はてなキーワード: 信頼関係とは
これがコピペじゃなくて、「不倫にも信頼関係がある」と書いてた増田だったら、面白かったのになあ。
ここぞとばかりに自衛隊派遣を持ち出す政治家、危機管理が甘いなどと軽々しく云うにわか評論家、そういう人たちこそが平和ボケで思考停止だ。
しかしそうなると、イラク社会の平定に寄与できるひとたちが減るわけで、例えば民間人とかを送るにしても護衛は必要であり、しかしやっぱり兵士がくるっていうことで信頼関係略だし、ううむ……。なんかもう根本から色々ねじれてる世界で、戦術レヴェルで戦略レヴェルの不利を挽回できないって感じ。
こっちの方がPVが多いんだもの。
僕にとっての学会とは。
物心ついたときから入っていたもの。
自分と親しい人達そのもの。
地区の座談会や、学生部のほのぼのした
会合のように、明日も頑張ろうと信仰を
深めるために正しく機能している姿。
人と人との信頼関係をぶち壊したり、
不幸になる人達が多くいるという姿。
しかもそれに本人が気付いていない姿。
学会に用意されている結論を鵜呑みにして
自分で考えることをやめてしまった人達。
人との信頼、つながりを大切にしながら
自分のやりたいことを貫いていく友達もいました。
人として、本当の意味で魅力的な友達に会えたことは
とても嬉しかった。一歩一歩前に進んでいく姿は
自分にとって刺激にもなった。
組織になっています。
という話がありますが、
グレーとしか言いようがありません。
すごく学生のことを思っているんだなぁという時と
たくさん自慢をしたり、とても愚痴っぽい発言を
繰り返したりすることもあります。
そんなこんなで、やっぱりあの組織文化の中に
友達や知り合いを引っ張り込んだり、選挙をお願いする
ということは、どんなに目的が崇高で正しいものであったとしても、
僕にはできません。
だから今は組織とも距離をおいてます。
ただ、やめたりとかはしないと思います。
僕は創価の中で生まれて、その庭で20年育ってきたから。
その人達との繋がりを無理に断ち切ろうとも思ってないです。
だから、これからも学会員。
だけど活動には協力しない。
そして、一生懸命生きていく。
人を信頼して、友達を大切にしながら生きていって
みんなで幸せになれれば、それが一番いいと思う。
定期的に自ら好んで孤独(一人きりになる時間)を求める傾向がある。
一人きりで、やりたい事をしたりぼーっとしたり、脳と体がしたいとい思った事をひたすらする。
塞ぎ込んでいる訳でもなく、他人を拒否している訳でも何かに絶望している訳でもない。
ただ、ひたすら一人になりたい時があるという話。
完全に一人きりになる期間は大体2ヶ月に一度か3ヶ月に一度のペース。
基本的に仕事以外の連絡は出来る限り受け付けない。
孤独脱出後に連絡を受け付けなかった人達に連絡を入れる事を忘れない。
洗濯と掃除と食事については、通常通りの生活と同じように行う。
自分にとって最低限の快適な空間は持っていたい。
メールの返信を送らなければならない場合は、
孤独脱出予定日より数日多めの日にちを指定し、
この日以降に改めて連絡するという旨を伝える。
予定は未定。狂う事もある。早いに越した事もこの手の場合はあるので内容確認。
寝たい時に寝る。
体全体が自然にしたいと思う事を遠慮なくする。
大切なのは、
そんな事をしている自分に罪悪感を持たない事。
自分のペースを守るためには、
普段から人に迷惑を掛けない心がけをする事と、
すぐに連絡が取れない時もあるという人間である事を理解してもらう事。
信頼関係を大切にする事。
今僕は、一人きりの時間を満喫している。
長期は望まないから、ほんの1分でも長くこの時間を使えたら。
そんな事を考えていると、一日があっという間に過ぎている。
「閑を維持するのは難しい」
と誰かが言っていた。
閑をもてあますとは、僕にとって最高の贅沢期間である。
一般的に、初フェラまでのハードルって、男の初クンニのハードルよりもかなり高いと思うんだ(経験談)。風俗やらエロゲやらだと、フェラやら手コキやらの方が和姦より前段階の軽いプレイにあたるけど、実際は逆で、和姦しまくっててもちょっと亀頭を舐めるだけが限界の子とか普通にいる。亀頭全体を口中に入れるようなフェラが上手になるっていうのは、よっぽど相手に惚れてて、かつ男の方が強く望まないと無理。
処女ってのはさ、極端な話、相手にそこまで惚れてなくても捨てられるわけで。でもフェラの上達はさ、惚れた腫れたって言い回しが違うなら、なんというか、パートナーとの信頼関係がしっかりと構築されたセックスをしたっていう証拠なんだよ。
彼女は、かつてどこかの誰かとそれだけの親密な関係を築けたにも関わらず別れてしまったのだろう。かく言う俺だって、いつだって本気の恋しかしていないつもりなのに、些細なことから別れを繰り返してきたんだ。なのにまたこうして愛を交わす相手を見つけてる。
くさい言い回しなのはわかる。ノロケと思われるかもしれない。でも本当に、「愛」って何なのか年々解らなくなる。
ぼくは企業に就職が決まってる学生です。http://anond.hatelabo.jp/20080706031547の増田が勤務する「先の不明瞭なベンチャー企業」のような労働環境に対する憧れはあります。ただぼくはぼくでそれなりに考えて今の道を選んだのです。
例えばぼくが働きはじめて、研修で自販機の勉強(もしくはそれに近いこと)をすることになったとしよう。
そんなときにバリバリ働いているダチと飲みに行って仕事の話をしたときにおれのやってることが相手にとって「つまんねー」って思われるようなことだったら面と向かって「それってつまんなくね?」って言って欲しいな。ぼくは、それに対して自分がやっていることの意味を自分なりの解釈で伝えられるかどうかが最初の越えるべき壁のような気がするからです。それは詭弁に聞こえたとしても「正直おれもつまんないと思わないでもないんだけど、こういう組織の中では一応○○という理由で必要なんだよね。」ぐらい言えるようにしたいです。ダチにすら必要性を説明できない仕事を嫌々続けたってしょうがないんじゃね?と思ってしまう青二才の増田です。
それに、もし面とむかって言ってくれたのが信頼できるダチだったら、そういう奴の目線から自分の現状を評価してもらうってのはとても有益な気がします。逆の立場でもぼくは相手に正直に言うよ。それは「相手を見下して自分が優位に立とう」なんて浅はかな考えは持たないというある種のプライドをそいつらと共有しているという大前提があるからだよね。こういう話が友達とすらできないってのは相手の耐性が足りないか、語り手の信頼性が足りないからじゃないかと思います。
もしまた飛び出すようなことがあっても学校側は探しもしないし、その過程で事故が発生しても責任持たないということですか?と尋ねると「そうです」。「電話連絡は基本自宅宛にすることになっていますので」
首を傾げるのはこの2点かなあ。
連れ戻しはできない、という対応自体はしょうがないかなと思う。いちいち授業を止めるわけにもいかないし。
しかし、勝手に飛び出したんだから一切責任を持たない、という言い分は通らないだろう。責任の度合いは下がるだろうけど、なんらかの対応をする責任は残る。だから、少なくとも手の空いている教員(なんだったら校長)が、きちんと親の携帯なり職場なりに連絡するところまではやらないといかんだろう。
しかし、そもそも、親と協力して問題に対処しましょう、っていう姿勢から始めないといけないと思うんだけど、どうしてこう、無意味に敵対的な応対になってるんだろうか。やっぱり、いろいろ困った親が多くて、デフォルトが敵対モードになっちゃってるのかなあ。とすると、家庭にも学校にも子供にも不幸な話だ。この不幸の連鎖を止めるには、増田がむかつくのはわかるけど、そこはぐっとこらえて、増田から歩み寄って信頼関係が作れないか、あの手この手でいろいろアプローチするしかないんじゃないかな。
なんか根本的に嘘くさい。特に心療内科とつながってる云々あたり。
こんなこと警察が言ったらそこで患者との信頼関係終了→症状悪化の可能性もあるんで、もし警察に絡んでる受け持ちの患者がいて対応したことがあったとしても警察の方でもそれは配慮するんじゃないの?
実際にこういうことがあったら大変な問題だし、嘘だとしたら患者さんと治療者の信頼関係を壊す悪質なデマだと思います。
前々からかなり奇妙なことを書いてる方なんで、自分はまたかとしか思えないんですが、具体的にここがおかしいと指摘できるだけの知識がないので、最近の警察の動き方や警察と医療の関係に詳しい方、解説おねがいします。
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080603171436
を書いた増田です。放置して帰ったらたくさんブクマ付いててびびった。
つか、wikipediaで社内ニートって調べてみたら、わりとネガティブなことが書いてあんのね(一般的な定義を知らなかった模様)。それによると「無気力さ」が強調されてるんだけど、オレが述べているのは、ちょっと違う。んでも、リアルニートもオナネタ探しの情熱を就職方面に傾ければ…とか言われるじゃないですか。「しなくていいことはする。しなきゃなんないことはしない」というトコは基本的に同じなんだけどね。
ブクマコメントでも「仕事してんじゃん」「それ、むしろ優秀」(←貴方は何も知らないから…)と、身に余るお言葉をいただいてアレなのですが、オレの場合ただ、「仕事がしたくない」だけなんだ! というか、うちの仕事とか、みんなの方が多分うまいこと出来るから任せるよ! みたいなアレで。ええ。会社はわりと好き! でも仕事したくにゃい!! そんなダメな大人が、それと気付かれないように策を弄しつつ、ラクして会社での立ち位置を確保している様。それが『社内ニート2.0』ってことでいいんじゃないか。な!「2.0」とか付けると、だいたいそうだけど既存のソレとはちょと違う! みたいな感じが出ていいな。だいたいみんなそんな目的で使ってんでしょ? 2.0。
頑張っている他の社員のお陰で生かされている存在であると自覚すべきである。
自分がやるより、他の社員の方がよっぽどいい結果を導くのは自明の理である。
目立つことはないが、社内では独自のポジションを確保すべく暗躍すべきである。
真っ当に頑張っている社員と、同じ土俵で勝負することは絶対に避けるべきである。
会議では、終盤に意味ありげな一言だけでいい。後はできる人間が勝手に解釈してくれる。
ささいな手間なら進んで引き受けろ。その間に面倒なことは誰かの仕事になる。
味方で有れば己の無能さを看破されることはない。むしろ過大評価してくれる。
どうしても逃げ切れない仕事は、即決で引き受けよ。その後誰に振るかゆっくり考えれば良い。
会社が養える無能メンはせいぜい自分ひとりという危機感を胸に、やんわりと前線復帰を促せ。
毎日新聞より。
ビスフェノールA:プラスチックの原料、胎児に影響 国立衛生研、ラットで確認
◇基準以下でも
プラスチック製品の原料になる化学物質ビスフェノールAが、現行の安全基準以下でも胎児や新生児に影響を与えることを国立医薬品食品衛生研究所(衛生研)などがラットで確認した。厚生労働省は、内閣府の食品安全委員会に評価を諮問する検討に入った。【下桐実雅子】
実験では、母ラット5群に、妊娠6日目から出産後20日まで、ビスフェノールAを毎日投与。与えない群も含め、胎盤や母乳を通じた影響をみるため、生まれた子の発情期など性周期を約20匹ずつ長期間観察した。
大人に相当する生後7カ月になって比べると人の1日摂取許容量の体重1キロ当たり0・05ミリグラム、それ以下の0・005ミリグラムと、同40ミリグラム以上の高い量を与えた3群の計5群の子ラットに発情期が続くなど乱れが起きた。
ビスフェノールAについて環境省は04年、魚類で内分泌かく乱作用が推察されるとしたが、人への影響は認められないとしている。
衛生研の菅野純・毒性部長は「性周期の異常は、ビスフェノールAが中枢神経に影響を与えたためと考えられる。大人は影響を打ち消すが、発達段階にある胎児や子供には微量でも中枢神経や免疫系などに影響が残り、後になって異常が表れる可能性がある」と分析している。
ビスフェノールAについて米政府は4月、「胎児や子供の神経系や行動に影響を与えたり、女子の早熟を引き起こす恐れがある」とする報告書をまとめた。カナダ政府もビスフェノールAを含むプラスチック製哺乳(ほにゅう)瓶の輸入、販売、広告を禁止する方針を示している。
誰も指摘していないようだけど、これの一番の注目点(問題点?)は、「低用量効果があった」ということ。低用量効果については、http:////www.engineer.or.jp/cpd/uneyama.pptなどを参照。記事になった国立衛生研の実験では、40mg/kgの高用量と、0.05mg/kg、0.005mg/kgの低用量で影響が見られたとのことなので、その間の用量では影響は無かったということだ。普通は用量が少なくなればその分、影響は少なくなるのだが、この場合は(中間の用量から)用量を減らしても影響が出る。これは毒性学の常識に反しており、このような低用量効果の存在をめぐって議論がある。欧州食品安全機関や産総研によるビスフェノールAの評価では、低用量効果は否定されており、FDAも同じ意見を持っている。
低用量効果の存在の有無について、低用量効果が無いとした論文は企業などから金が出ていることが多く、信用できないといった意見があるが、本当か。しばしば相反する結果を評価しなければならない場合、どのようにするかといえば weight of evidence(証拠の重み付け)といった考え方が用いられる。企業から金が出ているとされた論文は、一般的に、公的なガイドラインに沿った試験法を用いて、十分な匹数(10匹以上)で、熟練した技術者の居る試験機関において、GLPで実施(→データの改竄など不可能)されている。一方、低用量効果があるとした論文は、標準的ではない(しばしば独自の)試験法で、少ない匹数で、「環境ホルモン」が話題になりだしてから実験をはじめたような人たちが、大学などで非GLPで実施(→データの改竄・恣意的な統計処理などが可能)されている。評価にあたって、企業側の出した論文しか評価されないといった批判もあるが、どちらのデータがより信頼できるか考えれば、仕方の無いことだ。企業から金が出ているとされた実験のほとんどは、必要があれば生データを評価機関に提出できるが、大学で行われた研究ではどの程度まで生データを保存しているかは研究者によるのではないか。
企業は「低用量効果がない」ことを証明したいという動機があるかもしれないが、もちろんデータの改竄はできない。それを言い出すならば、大学や公的研究機関のほうも、「低用量効果がある」ことを証明したい動機があって、動物実験につきもののばらつきなどを低用量効果と誤解したり、低用量効果があるはずだというバイアスが試験結果に及ぼしている影響もあるかと思う。このへんは信頼関係で成り立ってるんで、フォン・サールみたいに「企業が金を出した研究は信頼できない」って言われると、それは科学論争ではなくなってしまう。低用量効果を言い出したフォン・サールの助言に従って、条件を揃えて別々の機関で追試が行われたが再現されなかった。1998年の環境ホルモン国際シンポジウムではフォン・サールから「企業側の試験では陽性対照でも影響が出ていないから試験全体が無効」という反論があった(http://www.southwave.co.jp/swave/7_spe/news_9901.htm)。このときの陽性対象は低用量のジエチルスチルベストロール(DES)で、実験するほうはこんな用量で陽性がでるわけが無いと考えているのだが、フォン・サールが強硬に主張するので入れられたものだ。もし低用量効果が無いんだったらこの陽性対象であるDESでも影響出ないに決まってるじゃんフォン・サールは何を言ってるのか。っていう空気になった。
低用量効果以外の話では、環境ホルモンがらみでは、それは何か意味がある指標なの?毒性学的にどんな意味があるの?といったものも多い。ラットの脳に直接、ビスフェノールAを注射投与したら、活動量が上がったので、多動と関係あるかもしれない。とか。そんな研究がリスク評価の、何の役に立つの? 環境ホルモンがらみだと研究費がとれるからっていって、本当ろくでもない研究も多いし、税金の無駄だと思うがこの辺はいくらでもあげれそうなので省略。
さて、国立衛生研の試験に戻るが、ビスフェノールAの胎児期からの投与と、生まれた雌の性周期に関する研究はすでに行われてる。ラットの三世代繁殖試験で性周期も含めた観察が行われ、低用量効果が無かったことが確認されている(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12075117)し、マウス二世代でも同様(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18445619)。国立衛生研の試験とほぼ同様と思われる試験で、ラットの無排卵持続発情状態になるまでの期間も測定している試験がある(http://www.jstage.jst.go.jp/article/jrd/50/3/349/_pdf)が、やはり低用量効果は観察されなかった。これらの結果は現行のADI 0.05mg/kgは安全であることを支持する。
そもそも種類にもよるが、7ヶ月のドンリューラットはそろそろ無排卵持続発情がはじまる時期で、いつはじまるかは個体差によるばらつきが大きい。このような微妙な指標を用いて試験すると、偶然によるばらつきもあるし、そもそもそれがちょっと変化したからってどの程度の毒性学的意義があるかも不明なのではないかと思う。DESの高用量投与では、かなり早い時期から無排卵になることは知られているので、それで実験してみたのだろうと思うが。
人間は、ラットよりもビスフェノールAの感受性が低いと考えられる合理的な理由がある。肝臓でグルクロン酸に抱合され急速に排出されることや、妊娠中のエストロゲン濃度が非常に高く、ラットで影響が出たような量では影響が無いと考えられることなど。
このへんまでが予備知識で、この実験の詳細に関してはやっぱり論文見るまでなんとも言えないな。
ここからは雑談。子どもが出来たら、たぶんポリカーボネート製の哺乳瓶を使うと思います。軽いし丈夫だし。でも、もしかしたら、ポリカーボネート製の哺乳瓶なんて無くなってるかもしれないな。塩ビみたいに。
http://anond.hatelabo.jp/20080502031437
いや、その信頼関係が築けなくなったから別れたわけで。
でも、ありがとう。またそういう人にあったら、気をつけるよ。
関係ないけど、あー、元彼女に、何言っても信じないんだろう?って言われたなあ。
信じる信じない以前に、謝罪するべきところを大きく間違ってる時点で、
もう何も言う気がなくなったんだけどなあ。
そもそも、フェミニズムの目指すところは、権利の「拡大」であって、
「男と同じになったところでやめます」なんて、どこにも書いてないぞ。
なにか、変な期待を抱いてたみたいだけれど、
あれは、男のために何かしてくれるようなもんではない。
俺も、とりあえずなんでも平等にすればいいんだろう、と安易に考えてた。
だけど、実際に五年、十年とつきあっていくと、それは大変な間違いで、
相反する欲求が併存して、当たり前なんだ、ということがよくわかった。
(フェミニストだけど、かわいい洋服かってもらって、美人といわれたいとか)
最初はね、元増田と同じように、なんだ思想的に徹底してない奴め、と
勝手に憤慨したけど、そのうち、これが自然だなぁという気分になってくる。
こっちも、そう偉そうなこといえる資格ないぞ、ってわかってきたし。
あなたの詳しい事情を知らないから、何ともいえないけれども、