はてなキーワード: 仕事納めとは
来週も実際はプレミアムフライデーではないとおもうが31日は大晦日休みの人とかきいれ時で大忙しの人となってそうなので増田では来週をプレミアムフライデーとしたい。
さぁ散った散った
コロナ感染による相次ぐ職員の休職、増える残業時間、予算の都合上支払われない残業代、適応障害で倒れる先輩、何故か政府の対応に対する非難を市役所の税務課にかけてくる猿。
元々金は使わないし、こんな生活続ける程なら生活保護でも受けていた方がよっぽどマシだと本格的に嫌気がさしたのと、趣味が興じてメー子で働いてる友人の紹介が重なって転職が決まった。提示された給与みてビビった。今の1.7倍ぐらいになる。友人の話ではそれプラス残業代がつくらしい。民間すげえ。地方公務員の行政職が薄給すぎるのか。職場に泊まり込みとかしないでいいらしい。民間すげえ。
ご時世に仕事仲間たちを残して職場を離れるのは本当に心苦しかった。上司は「こんな状況じゃ仕方ないよなぁ、俺がお前だったらお前と同じことするよ。頑張れよ」と背中を押してくれて思わず涙ぐんでしまった。
今まで公僕として身を粉にしていたが、もう今更懲戒免職だろうがなんだろうがどうにでもなれ、俺は次が決まってるし、もう糞みたいな事にリソースを割きたくは無かった。
ある日、年配の住民が課税証明の発行を窓口で頼んできた。急ぎの県の委託業務を処理で忙しかったが、なんせ周りも対応中だったり余裕が無さそうだったので俺が対応した。威圧的な頼み方。よくある事だ。発行した証明と領収書を手渡すと「良いよなぁお前らは、世の中今こんなに大変なのに椅子に座ってるだけで金貰えてよ、なぁ!!」
今までは「えぇ、はぁ、いえ……」とか適当な相槌を打っていたが、休みの日に見舞いに行った適応障害の同僚の顔を思い出して思わず真顔で「そうだよ、あんたもやったらどうだよ」と言ってしまった。隣で対応してた同僚が間仕切り越しに驚いた表情をしていたのが視界に映りこんだ。
「なんだとてめえおいゴラ!もう1回言ってみろ!こっちはわざわざ足伸ばしてんだぞ!おめえ増田ってんだな!責任者だせ!てめえじゃ話になんねえ!」
パイプ椅子から立ち上がり窓口で凄んでくるおっさん。胸ぐらでも掴んできたら正当防衛で掴んできた腕を引っ張ってカウンターに頭を叩きつけてやろうかと思った。
つうか、証明書発行しに来ただけだろ、何の話だよ。
「〇〇様(おっさんのフルネームの周りに聞こえる大きさの声で呼称)ですね、しっかりと覚えておきます。他のお客様のご迷惑になりますので、警備の者を呼びます。このご時世に大声を出されると先日のように警察が取り押さえに来るので(警察が来たことは過去にない)御遠慮下さい。」
そういいながら内線に手を取り受話器に耳を当てるモーションを取ると「共産党の議員に知り合いいるからな、お前の首なんで飛ばすの簡単なんだよバカが。馬鹿だから市役所でしか働けねえんだよな。馬鹿が」と言って去っていった。
糞みたいな相手に糞対応するのってこんなにストレスが貯まらないものなのか。感動した。4年間市役所で働いてて初めて知った。
隣で対応していた同僚に「ビックリしちゃいましたよー、でもあんま大きな声じゃ言えないんすけどスッキリしましたよ。ああいう客きたら増田さん呼びますね」と笑っていた。
こんな対応しても許される風潮があれば、抱えるストレスってもっともっと小さくて、転職なんて考えてなかったのかもしれない。
俺は今月いっぱいで仕事納めで来月から有給消化に入るんだけれども、コロナ禍の行政職の人の負担が人一倍わかるので、本当に体に気をつけて欲しい。頑張ってください。一日でも早い収束を祈ります。
去年の年末に、大阪市内で暮らしていた母が突然倒れた。原因はコロナだった。
母が倒れてから亡くなるまでの経過を、当時つけていた自分の日記から転載していく。
(日記の部分は長いので、時間のない方は最後の所感だけでも目を通してほしい。)
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2020/12/17(木)
夕方17時頃、仕事中だった。叔母から私の携帯に連絡があり、実家で母が倒れたということを知らされる。
この時点で、電話口からは「母はコロナに感染していて、心肺停止状態だ。救急搬送されて今は病院にいる。」という情報が耳に入ってきた。
いきなりだったので何のことか理解が追いつかずにうろたえていると、とりあえず搬送先の病院に連絡してほしいと言われる。
母がコロナに感染しているということもショックだったが、心肺停止ってどういうことだ?感染が判明して、いきなり重症化したってこと?
とりあえず病院に電話をかけると、担当の医師から、母の現在の状態を説明するのですぐに病院まで来てほしいと言われる。
慌てて職場を飛び出して病院にかけつけた。母はコロナ感染の疑いがあるということで、面会は禁止されていた。
遅れて病院にかけつけてきた姉と共に、ICUの前で医師から説明を受ける。
今日のお昼前に、実家で母が突然倒れた。側にいた父が気づいて、すぐに救急要請し、救急隊員がかけつけてくれた。
その時点ですでに心肺停止状態だったので、病院まで搬送される間に心臓マッサージ等の蘇生処置が取られた。
すると、止まっていた心臓が動き出した。その状態で病院のICUに運び込まれた。
精密検査をしてみると、膝に血栓ができていることがわかり、それが肺に飛んで、肺がつまって呼吸ができなくなり、それに伴い心臓も停止したらしい。
今現在、意識はなく、心臓を動かす薬を最大限に投入して、さらに心臓を動かす装置を取り付けて、無理やり動かしている状態だという。
蘇生処置の時に折れた肋骨が肺に突き刺さっていて、身体に大きなダメージが出ている。
心肺停止中に脳に酸素が届いていない時間が長かった為、脳にも大きなダメージが出ている可能性が高い。
今夜間か翌日中には、また心停止する可能性が高く、そうなったときにはおそらくもう助からないとはっきり言われた。
コロナの検査も行われていて、2種類ある検査の内の1つ目では陽性と判定が出ている。もう1つの検査で陽性と出れば確定らしいのだが、それは明日に結果が出るとのこと。
次に心停止した場合には、心臓マッサージ等の蘇生処置を取るかどうか確認されたのだ。
姉と二人でしばらく悩んだが、心停止した場合には、もう蘇生処置は取らずに自然に任せてくださいと回答した。しんどい。
コロナ陽性の疑いがあるので母とは面会することはできないのだが、看護師さんのご厚意でリモートで面会させてもらえることになった。
姉のスマホと私のスマホをラインのビデオ通話でつなげておき、その状態で看護師さんが防護服を着て、母の病室に姉のスマホを持ち込んでもらい、私のスマホから母の様子を見せてもらったり、話しかけたりさせてもらえた。
母の意識はないし、当然反応もないのだが、様子は大体わかった。口に管をつながれてつらそうな感じだった。気の毒で涙が出そうになる。
その後は、ICUの前で待機することもできないので、一旦帰宅することにする。
看護師さんから、次に病院から連絡をもらうタイミングをいつにするか確認された。母が心停止した時に連絡してもらうことにする。しんどい。
帰り道のタクシーの中で姉と少し話をしたのだが、どうもよくわからない。
同居していた父から少し話を聞いた感じでは、母は一週間くらい前から喉が痛かったり咳が出たりして、具合が悪そうだったらしい。
母は今年で73歳。基礎疾患などはなく、最近まで健康そのものだった。
コロナに感染すると、風邪に似た症状が続いて、その後いきなり重症化するというのは知識としてあったが、膝の血栓が肺に飛ぶとはどういうことなのだろう。コロナと何の関係があるのだろうか。血栓ができやすくなるというのは聞いたことがあるような気がするが、それのことなのだろうか。
「コロナ 血栓」でネット検索して色々調べると、やはり血栓ができる可能性が高くなることが最近わかってきつつあるというニュース記事がトップにあがっていた。
2020/12/18(金)
一日中いつでも病院からの呼び出しに応じれるように身構えていたが、結局連絡はなかった。
気を抜くと涙が出てくるので、気持ちを抑え込むのに精一杯だった。
あまり頭が回っていないので、頭を使わない単純作業を中心にこなしていた。
お昼過ぎに姉から連絡があって、母のコロナの残りの検査の結果がわかった。母はコロナ陽性で確定らしい。
同時に、同居していた父が濃厚接触者になってしまうとのことで、思わず頭を抱えてしまった。
母だけではなく、父まで感染したとなっては目も当てられない。
2020/12/19(土)
保健所から実家に連絡があって、父のPCR検査の日程が決まったらしい。次の月曜日だ。
もし陽性だったらどうしようと思いながらも、その可能性は高そうだと覚悟を決める。
とりあえず、保健所からの要請で、当面は父は自宅から外出することは禁止されているので、その間の食料品などの物資供給を、私がサポートすることになった。実家とは電車で15分ほど離れた場所に住んでいる私が、姉と比べると比較的近所だということで、私の担当になった。
午前中に父から必要なものの注文をメールで聞いて、午後から実家近くのスーパーに行って買い物した。それを実家の玄関先に置いておく。父と顔を合わせることは絶対にしてはいけないので、ピンポンダッシュした。
2020/12/20(日)
今日も父から注文が入ったので、救援物資を届けに行く。昨日は食料がメインだったが、今日は日用品が多かった。
父のPCR検査だが、タクシーで来るように指示されているらしく、お金を払う時に手間取らないように千円札10枚を封筒にいれて、それも救援物資と一緒に届けておいた。
帰宅後、姉とラインで、母の感染経路が本当にわからないという話をした。
父からの話では、最近の母は普段から買い物や銀行くらいしか行っていなかったそうなのだが、どこで感染したのかが本当にわからない。
不織布ではなく、自作した布マスクをしていたから、それで防御力が弱かったのだろうかとか、そのくらいしか要因が思いつかない。
2020/12/21(月)
お昼過ぎに、姉から連絡あり。病院から電話があって、母が元気になってきているらしい。
一時は危なかったが、今は心臓もちゃんと動いてきた。血圧も元に戻ってきたとのこと。
検査は市内の大学に併設の病院でやっていたのだが、大学の建物の中ではなく、小さなテントの中でやっていたらしい。
テントの中には小さなヒーターが置いてあって、他にも何人か来ていたが、間隔を開けて並んでいたそうだ。もちろんお互い会話はなし。
検査は一瞬で、「上を向いてください、チクっとしますよ」って言われて、鼻から管みたいなものを入れられてすぐ終わったらしい。
検査費用はかからなかった。保健所からの指示で受ける分には無料らしい。
2020/12/22(火)
ひとまずほっとした。
これから2週間の間はまだ外出禁止で、保健所から2日に一回連絡があって、健康状態を聞かれることになるらしい。
どうして一緒に暮らしていても、感染しないのかが不思議だった。
そのことをラインで姉と話し合ったが、よくわからないという結論で終わってしまった。
最近のコロナは変異して感染力が上がっている?母はそれで感染したのか?
でも、父には移っていないのが謎。かかりにくい人とそうでない人がいる?
2020/12/23(水)
どうも母に対する勧告書のようで、コロナから回復した際には、他人と接触する仕事をしたら罰則があるとかそういうことが書かれているらしい。
母が回復することはあるのだろうか。なんとか意識が戻るところまでいってくれないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。
2020/12/24(木)
母が倒れて今日でちょうど一週間。病院からの連絡は特に何もない。
どうなっているのかが気になる。
2020/12/25(金)
今日で仕事納めだが、明日から休みになるという開放感がまるでない。
頭の中は母のことでいっぱいだ。
2020/12/26(土)
父に救援物資を届けに行った。
母が倒れてから、実家に帰る頻度が上がっているが、家の中には絶対に入れないので、あまり帰宅した感触がない。
2020/12/28(月)
家でぼんやりしていると、夕方16時頃に、母の担当医師から連絡があった。
母の症状は横ばいで、もう睡眠薬は与えていないが、ゆさぶったりしても反応はなく、意識が戻らない状態であるということ。
そして、12/24(木)に2度目のPCR検査を行ったが、結果は陰性に変わっていたとのこと。
1/4(月)から一般病棟に移ることになるので、そのタイミングで面会できる機会を設けると言われた。
一般病棟であっても原則面会は禁止なのだが、今回だけ特別に認めると言われた。
もし今後、血圧が下がっていったり、酸素の取り込み状態が悪くなるなどした時に、心臓マッサージや血圧を上げる薬の投与をするかということを尋ねられた。
どちらも体に負担をかける行為になってしまうが、どうしますかと訊かれた。
「今後、母の意識が戻ることはあるんですか?」
「心停止していた時間が長く、脳に酸素が届いていない時間が長かった為に、再起不能なまでにダメージがきているので、回復は難しい」
とはっきり言われた。
じゃぁ、と思った。
徐々に死に向かっていくのを、ただ見送ることしか私達にはできないのか。
そのことを踏まえたうえでの選択だ。
姉と電話で小一時間相談した結果、母の容態が悪化した際には積極的な回復処置は取らずに、自然に任せる方針でいくことにする。
肉親の生死に関わる方針を、こんなに短時間で決断していかないといけない残酷さに打ちのめされた。しんどい。
2020/12/29(火)
母の症状は横ばいとはいえ、高熱が出ていたり、少しずつ呼吸が弱くなっていったりと、厳しい状態であるらしい。
それを聞いて、またしんどくなってくる。
実家へ、四度目の救援物資の配達に行った。今日は姉にもついてきてもらった。
保健所によると、明日で父の外出禁止は解除になるらしい。なので、配達するのも今日で最後になるだろうとのこと。
お墓参りのことを父が気にしていたので、それもあわせて行ってきた。
姉はお金を触ったり、玄関のベルに触ったりするたびに、逐一手をアルコール消毒していて、結構神経過敏になっているみたい。
でも、大阪市内に入ったら、そこまでしないと今は危ないのかもしれない。
2020/12/31(木)
父によると、母の友人から、自宅に電話がかかってきたりしているらしい。
携帯がつながらず、音信不通になっているので、母のことを心配しているのだろう。
ちょっと家の用事で忙しくしているということにして、父が適当にごまかしているようだ。
2021/1/1(金)
元旦だが、一日家でじっとしている。
何もする気になれない。
2021/1/3(日)
姉とラインで少し話しをした。
いままで母がやってあげていたことが全部抜け落ちてしまうので、それをどう拾い上げていくか?
晩ごはんは生協のお弁当の配達を使うとか、家事も最低限やりやすいような形を模索していくとか、色々とそんなことを相談した。
2021/1/4(月)
今日は仕事初めだったが、なかなか集中して仕事に取り組めなかった。休憩多めでなんとか乗り切った。
今日から母が一般病棟に移る。でも、コロナの影響で、一般病棟であっても面会は全面禁止らしい。
でも、この間医師から連絡があったように、条件付き(一度に二人までの入室、事前に検温すること)で一度だけ面会が許可されるとのこと。
今日は、父と姉が二人で面会に行くことになった。
人工呼吸器が繋がれているので、口の周りは痛々しいけど、それ以外はそんなに変化はなかったらしい。
話しかけたり、手をさすったりしたけど、反応はない。手はすごくむくんでいて、結婚指輪が入らないので外されていたらしい。
母が救急搬送を受けた時に身に着けていた衣服が返却されてきたけど、ビニール袋でぐるぐる巻にされていたらしい。ウィルスはもう消えていると思われるけど、空ける場合は洗濯して欲しいと看護師さんから言われたとのこと。なんか怖いからそのままゴミの日に出すことにしたらしい。
私は、明日一人で面会に行くことになる。
2021/1/5(火)
ところが事前の検温で37.4度が出てしまい、病室には入れてもらえなかった。また後日来てくださいとのこと。
もよりの駅から病院まで20分くらい歩いたので、体が温まっていたのかもしれない。
また金曜日あたりに行こうと思う。
次は駅から病院までタクシーで行って、コートは脱いで、事前に一階で体温を何度か測って安全なのを確認してから挑むことにする。
2021/1/6(水)
もう母が倒れてから三週間近く経つからだろうか。この異常な状態にも、体が徐々に慣れてきているのかもしれない。
2021/1/7(木)
首都圏で緊急事態宣言が出たが、大阪ももうすぐ出ることになるようだ。
2021/1/8(金)
母の面会に行ってきた。
仕事を抜けて、最寄り駅まで電車で移動し、そこからタクシーで病院まで行った。
1階ロビーに腰掛けて、自分で持ってきた体温計で検温してみたら36.5度だったので、今日は大丈夫であることを確認して7階へ。
「お待ちしてました。お熱どうですか?」と看護師さんから言われ、「さっき測ったら36.5度でした」と応えると「じゃぁ、入ってください」と言われる。
母は口に管を入れられていて、そこだけ痛々しかったが、鼻から上は顔色もよく、穏やかな表情だった。
10年ほど前に咽頭がんで亡くなった義父が、亡くなる直前、意識を失った状態でとても苦しそうな表情をしていたのを覚えていたので、そのイメージで予想していたのだが、ぜんぜん違った。まるで眠っているみたいに見えた。
姉が言っていたように、手はむくんでぱんぱんだった。手と二の腕を握りながら何度も話しかけてみたが、反応はない。
いまにも目を開けて起き上がってきてもよさそうな感じがするのに、そうはならなかった。
時々、母がつながっている機器類から「ピコピコーン!」というアラート音が鳴るので、それが母にとってうるさくないのかなと気になった。
面会する時には、看護師立ち会いで、時間は5分だけだと事前に聞いていたのだが、看護師さんはすぐ病室からいなくなって、その後も一切呼びにこなかったので、結局一時間くらい母の側にいた。
一時間くらいたって、「ちょっとお体拭きますねー」と言いながら看護師さんが病室に入ってきたので、そのタイミングで帰ることにした。
職場の私の席の2つ後ろの島(5メートルくらい離れている)に座っている人が、コロナ感染の疑いがあって、今PCR検査を受けていて、結果が出るのが明後日らしい。
その島の人たちは全員帰宅していた。多分、当面はリモートになるのだろうか。
もし検査が陽性ならば、保健所が消毒しに来るし、その間はオフィスは立ち入り禁止になるのだろうか。
2021/1/11(月)
私の方は相変わらず時々、しゃくりあげるような呼吸と涙が出てくる。不意に母親のことが頭をよぎって、それに引きずられるようにして乱暴に心が揺さぶられるような感じだ。
2021/1/12(火)
仕事してると不意にしんどくなってくる。どこまで行ってもしんどいタイプのしんどさ、絶望感。
2021/1/13(水)
2021/1/14(木)
もうどうしたらいいのかわからない。どうしようもないのだけど。
2021/1/15(金)
出社してる時と特に変わりなく、集中力途切れずに仕事できたと思う。
今は週イチだが、これならフルリモートでもやっていけそうな気がする。
できるだけ出社時と同じ環境に自室を揃えることがコツだと思った。
仕事終わりの疲労感は、出社時とあまり変わらない。けど、通勤時間の2時間を有効活用できるのがいい。
2021/1/17(日)
一日家でぼんやりしているだけだった。何もする気がしない。
2021/1/18(月)
仕事に行っていたが、夕方に病院から私の携帯に電話があって、母の酸素の取り込み量が低下していて、今夜にも亡くなるかもしれないと告げられる。
慌てて姉と父に連絡し、病院へ向かう。
病室に入る前の事前の検温で、また37度が出た。いい加減にして欲しいこの体温計。体温計をリセットして、「熱はなかったです」って嘘の申告をして突破する。
二人づつしか面会できないとのことなので、はじめに父と二人で病室に入る。
母は苦しそうな感じもなく、穏やかな感じだった。今日は髪型に乱れもなく、きれいに見えた。
酸素取り込み量の数値が90を切るとまずくて、一時は70くらいまで低下していたが、持ち直して80くらいまで戻してきていると看護師さんから説明される。
母の意識はないが、それでも苦しかったりの感覚はあるのだろうか。
一旦、全員帰宅することにした。また容態が急変するようなことがあれば、連絡が貰えることになっている。
2021/1/19(火)
またすぐに連絡が来る可能性が高いので、それを待っているようで心身が疲弊していく。
2021/1/20(水)
ずっと非日常が続いているようで、そういう緊張状態にいつまでも心身が慣れていかずに悲鳴を上げている。
続き
↓
「あの、お話を聞かせて頂けませんか」と断られても無視されても声を掛け続ける彼女。
その場には彼女以外にも新聞社やらTV局やらの人たちが居て、皆情報を得ようと片っ端から声をかけていたのだが、スーツ姿の集団は誰一人立ち止まる様子もない。
自分も上司である調査役と共に浜松町の駅まで歩き、改札を抜けた所で「もう1社別のところに顔出して帰るから」と言われ上司と別れた。
とりあえず帰社して今日の報告書を作成しようと思ったのだが、先ほどの彼女のことが何故か気になって仕方がない。
少し時間が経っているしもう居なくなっているかもしれないな…と思いながら先ほどの場所に戻ると彼女はベンチに腰掛け空を見上げていた。
「少しだけならお話を聞かせてあげてもいいですよ」と声を掛けると、彼女は「いいんですか!?お願いします」と頭を下げてきた。
話の発端はそこから更に2年前の5月に遡る。自社取引先である某企業の決算がどうも怪しいらしいという新聞報道が出た。
(以下、企業名は初芝(仮名)と表記します。私が千葉ロッテファンなだけで、ネーミングに一切他意はありません)
当初はまぁちょっとした決算処理の誤りなのかと思っていたが、その後決算公表が2ヶ月程度遅延するという自体になり、そこそこに炎上した。
ただ大幅な下方修正に至ったもののとりあえずは鎮火した…と思われていた。
その後は選択と集中という名のもとに売却出来る事業を次から次へと手放し、事業体制の再構築に着手。
決算は事業会社としては過去最大となる数千億円単位の赤字を計上したが、ここから再生目指して再スタートをきる…はずであった。
取引先への年末の挨拶回りも終え、さあ仕事納めだなと思っていた12月末にとある経済新聞が恐ろしい爆弾をぶっこんできた。
そして報道の都度減損額は膨れ上がり、1000億超?⇒3000億超?⇒5000億超?⇒7000億超?と倍々ゲームの様相。
これまで初芝の管理は支店マターであったが、さすがにこれは面倒を見切れないということとなり本部の債権管理チームへ移管されることとなった。
絶賛大炎上中のプロジェクトに急遽担当として放り込まれることとなった私は「なぜ自分が火中のクリを…」と嘆きながら作業にとりかかった。
年明け以降私は初芝とのコンタクトをこまめに取ると共に、不定期に開催されるバンクミーティングにも担当として出席した。
ミーティング開催日ともなると、浜松町駅からスーツ姿の慇懃無礼な人たちがわらわらと本社ビル目指して歩みを進める。
私もその中に混ざりエントランスで受付を済ませると、一番端に臨時に用意されたミーティング参加者専用のエレベーターへと乗り込んだ。
さすが天下の初芝製エレベーターだけあってスピードが異常に速く、1階から会議室のある39階まで30秒ほどで到着。
参加者は約200名ほどで、株主総会ばりに最前列を主力3行(メガバンク2行+信託1行)の一同が固めている。
そして議事が進むとこれまた駄目な会社の株主総会ばりに初芝側に対する厳しい指摘が飛び交い続けた。
当初1時間の予定であったが、質疑応答が終わることなく続いたため2時間近くたってようやく会合は終了。
その間ひたすら報告書用の議事録を取り続けた私はくたくたになった状態でビルから出ると新聞記者と思しき人たち達が纏わりついてきた。
本社ビルの前で立ち話をするわけにもいかないので、近くの喫茶店に入り名刺交換をした。
「他社の人たちは大学の同級生が銀行に居るとかでそのツテで取材してるみたいなんですけど、私は地方の国立なのでそんなツテもなくて…」と頼み込まれては断ることも出来ず、私は本日のミーティングでのやりとりを一通り説明した。
「今後も引き続き情報交換お願いしますね」と言われ携帯番号とアドレスを交換した私は報告書作成のため自社へと戻った。
帰りの電車の中ではミーティングが終わったときの疲労感はどこかへ消え去ってしまい、何かデートを終えたあとのような気分になっていた。
その後も初芝の炎上は留まるところを知らず、東証の45日ルールを無視し二度に渡って決算短信の公表を延期した際のミーティングは地獄と化した。
「米子会社の減損はいくらなんですか」「2/14には公表します」
「2/14になりましたよ」「減損額は確定したけど監査法人がOKしないので決算短信は1ヶ月後になります」
「3/14になりましたよ」「決算に不正な圧力がかけられた可能性があるのでやっぱり公表出来ません」
などという茶番を繰り返した挙げ句のミーティングなので参加行のストレスゲージは完全に振り切れている状態。
特に初芝の場合は取引銀行が100行近くあり、直接やりとり出来る主力行とシンジケートローンのみの取引で初芝と直接コンタクト出来ない下位行との情報格差があまりに大きい点もストレスを増大させる理由となっていた。
「現時点では決算を公表出来ておりませんが、融資取引については引き続きの延長をお願いします」と頭を下げる初芝経営陣。
「あのさあ、こっちは今日このためだけに飛行機乗って九州から来たんだよ、何の説明にもなってないでしょうが!」
「何の判断材料も無しに延長しろって言われてもどう判断したらいいんですか、材料を下さいよ材料を!」
「銀行はどこも今月末が決算月なんですよ、御社の債務者区分どうしたらいいんですか、引当金をどうやって計算したらいいんですか。御社とちがってうちはちゃんと期限通りに決算しなきゃいけないんですよ!」
質疑応答開始から1時間経過したところで、初芝の司会担当が「1時間経過しましたので、時間の都合で質問を打ち切らせて頂きます」と言った瞬間、場は更に紛糾した。
「何考えてんだよ、ここお前の会社の会議室だろ、なんで時間の都合があるんだよ。この場以上に重要な会合あんの?」
「みんな期末で忙しい中わざわざ足運んでるんだ。ちゃんと全部質問に答えろ」「本気で銀行団の同意取り付ける気がある?失礼にもほどがあるわ!」
など怒号があちこちから飛び交い、質疑応答は時間無制限で行われることとなり、最後の質問が終わったときには開始から3時間ほどが経過していた。
ミーティング終了後、携帯を見ると彼女から「終わり次第連絡ください」とメールが来ていた。
私は彼女とお店に入り今日の出来事を面白おかしく伝えた。仕事的には一番辛かったが、個人的には一番楽しい時期でもあった。
その後初芝は保有する不動産と有価証券を全て銀行に担保として差入する一方で、保有するメモリ事業のファンドへの売却交渉を進めた。
米国子会社がチャプター11を申請したり、監査法人の意見不表明のままの決算を公表したりとなんやかんやありながらも、メモリ子会社の売却は完了し初芝はなんとか銀行借入を返済することが出来た。
当社も数十億円ほどあった初芝向け融資を無事に全額回収することができ、私もようやく重い荷を下ろすことが出来た。
いつもは取材だからといって彼女に奢ってもらっていたが、今回はお祝いもかねて私が彼女にディナーを奢ろう、そう思い彼女へメールを送った。
待ち合わせの時間に10分ほど遅れて彼女は喫茶店にやってきた。
「すいません、別の取材が入っちゃって。今日はまた何か新しいネタがあるんですか」
「いや、そういうのはないんだけど。うちの債権が無事回収出来たんでお祝いも兼ねてこの後夕飯でもどうかなと思って」
「あ、そうなんですか。でもごめんなさい、今日夜はまた別の件で打ち合わせがあるんで。本当にごめんなさい」
彼女は注文したカフェオレを飲み干すとこれまで本当にありがとうございましたと頭を下げ、そそくさと店を出て行ってしまった。
最初から自分の独り相撲だったわけか…。途方に暮れた私は駅までの道をとぼとぼと歩き浜松町で山手線に乗った。
電車の中で外を眺めながらこれまでの彼女との会話をずっと思い出していた。もう彼女とあんな風に楽しく話すことは二度とない。
「次は鶯谷~鶯谷~」 気が付くと電車は本来降りるべき駅をとっくに通り過ぎてしまっていた。私はあわてて電車を降りた。
どうせ帰宅したところで何もやる気にならない。仕方なく私は駅前に立ち並ぶラブホテルに入り、デリヘルで気晴らしをしていくことにした。
30分ほど待つと彼女ほどではないものの、若くてかわいい子がやってきたので少しだけ気が紛れた。
部屋の照明を暗くし、彼女の顔を脳裏に思い浮かべた状態で舐めてもらったこともあってあっという間に私は果ててしまった。
「ちょっと、イクならイクって言ってよ」と少し咽ながら怒る女の子。
私は笑いながらこう答えた。「出すよ出すよって言いながら一向に出さないお客さんよりはマシでしょう」
今日は2020年の12/29火曜日、昨日が世間的には仕事納めだったみたいで。
ご無沙汰してますこんばんは。私は外の明かりが入るだけの真っ暗な部屋で昼夜逆転生活なうです。コーヒー淹れてYouTube見てたらそのまま爆睡してまして、コーヒー1杯勿体なさすぎたな・・・
この日記は、マッチングアプリやってた頃は自分なりに物語性を感じてノリノリで書けてたんですけど、コロナが流行ってきたあたりでやめて、夏頃から風俗にハマって、これ書いてもつまんねぇなと自分でもわかるから何も書いてないです。
風俗のレポに、文才おじ現れるじゃないですか。
週1〜2で通う1ヘビーユーザーとして、産まれたての文才ましましレビューを読む機会も当然あるわけですけど、あれはすごいですね。
自分ではとてもあそこまで嬢のことについて詳細に書けないなと。どういう生き方して来たらあれを書けるようになるのか。事実から膨らませる能力が素直に高すぎる。
そんなわけで、風俗ヘビーユーザーとしても自我を確立できなかったので、アイデンティティ見出せなかったので、24時間使える時間は全部apexするおじになりました。
ぺくす面白いよぺくす。まだまだ下手くそで、まあすべて自己満なのですが、楽しければオッケーオッケー。
風俗で何十回と遊んでたら、ちょっと仲良くなる女の子も出てくるのですけど、そういう子に限って自分的にはそこまでタイプでなかったりするわけですよね。
ちょっと仲良くなると、曖昧なのは嫌とかすごいこと言ってくるわけですよね。お前マジかと。メンヘラ係数100、パターン青、使途ですと。
ろくでもない人間が、自分まともですみたいなこと言ってるのって笑えますよね。
誰とでも○○放題月々二十ち○ぽまで無制限みたいな人間がですよ。ぼくらはみんな頭AHOMOの星の元に生まれて来たんだしょうね。
だから私は、自分もその子もその辺の人の皮を被ったピエロ、まあアホなんだなと思います。
ちゃんとしてる人はすばらしいですね。尊敬できるような人と出会えたところで、その人に与えられるものがないから、どうしような。
仕事納めがあるのって300万円以下でしょ
エッセンシャルワーカーの皆さんは休めないので仕方がないと思います。本当にご苦労様です。
接客、飲食、サービス業の皆さんもこんなご時世なのに本当にご苦労様です。私も心ばかりですがお金を使って応援したいと思います。
で、エッセンシャルワーカーでも飲食、接客、サービス業務でもないのに年末年始も電車に乗って会社に行って仕事してる底辺はなんなの?(爆笑)
2020年も終わるし、今年の愚痴は今年のうちに流すのがいいかなって思った。
正確に言うと2019年から痛い状況は始まっていて、2年越しで踏んだり蹴ったりな状態が続いている。
予めスケジュールを告げていたにもかかわらず、平気で予定外のことをいろいろぶっ込んでくる。
中には、数週間前から問題を把握していたのに、突然告げてきて解決せよと言われたこともあった。
はっきり言って、わかった時点で教えてもらえれば帰省前に解決できたのに。
会社も会社で、介護帰省から戻ってみれば、大小の問題が起きていて、毎回自分の出社待ちとかになっていた。
親一人子一人、助けになる親戚皆無で飛行機びゅんびゅんだって言ってあるのに、容赦無く仕事をブチを込んでくれていた。おまけに面倒もブチ込んでくれていた(怒)。
正直体調が悪くなっていたが、休めば仕事が積み上がるので、騙し騙し仕事をしていた。
進捗悪すぎて、嫌味言われたけど。
産休・育休というのは権利なので、取得自体にはなんの問題はないのよ。
でも、そこに人を補充する・しないの問題が出てきて、現場が疲弊すると、休暇を取得した人間に非難が向かうのは世の中では良くある話。
うちはマタハラで訴えられるのが怖いので、なにもかもがまんして!って人事に言われてますwww
ただ、産休・育休・時短…どれを取るにせよ、取得者の性質によっても対応は変わってくるんだよね。
本人が望むので、復帰がうちの部署になった人は、
「私は子供たちも育てて頑張っている。なぜ、みんなわかってくれないの?なぜ、褒めてくれないの?わたしの子供かわいいよね?」
という意識が極めて強くて、毎回産休・育休から復帰するたびに、復帰先の管理職を疲弊させている。
共働きで子供を育てるのは立派だけど、我々は結婚しろとも子供を産めともお願いしていない…。
自分が望むからこそ結婚したのだろうし、子供も複数人産んだんだと思うんだけど、そこに「なぜ、理解してくれないの?褒めてよ、配慮してよ、わたしの子供は可愛いって言ってよ」と思うのはお門違いだと思うんだけどなあ…。
もう、クソ面倒なので「本当に頑張ってるよねー。頑張ってるねー」って面談するたびに言ってる。
そのせいか、自分と部長と三者面談した時に、「うちの会社で、こんなに気遣ってもらって、評価されたのは初めて」って泣かれた。
泣くな、こんなところで。クソ面倒くさい。それに、他の部署だって、できる限り気遣って評価もしてるぞ。
そもそも管理職なので、気持ちよく仕事してくれるなら、心にもない歯の浮くセリフだって平気で言えますよ。
他の部署でも適当に言ってやればよかったのに、ほかの管理職が偽善者になり切れないのが、うちの会社の良いところでもあり悪いところでもあるよね。
ただ、何度も育休・産休取得したせいもあって、お給料が驚くほど少なかったのは気になっていた。
新人よりずっと仕事もできるし、新人と組まされる率も高くて新人教育だってしてきてるのに、時短とは言え、給料が新人とほとんど同じ(か、それ以下)と言うのはどうかと思うんだよね。
原資が決まってるから、より仕事をしている人に渡すのは間違ってないんだけど、それにしたって…ねえ。
自分は偽善を演じるのは平気だけど、性別や年齢、育休・産休取得を理由にして給料控えめにするのは嫌だった。
もちろん、無理な時もあるよ。でも、可能な限り評価はしたいわけさ。
だから、うちの部に異動してきたのを機に、昇給制度上MAXまでお給料を上げた。
コロナで経営が傾かない限りは、今後もそうやってばんばん上げるつもりでいるんだけど、社長以下全従業員が注視しているところで
「子供を育てながら仕事をするのは大変でした。周りの協力も得られないし、理解もないけど頑張ってます」って言われたんだよなあ。
まあ、うちの部署に入る前からそうなんだけどさ、いい気分はしないよね。がんばって給料上げたのにw
こちらは本人が望まない残業はさせないし、時間内に終わらなかったものはスケジュール変えたり、他のメンバーに振り返るなんかしてやってる…それでも配慮不足って言うのかー。
それじゃ、人事も苦い顔して要望をシャットアウトするよね…って思った。
自分も体調が悪くて、とても他人の面倒見ている場合じゃなかったんだが、部長が全部ぶん投げてくれたおかげで、2019年同様、部署メンバーの不満を聞きまくる羽目になった。
私からしたら、育休・産休・時短の他、介護休暇なども付与してくれるので、中小企業の割には頑張っている方だと思う。
第一就職氷河期世代なので、若干の生存バイアスかかってる可能性があるけど、自分と同年代の女性たちは、妊娠を機に辞めざるを得なかったことが多かったので、世の中的にもだいぶマシになってきたと思うんだけどなあ。
まあ、不満をぶつけてくるメンバーは新卒採用組で、うちの会社しか知らないから、制度があっても使えなかったり、制度自体がなかったり…っていう中小企業が多いのも知らないんだなあって思う。
自分は色々転職してるので、ひっどいブラックからホワイトまで知ってるけど、うちの会社はなかなかの白さだと思うよ。問題ないわけじゃないし、愛社精神は全くないけどなw
最終的には「他社はやってるのに…」って話になるのだが、それこそ「うちはうち、他所は他所」で、転職すればいいじゃんって結論出てしまう。
それを口にすると「パワハラだ!」って話になりかねないので黙っているけど。
世の中には、どんなにわがまま言っても、できることとできないことあるんだよ…。
そうこうしてるうちに、コロナが猛威を振るうようになって、我々も在宅勤務になった。
他のメンバーは定時で終われるのだが、自分はかなり長時間労働を強いられた。
最近の管理職は、管理してるだけじゃなくて、プレイングマネージャーを求められるからな。
めちゃくちゃ具合は悪かったが、産休・育休・時短には配慮しても、手術するかしないかの瀬戸際の人間には配慮ないんだよね。
まあ、法的に「配慮しなさい」って言わないと、会社は配慮しないけどさ。
で、年末に入る頃。
自然治癒は無理と言うことになって、年明けに手術することになった。
過去に同じように経過観察になった時は自然に治ったんだけど、今回はダメだった。
理由は免疫力の低下らしいので、年齢もさることながら、去年から続いていた肉体的・精神的負担が大きかったんだと思うんだよ。
年1回のストレスチェックも、あり得ないほど悪くて、産業医面談行きになったくらいだから。
手術自体は全身麻酔で30分程度なんだが、放っておくと癌化する病状だ。
他にも婦人科系に関する部分が思わしくなくて、子宮取ることも考えようか?って言われてる。
元々、子供は欲しいと思ったことないし、年齢的に子供は無理だから、取ってしまっても問題ないと思う反面、あるものがなくなるっていう事には一種抵抗があるんだよね。
面白い事に、医者には「子宮取っちゃう?」ってカジュアルに言われたけどw
この件については、自分よりも母親が抵抗を見せていて「子供欲しくなるかもしれないのに!」って言ってきた。
いやいや。
今産んだとしても、子供が20歳になる頃には還暦を大きく過ぎてるんですよ。
無理無理。大人になった途端に親の介護とか、子供がかわいそすぎるだろうが。
それに、御体満足じゃない可能性もかなり高いぞ。
お互いに支え切れないじゃん。無理無理。
母親は、ショックが大き過ぎて、なんでもないと思い込んでるに違いないと思ってるみたいなんだけど…。
例えば。
大切なもの、人、仕事…とかあったら、やっぱり驚くと思うし、手術が怖い、どうしようって考えると思う。
でも、全くないんだよねえ…。
手術が本決まりになった後、何をしたかというと保険が下りるかどうかの確認だった。
これとは無関係で身の回りも整理してたから、もうちょっと所持品減らしたいという思いも強くなったし。
多分、自分には「手放したくない幸せ」が全くないからだと思うんだよ。
不幸ではないけど、手放したくないものもないというのが現状なので、「もう、どうにかなってしまったら仕方ない」という心境に飛んじゃってる気がする。
あとストレスたまってるのかもねえ。本当に疲れたからさ。この2年くらい。
終活に向けてゆっくり動き出したばかりだったので、どのくらいお金があれば自分の始末をしてもらえるかなというのも考えてるし、終わりへ終わりへゆるやかに向かっていたのも影響してるのかもなあ。
みんなお疲れ様。みんながんばった。
2020年中に愚痴を流せば、きっと2021年はいいことあるよ。
深酒だった。金曜夜、仕事納め、屋外ビールフェス。コロナのこともあるので、あくまでひとりで飲むだけのつもりでした。楽しく気持ちよくなっていたのも束の間、気が付いたら泥酔していました。突っ伏したテーブルにそのままごぶごぶと嘔吐。食事はしていなかったので、ひたすら液体を吐きました。駆けつけてくださった友人に、救急車を読んでいただきました。
どのくらい呑んだの、と隊員に聞かれました。ビール3杯ほどです、と答えると「たったそれだけで?弱い方なんですか?」と聞かれ、わかりませんと答えました。あとから冷静に振り返るに、日本酒1合とビール(度数10%)をプラカップ2.5杯だったかなと思います。膿盆に吐いた泡は黒っぽくて、たぶん血だったんだと思います。
しばらく点滴を受けて、家族の車で帰りました。
救急車は初めてだったですけどひどい深酒は数年おきにやっていて、帰宅した途端にフローリングに突っ伏して嘔吐まみれとか、一晩中シャワーを浴びてガスが止まるとか、そういう経験があります。2年に1回くらいの頻度で、次第にひどくなってる気がする。次はそろそろ死ぬんじゃないだろうか。
酒が好き。味というより、酩酊するのが好きなんだと思う。初めて酒を飲んだ時、鬱みたいな世界がやっと好きになれたような気がした。あの幸福感が忘れられなくて、それが欲しくてでも酒にはどんどん耐性がつくから、酒量が増えて死に近づいている気がする。
自制を試みて、深酒をするたびにもう二度とこんな飲み方をしないと思って、確かにしばらくは適度なほろ酔いセーブを実践するけど、2年くらい経つと結局同じ、いやもっとひどい飲み方をする。もう以後1滴も飲まない以外に治す方法が思いつかない。でもあの強烈な多幸感が忘れられない。
今年中にやらなきゃいけない大量の仕事をなんとか片付けて、帰りに寄ったコンビニでケーキとチキンを買って、暇つぶしに付けたAmazonプライムでクリスマス映画を見ながら1人でホールケーキを食べた。さすがに全部は食べきれなくて残りの半分は冷蔵庫に入れたし、ここ数年恋人もいないし、クリスマス映画なんか見ちゃったせいで人恋しい気持ちになったりしたけど、別に虚しいとかじゃない。元々1人でいるのが好きだし、結婚もする気ないし、来年も再来年も1人でクリスマスを楽しめる人生ならそれはそれで全然満足してる。
でも、ケーキを食べながらこの1年を振り返ってふと気付いたことがあって、それに気付いた瞬間なんか感極まってしまって、誰かに聞いて欲しくて思わずこれを書き始めた。
初めに前置きしておくと、悲しかったことじゃなくて、嬉しかったことの話なんだけど、たぶん私以外の誰にも興味ない話だと思うし、リアルで接点のある友達とか家族に話すにはちょっと恥ずかしいような照れくさいような内容なので、匿名がいいなと。
まず私は今社会人5年目の会社員なんだけれども、今までの人生において、努力というものを全くした覚えがないし、しようと思ってもできないタイプの人間だった。それで開き直って努力なんかしなくても別にいいじゃん、と思えるような人間だったら良かったんだけど実際はそうじゃなくて、努力できない自分に対して呆れるというか、なんというか、なんでもっと頑張れないんだっていう思いを常に抱いていたし、それがいつも苦しかった。こんなことを言うと自慢みたいに思われるかも知れないけれど、学校でも、習い事でも、どこへ行ってもいつも「やればできるのに何故やらないの?」と言われるような子供だった。そんなこと言われてもできないもんはできないし、「努力できることはそれが既に才能だから、その才能が皆無な私は一生中途半端な人間で終わるんだ」という諦めがついてきていた。
元々器用貧乏の気もあって最初は何をやらせても人より上手くできるのに、しばらく続けているといつの間にか努力に追い抜かれていく。そんなようなことが人生のうちで数え切れないほどあって、プライドだけは高いのに能力はそれほどでもないっていう本当にどうしようもない自意識が形成されてしまったと思う。だから私は基本的に人より優れていたい気持ちがあるのに満たされなくて、承認欲求が人よりも強い。
就活の時はそんなちぐはぐな人格を見抜かれたのか、行きたかった会社全部落とされてやさぐれて、結局大学卒業の1ヶ月前になるまで就活もせずぶらついていた。そんな時、さすがに親もまずいと思ったのか「就活大丈夫なの?」と言われて初めてやばいと思った私は慌てて新卒向けのエージェントに行って担当営業さんに泣き付いた。どこでもいいから入れてくださいって言って、そしたらその人は困ったような顔で「この時期ですとさすがに求人もあまりなくて…接客業とIT業界どちらがいいですか」と言った。どちらも激務で人不足な業界で、もうその2択しかないと言われた私は迷わずIT業界を選んだ。何故ならコミュ障の上に体力が壊滅的だったので、接客業なんて絶対に勤まらないと思ったからだ。そうして私はなんとかエージェントのお兄さんが紹介してくれた中小IT企業の新卒枠に潜り込み、なんとか大卒ニートを免れることができた。
入社して数ヶ月は、研修と称してよく分からないシステムの勉強をさせられていた。そこで教えてもらったプログラミング言語とかは結構楽しかったんだけれど、ここでも私はいつものパターンを想像した。最初の方のプログラミングの課題では誰よりも早く提出できたし、それなりに評価されていたと思う。だからこそ、研修担当の上司の言葉が突き刺さった。
「プログラマやSEは、常に学び続けなければいけません。特にこの業界は旬の技術や言語の移り変わりも早いので、努力し続けられない人はすぐ用無しになってしまいます」
優しそうな顔で案外厳しいことを言う人だなと思ったし、この言葉を聞いた瞬間、私はプログラマにもSEにも向いてないなと確信した。まだ入社1ヶ月だったけれど、周りに段々追い付かれている雰囲気も感じていて、既にやっていける自信が無くなっていた。
そうして数ヶ月の研修ののち私は業務委託のSEとして現場に派遣されることとなった。最初の頃は打ち合わせの内容を理解することすらできなくて、手順書通りにポチポチするだけの単体試験などをやっていた。最初の現場では任せて貰える仕事が少なすぎて、暇すぎて、鬱になりかけた。それで、私は初めて暇すぎる仕事に向いてないということがわかった。次の現場ではまさに真逆で、膨大な単純作業をひたすらやらされる仕事だった。暇すぎるよりは忙しすぎる方がマシなんだと思ったけど、体調を崩して1週間くらい休んだ。其の次の現場でもやっぱり単純作業をひたすらやらされて、リリース前1ヶ月は毎日終電で帰っていた。そこで初めてやりがいのある仕事がしたいと思って、今度は企画寄りのことができる現場に入れてもらった。それが去年のことだった。ちょうど入社して4年目で、なんだかよく分からないうちに4年も経ってたなという印象しか無かった。SEは常に学ばなければいけないという上司の言葉をすっかり忘れるくらいにはあっという間の年月だった。
そして新たに入った現場では業界で言うところの「最上流工程」に位置するような、システムの必要性から議論していくレベルの仕事だったんだけど、これがなかなか楽しくて、やればやるほど認められるのが嬉しくて、これは割と最近の話だけれど、私はいつの間にかプロジェクトリーダーにまでなっていた。ついでに自社ではその功績が認められて、役職も付いた。
それで冒頭に戻るんだけれど、チキンとケーキを食べながらこの1年を振り返ってみて、唐突に思ったんだ。あれ、私、今年1年めっちゃ頑張ってたじゃん。頑張ってたし、それが認められて、役職も付いたしプロジェクトリーダーにも抜擢されたし、努力できない人間は生きてる価値無いとすら思ってたけど、これが努力かどうかわからないけど、少なくともこの1年振り返ったときに私めっちゃ頑張ってたじゃん。そう思って、今までコンプレックスに思っていたことが報われたような気がして、ケーキ食べながら泣いた。そんなことで?って思われると思うけど私にとってはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになったので、誰かに聞いて欲しかった。
なのでここに書きました。なんだただの自慢じゃんって思うかもしれないし、不快な気分になる人もいるかもしれないけど、その時はごめんなさい。もし最後まで読んでくれる物好きな人には、ありがとうと伝えたい。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 68 | 7489 | 110.1 | 46 |
01 | 34 | 3753 | 110.4 | 59 |
02 | 21 | 3251 | 154.8 | 124 |
03 | 23 | 6781 | 294.8 | 85 |
04 | 17 | 3245 | 190.9 | 89 |
05 | 8 | 1073 | 134.1 | 105 |
06 | 14 | 1693 | 120.9 | 45 |
07 | 34 | 2412 | 70.9 | 21.5 |
08 | 36 | 2806 | 77.9 | 37 |
09 | 66 | 4339 | 65.7 | 40.5 |
10 | 137 | 22152 | 161.7 | 49 |
11 | 163 | 11272 | 69.2 | 41 |
12 | 140 | 11239 | 80.3 | 39 |
13 | 144 | 17472 | 121.3 | 46.5 |
14 | 135 | 13988 | 103.6 | 38 |
15 | 108 | 28311 | 262.1 | 43 |
16 | 105 | 13139 | 125.1 | 47 |
17 | 146 | 11890 | 81.4 | 42 |
18 | 149 | 18377 | 123.3 | 40 |
19 | 93 | 8199 | 88.2 | 36 |
20 | 114 | 14270 | 125.2 | 36.5 |
21 | 171 | 11780 | 68.9 | 31 |
22 | 121 | 13486 | 111.5 | 41 |
23 | 77 | 8463 | 109.9 | 61 |
1日 | 2124 | 240880 | 113.4 | 41 |
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少なくとも10年近くに渡り、私以外のいろいろな人が本来やるべきことをきちんとやらずになぁなぁで済ませてきたことによる弊害がここに来て爆発。今時点で担当の私が被弾。
しかしながら、それを早急に相談しなければならない人は、フレックスで残業を月間で0にしないといけないこともあり、昼過ぎに「良いお年を」と言って帰宅。
そして、業界的にトヨタカレンダーに近い勤務体系なので所定の仕事納め自体が明日だし、その明日は部門の休暇促進日で明日出る人はよほど仕事が切羽詰まった人だけ。
ありがたいことに私も今日が仕事納めだし、なんなら私自体も昼下がりの時間に同じく月間残業時間を0にするために、その懸案は年始にやることにして帰宅した。
持ち回りの担当なので来年は変わるだろうから、あとは野となれ山となれになりたいが、それは許されそうにないので、休みの間だけ忘れることにしよう。
前提:A君のマシンでオンラインゲームのサーバーを立てていて、たまに遊んでいる。ぼくがリクエストすればサーバー立ち上げてくれるし、そうじゃなくてもA君自身が遊ぶときに立ち上げたりもするし、ぼくが何も言ってなくてA君が遊ばなくてもとりあえず立ち上げてたりもする。
ぼく「(いつ遊ぶかの)週間スケジュールを立てるようにしようかな。」
A君「ゲームなんて好きな時にやればいいじゃん」
ぼく「日頃は仕事であまり遊べないから、年末年始に長い休みでたくさん遊びたい」
A君「(19日昼間)サーバー電源入れたよ」
(ぼくは別の用事があるから19日20日は遊べないんだが。てかリクエストしてもいない)
ぼく「いや、19日20日はまだ年末年始じゃないんですが。仕事納めは25日なんだが」
ぼく「そもそも好きな時にやればいいじゃんと言ったのはそちらでは」
補足すると、「意味ないじゃん」発言の数時間前に別件があって、自分が送った雑談メッセージが「興味ないから意味わからんこと言うな」みたいな反応だった。とはいえ以前に共通の話題で盛り上がったことがあるYouTuberの話だったんだけど。興味無いわけないんだが単に機嫌が悪かったのだろう、その時点で。言葉のアヤってやつだ。
A君とは長い付き合いなんだが、昔からそんな感じで支離滅裂なんだよな・・・。彼の頭の中で物事の5W1H、起承転結、機序といったものが、組み立てられていないように見えるのだよな・・・。高確率でブーメランを投げる。それでいてプライドだけは高くてヘソ曲げて不機嫌になる、女でもないのに。そんなん友達なくすぞ・・。若い女ならまだチヤホヤ甘やかし姫プでなんとかなるだろうけど。
かくいうぼくはASD傾向(心療内科でテストを受けた結果)、「正論や論理が通じない人にそれを説いても意味がない、というか逆効果」ということにやっと気づき始めたというか。いや、頭の隅で気づいてたのかも知れないけど実行に移してなかったと思う。処世術として「機嫌取り」を覚えるべきなんだよな自分は。自分は性格柄と仕事柄、日常的に論理でしか喋ってないので、非論理の処理流暢性が低いんだわ。相手が「怒ってたり機嫌悪そう」ということに鈍感すぎた。なのでMPを消費して機嫌取りメッセージを送った。
でも「正論」っていうか「論理」っていうか、そんな形容が必要なほど複雑なこと言っているか?ていうか、その程度の物事の整理すらできずに、何の仕事ができるんだ?と疑問になるが。それが最終学歴が情報科目の人間の脳なのか?学校で何を学んできた?(能力ハラスメント?)まあ学校で学んだことを全く人生で活かせてない人間ってたくさんいますが・・・。
自分がロジハラ加害者で、A君がフキハラ加害者。歩み寄るためのメタ認知が必要なのだけども、A君の機嫌がいいときにその話したほうがいいのかなー。またヘソ曲げて話聞いてくれない気もするけど。ていうか教育のプロであるはずの学校で教わったことが身に付いてない程度の学習能力なので、もう教育の素人である自分の手には負えないのかも知れない。
ただ、自分自身としてはフキハラ対処法を学習したいので、教材として付き合っていくのがいい気がする。