はてなキーワード: 倦怠期とは
結婚前に付き合った期間は1年程だったが、遠距離+新型コロナウイルスにより月に1度会えるか会えないかといった具合だったこともあり、結婚生活が始まった当初はかなりラブラブ(死語)だった。
テレビを見るより会話をしている方が楽しくて話題が尽きなかった。
つい最近、本当についこの間までは変わらないラブラブ新婚生活を送っていたのだが、1週間程前からだろうか、妻がどこかよそよそしくなった。
こちらが話しかければこれまでと変わらない対応をしてくれるのだが、妻から話題を振ってこなくなった。
これまで一緒に入っていた風呂もテレビを見たいからと別々に入るようになり、セックスもくすぐったいとか、明日仕事だからとかまぁ色んな理由をつけて断られ続けた。
妻の誕生日を来週に控えているので美味しい物食べに行こうか?と聞いたが、何にもしなくていいと言う。
じゃあケーキ買ってきてお家でお祝いしよう!→増田くんが食べたいなら買ってくるよ。
何を提案しても乗ってくれないんだ。
最近変わった事といえば、
・子どもがなかなか授からなくて生理が来た日に今月もダメだったごめんねと泣いて謝ってきた
くらいかな。仕事は大してしてないから仕事のストレスではなさそう。
正直どれも引きずるような事じゃないから、早く機嫌直して前の妻に戻ってほしいんだけど、どうしたらいいんだろう。
キューブラー=ロスの"死の受容"と同様に異性に対する"愛の受容"までにはいくつかのプロセスがある。
このプロセスはパートナーの両方に発現する場合もあるが、片方にのみ発現する場合も多くその場合、破局に繋がる可能性が飛躍的に高くなる。
しかし、それを乗り切り受容まで至ったカップルはその後、継続的に添い遂げることが多くなる。
このプロセスは画一的なものではない。いくつかのパターンに分かれるし、飛ばされる場合もある。
死の受容との根本的な違いとして、愛は不可避ではないことに留意してもらいたい。受容までに、そのプロセスは途切れることのほうが多いだろう。
初めて恋に気づく。
そこに愛はないが、本能的に異性の気をひくために行動する。
次プロセスである独占の前段階である。他者からパートナー候補を隔離するため、なんらかの方法(それが非社会的であっても)で相手に決定的なアプローチを仕掛ける。
前段階からプロセスが途切れなかった、つまりパートナーを得とくした場合、一時は幸福感が訪れる。しかしそれはあくまでその個体に対する独占欲をある程度満たしたにすぎない。
個体の差異はあれ、数日ないし数ヶ月で絶対的な独占を得ようと行動する。今段階ではパートナーに対し、他の異性への接触を著しく制限する傾向にある。
この傾向により、妊娠を狙った"実力行使"によって相手を強制的に独占するケースも少なくない。いわゆるできちゃった結婚である。
独占欲が充分に満たされ、ある種目処がついた段階になると、今度はパートナーの荒が見えてくる。
それは自分との価値観の差異であったり、仕事や交友関係などの周辺環境に起因する物から、些細な癖まで様々である。
いわゆる倦怠期は、独占期後半から次の依存期までということになる。
この時期は圧倒的に別れる率が高い。特に乖離期前、または初期に結婚した場合は直後にこの段階に陥り、マリッジブルーの原因となる。
また子供が既にいる場合には、子供に向けられないフラストレーションを相手に対して向け、相乗効果で大変苦しい時期になる。
乖離期を乗り越えると、相手には自分しかいないし、自分には相手しかいないと思い込むプロセスへ移る。
ある程度相手の欠点を理解した上で、条件として自分の欠点を認めてもらおうとする。
「この人はここがだめだから自分がしっかりしなきゃ」、というのは愛ではなく依存である。
セックスは増える傾向にある。
依存期を越えると愛の受容に至る。相手を自分の人生の一部であり、恋人から家族に変遷する。
家族とみなしたパートナーについては婚姻に関係なく相手を充分に理解し、自分と相手の両方の利益を総合する。
セックスは減るが、性欲が減退したわけではない。
パートナーに対して充分な愛を享受しあえたことで、別の個体に対してのアプローチが高まる傾向にある。
それは子供に対してであったり、別の異性に対してでも変わりはない。いわゆる浮気である。
齢29、既婚子持ち、社会人7年目。年々、「推し」ができなくなってきた。
思えば中学の頃にオタクに目覚めてからずっと推しがいた。推したちは私を時間も忘れるほど熱中させ、妄想させ、創作させ、心動かした。
推しのために聖地巡礼とし、一人で特急に乗って高野山に行った。知らない人ばかりのオフ会に参加した。ライブに行くために夜行バスに乗った。あんなに引っ込み思案で出不精だった私を外の世界へ引きずり出した推したち。
それが今はどうだ。忙しい?体力の衰え?老化(年上キャラが好きなので自分の加齢とともにストライクゾーンも上昇してく)?新たな推しに出会えなくなってしまった。
今までの推したちの存在がどうでもよくなったわけではない。ただ、私の場合推しとの付き合いはカップルのようなもので、
アツアツ期(出会いたて、鬼のようにコンテンツを漁る)→倦怠期(いったん落ち着く)→熟年夫婦期(さざ波のように穏やかに推しを眺める。アツアツ期ほどの情熱はないが燃料が投下されると一瞬燃える)
なので今まで出会った推したちは熟年夫婦期に到達している。私が出会いたいのはアツアツ期を堪能できる推しだ。
熱中できる推しに出会えることを期待して、一応毎期気になったアニメは観るしゲームも欲しいのがあれば買う。漫画も買う。しかしどれも、ストーリーが気になったり考察読んだりしはするけれど、アツアツには至らない。
新しい推しをどんどん発掘している友人が羨ましい。誰か何か現実以外のもの・現実から離れたものに熱中したい。過去資料集めに奔走したあの頃、1日に何時間もそのコンテンツを摂取していたあの頃が懐かしい。推しの存在で一喜一憂することのない平坦な日常がさみしい。
私生活に不満があるわけではない。かわいい子供にもいい配偶者にも恵まれている。ただ、それは最近つくられた家庭人としての私の話(要は新規レイヤー)。かつて私が推しに熱中するオタクという姿はアイデンティティだった。そんな私、家庭人という層ができる前の私はどこへ?推しに目を輝かせる私を基礎に家庭人の層が重なって私を作り上げているのに、基礎がなってない今の私は何?
正確には既に終わっていた恋、私が終わらせたはずの恋。
その恋が、「俺、彼女ができたんだ」という1通のLINEで完全に終わった。
診察中の祖父を待つ待合室で、周りに迷惑がかかると思いながらも止めることのできない涙を流しながら「おめでとう」と一言LINEを送り返した。
また、人気どころに手を付けやがって。
そういうミーハーなところが嫌いだった。
旅行に行っても、「この前あそこがテレビに出てたから」と連れて行くは良いものの、長蛇の列に並ぶ羽目になり旅行の貴重な時間を無駄に浪費することがたくさんあった。
ただ、そんな時、私が近くの店を覗きたいと言っても文句も言わずに1人で並んでいてくれてたな。
別れ話を切り出された元カレくんは目に涙を浮かべつつも、その涙をこぼすことなく「増田がそれで幸せなら僕もそれで良いよ」と言ってくれた。
いや、実際は同じ店で2時間くらい、出された料理が冷えて不味くなるくらい引き止められたっけ。
当時の私はいろいろ考えていたけど、今思うとその一言で説明がつく。
なんであの時相談した友人の話を聞かなかったんだろう、結局「ただの倦怠期じゃない?」と言っていた彼女が正しかった。
アドバイスを聞いていたら今頃、席を入れていたかも…なんてタラレバを考えても辛いだけ。
なのに考えずにはいられない。
私が先に「彼氏ができました!」と送ったとき、彼も同じ気持ちになったのかな?
だとしたら少し嬉しい。私のそういう意地悪なところも含めて彼は愛していてくれたんだよな、何で別れたんだろ。
ちなみに、その彼氏とは倦怠期以前にクソ野郎だったので即別れた。
そして、元カレくんがどれだけ優しく、私のことを考えてくれていたかよくわかった。
元カノくんは次の日仕事があっても生理でささくれ立った私の愚痴を夜中まで聴いてくれた。
バカだなぁ、私は。
そして、1年以上付き合っているという今カノさんへ憎しみという闇の感情を抱いてしまう。
私は付き合って3ヶ月目に来る最初の倦怠期を越えられなかった愚か者。
久しぶりにご飯でも食べない?なんて誘わなきゃ良かった。
そうすれば彼の近況なんて知らずに済んだのに。
別れて2年も経ってたのに、ちょっと期待してたんだよな。
本当にどうしようもないバカだね。
あと、ついでに「イイ男紹介してね」ともLINEしてしまった。
元カレくんも困ってるんだろうな。
「できる限り頑張る」って返信の後ろに苦笑いの絵文字が付いてた。
イイ男なんて元カレくん以外考えられないのに。
でも、今私が「元カレくんと一緒にいたい、それが私の幸せだと気づいた」って言えばワンチャンあるかな?
そんな略奪愛、できる勇気もなく…、もう完全な他人になったのにまだ元カレくんに嫌われることを恐れている。
今、私はコロナの影響で荒んだ職場(こう言うと職業がバレそうだけど)から離れようと転職活動をしている。
その検索範囲を例のLINEが届いた昨日、県内から全国に変えた。
元カレくんとの思い出がこびり付いたこの街、市、県ではもう生きていられないかもしれないかもしれない。
はぁ、今転職説明会に参加してるのに心がめちゃくちゃで内容が頭に入らない。
精一杯スマホでメモを取っているように見えるかもしれないけど、増田を書いてるだけ。
書いたら気持ちも落ち着くかなと思ったけど、余計辛くなってきた。
まず、コンピュータゲームがほとんど巷に存在しない時代にPongが登場すれば、そりゃみんなゲームにワクワクしたはず
アメリカにアーケードゲーム筐体だってそのものがない時代なんだから
だからスティーブ・ウォズニアックだってApple IだのIIだのでPongの実装はやっていたはず
それもスティーブ・ジョブズは売りにしてたはずだ
Pongが動作すると、次はブロック崩し(Breakout)が作れる
プログラミングのコツの一つは他人のプログラムを改変することだ
Pongが動くなら、そこからドットやドットの塊をVRAMに描画することは可能だと気付くだろう
でも、単なる壁打ちや対戦ゲームだったPongのゲーム性を大きく変えることになる
日本のゲーム企業タイトーは、このブロック崩しをインベーダーゲームに「再々」発明した
これも実現可能であることは誰でも分かるが、ゲーム性を大きく変えることはある種の発明だと思う
ちなみに、孫正義はタイムマシン商法が得意で、このインベーダーゲームをアメリカに輸出し大儲けした
相変わらず、左から右、右から左に他人のものを移動して儲けるのが上手い(いや、本心から褒めてるんですよ
インベーダーゲームでは、ブロックは上から段々と降りてくることになる
また、ブロックが左右に動く、UFOは高速に動く、手前のバリケードがありドット単位で破壊される
プログラミングのコツの一つである、他人のコードを改造する、は本当に素晴らしい再発明を起こしてくれる
Pong → ブロック崩し → インベーダーゲーム → ギャラクシアン → ゼビウス → グラディウス → 斑鳩だの東方だの弾幕避けだの何だの
に繋がっていくわけだが、
この矢印での「パラダイムシフト」の段差が高いほど、ゲームに対するワクワク感が増すと自分は考える
つまり、ギャラクシアンのようなグラフィックからゼビウスが登場したときは、
安っぽい言葉で形容するなら一大センセーションというかエポックメイキングという感じだったわけだ
しかし、今の時代、2Dシューターにそんなにワクワクはあるだろうか?
というか、マニアでない奴が口を挟むな、と言うぐらいタコツボ化しているように思うのだが、
寧ろ、様式美とかお約束が守られてることがプレイヤーの安堵感につながる
2Dシューターができれば3Dシューターが作れるのも自明である
ただ、マシンのグラフィクスの能力が低かった時代にはリアルタイムでの3次元CGの実現が難しく、
アメリカではベクタースキャン、つまりオシロスコープやブラウン管テレビの走査線方式が主流だった時期もあったが、
アメリカではワイヤーフレームの3Dゲームが実現していた時代、日本はファミコンに向かっていた
自分にはハードウェアによるスプライトに固執し、束縛され過ぎているかのように今からすると思える
一方、ファミコンのスプライトの数はMSXと比べると段違いであったが、
ファミコンは2Dスプライトベースのゲームだけを前提としていた
つまり、ファミコンでブレゼンハムのアルゴリズムによる直線を引くとか困難だったのではないだろうか
自分はファミコンの開発はよく知らないのだが、ファミコン版のテグザーは酷すぎると思った
MSXの方がファミコンよりもトータルのグラフィック性能が劣るにも関わらず、
こうやってだらだら書き連ねてみると、
つくづくワクワクするのは何だってアーリーアダプターの段階であって、
そのあと結婚だって何だって倦怠期?ワクワクが減少する時期がやってくるのである
何もない状況にパラダイムシフトを起こす何かがやってくるとワクワクするのであるならば、
乳児はこの世界の何もかもにものすごくワクワクしていると思われる
乳児でなくなると、この世界の変化しないものは常識として脳に定着して、つまらないものにさえなる
でも、若ければまだまだ体験していないことはあるわけだ
若ければギャラクシアン → ゼビウスがどれだけスゴかったかなんて知らんし、俺も知らんw
でも、ギャラクシアンより先にゼビウス見た世代だけど、凄いなあとは思ったんだよな
だって、自分の場合はギャラクシアンを飛び越えてゼビウスだったんだから
逆にギャラクシアンの方を後から知って、古臭いゲームだなー、レトロだなーと思ったんだから
(ただ、ギャラクシアンの曲線的な軌道はゼビウスなんかより凄い発明に思うんだが。整数演算なんだよね?
ただ、レトロレトロとバカにする人はプログラマーでないとかなんだろうけど、
ゼロからコード書くって、何もないところから作ることを考えさせられるわけで、
それはゲームのプログラムを書くならば、ゲームの基本のPongから考えさせられることになる
例えば、ゲームプログラムを書くときSDLとかSFMLみたいなライブラリは使うかもしれないけど、
自分も何か新しいゲーム開発のライブラリとかフレームワークとか検証するときは、
から始めて、次に倉庫番、簡単なブロック崩し、テトリスを実装するとかやることにしている
そこで開発の大まかな進行とかフレームレートとか、色々分かってくるわけだ
ジョン・カーマックがどこで語ってたのか忘れたけど、最近のFPSは完全にMOD開発になっていて、
そのMOD開発の費用はどんどん膨らんでいっていると言ってた気がする
つまり、レベルエディットとかキャラクターだアイテムだとか、そういうコンテンツの緻密な開発だけが進んでいる気がする
GTAみたいなゲームもFPSとかで培った技術の集大成にすぎない
可視領域をどう区切るか?遠くの建物にLODを使うか?インポスターを使うか?とかそういったゲームエンジンの話は、
マシンパワーの向上やUnityなどのゲームエンジンの登場であまり議論する意味がなくなってきている感がある
もっとも、Unityなり導入すれば簡単に作れるという話ではないと思う
思うが、もうゼロからチマチマCのベクトル計算のコードを書く時代ではなくなっているのは確かだろう
カーマックはその高騰するMOD開発をマインクラフトは意図的に安価にしたと言ってた気がする
つまり、マインクラフトであれば子供でもゲームを改造する体験ができるようになる
それはマインクラフトの開発者であるnotchがそういうゲーム開発に対する思想を持っていたからだ
私はnotchはシンプルなものを積み上げるのが好きなように思っている
ただ、jsdo.itだかに投稿していたソフトウェアレンダリングのコードは北欧のメガデモっぽさがあって、
読もう読もうと思って未だに読んでいないことを今思い出した
文章書き直す気がないまま、だらだら書いてみたが、読み返して自己分析するに、
まず、ゲーム開発でなくてもそうだが、
まず何かがあって、それをコピー改造した何かが生まれる、この連続で物事は進化していく
手塚治虫があって、それを高橋留美子がコピー改造して新しい漫画が生まれ、
次に若い漫画は高橋留美子の漫画をコピー改造して、また新しいものが生まれていく
開発する側も消費者もワクワクするのは、この改造して新しい何かが生まれる、守破離の離のインパクトであろう
黎明期はその離のインパクトが大きいが、どんどんそのインパクトは小さくなっていく
そして、ありふれたものが溢れるようになっていく
これが成熟期と言える
しかし、その成熟期に溢れるものは様式美であり、お約束であり、マンネリズムである
あの時代は3DOが先行したがコケたり、ドリキャスも登場してコケたり、面白い時代だったのである
ただ、今の時代にああいう群雄割拠というか、戦国時代というか、そういう活気がゲーム業界にあるようには思えない
VR元年って毎年言ってない?というツッコミは分からんでもないが、まだまだVRは伸びると思う
物体を触れないなんてのはまだまだVR市場が伸びる余地があるということだと思っている
あと、FPSみたいに走るゲームだと自分も走るのか?ということになるけど、うーん、ルームランナー方式はなあ…
あと、これも自分は専門でも何でもないので、
というか、この文章自体がダニング=クルーガーなのは認めざるを得ないわけだけど、
敵というかNPCというか、今の時代だったら高度な汎用性のある人工知能をゲームでも実現するべきだと思うわけで、
そうすれば当然、同じセリフを延々と喋るドラクエの村人みたいなのは笑い話にしかならなくなる
ゲーム内に高度な人工知能が実現すれば、それらと会話したり、それらとマルチプレイと同様の感覚の連携プレイが可能になる
今までと同じことを繰り返しててもワクワクしないし、