はてなキーワード: 先物取引とは
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても
取引には現金で即日という最強の取引から期待値に不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので
相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミングに必要な貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので
時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスクの回避になっているから
その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと
次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね
FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算とかに全部の分の取引相手国の現金が必要なんだよね
これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要な貨幣量の総合計を国とか銀行がストックするのってすごくリスクなんだよね
国単位の明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない
同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる
もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ
なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの
みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね
だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
細かい連鎖が数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね
でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね
その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
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みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
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手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
俺は何年か公務員やって、その後は民間で勤めているんだけど、前も今も営業電話というのがよくかかってくる。まあ皆さん御経験おありと思うんだけど。
公務員のときは、よく先物取引の営業電話がかかってきた。ベテランの営業は色々とつかむ為の芸も仕込んでいるみたいで、
なんて言うわけね。何それ、煮えてんのか? とか思いつつも素気なく切って、茶飲み話に臨時職員の女性相手に話したら、彼女はニヤーっと笑って、
「それ、どうされるんですか?」
「え? いや、乗るわけないでしょう」
「そうですよ。絶対乗っちゃ駄目です」
やけにきっぱり言うなあ、と思ったら、
「え? そうなんですか……じゃあ聞きますけど、仮に乗ったらどうなるんですか」
まあ、先物絡みの恐ろしい話なんて、ちょっとググればなんぼでも読めるけど、その数百万で済めばまだまし、それを補填したいが為に更に金を突っ込んで、もうにっちもさっちもいかなくなって……なんてのは、実際ある話らしい。
その後も今に至るまで、やれマンション投資だ何だ、と電話がかかってくるわけだけど、最近イラッとくるのが、新人らしき輩が(研修がてら?)かけてくるわけですよ。もう、マニュアルの文例読んでるのがミエミエ、早口で話すな、とでも言われているのか、不自然にゆっくりと喋る。でも敬語がダメダメ。「ちょっと、よろしいっすかぁ」みたいなね。この手のが食い下がってくると、ついついキツいことを言って切ってしまうんだけど……いや、最近は向こうから切りやがるんだよな。余程私の言い様がキツいのか。
そういうのを聞く度に、ああ、あいつ、他にもっと向いてる仕事あるんじゃないのかなあ、あんな仕事しなければ食っていけないのかなあ、それって幸せじゃないよなあきっと、私がひどいこと言うみたいに何人にも罵声を浴びせられて、心がどんどん磨り減っていっちゃうんじゃないか、とか思ったりもする。しかし、仕事の時間をこれに奪われるこちらも心が磨り減るわけで。これはやはり、世の歪みなのかなあ、とも思ったりする。気弱で断れない奴捕まえるまでかけ続けさせられるんだろうなあ。色々な意味で無駄な仕事だよ。哀しい。
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~
4 FX
5 仮想通貨
6 YOUTUBER
9 同人ゲー
10同人誌
11ラーメン
12乞食
21政治家
22競馬
23ラスベガス
25お笑い芸人
26徳川埋蔵金
27宇宙人
28ツチノコ
30ゴールドラッシュ
31先物取引
32商材詐欺
34玉の輿
35ホスト
37ダークウェッブ
39ゆすりたかり
40インスタ映え
41謎グッズ販売
42漫画家
43音楽
44なろう小説
45アフィ
49ホームレス
50酒に逃げる
51割り切る
53洗脳を受け入れる
54頑張って働く理由を作る
55惚れた女のために働く
56尊敬できる人の下で働く
57自分を好きになる
58両親に相談する
60イマジナリーフレンドを作る
62外国に住む
64為替で一山当てる
67今つらいのは未来に希望がないからだけどそれがもしも見つかればきっと会社に行くのも今ほどは辛くなくなるはず
68会社に行くのが辛いんじゃなくて換えの効くパーツとしてぞんざいに扱われている事が辛いし換えが効くかどうかじゃなくてぞんざいに扱われているのが辛いのだと知る
69俺は、俺を大事にしてくれるような誰かや、そういう世界で生きていきたい
70必要とされたい
72人間であることは認めるが奴隷のように働くのならばという条件をつけられている状態ではなくてだ
73俺がこんなにも金がほしいのは金があれば人として認めてもらえるからだ
74金は裏切らないなんて思っては居ないけど金が裏切る可能性は本当に低い
77それを分かっていながら俺がそれに従うしか無いのも俺に金がないからだ
78金だ金だ金だ金だ
79違う
80俺が欲しいのは温かい寝床や食事や突然誰かに殴られて全部巻き上げられずに住むような生活なんだ
81それを生み出しているのは金そのものじゃない
82金を通して手に入るものが欲しいんだ
83豊かさなんだ
84豊かさを享受する資格があることを証明するための手段だったんだ
86そうすれば俺たちはもっとずっと簡単に豊かになれるはずなんだ
89きっと誰も隣の誰かから豊かさを奪おうとはしない
90偉そうにふんぞり返って俺たちから時間や人間性を奪い取っている奴らも
91そんなに躍起にならずに済むならそこまではしないだろう
92そう信用できる奴らだけじゃないことも知っている
93でも皆が豊かになればそんな奴はただの嫌われ者でしかなくなるだろうよ
94だから俺は
96その道はどこにあるんだ
97探すんだ
98どこで
99まずは
100夢の中で
101とりあえず寝るわ
ある思考実験を思いついた。
自分は今現在彼女がいない。しかし、半年後には彼女がいるとする。
そこで、半年後の自分から「彼女」というステータスを前借りして、今現在「彼女」を持っている(=彼女持ち)状態にする。
そこから本物の彼女を作るという一種の先物取引を行う。(以下カギカッコつきの「彼女」は先物を指す)
資本主義の例を見るまでもなく、この世界ではよく「富めるものはますます富む」という「べき乗則」が働いている。
これが恋愛にも当てはまるとすると、「彼女を持つ者にはさらに人気が集まる」ということになる。
確たる証拠はないが、既婚者がモテるとも聞くのでその可能性はあるのではないかと思われる。「欲望は他者の欲望」という言葉もあるし。
そうでなくても、「自分には彼女がいる」ということは限りなく自信にもつながるだろう。たとえそれが未来から借りてきた実体のないものであっても。
その「彼女」持ちの状態から半年以内に本当に彼女を作るように励む。前述の通り、彼女がいない状態から始めるよりも「彼女」がいるという状態から始めるほうができる確率は高いと考える。
だが、もし失敗したら?
どうってことはない。
「やっぱこの取引最初からナシ」となかったことにしてしまえばいいのである。そしてまた半年先の自分から「彼女」を借りて頑張ろう。
ある思考実験を思いついた。
自分は今現在彼女がいない。しかし、半年後には彼女がいるとする。
そこで、半年後の自分から「彼女」というステータスを前借りして、今現在「彼女」を持っている(=彼女持ち)状態にする。
そこから本物の彼女を作るという一種の先物取引を行う。(以下カギカッコつきの「彼女」は先物を指す)
資本主義の例を見るまでもなく、この世界ではよく「富めるものはますます富む」という「べき乗則」が働いている。
これが恋愛にも当てはまるとすると、「彼女を持つ者にはさらに人気が集まる」ということになる。
確たる証拠はないが、既婚者がモテるとも聞くのでその可能性はあるのではないかと思われる。「欲望は他者の欲望」という言葉もあるし。
そうでなくても、「自分には彼女がいる」ということは限りなく自信にもつながるだろう。たとえそれが未来から借りてきた実体のないものであっても。
その「彼女」持ちの状態から半年以内に本当に彼女を作るように励む。前述の通り、彼女がいない状態から始めるよりも「彼女」がいるという状態から始めるほうができる確率は高いと考える。
だが、もし失敗したら?
どうってことはない。
「やっぱこの取引最初からナシ」となかったことにしてしまえばいいのである。そしてまた半年先の自分から「彼女」を借りて頑張ろう。
私は東京の大学への進学を機に実家を離れたが父が亡くなってからは
帰っても、話も合わないし何かと妹は私に張り合ってくるのだ。
いつも私が悪いことになる。お姉ちゃんはなんでも我慢して当然なのだ。
妹はなにもかも母に出してもらい、収入は全て貯蓄してた。
父の遺産も母と妹が2人で好きに使って、
私に渡された幾ばくかの金も会うと返せという。
そんな調子なのでずっと疎遠にしてた。
先日は、先物取引き詐欺にあい、なけなしの預金を失ったそうだ。
そんな私も夫ができて、妊娠した。
助産師さんに言われた。
東京で産むように予約をしていたが、母からも是非戻って来るように言われ、
断ったところ、母が知り合いの医院に予約を強行。
実家に帰ったら最悪。
未婚の妹は、嫌味や喧嘩をふっかけてきて、
負かされると、娘を殺すと言ってきた。
悪いがあんたらには愛想が尽きた。
1ヶ月お世話になる予定だったが、帰るわ。。
全体的におかしいすぎる。
これは何年代を指すか。一般的には、土地領主が発生し地域ごとに支配を行っていた時期を中世と指すことが多い、日本では鎌倉~室町までを指すのが一般的(諸説あります)。鎌倉~室町時期に400年続いた日本全土を支配的に統治した政権はない。
流動性を欠いて
諸説あるが、体制的な市場ではないにせよ、中世(鎌倉中期ごろからなど諸説あります)には、すでに抽象的な市場経済は存在していたとする説が今では一般的。増田のいう「中世」が、『400年も政権が継続』という言葉から推測して江戸時代だと仮説をしても、すでにトラバにある通り幕府公認の米相場(先物取引市場)すらあり市場経済が形成されていた。
これを上記のとおり江戸時代と推測して、教科書的な年号で、大政奉還(1868)マイナス徳川家康が征夷大将軍になった年(1603)しても、265年間しかない。さらに、この江戸時代中、文字通り265年間安定的に政権が継続した、と言うのは少々雑ではある。前半40年近くは幕藩体制が固まりきっておらず、後半は100年近く攘夷だ討幕だなんだかんだとやっており、政治体としての徳川家はあるものの「継続してよかったね」と思うほどの政権があったかというと微妙だったりする。
我々は経済効果に変えるためにやるわけではないので、そこは絶対に踏み外さないようにしましょう、と。「コンテンツには必ず終わりが来るので、コンテンツにばかり寄りかかっていると、なくなった途端また元に戻っちゃう。次に皆さんがやったほうが良いことは、いま来てくれているお客さんに“大洗のファン”になってもらうことですよ」
我々はそんなおこがましいことを考えていませんでしたと。我々は面白い作品を作るための努力はできるけれど、それ以上のことはできません。(ヒットする約束を)先物取引のように、舞台となる町との交渉材料には使えません。
「我々も町には必要以上に甘えません。だから町の皆さんも我々に必要以上に甘えないでください」と。どちらかがどちらかに甘え始めた途端に、関係はきっと不健全になります。
ロイヤリティーは当然必要ですが、MGについては大洗だけではなく――ケース・バイ・ケースですが――ガルパンに関しては商品化にあたってMGをいただいたことはほとんどないですね大きな企業以外は、商工会で版権の利用申請受付と利用状況をまとめてレポートし、それを元にバンダイビジュアルさんから商工会へ請求が届き、商工会がお支払いする、という流れ
大洗に行って、実際に商品を手に取ってみるとわかりますが、ほとんどロイヤリティーが乗っていないような金額で商品が販売されています。最近は大晦日にガルパンファンが、磯前神社で初日の出を見ようということで夜明かしをするんですね。年末の海のそばだからものすごく寒い。そうしたらウスヤさんは朝の5時まで店を開けてくださったんです。ファンが暖まれるようにって。串カツも売るんですが、一緒に甘酒を振る舞っちゃう。それ、下手をすると赤字でしょ、と。でもそれをやる人たちなんですよ。誰から頼まれるでもなく、自分たちでやり始める。そういうことをしてくれる町だからこそ、「ガルパンがきっかけだけど、大洗が好きで、どこそこの商店のおばちゃんに会いに来ました」って、ファンが手土産持っていく
大洗って、もともと観光地で、ホスピタリティーが高く、年間を通じてイベントが多いんです。いろんな仕掛けをしてお客さんを誘引する努力をしてきた町なので、ガルパン1つに町の命運を委ねる気はない おカネ・経済効果を度外視してみんなでガルパン面白いねって言ってくれる町だから、ファンが安心して来られる。そもそも大洗は、まちおこしなんてする必要がないレベルの有名観光地でしょ。おカネにならなくてもファンを歓待するというのは、目の前の利益じゃなくて、町や店を好きになってもらうほうが先……といった商売人ならではの嗅覚が働いている
年季が入っているオタクって――わたしもそうですが――いわゆる偏見に晒されながら生きてきたので、自分たちがどういう風に見られがちか、よくわかっています。せっかく町の人たちがよろこんでくれているのに自分たちが間違った行動をして、それを台無しにしてはいけない、という認識の人がすごく多いのです。
たまに、コンサルタントから送られてくる企画書を見るんですけれど『うーん』って。過去事例を並べて「あなたの町もこうすれば……」という内容で、言い方は悪いけれどお手軽過ぎというか『考えてないでしょ』って思っちゃうんですよね。―― あなたたち、6年間毎月のように通って、面倒事もモデレートしながらやっていけるんですかっていう。町の人たちを中心に作って盛り上げていく形でないかぎりは、たぶんうまくいかないんじゃないかなあ……。
輪廻のラグランジェの話はそこまでだ。