げるかもしれない」ことを抑止力』にはならないと思うのは、おいらだけかい?
もちろん体罰が上策だなんて露ほど思ってないから。ただ『制度的に「体罰を容認」』しないために教師が萎縮してしまっていることの方が問題じゃないかと思うがどうだろう。
>ならその親とやりあえよ。校長も交えて親の教育方針を徹底的に批判しろよ。それがプロの教育者だろ。私の親は小学校の教師だったが、体罰を使わず何人もの親とそうやってやりあっていた。
本当ならそういうのが望ましいし、そのように目指すべきだというのはみんな分かってるって。
最悪の場合
親呼び出し→教育委員会にクレーム→校長萎縮→教師混乱→児童増長→問題行為
となる可能性があるから言ってるだけ。
>これ、少なくとも教室から出すことができれば、済む話じゃん。体罰いらんやん。
教室から出してからどうするの?
立たせておくなら体罰です。
ほっとくと徘徊するよ。他のクラスの迷惑になるよ。
どうする?
みんな忘れてるのは小中は義務教育だってこと。
(教育を受けさせる義務があるのは親だけど、実質子供にも教育を受けなければならない義務があるようなもの)
極論だけど
体罰を含めて強権を発動させる権限を学校に付託できないのなら、
義務教育なんてやめちまえとも思う。
全部大検みたくすればいいんだ。
>「言葉」で「子ども」を押さえ込めないんだったら「暴力」でだって押さえ込めませんよ、馬鹿ですな。
では、どうすればよいのか
いい案があるなら示して欲しい。
なんだかグダグダになってきたので、
新しくたててみた。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20081004.html
別に公私道の区別がついてなくたって、被害を被ってないんだったら別にいいんじゃないですか。
勝手に撮影されたから困るとか、逆に単なるクレーマーとしか思えない。。
例えば、誰かが道ばたで写真を撮って、ウェブ上にアップしたとしますよね?Flickrでもmixiでもなんでもいいですけど。
その写真が私道だったら、どうしますか?
そんなん別にどうでもいいような気がするけど。
ていうか、ぼくんちが持っている私道なんて、
私有地扱いなのに公立学校の通学路指定になってますよ。
現実的には、そんなゆるーい感じで世の中うごいているのです。
ストリートビューにセンシチブな反応をする人って、一体なんなんでしょうね。
セキュリティがどうとか言うけど、タウンページのほうが余程プライバシーに甘い気がしますが。
だって、あんなのオレオレ詐欺の源泉ですよ。
とにかく自分の家が映るのが嫌だというのは、ヒステリックすぎるんじゃないですか?
だって、法律上の私有地は垂直にしか伸びていないし、家に肖像権があるわけじゃないんですから。
もしですよ、万が一、自分の家の付近のストリートビューへのアクセス数が多くて困ってるんだったら、
自分の家に看板をつけて、広告商売をしちゃったらいいんじゃないでしょうか?
とはいうものの、そんなにPVを稼げるところは皆無だと思いますが。
「では?」 というか、そう判断できるなら、そういうことじゃないのかな。
子育てのしやすさって、縦断的に子育てを続けた人なんているはずがないので、結局は主観になっちゃうと思います。
だから、「客観的には子育てしやすくなっているんだけど、主観的に子育てしにくくなっている」という事もあり得るし、現状はまさにそういう事じゃないかと思うんですよ。
客観的ととやかくいうなら、子育てはしやすくなっていると思います。
子供は死ににくいし、親世代は趣味さえ捨てればさほど貧しくないし、生活必需品は安いし、公立学校の教育水準は高いし、奨学制度のハードルは低いし。
http://anond.hatelabo.jp/20080528231825
言われて久しいが、いまだに大きな動きになっていない
みんな一斉にサマータイムだと混雑緩和にならないのでは?
一律強制より役所や公立学校だけずらすほうがいいはず。
サマータイムというのは、
サマータイムするかどうかに関係なく一日は24時間だよ。生まれたのと同じ分失ってるはずだけど。
温暖化防止とか明るい空を見るような余暇の増加という目的なら、サマータイムより時短やフレックスのほうがふさわしいでしょ。目的が同じなら別の話とは思わないんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080528231703
(必ず出社していなければいけない時間)
サマータイムでずれるのは一時間だからコアタイム以外でずらせるのが一時間以下(それってフレックスといえるんだろか)じゃないなら関係ないのでは?
ほとんどの会社が一緒にやってくれないと、
出社早々ほかの会社と一緒にってのはあまりないのでは?
コストを過剰に考え、メリットを当然のごとく受け止めて知らん顔するのは世の常だけど、だからこそ謙虚に物事を見るのは大切なことだ。
子どものいる人は、本当のところ子どものために社会がどれほどのコストを支払っているか、少しは知るべきだと思う。「児童手当」の例が挙がっていたし、勤めていれば扶養手当が出たりもするだろうが、そんなのは実は非常に些細な問題だ。そういう所しか見ないで「メリット少nwwww子無しから税取れwwwウェッウェッwwww」とか主張している人がおられるようだけど、それは少々問題だ。
たとえばそういう人は、公立学校の生徒一人あたり年間いくらお金がかかってるか、とか、たぶん知らないのだと思う。小中はともかく、高校は学費を払ってる?そんなものであれだけの施設がペイできるわけがないことくらい分かるだろう。その額一人あたり実に約100万円/年。小中高公立を利用する生徒の親は、年間100万ずつ援助されているのと同じだ。(※ちなみに私立にも私学助成金というものがあり、当然ながら税金が投入されている。)そして当然ながら独身者や子どものいない夫婦がおさめた税金もそこには使われているんだ。その税金から、子ども二人いれば年間200万、三人いれば(三人ともとりあえず高校までは出すとすると)トータルで3600万円を援助して貰って子育てしているわけだ。専門学校や私立大学の学費を思い出してみれば、それが法外な額ではなくむしろ本来当然の額なのだと理解できることと思う。
もちろん、たいていの場合、そこに文句を言う子無しの方はいない。社会全体として子育て支援をするのはやぶさかじゃない、と思っている。しかしそれは「公平な税負担」の上に成り立つ限りにおいてだ。その次世代の人々が成長することで社会全体が受益するなら、社会全体として公平な税負担を受け容れましょうということだ。もしそこに差をつけて、たとえば「子無し税」みたいなハナシを正当化しようとすると、あっという間にことは逆方向に向き始めるということに気づかなくてはいけない。教育費ただ一つを取ってみてもそもそも家一軒買えちゃうような額をぬくぬくと税金から貰っている方々が何を仰るやら、と言われてもおかしくないわけだ。
大体において、ザックリ言えば『次世代再生産』はトータルで黒字がほぼ見込める事業だ。だからこそ途上国で人口は爆発する。だってそもそもトータルで赤字の事業なら人類はとっくに滅びてるわけで、そう考えると子育てというのは、その最中は出て行く一方だけど、最終的には十分投資が回収できる事業というわけだ。まして社会全体からそれだけの応援をして貰っているなら、これはもうよほどひどい経営者でない限り僅かな元手で数倍のリターンが見込めるボロい事業なのだ。
だから、「受益者の応分負担」みたいなことを子有りの人が仰るのは、本当にちょっと控えた方がいいと思う。
確実にヤブヘビなんですよ、それは。
横だけど、
苦学生、言われる言われるw
私の周りではかなり一般的だったかなぁ。地方小部落の出で四人兄弟の長男。父は会社員、母は専業主婦。そりゃ、奨学金とか当たり前だろって話なんだけど。あまりにも当たり前で、確かに説明しないかもしれない。彼女には言ってるけども、本当にたまたま話す機会があっただけで、機会がなければわざわざ言うことでもないかなー、という認識だった。一連の発言を見て、「あー、けっこう感覚違うんだな」と再認識。
大学行ってれば借金がある。親だって教育ローンとか借りてくれているわけだし、妹の進学にも支援するのは当たり前じゃないかなーって漠然と思ってた。私があまり自分でお金を使わない人だからかもしれない。別に給与が多いわけではないけど、もっと欲しいというような渇望はないし。所謂オタク趣味ではあるけど、コレクターでもコミュニティに属するわけでもないから、コンテンツの消費速度に合わせて購入していれば月2,3万のお小遣いで充足する。物欲はあるけど、たいてい突発的で、すぐ忘れる。
付き合っている彼女が妙に裕福だからかもしれない。妙にプレゼントとかおごってくれたりするから、何かお返しをしよう、と言ったら、彼女にしてくれてるお返しだからお返しのお返しは違法、なぜならお返しのお返しを許容するとお返しのお返しのお返しが発生して無限ループになってしまうからと却下されてしまった。私はもう、食事の回数で貸し借りを考えちゃう(w)金銭感覚だから、ちょっと落ち着かない。でも、これでお金がかかる彼女とかなら、また話は違ったりするのかもしれない、と思う。
苦学生。みんな、二宮金次郎みたいなイメージなんだよね。実態はカロリー消費を抑えて青空文庫を読んだり図書館で借りてきた哲学書を焼酎飲みながら眺めたりファミコンでひたすらPC原人プレイしたりする。まあ、それは別の話。
そういえば、ちょっと興味があって調べてみた。2006年の大学進学率は約5割くらいなんだよね。そのうち奨学金の利用者は学部4割、院6割らしい。(http://www.jili.or.jp/lifeplan/event_type/lifeevent/education/9.html) 同じ統計で次のページに月平均10万の仕送り、とか書かれているけど、そのあたりはあまり気にしないことにして。
つまり、そこらへんに歩いている普通の大学生の半分は利用しているんだよね。進学するのに予備校とか塾とか私立の進学校に行くことが現実的に必要そうな都市部(都市部の公立学校で進学校はあまり多くないと聞いてます。これはあまり根拠が薄いけど)は相対的に裕福な家庭が多いだろうから、そりゃあ利用者は少ないだろうし、同様の理由で難関私立にも多いかもしれない。でも、旧帝大レベルなら、全国から普通の進学校のトップ連中が集まったりするし、そういうところはあんまり頭の出来不出来と収入が相関しない(ある程度はする)から、半数はわからないけれども、一定割合は確実にいる。まあ、統計的に。
たとえば、親戚や従兄弟で東大・京大に入ってる子らはたいてい家業が農家で、もちろん学校以外にはお金をかけず奨学金を受けて入ってるから、少なくともそれはファンタジーじゃあないんだよね。ある程度のレアなケースではあるけれど。田舎では遊ぶ場所がないから勉強が結局一番エキサイティングなんだ、と言っていた従兄弟もいたけど、それはそれで面白い視点。なぜ東大・京大くらいしか例がないかといえば、田舎の人間が知っている大学はそのくらいしかないからでw 学費が安い = 国立、ってわりと安易な目標設定だったりするんだけどね。
でもまー、わりと普通のことなんだから、ことさらに「すごーい、頑張ってたんだね!」と驚かれるのもなんだか落ち着かないのです。だからといって「お前らが裕福な親持ってるだけなんじゃー!」って熱く語ってもそれはそれでしょうがない。そういった「全国的な普通さの視点」って報道になかなか乗らないからなぁ。そのあたり、普通の感覚ってもっと共有していくべきじゃなかろーかと思うそんな昼休みの増田でした。