はてなキーワード: 使用とは
暇空茜がnoteで公開している判決文を、ChatGPTにOCR処理してもらった後、NotebookLMにて『目次』を生成した。
原告: 仁藤夢乃、一般社団法人Colabo(代表理事 仁藤夢乃)
原告 - 弁護士 神原元、角田由紀子、端野真、堀新、太田啓子、岸本英、伊久間勇、河西拓哉
被告 - 弁護士 垣鋭晶、訴訟復代理人弁護士 邊美陽子、松永成高
・原告Colaboへの損害賠償請求:550万円および遅延損害金
第2 事案の概要
原告らは、被告が自身のブログサイトおよび動画投稿サイトにおいて、原告らに対する名誉毀損にあたる投稿を行ったとして、損害賠償、投稿の削除、謝罪文の掲載を求めた。
1. 前提事実
(1) 当事者
・原告Colabo:10代女性の自立支援を目的とする一般社団法人
・被告:Twitter、ブログサイト、動画投稿サイトを管理し、原告らに関する投稿を行った者
(2) 本件各投稿
・被告は、ブログおよび動画投稿サイトにおいて、原告Colaboの活動に関する記事や動画を投稿した。
・投稿内容は、原告Colaboが10代女性を劣悪な環境の家に住まわせ生活保護を受給させているというものだった。
2. 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 本件各投稿が原告らの社会的評価を低下させる事実を摘示したものといえるか(争点1)
・原告:投稿は原告らが10代女性を利用し生活保護費を不正に取得したとの印象を与え、社会的評価を低下させる。
・被告:投稿は公開情報に基づく意見論評であり、事実の摘示ではない。摘示されたとしても、非難されるべき事実ではない。
(2) 本件各投稿につき真実性又は真実相当性の抗弁が成立するか(争点2)
・被告:投稿は公益を目的とするものであり、摘示事実に真実性または真実相当性があるため、違法性は阻却される。
・原告:被告の投稿は原告らを誹謗中傷するためのもので公益目的はなく、摘示事実も真実ではない。
(3) 原告らが本件各投稿による社会的評価の低下を受忍すべきであるか(争点3)
・被告:投稿は原告Colaboの公金使用に関する監視を促す目的であり、原告らは社会的評価の低下を受忍すべき。
・原告:被告の主張する不正の疑いは監査の結果、否定されており、原告らが社会的評価の低下を受忍すべきではない。
・被告:原告Colaboは不正を行い、被告の情報発信による不正発覚を防ぐために訴訟を提起したものであり、権利濫用。
・原告:被告の主張は監査の結果、否定されており、訴訟は不正発覚を防ぐ目的ではない。
(5) 原告らの損害の有無及びその額(争点5)
・原告:投稿により社会的信用が大きく損なわれ、損害額は500万円を超える。
・被告:損害は原告らの不当な活動が原因であり、投稿との因果関係はない。
(6) 本件各投稿の削除及び謝罪文の掲載が必要であるか(争点6)
・原告:投稿は根拠のない誹謗中傷であり、削除が必要。名誉回復のため謝罪文掲載も必要。
・原告らの活動内容、原告仁藤と被告の紛争経緯、原告Colaboの活動資金問題、原告らの活動の現状、本件訴訟の経過等について詳述。
争点1(本件各投稿が原告らの社会的評価を低下させる事実を摘示したものといえるか。)について
・本件各投稿は、原告らが経済的に困窮している女性を利用して利益を得ているとの印象を与える内容であると判断。
争点2(本件各投稿につき真実性又は真実相当性の抗弁が成立するか。)について
・原告Colaboが公開している情報からは、本件各投稿の摘示事実が真実であると認めることはできず、被告が真実と信じる相当な理由も認められないと判断。
争点3(原告らが本件各投稿による社会的評価の低下を受忍すべきであるか。)について
・原告Colaboの活動資金問題を理由に、原告らが社会的評価の低下を受忍すべきとはいえないと判断。
・原告らによる訴訟提起が被告の情報発信を委縮させる目的で行われたと認めるに足りる証拠はないと判断。
争点5(原告らの損害の有無及びその額)について
・原告Colaboには150万円、原告仁藤には50万円の損害賠償が認められると判断。
争点6(本件各投稿の削除及び謝罪文の掲載が必要であるか。)について
・本件各投稿の削除は相当であるが、謝罪文掲載は相当とまでは認められないと判断。
第4 結論
原告らの請求を一部認容し、被告に対し、原告仁藤へ55万円、原告Colaboへ165万円の損害賠償の支払いと、投稿の削除を命じた。
出典: https://note.com/hima_kuuhaku/n/n88a879d916b8 (20240718_判決_墨消し済み.pdf)
たとえば ↓
https://www.launchexcel.com/what-jobs-use-excel/
https://www.fdmgroup.com/news-insights/advanced-excel-skills
ジャップランドで起こりがちなことはアメリカでは無いのかAIちゃんに尋ねてみたらこう言ってたよ
ワイ: 質問: 2024年において、アメリカの大企業および中小企業の間で、より一般的なデータ管理の方法はなんですか? 検索して最新のトレンドを教えてください。 - 方法A:内部データベースからCSVファイルとしてデータをダウンロードし、Excelで修正してから、
ETLツール(例:Informatica PowerCenter、Talend Open Studio)、BIツール(例:Tableau Prep、Microsoft Power Query)、
または他のデータベース(例:OracleDB)などの他のシステムにインポートする。 - 方法B:Excelのステップをスキップし、内部データベースを他のシステムに直接接続する。 - 方法C:レガシーシステムや複雑なシステムには方法Aを使用し、その他のシステムには方法Bを使用する。状況やシステム要件に応じて使い分ける。 質問のポイント: - 大企業におけるExcelの使用:大企業はデータクリーニングのためにExcelを使用するのを完全にやめましたか?それとも、古いメインフレームシステム、ERPシステム、または特定の業務プロセスの問題のためにまだ使用されていますか? - 方法A、B、Cのシナリオ:各方法の具体的なシナリオと製品名を教えてください。 - 2024年におけるCSVファイルのダウンロード:2024年現在、ETL/BIツールやクラウドベースのDWHを利用できないどころか、Oracle Gatewayなどの接続手段も利用できないデータベースの使用は完全になくなりましたか?
もしそのようなデータベースが2024年にもまだ存在する場合、直接的なデータ連携が困難なため、CSVファイルでのデータ抽出が唯一の方法となることがあります。
企業は膨大なコストがかかるために移行を延期していますか?それともすでに段階的に対応していますか? - Excelを使い続ける理由: 内部データベースを他のシステムに直接接続した方がシンプルなのに、なぜ一部の企業はデータクリーニングのためにExcelを使い続けているのですか?
↓
2024年には、大企業の間でメソッドB(直接接続)へのシフトが顕著になっています。しかし、特定のシナリオに応じてメソッドC(ハイブリッドアプローチ)も採用されています。中小企業においても、直接接続の利便性と効率性が認識され、その採用が徐々に増加しています。しかし、リソースとコストの制約により、Excelを使用したデータクリーニングやハイブリッドアプローチが依然として一般的です。
使用状況: この方法は、中小企業、レガシーシステム、複雑なデータ構造を含むシナリオで依然として一般的です。Excelはその柔軟性と使いやすさから、データ操作のための多用途ツールとして広く使用されています。
シナリオ:
製品:
具体的なシナリオ:
使用状況: この方法は、大企業や技術に精通した中小企業の間でますます一般的になっています。直接接続を利用することで、データワークフローが効率化され、手動エラーが減少します。
シナリオ:
製品:
具体的なシナリオ:
使用状況: 多くの企業が、レガシーシステムや複雑なシステムにはメソッドAを、その他のシステムにはメソッドBを使用するハイブリッドアプローチを採用しています。この柔軟性により、既存の制約と近代化の努力をバランスさせることができます。
シナリオ:
製品:
具体的なシナリオ:
データ管理ツールの進歩にもかかわらず、Excelは大企業におけるデータクリーニングと操作のために広く使用されています。これは主に以下の理由によります:
ETL/BIツールやクラウドベースのDWHと直接統合できないシステムに対して、データをCSVファイルとしてダウンロードすることは依然として一般的です。企業は高コストと複雑さのために移行を遅らせることが多く、段階的に対処しています。
しかし、直接接続はより効率的で広く採用されており、長期的にはデータ管理におけるExcelへの依存が減少すると予想されます。
クラウドベースのデータ統合ソリューションの台頭により、データ収集、クリーニング、統合がAI/ML技術によって自動化され、手動作業が減少し、データの一貫性と精度が向上しています。AI/MLアルゴリズムは、異常検出、欠損値の補完、パターン認識などのタスクを効率的に処理し、データ品質を向上させます。リアルタイムデータ分析の利点が明らかになるにつれ、直接接続の採用が増加し、より迅速かつ正確なビジネス意思決定が可能になります。
データセキュリティ、コンプライアンス、およびデータガバナンスの重要性が増すにつれ、このトレンドは続くと予想されます。
わがまちの役所には
実際に屋上バレーボールネットや敷地内バドミントンコートが存在したのですが
注意: 以下のデータは実際の統計データではなく、分析の目的で作成した仮想のデータです。実際の分析には、信頼できる公的機関からの正確なデータを使用する必要があります。
年 | ドル円為替レート(年平均) | 実質GDP成長率(%) | 有効求人倍率 |
------ | --------------------------- | ------------------- | -------------- |
1980 | 226.74 | 2.8 | 0.75 |
1985 | 238.54 | 6.3 | 0.68 |
1990 | 144.79 | 5.6 | 1.40 |
1995 | 94.06 | 2.7 | 0.63 |
2000 | 107.77 | 2.8 | 0.59 |
2005 | 110.22 | 1.7 | 0.95 |
2010 | 87.78 | 4.2 | 0.52 |
2015 | 121.04 | 1.6 | 1.20 |
2020 | 106.77 | -4.5 | 1.18 |
2023 | 140.00 | 1.9 | 1.30 |
## 2. 散布図の作成
```python
import matplotlib.pyplot as plt
# データ
exchange_rate = [226.74, 238.54, 144.79, 94.06, 107.77, 110.22, 87.78, 121.04, 106.77, 140.00]
gdp_growth = [2.8, 6.3, 5.6, 2.7, 2.8, 1.7, 4.2, 1.6, -4.5, 1.9]
job_ratio = [0.75, 0.68, 1.40, 0.63, 0.59, 0.95, 0.52, 1.20, 1.18, 1.30]
# GDP成長率との散布図
plt.subplot(121)
plt.scatter(exchange_rate, gdp_growth)
# 有効求人倍率との散布図
plt.subplot(122)
plt.scatter(exchange_rate, job_ratio)
plt.tight_layout()
plt.show()
```
## 3. 相関係数の算出
```python
correlation_gdp = np.corrcoef(exchange_rate, gdp_growth)[0, 1]
correlation_job = np.corrcoef(exchange_rate, job_ratio)[0, 1]
print(f"為替レートとGDP成長率の相関係数: {correlation_gdp:.2f}")
print(f"為替レートと有効求人倍率の相関係数: {correlation_job:.2f}")
```
## 4. 分析結果
## 5. 考察
- 弱い正の相関(0.32)が見られます。
- これは、円安傾向(為替レートの上昇)が若干のGDP成長率の上昇と関連している可能性を示唆しています。
- ただし、相関は弱いため、他の要因も大きく影響していると考えられます。
- 非常に弱い負の相関(-0.15)が見られます。
- この結果からは、為替レートと有効求人倍率の間に明確な関係性を見出すことは難しいです。
- 雇用市場は為替レート以外の多くの要因に影響されている可能性が高いです。
3. 全体的な考察:
- 為替レートと経済指標の間に強い直接的な関係性は見られませんでした。
- 経済は複雑なシステムであり、為替レート以外にも多くの要因が影響しています。
- 時期によって関係性が変化している可能性もあるため、より詳細な時系列分析が有用かもしれません。
- また、産業別の分析や、輸出入への影響など、より細分化された視点での分析も考慮する価値があります。
4. 注意点:
- このデータセットは限られたサンプル数であるため、結果の解釈には慎重になる必要があります。
- 実際の分析では、より長期かつ詳細なデータを用い、統計的有意性も考慮する必要があります。
## 6. 今後の分析案
お金、知識、エネルギー、時間。これらは全部「善悪両方に使える」タイプのものなので、善人であれば「あればあるほど良い」ということになる。
ところが悪人がお金や時間を持て余したり、悪人が高度な知識を持ったりすると、犯罪は深刻なものになるのではないか。
悪人が悪たる所以は、お金、知識、エネルギー、時間を行動に配分する方法が問題なのである。
「暇人(時間をたくさん持つ人)は悪いことをする」といった言い方は適切ではない。あるいは「金持ちは悪いやつが多い」という言い方も間違っている。
例えば
むしろ、その時間を建設的に活用するか破壊的に使うかは個人の選択と価値観に依存する。
一方で、善人がこれらのリソースを豊富に持つことで、より大きな正の影響を社会に与えられる可能性も高まる。
もう一度言うと、リソースの量よりも、それらをどのように活用するかという個人の選択と行動が、善悪を決定する重要な要因となる。
彼は、やがて定年退職し、程なく息を引き取った。
だが実は、モデルガンはM249、湾岸戦争で使用されたミニミ軽機関銃そのものだったのだ!
教師が持ち帰った軽機関銃に殺傷可能な弾が入ってたことを知る者は誰もいない。
装填されたマガジンは、全校生徒を静かにさせるのに余りある力を持っていた。
しかし結局、悪夢が実現されることはなく、銃は人知れず処分された。
さて。
彼に罪はないのか?
使用に伴う小キズや黄ばみなどはありますが状態良好な完動品です
四十路の熟れた躰が疼く夜、動作確認をしてみましたがかなり振動が強く、動作音も大きいので布団をかぶり、声を殺してマッサージをしました
警視庁科学捜査研究所による検証の結果、金属材料の不足、ノウハウ不足[注 2]により、弾倉のつくりが悪く給弾不良になりフルオート射撃ができない[10]、口径が5.4mmで若干小さく標準の5.45x39mm弾を使用するには削る必要がある、撃針の形状の不備などの欠陥があった[7]。特にライフリングには非常に苦労したようで試行錯誤を繰り返していた[7]。
https://note.com/usamimn/n/n20cf35be32f0
他の訴訟にも影響しよう。
他の訴訟にも影響しよう。
他の訴訟にも影響しよう。
他の訴訟にも影響しよう。
無限に繰り返してる筆者の願望を何度も書いた駄文であることは普通に読めば誰でも理解できると思うが、なぜか主張に釣られまくるブクマカが多数いるようだ。
ってイかれてるでしょ。
そりゃあ、Colaboとの係争で間違いなくこの判決を証拠として提出して原告が悪いやつだと主張して一定の影響があるかもしれないが
公金使用の指摘の係争はあるにしても、タコ部屋訴訟の記事は受忍限度に当てはまらないから名誉毀損だよね。って重ねて判断されてるのに。
Aくん:
問題の原因究明のスピードは速いが、解決方法が自分にない、現場で解決可能な場合は次のステップを教えて現場に問題解決を差し戻す。
結果的に一つの問題にかかる時間が少なく定量的な評価では高くなる。
Bくん:
問題の原因究明のスピードは遅いが、解決方法が自分になかったり現場でも解決可能な場合でも他所への問い合わせや問題の解決を最後まで行う。
結果的に一つの問題にかかる時間が多く定量的な評価では低くなる。あと残業時間が多い。
当たり前だけど周囲の人間からの評価はBくんのほうが「最後まで面倒を見てくれる」という点で高い。
でも、私は考えとしてはAくん側の人間だし定量的に評価した場合Aくんの評価を高く付けるのだけれど、
現場を見ていない上の人間は周囲の人間から話を聞いてBくんの評価を上げろと言う。
私としてはBくんのような"優しい"人も別に嫌いではないが、なんでもかんでもBくんがやってしまうことで現場に問題解決のノウハウが溜まっていかないことは非常に問題だと思うし、他所でもできることをBくんのマンパワーを使用して解決することが常態化すれば、最終的に課の定量的な評価の減少につながるので好ましくないと考えている。
※注:長い
先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記)から離れるために、私はTwitterのアカウントを削除した。
ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。
Dさんとは、近からず遠からずな趣味を共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手の場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似を自覚してから、彼女にストレスを感じるたびに母へのトラウマやストレスもフラッシュバックするという悪循環があった。
離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。
あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言をきっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルがヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。
その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手をターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。
第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。
何より、DさんがAの粘着や監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。
ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチや誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなものに悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。
また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSのアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言をブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシーや心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。
Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易な判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカーの粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針の相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互の割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者を攻撃したいから」と、マウント・承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケートを考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。
Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的な社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分の感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物でしかなく、私の自他境界の曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。
いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女を相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれてしまう状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。
以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。
そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分がカバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手の知識を食えるのでお得」といったツイートをしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当なツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。
もちろん、彼女としては軽い気持ちのつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当な交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。
それでも、他人の言動に対して積極的かつ軽率に対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。
つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。
こうした経過があって、私は自分の精神的健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。
話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気も必要だったように感じている。
Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。
私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。
おしまい。
・Excel使用時にF1キーでヘルプが開く機能(何十年だって言い続ける。滅んで。まじて)
・PowerPoint使用時にF1キーでヘルプが開く機能(本当に要らないのはイルカじゃなくてお前だからな)
Youtubeの立花孝志の動画は、NHK単体を狙っているのではなく、ほとんど警察全体を攻撃することができるように技術的に構成されたものであって、当該動画が攻撃しているのは
お前であり、NHKではないと解するのが相当である。検察官の所論は、立花孝志の動画は、NHKを目標としたものであると論じているが、浅見にすぎるのであり、一般人の社会見解にも
合致しないし、一般人が当該動画を閲覧したときに観念することとして、その電磁的動画媒体物(概ね、24分間、30分間にわたる、パート1,2,3と題された電磁的動画で、
大阪市にあるNHK天王寺受信料特別対策センターに突撃すると題された動画)に写り込んでいる建造物や職員などの諸種の公共物の概要外観などからして、立花孝志が本件の動画を
構成して使用する目的として、行政施設全体を攻撃していると解するのが相当である。検察官の所論は表面的にみているだけであって、事実や現実に全く合致せず採用できない。
ああ、台湾侵攻のシナリオについての話だね。正確なコストを算出するのは難しいけど、大まかなイメージは伝えられると思う。以下に分けて説明するね。
1. **人的コスト**:
4. **その他のリスク**:
1. **人的コスト**:
4. **その他のリスク**:
どちらの場合でも多くのリスクとコストが伴うことは明白だね。具体的な状況や背景によっても変わるから、慎重な判断が求められるね。
件のAIに仕事を奪われた絵師のnoteの反応を見ると、「AIに地位を奪われる程度の半端絵師が焦って反AI活動に走る」というイメージを抱いている人が多いっぽい。実態は違うんだけど。
Xなどで積極的に生成AI批判をしている人はいろいろだ。漫画家やアニメ関係者もいるし、クリエイティブとは別種の職業など、まあすぐには生活を脅かされることはなさそうな人も多い。実際のところAIに批判的な考えが共通しているだけで立場はバラバラである、当たり前だけど。
自分の場合はというと、会社員をしながら副業でエロ絵描きをやってる。同人誌や支援サイトで本業の半分くらいの収入を得ている。(オリジナルでやってるから二次創作がどうとか言うのやめてね)
収入に関して生成AIの影響はぜんぜん無い。AI登場以前と売上は変わっていないし、たまに絵の依頼をいただけるのも変わらない。
エロに限って言えば現状、生成AIでフェティッシュを満足させる絵を出すのは難しく、買う側もAI絵に金を出す価値は低いと判断しているようだ。おそらく今後も急激に状況は変わらないと思う。
つまり、自分自身は生成AIに仕事は奪われていないし困ってもいない。将来もそこまで心配してない。プラットフォームのアダルト規制のほうが恐ろしいよ。
しかしそのうえで、生成AI、特に開発・提供側は大いに批判すべきと思ってる。Xで話題にすることもある。AI利用者に噛みついて回るようなむやみに攻撃的なAI規制派には辟易していてとても同調できないが、立場としては完全に規制派になる。
なぜ開発・提供側を批判すべきかというと、さんざん指摘されているが、あらゆるデータを無断で学習しているから。イラストだけじゃなくて、個人のプライベートな写真や動画(子ども含む)から無断アップロードされた著作物までやりたい放題。そのうえ学習データの開示はせず、金銭を払わず、それで生成AIで商売するのだから都合がよすぎる。巨大IT企業がこれを行っているのだから搾取と言ってよい。
学習は合法で~と言われても、このやり方はあきらかに倫理に反していると思うし、そこを批判するのはおかしくない。
有名人の顔や絵師の画風を再現するデータが平然とばらまかれている悪質な状況。ディープフェイクの増大。こうなることは目に見えていたのに生成AIを公開する開発側の無責任ぶり。
(だったら訴えればいい、は間違っていて。世界中で行われる権利侵害を個人が告訴することは困難だし侵害の量も莫大。この圧倒的な不公正も重大な問題)
絵描き目線から見れば、無断転載や盗用の問題がさらに拡大しただけだし、広い目で見れば、多様な人権侵害や大企業による個人からの搾取の問題になる。それが生成AIの現状だと思う。
そんなわけで、自分は生成AIを進んで使用するのは好ましくないと考えている。
件のnoteに大きな反応があることからもわかるように、生成AIと絵師の話題は、絵師はAIを活用するかしないか、時代の変化にどう対処するか、に話題が集中しがちだ。
だがそもそもそれ以前の、いまの生成AIは倫理的に好ましくないから使うべきではない、という主張が無視されるのは間違っている。
はじめまして。出来ればこんな記事を始まりにしたくなかったですが、名出しでコメントを残す事に抵抗があったので、私が参加した理由と、今後の日本どうしたらいいんだろうという話を、ぶつ切りで勝手にしていきます。
※匿名の理由は身内に名前と文章の二つでピンとこられたら嫌だったからです。身内が無関心だったら書いてた。
※頭の中でグルグルしてたものを解消するための個人的な日記です。誤字脱字はご愛嬌。
※コメントは見ません。
※何が言いたいのか自分でも良くわからんので何となくでよろしくお願いいたします。苦情は受け付けません。
まず、よく「署名はやり過ぎ。ポリコレやフェミと一緒」と言われていますが、混同したらそれこそ駄目なところじゃないかと私は思います。
なぜなら今回の問題と、俗に言われる歪んだポリコレや歪んだフェミニストたちには大きく違いがあるんです。どういう事か。
【比較】
《今回の問題》
・歪めた史実を史実かのように扱い、しまいには世界中に言い回っているところが問題視されてるのであって、表現内容自体は問題視されていない(一部著作権や文化財使用の違反などあるが、そこはとりあえず今は控える)。
・資料をもってして、正しいか正しくないかのジャッジが用意にできる。
・可愛くて胸の大きい女性,(例えそういう世界観であっても)黒人やマイノリティを登場させない事など、表現内容自体が批判の的になっており、何より「これが蔑視だ!」などと言い出すし、一度世にだすとポスターや出版物を取り下げるだけには収まらない。
・主張の元が完全に個人の主観でしかなく、資料でジャッジする事ができない。
私個人は、黄色人差別は当然あるものだと思っていたので、差別だなんだという部分はあまり主張したくないです。まああれだけあからさまな発言を公式インタビューでししまったのには驚きでしたが「やっぱそういう人もいるんだなぁ」くらいです。
これここ、初手が一番重要です。
「弥助でもいい」
などなど。
正直言いますと、私は署名に参加した身ではありますが、もしUbisoft側が『全世界のインタビューで』『弥助は侍じゃないし我々の描いたフィールドはほとんどがヘンテコジャパンだが、そういう面白おかしいゲームが作りたかった』と、言ってくれるならそれでいいし、その上で著作権や文化財問題をしっかり片付け、過去作の習慣通りに『この作品はフィクションです(以下略定型)」』をゲーム内に入れたのであれば、今度は『アサクリ別に発売してもいいんじゃないの運動』に全然参加していいと思ってます。むしろちゃんと解決したなら、発売してはならない理由も無くなるので、発売中止になったら理不尽です。
というかこの署名参加者の少なくとも4割以上は、条件さえ守れば発売していいと思っている人がほとんどじゃないでしょうか。コメントみる限りはそう思います。
署名で押したのならば、それで改心した相手には署名で支えればいいだけの話。
まあ今回の問題は海外勢やアサクリファンも関わるとその署名が現在の署名に勝るか不安要素は大きいですがね。そこはおいておいて。
この考えをしている人も、発売停止まで求めたら歪んだポリコレやフェミニストと一緒なのでしょうか。答えはノーでしょう。
さて、次です。
アサクリの問題は、根深い歴史改変が大きく関わってきてるので……と言いますか、彼らが取り上げた上で日本人の逆鱗ポイントを踏み抜かなかったらもっと恐ろしい事になっていたので、ある意味では彼らには感謝していい。
歴史改変がたった一人の男、ロックリーによって、Wikipediaと書籍ですでに15年ほど続けられていた。
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その結果。伝説の黒人侍弥助など、日本の間違った歴史が少しずつ史実として一部の黒人コミュニティ(兼ねて言うけど一部だからね)や一部の海外の人たちの間で定着してくる。
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弥助を見つけたUbisoftが諸悪の根源とアサクリシャドウズを生み出してしまう。
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例のインタビュー「史実に基づいて、日本の専門家にも話を聞きながら作った」
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いろいろあって炎上し続け、今に至る。
何となくお分かりいただけますか。アサクリというビックタイトルは「歴史改変を世に浸透させるためのキーポイント」なんじゃないかと思います。諸悪の根源の男に利用された感は否めません……だからこそ「Ubi目を覚ましてくれ!」と、言っているわけです。
あと大きな問題があって、ポリコレやフェミが当たり前になっても、嫌だけど、嫌だから嫌って反論してるんだけど……常識(モラル)が変わるだけです。しかし今回のこの所業を許してしまったら「日本の間違った歴史が常識になる」わけです。
「真に黒人差別をしていたのは日本で、イエズス会はむしろ救済者」とか「日本人には黒人の血が流れてる」とか……あげたらきりがないそれら、反論しても聞き入れてもらえない現象が起きます。こういった面倒臭いパターンを日本人ならよく知ってると思うのですが、慰安婦(に、限らず植民地時代の状況)とか。ここら辺持ち出すと変な人に噛みつかれそうですが、インフラ整備したのは日本だし、ハングルの確立は日本の功績大きいし、慰安婦は自分からお金を貰うため売春した人たちで無理やりはしてないし、当時を知る人ほど親日の人多いし……と、いうわけ何ですがご存知でしょうか。
少し脱線しましたが、簡潔に言うと、黒人差別問題における被害者と加害者それぞれの自慰に付き合わされるようになりかねないという話。
資料という証拠は完全にはゴミになりませんし、例として慰安婦問題ですが、アメリカを仲介者として「これ以上賠償金を求めません」という約束事がとりつけられるまでになりました。ですが、どうでしょう、ヨーロッパを巻き込んで支持者を集めるやり口を続けています。これが、真に資料がゴミになるという事。
わかりますかね。
あと、海外では歴史やモラルは専攻でもしない限りは親が教えるものという国も少なくないので、個人的に危惧する大きいポイントです。世代を重ねてどんどんヤバいものになってしまう可能性が大きい。
と、言うのもあって。
打てる手は早めに強いものを打った方がいいですよね。今はそれです。
そして署名は暗に「協力か戦犯か、どっちを選ぶ」と訊いている趣旨が強いと思います。
アサクリ問題はもう既に、ただの1ステップですね。もはやこれは国一つの歴史を守るためのネット戦争です。毎日のようにレスバが繰り広げられる地獄絵図に、風刺芸術まで出てきたので本当にすごい事になった。
アサクリシャドウズが取り下げられるか、開発が日本人の味方として手のひらを返すか……どちらのコースになっても、それで収まる問題じゃない事はもうお分かりいただけたでしょう。おそらく勘違いしている人がいる度に指摘しなくてはならない、そんな長期戦になると思います。
さて、
自信満々のその解答、あってますでしょうか。
答えは……真田……
信繁です。
大正解の人はガッツポーズして誇ってください。とりあえず「誰だよ信繁って。幸村だろ?」とかって思った人はそこになおって話聞いてください。マジでしらない人はこの際知識を持とう。
これを間違えるのむりもないんですよね。
幸村という名前は本人は名乗っておらず、後世、江戸時代の小説家が勝手につけたものです。徳川幕府を誤魔化し世に出すためのカモフラージュ説が有力なので、リスペクトが欠けているわけじゃないです。ただし、小説が有名になってしまったために、史実がねじ曲げられてしまった。
教科書も幸村、歴史番組も幸村。一応「(信繁)」ってあるけど、幸村は創作の名前で本人と関係がないというコラムもない。これで間違って覚えないはずがない。
なんというか、こういった事例は日本にもいくらでもあります。まあ大きな違いは、指摘されたら「へーそうなんだ」って思える人が日本人はほとんどで、今歴史改変を行っている人やそれを信じている人はそうはならないところで、全然違うんですけど、なんでこの話が持ち出されたのか。
個人的に、日本にとって不利な部分だと感じるからです。間違いなく弱みとして持ち出されて足枷となる。
そこで国学。
古事記など日本の昔の書物は、実は江戸時代にはかなり存続が危うかった存在でした。しかし、本居宜長という人が記述を研究し、今に残されています。最高神が引きこもったり、尻毛や胸毛から木が生えたりするような面白い話が消えていたかと思うと、それだけで悲しいですね。
今回の問題だけでなく、移民など、国際化による問題というのは沢山あり、全て無関係ではなく、地続きだと思います。そんな中、国とは何なのか、民族とは何なのかが問われているんじゃないでしょうか。
《私の本当に個人的な考え方》
私の思う日本人は、日本の伝統を決して軽んじず、歴史と文化を守りたいと思う心が持てる人です。例え出身国が違っても、その心を持てる人であれば、もう日本人でしょう。逆に、文化財を傷つけたり、余所の国への配慮が圧倒的に欠ける人は、日本人であっても恥さらしだと感じます。
特に日本は、世界有数の古い国です。貴重な自分の国を守るためにも、歴史を知ることの大切さを、改めて痛感します。
と、いったことをごちゃごちゃと書き連ねる日記でした。最後に、署名文としてコメントする気満々だった英文を置いて終わりにしたいと思います。
ネイティブの方からすればおかしいところも多いでしょうが、自身の知識とネットの情報を擦り合わせて、近い表現を選ぶように尽力いたしました。私ごときの文で恐縮ではございますが、ご自由にお使いいただければと思います。
I like yasuke but I don't like this game.
Because,This game isn't understanding Japanese history and culture.
However,it say "This game is faithful to history".
What's worse it say "If you don't agree this game,it's proof of racist you".We thinking The biggest issue is this points.
everyone don't say"This is faithful to history",tuly understand the history and culture of Japan,we think…then it's ok,make it entertaining funny Japan.We will be fun and LMAO instead of angry.
For example,Many stupid Sengoku period games from Japan.
Japan have a"apologize anyway"culture.
You apologize anyway,say"This game isn't faithful to history,Funny Japan fiction make willfully by us"and"Yasuke isn't SAMURAI, but we really want to SAMURAI Yasuke appear our game.So we twisted the Japanese history"in all country interview.
If you inform correct information,A lot of Japanese will be convinced.
If you break a little courtesy,We stop sales all our might.
I hope perceiving mistakes you.
私は弥助が好きですが、このゲームは好きではありません。
だというのに「このゲームは史実に忠実です」と言っています。もっと酷い事に「このゲームに賛同しないのは差別主義者である証拠だ」とまで言われてしまっている。私たちが思う大きな問題はこの点です。
史実に忠実などと言わなければ、日本を理解した上で面白可笑しく娯楽を作る事は構いません。私たちは怒るどころか、大笑いしながら楽しむでしょう。
(事実)例として、日本産作品でも、戦国時代を面白可笑しく描写した作品はたくさんあります。
日本には、とりあえず謝罪をするという文化があります。まずは謝罪をし、全ての国のインタビューで「このゲームの内容は全てフィクションで、我々が勝手に面白可笑しく描いた日本だ」「弥助は本来侍ではないが、どうしても侍として描きたかったので日本の歴史をねじ曲げた」と言い、正しい情報を伝えれば、多くの日本人は納得する事でしょう。
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。
先生のお話を読んで我慢できず「SONYって良いぞ」と喋りに来ました!
「お前ズルいぞ!」と他党の者が言うのならお前も書くんだな!
SONYはオートフォーカスなのは間違いない!どんなに下手っぴでもシャッター半押しでピシッと決まる安心感
今のSONYの被写体認識は人間だけでなく動物や自動車(鉄道車両含む)、飛行機、昆虫が優先認識するので更に精度を高めることが出来ます
子供の運動会を動画撮影したときは「テレビのCMみたい!」と本気で思ったくらい我が子のばっちりオートフォーカスが追従していて最高でした
カメラファンの皆様!SONYもついに色味が統一されました!w
知らない人は「えっどういうこと?」と思うかも知れないけれど、SONYカメラってモデル毎の色味の差異があったんですよねw
そういうのが無くなるようにクリエイティブルックとして色味統一がなされ、この色味統一はSONYスマホXperiaにまで及ぶんですよ!
まぁ早い話が富士フイルムのフィルムシミュレーション的なことをSONYもやり始めた
SONYのレンズ交換式カメラαって今3つのラインがあるんですよ
1つ目がα7シリーズやα6000シリーズなどのスタンダードなライン、2つ目がSNS動画などカジュアルな動画撮影に特化したVLOGCAMライン、3つ目が映像広告や映画撮影まで視野に入ったプロユースのCinema Line
先生は動画撮影ならPanasonicを買えと仰ったが、いやいやSONYにもあるんですよ動画機!もちろんSONYのオートフォーカスなわけだから被写体から食いついて離さないわけですわ!
Cinema Lineは業務用過ぎて観測範囲外ですけれどもYoutubeやTiktokやってる子に売れてるらしいっすよVLOGCAM
バリエーションの豊富さの他の面としては小型フルサイズのα7Cシリーズがあり、SONYカメラの高機能性をまるでAPS-C機のようなサイズ感の小型ボディへ収めた素晴らしいカメラで、先生もα7CRを使ってらっしゃる
他の党の人たちもそうだろうとは思いますが、自分としては先生のあまりにも達観された使用機材ラインアップを読んでいて「M型ライカにα7CRですか!?」と笑いが止まらなかったわけですが、十中八九α7CRはLeica M11と同じくマニュアルフォーカスで使ってますよね?だからこそSONYのマニュアルフォーカス使いにくいって言ってますよね?Canonを見習えよとw
最近は中華レンズも大量に供給されていて何だかんだでEマウントは歴史が長くなりましたから高価で高性能なモノから安価で謎性能なものまでレンズの選択肢が豊富なんですよ
そしてマウントアダプターを介してオールドレンズを付けて遊べるわけですから本当に楽しい。他社だとコレに比肩できるのはXマウントのFujifilmくらいですね
オートフォーカスだけとか言ってるヤツ!SONYにはバリチルがあるだろう!
横に開くのがバリアングル液晶、縦に開くのがチルト液晶、SONYはα7RⅤにその両方が可能な液晶モニターを搭載した!これ最強でしょ!
"It's a true world"という文を含むコピペがあった気がするのですが、内容を思い出せません。
申し訳ありませんが、"It's a true world"という文を含む特定のコピペについて、私の知識ベースに確実な情報がありません。このようなフレーズは様々なコンテキストで使用される可能性があり、特定のミームやコピペを一意に特定することは難しいです。
ただし、このフレーズに似た表現や関連する可能性のある内容について、いくつかの可能性を挙げることはできます:
もし思い出せる他の詳細(コンテキスト、出典、関連する他の文章など)があれば、それを教えていただけると、より具体的な情報を提供できるかもしれません。また、このフレーズに関連して何か特定の情報を探しているのであれば、その点についても教えていただければと思います。
ああ、そうですね。今おっしゃった情報で、有名な「初カキコ…ども…」コピペを思い出しました。これは日本のインターネット文化、特に2ちゃんねる(現5ちゃんねる)発祥の有名なコピペです。
正確な全文は以下のようになります:
みなさん、初カキコを温かく見守ってください。
以上、初カキコでした。
このコピペは、掲示板に初めて書き込む人(初カキコ)の緊張や不安、そして形式的な挨拶を極端に誇張して表現しています。最後の "It's a true world." という英語のフレーズは、突然の唐突さと意味の不明瞭さゆえに、このコピペの面白さをさらに増しています。