はてなキーワード: 伝家の宝刀とは
幼稚園について書いた増田だけど、幼稚園は選べるけれど公立小学校は選べないみたいなのはあるなぁとちょっと思った。
幼稚園の場合、各園で面倒くささに大きな差があり、特色も違うので親が自分に合うものを選べばよかった。
例えば、登園。
クレヨンしんちゃんみたいに家の前まで幼稚園バスがお迎えに来るところから、集合場所に連れて行くところ (その後、毎日ママ会 orz)、親が連れていくのが当たり前のところまである。
例えば、保護者会。
別に来ても来なくてもOkなところから、毎月の参加 + 平日のイベントに保護者お手伝いが当たり前みたいなところまである。
毎年、各園児と保護者のプロフィールを載せたパンフレットを作成 (当然、保護者が情報を提供するし、保護者の中の委員がパンフレット作製をやらされる)があったり、
毎年、なにかの役員をやらないといけない所から、ごく少数の役員だけ大変いうところまである。
例えば、お弁当。
完全給食のところから、給食にするか選べるところ、毎週決まった曜日に必ず給食を食べるところ、完全弁当まである。
例えば、延長保育。
延長保育が全くないところ、長期休暇に無いところ、有料で実施する所などいろいろある。
例えば、園庭。
広い、狭い、遊具の数とか。
例えば、規模。
園児1学年5クラス以上で100人オーバーのところから、園児1学年1クラスで20人くらいのところまである。
男女ともに雇用されているところもあれば、完全な女社会ってところもあるね。
公立小学校は住んでいるところで一律ここって決まるから、いくら面倒だと聞いていてもよそを選べないというのはあるなぁって思った。
まあ、面倒でも多かれ少なかれどこでも同じって感じだと思うけど...
教育業界はなんでも教育の一環で...という伝家の宝刀を取り出して変わろうとしないところがあるし、外の力を借りることに否定的な感じがあるよね。
それでもって、予算がそんなにないから、受益者負担として親に負担させざるを得ないものも多いんじゃないかな。
だから少子化が...と思うなら、もう少し子供にお金をかけてくれる人たちを選挙で選びたい...けど、そんな奴いねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!
ウクライナとロシアはお互いに戦車をぶつけ合っているからお互いに主張をぶつけ合えるんだ。
もしも片方だけが戦車を持っていたら交渉のテーブル自体が最初から生まれなかっただろう。
少なくとも、交渉のテーブルの上でウクライナが発言力を持つ事なんできず、朝鮮戦争のようにどこかの傀儡となるのが関の山だったはずだ。
たった一言、心の奥底で伝家の宝刀として持ち合わせなければ何も始まらないものが有るのだ。
「俺たちの意見を蔑ろにするなら、俺は最悪お前らと刺し違えるからな」
このたった一言を胸に誰もが収めていて、始めて交渉が始まるのだ。
大人だけが銃を持つ社会で、子供だけが銃を持つことを禁じているというのは、子供に交渉の権利がないということだ。
屋台の店主が釣り銭をちょろまかしてきたとき、大人であれば縺れた交渉のはてに相手の五体に銃弾を撃ち込むという選択肢を胸ポケットに入れたまま交渉に挑めるだろう。
そうなればどんなに世の中を舐め腐った店主だろうと、最後には銃弾という神の目を恐れうやうやしく罪を認めるはずだ。
だが、子供にはそれがない。
それは公正や正義を司る神の庇護から外れて生きていることにほかならない。
騒ぎ立てても「子供の言っていることですから」とはぐらかされても、その舌に鉛の鉄槌を叩きつけることが出来ないのでは、そこに交渉など発生しない。
ただ、子供という存在に対して慈悲を持って接しているだけなのだ。
対等に扱おうなんて気持ちはどこにもない。
そんな社会でいいのか?
子供が銃を持つことに対する是非についての議論は、ある特定の人間を交渉のテーブルにつかせる事を許可しない社会を容認するのかということだぞ。
まあ俺はそれでもいいと思うけどね。
ボケた老人からは運転免許証を取り上げるべきだし、免許さえ取り上げられた機能障害のポンコツに対しては慈悲を持って接してやるべきだ。
だが、そういった他人を見下し権利を制限することに端を発する社会をおかしいと日頃声を上げておきながら、いざ子供が銃を持とうとすれば規制すべきだというのは自己矛盾が過ぎやしないかね?
そのことを考えろと言っているのだよ。
いや、今回の件で「人権て言葉を軽く使うのがよくない」みたいなことを難しい顔をして宣ってはる人らがいるけどさー。そういうのどうなんかな?そもそも何があかんねん。
うちのセンセーもよー言うてはったわ。「え、ジンケンジンケンて、犬とちゃうねんで」てな。人権なんてな、そのぐらい、もっと軽ーく使たらえーと思うねん。
「うわ人権ない」って軽く使って笑えるのは、それはみんなが「いや人権はあるやろw」「人権てw大げさww」ってツッコミ入れられるからやろ?
「人権はあって当たり前のもんや」「それでいてメチャメチャ大事なもんや」ってみんなが共通で思っとるからやろが。めっちゃええことやないかぃ。
だいたい人権なんて、当たり前にどこにでもあって、誰の人生にも少しずつ関係してるもんやろ。だから人権なんて、後生大事に棚に飾っておくような宝物と違うし伝家の宝刀とも違う。もっとトイレットペーパーくらい景気よく使い倒すべきもんなんや。そんでひとしきり使ったら、あとは笑い飛ばして水に流すくらいでちょうどいいんや。
胸ナイから人権ない。身長ナイから人権ない。アホか上出来やで。人権はあるやろて。マジに悩むなやーw。アッハッハ。
……でもな、なんで胸やら身長やら、そんな見た目で、俺らそーやって悩まなあかんのかな…? さてその辺から、そろそろ本気で人権の話になってきたりもするわけや。
せやからな、「人権なんて気楽に使うな、真面目に語れ」なんて話には、あんまり耳を貸さんでええんとちゃうかと俺は思う。
真面目さと笑いの分量、四分六くらいがちょうどエエで。せやから「人権」なんて言葉も、笑い六分、ライトに使うくらいでちょうどええんよ。
「法律違反してもバレなければokと言っているに等しい」そうだよ。それが親告罪だ。
実際そうだからこそおまえも強姦(強制性交)ではなくふつうのセックスの結果の子供としてうまれてきたんだろ
まあ強制性交は検視医とか第三者も告訴できるように親告罪からはずしたけど
クオリティが高い二次創作にはそれ自体の創作性というものがみとめられると判例法ででた。
翻案権・同一性保持権などについても親告罪。当然いままでにドラえもんの死ねたエンドだのポケモンのエロねただのをリアルに子供が嫌がりそうな形で描いたら訴えられたとかある。
でもな、いいか、できのいい二次創作を訴えるのは著者にリスクなんだよ、やりたきゃまず炎上させたアニメ化からうったえろよwww
正直、そう思わないだろうか。
デマかも分からない情報を拡散することになるかも。もしくはデマだと分かっていて拡散する。そんな奴がとりわけ多い。
これは一般人でも問題だが、有名人となると話はかなり違う。特に小説家のSNSは酷い。
他の作品に対して嫌味な物言いをしてマウントを取る。自分が人格者であり、常に正しいと信じてデマを拡散。政治家を断罪して急進左派的な立場でマウントを取る。特定の人物に対して見た目などを揶揄して自らを上に立たせようとする奴。
こんな奴が山ほどいる。
いつから小説家はこんなネジくれた奴しかいないのか。昔から「文豪にはクズが多い」とは言ったものの、今の小説家は極端な政治的発言や差別的言動は見ていて不快どころではない。もちろん、そう言った発言についてある程度許容するのは当然だが、それにしてはあまりに過激だ。奴らは言論の自由という伝家の宝刀を常に振り回し、異端だと思えば惨殺することも厭わない。
そして、このような悪逆非道な行いをしていても、週刊誌はこれらを取り上げようとしない。よく考えたら当然なのだが。
間違いを認めるだけでも大きく変わる。それが出来ないのは致命的だ。自分が正しいと思っているから問題だろうが、一度見直してみてほしいと願っている。