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はてなキーワード: 修士号とは

2022-08-21

高齢出産叩きを諫める意見に対して、「自分幸せに育った人なんだろうね。実際に親の遺伝障害おったり、親が高齢過ぎてバカにされたり虐められた経験がないから言えるんだろうなと思う。」

って言ってるけれど、なんで他人人生勝手に決めつけるんだろうか…

辛い経験をしていても他人に優しく出来る人だっているだろうに。

まあ、n=1でいいならば自分もそんな経験一切ないな

35過ぎの初産で育休中に修士号を取ってバリバリ働いて子供インタースクールに行かせている人や

起業して成功して子供シッターさんに懐いている人や

40過ぎて第2子を産んで海外移住して現地の大学研究して子供ものびのび育ってる人とか

高齢出産幸せなそうな家庭しか周りにいないわ

しかしたら障害はあるのかもしれないけどいちいち気にした事ないし

そもそも高齢出産バカにするようなモラルの無い人って子供の頃から現在まで周りにいなかったよ。

高齢出産は不幸って決めつける人達自分達の周りの世界が全てだと思わないで欲しい

2022-08-12

酒好きワイの肝炎、原因がワクチン接種に起因する可能

大変興味深い経験をしたので記録しておこうと思った。

時は2021年11月半ば、私は企業健康診断を受けた。

大枚叩いてジムに通い出したのに、去年と対じゅうも腹囲も変わっていないのに落胆したばかりで、何の変哲もない検査を受けた。

翌月送られてきた結果、判定は「異常あり。速やかに精密検査を。」というもので、26歳の自分はにわかに冷や汗をかいた。

私はこれでも一応、

薬学分野で修士号を取っていたし仕事もそれに類する物だったので結果をよく見てみた。

どうも、いくら肝臓が悪いらしい。

AST 190, ALT 70, LDH 570, γGTP 55。

それ以外は平凡はそのもの

B型C型肝炎ウイルスも陰性。

その他HTLV,TP等の感染症も陰性。

酒の飲み過ぎだな、と初めはそう思った。

しかしとりあえず病院に行くと、医師はどうも分からんような唸り方をしている。

「酒の飲み過ぎにしてはγGTPが低い。消化器内科専門医を紹介する。」

なんだかよくわからんことになってきたな、と思いつつ紹介をうけ、採血をして感染症以外の項目を一通り再検査した。

以下は専門医コメント

「Covid 19ワクチン副反応が疑われる。まだ因果関係証明されていないが、世界的にはワクチン接種後の肝炎症例報告が出てきている。2回めの接種から一ヶ月後くらいで、同様の肝炎がみられるケースを複数件見てきた。自己免疫性の肝炎と推測されることから3回めのブースト接種はおすすめできない。」

とのこと。

面白いケースに当たったものだ。

かにpubmed を調べてみても同様の症例報告は散見されているようだ。

まあこの程度の副反応があるから何だ、と言う話ではあるのだが、あまりメジャー副反応として知られていない気もす

これはあくまでワイの身に起きた1事例であり、これが必ずしも誰にでも当てはまるわけではないことを明記しておく。

2022-08-11

anond:20220808140832

5年制の博士課程みたいな特例もあったりはするけど基本的には既に修士号は取ってるでしょうね。

普通に履歴書に書けるし(新卒採用かいう謎制度から外れてしまうだけで)普通に就職に不利にはならないはずだよ。

でも博士号取って有利にキャリアを進めたい…みたいなところから別に何年も前に取れてた大して難しくもない修士卒扱いまで戻されるのはちょっと悔しいと思う人も居るだろうね。特に当事者は狭い世界に生きてるから博士号取れないとレールを踏み外して人生終わりみたいな気持ちになってしまいがち。

当事者はそういうふうに思っちゃうんだよなぁ… 中学生とかが思い詰めて自殺ちゃうみたいなのと根本は同じ

2022-08-08

自分も似たような境遇だったかアドバイスしたい

anond:20220804160350

自分博士号を諦められず、在学年限ギリギリまで引っ張った。

後輩が先に修了して行く様を何度も見せられ、精神的に相当参った。自分馬鹿からしゃーないけど。

もちろんそんな精神攻撃のほかにも、指導教官から「早よ修了しろ」と背中叩かれるのもそこそこキツい。

なまじ「お前は博士に向いていない」とか言われるより心に来るものがある。

でも応援してくれるだけかなりマシ。自分教官はこんな劣等生にもいつも親身に指導してくれた。

でもこんな境遇になったときに一番精神に来るもの金銭面だと思う。自分はそうだった。

まず在学年数が増えるたびに授業料が発生する。

そして実家から支援も見込めず、当然奨学金学費免除なんてのも受けられない。

授業料だけではなく、家賃水道光熱費といったいろいろな固定費必要だし、まして自分が思ったときに好きなものを買えないストレス想像を遥かに越えて重くのしかかった。

から自分はこんなことをした。

・休学制度を使う

休学期間中学費がかからない(はず)。「金銭面の事由により」などとして休学すれば、その間の金銭ダメージはかなり減る。もちろんその間も研究は続ける。

修士号で就けるようなポストを見つける

JREC-INかに登録したり、教官のツテを辿ったりして、何か職に就いてしまう。

将来大学関係の職に就きたいのなら、ここで特任助教なんかでもいいか博士号を要しない職を見つけて、いわゆる社会人ドクターの形をとる。

このご時世、オンラインでも研究はできると思う。何だったら最終発表会までフルリモートで行けるかもしれないし、そうでなかったとしても一度や二度くらい大学に戻れればいいや、の精神で、場所は問わず探してみる。

自分場合は運良く事が運び、博士課程中に(任期付きではあるが)ポストに就けた。これで金銭面の心配はほぼ不要になった。

ただし、勤務しながら研究は続けることになるので、それはそれで大変。覚悟必要

大学に行けるだけ贅沢」「博士なんて自分で望んで行く場所なんだし、成果が出ずに路頭に迷うのも自己責任

なんて声が上がると思う。それは否定しない。

でもそんな脳死で石を投げられる人は、きっと人生何事もうまく行っている天才か、すべてうまく当てはまった努力家だろうし、自身境遇と重ね合わせるべきではない。

もちろん、他にも金銭面以外のいろいろな不安もあると思う。

例えば自分陰キャブスぼっちだったので、研究の話とか遊びの話とか、他愛ない話をできる人は周りに誰もいなかった。

そういうのは……まあ自分もうまく乗り越えられたとは思えないのでアドバイスしようがないが、頑張ってほしい。

でも願わくば、氏が博士という茨の道に進んだことを後悔せんことを。

境遇が似すぎていて出会うことがあったらきっと旨い酒を飲み交わせるだろうなぁと思った元学生より)

2022-08-05

[]

修士号持っているのに、博士のほうがうまくいかないってことでもう一度修士論文を出して二つ目修士号取得を目指すっていう夢見た。

昔々の指導教員が出てきた。厳しく叱られた。二日後に〆切があるってんで急いで書かなきゃと思いつつ、ウィンドウズではなくてNECのPC98を間違って

起動してしまうとか・・ここで目が覚めた。二度目の修士号とか変じゃん?PC98も変。とはいえ一時期ウィンドウズとPC98って併存てたよな。

2022-07-13

anond:20180708040425

そもそも英語圏のそこそこの大学修士号くらいを取」れる人間は千人に一人もおらんよ。それだけで十分に難しい。

そもそも洋書普通に読みこなしている普通アメリカ育ちのアメリカだって英語圏のそこそこの大学修士号くらいを取れる人間は決して多いわけではないし、MIT博士号を取れる人間が千人に一人もいるはずがない。MIT学部入学だって千人に一人もいないさ。

2022-07-11

理系私大中退危機にあってもあきらめないで

最近の某事件犯人が、某私大理系学部経済的理由から中退していた、とネット記事で知りました。

私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活修士号取得について書きます

なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人擁護する意図はありません。

私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文歴史化学などの科目がひどい出来でした。

一方で、得意科目物理数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。

結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶関関同立といった私大理系学部合格しました。

入学手続きから高校卒業までの間に、なんと父がリストラに。

それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。

入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。

大学事務室授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャル奨学金に申込みました。

家庭の収入証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。

親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。

無事に奨学金審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料免除されました。

ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。

奨学金審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続採用されました。

この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。

からといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。

大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。

私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年さら修士課程でも奨学生になれるとは限らない。

そこで、より学費の安い国立大学修士課程検討しました。

その中で知ったのが、飛び入学制度です。

大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程入学できるのです。

もちろん入試を受けました。

志望先の研究室学生コンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格

おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。

さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程バイトなしで生活できました。

ときどき研究室先生TAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。

大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。

また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数大手企業内定をもらいました。

さらラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。

結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。

その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています

それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています

結婚もして子供もいて、平凡ですが幸せな日々です。

自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています

あのとき奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります

本当に感謝しています

経済的理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人相談したり、裏技がないか調べてみてください。

学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います

どうか諦めないで。

2022-07-07

anond:20220706230450

前提の意味:推論の際、結論を導く基(もと)となる命題。転じて、ある事が成り立つための前置きとなる条件。

例文:「就職には修士号を―とする」

以上「前提 意味」でググってトップに出て来る辞書引用

たとえばこの例文ではの例文で想定してる職場への就職には例外なく修士号要求されているのだと言っているわけだ。

前提の意味分かってますか?

あと後半への反論は「そのうえで~」以降で満たされてるね。

補足すれば「庇護期間限定」とかなんちゃら言ってた短文トラバは明らかに元増田対立する立場だろう。

それに反論する目的反論する内容のトラバ存在意義としてまず考えられるのは単純に元増田擁護することだな。

あるいはただ全体の話の流れは関係なくトップページに流れて来た「反論余地のある内容」反論したい(当該トラバ批判範囲が完結している)というだけのタイプ是々非々主義者可能性もある。なにかおかしいことあるか?

ここまでいってなお「あんたの勝手な推測・解釈思い込み」というなら、俺がしたように辞書引用とか客観的根拠を示して反論してほしいものだね

そもそも元増田でも短文トラバ書いた本人でもないだろうに、なんで推測だの一点張りするほど根拠も薄弱のくせにそんなムキになって日をまたいでレスバしに行ってるのが疑問なんだけどね

あと何日続ける気なんだ

2022-07-02

ヤマノススメの面々の将来予測妄想とも言う)

anond:20220702130156

独断偏見による勝手予想

楓さん

山に登りたいから、と言う理由で上を目指さず、自宅から通えるそこそこの大学に進学して登山三昧。ところが、ある日、偶然(?)山小屋に来ていた准教授に、大学院の山岳教育プログラムなるものを知らされる。

下山後、准教授に誘われて研究室を尋ねると、何故かその場にここなさんが。准教授とここなさんに、一年中山籠もっても誰も怒られないどころか、それを仕事にできると騙されて と聞かされて、学部卒業後、その教授所属する山岳教育プログラムのある大学院に進学。

さらに気がつくと大キレットを滑落する勢いで転がり落ち、ふと気がつくと先進であるヨーロッパ大学留学

その頃、日本で山岳メディアライターを始めていたひなたに強制されまれ、現地からコラムVlogをアップしはじめたところ人気に。それで手に入れた金を丸ごと山狂い山岳文化に関する研究につぎ込み、若手研究者として頭角を現す。

しかし、本人の行動様式はあまり変わっていない。(ただの山馬鹿)。しかしなぜそんな楓が学術界でもやっていけてるのか?その正体は、いつも論文のSecond Author以下に載っているYuuka Sasahara (Holy Hope High school)の名前にヒントがある。

ひなた

特にこだわりも無く、父親も無いか強制する事も無かったので、大学は得意な科目があるところに進学すればいいかなーと思っていた。ただ、両親と離れるのもなんとなく嫌で、自宅から通える条件の大学を選んだところ、なにげにかなりのレベルが高い大学合格

大学生活も楽しくやっていたが、その頃から父親仕事に興味を持つように。ライター業、文章写真だけでは無く映像撮影しなければならない事も増えた父親アシスタントとしてついていく。

つの間にか撮影する側から撮影される側になっていて大学在学中にライターデビュー卒業後は、父親法人化した会社所属して、山岳と自然、それを切り口に地域などもテーマにした専門ライターとして、日本中、そして世界を歩き回る。

ヨーロッパ留学した楓を尋ねて行くも、楓のあまりにも無頓着生活に、機材一式をを置いて帰り、ゆうかにチクると言う暴挙を働く。それがきっかけで楓をタレント研究者として父親会社所属させ、自分自身と二大看板活躍している。

ここなさん

高校は、あおい、ひなた、楓とおなじ高校の、奨学金制度を利用して進学する。授業料免除は受けられたものの、私立高校授業料以外もお金がかかる。また登山も続けたかったので、アルバイトを始めようとする。

しかし、母親はそれは助かるけれども、せっかく良い学校に入れたのだから学業に専念して欲しいと言われて反対される。思い詰めたここなは、先生相談すると、先生から学校運営法人小学生向けにやっているサイエンススクールアシスタントバイトを紹介される。

そこの講師できていた准教授と仲良くなり、大学研究室に出入りするようになる。(そこで、楓さんの話をしたところ、准教授は楓さんを捕獲に動く)

3年生になるころには単著論文論文誌のプレプリントに発表。プレプリントとは言え大学レポジトリであり、それを学校宣伝したために一躍時の人に。しかしそれは大学奨学金問題なく得るための動きで、それをテコに大学全面的奨学金を受けて大学に進学。高校時代執筆した論文は、当たり前のように査読を通ってインパクトファクターの高い論文誌に掲載さらに2年時でスキップ申請修士への進学)して修士号を得て製薬会社研究所に就職。その研究所では開設以来最年で少採用であった。

普段は、世界から集められた様々な植物から、薬になりそうな成分を探し、研究しているが、自分趣味を兼々山々をさんぽ。なんでもない場所から新しい研究成果を見つけてくるので、実は天狗かなにかではないかと噂がある。

あおい

みんなの癒やし。

今日お菓子屋さんに行くとあおいちゃんがいて、みんななんとなく疲れたらあおいちゃんと一緒に登山しに行きます

2022-05-23

もう数ヶ月も前なのだが、修論を書いていたころのことを思い出すと今でも涙が止まらない。

でもどうして涙が止まらいか言語化できない。

私の人間性としての負の部分を言語化するからかな。

あたしは疫病神から、いるだけで研究室迷惑をかけるんだ

本当は私なんか研究室に入らない方が研究室のためだったのだけど、でも私修士号しかたから、普通就職よりは内定の貰える技術職で就職たかたから、だから傲慢にも在籍していたの。許して。

教授は私のことをもう許してくれないのでしょうけれど、私は教授に好かれたかったよ。教授のために滅私奉公する私が好きだったよ。

卒業式にも出てないし、大学から卒業証書事務室に取りに来いと言われているけれど平日しかだめらしいし新入社員有給取れないし難しいな。卒業証書かいらないか大学側で破棄してくれよ。そういうわけにもいかないのでしょうけど。

そんな、まるで教授に砂かけて卒業したような私が、大学院の専門ど真ん中での業界職種仕事を始めるのに罪悪感がある。そういう学生って多い?そういうもん?気にしなくていい?

2022-05-15

anond:20220514202159

ADHD持ちの教師だけど,これは普通差別でしょ。

ADHDが「契約を適切に理解できない人」って言われてるんだよ? 俺が取った修士号はどうなるの? 教員免許は? 教職はどうなるの?

ADHDが「契約を適切に理解できない人」って言われたら,俺みたいな人たちは教職に就く能力否定されることになるよね? 契約理解できない人が,大学院に行ったり教員採用されたりするなんてできるわけないじゃん。

AVに出演するのも教員として採用されるのもどっちも契約だよ。片方の契約能力が欠如してるなら,もう片方の契約能力も欠如してるってことになるでしょ。AV出演契約を適切に理解できない人が,なんで雇用条件通知書や職務規定学習指導要領を適切に理解できることになるんだ?

逆に言うと,俺たちみたいなADHD当事者教職に就く権利自由を守るためには,AVに出演する権利自由も守らないと駄目なんだよ。

俺はAVなんて興味ない。だけどADHD持ちの就労権利自由には興味がある。俺たちはどんな職業だって就くことができるはずだ。それを否定しようとするのは俺たちへの差別だ。絶対に受け入れられない。

2022-04-15

トゥギャりました ジャズトランぺッター と 国際政治学

細谷 雄一(ほそや ゆういち1971年8月13日- )は、日本国際政治学者。慶應義塾大学法学部教授。(法学立教大学法学部卒 慶應義塾大学大学院法学研究科修士博士

伊勢崎 賢治(いせざき けんじ1957年7月6日 - )は、平和学研究者。東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授  早稲田大学理工学部建築学科卒  ボンベイ大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了(後期中退早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了

https://twitter.com/isezakikenji/status/1514555737267404801 

自分たちは戦うのは怖いから 武器だけあげてウクライナの人々に戦わせて これは代理戦争じゃない 国際秩序のための聖戦だって賞賛するの なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者

https://twitter.com/Yuichi_Hosoya/status/1514567243836932098

”開戦前に、ブリンケン国務長官が直前までロシア政府に、戦争に突き進まぬよう交渉をして説得していたのにもかかわらず、アメリカの「代理戦争」という陰謀論固執する根拠を、大学教授という学識がある専門家である以上、きちんと一次資料を示してほしい。”

そもそも学部時代学位建築学で、大学院修士号が都市計画専攻と、学部でも大学院でも一切、学問的に国際政治学平和学を研究した経験がない方が、なぜそこまで断定的に「陰謀論」を流布しておられるのか、なかなか理解が難しいのですが。もう少し専門家の知見から謙虚に学ぶ姿勢を示すべきでは。”

”そして、やくざじゃないので、大学教授が、「なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者」という相手を煽るような言葉を使うべきではないのでは。私が「そこの学者」に該当するかどうかは興味ないですが。”

”そして、「自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者」って、おそらくはイスラム教聖職者差していると思いますが、大変失礼な言葉ではないでしょうか。平和構築や和解職業とする仕事をしていた方の言葉として、とても残念です。”


https://twitter.com/isezakikenji/status/1514613172480577543

””代理戦争”がお気に召さぬなら「史上最も卑怯代理戦争」と言い直しましょう。既にNATOとは綻びが出始めております(↓)。まだ米国は頼られているようですから武器供与の停止を人参バイデンが「停戦」に向けて動けばいいのです。オデッサが奪われ内陸国化する前に。”

”お。なんか声届いているんだね。よかった。”

2022-02-17

ゴミ修論

ゴミ修論だした。同期の中で一番酷い自信ある。

修士号までとって入る会社の同期、リア充感凄い。俺も慶應文系学部入ってチャラチャラ遊んでおけばよかった

2022-01-01

anond:20220101171407

息子さんの学歴は?

それだけのことを言うからには最低でも修士号取得までは親としてサポートたかと思われますが、いかがですか?

2021-12-09

学歴フィルターどんとこい

東亜以下の話で学歴フィルター話題だったけど,俺としては学歴フィルターあってもいいんじゃないかと思っている.

ただし,ちゃん学歴フィルターしろよ?学校歴じゃないからな?

しかフィルターということはちゃんと上位の学歴を取る気があるんだろう?じゃぁまず博士号しか応募できない求人もっとやすべきだ.現存する学位では最高位だぞ?これを取らずに何をフィルターしてるんだ.

次点単位取得退学もいいだろう.その次くらいで修士号フィルターになろうだろうか.

え?学士?そんなの数が多すぎるんだからフィルターする意味がないだろう,もっと上位の学歴フィルターすべきだ.そういう正しい学歴フィルターをする企業であれば,堂々と「うちは学歴フィルターあります!!説明会博士課程の学生しか参加できません!」とか言ってもいいと思うんだけどな.

2021-11-23

anond:20211123104955

わが社は修士号のみを求人しています!なんてところあるわけねえだろ

2021-11-07

なぜ人を殺してはいけないのか

まとめサイト

なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい

https://note.com/fromdusktildawn/n/n0781ea1ca467

なる記事を読んで少し思うところがあったので、メモしておこうと思う。

大学時代、もう10年以上前になるが、幼児教育修士号を取得し、保育園で働くという異彩を放つ友人と二人で酒を飲んだことがある。

なんの話をしていたか忘れたが、その際、その友人が「なぜ人を殺してはいけないのか子供たちに説明ができないじゃないか。」と言ったことを覚えている。

とかく人は「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、道徳だとか、哲学だとかに答えを求めがちだが、少し現実をみて、「人を殺しても良い世界」を想像してみたらどうだろうか。


罪なくそのようなことが許される世界であったなら、私は家の扉の外には出ないし、家族も作らないだろう。

自分に少しでも不都合であったり、不愉快である人間は、殺してしまえば全て問題解決してしまう。

そんな世界に一歩でも足を踏み出すと、いつもふとしたことで殺されるリスクがあるからだ。

そう、「人を殺してはいけない」は社会、いや、主観的判断では”SOCIETY”が最も意味としては近いと感じる、を成立させるのに”必要条件なのだ

ユヴァル・ノアハラリの著書によると、人類発展の大きな理由の一つがこの”SOCIETY”の形成だったと書いている。

とかく利口と言われるチンパンジーにおいても、そのグループ構成は多くて100頭程度。他の動物も同程度だろう。グループ間のコミュニケーションネットワークも限られている。

一方、人類国家でいうと10億人規模のコミュティ形成会社においても数万規模のコミュティ形成でき、そのネットワークチンパンジーのようなアフリカの一地域限定ではなく、世界中、いや、宇宙にまで広がっている。

言わずもがなコミュティコミュニケーションによって成立し、相互の信頼も必要となってくる。「嘘をつかない」、「話や言語が通じる」、「互いの利益を考える」等、信頼を獲得するのに必要な条件は多くあるが、最低条件が「私を殺さない」ではないだろうか。

から、もし「なぜ人を殺してはいけないのか。」と人に聞かれることがあれば、私は即座に、「社会が成立しなくなるからだよ。」と答えるだろう。

ついで聞かれる質問はおそらく「社会必要ない人は殺してもいいのでは?」であったり、「死刑はいいの?」とかだろう。

結論から言うと、私は「社会必要ない人と判断された人」=「死刑となった人」と考えている。

社会必要ない人は殺してもいいのでは?」と言う問いに対しては、「そうだろう。だが、殺していい人は厳密に決める必要がある。」と考える。

誰もが主観で「社会必要ない人だから殺そう」と実行していては、客観的にみて誤った判断による殺人が発生し、やはりコミュティ形成問題が発生する。

ルール必要だ。人間コミュティはその規模が大きくなるにつれ、約束から掟、そして法律ルール形成していった。

社会必要ない人は殺してもいいのでは?」という判断をするのが、日本で言うところの刑法なのだろう。

もっとグループが小さい、例えば国家形成前のTRIBEであったり、VILLAGE規模であれば、殺人については知見者(長老とか?)の判断により、その殺人の是非が決められただろう。だがそれは各々がお互いをよく知っているような小規模集団から成立していたものであって、国家規模の、知らない人間が大多数のグループでは成立しない。

このため、現状、国家規模での判断を決めるのが法律となる。

そう考えると自然と「人を殺してはいけない」ことがわかってくる。

一部、「特権階級は人を殺しても良い」という社会。例えば現状のタリバン政権等が挙げられるが、いずれも後進国であり、そのルールによって、社会の発展を妨げ、結果、国の発展が滞っている。

「人を殺してはいけない」はSOCIETY家族、親戚、集団会社社会政府、国等)の発展には基本的必要不可欠な、最低限の決まりごとなのだ

友人に対しては、酒を飲みながら、上記のようなことを滔々と語った記憶がある(無論、その頃ユヴァル・ノアハラリは本を書いていなかっただろうが)。その時の友人の反応をあまり覚えていないが、この答えに対する反論はなかったと記憶している。

あの友人は今、子供人格形成に大きな影響をもたらすであろう、幼稚園教育に力を注いでいると思う。

どんな教育をしているのか、今度聞いてみよう。

いろいろコメント等あったので、思ったことを追記

足りない頭でつらつらと書いた本投稿に、いろいろとコメントを書いてくれた人たちにまずはお礼と感謝を。

まず、最初に。小生、正直哲学全然履修していないし、もうちょっと言うとニーチェなんててんで興味がない。

最初ニーチェ記事引用したのは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマを聞いて本稿に書いた友人との問答を思い出したためである(友人はニーチェとか好きそうだけど)。

哲学は…なんというか主観的なんだよね。「まあ、そう言う解釈もあるよね」で終わってしまいそうな問答がいつも並べられている印象。

からまり興味が持てないのかもしれない。

コメントとかで気になった内容については以下に私見を書いていく。

まず、”社会”より”SOCIETY”が感覚的に近く感じた理由

一方で

社会”はもっと大多数の人間構成されるイメージがあるから。とっても主観的から、以下は”社会”でまとめる。

望む望まないに関わらず、人は社会に組み込まれると思う。

君が住んでいる家、来ている服、食べている食べ物は全て”社会”の産物である

人が2人いれば、そこに”社会”は存在するんじゃないかな?

社会必要としない人」なんてもの存在するのであれば、どこか孤島で、自給自足孤独に生きる人になるだろうから自然殺人は発生しないかも。



哲学を語っていたわけではなく、社会必然性を語っていたつもり。

当為」という単語も初めて聞いた。不勉強申し訳ない(汗)

社会というものは皆で構成するものだと考えてる。

そこに権力が集中している場所権限が大きい?)はあるかもしれないけれど、それも社会構成要素の一つ。

から、「社会を維持するために社会権力に逆らってはいけない」とか、強制されて行うものではなく自発的に「社会を維持するために人を殺してはいけない」と考えるべきではないかと思う。

また、社会を維持したり、大きくすることは、その社会を存続させることに必要不可欠なことで、いわゆる生物が子孫を残すことと同様なのではないだろうか。

「なぜ人が殺し合わないように進化・発展してきたか」と「なぜ人を殺してはいけないか」は別の話ではないような。

「人が殺しあわないように進化・発展してきた」(すくなくとも自然淘汰されない程度に)からこそ、現在社会があり、その社会の維持のために「人を殺してはいけない」というルールが維持されていると考えている。

「なぜ社会を成立させなくてはいけないのか」は別に当為の話ではないと思う。

社会を成立させ続ける」という社会目的があって、初めて社会は存続してる。それがなくては社会は成立し続けない。だから社会を成立させ続ける」は我々人間が営みを続ける上で、必要条件なのかと。

そう考えると、「人を殺してはいけない」は社会存続のための必須ミームなのかもしれない。

ニーチェ記事にはやたらと”道徳”について書かれているが、

「人を殺してはいけない」という基本概念は「社会の維持」にとっては必須であり、いうなれば、生きる上で必須の事項なんじゃないかな?

ここまで書いて、ふと、確かに死にたい人間や、破滅を望む人間には「人を殺してはいけない」なんて概念通用しないと感じちゃった。

そういう人は社会性の欠如から考えると、普通の人より、もっと野蛮で野生的…?、粗野な人種なのかな。

いずれにしろ望む望まないに限らず、「社会」に組み込まれるだろうから、人を殺さないことをお勧めするかな。

でないと不自由暮らしが待ってて、いいことないし。

2021-11-02

anond:20211024155000

マリッサはヤフーCEOになった2か月後に子供産んでいるんだが?

マリッサ・メイヤー

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

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マリッサ・メイヤー

Marissa Mayer, 2011 Interview (crop).jpg

生誕 1975年5月30日(46歳)

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ウィスコンシン州ウォーソー

出身スタンフォード大学

職業 Lumi Labs共同創業者

マリッサ・アン・メイヤー(Marissa Ann Mayer、1975年5月30日 - )は、アメリカIT業界実業家。Lumi Labs共同創業者[1]、Yahoo!の元CEOGoogleの元副社長検索製品およびユーザーエクスペリエンス担当)[2]。Googleの顔の一人で、インタビューイベント出演が多かった[3]。

経歴

メイヤーは、1975年ウィスコンシン州・ウォーソーでドイツ系の血を引くフィンランドアメリカ人の家庭に生まれた[4]。母は美術教師、父は水道会社で働いていた[5][6][7]。1993年高校卒業後、ウエストヴァージニアで行われたNational Youth Science Campに参加[8]。

スタンフォード大学からシンボリックシステム学士号計算機科学修士号を受け、人工知能を専門分野としていた。

スイスチューリッヒUBS研究所(Ubilab)やカリフォルニア州メンローパークのSRIインターナショナルを経て、1999年従業員20人程度の規模だった[9]Googleに数少ない女性エンジニアとして入社した。人工知能ユーザインタフェース設計専門家であり、これまでGoogleウェブ検索Googleニュース、GmailOrkutGoogle マップ、Google Earth、Google Health、iGoogleなどの構築に携わった[2][10]。

2008年、『フォーチュン』誌が毎年選定する「50 Most Powerful Women」(最もパワフルな女性50人)で第50位に選ばれた。これまでに最も若い女性としてランクインしたことになる[10]。

2009年、検索事業に関する仕事の功績により、イリノイ工科大学から名誉博士号を授与された[11]。

20127月17日Yahoo! CEO就任[12][13]。 同年9月30日男児出産 [14]

2013年2月ヤフー就業制度について、従業員の在宅勤務をオフィス勤務に転換する方針を示した[15] 。このことについて、在宅勤務をしていた従業員などから批判が起こった。[16]

2013年4月ヤフーでの育児休暇制度を変更し、育児休暇期間の延長と育児休暇に伴う賞与を与えることにした[17]。この制度変更についてCNNは、FacebookGoogleなどのようなシリコンバレーにある企業制度に合わせたものだと伝えた[18]。

2015年1210日、双子女児出産[19]。

20171月9日Yahoo!の中核事業をVerizonに売却する契約正式に結ばれた後にYahoo!役員を退任する、と発表された[20]。

20173月Yahoo!の中核事業売却後、CEOを退く際に2300万ドル(約26億円)の退職金を受け取ることが明らかになった。ボーナスについては辞退した[21][22][23]。

20174月ベライゾン・コミュニケーションズへの中核事業売却で約1億8600万ドル(約205億円)を手にすることが、米証券当局への届け出で明らかになった[24]。

2021-10-28

anond:20211028164044

眞子さんはイギリス修士号を取得し(伯父である天皇と並ぶ業績),日本博士課程に在籍しつつ,東大博物館で働いている

眞子さんについては大学の格を語らないのは一貫性がない

2021-09-11

人生終わらせるしかない

思えば高校3年の時から精神調子おかしかった。

起きようとしても起きられない、夕方になってようやく起きる生活になった。特定教師のことを思い浮かべると恐怖でどうしようもなくなった。

精神科に行こうとするも教師から妨害されて保健所に連れていかれた。保健所では「我慢して学校に行ってください」といわれたのでしぶしぶ登校した。

精神状況はセンター試験直前ぐらいまで芳しくなかった。

 

その後適当都内大学に進学した。学部卒業後は大学修士課程に進学した。社会統計学みたいな感じのことを研究していた。

B1(学部1年)の時は昔いじってきた同級生に襲われると思い震えたり、大学に行けなくなったりしてあんまり状況は芳しくなかった。

いじりといっても通りすがり金玉を握りつぶされる、教室で無理やり脱がされ局部丸出しの状態にされる、7~8人から殴る蹴るなどされるといった程度の軽いものだ。

B2になったら少しは良くなったが相変わらずだった。ただ、自分をいじってきた人が多数参加する地元成人式が終わると状況は少し落ち着いた。

B3~M1の時はまあまあ普通だったが、M28月ぐらいから再び体調がおかしくなりはじめ、意識もうろうとしたり人ごみの中で動けなくなったりした。

研究リソースをさかれ就活まで手が回らなかったこともあり、結局就職先が見つからないまま大学を去ることになった。修士号はもらえた。

 

大学院修了後はしばらく動けない状況が続いていたが、これじゃいけないと8月ごろ一念発起し就活を始めた。

有名なブラック企業ですら門前払いを食らったが、結局原子力系の企業研究部門中途採用というかたちで拾われた。統計をやっていたということが理由らしい。

このころも電車京王線)の中で意識もうろうとしてしゃがみこんだりと心身ともに不調が続いていた。

 

研究部門は朝8時から夜0時まで勤務するのが当たり前だった。サービス残業もそこそこやった。昼休憩や休みの日は原子力関係の専門書を読んで知識をつけていた。

このころ体調はさらに悪くなっており、頭の中が真っ白になり吐く、会社に行こうとしても眩暈が停まらなくなる、MF文庫Jポスターを見て意味もなく大泣きするなどの状態になっていた。

さすがに体調が悪いのは何とかしなきゃなと思い内科デパスを貰うも効き目はあんまりなかった。

そうこうしているうちに納期まで仕事が終わらないことが発覚、命を以て責任を償おうと電車に飛び込もうとするも警備員に取り押さえられ失敗。

警官とともに精神科に連れていかれて「うつ病」という判断を下された。

自分うつ病はすぐ直ると思い、復職に向け専門分野の勉強を続けていた。100冊ぐらい専門書を買い精読した。向学のため北海道地層処分研究施設を訪れたりもした。

しか復職許可は出ず結局会社を追い出された。

 

会社を追い出された後は何もする気力もなく、親のすねをかじりながらただただ罪悪感と同居する生活を送っていた。

そんな中、知り合いが「あなた知識をもとに事業を起こさないか」と誘ってきた。何もしないという罪悪感はあまりにも大きい。

自分憲法規定された国民義務を果たすため、その話に乗った。

おりしも障害年金が120万円程度支給された。自分はその金を使い、事業必要な道具を全国駆けずり回って集め、そして共同で事業を行った。

調達計画作成商品の納入・宣伝顧客対応はすべて自分が行った。結局100万円以上切ったりもした。足りない部分は知り合いから借りた。

その甲斐もあり月商20~60万円程度にはなった。9ヶ月で300万円程度売り上げたが、そのうち260万円は知り合いが貰っていった。

知り合いはこの事業運営自分に一任してきた。せいぜい計画文句つけるぐらいだ。分配も自分がさんざん催促してしぶしぶ行ったという感じだった。

このころは出張先で体が動かないなどの症状に見舞われていた。うつ病も良くなってはいなかった。

しか病気がよくならなくとも義務を果たさなければならないという思いで職務に臨んだ。

 

結局件の知り合いに毟られているのではないかということを親から指摘され、数か月前自分在庫の一部と機材の一部とともにバックレた。

体も動かない、近所のコンビニにも行けない、生活費も乏しいという三重苦の中、気力を振り絞り事務所の確保や販路の拡大、開発計画策定などを一人で行ってきた。

しかし売り上げは前のようには立たず、経済的心理的に頼れる相手もいなくなったこから、心身ともにさらに追い詰められていった。

このまま事業を続けていったらエネルギー切れになって崩壊してしまう、体が動く前に自分死にたい真剣に考えるようになった。

自分死ぬということは高校3年の時からずっと思い続けていたし、ノルマが達成できなかったときなどはそうしようとしたが、幸か不幸かうまくいかなかった。

しかし今は今までとは状況が違う。もう野垂れ死に自分死ぬかの二者択一である事業を誰かに託して人生終わらせた方がいい。

 

つい最近、件の知り合いと仲直りしてほしいと別の知り合いか要求され、結局それに折れて件の知り合いと会うことになった。

件の知り合いは最初はにこにこと接してきたが、事業譲渡したいというなり「じゃあバックレたときの機材と商材の金払って借りた金返して」ということを言ってきた。

自分エゴ譲渡相手に百万円単位負債背負わせるのも問題だし、だからといって払えるあてはない。

からといって件の知り合いと共同で事業をさせると、結局自分と同じように相手搾取されることとなる。そういうことは絶対に避けたい。

加えて第三の道を見出せるほど自分には余裕がない。この文章もぎりぎりでひねり出している。

エネルギー切れで野垂れ死ぬぐらいなら、自分の手で迷惑にならない場所人生終わらせた方が他者のためになる。

結局きょうは楽しみにしていたウルトラマンも見られなかった。ぼくたちのリメイクも見られる状態ではない。

それどころか100m離れたコンビニに行くことすら大事業だった。今日食べたのは菓子パン2つだけ。

2021-08-06

オリンピック女子ロードレースで2位だったオランダ選手解説する

7月25日の13時から行われた東京オリンピック 女子ロードレースで起こった奇跡について書いた前回の記事(https://anond.hatelabo.jp/20210727115101)が思いがけず多くの人に読んでいただけたようなので、その時に2位となったオランダ選手についても解説してみました。

そう、前にいたキーゼンホファー選手を見落として自分が1位だと思ったまま、2位でゴールしてしまった彼女物語です。

(前の記事を読まれているのを前提で書いてます)

彼女はどんな人なのか

名前はアネミーク・ファンルーテン、1982年まれの38歳です。

38歳という年齢は選手として決して若いとは言えませんが、現在でもスペインプロチーム「モビスター」に所属し、エースを務めています

エース」というのはそのチームで1番の実力者であり、チーム全員が力を合わせて1位を取らせる人です。

他の選手は「アシスト」となりエースの前を走って風よけとなったりしながら、エースの脚を温存させてゴール前まで送り届けるのです。

そんな彼女自転車競技を始めたきっかけは、2007年オランダのワーゲニンゲン大学疫学修士号を取得した頃に、同時に楽しんでいたサッカーを膝のケガのために止めることになり、自転車競技に参加するようになったそうです。

スタートは遅かったですが、その後順調に自転車選手としてのキャリアを積み上げ、2009年にはプロチーム契約し、2012年ロンドン五輪では4人のオランダ チームの一員として女子ロードレースに参加して、オランダ選手金メダルを獲得するのに貢献しました。

そして、2016年リオ五輪にもオランダ チームの一員として参加しました。

しかし、ここで今回の東京オリンピックで何としても金メダルを獲得したい理由が生まれしまったのです。

リオ五輪で何があったのか

リオ五輪女子ロードレース全長137kmのコースで行われ、彼女はゴールまで残り約10㎞という地点で2位に差をつけて単独1位となっており、金メダルをほぼ手中にしていました。

しかし、そこは前日の男子ロードレース複数選手が転倒して鎖骨や骨盤肩甲骨骨折するという事故が発生していた魔の下り坂だったのです。

そして、ファンルーテン選手も右カーブを曲がる際に一瞬後輪がスリップしてコントロールを失い、かなりの速度で落車して頭から地面に叩きつけられてしまいました。

その結果、重度の脳震盪腰椎の3か所を骨折し、直ちに集中治療室搬送されるという大ケガを負ってしまったのです。

レースは当然、リタイアDNF(Did Not Finish:ゴール出来ず)扱いとなり、同じオランダ選手金メダルを獲得しましたが、彼女自身メダルを手にすることは出来ませんでした。

そんな経験をしている彼女が今回の東京オリンピックでの金メダル獲得に並々ならぬ意欲を抱いていたことは想像に難くありません。

そして東京オリンピック

リオ五輪で大ケガをした彼女はその後、事故から10日目には自転車に乗り始め、その年のベルギー ツアーというステージレース総合優勝を果たすというとんでもなく順調な回復を示しました。

ステージレースというのはオリンピックロードレースのように1日で終わるワンデーレースではなく、様々なステージ(コース)を舞台として何回もレースを行い、その総合成績で勝者を決めるという形式レースです。

2016年ベルギー ツアーは全4ステージ、4日間というものでしたが、有名なツール・ド・フランスというような大きな大会になると、今年は全21ステージ、2度の休憩日をはさんで全23日間で3,383kmを走破するという過酷ものになります

彼女はその後の4年間も様々なレース勝利を重ねており、万全な体制東京オリンピックに乗り込んできたものと思われます

またチームとしても、パレード スタート後あまりの暑さに冷たいボトルを無理やり背中に突っ込んでいる選手もいる中、オランダ チームの4人はオレンジジャージの上に揃いの白いアイスベストを着ていたこから準備万端整えてきたことが伺い知れました。

ちなみにパレード スタートというのは、今回のコース全長147kmのうち最初10㎞は観客への顔見せのため、選手全員が先導車の後についてゆっくりパレード走行するというものです。

TVニュースネット自転車集団神社境内突入していく映像を見た人もいるかもしれませんが、あれはパレード走行中の映像です。

さすがに多くがプロ選手とはいえ、本気で走っている時にあそこを集団で走り抜けるのは無理があるでしょう。

また、パレード走行中も選手同士は集団の中でどの位置を確保するか戦略を巡らせています

オランダ チームは4人並んで集団の先頭を堂々と走り、キーゼンホファー選手スタート直後から最後尾を単独でずっと走っているのが確認できます

そして、10㎞を走ってアクチュアル スタート地点の是政橋を過ぎたところから、本当の戦いに雪崩れ込んでいったのです。

悪夢再び

レースは前回の記事説明したように、スタート直後にキーゼンホファー選手を含む5人が飛び出して逃げ集団形成し、しばらくは何事もなく進んでいきました。

ところで、逃げ集団最後にはほとんどの場合、メイン集団に追いつかれてしまうのになぜ良くつくられるのでしょうか。

理由の一つは、万が一にでも勝てる確率があるからです。逆にメイン集団に残った場合、ゴール前までついていけたとしても「ゴール スプリント」と言われるゴール前数十メートルから数百メートルで行われる最後ラストスパート争いに「スプリンター」でないと勝てないからです。

スプリンターというのは長距離は苦手だが、短距離を爆発的な加速力で速く走るのが得意という選手のことです。

特に今回のオリンピック場合、国毎に参加人数が違うので単独で参加している選手スプリンターであっても、他の国がスプリンターアシストを付けている場合ほとんど勝てる可能性は無かったでしょう。

もう一つの理由は「目立つため」です。

メイン集団にいると先頭付近にいないとカメラに映ってもほぼ分かりませんが、逃げ集団であれば必ずカメラに映れます

目立ちたい理由選手によって「家族に見てほしい」や「より良いチームにスカウトされたい」というものがあるようです。

さらに、有力チームが逃げ集団選手を送り込んでおくというのもあります

万が一、逃げ集団が逃げ切ってしまった場合でも勝利可能性を残しておくという目的もありますが、逆に逃げ集団のペースをわざと遅くさせて、確実にメイン集団が追いつけるようにするという目的場合もあります

そしてレースに戻ると、ゴールまで残り約80km弱の地点に近づいた時にそれは起こりました。

ファンルーテン選手の前を走っていた選手が突然、転倒したのです。

実は前日の男子ロードレースでもまったく同じ場所で5人が落車するという事故が起こっていました。

道路に横たわった選手自転車を前に彼女ブレーキを掛けますが止まり切れず、相手自転車に突っ込んで前に投げ出される形となりました。

映像を見ると分かるのですが、2車線道路中央部分に細い溝のような部分があるのが見て取れます

どうやら、この部分でタイヤを取られて転倒してしまったようです。

バイク乗用車タイヤの太さな問題ないのでしょうがロードバイクの細いタイヤにとっては危険構造になっていると思われます

今後もし、同じコースロードレースが開催されることがあれば何らかの対策が欲しい所です。

幸い速度が落ちていたため大きなダメージは無かったようで、彼女は直ぐに起き上がりました。

しかし、2台の自転車は知恵の輪のように絡み合ってしまってはずれません。

すると、サポートカーから降りてきた男性が2台を引き離してくれ、転倒した選手自転車は交換となりましたが、ファンルーテン選手はそのまま自転車に乗り、再び走り始めました。

しかし、落車した瞬間はリオ五輪悪夢脳裏をよぎったことでしょう。

追走

ロードレースでは暗黙の了解として、落車した選手がいた場合などは集団スピードを上げずに、その選手集団に復帰してくるのを待つという慣習があります

また、サポートカーを風よけにして後ろを走るのは普段は許されませんが、こういう時は暗黙の了解で許されたりします。

結局、彼女10分弱でメイン集団に復帰しました。

そうして、メイン集団に復帰してしばらくすると、ゴールまで約60kmの山伏トンネルの手前でアタックを掛けて先行し、一時はメイン集団から1分以上先行しました。

しかし、それでも逃げ集団との差は5分以下には縮められず、ゴールまで約30㎞ぐらいの地点でメイン集団に戻ってきてしまいました。

さすがに5分以上先行している逃げ集団に一人で追いつこうというのは無茶だったようです。

レース後のインタビューで3位になったイタリア選手が「逃げ集団を追う責任オランダにあった」と言っていますが、これもロードレース暗黙の了解ひとつで、そのレースで一番強いと思われているチームはメイン集団コントロールし、レース終盤に確実に逃げ集団に追いつくよう集団のペースを調整する責任があるという考え方が下敷きにあります

今回オランダ チームはその責任を果たすことが出来なかったわけです。

ファンルーテン選手山伏トンネルの手前で逃げ集団を追うべく先行したのはタイミングとしては正しかったと思いますが、さすがに一人で追いつくのは無理なので他のオランダ チームの選手同調して動くべきだったと思います

これは単に無線が使えなかったからというよりは、誰がエースで誰がアシストをするかというチームとしての戦略が徹底されていなかったか、あるいは最初からそんな戦略が無かったように見えました。

オランダ チームの4人はそれぞれがすごい人ばかりなので、調整がつかなかったのかもしれません。

ゴール

終盤はメイン集団の先頭をオランダ チームの4人が並んで引っ張るシーンもありましたが、時すでに遅しで富士スピードウェイに入ってから2位と3位のイスラエルポーランド選手には追いつくことが出来ましたが、キーゼンホファー選手背中を見ることは最後までありませんでした。

そうして前にキーゼンホファー選手がいることに気がつくことなく、彼女自分が1位と信じてガッツポーズをしながら2位でゴールラインを越えたのです。

ゴール時のガッツポーズ暗黙の了解として1位の選手のみがするものとなっているため、彼女自身を1位だと思っていたのは明らかでした。

ゴール後に自分が2位だったことを知らされ、レース後のインタビューで「銀メダルでも美しい」と答えたファンルーテン選手の胸中はどのようなものだったのでしょうか。

仮に現国試験で「この時の選手の心境を説明しなさい」という問題があったら、いくらでも書けそうな気がします。

こうして彼女東京オリンピックは終わりま……せんでした。

その後の彼女

女子ロードレースが行われた3日後の7月28日彼女富士スピードウェイスターティング グリッド自転車に乗って立っていました。

個人タイムトライアル競技に出場するためです。

個人タイムトライアルというのは、ロードレースと違い数分間隔で選手が一人ずつスタートし、単独走行でゴールするまでのタイムを競うという競技です。

今回は富士スピードウェイとその周辺道路全長22.1kmのコースが設定され男子は2周、女子は1周します。

そして、今度こそ彼女は本当に金メダルを獲得したのです。

それも22.1kmを30分13.49秒というタイムで走り切り、2位に約56秒差という圧倒的大差をつけての1位でした。

この差がどれだけ圧倒的かというと、2位と3位は4秒差、3位と4位は7秒差、4位と5位は4秒差でしたので、どれだけ彼女が頭抜けた選手なのかが良く分かります

最後の走者がゴールして金メダルが確定してから表彰式が終わるまで、ずうっと嬉しさ爆発という感じで喜びの表情だったのが印象的でした。

歓喜の様子はNHKの見逃し配信(https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/)で「女子個人タイムトライアル」とタイトルに入っている動画の1:12ぐらいから見られます

しいて言えば、タイムトライアル競技コースというのは普通、平地が主体コースとなるのが通例なのですが、今回は富士裾野にある富士スピードウェイとその周辺道路コースとなったため、タイムトライアル競技としては珍しく上り下りの多いコースとなっていました。

そのため、タイムトライアル競技に特化した選手は記録があまり伸びなかったものと思われます

それでも彼女と同じオールラウンダー型の選手大勢参加していたので、彼女のすごさは変わらないでしょう。

しかレース後のインタビューによると、タイムトライアル用の自転車にはDHバーという肘を載せるパッドがついた前に2本の棒が突き出した形の部品ハンドルの上に付けられているのですが、棒の先っぽにギヤ変速(シフト操作と言います)を行うためのレバースイッチが付いています

このスイッチが本番で機能しなくなり、ハンドルブレーキバーについている本来シフトレバーを使うしかなくなってしまっていたそうです。

シフト操作自体は出来るとはいえタイムへの影響は避けられなかったでしょう。

それでもこの圧倒的大差です。

また、件のスイッチレース後は正常に動作して、レース前の確認でも正常だったため、これは仕方がないということで整備したメカニックが怒られることは無かったそうです。

ちなみに、キーゼンホファー選手個人タイムトライアル競技には出場していませんでした。

もし、この競技を得意とするキーゼンホファー選手も出場していたら、ものすごく興味深い対決となっていたことでしょう。


こうして彼女東京オリンピックは今度こそ本当に終わったのです。


その後、彼女オランダには帰国せず直接スペインに飛び、7月31日に行われた「クラシカ・サンセバスティアン」という全長約140kmのワンデーレースに出場して、最後は独走で優勝したそうです。

東京オリンピックロードレース金メダルを逃した影響の心配はいらないようです。

最後

ロードレースの基礎知識を盛り込んだら随分と長文になってしまいました。

今後も機会があったらロードレース観戦を楽しんでいただければと思います

それでは、またいつの日か。

2021-07-27

オリンピック女子ロードレース奇跡素人にも分かるよう解説する

7/25(日) 13:00から行われた東京オリンピック 女子ロードレース奇跡が起こりましたので普段自転車ロードレースに関心の無い方でも分かるよう解説してみました。

何が起こったのか

オーストリアからたった一人参加していたプロではない博士号持ちの数学研究者アンナキーセンホーファー選手スタート直後から飛び出し、そのまま最後まで逃げ切って金メダルを獲得してしまいました。

何がすごいのか

通常ロードレースでは大きな集団(メイン集団とかプロトンと呼ばれます)になって走りますが、そこから飛び出して先行する少人数の逃げ集団も良く作られます

今回もアンナ選手と他に4人がスタート直後にメイン集団から飛び出し、5人の逃げ集団を作って先行しました。

しかし、そのような逃げ集団レース終盤にはメイン集団に追いつかれて吸収されてしまうのが一般的です。

たまに逃げ集団選手がそのまま逃げ切って勝ってしまうこともありますが、それだけでニュースになってしまうぐらい珍しいことです。

しかも、今回はオリンピックという一大イベントで逃げ勝った選手プロではない数学研究者だったということでロードレース界隈を越えて大きなニュースとなりました。

なぜ逃げ集団はメイン集団に追いつかれてしまうのか

そもそも逃げ集団が終盤にメイン集団に追いつかれてしまうのは一言で言うと「人数が違うから」です。

自転車スピードを出すと空気抵抗が大きくなります

集団場合、先頭の人はこの空気抵抗をまともに受けながら走ることになりますが、2番目以降の人は直接空気抵抗を受けないので楽に走れます

どのくらい楽に走れるかというと先頭の人の6割程度の力で同じ速度で走れると言われています

そこで、集団で走る場合は先頭でしばらく走ったら後ろに下がって、次は別の人が交代して先頭を受け持つという戦術が取られます

この場合、交代要員がたくさんいるメイン集団の方が少人数の逃げ集団より圧倒的に有利なため、ほぼ必ずレース終盤には逃げ集団はメイン集団に追いつかれてしまうのです。

なぜ今回は最後まで逃げきれたのか

ところが今回、アンナ選手最後までメイン集団に追いつかれませんでした。

理由の一つは今回勝ったアンナ選手最後まで速かったからです。

スタート直後からゴールまで残り40kmぐらいの籠坂峠というところまでは複数人で走っていましたが、そこでアタック(スピードを上げて飛び出すこと)を決めて他の人を振り切り、以降はゴールまで単独で走っていました。

下記のリンク女子ロードレスコース図があります

http://www.vill.doshi.lg.jp/ka/info.php?if_id=929&ka_id=4

単独だと空気抵抗をずっと受け続けるので、しばらくすれば速度が落ちてくるものですがゴールまでスピードを緩めることがありませんでした。

これは彼女ロードレースよりも単独走行時間を競う個人タイムトライアルという競技を得意としていたからだと思われます


そして、もう一つの理由は今大会随一の強豪であったオランダ チームが彼女の事を見落としていたことです。

今回のオリンピックでは各国毎にポイントで参加人数が割り当てられ、強豪国オランダは最高の4人が割り当てられていました。

そのメンバーリオ五輪優勝とかロンドン五輪優勝とかのすごい選手ばかりです。

ところが、そんなオランダ チームはアンナ選手に振り切られた2位のイスラエル選手に追いついたところで、それ以上追おうとしませんでした。

なぜなら、そのイスラエル選手の前にまだアンナ選手がいることを見落としていたからです。

なぜこんなことが発生したのかというと、通常のプロレースでは選手無線を使ってサポートカーに乗ってる監督から様々な情報や指示を受けることが出来ます

しかし、今回のオリンピックでは国毎に参加人数が違う有利不利を緩和するため、選手無線を使うことが禁止されていました。

そのため、情報を得るには集団から離れてサポートカーまで下がって直接聞くか、ホワイトボードを持ったバイクが先頭との時間差を書いて教えてくれるのを見るかしかありませんでした。

しかに終盤はオランダ選手サポートカーまで下がる場面は見ませんでしたが、バイクホワイトボードで先頭との時間差を伝えていたでしょうから、なぜこんなことが起こったのか本当のところは良く分かりません。

いつものレースの様に無線で十分な情報を得ることのできない環境に戸惑っていたのか、あるいは日本真夏の暑さにやられてしまっていたのでしょうか。

彼女は運が良かっただけなのか

もし、オランダ チームが彼女を見落とすなどというミスをしていなかったら、彼女は勝てなかったのでしょうか?

一般的に逃げ集団をメイン集団が追う場合「平地なら10kmで1分差を縮められる」と言われています

今回のレースでは中盤のゴールまで残り約60kmの山伏トンネルあたりで、逃げ集団とメイン集団の差は7分弱ありました。

しかも、下り坂ではコーナーを曲がるために単独でも集団でもある程度以上の速度を出せないため、あまり差を詰められません。

そんな下り坂がゴールまで約40㎞の籠坂峠から10キロあるのです。

この時点で当然、オランダ チームは前に逃げ集団がいることと時間差を把握していたでしょうから、確実に捕まえるならここから既に追走を始めていなければならなかったと思われます

しかしながら、オランダ チームはまだ追走態勢に入りませんでした。

追走態勢というのはこの場合、メイン集団の先頭でオランダ チームの4人が次々と交代しながら全力でスピードを出して集団を引っ張っていくようなことを言います

自チームだけが全力を出していると相対的に他の国のチームが有利になるので、逃げ集団の5人がアンナ選手も含めて有力な選手では無かったため、ここで追わなくても後で追いつけると判断したのでしょう。

しかし、結果的にこの判断は間違っていたわけです。

これは運が良かった、悪かったというレベルではなくオランダ チームの判断ミスだったと思います


次に、アンナ選手に振り切られた逃げ集団の残り二人をメイン集団が視認したのはアンナ選手がゴールまで残り10km前後の時点と思われます。(逃げ集団の他の二人はそれ以前にメイン集団に吸収されていました)

この時、アンナ選手とメイン集団時間差は3分以上ありましたので、仮にオランダ チームがアンナ選手を見落としておらず、その二人の前にアンナ選手がいると認識していてそこから全力で追ったとしてもゴールまでに追いつくことは出来なかったでしょう。

また、オランダ チームは二人を視認するまではアンナ選手認識していたかどうかに関わらず、先頭に追い付くつもりで追っていたのでしょうから、結局予想よりも先頭との差が詰まらず追いつけなかったという判断ミスを犯したということになると思います

よって、自分としては彼女は運が良かっただけでなく、終盤にオランダ チームが彼女を見落としていなかったとしても逃げ切っていたと考えます

ちなみに2位となったオランダ チームの選手との差は1分15秒でした。(あれ、けっこう微妙?)

彼女はどんな人なのか

そんな彼女学歴は下記のように立派なものです。

現在スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)で非線形偏微分方程式研究するポスドク研究員だそうです。

先月も学術誌に論文投稿しています。下のリンクがその論文ですが、さっぱり分かりません。

https://www.researchgate.net/publication/352447874_Small_data_global_regularity_for_half-wave_maps_in_n_4_dimensions

そして彼女スポーツ歴はというと下記の通りで、短期プロチームに在籍していたこともありますが、オリンピック参加時はプロチームとの契約の無いアマチュアです。

最近は大きなロードレースに参加することも無かったため完全にノーマークだったようです。


彼女を含めたレース後の選手へのインタビュー記事が以下にあり、彼女名言を読むことが出来ます

https://www.cyclowired.jp/news/node/350652


研究者らしくツイッターではオリンピック前に準備として自身の体の熱順応を分析してたりします。

トレーニングから機材管理まで全部自分で行っているそうです。

https://twitter.com/AnnaKiesenhofer/status/1411359788454363138

(元のツイートにあったグラフが削除され、URLが変わったようなので修正しました)

最後

今回のロードレースNHKの下記のページから見逃し配信で全て見ることが出来ます。(いつまで見られるかは分かりません。大会間中ぐらいは見られるのかな?)

表彰式まで含めると5時間ほどあって実況も英語しかありませんが、綺麗な景色も見れるので環境ビデオ代わりにずっと流して見てみてください。

https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/

ちなみに男子ロードレース女子のようなサプライズはありませんでしたが、普通にかなりおもしろレース展開でしたのでこちらもお勧めです。8時間弱ありますけど……

(好評だったので続きを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20210806115303)

2021-07-04

何かを始めるに遅すぎるということはない

もしあなたがいま無職ニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる

自分あきらめてはいけない

重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真

バートンさんが公開した写真。左が薬物使用逮捕された05年、右がワシントン大学卒業した現在バートンさんのFacebookより)

一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物写真だ――。

ある女性が、自身Facebookにあげた画像米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニーバートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂おかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。

バートンさんは今年6月、米国放送局『KMTR』の取材に応じ、自身悲惨な半生を振り返っていますインタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親麻薬密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。

バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤14歳クラック高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター

バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性レイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫から毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。

逮捕17回、刑務所収容3回

生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。

〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉

バートンさんは17逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。

最後逮捕されたのは1212月です。これが人生ターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨最後を目の当たりにし、「絶対人生をやりなおす」と決意。裁判所特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官監視のもと、薬物依存治療教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉

バートンさんは自身体験いかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者支援したのだ。健康身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学編入政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。

クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉

バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女言葉引用する。

〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉

現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。

https://friday.kodansha.co.jp/article/190900

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