はてなキーワード: 代ゼミとは
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
以前から「だれか東進衛星予備校をつぶしてくれ」と言い続けてる者ですがその願いむなしく、東進衛星予備校はどんどんと規模を拡大し続けています。
今年の業績を見ても大学受験予備校業界において圧倒的な独り勝ちといってもよいでしょう。
SAPIXや早稲田アカデミーが可愛く思えるほどの圧倒的な強さです。
決算期 売上高 営業益 経常益 最終益 修正1株益 1株配 発表日
2019.03 45,682 2,666(5.8%) 2,396(5.2%) 1,016(2.2%) 114.7 130 19/04/25
2020.03 45,182 4,575(10.1%) 4,250(9.4%) 2,926(6.5%) 332.6 130 20/04/23
2021.03 45,853 4,592(10.0%) 4,512(9.8%) 2,427(5.3%) 276.6 130 21/04/22
2022.03 49,406 5,590(11.3%) 5,153(10.4%) 3,440(7.0%) 392.1 200 22/04/21
予 2023.03 55,118 6,677(12.1%) 6,093(11.1%) 4,388(8.0%) 500.0 200 22/04/21
それどころかがっつり国に食い込んでいて自分たちの地位を守っているため新しい教育ICTの発展を阻害していると考えています。
ここがトップを取っている限り、中国のTALのような優れた教育ICT事業はいつまでたっても生まれません。
だれでもいいからはやくここをつぶしてほしい。
教育業界の王者ベネッセはそもそも大学受験では戦おうとする意欲すら見せていません。
幼児向けや小学生向けの方が儲かるのはわかるけどお前らそんなだからぼったくりとか言われるんだよ。
GMATとテスト運営の件はとことん追求されてもっと叩かれるべき。
仁藤夢乃のColaboの件でイキってる豚どもは、「東京都スピーキングテスト」「都民ファーストの会 住民監査請求」あたりでググれ。
スタディサプリは価格面・授業の質ともにとてもすぐれているものの運用がうまくいっておらず
文字通り「サプリ」(受験補助)としては優れていますが、大事な子供の運命を任せるほどの信頼が得られていません。
代ゼミ・河合塾・駿台などの通信衛星講座は、明らかに東進衛星予備校の下位互換であり、勝負になっておりません。
スプリックスには期待しているんですが、やっぱりゴルスタみたいなことをやってた塾はだめなのか。いろいろと取り組んではいるものの中途半端。
ウィザスや市進、学研などのサービスももう一つという感じです。
個別指導や武田塾などははっきりいってお話になりません。レベルの低い生徒にはいいのかもしれませんけど。
私としてはSEGやZ会、鉄緑などがリクルートと組んでエリート向けの講座ラインナップを充実したサービスを作ってほしいのですが。
こいつらはエリート意識が高すぎてオンライン教育という下々に向けたサービスをずっと嫌がってるんですよね。
いい加減そのエリート意識何とかしろボケ。 どことは言わんけど個別指導の月額24万円はふざけすぎだろ。
チャンネル登録者数100万越えのYoutuber河野氏が作った新しい通信教育サービス。
河野塾ISMのコンテンツを確認しましたが、現状は少しコンテンツが物足りなかったり
学習者に優しくないもの、量と質は十分高く価格としてはかなり優秀です。
現時点ではどうしても河野氏の知名度に頼ったコンテンツとなっていますがこれは可能性を感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=CN9DF7Hy5Y0
今後もこの価格とコンテンツの量でラインナップを拡充していけるのであれば東進衛星予備校を倒しうる。
なんなら、河野氏が数十億儲ければ満足、ではなくて「東進をゴッ倒す」という信念を持っていてくれるとより心強い。
理想を言えば、数年後にリクルートが買収してスタディサプリに取り込んでほしい。
とにかくオンライン中心で、時代遅れの絶対王者・東進衛星予備校を倒せる存在が早く出てきてほしい。
通信塾業界を、さらにいえば受験業界を変える存在になってほしい。
私の願いはそれだけです
父、母、友人、親戚。俺に偉そうに言ってくる人らの偉そうな講釈を聞いてて思うけど、なんか違う。というか全然わかってないわ。こいつら。
「働け」、「仕事はたくさんある」、「親に楽させろ」、「お父さんが心配してる」
俺のことは?俺のプライドは?俺の気持ちは?俺が身体ボロボロでプライドズタズタで世間から見下されてでも、今からでも就ける低所得の肉体労働で働いて家に金運べばそれだけでいいのか?そんなの奴隷じゃねーか。大学出ても働かずにいる理由はちゃんとあんだよ。あと引きこもりじゃねえ。大学時代は公認会計士の勉強してて、卒業後は公務員試験の勉強、年齢制限過ぎた今は司法試験予備試験頑張ってんだよ。実家細いから独学だし、予備校やロースクールにも行けない状況でよ。100回以上言ってるよな?
俺はもっと違う人生を歩むはずだった。人から羨ましがられ、崇められ、金を稼ぎ、尊敬される存在になるはずだった。でもそうなれなかった。そういう人間を妬みながら称賛する側。つまり凡人。それじゃなんのために生まれたかわからねえじゃん。
もちろん自分を責めたこともあったが、それが間違いだと気づいた。俺の人生振り返れば、保育園卒、SAPIXにも行ったことない。中学受験もしてない。留学経験も海外旅行経験もない。親父も中堅大学卒のうだつの上がらないサラリーマン。お袋も短大卒の専業主婦。おまけにさっきも言ったけど、予備校や大学院にも実の子供を通わせられないw
こんな環境で黒田東彦や木下康司みたいになんかなれないって、なんで誰も教えてくれないかな。プライドばっかり育って息苦しい。わざわざ駿台と代ゼミまで行って浪人しても日大法学部だったし。
代ゼミの授業に潜り込むのも一興
18歳になっても自分のことをちゃんと考えられないってどうしたらいいんでしょうか
中学に入って、勉強ができる公立中学校だったので勉強するという習慣が無かった私は早々に置いてかれてしまい塾に入りました。
特に小学生の頃から数学が極端に出来なくてそれは塾に入ってからも変わらず、
やらなきゃいけないとわかっていても出来なくて結局伸びずじまいでした。
でも、何故か英語だけは教え方が良かったのか少しづつ出来るようになってそれは自分の自信になったのですが
結局地元の公立高校に落ちて、ランクだけで選んだ全く知らない高校に入学することになりました。
この際の高校受験の経緯としても正直勉強を自主的にやった記憶はありません
そのまま何となくで入った高校は中学校と違いすぎかなりレベルが低くて驚いたのですが私自身は勉強嫌いなのでその環境には順応していきました。
ですが高校2年生に上がった時に英語クラスはカナダに行けると知り英検をとったりしてカナダに行って、
そこそこ英語力が上がりました。
(親は50万くらい払って行かせてくれました。)
そこで私はなまじ周りのレベルが低いので自分ができると勘違いしてしまい、私大なら良いところを目指せるんじゃないかと思って都内の大学進学を目指し始めました。
でもやはり自主的に勉強する気は起きず、というか授業ほとんど寝てました。
自分はそんな状況を鑑みて
これは自分に勉強したい気持ちもないし向いてないと判断し進を決める段階ではさすがに大学行こうという思いは立ち消えて就職しようという考えに変わりました。
なので学校で就職を斡旋してもらおうと思い担任にその旨を話したらコロナだから就職はほぼ無い、みんな進学するよといわれ家でも大学は行った方がいい、
働こうと言うけど何ができるの?と言われたので
目指すなら有名私大と思い無謀ながら某W大学とMARCH1校だけ受けて派手に落ちて、
そこで辞めればよかったのに何故か浪人することを決めました。
その時はまだちょっと一浪すれば名のあるところにも受かって東京に住めて就職も有望じゃん!とか安易に考えていたのです。
そして卒業してからは宅浪するつもりでバイトなどしながら生活してましたが去年模試を受けた代ゼミから勧誘の手紙が来たので(15万割引ということで)
そして、予備校といえば模試の河合塾だ!と思い認定テストを受けに行きました。
認定テストは入るつもりがあったというより模試感覚で受けたので、帰り際に当然入る人のような対応をされたのでまだ入るかとかは考えてないですと言ったのですがあちらは入ると頭数に入れられてしまって家に電話が来るようになりました。
それで電話をとった親からも行ってみたら?的なことをいわれたのて頼みこんでローンで80万組んでもらって河合塾に入りました。
4月から始まり入ってみたはいいものの、中高と全く勉強してないから全く着いて行けません。
しかも高校では授業も寝っぱなしだったので一コマ90分に耐えられるはずもなく最初は耐えていても寝るようになってしまいました。
それでも6月くらいまではなんとか自習とかもしながら予備校生活をちゃんと出来ていたのですが
それから9月の新学期が始まって、もう最初のようにはいかなくなり予習がやっとで土日の自習も出来なくなってしまいました。成績は驚くほど上がっていなくて英語だけは最初からできたので偏差値が65を切ることは無いのでそれを見たら安心してしまって他もどうでも良くなってしまいます。
というか模試の成績を気にしてた頃は良かったのですが今となっては気にならないというか本気で勉強する気が起きません。
私は高校の時、数学で留年しかけてあまりの勉強したくなさに自殺しかけたことがありますが、
よーく考えたらそんな人間が浪人生活も大学受験も耐えられるはずありませんでした。
勉強は全く興味無いし、正直家に都内まで出てというお金はありません。私が死ぬほどバイトしなきゃ成立しないと思います。
そんなにバイトをしながら大学通ってなんて生活は私に到底無理だと思います。かと言って地元の私大は全然良くないので奨学金払ってまで行く必要は無いと思ってます。
80万は申し訳ないですが、こんなにやる気も社会性も無いんだからこれ以上受験費とか冬期講習とかお金かけるのは無駄だと思って大学受験は辞めようかなと思ったんですがそれもまた家で波紋をよんでます。
(当たり前か)
ハッキリしないで適当なことばっかりいうので親もストレスが溜まりまくり
なんなの?こっちは色々考えてるのに
と言われたんですが
冷静になったら私自身が自分のことなんて全く考えてなくて将来どころか3分後位のことしか考えてないのでそう言われてもなと思いました。
最近は塾の自習室に行ってもテキストを開いて置いたはいいものの3時間くらいボーッと座ってる時が多いです。
父親も呆れてて何も言われません。
親は共働きで本当に忙しくしてるのにストレスも絶頂で私もどうしていいかわからないです。
正直高校ぶりに死にたくなってきました。
親に殺されてもおかしくないのでぶっちゃけ苦しくない方法で殺して欲しいくらいです。
今は高校の時ほど実行に移そうっていう体力というか気力がないんですが毒とかでなら全然死にたいです。
昔は飛び降りが良かったですが。
こういう社会性もやる気もないバカはどうしたらいいんでしょうか?
クズなのわかっているんですがどうしたいとも思わないので死にたいけど臆病過ぎてそれもできません。
dogdogfactory 授業を各学校でやろうとするから無理が生じる。都道府県教委レベルで動画作って全国配信して、質疑応答だけ担任がやればいい。それで1〜5の問題は解消される。
このコメントめちゃくちゃおもしろいな。いや、その通りなんだよ。
効率を考えるとそれが正答。ところがこれまでそれが出来なかった。
簡単な問題じゃなくて、もしそれが出来るなら衛星放送とかでとっくにできている。
代ゼミのサテライン教室ってのが25年前からすでにあったけど、それでも個別指導教室にかなわなかった。
コロナでそれが強制させられるから有無を言わさず授業の形式は変わる。
さいわい、4K動画とかライブ中継ができる技術が後押ししている。
あとはVRが進化すれば、もはやリアル授業となんらかわらなくなってくる。
その意味でもVチューバーもなんだかんだで社会貢献してるんだよなw
5年後に期待。
19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいたものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北(麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大、京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大は受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキーな講師陣に必死でついていくこと一年(代ゼミの英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリで合格したと言った塩梅。センターの自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校の同級生)がいた)どんどんバツがついていくものだから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢でしかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題。
んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。
自堕落ではあるものの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。
長々と前段が続いたが。
最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。
ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。
俺の母親は死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。
今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視、管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。
うちの母ちゃんは母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親が子供の時になくなったらしい。
それからは生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子どもに自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。
ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。
極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。
なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものでしかなかった。
うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯、料理、掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。
でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。
一個言いたいこととしては、「俺はあなたの感情ホストクラブではない」と言うこと。
あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。
お互いに理解して、別々の人間として尊重しあいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。
悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。
しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女は子どもを支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。
TwitterにもFacebookにも書けないのエモい内容なので増田に書く。
荒れていていじめられ、勉強も振るわなかったが、何故か親が一念発起し家庭内に塾が出来ていた。
1-2年生のテスト前は勉強を教えてくれ、結果も出て地元の進学校に入れた。
高校の内容は親が教えられないということでまた成績が下がる。
2年生までは地を這うような成績。
でも大学行きたい(遊びたい)という意志を出したら、祖父が私の為に残してくれた遺産をすべて予備校費用に充ててくれた。
河合や代ゼミよりも数倍費用が掛かったと聞いているが、MARCHクラスの大学に行けた
そのとき遊んでいた友人が丁寧に勉強の仕方からテスト対策まで教えてもらって、何とか留年コースから復帰。
リーマン前の好景気ということもあり、たいした苦労もせず今の会社に就職。
今になって見ると、合う合わないがはっきり出るような癖のあるブラックめの会社に入社。
仕事らしい仕事もさせてもらえず、パワハラもあり、早々に異動。その後も仕事のやり方に癖が付いてしまい3年間は落第生状態。
その人は、仕事は出来るが厳しすぎて直属の部下がほとんどいない人だったが、奇跡的にウマが合った。
部下がいないのでその人の仕事はガンガン振ってきて、辛かったけど全部こなした。
気づいたら、通常よりも早いスピードで出世させてもらっていた。
現代社会はいらないと言っているのに、今の東京は使おうとしている時点で詰んでいる件
しかし平成には多くの若者が自然参加した素晴らしい「新鮮な日本」は使おうとしない
平成10年から東京を中心に灘、開成、江戸川取手、女子御三家などの有名私立高校の(自慢を兼ねた)全国的高校偏差値差別ブームの到来
Z会などが用意した新しい教材が全国的に読まれ、添削指導にも花が咲いた
その後も、福岡や大阪、東京で、ネットカフェ、吉野家、マクドナルドなどの初オープンという、それまでになかった鮮やかな新型文化のパレードがあった
そして河合、駿台、代ゼミなどの予備校で花開いた爆笑講義や、東大京大早慶などの冠模試、
これらを使い倒して現在の東京都心部の文化を形成した、3、40代の真夏のような旋風があった
その渦中にいた者たちは「醜悪な国家を排斥し、自分たちが新しい時代を作る」と、肩で風を切ってこの島を席巻した
多くの頭脳派が夜も寝ずに使える教材は使い倒し、やりがいをもって生きて生きて生きまくった、真夏のような時代だった
その過程で、全国の学問、大学は切り捨てられ、大学は東大京大早慶だけが残された
そんな「新鮮な日本」があったのが平成、今後もそんな様にできないならお先真っ暗だ
なんJ語のような気はしたが新・なんJ用語集 Wikiには載っていない。
おんJ(おーぷん2ちゃんねる何でも実況J板)では2014年3月初出で2014年7月くらいからボチボチ使われているよう。
2ちゃんねるではここが古そう
社長に「おーん(´ω`)」って挨拶したら… https://www.logsoku.com/r/2ch.net/news4vip/1146798415/
その後は2009年8月から番組ch板で「(´・ω・`)おーん? 」というスレタイのスレが頻繁に立つようになる。おーぷん2ちゃんねるのスレも初期は似たような顔文字とセットだったのでここらへんに源流がありそう。