はてなキーワード: 余命宣告とは
行きは親父が運転してた。
がんセンターに行ったけど、親父若すぎじゃねえ?なんで親父が末期なんだよ意味わかんねえよ。
受付してる時にビビったのはこの間母親の実家に行かなきゃ見たいな話してたのは聞いたけど、それが入院の連帯保証人とは思わなかったわ。
叔父もガンやってるんだよね、切れないがんとは言ったらしいから多分察してんだろうな。
とんでもねえくらいの癌家系だからわたしもガン保険入ってる。母親がまだなのが不謹慎だが謎。
午後から先生の説明だからそれまで一緒に居られるもんかと思ったら説明まで会えませんだってよ。
おいおいおい、3時間くらいだろ?最後に飯くらいいいだろ?良くねえのか。
とりあえず母親引っ張って神頼みでもしに行こうって誘ったけどそんな柄じゃないからってのと、雨降ってたんでやめて飯食って母親のがん保険見直して終わり。
病院に戻ったら時間ギリギリだったけど、主治医はもっと遅れてきてた。おいこら、時間を守れ。
俺の声、よく通るからな……。
通らない他の患者とかは話したりしてんのにね。
んで、説明聞いたけど、転移が数えらんないくらいしてて頭真っ白。
完治は難しいとかさ、余命宣告まではなかったけど、まあ免疫療法なかった頃は余命1年らしくて笑っちゃった。
あと100年生きろ。
それでも、話を聞こうとか、この状態なのに仕事復帰したいって望む父親に1番いい方法で診断書書いてくれとかは言えた。
わたしがやれることはやった。
あとは、知り合いの医療従事者が、状況が分かったら教えろって言ってたから伝えたら、退院後の説明された。はえーよばかwwwwwwwwwwありがとな。
辛いのは親父だから俺が弱音吐いてる場合じゃねえけど、こんな身近な人間がこうなったのは辛い。
絶対評価のしんどさならわたしは何も言えないけど、幸い相対評価でしんどさを分かってくれる友人が沢山いる。
昨日も母親を1人にしたのは申し訳ないが、友人宅に泊まらせて貰って弱音グダグダ言える場所借りれたし。
しばらく家出先にさせてくれるらしい。実家暮らしなのにありがとな……。
明日親父から連絡来て何かかわりがあったらまた更新するかもしれねえ。
弱る父親を見たくねえな……
今回の事件の元凶は自民党と統一教会が繋がっていたことと、同時に弱みに付け込まれて破産して家族を守れないほど実体のないものに金を注ぎ込んでしまった事例である。そもそも日本には信仰の自由がある。現金を巻き上げるカルト宗教を取り締まれと言っても「お布施は個人の責任、個人の意思で支払ったのだから合法」と言えばどうしようもないし、支払った本人が満足しているなら金の使い道を外野がどうこう言うことはできない(という理屈ははてな民が大好きな理屈だ)。たとえそれが洗脳によるものだとしても、洗脳であることを100%証明することはとても難しいし、洗脳だったと本人が認めることがかなり残酷でもある。
実体のないものに多額の金銭の支払いを求めること自体を違法化するなら、次はソシャゲのガチャが規制される。骨董品なんかも原価から程遠い額のものは規制されて、有名なアンティークだとしてもその価値も数値化できないので宗教と同様になる。骨董品はガラクタとなり、コレクターは拝金者として嘲笑される。おもちゃ博物館なんかも「そんなもの取っておいて維持費ばかり大変」と次々取り壊しにあう。
推し活と行って給料全部を推しに注ぎ込む行為もグレーゾーンになり、商業的にグッズもなかなか作れない状況になる。ファンの行為も宗教的と見なされて跡部景吾生誕祭なんかは完全にカルトの領域として「国家転覆を企む隠れ蓑になっていないか」と公安から監視され、薄い本やネットの夢小説まで検閲が入ることになる。
もちろんアイドル業界も大打撃を受ける。総選挙や握手券などで無駄にCDを買わせるなど言語道断。ファングッズなども原価での販売を強いられ、集客が出来ないということで歌やダンスというパフォーマンスはどんどん先細っていく。人々を扇動するという理由で反体制的なロックやラップは規制され、歌手は国家を讃える歌しか歌えなくなる。それすらも気持ち悪いというクレームが相次ぎ、歌を発表する人もいなくなる。
同様にかわいい動物や漫画ゲームのキャラクターも次々と自主規制が始まる。「信仰の対象」を捨てることがブームになり、本やグッズの大量廃棄が相次ぐ。ペットショップは閉鎖され、里親を探しても「かわいいからという理由で動物を飼育することは宗教に該当しかねない」と世話を拒否する人が続出し、社会問題になる。結果野良ペットが街に溢れることになる。
単純な趣味すら宗教と見なされ、車やバイク、登山やアウトドアなどの趣味は白い目で見られるようになる。「弱者を優先させずに個人の快楽に興じた」という風潮になるので、レジャー施設は軒並み閉鎖されてそこで動いていた金は障害者福祉へ回される。「自分の好きなことより弱者へ金を回そう」が合言葉になり、「施し」がブームになる。
これにより「弱者集団」が台頭し、事故で障害を負った者が「弱者集団」を形成して施しを受け取ることが奨励される。公安も「施し」なら良いと目こぼしをするようになる。
人々は労働に明け暮れ、趣味を持つものは宗教的と見なされ公安にマークされるようになる。レジャー産業や広告業界、芸能界は廃れて悪の拝金主義者と見なされる。テレビも公安の検閲が入り、ネットではファンサイトは死滅する。動画配信など以ての外だ。男女の出会いの場も減り、婚活業界が盛んになる。
やがて「施し」に過度な金銭の動きが見られるようになる。「うちの子はこんなにかわいそうなんです!お金を恵んでください!」「こっちは難病で死にそうです!かわいそうでしょう!」「余命宣告された母に美味しいものを食べさせてやりたい!母は牛丼という庶民的なものをよく食べます!」「キモくて金がないオッサンだから配偶者を恵んでください」「理解のある彼くん募集中」など金銭に留まらず様々なものが「弱者」という名目で巻き上げられるようになる。「弱者」の中でもアピールできる層とそうでない層で分かれ、「お前はまだ弱者アピールできないんだから恵め」と言われる。
次第に「弱者」は働かなくても生きていけるようになる。親は子供を弱者にしようとわざと事故を装い障害者にすることが流行し、エリート弱者になることが推奨される。どれだけ馬鹿でどれだけ弱いかが大事になるのだ。勉強なぞ以ての外。勉強なんかしたら「施し」がもらえないんですからねと甘やかされた子供が増える。ちなみに子供は無条件で弱者になるので一世帯50万円が毎月支給されるようになるので子供の数は増えた。
そんな中老人は「目先の欲のためにそんな弱者になることばかり考えていると痛い目に会うぞ、自分の好きなことをして生きろ」「こんな世の中は間違っている、実力行使しかない」と警告をするが、「国家に仇なす自由主義の手先」と公安にマークされて投獄され、山奥の作業所で監視されながら考えを強制される。「万歳!弱者優先の国家万歳!私たちの考えは間違っていた!自由など愚か者の考えだ!我々は弱者のために奉公しているにすぎない!この壺を原価で売って奉仕をするのだ!」
どうせいつかは死ぬんだし、自分が自分の死ぬタイミングを決めるのって本来はそんなに悲しいことじゃないはず
交通事故とか殺人とかで死にたくないのに死ぬ方が圧倒的に悲しいし
老衰で痴呆になって前後不覚で迷惑かけまくって死んでいくのも個人的には嫌だわ
「ブラックジャックによろしく」にあったみたいに実はガンで余命宣告されるような死に方ってその人にとっては理想的であって
残された家族とか周りの人は悲しいかも知れんけど、個人の死に方としては良い方だよな
自殺で周りが悲しむのって「助けられたかも」とか「その人を幸せにできたかも」みたいな感情から来てる気がしてて
それってかなりおこがましいことだし、他人の人生に深く干渉しすぎだよね
単純に亡くなったことが悲しいっていうのはあるけども
娘たちから、「ママは子供の頃は、将来何になりたかったの?」って聞かれた。
子供の頃……、今の長女と同じ年頃、10歳頃のことを思い出すと、本気でなにかになりたいと思ったことは、そういえばなかった。
何でなりたいものがなかったのか。その理由の一つが、私は幼い頃に病気で10歳までしか生きないだろうと、医者から余命宣告を受けていたので、誰も、私自身ですら、将来の自分に何も期待をしていなかったことだと思う。病気は小学校に上がる前にあらかた治っていたけれど、どうせ長生きしないんだからという投げやりな気分だけは、長く残っていたのかな。
小学校の高学年になると、将来の夢について作文に書かされたり、夢を叶えた自分の姿を紙粘土で作って授業参観で発表するとかいう機会があったから、殆ど強迫観念みたいに、夢は持つべきものだと思って、なりたいものを次から次へと言いだした。占い師だとか獣医だとか、色々。でも、本気でなれると思ったことはなかった。
中学の頃からは漫画家になりたいと思っていた。思っているだけじゃなくて、自ら言いふらして歩いていた。でも、本当は漫画なんか1ページも書いたことがなかった。毎日、高校受験の勉強の合間に、10分間だけクロッキーの練習をしただけ。それでもいつか漫画家になれると思っていた……そうだろうか? 本当は、将来というものにおそれをなして、ただ現実から目を背けるためだけにデカい声で「漫画家になる!」と叫んでいただけだと思う。子犬が真夜中に親を恋しがって遠吠えをする、その鳴き声とあんまり違わない叫びだと思う。ただただ不安だったから叫んだ。自分は人間だから「ワンワン!」と叫んでいるわけにはいかないので、なんか意味のありそうなことを叫んでみただけだろう。
まあ、そんなわけなので、ママには将来の夢なんか一つもなかったんじゃないかな。なんて、私はちゃっかり漫画家になりたかったことだけは抜きにして、娘達に話した。長女が最近、「将来は漫画家になりたい」と言っているから、余分なことを吹き込みたくなかったというのもあるけれども、やっぱりそれより、中学時代から数年(なんと大学を卒業するまで!)の、自分の弱さと情けなさにいまだ直面したくないというのが本音だ。
0歳時点で余命10年と宣告された私だが、もう40年近く生きてきた。十分に生きたし、子供達のことや老後のこととかはあるにしても、将来に不安とか、別に感じる必要もないわけで。近くの問題から目を背けるために遠くを見る必要はないのではないか? と思うと、単純にやりたいことと純粋に向き合えると考えた。なので、最近は昼間、私以外誰も家にいない時間は一人でパソコンに向かって小説を書いている。毎日毎日、まるでそれが仕事であるかのように書き続けて、すごい馬鹿だなと思う。
小説サイトに投稿すれば、読んで好きだと言ってくれる人がたまにいる。だがwebのコンテストに出品しても、掠りもしない。でもまだ出版社の原稿募集だけはチャレンジしたことがないので、次に挑戦するならそれだよなって思う。
うちの母は直腸がんで死んだけど
医者の余命宣告が誤差1週間以内で的中して(もちろん偶然なのも分かってはいるが)医学ってすげぇなと思った。
もうすぐ死にま~す!って時はもう会話どころか意識がないし
そろそろ死ぬかもって時は体力もないしナーバスになってて会話どころじゃないし
フィクションみたいに病床で感動的な言葉を残すみたいなのは起きないんだな~って思ったわ。
変な民間療法吹き込むと どうせ死ぬなら「リスクのある正規の治療」より「リスクがない(効果もない)眉唾療法」の方がいいか っていう思考になって
セカンドオピニオンとかも一切拒否するようになるから気をつけろよ。
あれは全部死にゆく者がそのコミュニティ内で強固な発言権を得ることに漬け込んだ詐欺で、とにかくありもしない甘言をならべ現行医療をこき下ろすことで死人が易きに流れるようにしてる。
残された家族は「俺がもっとし強引に治療させていれば」って言う自己嫌悪だけが残る、もちろん「どうせ死ぬなら自分で選びたい」と言われれば強引になんてできるわけもないから無意味な後悔だが。
ちなみにうちは医者から「もうマジで死ぬから病室こいや」って言われてから1時間待たずに死んだ。
仕事中で色々片付けてから会社出て病院まで走っても間に合わなんだ、親戚一同揃ってて「息子間に合わなんだの?」って視線に晒され相当気まずいから高速移動の準備はしておいた方がいい。
最近余命宣告された末期癌の人とか重度の障害者の人のブログやネット記事を見に行くことが増えた。
希死念慮が和らぐんだよね。
裕福な家に生まれて美しい容姿と心と優秀な頭脳を持って順風満帆な人生歩んでる人が不慮の事故とか末期がんで死んだりしてるとこんな恵まれた人でもいきなり俺以下になるんだなーって何かワクワクする。
俺が道端で野垂れ死んでも誰も何も言わないだろうけど そういう人が死ぬともう世間は延々大騒ぎしてくれるからすげーなぁもったいなかったねぇ価値のある命だったのにねぇと思う。
すごい奇形とか重度の脳性麻痺の人とか植物状態の人の記事もよく見る。
こういう人たちは生まれた時から恵まれてないわけだけどそれでも無償の愛を注いでくれるわりと良い両親がいたりしてすげ~ってなる。
タイトル通り、2年前に母は48歳の若さでこの世を去った。ガンだった。
定期健診でぼんやりとした影が見つかったからと精密検査をして、でも開いたらもうどうしようもない状態だったみたいで投薬治療もしたけれどだめだった。
末期のころはもう呼吸もうまくできなくて、苦しそうにしていたのを覚えている。
やっぱりもっと長生きしてほしかったけれど、変わらない運命なら2年前に亡くなっていてよかったんじゃないかと最近思うようになった。
母は余命宣告から半年は頑張ってくれたので家族で旅行や食事にもいけたし、お見舞いだって好きなときに好きな人数で行くことができた。
病室で最後を看取ることも、手を握ってあげることも、お葬式をあげてあげることも出来た。
親しい人の死をまじまじと突き付けられるのはとても辛くて逃げたくなったし、涙だって止まらなかったけど
何回まばたきしても変わらない、動かなくなった母を受け入れるための時間は(火葬までの限りがあるとはいえ)きちんとあった。
もし母が病気になったのが今だったら上に書いたようなことはほとんど許されないだろう。
緩和ケアなんかも十分受けられないだろうし。
Yahooの検索履歴。わざわざ調べるような事ではないとは思うけど、つい調べてしまった。
人に聞くよりはマシだと思った。もちろん記念すべき第一回目の誕生日では、そんな事は気にも止めなかった。自分が欠陥人間になってしまったのは、多分記念すべき第14回目の誕生日ぐらいからだろうか。それまでは、一年に一度訪れる、いつもとは違う特別な日という印象。食卓のド真ん中に陣取るホールケーキと、それを取り囲む家族の嬉しそうな顔。それを見るだけで、その日が訪れるのを何日も前から心待ちにしたし、歳の数だけロウソクを吹き消すという行為にも、何の疑問も持たずに全力でやる事が出来た。元凶はSNSだ。僕が中学生になると、Twitterやらmixiやらと、あれよあれよという間にSNSが発展した。それに伴い、自動的に他人の誕生日を知るようになった。今までは仲の良い友達4、5人程度の誕生日しか知らなかったのが、この突如現れた黒船によって、まだあだ名で呼ぶかどうかの瀬戸際にいる人達の誕生日まで分かるようになったのだ。そしてその度に祝う。自分が祝われたいから、祝う。これは戦闘力だ。誕生日にどれだけ多くの人から反応してもらえるかで、その人の戦闘力が表示されるようになったのだ。健全なる少年少女の内側に秘めていた『有名人になりたい症候群』を目覚めさせてしまった。そこからは地獄だった。(そんなゆるい地獄はないが)そして僕はその承認欲求のレースから早々と脱落した。ある時、ふと思ってしまった。『疲れた』そこからは早かった。『誕生日 祝う 理由』簡潔な疑問。『そもそも人の誕生日って、そんなにめでたい事か?』欠陥人間の産まれた日。
誕生日を迎えた朝、鏡で自分の顔を見る。昨日と全く一緒だった。全身を眺める。何も変わってない。人間はゆっくりと変化する。『背伸びだね』『声低くなったね』久しぶりに会う友達にそう言われて、初めて自分が変わった事に気付く。異性だと、7割増しで誇らしい。5歳になると額からツノが生えて、10歳になると背中から羽が生えるのなら、俺は今誕生日を迎えたんだなと実感する事が出来た。自分が何か明確にレベルアップした要素がないのに、年を一つ重ねてもワクワクしない。例えば、初めてハイハイ出来るようになったとか、初めて言葉が喋れるようになったとか、昨日の自分とは何か違う要素が一つでもあれば、腑に落ちるし、それを祝う理由も分かるのだ。誕生日は、自分からその事を言わなければ、誰からも気付かれることはない。自己申告なのだ。『もしかして今日誕生日でしょ?』と聞かれても、それは完全なる勘だ。一か八かで言ってみただけだ。
更に誕生日は一年に一度、生きてさえいれば確実に訪れる。それはこの世に生きる全ての人のスケジュールに刻み込まれているものだ。全員に訪れるものならば、それはもう当たり前の出来事だ。もちろん当たり前じゃない人もいる。産まれながらにして、余命宣告を受ける人も中にはいる。でもそれは少数だ。大多数の人は、何事も無く歳をとる。例えば今が戦時中で、若者の死亡率が50%を上回ってるなら、誕生日が特別なものだと感じる。現代の日本は平和で、不運な事故にでも遭わない限り、生き続ける事は出来る。勿論それはとても幸せな事だ。幸せな事ではあるが、一般的に考えると普通のことだ。100歳からだ。僕の中では、特別感が産まれるのは100歳の誕生日からなのだ。その時だけは『おお、凄えな』となる。長々と説明してきたが、もちろんこれは僕が勝手にそう思ってるだけで、今まさに誕生日を迎えて盛り上がってる家庭にお邪魔して『そんな事する必要あります?』なんて場を白けさせるつもりはない。でも100歳からなのだ。俺は100歳まで生き続ける。そしてその時が来たら、近所中に自慢する。自己申告する。俺の生命力を声高々に。祝え、祝え。100年間我慢したんだ。今日だけは祝え。
いやそんな仕事もしてないんですけど無能すぎて振られんってことなんですよね
いっそのことクビにしてくれって思うけど昨今の事情により解雇すんのめんどくさいらしいという噂を聞きました。自らクビをはねるしかないんか
退職するのヤダな〜って何となくドアノブにベルト引っ掛けてみたんですけど退職する勇気すらない奴がこの世からバイバイするなんて無理に決まってましたね
変わる気持ちも無いのだからやっぱ死ぬしかないわけでも死ねないから面白いですね
私がよく妄想するのは難病やら余命宣告された人の代わりに死ぬっていう自己犠牲(笑)に溢れた妄想なんですよね
でも実際には死にたくない思ってる奴は死んでそうじゃない奴がのうのうと生きるわけですよほんと狂ってますよ
とにかくしにたいんですけど自分でやれないので誰か殺してくれってやつですねここまで受動的なのが社会無理な原因でしょうね皆さんは頑張ってて凄いです
ニューパラじゃなくて
『みんな元気 (Stanno tutti bene) 』の方が1億倍好きなんだよなぁ
ボヘミアン・ラプソディーよりもグザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり(Juste la fin du monde)』の方が刺さった
主人公の設定は、ゲイで余命宣告を受けているそこそこ社会的に成功している若手作家、
自分の死期を伝える為に家族の住む片田舎へ12年振りに帰ったが・・・・・という話
ネタバレすると死期を告げることも家族と和解することも出来ずに終わるが、
これでもあったか家族な方じゃねぇかな?って思った (あの後にワンチャンはありそう)
一方、映画ボヘミアン・ラプソディーは、
家族に拒絶されてなければ、家族に甘えられないということも特になかった
加えて、そこそこ成功どころか、世界的に成功もしているし、友人も恋人もいる
みんな泣いていて少し居心地が悪かった
Aさんが自らの超絶不摂生で体調を崩し、医者にかかったら軽くおどかされたらしく、この世の終わりみたいな顔をして仕事をしている。著しく肉に偏った食生活をしていたらこんなことになったからといって、今度は野菜しか摂らない生活に切り替え、最近は体調がいいなんて言っていた。肉は野菜に比べて栄養摂取効率がいいということは無視。結局バランスの問題。中学の家庭科の教科書読んだ方がいいですよと私は言った。
Aさんは、最近まで通っていた病院で二週間くらい「様子を見ましょう」と言われて薬を飲むだけの治療に痺れを切らし、親の勧めで別の病院を受診したら、またも医者に真顔で「症状が出た以上は看過は出来ないですね」と言われたそうなのだが、それを余命宣告のように受け取ってショックを受けてしまっていた。数日前に血液と尿の検査を受けて今週の火曜日まで結果待ちと、今にも死にそうな顔で言う。
ま、血液検査してから日数経ってるのに病院からお呼びだしのお電話来ないんだから大丈夫じゃね? と私は思わなくもない。他人事なので、とことん心配していない。
昨日は雨が降っていたから暇かな? と思ったがそんなことはなかった。出掛ける場所がないと人はコンビニにぶらりと来がちというのはコロナに限らず、長雨でもそうなのだった。昼間はけっこう降っていたのに、近くの野球グラウンドで試合かなんかがあったらしく、ユニフォームを着て泥をいっぱい靴に着けたお客様達が来店。なかでもものっすごい泥だらけの靴を履いていた中高年男性なお客様は、二枚ある玄関マットのうち店内にある方のマットで「帰りに」靴をめっちゃ拭いて帰っていった。店内にはそのお客様の足跡が沢山残っていた。
21時頃に暇になったとき、Aさんが
と言うので、
「そしたら私達、要らないからクビです」
と私は答えた。レジが完全自動、しかもお客様のほとんどがマイバッグ持参。それでは店員のやることなんか品出しと掃除くらいだし、そんなの一人で出来ることなんで、本部がどのような決まりを設けようが、現場はきっとワンオペが常態化する。特に夕方からは。
しかも、今までよりも業務が楽なんだったら今までと同じ給料をくれてやるのが惜しくなるオーナーがほとんどだと私は思うので、何か理由着けて今まで雇っていた人をクビにするだろう。Aさんなんか今まで悪いことし過ぎなので、これを機にとばかりにクビを切られそうだなー。私は悪いことは何もやってないけど週3しか入ってないし夜勤出来ないからAさんよりも前にクビだと思うし。
そもそも、当店のオーナーはなにげにこれまで沢山儲けてきて裕福なので、もう真面目に店を経営していく気がなかったりする。自分の健康に害だから店を畳んでしまいたい人なので、私達が今まで通り当店で勤められるのも長くてあと数年なんだけれども。
あまりにも気持ちが整理できず、色んな思いが錯綜し毎日が辛いので今の気持ちを書き記したい
幼い事から両親が共働きで帰りが遅い為、小学生の頃は毎日祖父母に面倒を見てもらっていた。
中学生になり、塾にも通い出し祖父母と一旦距離を置いてしまったが
高校時代では祖父が送迎をすると言って聞かなかったので、言葉に甘えて送迎されていたので
この時も晩飯も一緒に食べたり、勉強する為に祖父母の家に閉じこもったり、いっぱい面倒を見てもらった
大学時代は県外に出て、一人暮らしをしていた為、あまり合う気機会が無かった。
そしてその間に祖父がボケてしまった。毎日の様に話し相手になっていた僕が居なくなったので
会話をする機会も減り、体調を一度崩し入院した事も相まって、今では要介護レベル3になり
大学を卒業し、社会人になる時に祖父母宅に近い、アパートに一人暮らしする事にした。
一人暮らしになってしまった祖母を少しでも助けれるようにと、自分からそうした。
そして数日前、祖母が緊急で入院をした。そして膵臓がんステージ4であった事が判明。
発見が遅れた為、もう手術はできない。十二指腸全てが、がんによってひっついてしまうぐらい進行しているらしい。
その時、ちょっと胃が痛いなぁと言っていたので、明日病院言ったら?と一声かけた。
祖母もそうだねと言い、翌日通いつけの病院に行き、血液検査をしたら、肝臓の数値があまりにもおかしいので
いきなり過ぎるよ、祖父母の中で一番元気で、一番長生きすると思ってたおばあちゃんがあと長くて2ヶ月なんて。
抗がん剤使ったらもう2週間以降は寝たきりなんて。あまりにも短すぎるよ。。。
今日も病院に行ったらおばあちゃんはいつも通りに元気そうに、僕の名前を呼んでお見舞いありがとうと言ってくれた。
その顔を見る度に、涙が無限に溢れてくる。おばあちゃんはまだ病名を知らないので、いつ頃退院できるんだろうねぇとか
おじいちゃんいつ頃、面会できるかなぁって言うんだよね。もう2週間しかこうやって話したり、笑ったり、出来ないのに。
残された日数、毎日面会して、おばあちゃんの生き様をしっかり見届けようと思う。
この年になるまで、祖父母が全員、健在してた為、初めて本当に身内と呼べる人が亡くなるであろう状況になったけど
こんなに辛いとは思ってもいなかった。
鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃになってきたのでこれぐらいにします。
どしたん余命宣告うけたんか?
がんの闘病ブログを読むのが好きなのだがおおっぴらに語りづらい趣味なのでここにその醍醐味を投下しておく。
闘病ブログに何を求めているのかといえば、自分の死についてのシミュレーション代わりに、というのが一番大きな理由になるだろう。自分もいつか死ぬわけで、その時にどのような考えを抱くのか。どのような苦しみを抱くのか。それを、他者の闘病経験を通じてシミュレーションしたい。いろいろな闘病ブログを読み漁ってきたが、迫真の筆致で綴られる生への希望、そして死への恐怖は、こちらの胃まで痛くなってくるような切迫に満ちている。ぜったいにこうはなりたくないと思う。
いくつも読み漁っていくうちに、そこに明らかに自分がエンターテイメント性、おもしろさを感じているし、それを求めていることに気づくようになる。たとえば、50代とか60代の、いってしまえば死ぬことに何の不思議もない年代の人間が死ぬ闘病記よりも、20代や30代や40代といった働き盛りの自分ががんになって死ぬなんて考えたこともないような人間の闘病記の方が、やはりおもしろい。その年代の人々には子供や家族がいるケースも多く、なぜ自分が、という絶望が、深く刻み込まれている。絶望は深ければ深いほどおもしろい。子供がおさなく、自分が死んだあとこの子は、家族はどうしたらいいのかという苦悩が書き込まれていると心が踊る。
それどころか、いつしか闘病記を読む時に、死んで終わってくれと願うようになった。自分の死のシミュレーションとして読んでいるので、生き残ってしまわれたら困るのだ。闘病記は、だんだんと執筆者がまともに文章を残せなくなり、最後に家族がその死を報告して終わるべきだろう。そう思うようになった。何十もの闘病ブログを読んできて、治って元気になってしまった時ほどガッカリすることはない。死んでこの暗い欲望を満たしてくれ、それもできれば、少しでも生きようという希望と、死に対する恐怖を細かく書き込みながら、と願ってしまう。
こういう欲望を持ちながら闘病記を読んでいる人は数多くいるだろう。口では奇跡を祈りますとかなんとかいいながら、心の底では死を願っている。これまでもたくさん楽しませてもらったので、せめて、自分が余命宣告レベルのがんになった時は、できるだけ自分が理想とする闘病ブログを書き上げてしんでみせようと思う。
余命宣告を受けたら、自分の好きなことをして生きても、もはや何も楽しくないと思うのだ。
むしろ、余命宣告は人生がいつまでに終わるという保証でもあるわけだから、
じゃあその期間までなら…と、生きる苦痛に耐える意欲が湧いてくるはず。
なので、余命宣告を受けても、死んでも悔いが無いような好き勝手な生活を送る気は無い。
むしろ、面倒でやってこなかった人生の課題に取り組みたいと思う。
例えば土日を潰して社会奉仕に励みたい。手を抜いてた仕事で業績を挙げたい。
社会的要請である結婚をして身を固めたい。まあ相手など居ないけど。
そういった普段なら絶対やりたくない人生の課題も、仮にどんな苦しくたって宣言された時期には終了する。
だから、取り組む気になれる。期限が切られているのも良いことだ。ようやくそれらをやり遂げられる気がしてきた。
そしてそれらは、死後に審判が下されるというのならば、ささやかな路銀にもなるだろう。
俺用メモです。
韓流なんか見てたまるか、と思っていた基本韓国嫌いの俺ですが、ステイホームでうっかり「愛の不時着」を見てしまい、以来すっかりハマってしまいました。
良いものは良いと認めざるをえない。
というわけで俺のおすすめするトップ10+くらいをできるだけネタバレしない範囲で紹介したいと思う。
1話、3話、最終話のラストシーンは涙。全編を通して人生訓にもなるような考えさせられる深い名言の宝庫。どん底から這い上がるたくましい生き方に共感する。「強く願えばいつか叶う、意外な方法で」 パク・ウンビンの歌唱力に脱帽した。
ウ・ヨンウ弁護士を好演したパク・ウンビンの魅力全開。韓流時代劇にはハズレなしだと思う。数奇な運命により、女であることを隠して王となり名君として良政を行う。女として生きたいが生きられない悲しみ。そして最後にたどり着く女としての幸せ。「欲しいものが一つだけありました。かんざしです。」最終話は歴史に残る名作といってよい。
君の名は。に大いにインスパイア()されたタイムリープ恋愛サスペンス。恋愛物だがサイコサスペンスと謎解きがあり、時系列と人間関係を立体図に書いてメモっていかないと頭の中がこんがらがるくらい複雑に絡んだストーリー。数々の伏線がラストで見事に回収されていくとても練り込まれた脚本。終わり方が本当に切なくて美しい。君の名は。のオマージュ?というかそのまんまだけど。
76話もあって見終わるまで骨が折れるが、バカバカしくも続きが見たくなるよくできた秀作で結局最後まで飽きずに楽しく見られた。長かっただけに終わってからのロスが激しい笑
心優しい、優しい世界の話。自閉症スペクトラム障害で人の心がわからないが写真記憶能力を持つ天才が弁護士となって活躍する。ウ・ヨンウ弁護士がとにかくかわいい。物語がとにかく優しい。心救われる映像と物語。現実的じゃないとかやぼったいことは言わない人へ。
なんかタイトルからして北朝鮮から逃げてきた人の話かと思ったら全然違った。人生なんてろくなことない、ただ心を無にしてやるべきことをやるだけ・・・という諦観の境地に達してしまった不遇な女性が、心を許せる「ヤクザ」と知り合って、互いに惹かれていく。自分のこころを解放していく日誌をつける。人生がつまらないと心を閉ざしてしまったあなたへ贈る、こころが救われる物語。主題歌が耳に残る。
「恋慕」が明らかにインスパイアされてそうな、恋慕より数年前に制作された似たような作品。こちらは女性が男性と入れ替わるのではなく、庶民である道化師が王様と瓜二つであったことから数奇な運命に巻き込まれていく。最終回はいろいろあったが一応のハッピーエンドでホッとする。
ラブコメみたいなタイトルだがコメディ要素が一ミリも無いとても重い話。不幸な生い立ちのせいで社会の底辺で生きてきた少女が、人生に生きる意味を失っているものの誠実で心優しい「おじさん」と出会い、互いの人生に影響を与えていく。ヒロインが韓国のトップアイドル歌手と知って驚いた。演技力素晴らしい。最終話は観ながら一時間ずっと泣いていたくらい。誠実な二人の幸せな未来を感じさせるラストが素晴らしい。
私が人生で一番泣いた作品かもしれない。登場人物の全員(ただし犯人を除く)に深く深く共感できる心理描写にとても優れた作品。
不遇な人生のせいで自己肯定感がどん底に落ちた未婚のシングルマザーが、苦労して苦労して子育てをする中、褒めて褒めて褒めまくるスーパーポジティブマンの警官に出会って立ち直っていく話。身近にありそうな人生ドラマであり、恋愛ドラマとしても素晴らしく、サスペンスドラマ(殺人事件を軸に話が展開していく)としても秀逸。笑いもある。主人公の男女がとにかく魅力的。子役も魅力的。演技力凄い。最後まで視聴した後の読後感(余韻)が素晴らしい作品。
ビジネスドラマであり不遇な青年の人生をかけた復讐劇でもある。その点でよく半沢直樹っぽいと言われるが半沢直樹がオモチャに見えるほど脚本が素晴らしい。群像劇なので登場人物それぞれの人生が並行して描かれるが、どの人物もとても魅力的。恋愛ドラマとしても秀逸。
「貧乏な男との結婚はイヤ。だから好きな男は私の手で成功させる。私が努力してあなたを金持ちにして差し上げます。」という恋愛観が衝撃的であり新鮮であり新しい女性像を描いていると感じた。
トランスジェンダーや肌の色の違う外国人への差別問題を扱った社会派作品でもあり、彼女ら/彼らへの応援歌でもある。これも読後感(余韻)が素晴らしい作品。泣けるシーン多い。
ビジネス恋愛ドラマ。IT系スタートアップ企業が生まれて成長していくさまがわりとリアリティをもって描かれている。恋愛ドラマとしても秀逸。笑い多め(3話ラストで死ぬほど笑ったw)恋愛ドラマとしてはラストの切なさが半端ない。結末には賛否両論あるようですが私はあれで良かったのだと思っている。メインキャストの一人、ジピョンは名前の文字を並べ替えると「手紙」になるというアナグラムになっているそうだがそういう緻密で心優しさに溢れる脚本が素晴らしい作品。あとシャレオツな音楽がとてもいい。OST(サウンドトラック)は必聴。
クッソしょうもない笑いあり、シリアスあり、派手目なアクションありの総合エンタメ作品。基本的には恋愛ドラマですが北朝鮮の生活などが興味深く描かれておりエンタメ作品として極めて優秀。笑えるシーン多め。登場人物みんなに愛嬌があり魅力的。メインキャストではない二人のサイドストーリーの悲恋に号泣。このドラマも音楽がとてもいい。Flowerという曲の和訳を読んで泣いた。サントラ欲しくなるドラマのNo.1でもある。
ストーブリーグとはプロ野球の世界でオフシーズンの冬の間の公式試合のない期間のこと。万年最下位で荒れたチームが門外漢のゼネラルマネジャーを迎えたことで劇的に変化していく。マネジメントとは何か、リーダーシップとは何かを考えさせられる。世の中の企業のトップ、経営者やチームのリーダーとなる方々に是非見てほしい作品。
サスペンスあり、子育てに悩む母親の姿あり、嫉妬あり、多くの要素が絡み合った複雑なドラマだが根底にあるのは女同士の真の友情と思いやり。前半は子育て中の、あるいは子育て経験のある男女ならとても胸にくるものがあるのではないだろうか。子役の迫真に迫る演技もすごい。韓国ドラマはどうしてこれほどまでに心理描写に優れているのだろうか。
ラストまで展開が読めない見事な脚本で、終わった後の余韻も良い。41歳のイ・ヨウォン(ウンピョ)が美しい。音楽も良い。
人生の大半を共に過ごしてきた3人の女友達の友情物語。三人のうちの一人が病気で余命宣告されてしまう。親友っていいな、というお話。
フェンシングのスポ根物語かと思ったら、友情あり、恋愛ありのごった煮の青春群像だった。いろいろ設定が非現実的だけど心理描写がうまくてとにかく泣けるドラマ。ラストはハッピーエンドではない。後味が必ずしも良くないけどドラマが終わって振り返ってみると色々なことがあった約20年間の出来事が一つ一つ思い出深く、本当にこの5人の若者たちと自分も一緒に青春を過ごしてきたかのような思いに駆られる。記憶に残る作品。青春ていいな。
注:韓国では数え年のようで、実際の年齢はマイナス2歳して下さい。(23歳と19歳)
これは極端な反日感情描写を含むので日本ではあまり宣伝されないが、大河ドラマなみの超大作だと思う。完成度の高い傑作。朝鮮の「ザ・ラスト・お嬢様」と、偶然に彼女の人生にかかわってしまった3人の男たちを中心に、李氏朝鮮が崩壊していく時代の流れに翻弄される数奇な運命を描く。切ないお話。
笑いに全振りした恋愛コメディ。サウンドエフェクトの使い方が面白くて笑える。泣けるシーンもある。全編楽しんで見ることができ最後まで飽きない。悪人が一人も出てこない。登場人物みんながそれぞれとても魅力的。
幼馴染の男女の成長の物語。7話くらいまでかったるいけど8話あたりから面白くなってくる。最後まで見てとても後味のよいドラマ。ハッピーエンドなのもいい。そして音楽がほんといい。サウンドトラックを買いたくなるレベル。
キム秘書ことパク・ミニョンさんはもう完全にコメディ女優になってしまった笑。基本コメディ貴重の恋愛ドラマでラストもハッピーエンドだけどあんまりスッキリしないなあ。ミニョンちゃんが可愛いだけのドラマ。まあ見ていて飽きないしドラマとしては面白くはある。
ビジネスドラマ。「未生」とは囲碁用語で、まだ安全が確定されておらずいつ死ぬ(相手に取られる)かもわからない碁石のこと。囲碁棋士を目指して挫折した青年(学歴ナシ)が26歳で初めて一般企業にインターンとして勤め、ボロボロになりながらも人間として、ビジネスマンとして成長していく様子を描く。社会人経験のある人なら涙なしには見られない真面目なドラマ。韓流には珍しく笑えるシーンはあまりないド真面目一本勝負。就活を控えた学生達にはぜひ見てほしい作品。最終話は完全に蛇足で無いほうが良かった。
ヴィンチェンツォとは人名「ビンセント」のイタリア発音と思われる。イタリアマフィア一家のコンシェルジュ(最高相談役)として上り詰めた弁護士が韓国に隠した財宝を取り戻すため帰国し、市井の人々と巻き起こすドタバタ劇。基本的にはコメディで泣ける要素はあまりないがサスペンス要素もあって面白い。
韓国の財閥一族の熾烈な権力争いを描くドロドロの昼メロサスペンス。泣ける要素はあまりないが面白かった。
プロ野球チームでエースピッチャーだった兄が、暴漢に襲われた妹を助けたものの過剰防衛で犯人を殺してしまい刑務所に投獄される。プロ球団からも解雇され引退か、となるが刑務所内で地道に練習を続け、最後はプロ野球に復帰するという物語。淡々と進むストーリーで退屈な部分もあるが、いいドラマだった。
検事ドラマ。腐敗した検察庁の悪を暴こうとする若い検事と女性刑事。シーズン2は退屈でイマイチだった。
トッケビとは韓国に伝わる妖精?妖怪?みたいなもの。輪廻転生を超えた普遍の愛を描いたファンタジー。一大ブームを起こした作品のようですが私には合わなかった・・・
人気があるみたいですが私には合わなかった。登場人物にあまり魅力がない気がする。共感できなかった。
25歳の女性が浜辺で拾った古い腕時計を巻き戻すと自分だけ時が進みおばあちゃんになってしまう。見た目おばあちゃんの中身25歳が繰り広げるドタバタ劇。ネタバレになるので書かないがラストであかされる真実はとても重い話だった。
とりあえずこんなところで・・・