はてなキーワード: 個人競技とは
そこそこ緩い運動部だからか人数が結構いた。各学年25人くらい。
そこそこ緩い運動部だからみんな練習もテキトーだった。顧問は強面だけどあんまり練習見に来ないし。
少年団あがりの子もいたけど運動神経が良かっただけの素人自分がレギュラーになれるくらいにはダラダラした部活だった。
野球やバスケやバレーといったチームスポーツなら話は別だろうが、卓球は個人競技だ。強いやつが偉い。というかそもそも部長が練習メニューの先頭に立つので実力がある人しか務まらない。
勉強ができないので打ち込むことが部活しかなかった自分は既に三年生に勝率9割越えだった。同学年や後輩には勝率10割だった。
当然私以外の誰が部長をやるんだくらいの気持ちでいた。周りにもそういわれて普通に天狗になっていた。人望は知らないが、普通にみんなとも仲良くやっていたつもりだった。
でも顧問が指名したのは私じゃなかった。なんかプライド的なものが勝手に崩された気分になった自分へ追い打ちをかけるように、顧問は「お前には佐藤のようになってほしいんだ」と言った。
佐藤というのはひと学年上のエースで、私の勝率を削ってくる唯一の人だった。
この人は圧倒的に一番強かったけどクラブチームに所属しているため部活に常に参加できるわけではなく、それで部長を辞退し副部長になった人だった。
佐藤先輩は自分にも他人にも厳しくて、部長がちょっとぽやぽやした人だったこともあって、後輩を怒る嫌な役回りは全部その人がやっている状態だった。
当然後輩には蛇蝎のごとく嫌われていて、私も口うるさいし全然勝てない佐藤先輩にめちゃくちゃムカついていたが、高校生になってから振り返るとめちゃくちゃ周りのことを見ている良い人だったなと思った。
もし時間が巻き戻せるならこの時の顧問に「私は佐藤先輩じゃないんですけど」と言ってやりたいが、当時の高かった鼻が折られた直後の元天狗自分では何も考えられずに「ハア…」という生返事しか返せなかった。
私は全然自分に厳しくないし、他人にも厳しくない。だれかを怒るほどのエネルギーを持っていないし、自分が練習したいだけだ。
今羅列していて思うがこの性格でよく自分が部長にふさわしいなどと思い上がれたのかも不思議である。まあ一つ上の部長がのんびりしていて一度たりとも怒ったことがない穏やかな人だったから、それを見ていたら自分でもどうにかなるとでも思ったのかもしれない。
部の引き締め役を私に期待していたんだとしたら無茶苦茶見る目がないというか生徒を見る気がなさすぎるし、実際私は特に情熱をもって後輩を指導するわけでもストイックに自分を追い詰めた練習をするでもなく普通に中学の部活生活を終えた。
まあ当の顧問は部長を指名するだけ指名してその翌年の春に異動していったんだけど。私が三年になって新しく来た顧問は卓球のルールさえしらない上に新卒教師だったんだけど。
卓球あるあるといえば、大会では一日に何十試合と同時にやるので、同じ部内の応援が非常にだるい。面倒くさいじゃなくてだるい。
大会で最後の方まで残るのは佐藤先輩ぐらいのもので、他は大体2,3回戦くらいで負けてるので、佐藤先輩の試合を応援するためだけに一日中会場に残らされるわけである。
中学生の残酷な集中力の無さといえば、早く帰りたいから先輩早く負けてくれないかなーとか大笑いしながら言う始末である。
当然厳格な性格の佐藤先輩がそれを見過ごすはずもなく、「まともに応援する気ないなら帰りなさい」と怒りだし、けどそれで「じゃあかえりまーす」と言えるほどの度胸は卓球部員にはないのでしぶしぶ適当にナイッサーとか言っておくのである。私はこれがだるくて自分も最後まで試合に残れば応援しなくていいんだ!と思って強くなったクチである。しょうもねえ理由。
自分は応援されると逆にやりにくいので自分の試合中に観覧席の後輩たちが遊んでようが特に気にしなかったけど、負けることを期待されるならそりゃ先帰ってくれよ、とは常々思っていた。一応部活も教育なのでそんなこと顧問が許すはずもないけど。
これもまた卓球あるあるなんだけど、試合で負けたら次の試合の審判をするまでがセット。だから部員たちは応援の仕事が終わっても、審判をする先輩及び私を待たなくちゃいけないわけである。こういう時に限ってフルセット。そもそもトーナメント戦なら後半になるにつれ実力が拮抗するから試合が長引くのは仕方ないんだけど。
県大会とか佐藤先輩がいたころはまだ良かったけど、先輩が引退してからは試合前のウォーミングアップする相手がいなくて困った。試合に出もしねえ部員を引っ張ってくるわけにもいかないし、そもそもウォーミングアップなのに変な癖つきまくり部員と打ち合ったら逆に疲れるし。新顧問はラケット握ったことすらないし。
仕方なく顔見知りの学校のウォーミングアップに混ぜてもらうわけ。これ奇数のとこがねらい目なのマメな。大所帯の学校にはもれなく嫌な顔されるし、できれば自分が空台とってから交渉した方が吉。「ここ使わせてあげるから練習混ぜて」って。大きい大会ならウォーミングアップ用の台も学校ごとに指定されてたりするんだけどね。学校ごとに指定されても相手いねーんだが?!これはもう自分で補えということですよ。
あーよく覚えてるなあ。競技としては好きだったんだろうな、卓球。けど二度とラケット握りたくねえな。
いつだよ、いい思い出って振り返れるようになる日は。
記事やそのブコメ見たり昔を思い出したりして考えたことをつらつらと書こうと思う。考えるまで行ってないかも。
増田は運動神経が悪い。体の発達が早くはなかったし(昔の写真を見たら友達よりひとまわりちんちくりんだった)、目の障害があって立体視ができないのであらゆる距離感をつかめていなかった。
でも水泳だけは、兄弟に憧れて子供の頃からやっていたので、人並にできた。
体格差はフォームの矯正である程度埋められるし、距離感だって目で見るよりは「あと何回掻いたら壁」みたいな蓄積で掴むので困らなかった。
友達と一緒に泳げるけど、個人競技なので友達迷惑をかけない、というのも気楽で良かった。水泳は孤独だ。
体育の授業は不甲斐ない自分に泣くことも多かったけど、水泳だとそうはならない自信をつけていたので楽しかった。全く何もできない運動音痴じゃない、と自分を励ませた。
でも周りのみんなは嫌がって、仲間が少ないのは寂しかったけど。
体型とかのコンプレックス問題やエロいやつの問題以外にも、着替えが面倒とか荷物が多いとか髪型崩れるとか、そういう理由でみんなサボってたけど。
でも増田は水泳の授業があったから体育自体を嫌いにならなかったし、成績だってなんとか推薦受験に持ち込めるラインをキープできた(志望校が難関校でオールAじゃないと推薦を受けられなかった。二学期だけオールAが取れた)。
増田のような子どもを救うためにも、水泳の授業をなくしてほしくはないと思う。
あと泳げないのに水辺のレジャーを趣味にしている人が意外と多くてゾッとする(実際救助したこともあるが相手が水に慣れてなくてパニックとか起こすと大変)。ここは自然災害の多い国日本だし、水への慣れは必修科目としていいと思う。多少泳げたとして津波には勝てないけど、それでも慣れって大事。
男女共用水着いいよね。すごくいろいろなことが考えられて作られているところが増田の好みで、企業努力の結晶という感じがする。きっと救われる子どもがいる。
ところで増田はスク水を着たことがない。ずっと競泳用水着を着ていた。
あと競泳用水着の生地やシルエット自体が好きで(特に鮫肌やSPEEDOやMIZUNOの背中の穴が大きいやつ)、どうせなら可愛い格好で泳ぐほうがモチベーションが保てた。
一方で今子どもに戻ったら男女共用水着を着るか?と言われたら、着る気がする。
増田もあの頃と比べて大人になり、紫外線の怖さを学習してしまったからだ。
今も可愛い水着は大好きだが、海で遊ぶときは可愛い水着の上に海用レギンス・ラッシュガードという完全防備姿だ。
人によって、気分によって、天気によって。好きな水着を好きなように着て泳ぎたいものだ。
ちなみに「今後スク水もブルカみたいに…」という人も見かけたが、あんまりならないと思う。
件の水着はかなり工夫をこらしているっぽいが、基本的に布の面積が増えると泳ぎにくい。
増田はジャガバタ(ジャージdeバタフライの意、ガはどこから出てきたんだろう)をやらされたことがあるが、長袖長ズボンで腕や足をあげるのはものすごく大変。疲れてくるとまともに泳げない。
昨今、オンラインゲームでチームプレイが必要とされるジャンルのゲームが増えてきた。
そんな中、味方に迷惑をかけるのが怖い、味方の行動にイライラする等々の理由でチームゲームに嫌気が差してしまっている人が身近にいたので、チームゲームをプレイする上での心構えを書いてみる。
初心者でも上級者でも勝つために最善を尽くす事。大前提としてこれは必須事項だ。
勝負事の世界において、負けてもいいやというプレイをすると勝負が成り立たなくなってしまう。
これは勝負事における最低限のマナーであり、過去に何かしらのスポーツや将棋などをやった事がある人なら分かるだろう。
大抵のゲームは長い歴史の中で、強いキャラ、強い装備、強い動きといった勝率が高くなる要素というのが発見され、常識化している。これを”メタ”という。
チームゲームをプレイする上で重要なのはメタに沿ったプレイを心がけるという事だ。
メタを気にせず自分のやりたい事だけやる味方がいるとどうなるのか?例えばサッカーで考えてみよう。
サッカーにおいてスパイクを履くのは当たり前だ。極端だがこれがサッカーにおけるメタだとする。
そんな中、裸足が好きだからという理由でスパイクを履かない味方がいたら周りの人はどう思うだろうか。
頼むから真面目にやってくれと思うだろう。相手は全員スパイクを履いているのにこちらのチームには裸足の人がいる、そんな状況ではゲーム開始時点でもう面白さが半減してしまうだろう。
一緒にプレイする人が気持ちよくプレイできるよう常識はずれの行動は控えよう。
ただしこれはチームゲームでの話であって個人競技には当てはまらない点には注意が必要だ。
例えば個人競技の100m走で1人だけ裸足で走っている人がいてもそれはその人の自由であり、誰からも文句を言われる筋合いはない。
チームゲームにおいて、味方が強ければ勝てた、味方が悪い、あの時味方がこう動いていれば…といった味方に対する不満を言いだしたらキリがない。
オンラインでマッチングした即席チームに過度なチームワークを求めるのは無理がある。
筆者が思う最高の心構えは、”自分が勝たせる、味方は関係ない、俺がチームを勝ちに導くんだ”という心構えだ。
所謂”キャリー”と呼ばれる存在に自分がなる事を目標にプレイし、味方に多くを求めない事が重要だ。
毎回同じチームでの活動やプロのゲーミングチームに入って活動する場合はチームワークが重要になってくるので味方に対する意見は重要になってくるが、ランダムマッチングの即席チームでは味方に対する意見などほぼ意味がない。全員がこの意識を持ち、自分がキャリーする事だけに集中してプレイ出来ればベストだ。
パラリンピックで体の欠損がある選手が頑張っているが、体の欠損箇所や欠損具合によって水の抵抗や身体に掛かる負担が違うように見える。団体競技の場合、個々人の違いが影響ないようにルールが作られているように見えるのだけど、個人競技の場合、クラス分けはされているものの、個々人の違いが順位に影響を与えてる気がする。
1位の選手と8位の選手の違いが、努力の差でも環境の差でも無く、欠損の影響による空気や水の抵抗の差だった場合、1位と8位という順位に意味が無いのではないだろうか。
どちらの選手も努力したのは事実だろう。本人が変えられない事柄で8位だったのなら1位と比較する必要は無く、素晴らしい選手と言えるのではないだろうか。
選手は自己ベストを目指すだけでなく一つでも良い順位を取るために努力をしていると思う。ライバルがいるから努力をする、勝ちたいから努力するというのは間違いではない。
人間賛歌のような全員が素晴らしいなどと言い、順位をつけなくなったら、今までと同じだけ頑張れる選手は少ないのではないだろうか。
周りと比較するのは人の性だ。だが、努力で得られた成果は周りとは関係ない。(ライバルに勝つために100の努力をした場合と自分を追い込むのが好きという理由でライバルと関係なく100の努力をした場合で体に付く筋肉や計測される記録に違いはないだろう)
今回の女子ロードで元増田が触れていないすごいところをもうひとつ。自転車ロードはいちおう個人競技ということになっているが、実質的にはエースとエースをゴールに届けるというサポートで構成されるチーム競技。しかしながら、今回オーストリアは出場枠をひとつしか得られず、文字どおりの個人競技だった。チーム対個人という圧倒的不利をくつがえしたというのが何よりすごい。
チームで走る他国とは異なりサポートが得られず集団に埋没したら勝ち目はないので、スタート直後に飛び出して少人数で逃げる戦略を取ったのはある意味必然だったといえるが、だからといって最後までペースを落とさず走り抜けるなんてそうそうできることではない。
終わってみれば、いくつかの伏線があった。
まず、自転車のロードレースは名目上は個人競技だが、実質的にはチーム競技である。エースとなる選手をチーム内の他選手がサポートする。しかしながら、今回オーストリアからは優勝した眼鏡っ娘数学者ただひとりだけの出場で、名実ともに個人の力だけの戦いをせざるを得なかった。これが第1の伏線。
空気抵抗は速度に比例する。速いけどすぐ終わる陸上短距離や、時間は長いけどゆっくりのマラソンとは異なり、車なみの速度で長時間長距離を走る自転車ロードはとりわけ空気抵抗の影響が大きい。そのため、空気抵抗を減らすための工夫が必要になる。それが集団走行。先頭となる数人が風を受け、大多数はその背後に隠れることで空気抵抗を減らす。先日のツールドフランスにおける大落車事故も、風よけのために意図して密集して走っていたからこそ起きたのであり、離れていれば巻き込まれずに済んだのになどというのは単なる妄言でしかない。
つまり、集団(プロトンと呼ぶ)のメリットを捨てて序盤から飛び出すというのは、本来なら無謀な戦略である。しかしながら、たとえプロトンにいても、誰からのサポートも受けられない孤独の選手がエースとサポートで分業できる他チームと張り合って勝てる見込みはない。万が一でも勝機を見出すのであれば、プロトンの中で埋没するのではなく、逃げて逃げて逃げまくって、後方のプロトンで何らかのトラブルが発生するのを期待するしかなかった。そしてそれが起きた。
第2の伏線はオリンピックのルール。通常のプロのレースでは、選手は無線機を装着し、それを使ってレース全体の状況や戦略が伝達される。しかし、オリンピックでは無線連絡は不可。詳しい状況を知るには、プロトンの後方を走っているチームカーのいるところまで下がって聞く必要があった。序盤から中盤にはできただろうが、終盤になってくるとそんな余裕はない。チームカーだけでなく、プロトンの前を先導している車両からも逃げ集団とのタイム差が随時伝達されていたはずだが、キーセンホーファー以外の逃げ選手が吸収された少し前ぐらいに伝達されたのがおそらく最後だったのではないだろうか(推測)。そのためプロトンをコントロールしていたオランダチームはすべての逃げを捕えたと判断してしまい、前方に注意を向けるのをやめてしまった。キーセンホーファーがどのプロチームにも所属しないほとんど無名の選手だったことも幸いした。有力選手だったらプロトンにいないことが気づかれないはずがない。誰も知らない選手だったから、集団にいないことが不自然に思われなかった。実は3位になったイタリアチームはまだ前で逃げていることを認識していたらしいが、プロトン内での争いになったと誤認していたオランダチームが先頭を追うことを許さず、差を詰められなかった。
そして何より、優勝したキーセンホーファーは強かった。プロではないが過去にはプロチームに1年だけだが所属していたことはある実力で、また、集団ではなく個人で走る種目であるタイムトライアルを得意としており、かなりの実績があった。また、今回は上り坂の多いコースだったが、キーセンホーファーはまさにヒルクライマーだった。つまり、上り坂の多いコースを集団ではなく自分の力だけで走るのは実は得意中の得意だったのだ。スタート直後から逃げるという戦略を選んだのはキーセンホーファーだけではない。彼女を含めて5人いた。この5人でかわるがわる先頭交代しながら逃げたが、他の4人はけっきょく脱落した。数人でもひとりよりは圧倒的に風よけの効果はあるが、それでも数十人の大集団に比べればたいしたものではない。体力の消耗は激しく、逃げ続けるなんて到底無理である。しかしキーセンホーファーは最後まで逃げ続けた。これはただの尋常の力ではできない。
こうやって後から振り返ってみると、偶然の要素はあったものの、ただ幸運なだけで掴んだ結果ではなかったことがわかる。ちなみにオーストリアが自転車競技で金メダルを取ったのは1896年アテネの12時間耐久レース以来だそうで。昔はそんなとんでもない種目があったんだ…。
あらゆるトラブルを続出させ日本国民はもとより世界中の人々にも失望を与え、開催期間を通してコロナを国内外にまき散らし、まったく盛り上がりに欠けたまま形だけは完遂。盛大なブーイングに包まれて閉幕。
大会中はコロナや熱中症によって各国の有力選手が次々と倒れる、出場不可能となる、棄権するなどした。そのため、純粋な個人競技に関しては概ね問題なく公式記録として見なされるも、対戦競技、集団競技、団体競技については、「2021東京五輪の記録は参考記録」と、後々まで揶揄されることに。
サイクルロードレースがこんなに注目されること、ない。
弱虫ペダルが流行っても、レース運営の仕組みとかプロトン内の駆け引きとかトニー・マルティン(落車させられた人)の
なので、きっかけはどうあれ、なんだかうれしい。
東京オリンピックのロードレースも、これを機会に見てほしいと思う。
(オリンピックの開催自体には私は反対だが、ロードレースは観戦ポイントを調べるくらいには楽しみに
してしまっている。ちなみに平坦区間での観戦はおすすめしない。プロトンは時速40km以上で走るので、一瞬で通り過ぎる。
おすすめは、激坂と呼ばれる急勾配の山道の、できればヘアピンカーブの内側だ。坂を駆け上がれば2回見れるからな)
サイクルロードレースというのは機材スポーツであり、団体競技であり(ツールの場合は1チーム8人)、同時に個人競技である
(エースを勝たせるために、他の7人が存在する)という特殊性もあってか、多士済々を絵に描いたように
フィリポ・ガンナ(伊)/もともとはトラックレース(競技場内でぐるぐる回るやつ)の世界チャンピオン。ロードも走ってみたらめっちゃ速かった。
ついたあだ名が「トップ・ガンナ」。ブラッド・ピットには似てない。
アレハンドロ・バルベルデ(西)/今年41歳。毎年「これが最後。もう引退」って言いながらビッグレースに出場し、あげくにステージ優勝の1つ2つ
マチュー・ファン・デル・プール(ベルギー)/3代揃ってレーサーという自転車一族の御曹司。体形的に大谷翔平とかルカクに近いのか?
なんか見るからにすごい。シクロクロス出身(自転車競技なんだけど、泥まみれになりながら自転車を人が担いで坂を登ったりする謎の多い競技)で、
山も登れるしスプリントの発射台もできるし、何をやらせても完璧超人。ちなみに現在マイヨジョーヌ)。
ナイロ・キンタナ(コロンビア)/顔が村長っぽい。村長と呼ばれている。
とか、色々すごい人が来る予定なんだよ。
新城幸也(日)/石垣島出身。高校までハンドボールやってた。2009年にツールに初出場して以来、
グランツール(フランス、イタリア、スペインにそれぞれある)に14回出場、すべて完走。
3週間ほぼ毎日、延べ3500キロとか走るんだよ。その中で、こないだみたいな落車もあるし、
体調不良やチーム事情(次のレースのために途中でリタイヤとか)も影響するので
実際の完走率って確か80%くらいだったはず。
それを、新城は14回完走してる。鉄人かと。そんでいつもにこやか。明るい衣笠かと。
付け加えると、今回のツールはアジア人は一人も出てない(カレブ・ユアンが韓国系オーストラリア人だけど)し、
黒人も多分一人だけ。理由は経済的なこととか文化的なこととかいろいろあるんだろうが、
日本人選手は何度もツールに挑んでは、跳ね返されてきた歴史がある。
それが、14回。新城すごない?
前なんか、逃げにのってステージ優勝一歩手前まで行ったこともあるんだぜ。
ちなみに奥さんはサイクルカメラマン(カメラパーソンていうのか?)。たまに中継に映る。
あとは、アラフィリップ(大スター)を見たかったけど、出場しないらしい。残念。アラフィニッシュが見たかった。
*アラフィニッシュとは! 最後のスプリント勝負で、ゴール前に勝ちを確信してハンドルから手を離し、
バリエーションとして、実際差されてしまったものの直前の斜行により自分が失格になっていたので、
恥ずかしい記録は残さずに済んだってこともあった
まあそんな感じだ! チャオ!
先日からこんなブクマが次々とホッテントリに入って戸惑っています。
■ツール・ド・フランス、クソ観客のせいで大規模落車 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3354342
■ツール開幕ステージで大クラッシュ、主催者は観客訴える意向 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3353664
■ツールの大クラッシュ、原因つくった観客逮捕 写真13枚 国際ニュース:AFPBB News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3354342
あまり熱心とは言えないけれどNHK BS時代から30年近くツール・ド・フランス(TDF)をテレビ観戦しているいちファンとして、こういうかたちでTDFが俎上にのぼるのはあまりうれしいこととは言えないし、寄せられたコメントを眺めていて感じるところもあったので、少し思ったことを書こうと思います。
古代マケドニアの歩兵みたいに密集して50km/h以上のスピードで驀進してくる集団を、手を伸ばせば触れる位置で一般観客が観戦できるというのは、あらためて考えるとかなり異様な光景ですよね……。
なぜ観客を柵とかロープとかで規制しないのか、この疑問へのおそらく一番単純な答えは「距離が長いから無理」だと思います。
3週間にわたって行われるTDFの各ステージの走行距離は大半が150km~200kmの間です。3週間合わせて、ではないです。1日にそのくらいの距離を走り、それを3週間続けます。最終的に全行程は3,000kmを超えます。
TDFに限らず、一般公道で行われる自転車ロードレースは1レースの距離が200km前後あります。たとえば、もうすぐ開催される東京五輪の自転車ロードレースは調布だか府中だかをスタートして、富士山がゴールです。244kmあります。コースの左右両側に規制が必要ですから、ロープを張るとしたらその総延長は488kmになりますね。おそらく安全運営にやかましい日本の東京五輪でも、全コースロープ規制などしないと思います(つまり東京五輪は、誰でも・タダで・選手に触れる場所で観戦できます!)。
どこに行っても車道と歩道がきちんとガードレールで分けられた日本の道路事情に慣れているとあまりピンと来ないかもしれませんが、ヨーロッパの道(少なくとも自転車レースのコースに使われる道)にはガードレールという無粋な調度がほとんどありません。そもそもTDFは「田舎町を出発し田舎道を通って隣の田舎町に到着するのを繰り返してフランス一周する」というコンセプトのレースなので、スタートからゴールまでガードレールというものをほとんど目にしない日も多いです。
コースの最初から最後まで野放しというわけではなく、スタート地点やゴール地点、ポイント賞のチェックポイント付近、町中のタイトコーナーなど、選手も客も白熱するエリアや走行上の危険があるエリアには鉄柵やバリケードが置かれ、安全対策されます。
とは言っても、柵のないところで観たい人はたくさんいるわけです。安全対策の手は及んでいないが勝負が白熱しそうなところ、観戦に慣れているファンたちはそういうポイントに集まります。
下り坂の広い一本道なんかは選手たちは80km/hくらいでカッ飛んでいくので、集団は秒で通り過ぎてしまいます。そんなところで待っていても面白くないですよね。
逆に、峠道の急勾配では走行スピードが20km/h以下まで落ちるし、勝負のかかった叩き合いになっていることが多いのでお客さんが集まります。そういうところではコース上いっぱいにまで観客があふれ(コースぎわじゃないですよ、コース「内」です)、選手の接近とともにモーゼの十戒みたいに群衆が左右に割れていく光景をよく目にします。「ラルプデュエズ オランダコーナー」などで画像検索していただくと雰囲気がわかるかと思います。
距離が近いだけでなく、選手と観客の関係性もほかの競技からするとびっくりするくらい近いのが自転車ロードレースです。
上り坂でへたばりかけている下位の選手を観客が手で押してやったり(審判団は見て見ぬ振りをするのが普通)、転んだ選手を観客が介抱したり転がったマシンを脇にどけたり、沿道の客が差し出す水のボトルを選手が受け取ったり(何が入っているかわからないので飲んだりはしない・身体にかけて冷却に利用する)。
このように、勝敗に直接関わらないようなかたちで観客がレースにある意味「関与」することは当然のように行われてきましたし、その関係性は100年以上かけて育んできたサイクルロードレース文化の一部と言えます。
件のプラカードガールは訴追されることになりましたが、大会運営がこのように厳しい措置をとるのは珍しいことです。長く観戦していますが、初めてのことかもしれません。
近年、セルフィーを撮影するためにコース上に身を乗り出したりカメラを突き出したりして選手と接触する事例が目立ち始めて問題視されたりもしていますが、選手と観客が接触するのは(まったく歓迎できない出来事とは言え)TDFでは毎年必ず起こる事故のひとつであり、それを理由に観客を沿道から締め出せとか選手と観客をきっちり隔離しろといった議論にはなっていません。100年かけて育んだレースと観客の関係性にクサビを打ち込むことは選手も望んでいないでしょう。良識ある観戦マナーの周知を徹底する、というのが大会運営の基本方針かと思います。
観客との接触事故は時折起こるものの、落車の原因としてはまれなケースです。大半の落車は普通の原因のアクシデントです。
普通の原因というのは、選手同士の接触です。前輪が前走者の後輪と触れ合って転んだり、ゴールスプリントで絡んだりといったものです。
中でも近年のTDFで増えているのは選手の不注意による落車で、よそ見していてほかの選手とぶつかったり、ほかの選手が投棄したボトルを踏んで転んだりといったものです。ひと昔前はこういったアクシデントは今より少なかったように思います。レースのハイレベル化・高速化が進んでリスクが高まっているのかもしれません。
第4ステージではスタート後しばらく選手たちがレースをせずにスロー走行のデモンストレーションをしました。
が、このデモは実はプラカード落車とは関係ありません。選手たちの抗議のメインテーマはコース設定の安全性であり、沿道警備の強化ではありませんでした。プラカードの件も少しはあるかもしれませんが比重はかなり小さいと思います。
コース設定の安全性というのは、第3ステージではゴール付近のコースレイアウトが狭くてカーブが多く、事故を誘発しやすいものだったことを指します。ゴール寸前の選手集団は制御のきかなくなったオッコトヌシ様のようなもので、そんなものを狭くてくねくねした道に突っ込ませたら何が起こるかわかりません。少なくとも万が一そこで転んでもタイムを失わないような特例を設けよ、というのが彼らの主張です。
大会運営に対して選手たちが一丸となってこのような抗議行動をとることは珍しくなく、私も過去に何度か目にしたことがあります。
プラカードの女性がマフィアからひどい目に遭うのでは、と心配するコメントがいくつもありましたが、いったい誰が言い出したことだろうという感じです。
様々なブックメーカーがTDFを賭けの対象にしているのはきっと事実でしょうが、マフィアがもしそれに関与しているとしても常識的に考えて胴元の側でしょう。そもそも、3週間にわたって不確定要素が連続し続けるTDFの、それも初日に起きた落車事故で賭けを台無しにされたと腹を立てる人などいるでしょうか? レースは始まったばかりです。これから先にだって何が起こるかわかりません。
そして、ここが大事なところですが、プラカード落車に巻き込まれて転んだうちの一人、ジュリアン・アラフィリップはそのステージで優勝しています。選手たちがペースを落とし、落車に巻き込まれた人たちを待ったのです。このように、自転車ロードレースでは不測の事故で不平等が起こった時はそれを是正するようにわざと脚を止めてレースを仕切り直すことがよくあります。
プラカード落車でリタイヤすることになった選手もいましたが有力選手ではありませんでしたし、後続車に頭を轢かれたトニーマルティンも続くステージを元気に走っています。つまり落車は大規模でしたが、レース全体に及ぼした影響は軽微だったと言えます。
というわけで、プラカードガールがマフィアに消されるなんて話は噴飯ものの与太話です。
あと、プラカードガールが自殺してしまうのではと心配している人がたくさんいることにも驚きました。イマジネーションが豊かなのは結構ですが、そんな微粒子レベルの可能性を心配するくらいなら実際に転んで実際の怪我をして実際の痛みを抱えて走ることになった選手たちのほうを思いやってほしいと思います。
今年のツール・ド・フランスはまだ2/3ほどの日程を残して開催中です。
アマゾンプライム有料チャンネルやJSPORTSオンデマンドで視聴できます。いずれも登録料は2000円ほどです。
選手には長身痩躯、金髪碧眼の美丈夫も多くいるので女性の方もお楽しみいただけるのではないかと思います。
この機会にぜひ。
つまり噛み砕いて言えば「伝統」や「文化」だから、どんな危険な事態が起ころうと、外野はとやかく言うな、と。甲子園の支持者とかが喜びそうだな。
さっそくこんな頓珍漢なコメントがついてしかもそれに星がつき始めてるのを見ると、自分の文章力のなさが本当にイヤになります。
沿道をロープで規制しないもっとも単純な理由はレースの距離にあるとかなり前のほうで書いたのですが、ご理解いただけなかったのはひとえに私の筆力不足です。
私の想像ですが、ロープ程度の規制なら大会運営側もできるだけやりたいと思っているだろうと思います。去年のTDFはコロナ蔓延下での開催だったためそのような措置がとられている区間もありました。が、やはり距離200km、両側の沿道400kmをロープで規制するとなるといささか非現実的です。たとえばモノタロウで売っているトラロープは一巻き50m、約3kgです。400kmの規制をしようとするとこれが8千ロール必要ということです。重さにして24トンです。
文化があるから規制しないのではなく、物理的にそんな規制ができないためにいつしかそういう文化が育まれた、という順番です。
問題のプラカード落車は198kmのレースの残り45km付近で発生しており、スタート直後ではありません。スタート直後と誤認したコメントをよそでも見ましたが、もしかしたら「ツール・ド・フランス開幕直後」を「スタート直後」と読み間違えているのではないでしょうか。問題の出来事は3週間のツアーの初日に起きています。
なお、スタート地点はたいてい大きな町だしセレモニーなどもあって観客も多いので、バリケードで規制があります。が、スタート地点からしばらく集団はのんびりとパレード走行をするので、バリケードはあってもなくても基本的にたいした危険はありません。交通整理程度の意味合いです。数キロ走ったあたりで号令がかかり、実際のスタートとなります。フォーメーションラップからのローリングスタートみたいなもの、と言えばわかりやすいでしょうか(わかりにくい)。
予想以上に多くの方に読んでもらえたようで光栄です。あたたかい感想をたくさんいただき、書いてよかったーと思いました。個人的には徳丸浩先生(Webセキュリティのとても偉い人)から文章をおほめいただいたのが特にうれしかったです。心臓がでんぐり返るかと思った。
私の不徳からご批判をいただいた箇所もあり、それらの点については言い訳がましいことは申しません。真摯に反省いたします。
中途半端な知識でとんでもない勘違い・知ったかぶりをやらかしていないかが心配だったのですが、どうやら今のところそういったツッコミはわずかなようで一安心しています。
加えて、
(抜粋)言いたいことは伝わったけど、じゃぁ今後どうするの?感が拭えないな。
というか、〈議論のスタートラインを揃えるための現状把握〉を目的にまとめた記事なので、そうなるのが当然というか。基本的には、TDFがどんな催しかを客観的に知った上で語ってほしい、そのための参考資料のひとつ、という位置付けです。いささか無責任なスタンスではありますし、ところどころ私自身の思想が漏れ出てしまっているところもありますが……。
そして! 多かったのが! こういう疑問!
ですよねー不思議ですよねー!(興奮)
マラソンのような個人競技を見慣れていると、200kmも集団がほぐれずに固まったままでいるのは不自然に感じると思います。でも、みんな仲良くサイクリングしているわけではなくて、これにはちゃんとした意味があります。そして、これこそが自転車競技のもっとも特徴的なところなんです。
ただ、ここでそれをご説明するには紙幅が足りません。いずれ稿をあらためてサイクルロードレースの基本的な仕組みや楽しみどころをご紹介できたらなあと思っています。(誰かが代わりにやってくれてもいいです)
ツール・ド・フランスの楽しさ
たとえば女子で高いレベルでやりたいからって言って男子チームとかに混ざる選手いるじゃん。永里優希とか。
あれって要は女子のレベルでは自分が強すぎてつまらんからじゃん。
つまり体格とか技術とかが互角でやれるなら別に分けなくていいと思うんだよ。どっちかの性別にしかないとか、性別によって競技の質が変わるような、シンクロナイズドスイミングとかは別として、大抵のスポーツは男女同じルールでやってるんだからどっちでもいいんだよ。
分けてやりたいのは生まれつきの体格が劣るからで、生まれつきの体格が劣らないのに(むしろ恵まれてるのに)わざわざ体格劣ってるリーグに混じってやりたい理由がわからん。
男と肉体的にぶつかり合いたくないから?
この前成績表が帰ってきて概ね良好ではあったのだが、テスト4回中3回俺が勝っていたにも関わらず友人に評定平均で負けた。発言もするし提出物も完璧。ではなぜ?そう!体育の存在である。
しかもこれは推薦とかいうクソ制度にも使うらしく、体育みたいなゴミ教科の評定もそれに含まれるらしい。一般受験確定である。
それでいて来年の体育祭(笑)で全員リレーが決まった。誰が提案して誰が得するんだ。そもそもこんな時にアホみたいに体育祭なんてするな。もう本当に嫌だ。
個人競技ならまだいいんだ。嗚咽しながら1500走っても、泣きながら泳いだりするのならまだいい。なぜ連帯責任を生ませる?明らかに俺みたいなカスをいじめる原因になるだろう??
努力しろ!みたいに言われることも多いが、している。していてこれなのだ。手を抜いてなどいない。筋トレしたり、いい歳こいて(ガキだが)走る練習もしてる。一向に何も変わらないけどな。
俺よりなんもしてないのに俺よりできてるやつ沢山いるだろ。泣けてくる。
またいつものように「増田のせいで負けた」とか「死ね!」とか言われないといけないんだ。
休んだこともあるけど結局白い目で見られることに変わりないし。
どこにも打ち明けられないからここに書く。辛い。
そもそも女子スポーツの意義とはなんなのかって考えると、男子アスリートとはついてる内臓に差があって筋力や骨量で傾向が違うので分けられたカテゴリで勝負することにしたってことだと思うんだけど、トランス女性が女子スポーツで戦う意義はなんなんだろ。
もともと男子のポテンシャルがあるけど男子カテゴリでやりたくない理由はなんなんだろ?ホルモン量とかで勝てないからなのか、女性としてのアイデンティティを大事にしたいので女子のカテゴリでやりたいのか。
特に個人競技で、スポーツをやる上で性自認ってそんなに影響するんかな。
肉体的にさほど差がないなら別に男子カテゴリでやってもいいという女子はいると思う。永里優希みたいに、どうも私は女子スポーツでは物足りないんで男子カテゴリでやりますわという選手もいる。