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2007-02-15

程度問題かもしれないけど

http://anond.hatelabo.jp/20070215133411

非モテの人が求めてるのはお付き合いする女性じゃなくて、自分の存在を肯定してくれる都合の良い存在だからね。

それって非モテだけに限定できるんかいな。

恋人を求める行為の中には、そういう自己肯定を求める心というか、自分を無碍に否定しない安住の地を求める心って少なかれあると思うんだけどなあ。「好きになる何かを持っている人」を「他人」じゃなく「恋人というポジション」に置く/置きたくなるのは、恋人ならではの言動をぶつけても自分を(少なくとも簡単には)否定しない、っていう相互認証みたいなもんだろうし。そこを「非モテだから」と切り捨てるのはちょっと哀れだ。

「内面を見てくれ!」に走ってしまう理由は、単純に途中のステップを知らない/踏むのが面倒/怖いからではなかろうか。自分が欲しい欲しい欲しいと思ってるポジションにまっしぐらになってしまうというか。

あとさ、非モテのみならず俺らの使うコミュニケーション方法に、ブログとかその他コテハン系の掲示板等があるけど、これって対象の周囲人格全てじゃなくて、コミュニケーションしたい部分=欲しい部分だけをピンポイントで話せるっていう面があるよね。増田好き同士なら増田の話だけをすればよく、相手の日常の人格なんて見なくていいし、見えないし。増田好きが集まってる場所にいるという一点だけでお互いが認証されている。

そういう世界に慣れきってると、その相手の日常人格を一つ一つ攻略して信頼関係を築き、それから目指す欲しい部分に手を伸ばす(伸ばしても良いという相互認証を構築する)って感覚が薄れてしまうのかもしれない。その薄れ度合いが、確かに非モテな人は高いのかもしれない。ま、この辺りは完全に憶測なのだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20070215123530

私の彼はこういいます。「●●が別のことをしたい時は、いってくれればそっちを優先していいよ。でも自分は●●のことが1番目だし、●●の1番目になりたい。だからたまには、自分を1番目にしてね」って。お互いの認識(恋人が1番目・3番目)が違う事を認め合って、譲歩しあうのも恋愛醍醐味ではないでしょうか。


キチンとした信頼関係を築けてるがゆえの、その相互認識ですよね。素敵だ。

流れ的に、女性不信に陥ってる非モテから見れば、

「男が1番なのに、女は3番だと!? やっぱり身勝手だ! 恋愛なんてするもんじゃねぇ!!」

みたいに捉えてしまうのか。それはそれでどうなんだろう。

2007-01-30

なんで下請け構造がもてはやされるかっていうと

単純に値下げ圧力があるからだね。

内部製作にすると製作に必要な人間を常備しなきゃいけないから人件費が増大する。

人件費=原価の業界ではコスト削減には要らない人間を自由にクビにできる(雇用流動性)必要がある。

日本労働法制下ではレイオフは簡単にできないから

下請け構造を利用して雇用流動性を確保するというのが常態化している。

仕事が発生したときに社員を増やすのでなく、下請けを取り込むことで処理能力を補填するわけ。仕事が終われば下請けを切り離すだけで済む。

 

ただ、下請けに外注するようになると品質の制御が難しくなる。発注側の見てないところで作るわけだから。

品質チェックを厳密にすればいいのだけど、チェックだってコストは掛かるので限界はある。

だから有る程度下請けを信用するしかないわけだけど、その信頼関係確立されてるかっていうとこれがかなり怪しい。

下請け構造は基本的に上位についた側が力関係でも上になるので、条件交渉では発注寄りのほうが有利、というか決定権はほぼ発注側にある。

 

ここで発注側が下請けを「パートナー」と見るか「奴隷」と見るかで条件設定が変わる。

 

パートナー」であれば品質は要求するけれども、要求をクリアすれば許容する範囲内で相応の報酬をを与える。アメとムチを程よく使い分ける。

奴隷」には要求は際限なく、報酬は死なない程度に与えればいい。もし死にそうになったら捨ててしまえばいい。ムチムチだ。

 

奴隷は追い詰められて死の間際になれば暴動(モラルハザード)を起こす。そうしなければ生きていけないからだ。暴動が飛び火して発注側の信用(ブランド)を傷つけることもある。

 

あなたの会社の外注先は「パートナー」ですか?それとも「奴隷」ですか?

奴隷」を飼っているならそのリスクも覚悟しておきましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20070130015714

2007-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20070118224317 の「親密フラグ」について。

まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。

むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。

だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。

私はそれでも、親密フラグ理論 には納得がいかない。

なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。

恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。

私は別に人類学社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。

さて。

人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト近親相姦タブーを第一にあげるべきだと思う。。

http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。

例えば私(生物学的には女性)には弟がいる。

私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。

でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。

それは例えばこうだ。

私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。

そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。

この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?

このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。

目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。

肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。

そもそもインセスト近親相姦タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。

原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。

それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。

ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。

なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。

ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。

なぜなら「翌日提出の卒論PC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。

終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。

お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。

つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。

それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。

そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。

「親密フラグ」のコントロールは確かに大事だと思う。

でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。

肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。

私達人間は、ある概念を共有しているという信頼関係の上で社会を築いているのに。

2007-01-12

談合って地産地消じゃないかなー

http://anond.hatelabo.jp/20070112140856

みんながやっていたことなのに、なぜ自分たちだけが処分されるのか」といった内容で、談合業界全体で行われていたことを認め、不指名をやめるよう求めていた

地産地消論の矛盾

「地域内」循環を推奨すると自ずと「地域間」循環を否定することになるでしょ。グローバル規模の相互依存信頼関係あっての取引関係は素敵なことではないのか。「循環」はどのレベルまでなら善なのか悪なのかはっきりして欲しいものだ。

談合はこっそりやっているからダメなんであって「地域の豪商を優先しますよ。」を明言しちゃえばいいんでないかなぁー。((政策としては、英・独・仏とかあの辺りっぽいけど。ただ規制緩和真逆ってのが問題なんだよなー。))

格差マンセー搾取ドンと来いとかにも一貫して追従するならグローバリズム肯定の立場で納得するんだけど、学者id:fuku33)に立場の表明を求めても無駄だよな。

ところでぜーんぶを一般公開入札にしたらどういうことになるのだろうか。悲観的な結果になると思うんだよなー。

たとえば某自治体○○○○○○制作の業務委託については、年々落札額が下がっている。過去落札価格も公開しているのだから翌年に落札したかったら当然それより安くしないと落札できない。((これって実は運用業務のことね。システムの開発やらの美味しい部分は大手が持っていく))

発注する側の立場としてはとても良いことなのだが、受注する側からすると毎年身を削っていることになる。その分は案件数でカバーすることになり、儲けようと思ったら派遣会社派遣登録者数を増やしてピンハネの頭数を増やしていくという作戦に出るわけだ。

ということは、結局そのシワ寄せは現場で作業をおこなう派遣社員なりバイト君ということになる。いわゆる下流市民が圧迫されるということなんではないかなー、と不安になるわけです。

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