はてなキーワード: 保守主義者とは
最近だとトランスジェンダーを攻撃するフェミニストというクラスタがツイッターにはいるけれどそれもトランスジェンダーを攻撃することが目的ではないように
例の論争でもはてフェミは基本TERF一色で、結局単なる保守主義者の集まりというのが露呈してしまったからな
自分の身の安全のためにも変なのは銭湯に入ってほしくないし、男がトランス詐称して入ってきたらえらいことだからちゃんと手術してから来い、もちろんそういうお気持ちはよくわかるし自分だってそう思う
インテリ系の上流フェミはトランス側支持してたけど、あいつらはリベラル捨てたら自分らの存在意義も発言力も全部吹っ飛んじゃうから、嫌でもそうするしかない
ところがはてなのフェミの多数派は自分らが譲歩する側に回った途端、今まで散々利用し尽くし他人にも押しつけてきたはずのリベラリズムを、ああもあっさりとかなぐり捨ててしまった
山田太郎前参院議員が今回の選挙で当選したようで、ひとまずはよかった。
彼が当選したことは表現規制反対派としては喜ばしいことだと思う。しかし同時に、彼には注文をつけたい点がある。
それは、「幅広いオタクの利害の代弁者としてではなく、右派オタクの代弁者としての立ち位置を自覚すべきだ」ということだ。
当たり前だが、オタクには右派も左派もいるし、なんなら極右も極左もいれば中道にノンポリもいる。オタクとは趣味を共有しているだけの集団であり、本来であれば政治的に何らかの共通軸を見出し得るようなものではない。それが唯一共闘できる、共闘し得るイシューが表現規制問題だった。
だから山田前議員が「オタク全体からの支持」を目指すのはどだい無茶な話であった。山田前議員にしても、表現規制反対とは別のイシューでご自分の意見をお持ちだろう。もしも表現規制反対以外に共通軸の乏しい集団をまとめ上げようとするなら、表現規制反対以外の「自分の意見」はなるべく封印してシングルイシューに徹しなければならないが、活動家ならともかく国会議員でシングルイシューに徹することはやはり難しかった。
共謀罪とか、表現規制問題とは直接関係がないかに見えるイシューにおける山田前議員の投票行動は、オタクの一部に深刻な疑念をもたらした。国会議員である以上は様々なテーマをめぐる審議において賛成か反対か旗幟を鮮明にせざるを得ず、その他の審議を欠席したり棄権したりでもしない限りシングルイシューを貫くのは困難だ。
そして今回の選挙に際して、山田前議員は自民党に入党した。前の参院選で所属していた、独自のカラーがちっとも見えない新党改革のようなマイナー政党であればともかく、右派政党の筆頭格である自民党に所属しておいて左右を超えたシングルイシューも何もなかろう。自民党入党の時点で山田前議員は「超党派のオタクの代表」ではなく「右派のオタクの代表」に変質した。オタクといってもその優先順位には濃淡があり、自民党には絶対に投票したくないと考えている左派オタクが、山田前議員に投票なんてできるはずがない。
これは逆を考えてみれば当たり前の話だろう。いくら表現規制に反対の立場を表明していたからといって、右派オタクたちは福島瑞穂議員に敵対し続けてきたではないか。それが悪いとはもちろん言わない。右派が左派の候補に投票したくないと考えるのは当たり前だ。だが、だったら左派が右派の候補を支持しないのも当然だということだ。
山田太郎前議員がオタク票を掘り起こしてくれたことに対して、私は素直に感謝したい。そして潮目はオタクの方に向き始めた。与野党の政治家で、オタクアピールを(自然にこなすかぎこちなくするかの違いはあれど)してくる議員は明らかに増えた。国民民主党の玉木雄一郎代表がコスプレで話題になっていたが、そういうアピールをする対象として我々は認められたのだ。これは喜ばしいことだ。
だから、そろそろ山田太郎前議員、およびその支持者の方々におかれては、「反表現規制で幅広いオタクを糾合する超党派の政治家」ではなく、「右派オタクを代弁する政治家」という立ち位置を自覚された方がいいんじゃないかと思う。
つまり、「国会におけるオタクの唯一の代弁者」とか「表現規制反対派の唯一の救世主」とかではなく、「国会に何人もいる表現規制反対派のうちの一人」としての立ち位置を自覚してほしい、ということだ。
なんでそう思うかといえば、この点の自覚が薄い一部の支持者が、山田前議員を持ち上げる一方で他の政治家(主に左派の政治家)を腐すような言動を振りまいているからだ。山田前議員以外にも国会に表現規制反対派はいること、オタクの政治的属性は右派から左派まで幅広いこと、こういったことを自覚せずにまるで山田氏が唯一のオタクの代表であるかのように振る舞えば、山田氏に必ずしも賛成できないオタクだけでなく、オタクではないけどオタクの権利に配慮しようとしている政治家やオタク層にアピールしようとしている政治家の離反を招くことにもなりかねない。
オタクの代弁者、あるいは表現規制に反対の政治家は山田太郎氏だけではなく左右両陣営にいること、このことを自覚してもうちょっと支持者の皆様には謙虚になっていただきたいというのが正直なところだ。
「自分は右派の政治家として表現規制に反対する。普段は右派として左派政治家と敵対するが、表現規制が浮上してきたら敵陣営の表現規制反対派と手を組んで表現規制反対のために闘う」とハッキリさせれば、左派寄りの支持者は離れていくかもしれない。だが重要なのは、あらゆる陣営に表現規制反対の種を蒔くことであり、山田太郎前議員のみが反対派の希望であるかのように持ち上げることではない。
「いかに我々オタクの代弁者山田太郎先生を盛り上げていくか」という視点は危うい。もちろん山田氏には頑張ってほしいのだが、彼が病に倒れたり事故に遭ったり致命的なスキャンダルを起こしたりしたときに、代わりの者がいないような状況では困るのだ。それよりも、多少山田前議員の得票が減ったとしても、その分が他の政党の表現規制反対の候補に流れているならそちらの方が好ましい。卵を一つの籠に入れないのは政治の世界でも重要なことだろう。
なのでまあ、左派寄りのオタクとしては、山田太郎さんには右派オタクの代表としての自覚を持っていただき、その立ち位置にふさわしい振る舞いをしていただきたいというのが正直なところです。別に左派の政治家が気にくわんなら好きなだけ批判すればいいとは思うが、だったら超党派でオタクを糾合することは諦め、右派オタクを票田にするのだと決意していただきたい。こちらも左派の反表現規制派の人たちを応援するんで、お互いに頑張りましょう。
日本人の表現だけを規制しようとしたり、違法なデモで国民の権利を阻害したり、
そんなこと言ったらバリバリの表現規制派である葉梨康弘議員みたいなのをのさばらせておく自民党に入党した段階で規制派になっちゃうじゃん。イザンベールと違ってこっちは現職国会議員だよ。
腹立ちまぎれに分断を尚煽ろうとするの図
枝野幸男が右も左もないと言っているのにいつまで右だの左だのにこだわっているのか。ここまでの票田になる山田太郎を右も左もないという理念を掲げている立憲民主党に引き入れられなかった失策を反省するべきだろう
分断は煽ろうとかそれ以前に現にそこにあり、その存在に気づかずに、あるいは軽視して超党派で結集ムーブをされると踏みつけられたり軽視された側としてはいい気分はしないので、分断のどっち側につくのかちゃんと旗幟鮮明にしてよね、って話です。
分断を乗り越えようとしているにしては片っぽを軽視する言動・行動が目立ちはしませんか、どうしてもその片っぽを軽視したいのなら超党派ムーブやめませんか、って話。
何度も言うけど表現規制問題が浮上したら左右を超えて手を携えるべき。でも表現規制以外のイシューでも山田さんを推せるかっていうとそうじゃないわけですよ。山田さんを一致して推せない理由をこちらだけに求められても困る。だったら「お互い一致はできないね」「表現規制問題が浮上したら一緒に戦おうね」と約束して今は袂を分かとうよ、という趣旨です。
枝野さんとか保坂さんといった先達の存在に目を向けずまるで山田さんだけが反表現規制の旗手であるかのように言ったらそりゃ反感を買うわな、という当たり前のことがわからんのかね。
左派に表現規制派がいないとは言わないし、だからあらゆる陣営に反対派は必要だよね、と言っているわけだが、なんかもうこのレベルのイチャモンに真面目に返答するのアホらしいな。何にでも性的消費ーとか噛み付く一部の自称フェミを見てるみたいな感じ。
まあ、山田さんも支持者の皆様も、頑張ってくださいね。応援はしてます。
左翼は原則として表現の自由を守ってきてる。例外としてオタクを規制してる。右翼は逆で、原則として表現の自由を規制して、例外として山田太郎がオタクのご機嫌をとってる。それで表現の自由ヅラされてもなあ。
しゃべるセレクティブエネミーかな? 例外もクソもあるかオタクの自由も守られるべきに決まってんだろ。進歩派の皮を被った保守主義者は我々自由主義者の敵なので右側の自由主義者と協働して打倒していこうな。
地元での応援演説 | 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記
自分は徹底した保守主義者だから、安倍自民党やこれに同調する公明党、維新には入れられないなあ、と考えてます。
「保守」は、流れる血と涙を少なくするために「現状認識の上で争い小さく漸進を」であり、やたら理想を、時にはユートピア思想を言う「革新」よりマトモだろうと。
で、安倍自民党は、「昭和維新」のごとき「平成革新」だとし、かつアメリカヨイショばかり。つまり「保守主義政党」ではなく「反動売国政党」です。だからまずいっしょ、と。
神奈川県では参議院定数4のうち、少なくとも2議席を、立憲と共産が取らないと安倍政権の横暴が続くものから、今回は立憲や共産党に入れないと、と。
先月、長く議員をしてきた元有力者さんから、安倍は危なさすぎる、若い自民党議員も勇ましくって危いんだよ、と直接言われたな。流れに乗ることばかり考えているし。戦争の記憶を実感しつつ長く政治家をしてきた人らは、自分と同じ印象なのだなと。
数日前にtwitterで「チーズがビヨ~ンって伸びる食い物食ってる自撮りをSNSに上げるな! そんな下品なことしてたら就職もなくなるしいいところに嫁に行けなくなるぞ!」とか書いてて、それに某イスラム研究者が賛同してた。
最初はクチャラーみたいなよっぽど汚い食い方してるのかと思ったけど、「チーズがビヨ~ン」で検索したら単によくチーズが伸びる流行の食い物を食ってるだけの女の子の写真がたくさんヒットした。
まあ人の感覚は色々なので、あれが汚い食べ方だったしよう。
でもそれを持ち出して「嫁に行けない」と恫喝してるのはいったい何なの? ってドン引き。家父長制じゃん。
キズナアイバッシング、女がどうとか性的消費がどうこうとかそういう次元ではなく単に保守主義者がなんか喚いてただけだったんだな、と考えれば納得。
一部のフェミニストの皆さんはこんなのと共闘してたんですね、フェミニストの看板下ろせば? とは真面目に思う。女性の解放とはいったい何だったのか。
これね。
本当に毎度毎度アニマルライツやヴィーガンの話題になると同じ稚拙な反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。
何度説明してもどこ吹く風で延々と無知の再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。
という事で、ブコメにある典型的な無知や勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます。
もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメ・ブログ・Twitter等様々な所で説明されてるので
知らないなら少しは自分で調べろよと。相手の意見を理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。
とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動やヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。
大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふやな運動や主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)
じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。
なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で
最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から。
まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。
とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分が植物の権利を主張してるわけじゃないよね?
植物に権利があると思うなら「動物も植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし
そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。
- 本当に何を言ってるかわからない。その守りたいとかいう動物も他の動物しょっちゅうこれよりこれのが美味しいって種を選んで食ってるんですが…。そっちは尊い生命活動…?誰が一体ジャッジできんの…?お前…???
- 草食動物を捕食しているライオンの前で主張してほしいですね。もちろん無防備で。
- 肉食動物が他の動物を殺して食べるのは良いの? 良いならなぜ人間だけだめなの? それとも殺生全てを禁ずるの?それなら地上全ての肉食動物を束縛して代用肉与えるの? 神の代理人を気取るのは傲慢だと思うんだが。
- 人権と人権の衝突に偽装してるけど、これはあくまで人間と動物の権利の衝突。その意味でVeganの人権は侵害されてない。またアニマルライツが認められるなら、別のアニマルからもアニマルライツを守らなくてはならない
- 野生の肉食動物の前で御高説垂れとけ。
これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間の行為への言及でしょ。
野生動物の行為に人間の価値判断を押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから。
「人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間が動物に回避可能な苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。
それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間が人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?
ここまで説明すると次に出てくるのが「動物と植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論。
これも「だからなに」としか返せません。人間が人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。
あなたは猫を食べますか?野菜とクジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?
日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど
それは恣意的だから不当な権利侵害ですか?だったら動物と植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。
- 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
- 他者への畜産物利用禁止強要までいくと、潔癖をこじらせて他人に押し付けようとしているようにしか見えないのだけど。「いつ自明なものでなくなるかわからない」なら、むしろ的外れじゃなく必要な反論だろう。
- 自明ではない新しい権利を獲得しようとする活動はあり得るが「そんな権利になり得ない主張のために自分の権利が侵されるのは認められない」の反対活動も当然許される。的外れとは言えないのでは。
- 権利運動するなって話じゃないし、反デモを起こすのもただの権利運動でしょ。だからどっちが正しいという話じゃない。
する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化の進歩だったでしょ?という話。
例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?
で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフの関係でもないんです。
ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガンは第三者じゃないか」という反論があるけど
だったら子供の権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって
子供の権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利は当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。
あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物の権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは
愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利を行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもので
これらは権利の主張ではなく相手に不快感を与える事自体が目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。
仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせが肯定される事はないでしょう。
まあアニマルライツ(動物の権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンとベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。
なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。
でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論のノイズにしかならないんだから。
「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。
けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。
それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。
押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど
権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利を肯定してるだけなので押し付けではないです。
トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立する事からAとBは入れ替え可能の概念ではなく
どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。
ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。
よく分からんけど苦痛が回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな
苦痛は屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境の改善を社会に求めている場合がほとんどかと。
ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済・外交・安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。
なので○○主義者個人と議論する事は可能ですが○○主義そのものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識が必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。
えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペットや子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね
功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感・感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。
ペットや子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。
植物に関してはこういうのがあります。>食べられると野菜も痛みを感じる?米国でヴィーガン論争を巻き起こした日本人研究者の大発見
「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り