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はてなキーワード: 仏教とは

2023-07-02

宗教とは何かについて考えてみた

宗教」を定義してみる

私の現時点での定義としては、宗教とは、人生において行動の選択を迫られたときにその指針となる命令又は禁止規範となる道徳をいう。多くの場合「こうすれば死んだ後で天国極楽へ行ける」「こうすれば地獄へ堕ちる」というように、行動いかんによって死後の魂の扱いが左右されるという教えがセットになっているが、現世における救済や恵みを受けるという教えの場合もある。

この定義に従えば、儒教宗教であるマックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で分析したように、「商売で儲かることは神の教えに従った正しい行いをしていることの証である」といった信仰のあり方も宗教であることに鑑みると、「運気が向上する習慣」といった自己啓発の類も宗教である。この定義に従う限りでは、何らかの宗教を持っている日本人はわりと多い。

なお、この定義からすると「お国のために戦って死ね英霊になれる」という教えが宗教に含まれるかどうかは微妙で、私は否定的に考える。なぜならば「どう生きるか」でなく「どう死ぬか」の行動指針であるため、「善き生き方」を示す道徳になっていないから。どちらかというと政治キャンペーン一種に分類すべきように思う。ただ、この点は「道徳とは何か」の定義を決めないと結論を出せなそうなので保留にする。

死者の霊、祟り祈り

死者は霊魂となって現世の人々に影響を及ぼすとか現世の人々の祈りが死者の霊魂を癒すという観念は、死んだら死後の世界に行くという宗教観念矛盾している。この二つの観念は別々のもので、宗教が生まれる前から原始的信心として前者が存在していたと思われる。

「死んだらどうなるのか」という不安に対しては様々な「答え」が出されており、天国地獄永遠に暮らすのだとか、別の生き物に生まれ変わるのだとか、現世と交流できる状態にあって時折姿を現したり人に憑依したりするのだとか、恨みや後悔を残して死ぬと地縛霊や怪異になるとか言われている。

交流したり観測したりできる存在としての霊魂存在を信じることは、何に寄与しているんだろうか。例えばいじめられて死んだ生徒の霊が語られる際に、いじめはいけないという教訓ではなく「あのトイレには近づくな」という戒めの方が強く意識されることからすると、道徳には繋がっていない。もっとも、死者の霊を軽んじる行動を取ると祟られたり罰が当たるとされるため、死者に対する礼節という行動規範にはなっている。死んでも生者と関われるので孤独じゃないとか、死者を敬うことで自分も死んだ後で丁重に扱われるだろうとかの安心感を得られるのかもしれない。

命令禁止をせず救済を与えてくれる神様

苦しい時に頼みの綱となる「神様」は、普段はまったく信仰どころか意識すらされておらず、名前もなければどんな姿をしているのかのイメージも持たない漠然とした概念である。その「神様」に祈りを捧げることで天国に行けるわけでもないし、祈ったにもかかわらず救済が与えられなかった場合には悪態対象にすらなる。

「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」やテーブルゲームにおける「ダイス女神」もこの一種で、普通人生の命運をかけるほどの扱いはされない。ただ、行動規範をもたず「幸運のお守り」に人生を賭ける人もおり金儲けのターゲットにされがちである

エジプト神話ギリシャ神話北欧神話ヒンドゥー教の神々

勉強不足なのでよくわからない。

「死後の世界」を司る行動規範としての神もいるかもしれないし、「戦に勝ちたい時に祈る神」「商売繁盛のために祀る神」として救済を求める神様の類かもしれないし、「こういうことするとこういう目に遭うよ」といった教訓的な寓話や超常的で不思議な御伽話の登場人物なのかもしれない。

政教分離すべきとされるのはなぜか

上記のように、私の定義では「宗教」とは行動規範を示す道徳である道徳は「どうあるべきか」「何が正しいか」を含むものであり、従って政治法制度のあり方にも関わる。法や政治道徳イコールではないにせよ、深く関連している。そのため、特定宗教の良しとする行動規範に従って法律を作り政治を行うと、他の行動規範もつ宗教を信じる人々と衝突する。「人であるがゆえの権利」を前提とする法制度や政治は誰にも平等でなければならないことからすると、特定宗教立脚した政治を行うわけにはいかない。

「こう生きるべき」みたいに国家が口出しすること自体大きなお世話と考えるのが「人権主体政治だともいえる。

人権」は宗教

やってみればわかるが、人権を行動規範にすることはできない。人権人生の様々な場面で衝突するものからこちらを立てればあちらが立たず、その折り合いをどうつけるかが求められる。したがって人権大事にしようと決めたところで行動指針が決まるわけではない。例えば表現の自由プライバシー権のように。

政治を考える際に考慮すべきものではあるが、個人人生の指針にはなり得ないので、人権宗教ではない。

おわりに

私の友人にはキリスト教仏教敬虔信者であったり聖職者であったりする人たちが少なくない。また、スピリチュアルものを信じる人もいるし、神様へのお勤めで心身をすり減らしてしまっている人もいる。信仰はとても古くから存在し、必要とする人間が多かったのに、なぜ必要なのか自分にはわからないのでずっと考えている。難しい。

2023-07-01

anond:20230701202554

よくこれ言われるけど、語源ってものを舐めてるね

例えば日本語には仏教由来の言葉普通に使われてて、仏教由来の言葉を消すだけで馬鹿みたいなコストが発生するよ

夫の宗教アレルギーがウザい

子ども保育園を探しているんだけど、田舎からそんなに選択肢がない。

から近い場所に認可保育園があるのでそこに入れたいなと思っていたのだけど、そこはキリスト教系の保育園で、夫は見学すらしたことないくせに「なんか嫌だからそこには入れたくない」と拒否反応を示している。

次に近いのは認可外の保育園。保育料も高いし評判も良くないのに、立地だけで「ここがいいんじゃない?」と言っている。

その他いくつかの保育園は家からそこそこ遠いが、「車で送迎するならそんな変わらないでしょ?」とのこと。

夫が知らないだけで、付近保育園はたった1つの公立を除いて全て宗教色がある。仏教だったり神道だったりキリスト教だったり。

たまたまから近い保育園が「分かりやすキリスト教系っぽい名前」なだけで、他もたいしてやってることは変わらない。

何も知らず、何も調べず、脊髄反射的な宗教アレルギーで大きな負担を私に強いようとしている。

遠い保育園なら自分で送り迎えして、認可外の保育園なら保育料の増えた分を婚前の貯金から出してくれるならいいけど、そんなことをする気もなさそう。

まじでめんどくせーな。

anond:20230701132049

自称とか言い出したら日本仏教なんかも自称自称からな。

釈迦2000年後には俺の教えは間違って伝わるだろうからそれ以降はノーカンなって宣言出してるくらいだし。

anond:20230701104820

じゃあなんすか

1400年以降の仏教は全部詐欺ってことすか

2023-06-29

anond:20230629200918

そもそもシヴァって知ってます???

仏教でいう釈迦

フライドポテトがあるとして、その名前に”釈迦釈迦ポテト”なんて名前をつけたらどう思います

なんか変な感じしません?

名前で遊ぶなよ!って思います。おいらは。それとおなじ。

2023-06-28

×仏教画 ○仏画

菩提寺住職(同世代)にこの間のエントリーを見せた結果、みなさん面白がってくれてうれしいので張り切って書く、と言っていた。

そうして送られてきた日記が、要約すると「猫に網戸を破られたので、網戸を張り替えようと思ってホームセンターに行ったところ、蚊帳が売っていた。そういえば蚊帳を吊れば良いと気がついて、猫のご飯だけを買って、押し入れから蚊帳を出して吊った」で、蚊帳の上でハンモック状態の猫が寝ている写真だったので、彼は天才だと改めて思う。

しかし、異議申し立て(?)されたのは「仏教画」の件である仏画とは言うが、仏教画というのは正式呼び方ではないのだそうだ。

曰く、仏画というのは「道具」なのだそう。単なる美術品ではなく、布教のためだったり、信者に考え方を示したりするときに使ったり、法事の時に使ったりするための「道具」なんだって。で、住職が書いている仏画は、そういったもので、色々なお寺なりから依頼を受けて書いているのだそう。

から、お寺にある仏画の多くは作者不詳で、古くなって、すすけたり破れたりして、使われてきた仏画にこそ価値があると。自分が描いたものもそうやってしっかり使われてほしいと思うんだそうな。額装して飾るもんじゃないんだって

なるほど?

から、おしえているのは基本、仏画じゃなくて日本が寄りの美術だと。

そうなのか。熱く語っていたのでここに記す。

2023-06-25

田舎のお寺に赴任してきた若い僧侶檀家向けLINE配信はじめた結果

いや、けしかけたの俺なんだけどね。

住職が生涯独身を貫いて突然死んだ。

しばらく近隣のお寺がカバーしていたんだが、限界と言う事で、三十歳半ばの若い僧侶が赴任してきた

お寺は優良物件だそう。観光寺ではないんだけど、廃仏毀釈の流れから戦後で、歴史的経緯複数のお寺が合併しており、檀家数が無茶苦茶多い。その結果、無茶苦茶経営が安定している。

そのためか、赴任してきた僧侶は、10歳で仏門に入り、本山から観光寺まで巡ってきたという無茶苦茶エリートがやってきた。

その住職さんとLINE交換した。

檀家世話人会に年寄りばかり出ていたところで、同世代の俺が出ていったところ、若くて住職と年齢が近いからと言う理由で大量の仕事を振られた結果である

その連絡のためにLINEを交換したところ、何故か一日一度「今日の拙僧」みたいなLINEが届くようになった。

例えば、檀家さんが野菜を持ってきてくれたけれど食べきれないので、子ども食堂にお裾分けをしたら、浅漬けにしていただいたのでありがたく頂戴しておいしかった、とか、育成会が焼き芋をすると言うので落ち葉を貯めておいたが、水が溜まってしまってしけってしまい、煙ばかりで上手く燃えなかった、とか。

こちらが反応できなくても送られてくる。

それがあまりにも素朴で面白いので、LINEビジネス公式アカウントを作ったらどうか、連絡も簡単になるし、ジジババも孫と連絡用でスマホ使ってるよとか言ったところ、やってくれと言う。

結果、登録者じわじわ増えて、この間ライトプランじゃ足りなくなってスタンダードにした。

もちろんLINEだけではないけれど、お寺でお葬式をしたいという相談が来るようになって、実に二十数年ぶりにお寺で葬儀を行い、それがコンスタントに続いていたり、(先代住職葬儀すらセレモニーホールだったのに)

近所の不登校の子が「お寺なら行く」といって、住職のところに仏教画を習いに来たり、

何より、世話人会に若いのが出てくる様になって、お布施の振込・キャッシュレス化が一気に進んだりとか色々と安定してきた。

結局、接触を増やす事が大事なんだろうなと。そのためのツールとして、LINEはやはり強い。このままLINEペイでお布施が払えると楽なんだが、これは禁止だった。

2023-06-24

anond:20230624190532

仏教僧侶に施すものがない兎が火に飛び込む美談がある

そういうことやろう

2023-06-21

体罰批判されがちだけど座禅ときに肩をバシンバシン叩くやつは許されてるよね

やはり仏教は長い歴史修行法を洗練させてきただけのことはあるなあ

2023-06-19

anond:20230619151445

誰だろうと生物学的な性は変えられないし、老いは避けられない

仏教の出番としかいいようがないな

2023-06-11

漫画の悪役になりたくないから悪い事をしたくない、とはどういうことなのか?

https://anond.hatelabo.jp/20230611115720

これ見てビックリしたんだけどさ、中々面白い言動で、いくつか論点が浮かび上がったか適当に羅列していく。

「お天道様が見てる」と「漫画の悪役になっちゃう」と同レベルなんだな。

漫画社会的地位が高まったんだろうな。「所詮漫画」だの、「漫画なんて子供の読み物」なんて思ってるけど、まあそういうこと共感されないだろうしな。

まず、こういう人って、例えば悪人だったけど後で仲間になるジャンプシステムとかどういう目でとらえてるんだろうと思ったりもする。

悪人は成敗されて二度と出て来ません、みたいな単純な漫画しか読めないんじゃないだろうか。

漫画の悪役になる」こと自体不可能だろとツッコミたい。

そもそも漫画現実のことではない。リアリティがあろうがなかろうが、リアルではない。

文脈から言うと、「漫画の悪役みたいに他人不快にさせる存在にはなりたくないなあ」みたいな感じなのだろうが、

現実世界架空漫画区別がつかない危うさを感じる。

赤毛のアン」を読んで私はアンよ!とか「不思議の国のアリス」を読んで私はアリス!って思ってる女の子と同レベルなんだろうか。

②の観点に近いが、お前せめてウシジマ君とか読んだことないんか、と感じた。

世の中には善と悪の2枚のレイヤーしか存在しないと思ってるんか?

漫画は読者の快感を刺激するための虚構から、「悪は裁かれる」という気持ちよさが最大公約数として求められる。

公平世界仮説的なアホアホ思考を強化しちゃってんだろうなーと。

善因善果悪因悪果が起きるのは物語の中だけです。

お前もさあ、良い歳して漫画漫画言ってないで大人になって現実と向き合えよ。

妄想現実を一緒にするな。マルフォイ役の役者罵倒してる馬鹿と変わんねえぞ?

ただ、①~⑦のようなことを想いつつ、元増田みたいな低能人間社会規範を守らせているのであれば、漫画も役に立っているのではないか。という考え方もある

そもそも漫画社会規範を守らせる役割を担っていない。

まず漫画とは商品であり、道徳教科書ではない。

漫画文化価値文化表現とは、そもそも反社会性を持ち、アナーキーものであり、一般常識へのアンチテーゼである

からこそ面白い面白いことが漫画要件だ。道徳的に正しいかではない。

さらに、漫画の中のような単純な世界観で生きる人が増えることは、いわゆる「正義マン」を醸成させるのではないかという懸念もある。

一方で、現実はクソなんだから漫画のような単純な世界観で生きたいという思いも否定できない。

それはそうと、漫画現実をごっちゃにするなよ。倫理観漫画で構築するのはいくらなんでも幼すぎないか

じゃあ聖書仏教経典倫理構築するならいいのかよ、アレも空想じゃん、というと俺も押し黙るしかないが、

漫画だけじゃなくて、現実世界ももっと見ようというか、色んな体験をして、色んな学びをして構築して欲しいなという思いはあり。

ちなみに自分老荘推しです。

大体このくらいのことは一気に思えたわけで。簡潔ながらも良いテキストだった。感謝している。

2023-06-10

anond:20230610182719

自分他人区別がつかない 他人のことを自分のように思い制御できる これが自我と他我の区別がつかないやつなんですね 自他の区別がつかない奴は無能 大学時代キリスト教で(anond:20230610183644)

雑な創作お腹いっぱいです

 

せっかくだから他我の意味は覚えてね

他我(たが)は、日本語哲学用語であり、仏教や禅の教えにおいて重要概念です。他我は、「他(ほか)」と「我(われ)」という二つの要素から構成されます

 

「他」は他人や外界を指し、自己以外の存在他者意味します。「我」は自己自我を指し、個人意識アイデンティティを表します。他我は、自己他者関係境界を探求することを通じて、人間存在人間関係本質理解しようとする考え方です。

 

仏教や禅の教えでは、他我の概念を超越することが重要視されます自己中心的な執着やエゴの解消を通じて、他者との結びつきや共感を深め、慈悲や無我の境地に至ることを目指します。他我の境界を超えることによって、苦しみや迷いか解放され、真の自由幸福を実現する可能性があるとされています

 

他我の考え方は、個人自己認識他者への理解を促すだけでなく、倫理道徳的な行動の基盤となる要素も含まれています。他我の境界を超えて他者との関係を築き、利他的思考や行動を実践することは、個人社会の発展に寄与すると考えられています

 

ただし、他我の概念は非常に複雑で哲学的な概念であり、個人文化によって解釈が異なる場合があります仏教や禅以外の文脈では、他我の概念を異なる意味使用することもあるため、文脈によってその意味解釈が異なることに留意する必要があります

2023-06-09

坊主カスすぎる

タイトル通り。

坊主共はカスしかおらん。

しかも歳が上になればなるほどカス度が上がっていくし。

坊主の俺から見ても、周りの坊さん共は総じてカス

飲み会で1人1万円取るようなクソ高ぇ場所に行ってボトル何本空けただの、

二次会キャバクララウンジ女の子セクハラしただの、

宗門の中で偉くなりたいから根回しして他の奴らを蹴落とすだの、なんかこう良くも悪くも世俗に染まりすぎているんよ。

そのカネがどこから出てきているもので、その檀信徒の方々はどんな気持ち坊主寄進したのか考えたこあんのかなマジで

しかもさあ、こういうこと言うと坊さんの中で煙たがられるんよ。「真面目すぎる」とか。

お前らが不真面目すぎるだけだろうがよ。

仏教はどうしても小難しい分野になりがちだし、俺も完璧に教えを理解したわけじゃないけどさ

仏様が見たらどう思うか考えたことある

一番宗門を牽引すべき40代50代のお前ら坊主が酒と女と政治に狂ってるから坊主が信用されないんだよ、わかる?肩書きだけ一丁前になりやがって。

宗教離れ」?「寺離れ」?「墓離れ」?当たり前だろ。お前らがそんなだから信用されねえんだよ。

価値観のアプデも疎かにしてるから、ずっと檀家ガー墓ガーで止まってんだよ 周回遅れすぎるだろ

信徒の方々と、なにより仏様を裏切ること、平気でしてんなよ、マジで

という斜陽宗派坊主愚痴

2023-06-02

anond:20230602222241

亜細亜はどうでもいいがフランス仏蘭西を当てたやつは蹴り飛ばしたい

仏国って言葉浄土意味する言葉として仏典に頻出するんだよ

阿閦仏国経なんて経典もあるんだよ

仏教関係資料検索してるときフランス関係論文が引っかかったりして困るんだよ

仏人の仏教研究者とかもいるんでわけわからんことになるんだよ

アフリカが阿弗利加ならフランスが弗蘭西でもいいだろ

なんで当時のやつらは何の抵抗もせずに仏蘭西を受け入れて

フランス仏国表記するみたいなアホな状況に抗議の声をあげなかったんだよ

2023-06-01

anond:20230601161519

(*´Д`)

全然理解できてないぞ

信仰持ってる者に対しての無宗教

違うだろ?

無宗教キリスト教イスラム教仏教ゾロアスター教空飛ぶスパゲッティ・モンスター教、etcetc

そこら中に手を広げるのが中庸だって話をしてるだろ

ゲロを吐くほどクセェ話だよ

下書き

全部谷川俊太郎ってのを今度やるんだけど、今気がついたけどオープニングが「祝婚歌」でエンディングが「世界約束」て、エグいな?!

世界約束」、喪の歌だよね配偶者を亡くした人の歌。

何で鉄腕アトムエンディングにしなかったのかと思ってたけど、そういうこと?!ええ?先生、そういうことなの?うわぁ…

これその意味を乗せて歌うの、しんどいね?メンタルにも、しんどさが伝わる演奏たりうる技術的にも〜〜〜!/

/今回は他にも夫婦パートナー?の歌があって、「木とともに 人とともに」に入ってる「空」はまだ死んでないパートナーの死を日常の中に見出して、「未来はあとどこまで続くのだろうか」って不穏なのよね

で、曲調は、不穏な和音で引っ張って揺れてんだけどフレーズの結びは和声解決してホッとする、の繰り返しなわけ。あああ〜怖い怖い怖い怖い。ホッとする日常にいつも喪失があるの…そして「天国じゃなくてあなたとは地獄で会いたい」だよ地獄だよ〜

もう、地獄に行く未来がふさわしい罪を犯しているわけ?えっ不倫なのかな?どう読めばいいの………生きてることはそれ自体が罪というキリスト教原罪しかイエスの救いなし、葬式仏教文化から…)てなはなしなんだろうか?わからぬ〜〜

2023-05-26

いろいろな「三大欲求

プラトン法律』(紀元前350年ごろ)

I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.

私は、人間あいだではすべてのことが三つの欲望依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれときからまります。あらゆる動物自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気燃え上がらせる「性欲」の炎です。

今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトン著作明治時代翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。

法雲『翻訳名義集』1134年

欲界三欲

(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠不能修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。

欲界三欲

1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。

翻訳名義集』は中国南宋時代編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在スタンダードである

貝原益軒養生訓』(1713年)

いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。

養生訓』は江戸時代の大ベストセラー貝原益軒儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶ことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。

内山真弓『歌学提要』(1843年)

そもそも飲食男女と、言語とは、天下の三大事なり。

歌学提要』は幕末歌人香川景樹理論をその弟子内山真弓がまとめたものだという。

山本友一『私の短歌入門』(1977年)によれば、

人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。

ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。

官報』(1885年

人生の三大欲望すなわち黄金健康・不死

これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアンプレイフェアのスピーチ翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師黄金健康・不死のために賢者の石研究していた」…みたいな内容だったらしい。

they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.

直訳すると「人類享楽感覚的な三条件」か。

村上専精『宗教観』(1906年

思ふに人生の三大慾望たる知識慾、資財慾、生存慾は直ちに人生の三大不可能と云ふを得べし

村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中文章で「日本人は三大欲求生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。

滝沢秋暁『愛の解剖』(1907年

人間の三大慾望たる衣食住

個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的もの」「必要もの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。

黒田鵬心『美学芸術学概論』(1917年

美慾は字に示す如く美を求める慾で食慾、色慾と共に人間の三大慾の一つである

美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか

依田今朝蔵『日本風土を主としたる保健衛生論』(1920年

人生の三大慾とも稱すべき食慾と性慾と名誉

明治以降経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。

ロス・ロックリッジ『愛情花咲く樹』(1958年

そうすれば一日にして人間の三大慾望を果たすことになる、性慾と食慾と戦争――つまり殺傷慾だな

もとはアメリカ1948年刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。

小松武樹『囲碁将棋の泉』(1959年)にも、

また囲碁将棋は、人間の三大欲望、つまり、食欲、性欲に次ぐ、闘争欲の中和剤の役目をしてくれます

といった記述がある。

鍵谷幸信『食欲と性欲の谷間に顔を埋めてしまったフェリーニ』(1974年

食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。

いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。

梶矢文昭『読者を想定した教材解釈と授業展開』(1978年

本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである

この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。

吉田聖『誘惑に負けない勇気、強い意志』(1979年

貞潔清貧従順修道誓願人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。

これはつまりカトリック修道士が守る三誓願対義語となるような欲望貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックあいだでポピュラー解釈なのかは知らないが、三誓願のもの3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。

実用日本表現辞典『三大欲』(2015年

一般的には、生存にかかる根源的な欲求とされている食欲、睡眠欲、性欲を総称した言い方。

現在一般的認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白現象である

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