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2024-08-18

小説感情よりも行動を書くべき」?

https://x.com/MintoTsukino/status/1824784490595831974?t=D7DlRf7xF6ABfVm-i3c-4Q&s=19

これはとある有名小説家先生が言ってたんだけど、小説感情を書いちゃだめで、行動を書くものらしい

「彼は悲しかった」って書いちゃったら感想文になっちゃうから「雫が頬を伝った」とかの描写を書かなくちゃいけないんだって

すごく勉強になった

一瞬同意しかけたんだが、冷静に考えたら行動を書くなら「彼は泣いた」でも良いじゃん?

でもそれだと大して印象が変わってない

からこれ、感情か行動かというよりは単に凝った表現使うとなんか良い感じに見える、という話なのではと思った

(ツイッターで8割くらい同じ意見見かけたのでパクツイだと思ったらスマン)

俺が探し求めている眼光鋭いヒゲの爺

口髭があって、目が細くて、学があって、ハゲではなくて、賢そうな顔をしている爺なんだけど

誰だか分かる?

分かる?っていうかそういう顔の爺を探してるんだけど

いねえんだよなー

記憶を頼りに子供の頃に読んだ漫画をさがしているような感覚

やっぱり脳内で作り上げた架空人物なのかな

アインシュタインではない あの人は目がつぶらすぎる

柴崎春通先生部分的に惜しいけど彼でもない 顔が優しすぎる

小村寿太郎でもない 髭が黒すぎる

夏目漱石でもドクターゲロでもない なんか足りない

 

まあつまりそんな奴は実在しないと思うだろう?

俺もそんな気がしてきた

AIで生み出した方が早いのかもしれない

anond:20240726003809

金持ちはこんな所で時間無駄にしないだろうから増田生活習慣から変えていかないと。金持ちから金を巻き上げて微量を皆で分配した所でただ微量の底上げがされただけで貧富のピラミッドが崩れる事はないよ。

ピエール手塚先生金持ちかは知らんけど、寝る暇惜しんで暇さえあればマンガ描くくらいの事やってタダの消費者から這い上がってるのみると、結局クレクレしてるだけじゃ貧乏から抜け出せないよ。

米山隆一先生って

頭良すぎじゃない?

Twitterで絡んでくる変なやつらに

冷静に理路整然と答えててすごいわ。

自分だったら言語化もできずに

尻尾巻いて逃げてまうわ。

あん政治家他にいる?

んへー風呂はいるのめんどくさいよー

先生、服脱がして?

2024-08-17

追記活動3年登録者数5桁の男性個人Vだがもう無理ゲー

俺は活動を始めて3年近くになる個人男性Vtuber

登録者数は、男性個人にしては多い方とされる5桁に届いているが

昨今のYouTubeでの伸ばし方や、男性個人Vが(個人的に思っているような)まともな方法で伸ばすのがマジで無理なんだと感じたので

今後男性Vとしてデビューしたい人達に向けて今の俺の気持ちを伝えたい。

男性Vは女性Vに比べて伸び辛い】

この問題は界隈の常識なので今更感あるが、個人男性Vの伸び辛さはマジで半端ない。改めて言う

まずVを見る層は男の方が多い。これは当たり前だ

しか女性リスナーが少ないという訳でもない

その女性リスナーの大半がどこにいるのかわかるだろうか?

そう、某大手Vtuber事務所所属ライバーの所である

まり性別で云々は言いたくないが、女性リスナーの恐らく半数以上は

【人気のあるライバーに集中する】傾向にあると思われる

そのため、ある程度の人気を得た状態

もっと言えば【大手事務所所属している状態】でないと

見てみようという選択肢そもそも無いのである

もちろん企業所属のVの方がイベントやグッズ、タイアップ企画など

色々な推し活を楽しめるだろうというのはわかる

しかし大半の時間をしめる通常配信においては

ゲーム雑談、歌など企業個人も同じ内容である

面白さにおいても大きな差など無い。

というか言葉選びや喋り方、声や見た目などは好みがあるので、企業個人わず人により合う合わないがあるし

そこにある差は企業看板を背負っているかしかないと思う

だがその一つがとてつもなく大きな壁になるのだ。

男性リスナーを取り込めばいいのでは?」と思った君

かにそれもいい。そうしたい。でも厳しい。

男性リスナー殆どは男の配信者に面白さを求める

Vtuber特権である誰でもイケメンなんてものに興味は無いのだ

そして中身の面白さも結局の所伸びておすすめにのって運良く見てもらう他無い

だが伸びるために初期の頃はイケメンガワや女性向けゲームなどで女性リスナーを増やすしかない

そうして伸ばした結果男ウケするような内容から遠ざかっていき

男性リスナーを取り込む事が難しくなるのだ。

個人勢の強み、距離の近さがやがて足を引っ張る】

個人Vが大手企業Vと明らかに違う点をあげるとするならば

リスナー1人1人との距離の近さである

ほとんどの個人Vは活動を本格的に始める前にまずX(旧Twitter)で同業者リスナー候補となる人達自分存在アピールする

そしてそのままXがファンとのコミュニケーションツールとなる事が殆ど

おはようVtuberや各種タグ日常ポストにリプをすれば

確率で返事が返ってくるし

同接(配信リアルタイムで見ている人数)が少ない初期の頃は

コメントをすれば反応があるのも当たり前で

それこそが個人勢を推す人々の楽しみ方なのである

リスナーとのやりとりはもちろん楽しい部分もある。応援の声は励みになるし、ファンアートにも引用ポストでお礼を言ったり

自分好きな人達の声をよく聞けることは悪い事じゃない

自分のリプ返で喜んでもらえるならと初期の頃から今まで欠かした事は無い。

俺は色々な事が1人で出来たから、ただゲーム雑談をやるだけでなく

そこに自分の作ったギミックなどを組み込んだり

少し変わった視聴者参加型配信をしたりと

少しでも見ている人たちが楽しめるようにと日々考えて配信活動を続けた

配信面白い」「初めてVtuber好きになった」など嬉しい言葉をもらう事もあったり

リスナー同士が自分話題で盛り上がって仲良くなったりするのを見るのも好きだった

そして、登録者数も順調に伸びていった。

ここまで見て何が問題なのかわからないと思うが

この配信者との近さと、リスナー同士の近さこそが

実は問題だったのだ。

まずYouTube配信内でのコメント欄にはアカウントを作った時につけた名前と、設定したアイコンと共にコメント流れるので

いつもコメントしてくれる人などはパッと見ですぐわかる

Xなどでも交流している人の場合、Xのアカウントと同じ名前だったりするので更にわかやす

ので、リスナー同士で喧嘩なんてされたらもうどうしようもない

「あの人がいるか配信コメント出来ない」「ブロックしても配信画面にあの人のコメント映るから行けない」

これがマーーーーーーーージでこっちに全然関係ない所で揉めて同接にも再生数にも影響されるとかいダルすぎる件の1つ

挙句仲裁に入って欲しいと第三者に言われる始末

俺はお前らの担任先生でも無いし親でも無いんだよ

結局どちらにもよしよししてなんとか取り持ったと思ったら最終的には片方はいなくなって他のVの所に行く有様

俺の時間を返せよマジで

等というリスナー同士のアレコレに巻き込まれ自分に非のない所でファンを失うなんてよくある話だ。

ならばコメント欄で1人の人間が目立たないようリスナーを増やそうと頑張ってみても結局

「人が増えた事で構ってくれる時間が減った。」という理由から

また別の登録者や同接の少ないVの所に行くようになるやつが一定数いる

これが、マジで、1番のクソ。

こっちは楽しい配信をして登録者を増やそうと頑張っているのに

リスナーが増えたことによって構われる時間が減ったかリスナーが減るっていう

何のために頑張ってんの?ってすごくやる気を削がれる

せっかく増えた同接も再生数も一定数行くとまた減る

これを繰り返す。アホらしくなる

もちろん全ての人がそうではない、ずっと応援してくれている人もいる

だが個人Vを見に来る人の半数は面白いとかで見ていない

ただ【その時都合よく構ってくれる存在から】見ているのだ

これこそが個人Vが詰んでると感じる1番の要因となるもの

伸びるために頑張っても、伸びていくといなくなる

こっちがどれだけ心の中でリスナーを大切に思っていても

あっちは都合が悪くなったらすぐに別のVの所に行く

俺たちの事は心のある人だなんて思っていない

ただの消耗品なんだという事実を突きつけられる。

1番意味がわからなかったのは「配信面白かったです!今後推させてもらいます!」ってDM来た2日後にXのフォロー外されて配信にも来なくなった時だ

その間配信はしてないし、失言をしたわけでもない

いつも通りの日常を送っていたのに、だ。

誰か説明してくれ

そしてもう愚直に面白配信を目指してコツコツ頑張っても意味のない時代になってきているのかもしれないとも思う

みんな同じ配信スタイル(今で言う縦型配信)で

みんな同じタイミングで同じ流行りのゲームをやる

そこで運良くおすすめにのれば伸びるかも

からそればっかり。みんな同じ事をして自分コンテンツなんてものが無い

もしくは数字を持っている人とコラボしてキャリーしてもらうくらいか

どちらにせよ自分の実力なんてもの殆ど無い

それが虚しい。そんなもので伸びたくないなんていう

バカみたいなこだわりを持っているせいで

現在伸び悩んでる阿呆が俺だ。

3年近く個人Vをやって色々な事があって

未来が見えなくなった。

結局残された道は大手企業に受かるよう頑張るか

こだわりなんて捨ててみんなと同じ事をするしかないのかもしれない。

もし今後男性個人Vになろうとしている人がいるとしたら

相当な覚悟を持つべきだ。

リスナーの言う「一生推します!」の一生は、セミ寿命より短い。

追記

まさかこんなどうしようもない愚痴を沢山の方に見ていただけるとは思ってもいませんでした。

皆様のコメントを見ながら、自分活動に対する思いや

目標とするもの自分が楽しむ事が大切な事や

これから先どうしていくべきか等をもう一度よく考えなくてはと思い知りました。

これが正解だと自信を持って進める道を見つける事が出来るかはわかりませんが

皆様の優しいお言葉も厳しいお言葉もどちらも自分の今後の成長のために参考にさせていただき、もう少し頑張ってみようと思います。皆様ありがとうございます

ちなみに自分のウリの一つはとてつもない低音のイケボです。

出版社漫画賞応募者を見下している

漫画を描いて生活している者です。

出版社主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。

まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。

なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。

少なくとも主催者と応募者は対等な関係であるべきです。

しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。

個人でも電子書籍漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。

それなのに、私はどうしても作家作品を軽んじるような、漫画業界価値観アップデートできてなさを感じてしまうのです。

漫画賞のポータルサイトマンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります

試しにこのサイト適当漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社高慢な態度を感じませんか?

出版社漫画賞応募者を見下していると私が感じる例

キミ

豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/

応募者を「キミ」と呼んでいます年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。

冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います

繰り返しになりますが、出版社ビジネスとして自社商品の作り手を募集しています

たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実ビジネスの場です。

協業相手候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。

指導

連載を目指し、担当編集者マンツーマン指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/

受賞した場合編集者作家に「指導」すると書かれています

もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。

ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者新人作家であっても立場は対等であるべきです。

2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社社員でもなければ、先生と生徒でもありません。

その他、個人的に

その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています

それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。

anond:20240817152721

でんじろう先生

おねんどお姉さん

「では服を着たまま100%避妊可能物理接触を伴わないサックスを作ってみましょう!」

「こねこね〜こねこね。」

anond:20240817134150

人間全般にそういう部分があるのは否定しないけど、オタク場合インテリ志向」と「逆振り、反権力志向」「面白至上主義」があるのがでかいと思う

根本としてインテリ知識人を気取りたい志向があるから知識欲、インテリ知識人になりたい欲はあるけど、マスコミがーとかみたいに社会で認められてるもの王道一般論に反逆して「ほかとは違う特別人間を気取りたい、ドヤりたい」という逆振り思考あるじゃん

そうなると大手マスコミを筆頭とした大衆は知らない話、ニッチジャンル知識に偏るけど、アニメマンガSNSの申し子としてありとあらゆるものを娯楽として薄っぺらく消費する面白至上主義という病気も患ってる

そうなるとニッチジャンルでも王道学術路線よりも、妄想事実区別をつけない成金おじさんの認知プロファイリングに飛びつくことになる

という持論を暇空先生が一億集めたこから持ってる

なお根拠はない

日本共産党「党の専従職員労働者ではありません!!」

紙谷研究所神谷氏が日本共産党から除籍&解雇された件、hamachan先生ブログに書いてないかな~

と思っていたらやはり書いていました。

結社/経営体としての日本共産党

ブログによると過去にも専従職員労働者性が争点になった裁判はあったみたいで、その時の判決では労働者性は否定されたみたいです。

しかし、ブログにも書いてあった当時の共産党

党は「自発的意志にもとづき、自覚的規律でむすばれた共産主義者統一された、たたか組織である」(規約前文)。党内関係においては労使関係もつて論ずることの可能法律関係は一切存在しない。

という主張は正直ヤベェなって思いました。(現在でもその主張が維持されてるのかはわかりませんが・・・

いまだに石丸批判してるテレビ番組

都知事選インタビューでやり返されたことを精神科医に見てもらう風な感じで石丸さんを異常者扱いしてたわ。

精神科医先生のほうは石丸さんをベタめしてて台無しになったみたい。いまだに私怨たらたらの情報媒体とか本当にテレビは終わってる

   代々木総合法律事務所    新宅正雄弁護士 が 寝ている間の夢でおかしくなっていく様子

      平成20年12月     弁護士面会にて。    私も東大法学部卒だけど東大法学部はそんなに大したところじゃないんだ・・・

                               生活をしないといけないからねえ   法律矛盾を調整するものから・・・等々

      平成25年6月13日     ブログ( id:kurinta )にて。     西田典之先生が亡くなられた

      平成29年3月15日       代々木で、フミヒロさん本人と会っているにも関わらず、事務所餓鬼に退去させて逃げている。

          現在、全く不明

リッチ先生のあれは、翻訳がクソなんだ。特にタイトル

翻訳 https://econ101.jp/notes-on-progress-an-environmentalist/

環境に良いとされている生活習慣(ビニールプラスチック消費、地産地消)は実際には環境に良くないことが多い」

原文

https://www.worksinprogress.news/p/notes-on-progress-an-environmentalist

An environmentalist gets lunchWhy being an effective environmentalist can often feel like being a bad one

環境活動家の飯の種ーどうして論理的には環境に良い行動が環境に悪く思えるのか

ここでいう環境は、オゾン層破壊とかCO2排出とかの科学的な数字ビニール袋の方がコットンのトートバックよりすごく小さいみたいな話をしているのだが、

生分解性の話は環境負荷として計算に入っていない。原発についても同様で、原発の直接の死者がとても少なくて、原発より石炭火力の煤煙で呼吸器疾患になり死ぬ人の方が多い、みたいな話をしている。福島事故例外中に例外確率とか数字でいうと誤差、みたいな論理の組み立てなのた。

ここでリッチ先生が言いたいのはたぶん、ビニール袋が環境に良いという話ではなくて、必ずしも科学的でない環境活動家の主張が支持されるのはなぜか、みたいなことについてのエッセイなのだ

2024-08-16

本屋反駁増田に付いたブコメレベルが低くて強烈

客注分が取次倉庫で止まったままで客にキャンセルされたnoteの件。

それとそれへの反駁増田に付いたブクマ正気を疑うコメントに星が集まっている。

ひとりの書店主として、伝えたいこと とうとう危惧していたことが現実になってしまった。|二村知子 隆祥館書店

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/ryushokanbook/n/nb27594fcfa61

 

書店で本を注文して届かない理由 あるいは書店の見分け方

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240816112133

 

「近所に紀伊国屋書店があるからそこで買って渡せば良い」論

こ、これを書いてる人は働いた事はおありで?

普通流通商売上では「プロパー」な取引経路というものがあって、その中で勝負するもんなの。ってかなんでこんな事大人に対して言わなきゃならないの?

ましてや紀伊国屋書店は小売りだ。小売りが小売りで仕入れてどうするんだよ。

例えば他業種に限るが、問屋から仕入れ値以下で捌くって事はある。客寄せとか不良在庫とかね。

小売りで買って同価格で小売りしたら粗利ゼロだ。問屋から仕入れ値で売り捌いたのと金額的には同じだ。

だがこの二つを「同じ」と考える人はいないだろう?なんで発想がせどりなんだ?

品薄新ゲーム機小売店仕入れ転売するのと小売りは一緒と言っている大経済博士の大池信大先生と同じこと言ってるぞ。それって実経済無知って事だぞ。

 

あと本屋場合忘れてはならないのが再販制で、新本屋は取次以外から仕入れて売っちゃダメなの。

そんな事をしたらそれこそ問屋、この場合取次から取引切られる。バカやって問屋から切られるヤバさって判ってないんか?

本屋に本を卸した時点では取次は金を請求しない。売れたり万引きされて在庫が無くなっていたりで返本されない場合に取次の営業がチェックして計上し、請求するの。

こんな特殊慣行信用取引で変なとこから仕入れてたら取引停止になるだろって。

 

そもそもプロパーな経路で品が滞っていたらクレーム入れる権利があるに決まっている。

 

Amazonで買えば翌日に客に渡せる」論

からなんで発想がせどりなんだよ。なんで人前でこんな意見を堂々と言えるんだよ。

このコメント印刷して会社の人に見せられる?「お客さんの前で雑談しないでね」って言われて社外の人に電話メール禁止されそうだが。

 

それからAmazonはもう翌日には届かないよ。数日~1週間待たされるのとかザラになってる。

 

Amazonがあるからもう本屋って必要ないよな」論

沢山居るが、はっきり言うが君は阿呆だ。資本主義の仕組みが判らない阿呆だ。世の仕組みも分から会社から養分だけ吸い取ってる寄生虫だ。

あのね、Amazonは本を無料で、最短なら翌日で届けてくれるよね。最近配送が遅いけど。

ではあのね、街中の本屋が無くなったら、Amazonはそんなサービス継続する理由があるかい

街中で本が買えなくなったら一冊あたり500円取ってもいいし、配送が2週間後になってもいいんだよ。だから今の尼の本のサービスが維持されるのは街中に本屋がまぁまぁあってそこでも買えるという、古くからの商習慣が残っている間だけなの。

 

そしてAmazonの本配送無料サービスは実は一部切り上げられている。

以前は、サービスインから15年来、購入品目に本が入っていると金額にかかわらず送料無料だった。

でも今は本だけを買った場合は送料無料のままだけど、本に同梱される品物には送料が掛かるのだ。(3500円以下の場合

これは恐らく送料無料閾値が3500円に変わった時の変更だと思う。

 

客注での取次の遅さの問題は遥か昔から

ブコメで「本屋がいよいよ終わりでサービス悪くなった」と書いてる人も居るが、そうじゃない。ずっと昔からこのままなの。

40年前から客注は2週間掛かっていた。

そこに1980年代になると、日本の本でもISBNコードが付くようになった。

更に1990年頃にはOA化が進み、90年代にはISBNバーコードが付くようになり、NTTISDNを始めて端末で発注できるようになった。

2000年代にはPC POS一般化して小売りでも在庫確認が容易になった。

これだけ進化してるのに客注の遅さは全く改善されてきていない。今までの時間テクノロジーはどこに行ったの?

しか東京の真ん中で発注しても同じなのだ。それって拠点から拠点への路線トラックで遅延してるという事ではないという事である旧ソ連のごとくの流通システムだ。

そこにAmazonだ。旧市場パイテクノロジーで奪う動機を持った組織にこんなのが敵うわきゃないのだ。

因みに増田はこの取次の怠慢が不愉快で、本の取り寄せが必要な時は神保町古本屋に行ってしまっていた。利用者としても愛想が尽きる問題だ。

 

ちゅー訳で、やる気がある本屋愚痴業界知ってそうな増田反駁止揚された意見が書き込まれるかと思いきや、キョウレツちょっと正気を疑うブコメばかりに星が集まっているので書いてみた。

台風過ぎたる夏の夜に阿呆列車の響きありという感じだ。

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

カブトムシの本を読んで

夏になるとこのタイトルで書いた宿題のことを思い出す。小学校2年生のことだった。その年に『上手な読書感想文の書き方』を知った私はじゃあ実践しよう、と当時好きだったカブトムシが出てくる本を選んで原稿用紙を広げた。

実体験と紐付けると良いというアドバイスがあったが、感想文に合うような実体験などそう転がっているものではない。気が付けば私は連想ゲームのように膨らませた嘘八百を書き綴っていた。お盆帰省する祖父の家にカブトムシの幼虫がいたのは本当だが、それに関する祖父との思い出はすべて感動的に盛った嘘、という具合だ。

そうして指定文字数を埋めた読書感想文を提出したことで、ある問題が発生した。

その読書感想文が賞を取ってしまったのである

賞と言っても小さな町の小さなものだ。しか子どもにとっては大きなことだった。喜んで親に報告した翌日、先生から「じゃあお昼の放送で読んでもらうからね」と告げられた。その瞬間舞い上がっていた気持ちが地に落ち、血の気が引くとはこのことかという感覚を味わった。

昼の放送で読むということは、学校中が知るということだ。その中にはもちろん私の兄もいた。兄が聞けば当然読書感想文の嘘など丸分かりである

子どもながらに絶望し、絶対嫌だと泣きわめいて読む練習放棄していたが、とうとう母親にその問題行動が伝わりしこたま叱られた。その時になって私はようやく嘘ばかり書いたことを泣きながら白状した。母親はまた叱り、反省を促し、最後は「文章書くのが上手なのね」と呆れ混じりに言った。

結局私は嘘ばかりの感想文を馬鹿みたいに読み上げ、二度とこんな嘘はつかないことを誓ったのだった。

嘘をつくとそれを誤魔化そうとしてより大変なことになるのは本当。あと子どもの頃の経験は本当に大きいってことも。大人になった今も夏になると思い出しては気持ちが引き締まる。嘘をついてはいけません。

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

anond:20240816045740

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anond:20240816101008

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