はてなキーワード: 仮名とは
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
アノニマスダイアリーは畑違いかもしれないけれど、どうしても匿名でなければいけないことがあるのでここに書きます。
私はとある男性アイドルグループを応援しています。そのグループを仮にTとします。Tには、ほぼ同世代のライバル的存在のグループがいます。そちらをNとします。
勘のいい方、男性アイドルに明るい方はもうお分かりでしょうが、一応仮名で通します。
Tは「アイドルらしからぬ」方向性で売っており、硬派な音楽ファンなどを取り込んでいます。一方Nは、Tファンから見ている限りでは何を売りにしているのかよくわかりません。それなのに、私が聞く限りかなりの割合で、Nには「それまでアイドルに全く興味がなかった」人が次々と沼落ちしているらしいのです。
一体どういうことなのか。私は考えました。運営がそれを狙っているのかいないのかはわかりませんが、Nが「無趣味層」を落としているその理由を。
まず前提として、この世には「オタク」と「非オタク」の2つの人種がいると思われます。これはネットの海で暮らしている皆さんにはお分かりいただけるかと思います。この2つの違いは何なのかというところから考えてみます。
いわゆる「オタク」は、これは私たち男性アイドルファンの価値観かもしれませんが、自分の「刺さる」ポイントを把握しているように思います。それが顔であれ、人間性であれ、パフォーマンスであれ、何かしらの価値基準を持って様々なグループあるいはジャンルを見、その価値基準が満たされた時に「推す!」となります。一方「非オタク」には、そもそも「刺さる」「推す」という概念がわかりません。
Tはこの「オタク」つまり「“推し”の概念がわかる」人種向きのアイドルではないかと思うのです。Tの売りは音楽性、歌唱力、迫力あるパフォーマンス、メンバーの絆の強さ、グループの物語性、メンバーの物の考え方…などなどです。つまり、アイドルファンにせよ音楽ファンにせよ二次元ファンにせよ、「刺さる」ポイントを持っている人には確実に「刺さる」グループなのです。
一方Nは、一部メンバーが途中加入のため現体制での歴史が浅く、飛び抜けたイケメンがいるわけでもなく、歌の上手いメンバーも所詮アイドルレベル、ダンスは後輩グループにもっとすごいところがいて、旧体制で売りにしていたアクロバットも現体制になってからほとんどやらなくなりました。一体どういうコンセプトのグループなのか…
そんなNにハマる「無趣味層」、これはつまりTと対照的に、「“推し”の概念がわからない」人種、すなわち明確な価値基準を持っていない人が、明確な売りを持っていないアイドルにハマったということなのではないか、と私は気づいたのです。
完全な「オタク」側の私からすると、なんだか掴みどころがなくてぞっとする話です。
でも考えてみれば確かに、「非オタク」は「オタク」の熱量にドン引きするもの。「◯◯だから大好きなんだ!!」と熱く語らなくてもいいグループが現れて(運営のおかげでNのテレビ露出は凄まじいものがあります)、なんとなく好きになる。運営の作戦なのかはたまた偶然かわかりませんが、これまでの「オタク」ビジネスの盲点を完全に突いてきたグループと言えるでしょう。
ニワカが群がって治安を荒らして去っていくような事例のほうが、これまでに幾度となく繰り返されているわけですから断然わかりやすいと思います。
これまでアイドルビジネス、ひいては「オタク」ビジネスに関わることのなかった層が突然現れる。彼らがなぜ沼落ちしたのか、これからどう動くのか、いつまで応援し続けるのか、全くわからない。生粋の「オタク」からしたらこんなに気味の悪いことはないです。Nは、全く無関係なグループならいざ知らず、ほとんど公式に強制されたような「ライバルグループ」ですから。
良いとか悪いとかではなく、私はそういう意味でNが怖い。そして、Nがビジネス的に成功していることを認めざるを得ません。
そう、TとNが公式ライバルだと散々言いましたが、運営側、というか事務所に推されているのは明らかにNのほうなんです。Tに良くしてくださっているのは主に所属レーベル様です。本当にいつもありがとうございます…
Nの人気のメカニズムを私なりに分析したはいいものの、Tファンとしてのアカウントでこれを言うとTとNの界隈が荒れて袋叩きに遭うので、やむを得ず匿名の投稿とさせていただきました。良い悪いは別として、ビジネスとしてとても興味深い事象だと思います。
ちなみにTファンは、明確に「Tが最強だから好き」という価値基準を持っているので、とても火力の強いファンばかりです。つらい時期にはギスギスすることもありますが、非常識な行動をとるファンはほとんどおらず、その点の治安は保証されています。ファン層は拡大させたいけれど治安は落としたくないなと勝手に思っております。ただ様々な界隈を見ていて、治安を落とさずに新規を得ることは不可能に近いのだろうな…と、非常に悩みどころです。
Tの売り方としてはアイドル以外の何らかの「オタク」層を引き入れるのが近道なのだろうけれど、この世には「オタク」よりも「無趣味層」のほうが圧倒的に多く、しかもどのくらいの数いるのか把握できない(「オタク」はだいたいネットか現場にいる数でわかりますよね)ため、もしかしたらもう母数では追いつけないかもしれないという危機感を抱いています。すでに推しのいる人を振り向かせるより、推しのいない人を取り込むほうがハードルが低いですしね…
もちろんこれは全てTファンである私が考えたことなので、N側から見れば「Nにも明確な売りがある!」と言われるかもしれません。私の一個人の考えですから、全てのTファンが同じように捉えているわけでもありません。
インターネットに、いや現実世界でも、人間は多数の人格を持っている。
これは別に多数人格者の話ではなく、一般的な人間としての話で。会社、家、家族、友人、恋人。どんな形であれ私含め色々な人は色々な人格を持っており、その人格を扱って生きている。
と、いう話が昔習った社会学だか心理学だかの授業であった。人格や顔を使い分けることで生きやすくしているらしい。
話は変わるが、私は様々なSNSでアカウントを複数持っている。
Twitterは4~5つ、Pawooで1つ、pixivは2つ、その他諸々。それぞれが交わったり交わらなかったりしながら、適当に更新する日々が続いている。
というのも私は絵を描く人間で、多少なりとも人気のあるジャンルでいわゆるちょっとマイナーかな?くらいのキャラ2人組を永遠と描いていた。
漫画、イラスト、小説、立体造形。時にはゲームも作ったし、グッズを作り1人眺めるという行為も何度もしてきた。だがその中で、どうしても物足りなさを感じるときがある。
だが、絵を描いている人間であり、同じジャンルで活動しているとすれば絵柄で私かどうかわかってしまうのは当然であり、それはまあ避けたいということで小説に手を出した。
先述した通り元の私(仮名:A)は小説も書いている。突発的に思いついた内容を文章にしたためpixivに放り投げた。だが、何度投稿しても何度書き上げても、その字数は毎度1000字程度までしか書くことができなかった。1000字程度で勝手にオチが付いてくる。起承転結が纏まっており、気に入った文章でもあるのだが、pixivで何度となく体験した「どれだけ読んでもこの2人の話が終わらないよ~~!」「スクロールバーが小さくて沢山文字があって嬉しい~!」「この小説1万字あるの!?いつまでも読めるな…」みたいな経験を私の小説で味わうことが出来なかった。
そこで、新しくpixivのアカウントを1つ開設した。(というより、その前に出した同人誌に私の友人という体で一度小説を寄稿した事があるが)このアカウントの私をBとすることにしよう。
Aとは中学生の時に出会い、高校からは別の学校へ。だがAとはたまに遊ぶ程度の友人で、小説を好み、眼鏡をかけており、国語や数学が得意で、家からの近さで選んだ大学に通っており、文章を書くのが好きだがそれをどこかに発表したことはなく、Aに誘われAの好きな2人組にハマり、Aの出している同人誌に小説を寄稿したらAから褒められ、そのままAに乗せられてpixivに登録。Twitterには怖いというイメージを持っており登録していなかったが、まぁ近日中に登録してもいいかなと思っている。
これが存在しないBの人格です。存在しませんが。Twitterなどの場でBについて言及する時やBがTwitterをするとしたらこんな人間であるとするための人格。
改めて文字に起こすとやばい幻覚を見ている人の日記みたいになっているなとは今思った。
それはさておき、この設定を適当に練り上げ、pixivも登録し、Bとして改めて小説を書き上げた。
一番初めに上げる小説。いつもと同じくらいの時間をかけ書き上げた小説は、いつもの2倍程度の文字数を持っていた。
文字数にして2400字程度。そんなことあるんだというのが正直な感想である。
あくまで私はBとして小説を書いているので、(まぁ多少日本語が似ていても)文体は変えて書いているつもりであり、小説をパソコンを使って書いた結果がこれらしい。
人格によって文章量が変わるということはあるのだろうか、というのがこの日記の本題である。
文章自体を書くことは好きで、Twitterでも適当な文を毎日ぽいぽいと投げているし、今回の日記も気が付いたら案外多く文章を書くことになった。人格Aで小説を投稿したころより小説も沢山の種類を読むようになったも事も案外関係しているのかもしれない。
ただ、Aとして書いているときよりも文章としての表現の仕方や台詞の書き方が変わっているし、なにより文章量を増やすのに苦痛を感じない。
Aとして書いているときは、元々900字くらいの小説をなんとか伸ばせないかと検討して1100字程度に増やしていた。だが、Bとして書いた小説の2作目は、作品の途中(4割程度)にもかかわらず3000字を優に超えている。
もしかするとBを小説を書く為の人格だと思っている故に小説を書くという気構えが無意識に出来ており、それが理由で文字数も増えていくのかもしれない。
余談だが、私はAとして日記を書く場合はスマートフォンで書いている。
機器により内容は変わるのかもしれない。次はスマートフォンでBとして書いてみようか。
それにしてもすごい文字数の日記になってしまった。ここまで読んでくれた人には感謝の念を伝えたい。
おまけ
私の推し(生きている)は自分のついた嘘が嘘ではないという記憶の下友人の話をしていたことがあったし(先日それが嘘だと分かり「へぇー…」と他人事のように一瞬納得していたのが印象的だった)過去にもTwitterでは「娘が1人いるという嘘をSNSでついていたら気付くとその存在しない娘との思い出がふと出てきて怖くてその娘の話は二度としなくなった」という話も以前耳にしたことがある。いや娘かどうかは覚えていないが。
今の私は大体嘘をついてSNSを生きており、そもそもの人格Aですら事実に嘘を混ぜてSNSに書き込んでいるし、人格Bはもう存在しない人間を作り上げて活動している。
小さな嘘はどんどん自分に降り積もる(らしい)し、今の私は割と中核~大きなサイズの嘘で作られたSNSをしている状態である。
Take it may so(瞑想), take it may so
Take it may so, take it may so, oh, let's get it
悟れりゃ Yea! 素直に Good!
That's all right!
それでも此岸で極める
やな事あってもどっかに欲を捨てる
やるだけやるけどいいでしょ?(修行)
夢だけ持ったっていいでしょ?(成道への希望)
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
今日もお経で言っちゃってる
ボクらはいつも探してる
Everyday! Everybody!
まだまだ輪廻は終わらない
いまから始めてみればいいじゃない
裸のまま突っ込め(身一つでの出家)
Ah 救いがほしいから
大きな思惟を広げよう
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
Take it may so, take it may so
Take it may so, take it may so, oh
激しい嵐 完璧に捨て去り(執着の止滅)
渇望を捨てて 今飛び立とう(解脱)
天を飛び交う 無敵の仏は
Flay away
裸のまま突っ込め
Ah 救いがほしいから
大きな思惟を広げよう
強くしてくれるから
未来に向かって激しく突き抜けろ(只管打坐)
SE・SO・N
SE・SO・N oh yea!
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
悟れりゃ Yea! 素直に Good!
That's all right!
それでも此岸で極める
そうさボクらはSyugyou Sya!
We are "cool"
やな事あってもどっかに欲を捨てる
やるだけやるけどいいでしょ?
夢だけ持ったっていいでしょ?
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
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最寄駅と直結した古いスーパーの三階の薄暗いレストラン街のそのまた端っこ
疲れたおっさんくらいしか寄り付かない汚いファストフード店で最低時給でバイトしていた中条さん(仮名)
中条あやみに似た超絶美女なのになんでよりによってあんな店であんな安い給料で毎日あくせく働いてたんだろうか
白くてきれいな腕の内側がフライヤーから跳ねた油のせいで両腕ともひどいやけどで覆われていたのに、なんで平気な風にポテトを揚げ続けてたんだろうか
あなたが油を浴びてしまい、声にならない声をあげていたとき、店長のじじいの「大丈夫ですから構わないで」という低い声にのまれて引き下がって、ソファ席でバカみたいに熱々カリカリの香ばしいフライドポテトを食べ続けた自分はとてもじゃないが訊けやしない
今はコロナでずっと店は閉まっている
店が開いたら彼女はまたボロいカウンターに立って真面目な顔で注文をきくんだろうか?分からないけど、そうだとしたら、やけどの跡が良くなっているといいなと思う
数日前の刑事ドラマでやけに滑舌が良く威張っている痴呆老人が出てきたので思い出した。
「山本くんを出せ。」
「どちらにおかけでしょう?」
「いえ、違います。」
「失礼な奴だな、山本くんを出せ。」
「間違ってますよ、何番におかけですか?」
「1234-5678(全く違う番号)だろ、早く山本君を出せ。」
「弊社は9876-5432番です。お間違いですよ。」
「もう切りますね。」
再度電話がなる。
~以下、3回ほどループ~
こういうやり取りを年3回ぐらいしていた。
先方の電話番号は一応控えておいたがIP電話なので着信拒否ができなかった。
滑舌が良くて呆けている感じがしないのだが、話が通じない。
こちらの話を全く聞かない。
怖かった。
そして我々のうちの何人かの将来かと思ったら更に怖かった。
呆けるなら可愛く呆けたい。
「二泊三日で30万円…もしかしたら50万円だってイケそうですよ。オリンピック前までには元手回収、そこからはほぼ儲け。会社をやめようかと思っています」
今年1月上旬、興奮した面持ちで筆者の取材に語ってくれたのは、東京の渋谷区と港区、そして文京区内の「民泊物件」を運営しているという増田増夫さん(仮名・40代)である。
一昨年ごろから急激に拡大していた民泊運営ブームに乗じて、今や都内や関西で十数部屋の物件を運営し、月に100万円オーバーの利益を上げるやり手の投資家だ。元はIT企業社員だったが、今は民泊事業一本。目
論見通りに東京オリンピック前にホテル代が軒並み高騰し、今年6月ごろからは、増田さんの運営する物件(戸建てタイプ)は、一泊20万円でも予約が次々に押し寄せるような状況、まさに濡れ手で粟の笑いが止まらない状況だった。
「民泊のように借りるだけでなく、投資用不動産の購入も考えています。五輪までに数百万円、数千万円も夢じゃない」(増田さん)
この人、その後どうなったんだろう・・・。
身バレが怖いから詳しくは言えませんが最近TL眺めててやめてほしいと思ったので書きます。今Twitterで大人気沸騰中のラーの翼神竜の特殊能力で、私のような辛うじて息をしているギルフォード・ザ・ライトニングを焼き払われたら、界隈で有名な闇のゲームで沼に潜むモンスターと繋がってる城之内(仮名)の精神が持たずに病むぐらい参ってる。
お願いですから、死なないでほしいです城之内(仮名)!いまだからこそ表明します。本当にずっとずっと応援してた。あんたが今ここで倒れたら、仮に舞さんとしておきましょう。その舞さんや界隈で有名なガチ勢の遊戯との約束はどうなってしまうんでしょうか? ライフはまだまだ残っていますよ。まだ間に合うと思いますが本編では言えないのでここで言っています。ここを耐えればきっとよくなる。そうやって本田(仮名)と話していましたがもう限界です。マリクに勝てる事も半分以上はあるんじゃないでしょうか。
Vtuberつーても大御所の生主系、アイドル売り、末端個人、オタサーの姫(王子?)、アバター代わり、クリエイター崩れ、と多岐にわたるから「Vtuber」ってひと括りにすると語弊があると思う。
まぁほんの一握り以外は観る価値ないよね。仕事にしてる大御所さんは全然見てなかったけど、面白い話するために頑張ってるんじゃない多分。
元増田の言うようにかわいそうな人が多いって感じはする。そういう人は同情するし、そっとしておきたい。
でもそれじゃあ結局Vtuber文化ってのは仮名つかって顔も隠して、都合の悪い情報は伏せて、同じく匿名のリスナーたちと慰めあってるだけじゃないの?
それ自体はあってもいいんじゃないって思うけど、だったらそういう自覚を持ってこっそり慎ましくやろうよ。
そこからも目を逸らして「文化」呼ばわりして美化したり、お金もらったりフォロワー増えたりで自分が偉い人間だって勘違いしちゃってるVを見てきたけど、ほんと痛すぎる。
Vtuber、暇つぶしには悪くないよ?雑談もBGMみたいに使えるし。でも技術がすごいとか才能があるとか言うのは違うよね。フォロワーもかわいそうな人おもちゃにしちゃ駄目だよ。後味悪い。
皆さまは1年ほど前にあった公務員の障害者水増し事件というのを覚えているだろうか。
その時に自分も公務員になれるならばと思い、受験して合格した。倍率は、10倍程度。
その前の職は、某業種の会社員だったが、障害をもっているなら公務員のほうが働きやすいと思って転職した。
自信もあった。社会人として障害を抱えながらも10年程度働いていた。
小さな会社だが、それなりの役職でもあった。自分ならば、公務員に転職してもやっていけるだろうと思っていた。確かに、一年目はそこそこ上手く行ってはいた。ほとんど雑用だけだったから、「こいつはまともに働けるのか」を見られていたからだろう。
しかし、2年目にポジションをもらって問題がいくつか出てきた。
公務員というのは事務処理能力が問われる。圧倒的に問われる。8割は事務処理能力の世界である。
ほんのわずかな言い回しが、致命的なトラブルになるからだ。官僚の言葉が異常に面倒くさい言葉遣いをしているのは、そのためだ。
これははっきり、根底から民間とは仕事のやり方が異なるということだ。
民間の仕事のやり方は、「金」という大目的があり、すべてそれに付随するが、公務員は「筋」である。
全く関係のない企業に、「こういう素材を探してるんだが、オタク、とりあつかってない? こういう会社なんだけれど。取引の際には先に言い値で振り込むからまずはサンプルで送ってよ」
というのが常識の世界で働いていた。金さえ払えば、とりあえず商品はゲットできるし、取引が続けば信頼も獲得できるという世界だった。だから、最も重要なポイントは金をどう儲けるかという能力だ。多少、書類を作るのが下手であっても金を儲けられるのならば、そこは問題がない。
しかし、公務員は、相手を説得によって動かす技術がなくてはならない。そこに金という大きな力が働かないのだ。
「金の払いで不義理をしないのが良いのが良い客であり成功するコツ」であるのが民間だとすると、公務員は「相手を動かして働くための筋を示した書類を作れるのが能力」であることになる。
「品質、金額、納期、どう儲けるか」を抑えておけばよかったのだが、公務員になると、抑えるべきポイントが、「誰が、どういう筋で、何をやるか」が最重要ポイントになっている。
これは正直、アラビア語が堪能な人間が、英語圏に行ったようなものである。
ドラクエに例えると、全員がホイミを使えるのにホイミが使えない戦士から転職したLv1僧侶の悲哀、というのを感じている。
自分が今まで問題にもしていなかった能力が、実は最重要な才能として通用している世界だった。
「民間ではそんなこと30秒で決まるぞ」と思う段階は過ぎた。
自分が、その世界になじむように努力しないといけないのだが、なかなか大変だ。
書類なんて相手に伝わればいいだろうと思っていたが、そうではない。
作り方ががっちり決まっていて、使っていい漢字も送り仮名も決まっており、それを間違えると直される。
そして公というのは、組織が巨大であり、「縦割り」というが、アレはそうでないと統率が取れなくなるからだということも理解した。
下手に経験があると、逆に面倒くさい。
そして、ものすごい人脈社会だ。民間以上に人格が重要な社会だ。飲み会だろうが勉強会だろうがとりあえず名刺交換して自分を売り込む必要がある。
理由は単純で、あまりにも専門領域が膨大過ぎて、とても一人の力では業務をフォローできない。誰かに助けてもらう必要が必ずある。
シン・ゴジラに一匹狼の官僚が出てきたが、ああいうタイプはしんどいだろうと思う。むしろ三枚目のお調子者のほうが仕事はやりやすい。
これが大変なところだ。
うーん。資料を作らないとなあ。
この仕事、どの部署が担当するのか? マネタイズできる場所がやる、という常識が通用しない。
どうしたものか。
前置きとして強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。
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女子プロレスラーの(おそらく自殺と思われる)死亡に端を発し、芸能人に対するあまりにも多い誹謗中傷へ非難の目が向けられている。
それに伴い「芸能人がTwitterやるのキッツいんだぞ」といった話も、芸能人側からあがるようになってきた。
しかし、「培ってきた圧倒的な知名度」を用い、「マネージャー等の第三者が間に入って反響のフィルタリングを行わない体制」を作った上で
活動しているのは他ならない自身の選択だという前提を置き去りにしないでほしいと感じる。
名がコンテンツの一部である芸能人が、その名義でアカウントを作る以上はTwitter上の活動は業務であり、
前述の活動方針でやっていくと決めた段階で「高い発言力・拡散力に比例する反発の大きさ」は織り込むべきリスクに入っていなければならない。
それができていないのは営利事業としての不備だと思う。
「事業としての」対応策はある。本人以外のTwitter担当者を立ててアカウントを運用すればいいだけだ。実際にやっている例もある。
人件費が負担という場合は、事業の規模感に見合っていないリターンを、リスクを承知で望むのかという「選択」の問題になる。
どちらにしても事前に検討していなければならないことだ。
「じゃあ芸能人は個人でTwitterしちゃいけないのか」という話には、
芸能人の名義を用いずに利用すればいいだけなので何も問題はない。
仮名や名義の使い分けはTwitter上で当たり前に行われていることであり芸能人の自由を阻害することにはならない。
そういった環境の中で、あえて芸能人当人が手ずからTwitterアカウントを運用するというのは「そういうこと」なのだと、
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「人死にの事実」は人から冷静さを奪い、盲目的にさせ、タブーを生み出し、感情的な言説を押し通してしまう。
志村けんも"死んでしまった以上は"「趣味の夜遊びが原因で、本人側にも落ち度があった可能性はないのか」という追求はまったくできなくなってしまった。
本件も「誹謗中傷を行なった連中」という揺るぎない悪が設定され、
死者の側に・彼女が所属している組織に・炎上の原因となったコンテンツの制作者に落ち度はなかったのかという話は感情で封殺されつつあるように見える。
現代インターネットに求めるものではない・諦めるべきことなのは重々理解しているが、それでも感情に支配された世界はおそろしく思う。
後にも重ねて強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。
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このクソ野郎、今年に入って大問題ばかり引き起こしているので愚痴りたいなと。全部で3つほどあるんですよ、このクソ野郎によるエピソード。
自分が「あれ?このおっさん、距離感おかしいな?」と思ったのが、30近く年の離れた年下の女の子の身につけている私物を「身につけたまま」触らせてくれと言い寄っていた現場を目撃した時。
外して触るのも、下手すれば自分の親ぐらい年の離れている異性相手なら嫌なものなのによくそこまで食い下がれるな、想像力の欠如か?と思いながら「山田(仮名)さん、それ見ようによってはセクハラですよーあはは」と声を掛けて、その女の子から意識を引いたら、数時間後何故か自分へチャットが飛んできた。しかも個人チャット。
内容は「ボクちんの名誉が傷つけられましたふじこふじこ、男の肩身の狭さを慮れふじこふじこ」といった感じの文面を延々と。長文乙。
なんで身につけてるのを触りたがるのか、脳みそうんこでも詰まってんのかお前。
そこからちょっと関わりを減らす方向でいたんですが、まあ、無理ですわな……同じ職場ですし。
これがまず1つ目ですね。
で、月日は流れ、コロナの流行で世間がピリピリしている最近に至り。
お客様と「いつも集まって運動してんだけどさー、それもしばらく出来ないなあ」「落ち着いたらまたみんなで来たいけど、今年は無理だなあ」なんて話をしている状況下において、このクソはとんでもない事を緊急事態宣言発令から2週間後までやらかす事となるわけです。これが2つ目のクソエピソード。
このクソに限らず、夜勤で働いている男性ってパチスロ打ちに行く率高くないですかね?
で、仕事が開けて、仮眠して、スロット打ちに行くと言うのがこのクソのルーティンなのですが、折しも当地域も初期緊急事態宣言発令対象でした。
上司達からも「三密を避け、不要不急の外出をしないように」と再三言われておりました。
他の従業員も外出を控えて、必要なものはネットショッピングか仕事上がりに買い物する程度に留めているぐらいには。
あのクソ?
近隣が閉まってると知るやネットでどこが開いているかを調べて打ちに行ってたよ、県内全店休業まで。
それも近くは2つ隣の市から、遠くは県境付近まで。(しかもそれを店内で喋る)
余程チクってやろうかと思ったわ、面倒だからさらに避ける理由にしたけど。
で、3つ目のクソによるクソエピソードですが、現在進行形でして。
最初のエピソードに出てくる、年下の女の子に対して粘着いじめとも取られる行為をここ一二週間やらかしておりましてな。
きっかけは確かにその女の子に非が無いとは言えないんだけども(片付けをちゃんとしなかったレベル)、それをまず自分に愚痴り、連絡帳に煽り満載要素で書き綴り。ここまでは良い、ここまではまだ許せる。
読了のサインを「自分が書いた方にしなかった」だけで、まさか読んでサインしろと二週間近く粘着してくるとは思わなかったんじゃよ。
挙句、グループチャットで名前が特定出来るような吊し上げ。そりゃあ粘着された方もストレス溜まるわな。
ついでにそれをクソ本人に説明したにもかかわらずでもでもだってふじこふじこ、個人的に連絡するとか言い放つので、思わず渦中にいる女の子へ警戒しろと送った自分は悪くない。
このクソの一番の問題点は「自分は時間になったら上がる上に残業すらしないのに、他人には残業してまで消耗品の補充をしとけ、と宣う」に代表されるほどの呆れるほどの自分主義。
おかげでそいつとあったことの無い人からも「こわちか」とか言われるレベルだよね。
僕に精神の安定をくれ。
俺の上司の下の名前は「二通りの読み方があってどちらもそれぞれ普通の読み方だけど、その2つが割合的には7:3くらいで存在していてなおかつ3側な名前」である
説明したら逆にややこしくなったので仮名を出させてもらうと上司の名前は「増田光」で、「ますだひかる」ではなく「ますだひかり」と読むものなのだとする
そうすると電話で増田姓が課に複数人いることもあって、「ますだひかる課長はいますか?」なんて電話が外線・内線問わず間違ったフルネーム読みで来るわけ
これで素直にそのまま課長に電話を回すと「はい増田です」って出るから双方下の名前が間違ってることに気付かずにそのまま電話を終えてしまう
だからそういう時俺は上司が在席してるのにわざと探すふりをして
「はい、あれ、えーと、ひ〜か〜り〜か〜ちょ〜う〜は〜……あ〜、少々お待ちくださいね」ってな感じで正しい読み方を強調しつつ電話回すんだよ
こうすれば先方も上司も傷付かず、ただ俺が「なんか喋り方的にちょっと鈍くさい人なのかな?」って思われるだけで済むってわけよ
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/35910.html
「15日連続で勤務を続け、今、疲れて何がなんだかわかりません。若い看護師らが気の毒で、できれば追加勤務をさせないようにしていますが…家に帰って横になった瞬間、爆睡ですからね」
2日、大邱(テグ)のある選別診療所で働く看護師のキム・ジュヒョンさん(仮名・48)は「問い合わせの電話が殺到し、なかなか電話がつながらず、直接訪ねてきたり、病床不足で入院できない患者さんを見るのが残念でならない」としながら、このように述べた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応で目が回るほど忙しく、大変な現場で働いているが、いつも超緊張状態を維持しなければならないせいか、「事態が収束したら疲労で倒れるかもしれない」と話した。
先月18日、新天地大邱教会で始まった「スーパースプレッディング」事件で、大邱・慶尚北道地域にCOVID-19の感染者が急増してから2週間近く経ち、同地域の医療陣の疲労も限界に達している。新天地大邱教会の信者の全数調査を進める選別診療所はもちろん、一般病棟に比べて業務量が2倍の隔離病棟で勤務する看護士たちも、医療陣1人が担当しなければならない患者数が大幅に増え、倒れる寸前だと訴える。
感染者90人以上が入院した大邱カトリック大学病院隔離病棟で勤務する看護士のユン・ジュヨンさん(仮名・33)は1日午後病院に出勤し、夜の12時頃に勤務を終えるまで、食事をとる時間以外は座ることすらできなかった。先月26日、COVID-19感染者の入院のため、病床100床を追加で設けたことで、隔離病棟で看護士1人に任せられる患者数は6人から10人に増えた。彼女は感染予防のため「歩くだけで汗だくになる」レベルDの全身防護服を着用し、保護者と看病人の代わりに患者の食事をはじめ、高齢患者のオムツ替えまで行っている。ユンさんは「レベルDを着ると、動きづらく、普段より仕事の効率も落ちるのに、不安がる患者さんたちが頻繁にナースコールを押す。一部の保護者は患者との接触を最小化した回診方式に不満を抱いて、暴言を吐くこともある」とし、「疲れた同僚たちが『疲れて動けない』『もう限界だ』と訴えるが、自分が辞めると残っている同僚たちがさらに大変だから、どうすることもできない状況」だと打ち明けた。
医療装備まで枯渇していく状況で、医療陣はさらに追い込まれている。ユンさんは「休憩を取ってまた病棟に入る時は、新しい防護服に着替えなければならないが、レベルD不足で、なかなか病室から出られない」とし、「交代勤務者が着る防護服がなく、他の病院から送られるまで待たされる場合もある」と伝えた。
医療陣の厳しい状況を踏まえ、韓国政府は遅ればせながら支援対策を打ち出している。キム・ガンリプ中央災難安全対策本部(中対本)第1総括調整官は2日、「医療陣の肉体的・精神的疲労度が高いため、追加の医療関係者を確保し、現場医療陣の十分な休憩時間を保障する案を探す」と話した。
政府は国家感染病専門病院に指定された国軍大邱病院に、軍の医療関係者を中心に医師と看護士111人を追加で投入することにした。国防部はまた、今年新規任用予定の公衆保健医(入隊対象者で軍服務の代わりに公衆保健業務に従事する医師)750人の4週間の軍事訓練を延期し、5日から現場に送る方針だ。これに加え、野戦部隊を除いた病院医療関係者327人も、COVID-19の対応に投入することにした。
保健当局は大韓看護協会などと共に大邱・慶尚北道の医療現場で働く医療陣を募集している。大韓看護協会に大邱・慶北行きを希望した看護士が1日で510人と集計されるなど、これまで同地域で勤務する意向を示した看護士は合わせて約1300人に達するという。大邱市医師会は現在、医師約300人が大邱・慶尚北道地域でCOVID-19感染者のための医療ボランティア活動を行っていると発表した。このうち、大邱・慶北以外の地域から来た人たちは10%程度だという。