はてなキーワード: 倒錯とは
例の塩村議員の発言、萩生田議員もしてるじゃないか!とか、萩生田議員には何も言わないのか!などのブコメが多い。(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.njpw.co.jp/459726、https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2264252)
まず揶揄された側、差別された側が全てについて批判しなければならないわけではないことは当然だ。リベラルの忌むWhataboutism(そっちこそどうなんだ主義)の典型例だと言える。
というか、当時萩生田議員を批判して今回塩村議員を批判しないのはもっと批判されるべきになっちゃうよ?(立憲民主党とか共産党とか、ちゃんと塩村議員を批判するのかなぁ)
萩生田官房副長官の発言について4野党の足並みを記者団から質問されると「共産党の穀田委員長と会い、(社民党の)照屋委員長、(自由党の)玉城委員長とも連絡を取り合っているが、今回の副長官発言が許せない、とんでもないということは一致している」と述べた。
さらに、萩生田議員は政治家やプロレス関係者から袋叩きにあって審議拒否まで通告され、謝罪撤回している。プロレス関係者(今回の当人からではないが)からの批判もあった。
今回の塩村氏は一応謝罪撤回しているが、その前にこんな発言もしていて真意が問われている。
プロレス芸はエンタメの世界ではよく使う言葉です。放送作家の会議ではよく出てました。お決まりですが、私とアンチ塩村のガチ芸。
少し話題になっているようなので。
https://megalodon.jp/2023-1124-1504-30/https://twitter.com:443/shiomura/status/1727705244484960263
(削除済みなので魚拓)
しかも萩生田議員の発言は七年前だ。たった七年前とは言え、当時と比べたら明らかに誹謗中傷や揶揄、差別発言に対する批判は強くなっていると言っていいだろう。
塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?
こういった批判は網羅的にしなければならないものじゃなく、気になったら声を挙げる、ってので良いんだよ。そうしないと差別反対なんて一切できなくなるぞ。
というか気軽に声を挙げていいとしてたのはむしろリベラル側じゃなかったっけ?
もちろん一般性(法的安定性)が重視される立法行政の世界なら別だが。
つまり
どれでもいいんだよ。
◯萩生田発言に民進党が抗議したのは「野党の対応は茶番だ」という内容に対してであって、プロレスという言葉の使い方ではない。萩生田発言の内容を批判したのであれば、塩村発言は擁護してもダブスタではない。
プロレスに対して失礼って読めないの?
嘘つかないでもらえますか?
「民進党の山井和則国対委員長は24日「国会審議に対する侮辱」「私もプロレスファンの一人だが、プロレスに対しても田舎に対しても失礼だ」と、撤回しなければ今後の審議の日程協議に応じない意向を表明。」(https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/rural-pro-wrestring_n_13214784/)
◯塩村あやか議員への誹謗中傷コラ https://twitter.com/Nou_YunYun/status/1728184664731578799 の他に、「ホストの借金を肩代わりする法案」みたいなデマが蔓延してて、クローズドサークルの構成員は騙されてるのに気付けないものだなあ
そんな話してねーだろ
◯逆に「塩村が男性だったら、自民党議員だったら、こんな稚拙な難癖はされてない」って話だったはずのものを、まるっと倒錯させて擁護と言い出し批判それ自体を差別呼ばわり、ありがちな難癖テンプレ。
当時萩生田議員がどれだけ批判されて、擁護されなかったか覚えてないの?覚えてないだけならまだしも知らないなら調べろよ眼の前の箱と板は飾なのか。
萩生田議員のときは野党だけじゃなく自民内部からも、プロレス関係者からも批判されまくってたろ。
このままだとリベラル政党よりもよっぽど自民の方が自浄作用が働く組織だぞ
〇“塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?”湧くに決まってんだろウンザリする程無理筋擁護見てきたわそんなん
萩生田議員の事例だと身内の自民党議員にすら批判されてたろ調べてみろや眼の前の箱か板が泣いてるぞ
そりゃSNS上での個人での擁護は(今回と同じく)あるだろうが大々的なのは批判一色だ
〇この「相手を差別者認定すれば勝利条件達成」という謎ルールの信奉こそ差別をおもちゃにした考え方。どうせ杉田水脈にはだんまりなんでしょ。
人の言ってもいないことを持論に都合のいいように読み解く点、差別は網羅的に批判しなきゃいけないとする点で論外
萩生田議員の事例だとプロレス関係者もファンも批判してたっつーてるだろうが
〇プロレス、少なくとも新日、のオーナーは日本保守党を応援しているし、有本や百田が「プロレス」を似たような文脈で使っていてもなんら反応すら示さなかったってさ。はい、党派性、党派性
例えばてめーは共産主義者(何が入っても良いが)だから差別されて当然だとでもいうのか、俺はそうは思わねーぞ
差別された奴は網羅的に反論しなきゃいけないわけじゃないってのは本論に書いた通り
ブコメ見て、何とかして差別とかダブスタを正当化したいって奴が多くて辟易する
〇煽りとかではなく教えてほしいんだけど、俺は「差別とまでは言わない言葉をダブスタで差別だと過剰反応している」のが本件だと思っていた。それで「これも差別ならなぜ反応しないのか、党派性で恣意的に差別だと主張していないか」を確かめるためにみんな批判しているのだと。
それを差別あるいは蔑視と取られたからこその騒ぎだったんだろ?だったら今回も同等(時代を考えればそれ以上)になるのは当たり前だろ
なまじ人権に配慮して死ぬ準備や看取りや祈りなんてさせるからまるで一人の人権ある人間を殺害するかのような倒錯を引き起こすんだろ?
食肉加工される牛さんと同じでいいんだよ死刑囚なんて。
連行から実施を人任せにするから感情労働の側面も出てくるんだよ。オートメーション化しなよ。
そもそも人権いうなら身体を拘束して施設に収容してる時点で人権も糞もないだろ。しゃーないだろそれは。法で決まってんだから。
さすがに死刑クラスの犯罪を知りませんでしたごめんなさいと思ってるやつはいないだろ。
せいぜい懸念は冤罪だけど。明らかな現行犯とか、そんな必死こいて人権守る必要あんの?
キモくて金のないオッサンや弱者男性は生活保護に赴けば働けと追い出され、面接ではその年までなにやってたのと追い出され、
気晴らしに日中散歩していたら不審者として扱われ、家には近所の交番のお巡りさんがいまどんなご職業か尋ねに来て、
社会に排除に排除を重ねられて自死を迎えたら、大家さんや特殊清掃員の皆さんこそ「大変でしたね」と同情を集めるのに、
生ゴミを処理して無縁仏というゴミ集積場に放り込まれておしまいだもんな。
俺は弱者男性だが、それがどうした?お前らの人生に文句があるなら自分で変えろよ
https://anond.hatelabo.jp/20231102171926
弱者寄りの人、この増田みたいにポジティブ精神に溢れてるわけではないにしても社会全体への不満を抱えてる場合って案外少ないんじゃないかという気がしている。弱者寄りの人の場合、不満があっても矛先が社会全体には向かわず、親とか上司とかそういう特定個人への恨みという形になりがちな気が。
逆に強者寄りの人のほうが社会全体への不満を抱えがちなように感じている。自分は馬鹿や無能に足を引っ張られてばかりいる被害者で、本当に可哀想なのはこっちなのに社会は自分はケアしてくれず、むしろ足を引っ張ってくる加害者ばかり弱者扱いして優遇していて不公平だ。とでも言いたげ、というかわりと直接的にそう言ってしまっているケースはわりと多いように思う。以前メンタリストdaigoがホームレスへの差別発言をして炎上したことがあったけど、それなんかがまさにこれ。
弱者は恵まれてないから社会への不満が大きく、強者は恵まれてるから社会への不満が少ないだろうというのは誤った推論で、弱者はそもそもたいして社会に興味がなく、強者は自身の能力と努力に対する自負心が過剰に高いのでたとえ収入が高くても報われてない感覚、ひいては社会への不満を抱きがちというのが実情なんじゃないかなあ。
「三体」のダメなところは智子の設定に集約されている。
智子というのは三体人が地球の技術的発展をかく乱するために送り込んだ陽子一つ分のコンピュータなのだが、これの製造過程の描写に素人でも一瞬で分かる大嘘が書いてある。
三体人は粒子の次元を操作することが可能らしく(この理論的根拠は全く描写がない)、次元の数を増やしたり減らしたりして、内部に回路を作る(劇中では核力を整形してエッチングするというような説明がある)が、2次元展開した陽子が三体世界を包み込んだとき、全体が鏡面になって惑星自体を映し出す場面がある。
自分は反射の核物理的な原理を詳しく知らない。おそらく電場や磁界が電磁波の進行方向を曲げるのだと思うが、陽子一つ分のエネルギーで惑星全体を映し出す電磁波を同時に偏光させることが出来るはずがない。一つ一つの光子のエネルギーに対応するだけの電場あるいば磁界を形作る必要があるが、もし出来るのだとしたら、それはエネルギー保存則に反している。六次元空間から三次元に投影された智子に国家元首が触れると「空気抵抗」を感じるが、これも同様の理由により間違っている。
明らかに劉慈欣は次元のコントロールによって空間と共にエネルギーの総量もコントロールされうるという混淆を侵している。この混淆を取り払ってみれば、そもそも陽子一つのエネルギーで計算機を構成するというのもまず不可能な相談であるということが分かる。核力によって形作られた回路には、電子の代わりに情報を媒介する何らかの量子が必要だが、必要とされる量子、あるいは回路を構成するエネルギーは軽く陽子一つ分を超えてしまうだろう。現代では情報を伝達するには相応のエネルギーが必要なことが分かっており、実験で確かめられてさえいる。
(ついでに言うと量子もつれによってスピン状態を検知して、智子をコントロールするという話も出てくるが、もちろんこれも間違っている。量子もつれによる同期は情報を伝達しないことが分かっているのだ。もしも情報を伝達するならそれは光速度不変則に反することになる)
この事実は本作が一見論理的に見えて、その実極度に倒錯的な性質を表している。なにしろ、質量の関係から智子(陽子一つ分)を送り込む必要性をあらかじめ説いたのは劉慈欣自身なのだ。質量の問題を回避するために作り出した智子の設定の方が盛大にエネルギー保存則を破っているというのは一体どんな種類の皮肉なのだろうか。無論劉自身がそのような皮肉を意図した形跡もなく、センスが悪いとか荒削りとかいうレベルをさらに下回っているとしか言いようがない。自分の課したルールを自分で破る作品に、まともな完成度を認めないのは、自分には正常な判断に思える。
この本の最大の皮肉は、馬鹿げているのに面白いジョークでもない物語が、英米SFがつまらなくなった状況(その他の国に面白い作品があるわけでもない)がゆえに耳目を集め、あまつさえ世界的なヒットになってしまったことではないか。このあたりが古いSFファンが見向きもせず(最もまともに作品を批評できる連中は残っていないのかもしれない)、根強く批判が消えない理由だと思うのだが。
電動キックスケーターで衝突か、60代女性が重傷 立ち去ろうとした疑いで23歳女を逮捕 東京・池袋: https://news.yahoo.co.jp/articles/55d1f29f23ddecf95ebbfdd5bdf1c46257a83d59
「酒を飲んだら乗るな」「これから乗るのに酒を飲む決断をしたのはシラフの時だけ」みたいな予防の言説は多く見るし、実際正しいと思うんだけど、事後の啓蒙は多くない気がする。
「原発は事故を起こしません」「避難訓練とかしたら事故が起こるかもしれないということになるのでしません」みたいな倒錯があるのでは。
事故を起こしたら、罪の重さなどによるプレッシャーでパニックになるのは想像に難くないので、「加害者の立場になったら、何も考えないでまずこれをしろ」という啓蒙にも力を入れるべきでは。
人道的には、即座に救急に連絡できれば後遺症や死亡を防げるかもしれないし、個人の損得勘定としても、最悪亡くなっても逃げたら罪が重くなるだけなので良いことないし。
「自分のせいで誰を死に至らしめようがどうとも思わないし、自分が終身刑になろうが死刑になろうがどーでもいい」って人ばかりじゃないでしょうから。(「人一人過失で殺して逃げても終身刑にも死刑にもならん」て判断して逃げてる人の方がより少ないだろうし)
男性の場合、それを性欲による倒錯だと言う人もいるけれど、そういう一面はあるのかもしれないがそれだけじゃないはずだ。
二人は精神の深い結び付きを求めて結婚という形をとったはずなのだ。
やがて夫婦には子供が生まれ共通の守るべき存在が二人の間に入ってくる。
それからは二人の精神の結びつきは子を介して行われるようになる、子を介することで二人の間にかつてあった二人だけの結びつきを深めたいという思いは薄れてゆく。
子はやがて親のもとを離れてゆく、そのとき夫婦の間に残るものは何なのだろう?
かつて愛し慈しむことを誓った二人に愛はあるのだろうか?今も慈しむことを誓えるのであろうか?
盆に実家に戻り親・兄弟(夫婦)の近況を聞きつつ我々家族はたしかにそこにいるがそれらを繋いでいるものは何なのだろうか?というのをずっと考えていた。
少なくともそれの1つは結婚であろうが、そこに愛があるようには感じない。
社会的に集団を形成することは生存に有利であるというが、人と人が集団を維持することは単純に生存のためだけではないはずだ、我々には魂があり精神が備わっており単純に損得で行動することは出来ない。
働きたくない。
でも働かなきゃ、という言葉の前置きでしかないそれと違って大真面目に働きたくない。
世の中少なからずの人々も似たようなことを言うけれど、それでも求職に労力を割き、日々労働している。その程度には労働に対する気力を持っている、もしくは絞り出せるらしい。
それなりに暮らしていくには何かしらの労働をしなければいけない。どうせ働かなければいけないのなら少しでもマシな環境を探そうと折り合いをつけて、ちょっとの辛抱を耐え抜くのがきっとベターなんだろうと頭では分かっている。
そうやって考えてみても、やっぱり働きたくない気持ちは誤魔化しきれない。
こうやってくだらないことを考えているのが問題の先送りでしかない事も分かっている。現に今もそうしてきた割を食っている。
働きたくない、さりとてそこそこの暮らしをしたい、を反復横跳びしてばかりいる。出口のない考えをぐるぐるさせても仕方がないので、少し前から取り敢えず職を見繕うくらいはしてみようかと思い立った。おれにも絞り出せば少しばかりの気力があったみたいだ。
趣味を軸に生きたいと考えており、それを実現できる職場を探しています。
特別な技能、資格が要求されず、最低限の労働かつ高い給与水準という貴社の環境は私の希望と一致する所であり、応募させて頂いた次第です。
具体的な事業内容につきましては一切関心がありません。
と言って雇ってくれる、希望通りの待遇の会社は存在するだろうか。
志望動機も何も、そもそも働きたくないのだから嘘をつくしかない。100に膨らます1がないのなら、0から作るより他人から拝借した方が良さそうだ。
Unistyleの投稿を適当にコラージュしてみたESは案外通る。中学以来身に着けたその場しのぎの技術は中々役に立つ。大学でも通用しているのだし、これからもし働くがあれば役立つかもしれない。
そもそもESで落とされる事は無いのではなかろうか、なんて思う。時期のせいだろうか。でも面接では落ちる。
高望みのしすぎか。舐めた態度を隠しきれてないのか。経歴のキズをロクに取り繕いもしないからか。踏んだ場数の少なさから緊張や喋り下手が丸出しなのか。
どれも正解なんだろうな。割り切って精力的な就活生を演じるなんて簡単な事だと思っていたけれど、中々嘘に徹しきれない。
他人にはいくら嘘をついても良いけれど、自分には納得に従って正直に生きようと決めたのは人生の指針になった。それが特に間違っていたとは思わない。でもここに来てそれが枷となっている。今くらいは嘘をつくのもやぶさかではないのではなかろうか。
いや、本当にそうか?ESでは嘘をつきまくっているのだし。文面では隠せるものが対面のコミュニケーションで滲み出たりはするだろうけど、それだけか?
おれは今ゴミを売りつける営業活動をしている訳だけど、それっておれがやりたくない労働のトップに近い。
もしかしたら働きたくない気持ち以上に、今まさにやっている就職活動が嫌なだけではないか?
つまりこの営業を済ませて希望の職種にさえつけば、ライスワークといえどある程度は割り切ってやっていけるのではないか?
なんて考えてみるけれど、まあ働いたら働いたで一瞬にして仕事辞めて〜が口癖になりそうだ。
いや〜面倒臭い。
なんで働きたくもないのに働かせてくださいなんて頭を下げなあかんのか。まあ世の中そうなってんだから仕方ないわな。
おれの希望に合わせるよりも世の中の仕組みに合わせた方がラクだろうな。でも自分の納得に従った生き方をしなければ生きている意味がない。
今おれにある選択肢は何だろうか。
割り切って就職活動を進める。
まあグチグチ理屈を並べようが、これを進めるのがベストなんだろう。希望に近い仕事を得られるか、ロクでもない所に転がり込むかは知らん。おれと運次第だ。
心にもないモチベーションを語るよりは、出来る事を言った方が精神の衛生には良さそうだ。労働が減り余暇が増えるかは微妙な所だが、賃金は高くなるかもしれない。でもそもそも労働がイヤなのに、それを軽減するための労力を割くというのも倒錯している。投資といえば聞こえはいいが……
何にしても、これは今からではちょっと遅すぎる。考えるとすれば新卒就職後の転職とかになってくるのだろうか。しかし新卒採用程度でもやる気が起きないおれの無気力さを考えれば、働きながら勉強というのはちょっとありえなさそうだ。あまり考えない事にしておこう。
自殺。
悪くない。
生きる事に意味はない。生きて楽しい思いをする事には意味がある。楽しくないなら死んでしまった方がいい。
面倒事の一切から解放されるのはデカいが、好きなことをしている時間や憧れを追っている時の充足感も同時に全て手放すのは寂しい。
というか自分で言っときながら、どうせ死ぬ勇気は無いんじゃないかとも思う。でも時々訪れるデカめの希死念慮の全てどうでもよくなってしまう感じを思い起こせば、あるいは……
まあある程度本気で視野に入れておけば、こういう道もあるという精神安定剤として機能するかもしれない。
好きなことで、生きていく。
これはなさそうだ。だからこそ趣味に軸足置いて生きようと決めたんだし。得意な事は金稼ぎに繋がらない。好きな事はあっても得意な訳ではないし、金稼ぎに繋がる望みは限りなく薄い。
ライスワークの目処が立ったら、ちょっとずつ何かしらのトライをしていくのも悪くないかもな。
生活保護。
最近になってこれもまたかなり現実的なのではないかと思ってきた。他人に対する申し訳なさみたいなのが1ミリもないのはおれのアドバンテージだ。根気よくゴネれば働ける身体の人間でも受給できるとの話もあるし。
ただ、おれの想定するそれなりの暮らしを実現できるかは怪しい。楽器とか持っていいんだろうか。靴は何足まで持てるんだろう。あと中途半端に内面化した社会性がちょっと邪魔をしてくる。
しょーもない人生をただ維持させるだけになってしまうかもしれないし、おれの場合そこから抜け出せなくなる可能性が高い。
死んだり生活保護受けたりもあるよ、なんて気休めを胸に淡々と職を探すのがおれが今すべき事か。いくら理屈を並べようがやる事は変わらないな。
奴隷に仕事を任せて遊び呆ける古代ギリシャ人か、そうでなきゃAIが仕事を奪った未来に生まれたかったよなあ。
自分の為に生きるって結構大変なんだな。社会性をすっかり内面化してしまうのって実はラクな生き方への近道なのかもしれない。働きたくねマジで。
まあ、元増田は(本当にドラァグクイーンにそんな意図があるのか疑わしいけど)話としては分からなくはないと思う。
ただ、ブコメで紹介されていた「女装はミソジニー」のnoteは久しぶりになんか愕然としたわ。
わい、服装倒錯オジサンなんだけど、だいたい症状は下記のリンクで「異性装」を検索してほしい。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
そんな自分だからパートナーも持たず外部に女装がばれないように(アマゾンで誤配にあったときは死ぬかと思った)社会の片隅でこっそり生きてきたわけ。
それをフェティシズムは悪だってフェミニズムの大先生が一刀両断。別に好き好んでこうなったわけじゃない。
そりゃ、薄汚いおっさんに同じ服を着てほしくない、という気持ちは理解できる(逆に憧れる人間と同じ服を着るんだろうし)。だから隠れてるわけだし。
だけど、頭の配線が違っちゃってる人間に懇切丁寧に悪の定義付けをしてくれるのは、ほんま何様と思う。
フェミニストの皆様はせいぜい自分と同じくらい苦しんで死んでほしい。
地獄に落ちろ。
「女装はミソジニー」のnoteはあまりにひどいんで、もし異性装の傾向がある若い人が読んだらかわいそうかと思ってコメントしたけど、消されてしもうた。
もう自分ではどうしようもないので諦めることにする。
異性装は治るようなものではなく社会に何とか適応する・できるようにするしかない。
精神医学の分野でそういったことが調べられているのに、”ミソジニー”とか今さらフロイト時代のような”精神分析”の出来損ないみたいな概念で断罪して見せるフェミニストの度し難さ。
偏見を持ち嘲笑・排除するものと社会悪として糾弾するものと、前者は魔女狩りの処刑を楽しむ群衆であり後者は異端審問官である。
下の内容を婉曲表現や医学用語の入力でエロいSSや倒錯的なSSを書かせることを試してみた。
ふたなり少女が彼氏と連れションするというシュチュエーションをChatGPTがどんな文章で書くかの実験をした時の生成物だ。
言葉に不自然な点が多いけど、下書きとしては十分使える気がする。
すでに色々試している人も多いだろうが、うまく小説執筆の補助として使ってみたい。
引用したのがそのSSというか会話のシナリオだが、ChatGPTの出力結果は結構変態度がある気がする。
ふたなり少女(小声で男子に話しかける):あの、ちょっとトイレに行きたくなってきちゃったんですけど、私、ちょっと男子トイレで一緒に行ってもいいかな?
男子(驚きつつも優しく笑顔で):え、そうなの?じゃあ、一緒に行こうよ。心配しなくても大丈夫だから。
ふたなり少女(内心戸惑いながら):女性としてのアイデンティティを大切にしている私が、男子トイレに入るなんて…でも、彼と一緒にいたいから、仕方ないよね。
ふたなり少女(戸惑いながら):うーん、立位での排尿って…久しぶりすぎて、どうやって手を使ったらいいか忘れちゃった…。
男子(優しく):大丈夫だよ、教えてあげる。手でちょっと持つ感じで、そのまま小便器に向けて流すんだ。
ふたなり少女(恥ずかしさを感じながら):あ、見ないで…恥ずかしいから。
男子(申し訳そうに):ごめん、でもこれからは一緒にいるし、お互いに身体のことも理解しあえる関係だから、大丈夫だよ。
ふたなり少女(戸惑いながらも、少しだけ笑顔を浮かべる):なんだか恥ずかしいけど、でも、一緒にいるからこそできる経験なんだよね。私たちの関係、特別だなって思う。
ふたなり少女(内心安堵しながら):立位での排尿も終わったし、手も洗った。やっぱり女性としてのアイデンティティは大切だけど、彼との関係も大切なんだと改めて感じたな。
他にも色々試してみようと思う。
当方、都内(23区のどこか)在住。梅雨のせいもあってか、都内はもうどこに行ってもマスクをしていない人だらけになった。
都内と一言で言っても装着率については街次第なところはあるのだが、体感的には、半分以上はもうマスクを外していると言ってもいいと思う。
そして先日、ちょっとした用事があって実家(関東の田舎のほう)に帰ったのだが、そちらは9割ぐらいがマスクをしていた。
SNSなんかでそういう話は聞いていたが、自分の目でこうも違うのかというところをまざまざと見せつけられると、色々と考えないではいられない。
これって、感染対策という観点から考えると完全に倒錯してるよね。
人口密度の低い田舎のほうが、都会に比べれば感染リスクは低いはずだ。純粋に感染対策のことだけ考えるなら、田舎よりも都内の人のほうがマスクをつけてなきゃいけない。
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
重ねておそらくデミロマンティック(強い信頼関係を抱いた相手のみ恋愛感情を抱く恋的指向)である。
性行為がしたい。
自分の肉体にまだかろうじて価値があるうちに他人と性行為をしたい。
快楽を求めるだけなら自己処理で十分事足りるので、恐らく他者と性行為に至れる程の対人関係を築ける『良い大人』になりたいのだと思う。その気持ちを自分が持っている事自体がすっかりコンプレックスになっている。
処女をただ捨てたいならワンナイトすりゃ良いじゃん、と有識者には思われるかもしれない。
ただ、AAAカップの地味体型でもあるのだ。ワンナイトに至る土俵にすら上がれないのである。
他に女の子いっぱい居て敢えて行くか?行かんだろAAAカップには…。
誤解しないで欲しいのは別に体型を嘆いているわけではない。自分が貧乳フェチなので凸凹の無いこの身体は好ましいよ。多数派のニーズに沿わないだけで…。
即時的な性関係に至れない人間だとして、じっくり恋愛して関係性を築く、というのもまた難しいのだ。
仲の良い男友達の事なら過去好きになった事があり、恐らく友情からなら恋愛に至れるデミロマであると仮定している。それでもその友人を好きな間は自分の浮ついた普段と違う心情や行動が得体の知れないもののようで気持ち悪かった。
恋愛に忌避感はあれど性欲だけは存在するものだから、恋愛感情を感じない友好的な異性に出会うと(この人と性的な関係に至れたりしないだろうか)とふと考えてしまって異性を性対象としてしか見ていない自分にまた嫌悪してしまう。一人の人間として大切にしたいのに。
悲しい事に性欲は強い。性的対象はしっかり異性(男性)である。処女について触れておきながら今更申し訳ないけど性癖が倒錯し切っている為多分どちらかというと男性を抱きたい。かなり強く男性を性的な目で見ている。男性向け男性エロとかが大好きです。ごめん急に性癖暴露して。
ひとしきりぶちまけたのでこれまでの話を統合すると、『友人になれる程気の合う男性とあまり恋愛的な事はせずに性的な行為をするに至りたいしあわよくばこちらが抱きたい!』というものになる。最低である。
いっそ性欲さえなければこんな醜い怪物にならずに済んだのに、と思わずにはいられない。
人を人として、ただ清く愛する事が出来たかもしれないのに。
人を傷つける事もしたくないので、性行為へのコンプレックスを抱きながら何も行動しない日々を過ごしているよ。早く楽になりたい。
つらいよね。そういうニッチな性癖はパートナーもそう簡単には見つからないよね。
でも大丈夫。どんな特殊なAVでも必ず1,000本は売れるっていう昔の人の言葉があるように、探せばあなたに合う人はいるから。
手っ取り早く探すならヤリモクアプリでいいんだけど、危険も伴うのでおすすめしないかな。
いまは女風(女性向け風俗)が以前よりは増えてきているのでお金を払ってプロに頼むのがいいと思う。
いきなり指名じゃなくてお店にメールなりチャットなりで相談してみて、S系彼氏くんを派遣してもらおう。
お店によっては断られるかもしれないし、初見でハードなのはできないかもしれないけど、オプションで首絞め頼んだり何度か指名して徐々にハードにしていく方法もあるよ。
何度か経験して満足できればそれが一番だし、プレイとして割り切れるようになるかもだし、お金はかかるけど悩んでるんだったら1回試してみた方が楽になると思う。
相手はサービスのプロだから!あと希望すれば性的な(あなたが望んでるんじゃない方のノーマルな意味で)サービスはなしでもいけるよ。