はてなキーワード: 仮名とは
本業での年収、額面で一千万を少し超えるぐらいだけど、タイトルに書いたようなことをやっている。面白半分といったら申し訳ないが、色々な仕事を体験してみたいと思ってはじめたのがきっかけだけど、仕事して家に帰って、趣味らしい趣味もなく過ごしている中では絶対に会えないような種類の人に出会えると、やっててよかったな、と感じる。
メルマガ登録してると、支社に案件が登録されると募集のメールが来るようになってる。面白そうな仕事が来ると、登録し、それにあわせて有給をとる。もちろん本業の調整がつきそうなときだけ。
例えばこの次期だと倉庫内軽作業がアツい。通販事業者の発送を受託してる倉庫業者が、通販で受け付けた注文を保管棚からピッキングしたり、梱包したりして、運送会社に引き渡す準備をする仕事。同じタイプの仕事でも別な事業者の仕事をやると、棚への番号の振り方がいまいちだな、とかピッキングのフローに工数が多いな、とか色々気になったりする。でも一日だけだから非効率でも我慢してやる。
同僚は場合によってまちまちだが、片手に収まる程度が多いかなと思う。集合場所からの輸送の都合もあるのだと思う。バンに載せて移動できる程度。会話することも少ないが、夢追い人もいればくたびれたおっさんもいて、概ね仕事へのモチベーションみたいなものは低い。鈴木くん(仮名)という底抜けに明るい若者と同じ案件になったのだが、何故かやたらとなつかれたことがあった。移動時間、休憩時間と声をかけてきて、解散間際に連絡先をきかれて今度遊びましょうと言われた。鈴木くんには本当に申し訳ないがブロックした。悪趣味な遊びをしているという自覚は持っている。
こんな感じで本業と全然関係ないところで仕事すると、「あーいろんな仕事があって、いろんな人がいて社会が回ってるなー」と思えて楽しい。副業バレ対策に住民税は以前から普通納付。まぁ年に数回程度だから特別納付でもたいした話ではないのだけれど。
「バカでもチョンでも」という慣用表現における「チョン」とは「朝鮮人」を指す差別用語である――
という言説に対し、
――「バカでもチョンでも」における「チョン」は朝鮮人のことではない
とする反論がなされて、いまではそれが定着している。
頭が悪い人に対する「ちょん」という蔑称は江戸時代から存在しているので、朝鮮人に対する蔑称とは別物だ、というのがその主張である。
まず、その頭が悪いという意味での「ちょん」の語源はどう語られているのか、と調べてもはっきりしない。
拍子木の「ちょん」という音に由来する説と、「ゝ(ちょん)」という踊り字に由来する説とが一応あるが、それがどうやって「頭が悪い」という意味になったかの説明は曖昧である。
公益役職などにおける役務を帳票に記す際、筆頭名主は役職名と姓名を記したのに対して、筆頭以下の同役に対しては「以下同役」の意味で「ゝ(ちょん)」と略記したうえで姓名を記したことに由来し、「取るに足らない者・物」を意味した。
などとWikipediaに書かれていて多少の納得感があるが、これは定説にはなっていないようである。
一方で「ちょん」の最古の用例として挙げられるのが、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』である。
ちょん
[名]
4 俗に、頭の悪いこと。また、おろかなこと。
「ばかだの、―だの、野呂間だのと」〈魯文・西洋道中膝栗毛〉
しかし、「ちょん」の用例が、明治三年の『西洋道中膝栗毛』よりも遡らないのであれば、そもそも江戸時代からあったとする話は怪しいのではないか。
西洋道中膝栗毛での実際の表記は「馬鹿だの豚尾だの野呂間だの」で、「豚尾」に「ちょん」という読み仮名がついており、これは明らかに当て字である。
日清戦争(明治二十八年)の頃には、中国人の蔑称として「豚尾」「豚尾漢」などが使われていたらしい。
明治三年の時点で「豚尾」と「中国人」が結びついていたかは定かではないが、仮に「チョンは朝鮮人ではなく中国人の蔑称だった」なんてことになるとややこしさが極まってくる。
あるいは、「バカでもチョンでも」という表現は、明治や大正の頃でさえ広まっていなかったのではないか、という疑問もある。
調べてみても『西洋道中膝栗毛』の他に同時代の用例は出てこない。
Google Booksなどで検索してみても、どうも広く使われるようになったのは昭和に入ってからだという感じがする。
一方で、朝鮮人が「チョン」という蔑称で呼ばれるようになった時期はいつごろだろうか。
こちらの時期もはっきりとしないが、戦前に遡ることは確実である。
となると「バカでもチョンでも」が広まった時期と「朝鮮人=チョン」が広まった時期とが接近してくることになる。
朝鮮人のことを「朝公(あさこう)」と呼んでいたのが「チョン公」となり「チョン」となった、というのが一応の定説である。
が、頭が悪いという意味の「ちょん」と掛けて朝鮮人のことを「チョン」と言うようになったという説もある。
そうであれば無関係どころかがっつり関係している気がするが…。
1960年代に自動露出のコンパクトカメラが発売されて「バカチョンカメラ」と呼ばれるようになった(ただしこれはVacation Cameraの日本語読みという説もある)。
一種の流行語のように気軽に「バカチョン」と言われるようになったのはこれ以降である。
それから1975年には三笠宮崇仁親王が言った「バカチョンカメラ」が差別用語とみなされて抗議を受けたという。
以降、散発的に抗議が起こり、「バカでもチョンでも」は差別用語である、とする認識が1980年代に形成されていった。
「バカでもチョンでもは朝鮮人のことではない」といったカウンターが盛んに言われるようになったのは1990年代からか。
以上から、「バカでもチョンでも」のチョンはやはり朝鮮人のことであった…などと強弁するつもりは、もちろんない。
ここで言いたいのは「『ちょん』という蔑称は江戸時代から存在していて朝鮮人に対する蔑称とは別物だ」という主張は怪しいぞということだ。
その子はクセが強くて、強気で、いじめっこ的な気質もあって、私は苦手だなぁ…と思っていた。
実際、その子とはあまり仲良くならずに、稀に話すのみであった。
でもその子の絵は卓越して上手くて。
小学校の中では絵が上手い方だった私は、段違いに上手いその子の絵に、嫉妬さえ通り越した、憧れの念を抱いた。
その子の休み時間に描く絵は、街の電柱や看板にエアスプレーで落書きされているようなポップな画風が多かった。軽快で攻撃的で、少し怖い感じの絵。その子は目玉のモチーフが好きだったっけ。
その子の、美術の時間に描く絵は、普段とは違う雰囲気を持っていた。毒と繊細さとを纏っていて。その子の重い内面を予感させた。
これは今になって改めて気づいたけれど、その子は普段、強く振る舞うが、その実、脆くてセンシティブな性格だったろうね。
卒業式の後、教室に戻ってきて、クラス会も終わって、帰る時間となった。自由時間ができると、何人かの子たちが、卒業アルバムの最後の空白のページに、メッセージを書いたり書いてもらったりをし始めた。
私もいつの間にかそのやりとりに混ざっていて、そういうやりとりを何人かとしているうちに、いつの間にか教室がガランとし始めていた。あの賑わいは教室の中から、体育館の前やロビーなどの外に移っていたようだった。
教室は、まだセーターが必要なくらいには寒かったが、春の陽射しが、教室の床の木のタイルを暖めていた。
同じクラスにいた間、あまり会話もなかった私とその子であったけど、私は彼女に絵を描いて欲しかった。
と私は彼女にお願いをした。
すると、彼女はいつものごとく、めんどくさいなあとか、しょうがないね!みたいに小言を言いながら、でも、楽しそうに私のページにイラストを描いてくれた。
卒業式の日も、その子の筆箱にはずっしりとたくさんの色のサインペンが入っていて、色も選ばせてくれた。
実家のすぐ裏に、こちらのキッチンの窓にピッタリ付きそうに密着した家がある(仮名U)。
こちらのキッチンの換気扇が、U家のリビングの窓に面しているらしい。
私がまだ幼い子供だった頃、母が揚げ物をしていたら
「嫌だ!なにこの臭い!部屋の中が油臭くなるじゃない!今すぐやめろよ!」と
母は慌てて調理を中止し、晩のおかずは他のものに変更となった。
服に、醤油や脂の移り香が酷くなった。
あれから何年経っても十数年経っても、
扉を開けると、「うっ、またか…」となる。
私の母はU家の主婦の機嫌を損ねるのを怖がって、
見て見ぬ振りを続けてきた。
「うるっせーな!なんだよてめぇはよぉ!」
「何回同じこと言わせんだよ、このクソ野郎が!」
U家の換気扇の吹き出しは、私の家に入り放題だが、こちらは換気扇を点けられない。
向こうのテレビの音は漏れても、こちらの音は聞こえよがしに文句を言ってくる。
その為には、私が頑張らなければ。
無職中年男が若くてきれいな女性に失望した話を読んで、書かれていることよりも何が書かれていないかの方が興味深いと思った。
非モテの中年男が若くてきれいな女性から唖然とする言葉をかけられたという話です。ヤラせてくれなかった、という話ではありません。
「ヤラせてくれなかった、という話ではありません」とわざわざ強調しているのは注目に値する。増田にとっては自分が若い女性の言葉に真剣に傷ついたということが重要で、そこに性欲があったと認めるのはみっともないことなのだろう。
中年男が若くて美しい女性と関係を持とうと必死になって失敗するという話はそれなりにありふれたものだし、みっともないことではあるが、一回り下の年齢の女性の言葉に真剣に傷つくことの方がみっともないことだと考える人もそれなりにいるのではないだろうか。
魅力的な異性に性欲を感じるのは当たり前のことで、相手に物理的・精神的に害を与えないかぎり罪ではない。増田が自分の性欲をみっともないものだと考えているのだとしたら、それは不幸なことだと思う。
私は中年の独身男である。女性にはまるで縁がない。数年前にうつ病を患い、無職となった。
精神疾患を持つ人に共通する悩みだと思うが、誰かに苦しみや悩みを聞いてもらいたくても、聞いてくれるような人はなかなかいない。
老化、結婚、恋愛、病気、仕事、増田が苦しんでいる理由が最初の一文に列挙されている。「30代」や「40代」ではなく「中年」と書いていること、うつ病になった経緯、無職になる前についていた職種などが書かれていないことなど、全体的にぼかされていて、増田がこれらについて詳しく語るのに抵抗を感じていることもわかる。
家族や友人がいるのかいないのか、いるのだとすればなぜ苦しみや悩みを聞いてもらえないのか、いないのだとすればなぜそのような状況になったのか、これも曖昧にされている。
そこで私はレンタル彼女を利用することにした。お金を払って、若くてきれいな女性と一緒に食事などをしながら話を聞いてもらう。おさわりは一切ない。そういう人たちは会話がうまそうだし、私もうれしいし、普段縁のない層の人と話すことで客観的な視点が得られそうだと思った。
恋愛相談ならともかく、仕事や病気について客観的なアドバイスをもらうためにレンタル彼女を利用するというのはかなり不自然である。ふつうなら、若くてきれいな女性と一緒に過ごすことで気が晴れると思った、などと書くところだろう。ここでも増田は自分の性欲や恋愛へのあこがれを無理に押さえつけているように感じるし、そうだとすればそれは不幸なことだと思う。
利用してみたところ、顔はきれいなのに無愛想だったり全然喋らない人がわりといた。かなりきれいな人から「クソ安い服」という言葉が出たときは、えー……そんな言葉使っちゃうんだ、と思った(まだ20歳くらいだったからだと思うが) 。そういう人は避けていい人を探した。このとき顔を基準に選んだことは正直に告白する。そうしないと絞り込むのが大変だったというのもある。
そのうち、みゆ (仮名)さんと出会った。20代半ばで、人目を引くかわいい顔立ちだ。ホスピタリティーといおうか、愛想が良くて笑顔を見せるし、積極的に話題を振ってくれるし、仕草も丁寧で、謙虚で優しそうだった。この人なら話を聞いてくれそうだと思った。
レンタル彼女のようなサービスを利用するときに顔を基準に選ぶのはなにもおかしいことではない。「そうしないと絞り込むのが大変だったというのもある」なんて言い訳も必要ない。
「この人なら話を聞いてくれそうだと思った」という増田は相手に真剣に好意を寄せたのだろう。好意を寄せられる相手ができて、その相手と定期的に会話できる機会があるという事実は、増田の精神衛生にかなり良い影響があったのではないかと想像する。
みゆさんを指名し、自分の病気のことと無職であることは早々に話した。みゆさんは驚いた様子で、50歳から人気職に就いた人の話などをして励ましてくれた。
自分の話ばかりだと愚痴を聞かせているようになってしまうので、みゆさんの話も聞いたり世間話をしたりするよう心がけた。みゆさんがそういうのを好きそうではなかったので、下ネタや下心を匂わせるようなことは一度も言わなかった。飽きさせないよう行く場所は変えたし、食事も奢った。
客として自分の話だけ聞かせてすっきりするというのもレンタル彼女の利用法として問題ないように思われるが、増田は相手とお互いに思いやれる対等な関係になりたかったのだろう。
「お金があまりないので、数ヶ月に1度のペースで指名した」というのは、金があればもっと頻繁に会いたかったということである。相手にとって、数か月に一度しか会わない自分は大勢いる客の一人にすぎないということを増田が認識していなかったはずがないと思う。相手が自分以外の客にも「レンタル」されていることを増田がどう思っていたのか、会えない期間の数か月を増田はどう過ごしていたのか、「おおむね、いい感じ」の裏にはそれなりの大きさの苦しみがあったのではないだろうか。
例として挙げられている発言はどれも些末なものだが、増田にとっては重大事なのだということはわかる。相手にとっては数か月に一度、数時間くらいしか会わない相手なのだが、増田にとっては何か月も焦がれるように思い続けていた相手なのだ。人生経験も浅く、増田と実際に過ごした時間も長くなく、増田は大勢いる客の一人に過ぎない、そういう相手に自分の気持を正確に理解してほしい、不用意な言葉で傷ついた自分に共感してほしい、そう思う増田は傍から見れば不合理なのだが、増田本人の思いは切実なものだろうと想像する。恋愛感情というのはそういうものだろう。
どの発言も、みゆさんに悪気はないのはわかっている。会話の技術が足りなかったのだ。私だって会話はうまくないし、みゆさんと同じ20代の頃だったら今より知識も技術も少ない。たくさん失敗をした。
ただ、無愛想な人やがさつな人に言われるならわかるのだが、数人の中から選んだみゆさんのような、きれいで優しく他人を思いやっていそうな人がこんなことを言うことに驚いた。外見は立派なのに、中身は普通だったんだと思い知った。
私は今まで、みゆさんのような若くてきれいな女性は貴族で、自分は貧民であるかのように思っていた。「KKO」や「おじさんLINE」など、ネット上で中年男は嫌われ嘲笑される風潮がある。女性にモテず無職の自分はその「駄目なおっさん」に分類されているという意識に囚われていた。
街中で若くてきれいな女性を見かけると、彼女らは流行に敏感で人々の注目を集め人づき合いが得意で交友関係が広く時代の先端をいく陽向の存在であり、それに対し自分は人づき合いが苦手で時代に取り残され誰にも注目されず何の価値もない日陰者で、彼女らの視界にも止まらない澱んだ空気のような存在に感じていた。
しかしみゆさんと話してみて、外見はいくらきれいで立派でも、中身は至って普通なんだと気づいた。私は劣等感など感じることはなかったのだ。
なぜ「若くてイケメンの男」ではなく「若くてきれいな女性」だけが増田にとって問題になっているのかといえば、それはやはり性欲や恋愛への憧れがあるからだろう。性欲や恋愛への憧れが満たされないことについて苦しむことも、仕事や病気について悩むことも、人として何もおかしいことではない。これらの悩みや苦しみがごちゃ混ぜになって「若くてきれいな女性」を絶対的な存在だと考えてしまったことで増田の苦しみはさらに強まったのではないだろうか。「駄目なおっさん」を断罪する神のような存在だと思っていた「若くてきれいな女性」も人間なのだと増田が理解したことを喜ばしく思う。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
みゆさんの発言の何が問題かは本文に書いてあるのに、「それが普通だ」と書くだけで正面から反論しているものは一つもない。
カウンセラーと連呼されているが、病状を説明しているだけで、病気についての相談はしていない。就職などの社会的なことについても「どの仕事に就けばいいか」なんて相談はしておらず、世間話として話しているだけだ。
増田がするべきなのは、相手の発言を何度も反芻して相手に落ち度があると確認し続けることではない。相手に悪意がなかったとしても、増田の気持が傷ついたのは事実だろうし、そのこと自体を否定する権利は誰にもない。しかし、理由のないことに理由を探そうとしても苦しみが深まるばかりで、それは増田に良い結果をもたらしはしないだろうと思う。相手にとって増田は数か月に一度しか会わない何人もいる客の一人にすぎず、発言は人生経験も浅い若い女性があまり考えずにしたものにすぎないのだから、深く考え続けるのは無意味だ。
増田が向き合うべきなのは、自分から相手への思いの深さと相手から自分への思いの深さが同じではないこと、その根底にある自分の性欲や恋愛への憧れから目を逸らさないこと、それらを仕事や病気の悩みとはわけて考えられるようになることだろう。
そのように考え方を変えるためにカウンセラーを利用することは有益だと考えられる。カウンセラーは増田の恋愛や仕事の問題を解決するためのアドバイスをしたりはしない。増田がカウンセラーに自分の悩みや苦しみや気持ちを言葉にして語ることで、増田が自分の気持をより整理して考えられるようになることが第一の効果である。その点で、今回のように自分の思ったことを文章にして投稿することはカウンセラーに話すのと同じような効果がある。カウンセラーを利用すれば、無意識に語るのを避けている部分について語ることを促したり、認知の歪みを指摘したりして増田が気持ちの整理をすることを積極的に助けてくれるだろうが、それに抵抗があるなら、今後も、同じように公開するのでもいいし、公開しない自分のためだけの文章を書くのでもいいから(「筆記療法」とか「ロールレタリング」とかで調べてほしい)、自分の気持を言葉にする作業を続けることで気持ちが楽になってくるのではないかと思う。
前回の日記 → 結婚して妻の姓になり7年がたった
僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。
生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性と結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋に名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。
今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田の醍醐味ですよね? 使い方あってる?
なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前に他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。
通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。
「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」
その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。
しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式前から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。
ナバタメ家は結構大きく、正月には一族の女性が作ったおせちを大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇とお年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父の長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?
さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単に墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。
ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。
大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。
そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富なはてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。
この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題は解決しました。
「ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父は通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分が管理するようにしたから問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」
一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。
骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。
なわとび:601回
徒歩:107.8kcal/3523歩
ウィービング完全に理解した
あれはしゃがんだ後にちゃんと立ち上がることで判定が入る
しゃがみが中途半端でも、ちゃんと立ち上がりの動作を入れれば判定される
徒歩の時間を短縮してなわとびの回数増やしたほうが効率がいいのでは&心肺機能向上に役立つのではと考えて、少し運動の配分を変えてみる
山登り二日間してみて、なわとびによる心肺機能の向上がものすごく実感できたので
(あと、なわとびは100回とんでも1分とかからんしな)
それにしても、600回とんでも全然疲れなくなったので、ちゃんと鍛えられているんだなあとつくづく思う
https://twitter.com/kuko222/status/1284065308752277504
同じ作者の『ロリータ飯』↓を買って読んだ
https://comic.pixiv.net/works/6682
https://twitter.com/kuko222/status/1288413995490086912
このひとは小話っぽいのだと明るいギャグ調でまとめるけど、長い話にするとアイデンティティに悩むややウェットな話を描く作者さんっぽい
で、たぶんだけど、この作者さんはまだそんなに手持ちのお話の引き出しが多くなさそうなので、もしかするとこの後の作品も湿っぽいアイデンティティの話がワンパターン気味に続くんじゃないかという気がする
仮に同じ展開が何度も何度も続くようなら食傷するだろうけど、それはそれとして『ロリータ飯』自体はわりと面白かった
ロリータファッション好きで大食らいのカロリータ(仮名)が、ロリータ道と食欲と恋の間で揺れ動くラブコメ漫画
前述の通り、ロリータファッションが好きで、何があってもそれを着続けて、そういった服装にふさわしい振る舞いをしようと心がける主人公のアイデンティティといわゆる「世間」との間の葛藤がわりと湿っぽく描かれる
「たくさん食べる君が好き」な彼氏くんがいい子
まず言っとくとグロ系とかブス系とかスカ系の話ではない。
ちょっとハード目なプレイを売りにしている池袋の店に興味持って行ってみることにした。増田は30代、風俗歴はそこそこ。月1行くくらいが関の山の、まあ普通の客だ。
嬢はネットの口コミで評判が良い子を選んだ。仮名をRとする。背丈は150センチくらいのややむっちりした、20代前半ぽい若い子だ。顔はかなり可愛い。こんな子がハードなプレイをこなすとは胸が踊る。90分で予約。
店はデリヘルだったのでホテルに入り、予約時間に嬢がやってくるシステム。つつがなく北口のホテル街の一室に陣取り、待つこと15分。
やってきたRは確かに可愛い子だった。目はクリクリぱっちりしてて好みのタイプ。こちらはやや緊張しながら迎え入れると、いきなり「どーん!」と叫びながらベッドにダイブするR。
まずこの時点でビビる。「こんにちわー!Rだよ!」元気良い挨拶。「こんにちわ!元気だね…」
「みてみてー!これ!」そう言いながらRはワンピースのスカートを腿までめくりあげてみせた。
おっと早くもプレイスタートか?と思いきや、膝から脛までをびっしりと覆う無数の青あざに気付く。「昨日お風呂で転んじゃったのー!」ケラケラ笑いながら嘯くR。
「へ…へえ…大丈夫?」
「それでね!鼻も打っちゃって!だから顔も腫れてて超ブスだけどごめんね!」
言われてみれば少し腫れぼったい。
勘弁してくれ…理由はさておき、俺は他人の怪我を見るのは駄目なんだ…
DVか何か分からんし、個人の事情に立ち入る気はない。どう声をかけたものかと思案してると「いっただっきまーす!」
いきなりRが床に膝まづいてフェラが始まった。悪くない…けど…エロくもない!
既に悪い予感で一杯である。何よりRに話が通じない。何も噛み合ってる気がしない。
風俗といえどもコミュニケーションは取りたい方である。人間の形をした穴に棒を突っ込んで満足するならドールで良い。
いまいち反応が悪い増田を見て取って、次々と体位を変えてくるR。仕事熱心ではあるのだろう。好感は持てるが股間は保たない。
Rの焦りが伝わってきて、こちらも文字通り委縮してしまう。あと力が強くなってきて、痛い。そうRに伝えるとしばらく押し黙ってしまった。
気を悪くしたかな…と思ったが、そのうち聞こえてきたのは嗚咽だった。えええ!?別にそんな強く言ってないし!?
「R…分かんない…」「いや、ごめん!気にしないで」やべえと思って慰めの言葉をかけると、急に顔を上げてニコッと笑うR。
「平気だよー!」
なんだろう…この話の通じなさ。キンタマがスッと冷める。
おそらく彼女なりにプロ意識があって、そこから外れた感情が漏れたこと、残り時間、段取りの整理などを考えて業務に徹したのだろう。
ただその振り幅にこちらがついていけない。
そこで合わない話をなんとか繋ぎ合わせて聞き出したら、自分の客は基本受け身のMっぽいプレイが好きだと言う。強めの刺激でないと駄目な客が来る店であったようだ。
リサーチ不足だった…
Rはそれでも時間いっぱい頑張ってくれたが、こちらはもう萎え萎えである。
お互い「ごめんね」と謝りながら別れる羽目になった。
諭吉が何人か消えた。
不幸な出会いだった。嬢もノリは変だが真面目な子である。誰も悪くない。強いて言えばもっと詳細なサービス内容が事前に分かればよかった。
いや…己自身の性癖を増田もよく分かって居なかったのが原因でもある。
とりあえず増田はドMではないし、プレイを指示されるのも嫌であるらしい。あと割と攻めたい方。
Rもこのあと4回はイカせたので、それは良かった。
己を知り、敵を知れば百戦危うからず。
あと乳首は男でも開発しておいたほうが嬢にはウケが良い。
※字面だけですが刺激の強いワードを書いています。無理みな人は読まないでね。クソ長いお気持ち文です。
「イエスロリータノータッチ」って「触らなければ加害じゃない」という認識で言ってるんだろうけど、たとえばCMに出てくる未成年に対して「あの携帯会社のCM、子役のおっぱいがエロい」って言うのとか、未成年レイヤーに対して「ハイエース不可避」って言うのは加害であるって認識は出来ているのだろうか。今日見かけた通りすがりの女の子がパンチラしたとして、そのラッキースケベを目に焼き付け「今日、近所のお野菜マーケット(架空の店舗名)で見かけた白ワンピツインテールのロリが盛大にパンチラしてた。トリピュア(架空のニチアサアニメ)のパンツだった」とイラストを描くのが加害であると分かっているのだろうか。避難所の案内に対して「合法的にロリが視姦できる」と言うのは。コミケ会場に来た未成年レイヤーの股間をアップにして撮るカメコは。コミケのエロ紙袋を子供に無理やり見せるのは。
これら全部を「ノータッチ」に分類し無罪にしているとしたら、大変にまずいと思う。
(前置き①当たり前だけどショタでもロリでも男でも女でも被害者になりうる。全て併記するのは億劫なので、この記事において「ロリ」「ショタ 」「男」「女」「くん」「ちゃん」等、性別については基本的に両性を指していると認識して欲しい)
(前置き②今回のショタラブドールのレポ漫画を書いた人。小児性愛者じゃなく承認欲求のために描きましたと宣言したらしく、それで無罪になるわけではないがとりあえず火元を「小児性愛者」とする事はよしておく。(そもそもコミュニティの中で「それはまずいんじゃないか」という指摘はあったらしいし)火元、でいいだろうか)
(前置き③現時点で何かしら法的に罪を問われた訳ではないが、自分の中で「倫理的にまずいだろう」という意味合いで『罪である』という言葉を出すと思う。自分は法律の専門家ではない)
(前置き④これは個人の意見であり、オタク・フェミ ・被害者の総意ではない)
(前置き⑤非実在児童にはエッチな事していいとしているが、もちろん版権元や投稿サイトのガイドラインは遵守した上でやらなくてはいけない)
自分はコミケに年齢一桁から通っているオタクとオタクのハイブリッド元実在児童で、成人した現在も非実在のロリショタ遊郭だのショタ王子の無知シチュだのロリ神様に性液を捧げて豊穣を祈る奇祭をめちゃくちゃ書いているオタクである。ちなみに二次創作はほとんどやっていない。
自分はあまりにも火元に対しての擁護が多すぎて正直引いている。オタクに限ったものではないが、目立つのが前述の標語をよく知っているオタク層である事、ラブドールを非実在児童であると認識している層が擁護している事を踏まえ、同じく非実在児童に大変にやましい事をしているオタクであるというのを強調させてもらった。
まず、自分は実在児童を性的に見ること自体は罪ではないと思っている。執拗にパンチラを狙ってカメラを構えたり舐めるように見詰めたりする加害行為がなく、口に出したり何処かに書き込んだりしてそれを表明しない限りは、実在児童はそれを知る事はないので、例えば「隣のうちの○○くんのショタオチンポちゅぱちゅぱしたい」と《思う》だけなら罪ではないと思う。
ただし、加害行為を行えばもちろん罪であるし、その加害行為には「実在児童に対して性的に見ていると宣言する事」も含まれていると考えている。擁護側からは、この点がとてもバッシングされているように思う。実際に手を出すのと行動に移すのは別物だ、という意見をよく見かける。
ところで、これは性別年齢を問わず全員に考えてみてほしいのだけど、例えばあなたがザンギオオモリ駅(仮名)の駅構内にあるカフェ『美味しいコーヒー屋さん』(仮名)に毎朝赤いスーツを着て通っているとしよう。美味しいコーヒー屋さんの公式アカウント、あるいは美味しいコーヒー屋さんに勤めている、美味しいコーヒー屋さんに通っていると明言しているアカウントで「毎朝来る赤スーツのイケオジ、ピチピチスーツに透けるケツの割れ目が超エロい。縦割れアナルになるまでレイプして絶叫アクメさせたい」と書かれているのを見かけた時、嫌悪感はないだろうか。「定期チラ見したら最寄りが同じだったわ。待ち伏せしてみようかな」と書かれていたら、恐ろしくならないだろうか。自分だったら赤スーツをやめて、そのカフェには金輪際寄らなくなるし、灰色のスーツを着てカフェを避けたとしても、「顔を覚えられていたらどうしよう」と怖くなる。そうやって被害者の行動や服装を制限したり、恐怖を与える事は加害である、と自分は認識している。
それが例え、実際にはウケ狙いでしかなくアナルに興味がなかったとしても、赤いスーツを着た人が実在しなかったとしても「ザンギオオモリ駅の美味しいコーヒー屋さんには、赤の他人を加害したいと思いながら見ている人間がいる」と思うだけで相当な嫌悪感がある。もちろんそんな書き込みがなかったとしてもそういう人間はあちこちにいる事は重々承知しているが、加害したいと明言され、しかもそれが自分のテリトリーにいる事が可視化される恐怖というのは、明言しない場合と比べものにならないだろう。
大人に対しても充分加害になりうる事を、それに対しての精神的な耐性がない、また、服装を変えたり、通学路を変えたり、一人での自衛が大人よりもずっと難しい子供に見せる事が、本当に加害ではないのだろうか、と考えるから、宣言する事は罪なのだと自分は考えている。
今回の火元の発言に、『小学生男児に言って事案になるラインはどこからだと思いますか-月が綺麗ですね、お友達から始めませんか、君の全部をください、5万円でどうでしょうか』というアンケートがあったという。赤スーツの件ほどではないとはいえ、明確に、小学生男児に買春を持ちかけたいと表明する事は、本当に加害ではないのだろうか。しかもこの火元は、漫画の中で『現実の男の子に手を出す前に』とも言っている。
まあぶっちゃけ、これだけだと「自分だと判断出来ないからセーフじゃん?」と思う人は結構いるかもしれない。ただ、実在の小学生男児(ツイッターは13歳から使えるようになるらしいので、小学生男児が見てたら規約違反ではあるが、この年齢は「昨日まで小学生男児(12歳)だった子供」も含まれる)や、小学生男児を子に持つ親や、かつて小学生男児だった大人の中には、ゾッとする人もいるんじゃないだろうか、と思う。ちなみに自分は実在児童である時に「1万でどう?」と付き纏われた事があるので、とてもゾッとする。なので自分は火元の発言を罪だと思うし、火元にも擁護する人間にも、考えを改めて欲しいと思っている。
火元はもう一つ、明確に実在児童に対しての加害をしている発言がある。「ショタラブドールでえっちな写真を撮って、DeepFakeで顔だけ幼少期(実在児童名)や幼少期(実在児童名)にすることも可能だと」である。名前は実在人物名なので伏せさせてもらう。現時点でこの二人は成人しているものの、当たり前だがかつては実在児童だった人間だ。「お前を性的にみているぞ」と名指しで言う事は本当に加害ではないのだろうか。自分は考えるまでもないとは思うのだが、考えなくちゃわからない人は、それを上司や親やしらん人に言われた時のことを考えて欲しい。ちなみに性的なからかいをする事は厚生労働省なんかでもセクハラだとしていたりする。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/00.pdf)セクハラは内容により色々な罪状が付く犯罪であるので、加害ではないと思う人は、出来ればもう人間に関わらないでくれ、と思う。
火元の発言について、上記の理由で自分は全く擁護が出来ないでいる。
これはおまけ程度に見て欲しいんだが、非実在児童に対して言っている場合も罪になるのか、という話については、個人的にはNOだと思っている。非実在児童であると明言(架空のキャラクター名を出すとか、架空の世界であるとわかりやすく明示するとか、その程度でいい)していれば、少なくともオタクである自分は「あぁ〜二次ロリご馳走様です」と思える。あくまでも自分は、である。ただ、これは線引きが難しいが、実在人物を参考にした、と明言する必要はないし、明言した時点でやはり加害になる、と考えている。
例え話ばかりなのだが、よくツイッターに流れてくる「ザンギオオモリ駅で通勤中に見かけた男子高校生二人組に興奮したので『教えて!伊勢崎くん!』(仮題)のテリ(仮名)×イセ(仮名)で描いてみた」とか「職場の上司がエロいので『俺の職場の百合ボイン先輩』(仮題)のパイパイ先輩(仮名)で描いてみた」なんかも加害である、と考えている。「通勤中のモブ目線のテリイセです」「いちいちエロいパイパイ先輩です」って書けばいいところをわざわざ実在していると明言しているのだから。
今回は火元の行動や発言を「「ラブドールという非実在児童に対する加害行為」へのバッシング、としている層」と、「「ラブドールを通して行う、実在児童に対する加害行為」へのバッシング、としている層」の食い違いによって起きた事例だと思う。自分は後者である。
もし、火元に実在児童への言及を避けるだけの配慮があり、あくまでも「ラブドールかわいい」「ラブドールエロい」「ラブドールの乳首きれい」とだけしていればこれほど炎上する事はなかったと思うし、その場合は自分は問題ないと判断していたし、ラブドールは非実在児童なので、ボコボコに殴ろうが拘束しようが性液塗れにしようが、何ならディルド挿入したハメ撮り画像を載せてようが基本的には問題ないと思う。(完全に忘れてたけどツイッターでは児童を性的に消費するコンテンツは非実在のイラストだろうがなんだろうが規約違反だし、センシティブ設定なしでポルノ載せるのも確か規約違反らしいので、それが許されているサイトやれってのは言わずもがな〜)
人事部長という役職名ではないが、似たような名称のポジションだった。
問題のある社員への指導教育だったり、人間関係のトラブルに決着をつけたり、罪を犯した人間を罰したりする機能だ。
それに比べれば、勤怠管理だの、給与の支払いだの、社会保険の手続きなどは子どもの遊びに思えてくる。
今でも夢に見る。
後悔がある。どうしてあの時、もっとやれなかったんだろう、やらなかったんだろう。
どうして、あの人の心に寄り添うことができなかったんだろう。どうして、自分の思う正しさを貫くために上位の役職者を説得しなかったのだろう。
そんな後悔を吐き出したくて、はてな匿名ダイアリーに投稿することにした。
事案は4つある。そこまでぼかしてはいない。私自身と向き合うためには、真実を吐き出さないと意味がないからだ。
彼女は現場の仕事をする職種だった。現場といってもそこまで肉体労働ではないけれども、専門職なのは間違いない。
ある年から、その仕事を外注に出すようになった。このままでは失業することになるが、組織として無責任だということで事務職に職種変更となった。
結果は想像のとおりだ。てんで話にならなかった。
料金計算を間違えた請求書を送るし、システム上の顧客情報を誤編集するし、よく交通事故を起こすし、難しい質問がきたら硬直して動かなくなるし、気分の浮き沈みが激しい。
職種変更してからは、1年毎に様々な部署をたらし回しになった。当時の私は人事部長でも何でもなかったけれども、1年毎に異動するパターンの人なんだな、というありきたりの感想だった。
こういうタイプの人は、適合する部署が見つかると十年単位で同じ部署に磔になる。いい部署が早く見つかってほしいな、と思ったのを覚えている。
4つ目の部署だったと思う。この部署は、基本的に事務が主体だが、肉体労働の仕事もあった。
彼女は、あろうことか肉体労働のポジションに充てられてしまったのだ。木を切ったり、ごみを運んだり、池に浮かんだ鳥や鼠を回収したり…
一度だけ、見たことがある。ごみ処理場のダストシュートに軽トラックが止まっていて、60から70くらいの老人達(シルバー人材センターの会員だと思う。派遣労働者ならもっと若いことが多い)が伐採くずをダストシュートに投げ込んでいたのだが、その現場で彼女も仕事をしていた。
泥まみれの作業服。トラックの荷台の上で、えっちらおっちらと伐採くずをダストシュートに放り込んでいた。
ひどい話だろう。でも、当時の私はそうは思わなかった。その部署には肉体労働ができる男性が足りていなかったので仕方がない。そう思っていた。真奈美さんの上司は男性だったけれども、管理監督職がそんな仕事をすべきではないと素朴に考えていた。
労働組合の女性部が人事研修課に怒鳴り込んできたのを今でも覚えている。「どうして女性社員にあのような仕事をさせているのか」、「あなたたちには法的な正しさ以外は理解できないのか」といった内容だった。
その後すぐ、真奈美さんの職場を覗きに行った。上司に怒られている最中だった。周りの社員は何も言わないでいる。むしろ失笑していた。仕事が早いわけでもなく、制度が高いわけでもないので当然の結果だったのかもしれない。
翌日、私は課長に相談に行った。「真奈美さんはあのような状況ですし、肉体労働で女性の社員がケガをしたらうちの課の立場が悪くなります。今年度末で異動させた方がいいと思います。早ければ来月にでも」といった内容だった。課長は、「急ぎの案件ではない。そのうちまた検討する」と言っていた。
それが12月の初旬だった。この3週間後に真奈美さんは死を選んだ。死因は延べない。
今でも夢に見るのは、課長に相談をした場面だ。どうして、「うちの立場が悪くなる」という理由を述べたのだろう。「真奈美さんの健康が心配です。大事になる前に手を打ちましょう。今すぐに異動させるべきです」となぜ言えなかったのだろう。
なぜ私は、正しい行いができなかったのだろう。
事案2 結衣さん(当時18才)
性格は明るめだったと思う。高い声の人で、社内で大声で笑い過ぎて注意を受けることがあった。
配属されたのは債権管理の部署だった。知能テストで理数分野の点数が高かったのと、定型的な業務が中心の部署なので、新人に相応しい配属先だと判断された。
問題が起こった。配属されて3か月が過ぎた頃、人事に連絡が入った。「あの子は服装が派手過ぎる。あれではお客様の前に出せない。試用期間中なのにあれはひどい」というものだった。
先輩や上司が注意しても直す気がなく、それどころか、注意した男性の先輩をハラスメントで人事に訴えると威嚇したという。
結衣さんのいる部署の前を不定期に通ってみると、いくつかのことが判明した。
実際、派手な装いだった。髪は金髪だったし、ピアスをしていたし、ひらひらのスカートを身に着けていた。
接客態度もお世辞にもよいとは言えなかった。お客にため口になったり、自分1人では手に負えないのに先輩に相談せずに不動産会社に怒られていた。
人によって態度が違う。若手社員に対しては強気だが、お父さん風(?)の優しい雰囲気の社員の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
結衣さんに対して研修室で面談を行った。当時は役職がついていた私と、課長(事案①と同じ人)と、結衣さんの直属の上司がその場にいた。
本人が言うには、
・変な格好で来ているとは思わない
・仕事に来る服装は自分で選びたいし、他人が口を出すのはおかしい
・この格好が自分らしい。学校でも、アルバイト先でも文句を言われたことはない
結衣さんは、最後には「努力します」と言ったけれども、金髪が直ることはなかった。服装は大人しめになった気はしたが、私にはファッションのことはわからない。彼女と同年代の女性社員に廊下でやんわりと聞き取ったところ、「反省する意思はない」とのことだった。
私は反対したが、すでに人事のトップである総務部長まで話が通っていた。あとは役員級が承認するだけだ。
さて、当時の手帳を見ながらこれを書いているわけだが、その中には彼女に対する個人的乾燥として、こんなことを書いていた。
自分の意志があって動いているように見える。高校生で3年間アルバイトをしながらうちの入社試験に通ったのはすごいし(※当時の弊社の高卒入社倍率は30倍程度だった。おそらく今でも)、3人の年配社員に囲まれても自分の意見を貫いたというのも尊敬できる。うちの娘や息子を見ていても思うが、彼女は優れている。ぼんくらじゃない。うちの子ども達が情けなくなってくる。でも、うちの会社とは相性が悪い性格なのは否めない
結衣さんは、その後どうなったと思う? ここに記している時点で読み手は察しておられるだろう。
久保になったのだ。試用期間で切られた。
あの時、研修室で「あなたを本採用できない」と伝えた時の彼女の面持ちは今でも覚えている。一瞬、歯ぎしりをしたように見えた。眉間に皺を寄せたと思ったら、すぐに平時の顔つきに戻った。淡々とした声の調子で、「わかりました」と言っていた。涙を浮かべるのを我慢していた。
…それから、私は結衣さんを首にしないために何をしたと思う? なにもしなかった。
『まさか、総務部長やそれよりも上の人間が、高卒の子を半年で切るという意思決定はしないだろう』
手帳には記していないが、私は当時、こんなことを考えていた。情けない。今でも結衣さんの顔が脳裏に浮かぶことがある。
そのことがあってから、「別の会社でうまくやれていたらいいな」とずっと考えていたし、ずっと祈っていた。
真奈美さんと違って、結衣さんの夢は見ない。良い知らせがあったからだ。政令指定都市の職員として働いていることがわかった。
知ったのは偶然だ。回覧物に閲覧済のシャチハタを押している時、偶然に名前を見つけた。
あの時の安堵を言い表すのは難しい。心の底から安心できた。この日は早く家に帰る予定だったが、変更して居酒屋に寄ることにした。
事例3 和也さん(当時20代後半)
発達障害と呼ばれていた。私には診断能力はないが、周囲の評価はそうだった。
ある時、彼が直属の上司を怒らせてしまった。その上司は、一般市民その他の重要人物が観ている前で怒鳴り声を上げたのだ。私も見ていた。イベント会場だった。彼が指示を守らなかったのが原因のようだ。
その上司と和也さんは偉い人から大説教を受けた。後日、彼の指導教育を人事で受けることになった。
事前の報告書によると――まず、空気が読めない。他人が喜ぶとかイラつくとか、そういったことを予想できない人だった。
会話能力が低い反面、言語での表現能力は高い。文書ドキュメントの作成能力は社員の平均を超えていた。特に、プログラミング能力が秀逸であり、エクセルの帳票データを改良しては、これまで半日かかっていたものを20分で~みたいな改革を進めているとのことだった。
文章やレイアウトのこだわりが非常に強く、人が気にしない箇所でも時間をかけて修正する。かと思えば、オフィシャルな文書で使うべきではない表現(見積りあざッスヽ(^^)など)をメールにしたためることもあり、取引先からやんわりと注意を受けることがあった。
彼と面談した頃は、人事研修課長と呼ばれる立場になっていた。実際に面談してみて感じたのは、論理性が高いということだった。すべての言葉に理由を付けようとする。とりとめのない理由もあれば、よく考えているものもあった。
「職場の和が乱れるのはどうしてだと思う?」という質問に対しても、「理由は不明です。非常識なことはしていません。でも、ほかの人と自分の感じ方が違うのはわかります」と答えていた。
ほかにも多くのやり取りはあったが、どうにもおかしい点があった。
彼の発達障害についてだ。当時は発達障害という言葉が流行り始めていた。今ほどには一般的な言葉ではなかったと思う。
彼は発達障害なのか?という疑問を持った。というのも、発達障害に関する書籍を読んだところ、真の発達障害では弊社の面接を突破することは不可能だと確信したからだ。
彼との面談では、イラっとすることはあったものの、怒りの感情とまで呼べるものは湧いてこなかった。彼はその実、他人に配慮することができるのではないか?
つまり、発達障害を装っているのだ。本来的には、別の何かであって、それが原因で周りとの不和が起きている。サイコパスとか、ソシオパスとか、反社会性障害とか、当時は色々と調べたが、素人に結論を出すことはできなかった。
ひとつだけ、わかったことがある。『演技』ができる人間だということだ。
彼の採用面接の記録を見たところ、今の状況とはまるで異なる印象が記されていた。例えば、個人面接では溌剌とした雰囲気だとか、グループ討論では司会を務めており、周囲と協調しながら自分の意見を主張できる~といった内容だ。
グループ討論というのがポイントだ。個人面接では、面接官との相性次第でどうにかなることもある。それが合否の大半を占めるといっても過言ではない。しかし、集団面接の相手は同じ受験者だ。その中でリーダーシップを取って、しかも面接官3人すべてから高評価というのは、これまでの彼の社内評価と矛盾している。
この問題については、根拠を示して解決できるものではなかったので様子見とした。彼は不和こそ引き起こしているものの、能力自体に問題はなかったからだ。小さいミスは起こすようだが、大きいミスの経験はないし、頭の回転も速かった。それに、弊社にとってプログラミングができる人材は希少だった。
彼と彼の部署は結局、不和を乗り越えることはできなかった。和也さんの態度にキレた別の上司が、彼に対して暴力行為を働いたのだ。それを見ていた一般市民が警察に通報し、社屋の前にパトカーが停まった。
半年後、和也さんは転職した。退職面談の記録によると、次に行く会社ではプログラミングの専門職のようだった。IT業界には詳しくないが、はてなブログでもたまに見る名前の会社だ。
彼にとっては、よい結果になったのかもしれない。でも弊社にとっては違う。あれから、社内インフラ等の整備に関する部署が新たに誕生したし、私が退職する間際も情報関係の業務ができる人材は常に足りない状態だった。
今思えば、電算管理システムを担当している総務課にでも異動させてやればよかった。そうすれば、あんな事件によって心が傷つくこともなく、今でも働いていたのかもしれない。
【追記】
昨日の夜にはてなブックマークの人気エントリーに入っているのを見ました。
今では、この日記を消したい思いでいっぱいです。
私は結衣さんのような人に憧れていたのです。
権威や、周囲の空気に流されずに自分を保ち続けようとする姿が羨ましかったのだと、日記を書いている最中に自覚しました。
誤字や脱字が多くなりましたが、修正はしません。このままにしておきます。
ご意見をいただいた皆様への感謝を込め、はてな匿名ダイアリーのコメントの一部に個別に返信します。
※全員へのコメントを考えていたのですが、やはりどうしても途中で切れるので一部としています。ご容赦ください。
長文なので0かな、と思っていました。
今は消したい思いです。
性別に関係なく、上司や周りに空気に逆らえる人間が眩しかったんだと思います。
ただ、若い子なので、自分の感情をぶつけて周りを不幸にすることがあったのは間違いないです。
死なないで。今すぐこの増田をプリントアウトしてもしなくてもいいから病院に行って。 あなたに必要なのは医療です。 読み物としては面白かった
もう少し考えたいと思います。
面白かったのなら幸いです。
彼は発達障害を演じていたのではなくて、定型発達の一般人としての振る舞いを求められて、都度学習しては演じていたのだと思いますよ 発達は本来の自分のままに過ごすと問題を起こ...
彼は頭の回転が速いタイプだったので、面接対策の本をよく読んで勉強していたのかな、とあなたのコメント読んでいて感じました。
突然久保になる結衣さん
日曜日の朝、「お前はなにをしてるんだ?」と恥ずかしさでいっぱいになりました。
率直な印象を書くと、自分ができることを過大評価している感じがするね。本人に起こったことは、本人の選択によるところが大きく、他人がしてやれることなぞはたかが知れているも...
でも、期待が働いてしまうのです。
例えば、ビリヤードの玉が転がっている最中に、横からちょっと力を加えると別方向に・・・みたいな。
自分の力で助けてやりたい、何とかしてやりたいと思うのです。
叶わないことの方がずっと多いのですが。
大事なところで失敗を繰り返してきました。
体力がそこまでないタイプの人でした。
とある中小企業で総務平社員(だった)も罪を告白してみる 人事部長さんの後悔を見て、自分の過去(数年前)がフラッシュバックしたので、総務平社員だった自分も勝手に懺悔の意味を込...
返信させていただいております。
昔の、たとえばサザエさんの波平とかが働いている会社では こういうった和也なんかはトンチの受け答えで 「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする ...
今はどこの会社も余裕がありません。
適合できない人が生き残りにくくなっています。
退職鬱の症状はなかったのですが、最近になって、当時のことが頭をもたげてくるのが苦しくてしかたがありません。
こんなことを試さざるを得ないほど苦しいのです。
各事例については、当然ぼかして書いています。
誤字なのです。この年になると、体調がいい日と悪い日との落差がひどいのです。
事例1~3を書いた日は頭の回転が鈍く、こんなことになってしまいました。
それ以後の内容については誤字が少ないはずです。
その辺は主張に大差がないと思うが。
ただ、「しずらい」表記を指摘する際にマウントとったり知性とかに結びつけて否定的に評価する奴はムカつくって話だろ。
知性があったら、四つ仮名の扱いの変遷にも丁寧に触れるはずだからな。「つらいだから『しづらい』」だと説明不十分か知識不十分だろ。
だから四つ仮名の使い分けは、語源と明治政府の内閣告示という複数要因で規定されているってことだろ。
「しずらい」がダメな理由はだから、語源をもとに明治政府がダメと判断した、という2要素でダメ出しするのが正しい、ってことで元増田は矛盾してないぞ。
「〜しずらい」って書くと、「つらい」だから「〜しづらい」が正しいという指摘があるが、偉そうなのがウザい。
地面が「ぢめん」ではない理由、世界中が「せかいぢゅう」ではない理由を説明できない半端な知識で、「しずらい」誤用を偉そうに語るなよ。
こっちは「つらい」だから「〜しづらい」なんて構造は当然わかっているんだよ。
四つ仮名については、もともとの異なる仮名遣いを統一するよう内閣告示されたもので、基本「ぢ」「づ」を「じ」「ず」と人為的に決めたものなんだよ。だから、単なる暗記屋ではなく物事の共通性を知る人こそ「づ」→「ず」統一のルールを感じ取り「〜しずらい」と書いてしまうんだよ。それを誤用だ誤用だ神妙にせよとうるせーよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/49e632b13df2c5ec4270e0784f0948cc341caeec
より引用
逮捕された医師は元厚労省官僚 「高齢者は社会の負担」優生思想 京都ALS安楽死事件
京都新聞
京都駅に着いた大久保容疑者(23日午後5時32分、京都市下京区)
全身の筋肉が動かなくなっていく神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した京都市の女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警が、嘱託殺人の疑いで、呼吸器内科医の大久保愉一容疑者(42)=仙台市=と、医師の山本直樹容疑者(43)=東京都=を逮捕した事件で、大久保容疑者は、厚生労働省の元医系技官として約7年半働いていたことが、関係者らへの取材で23日分かった。
また、医師2人のうち一人は、「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた。
捜査関係者によると、大久保、山本両容疑者は殺害されたALS女性=当時(51)=の担当医ではなく、会員制交流サイト(SNS)を介して知り合い、直接の面識はなかったとみられる。
捜査関係者の説明では、大久保、山本両容疑者は京都市内のALS患者の女性から依頼を受け、昨年11月30日夕に同市内の自宅マンションを訪れ、室内で薬物を女性の体内に投与し、死亡させた疑いが持たれている。
両容疑者とみられる不審な男2人がマンションを訪れた後、女性の容体が急変し、病院に搬送されて死亡が確認された。女性の体内からは普段服用していない薬物が検出された。京都府警が捜査を始め、防犯カメラの映像などから2人を特定したという。
関係者によると、女性は2011年ごろにALSを発症。死亡した当時声を出したり手足を動かすことができない状態だったが、意識は清明で、メールをやりとりすることは可能だった。障害福祉サービス「重度訪問介護」を利用して1日24時間、ヘルパーから生活全般のケアを受けながら1人で暮らしていた。