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はてなキーワード: 人身事故とは

2014-10-25

そうやって自動車殺傷性についての感覚麻痺したころに

http://anond.hatelabo.jp/20141025173500

あなた自動車運転により、大量殺人犯になるんですよ。交通刑務所行きもある。

それに見合う娯楽とは思えませんね。自身自動車を運転せずできる代替だっていくらでもあるでしょう。配達という手段もある。

自動車の要らない楽しいデートすら組めないようでは、都会の人間に負けていますよ? 自動車中毒自動車依存は割に合わず寿命も短い。地域寿命も縮める。

自動車他者へだけでなく、自分の死傷により重度障害や死亡もありうる。そうなると親や大切な人を喜ばすどころではなくなりますね?

それが容易く実現されるのが自動車という凶器のおぞましさ。

この本質に目を背けず、善良で利口な判断ができるはずですよね。

青山繁晴さんは自分はレーサーなのに

自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという

青山さんは言う

「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない

車はステアリングちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう。

自動車は一瞬の不注意で人の命を奪う危険物である

・運転とはその危険物操作する気の抜けない労働である

・それなのに自動車メーカーは乗用車を快適なものカッコいいものという間違った認識で売りつけようとしている

本来、運転中に音楽を聴いたり談笑したりタバコを吸ったり飲み物を飲んでていいはずがない

・なぜなら原発作業中や電車の運転中と同等の、尊い人命を預かる一時のわき見も許されない労働行為であるからである

自動車社会本質は100万もの人身事故と大震災並みの犠牲者を毎年同じだけ生み出す欠陥システムである

・にもかかわらず事故責任はすべて運転者の責任転嫁される

・運転することは、飲酒どころか単なる不注意でも刑務所に入れられ人生を終わらせる可能性がある割の悪い労働である

任意保険に入っても被害者への賠償は担保されても加害者となった自分生活保障されるわけではない

・不当な責任をかぶせられる不条理に嫌気をさして、賢い人から運転にはかかわらないようになってきている

自動車免許低所得必要条件となっても高所得へのパスポートとはなりえない

危険な作業は専門家に任せるのは社会常識であるのに運転という危険作業を自分で行うのはなぜ?

首相大臣一流企業経営者の多くが自分で運転をしないのはなぜか?

・逆に一般人であるあなたが運転するのはなぜか?事故を起こして人生を終わらせ社会的に葬られても誰も困らない駒だからである

・よって駒として切り捨てられたくないと思うなら車の運転はしてはならない

自動車を運転する必要のない地域移住する人々が、いま増え続けている。


なんで日本人自動車暴走するのか

http://news.azwad.com/post/31975473123/1

自動車の通行により劣悪危険化が蔓延する地域

http://www.city.kamagaya.chiba.jp/kakuka/toshiseibi/atmkamagaya/imawatasi.htm

『野蛮なクルマ社会

http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/Yaban.html

JA共済の“捏造広告”を許すな

http://melma.com/backnumber_16703_5796048/

自転車側が第一当事者割合はたった15.4%であり、自転車より悪質な自動車運転が蔓延しているのが日本交通実態だと明らかになった。


思いを紡ぐ: 危険な通学路、全国に6万か所

http://tomosibi.blogspot.jp/2012/09/6.html

自動車によるヨーロッパ日本沼津の中心市街地活性化

http://uemuraakifumi.com/sub7_teigen_numazu.html

自動車暴走自動車により地域の劣悪化危険化が蔓延している 自動車害の深刻化と共に進む過疎化

http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51557653.html

県内初「ゾーン30」 車両速度30キロ規制 和歌山市高松地区で設置

http://sankei.jp.msn.com/region/news/130315/wky13031502110004-n1.htm


車優先から人命優先へ 通学路の安全確保を

http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/120512_01.shtml

通学路の安全対策について-2012年6月13日議会質問

http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110

通過交通(自動車暴走自動車抜け道利用における害悪)

http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/column/2008/column200810.htm


事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

神奈川県警察/私たちの街から違法駐車を追放しよう!

http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4001.htm


なぜ日本人ドライバーは法を知っていながら交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外道路危険化するのか


制限速度・・・守らない!深刻な騒音公害危険をまき散らしても知ったことか!→自動車規制取り締まり強化&交通刑務所服役へ

横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道歩行者自転車を加害し逮捕交通刑務所懲役生活

横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。

歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者自転車、を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025

歩道車道自転車レーン・・・違法駐車事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者妨害?知るかボケ


上記交通犯罪はすべての道路日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!

交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を市長知事議員等に要請しつづけよう。


車社会 高齢化も見据え交通

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=utf-8&oe=utf-8&q=%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E3%82%82%E8%A6%8B%E6%8D%AE%E3%81%88%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%B6%B2

あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省

http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html


いくら気をつけていても、大勢児童市民らを殺傷させて道路を血の海、地獄絵図に変える殺傷力をもつの自動車という凶器

地域安全のため、自動車への規制取り締まり強化、自動車抑制施策の推進、自動車の運転なしでも快適に暮らせる子供から年寄りまですべての人にやさしい地域の実現、これらを議員警察知事市長ら等に要請しつづけよう。

2 : 車を捨てるといいことばっかりじゃないですか[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:39:29.01 ID:gEM4FMoW0 [2/7回(PC)]

・毎年数十万から100万円以上のコスト削減が出来、その分生活にゆとりが生まれ

ガソリンの充填、車検・点検、消耗品の交換補充や洗車、税金保険、車の買い替え、事故違反対応などの手間から開放される

・車を捨てることで生活の場を郊外から都心に移す事が出来、通勤時間を減少させ自分時間を増やせる

郊外のどこへ行っても同じ郊外SCファミレスから、街中の変化に富んだおしゃれなお店での買い物・食事へ生活の質をシフト出来る

会社帰りの近所のお店での買い物が増え、週末をジャスコでつぶされることがなくなる

海外旅行などにシフト国内でも新幹線や送迎バスを利用し、飲酒制限事故や運転ストレスとは無縁の休暇旅行

駐車違反心配駐車場を探すムダな時間、駐車時間の拘束から自由になれる

違反点数の心配交通事故不安加害者になる可能性がなくなる心理的負担の軽減

・運転することで生まれる肉体的・精神ストレスがなくなる

・運転しないことで、帰りを待つ家族不安が軽くなる

・車での移動中使えなかった時間が、読書モバイル睡眠などに使えるようになる

・普段の生活で歩く距離が意識せずとも増え、健康である

他人の目のある公共交通の利用が増え、いつの間にか服装にも気を使いオシャレになる

・車を捨てれば温暖化ガスの家庭排出量の3割を減少させることが出来、事あるごとにそれを人に自慢できる

3 : 車の運転で犯罪者になる[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:41:26.37 ID:gEM4FMoW0 [3/7回(PC)]

「そんなことは滅多にないだろう...」

と思われるかもしれません。ですが、冷静に考えてみましょう。

3分の2のドライバーが、「事故でケガをさせて」しま

人にケガをさせてしま事故は、「人身事故」と呼ばれます

人身事故は、年間約100万件です。

クルマの利用人口(約5千万人注1)から換算すると、普段運転しているドライバー人身事故をする確率は、一年で2%です。

ところが、これから一生、例えば50年クルマに乗り続けると、

一生のうちで、「人身事故確率は、64%注2になります

まり3分の2のドライバーが、「事故でケガをさせて」しまうのです。

注1:「余暇開発センター」の調査より、「普段、クルマを利用する」人口を算定

注2:1 - [1-(100万人/5千万人)]50 = 0.64

100人ドライバーのうち1人は死亡事故を起こす!

交通事故で亡くなる方の人数は、年間約1万人です。

先ほどと同じ計算でいくと、一生で死亡事故を起こす確率は、1%注になります

まり100人ドライバーのうち一人は、死亡事故を起こすのです。

この数字、少ないと思いますか?

注:1 - [1-(1万人/5千万人)]50 = 0.01

③300人のドライバーのうち1人は事故死する!

交通事故死のうち、約1/3が「運転者」です。

まり、300人のドライバーのうち1人は、事故死ぬのです。

④250人のドライバーのうち1人は、「人をひき殺して」しま

逆に、交通事故死のうち、約4割が「歩行者自転車」です。

まり、250人のドライバーのうち一人は、見ず知らずの人をひき殺してしまうのです。

http://www.plan.cv.titech.ac.jp/fujiilab/info/accident.html

4 : 車の運転はバカがするものby鈴木正文[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:43:31.11 ID:gEM4FMoW0 [4/7回(PC)]

・運転とはその危険物操作する気の抜けない労働である

・それなのに自動車メーカーは乗用車を快適なものカッコいいものという間違った認識で売りつけようとしている

本来、運転中に音楽を聴いたり談笑したりタバコを吸ったり飲み物を飲んでていいはずがない

・なぜなら原発作業中や電車の運転中と同等の、尊い人命を預かる一時のわき見も許されない労働行為であるからである

自動車社会本質は100万もの人身事故と大震災並みの犠牲者を毎年同じだけ生み出す欠陥システムである

・にもかかわらず事故責任はすべて運転者の責任転嫁される

・運転することは、飲酒どころか単なる不注意でも刑務所に入れられ人生を終わらせる可能性がある割の悪い労働である

任意保険に入っても被害者への賠償は担保されても加害者となった自分生活保障されるわけではない

・不当な責任をかぶせられる不条理に嫌気をさして、賢い人から運転にはかかわらないようになってきている

自動車免許低所得必要条件となっても高所得へのパスポートとはなりえない

危険な作業は専門家に任せるのは社会常識であるのに運転という危険作業を自分で行うのはなぜ?

首相大臣一流企業経営者の多くが自分で運転をしないのはなぜか?

・逆に一般人であるあなたが運転するのはなぜか?事故を起こして人生を終わらせ社会的に葬られても誰も困らない駒だからである

・よって駒として切り捨てられたくないと思うなら車の運転はしてはならない

2014-10-18

人身事故って連呼されるのいや

人身事故って気軽に言うけど、自殺だよな(そうじゃないこともある)これを連呼するのは自殺報道ガイドラインとかガン無視ってことか

まぁ鉄道会社からしたらエクスキューズなんだろうが、

なんなんやろな。この感覚

乗れば人身事故、降りれば人身事故、大変申し訳ない。

大変申し訳ない。誰かが死んだせいで遅らせて大変申し訳ない。

星新一でもかけない、すげー世界だな

2014-10-14

電車GO!

駅の人身事故の瞬間を生で近くで見てみたいな。死体処理の仕事もやってみたい。楽しそう。

2014-07-02

最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています

また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。

また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさら抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています

彼らは社会ハイコンテキスト空気適応出来ず、社会の無言の圧力抑制された存在なのだと思います社会倫理に虐げられた人間に今更、社会倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本教育、〜しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう

最近永井均中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます

彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう

今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会コモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在若者ゆとり世代といい、多くの問題最近の若者的な問題すり替え押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失失われた10年年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。

また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである

その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。

今の会社グローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデル一年たらずで崩れてしまう。

企業倒産による、失業リストラ些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。

働かざるは食うべからず。行く場所行く場所そう言われる。

生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間言葉無視する。

重要なのは、働くことのみである

たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力仕事が作られる。

駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。

彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。

初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしま

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。

昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。

殺気立った満員電車突っ込み

痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。

改札のタッチミスで舌打ちが聞こえ、時に電車が止まる。

人身事故だとしても、その人を心配する人はおらず、

しろ遅延証明書遅刻の報告のほうが重要なのだ

知らない人間の命は関係ないーー

こういった風景を見てきてどうすればいいかわからなくなりました。どうすればいいでしょう

2014-07-01

ゆいレールって開業から人身事故0らしいけどさ

そもそも小さくて遅いから自殺できる気がしないし、もしやる気あるなら線路から飛び降りるよね

2014-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20140630185842

少なくともわたしには影響があったよ・・・

加えて今日京浜東北線人身事故があったよ

あやうく私もそちら側へ引っ張られそうになったよ・・・

昨日の事件今日人身事故全然関係ないだろうけど。。

私にも関係ないことかもしれないけれど。

からごめんね。

2014-06-24

自殺で良かった

人身事故相変わらず多いな。

昔は、よりによって人生最後にそこら中の人から恨みを買わなくてもいいのにって思ってたけど、そういう死に方を選ぶのにはそれなりの怨念があるんだろうね。

結局本人にしかからない、いや本人にもわからないようなことかもしんないけど。

でも自分の命を自分で絶つって、並大抵の力じゃできないだろ。

ちょっとやそっと生きるのが嫌になったからって、そう簡単に死ねないだろ。

そう考えたら怖くなったよ。

自殺するやつらの死に向かうエネルギーってたまたまベクトル自分に向かってるだけだろ?

そういうエネルギーが反対に向いたらどうなるんだろうってさ。

からさ、今日もなかなか来ない電車待ちながら思ったよ、自殺でまだ良かったなって。

2014-06-08

首都圏鉄道自殺が増えているというのは、錯覚ではなかった。

全国での人身事故件数が10年間で1.2倍なのに、首都圏での人身事故件数は3.5倍。

2012年度には、全国の人身事故のおよそ半分が首都圏で起こっている。

首都圏の特異性、なのだろうか。

首都圏で鉄道自殺が増えているというのは、錯覚ではなかった。 - 場の空気は斜め読み

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528102710

田舎マイカー通勤している人が轢死した猫を見かけるのと同じくらい、

東京電車通勤している人は人身事故に遭遇してるってことだね。

京急線横浜駅で発生した人身事故」の件

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=_pYzIrMO4AY

「うあー、人身だよ…」という反応は東京では普通なんだなとブコメ見て思った。

別に東京の人を責めてるわけじゃないよ。

東京って日本で一番「死」が日常存在する街なんだよねきっと。

「死」に慣れなきゃ東京では生きていけないんだよ。

2014-05-25

楽天的集団的自衛権反対派

東京新聞:戸惑う自衛隊員 集団的自衛権 議論を注視:政治(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014052590070215.html

「そんなケースが今まであっただろうか? 極端な事例で、今後も考えられない」と切り捨てる。

東日本大震災まで、「原発事故が今まであっただろうか? 極端な事例で、今後も考えられない」というのがまかり通っていた。新幹線では、今まで重大な人身事故は起こっていない。しかし、今後も事故のことを全く考えなくて良いわけではあるまい。

日本人は、東日本大震災で「想定外」を持つことの恐ろしさを知ったはずだが、ある種の楽天家例外のようだ。

反対するのは自由だが、その反対理由は「デメリット」などを中心にすべきであり、「そんな極端なことは怒らないから考えるだけ無駄」というのは単なる思考停止、いや思考放棄しかない。

2014-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20140518203936

あれは人身事故防止のために設置してるわけじゃないけどな

2014-04-21

数日前、電車の先頭車両にのって、ぼーっと前をみてたら、人身事故

数日前、電車の先頭車両にのって、ぼーっと前をみてたら、人身事故が起こった。

ちょうど一個前の通過駅のホームで、黄色い先の外側にすこーしだけはみ出た人に警笛を鳴らすのをみて

「こんなの飛び込んで来たらどうしようもないな~」なんて考えてたとこだった。

同じように通過駅のホームを見てたら、またはみ出している人が見えた。

が、様子がすこし違った。

こっちを見ている。

さっきと同じように警笛を鳴らす。

が、まだこっちを見ている。

更に警笛を鳴らす。

が、様子は変わらない。

だんだんと近づいていく電車とはみ出している人。

そして、タイミングを見計らったように、目の前に飛び込んできた。

鈍い音と警笛の音、計器の警告音が鳴り響き、電車は止まった。

その後は、関東に来て数年の内に年1回程度のペースでに経験したことのある、

人身事故を起こした電車アナウンスと1時間電車内缶詰を経て、その電車を後にした。

まさか、飛び込む姿を見るとは夢にも思わなかった。

その人の生死については、ニュースに一切現れないし、

そもそも全然ニュースになってない。

(どこかで聞いた、自殺者を増やさないための配慮だろう)

なんだかモヤモヤしたままの日々をこれから過ごしていくと思うと、

もう少し情報がほしいと思う増田でした。

2014-04-18

確かにひどい運転ではあったし示談でゴネられるのも嫌だが、顔も見せない謝罪挨拶にも来ない、で本当にいいのか?

夜中に十字路で地元警察が張っている→黄信号交差点車両突入警察に気付き急停止→ふたたび急発進→ふたたび急停止

というコンボを、すぐ前方車両若いドライバーに決められ、見事にカマ掘ったのが二年くらい前。

幸い相手に怪我はなかったものの、保険会社から

「こちらが交渉しまから相手とは交渉の場を持たないで下さい」みたいな事を言われた。

ああ、じゃあ首突っ込まない方がいいのかな、と思ったので放置して、自分車両修理代だけ払っておしまいにしていたのだが。

相手には事故直後の平謝りした際に名刺交換も済ませてるし、職種的にも人身事故とか起こすとニュースになるような職業ではある。

ヘタに職場来てゴネられたらクビが飛びかねない、だが謝りにいかないのもまずい、しか保険会社はああ言っているし…と逡巡しつつ二年が経過してしまった。

菓子折りの一つも持って行くべきかとも思ったけど、ヤブヘビも怖い。

で、結局は、「貴女への補償はすべて契約してる保険会社に一任しておりますので!」みたいな、米国的な対応をしてしまったようなものだ。

そういう対応をされた側からすれば、さぞ血も涙も無い加害者であるかのように感じられた事だろう。

結局は刑事事件にはならなかったし、相手もたまたま保険会社務めではあったけれども。

もうちょっとこう、あたたかみのあるアフターケアをしてもいいんじゃないか、するべきだったんじゃないだろうかと思う。

まあ人様の後方から自動車で吶喊しておいてあたたかみも何もあったもんじゃないが…。

どうするべきだったのかな。

2014-03-31

原宿人身事故のせいで、赤羽から池袋へ行けなくなったおかげで

恐ろしく大仰な通勤路に。

その過程で、メトロのやけにイケメン声の

駅員さんに誘導されて癒されたり、

昨晩同僚からいただいた二度目のメールをこっそり何度も読み返して

舞い上がったり、

くしゃみした掌を拭おうと取り出したハンカチが親戚のこどもに借りたすごい柄物だったり。

だいたい毎日はそんな感じにできてる。

2014-03-07

年寄りに席を譲ったら怒られた話

取引先に行く為に電車へ乗ったんだよね。

人身事故で違う路線の電車が止まっていた為、時間の割に満員電車だった。

ある駅で目の前にお年寄りが立ったのでこちらどうぞと席を譲った。

そしたらそのお年寄り

「わしはまだ足腰元気じゃ!余計なお世話せんでいい!」

って怒鳴ってきた。

想定外の返しだったのでしばらく沈黙してしまいそのまま席を立ち停車してた駅で下りた。

下りる予定の駅ではなかったが、同じ車両にいた乗客のお前何やってんだよ的な視線に耐えられず下りた。

ホームに立ち車内を振り返るとそのお年寄りが私の席に座っていた。

なんだろうこのモヤモヤした気持ち。

一つ言えるのは、私はこの先二度と席を譲ったりしないという事。

目の前に杖をついた老人が来てもシカトしてパズドラをやり続ける。

こんな世の中にしたのはお前だ。

2014-03-05

現代社会で多くの人が日常的に死と隣り合わせである異常な状況

こないだも人身事故電車止まったけどさ。

俺も今日ホームで中央特快が通過していくのをぼーと見てて思ったのさ。「あ、これ俺が3歩前に出たら死ぬんだな」って。

死にたくなくても何かの間違いでふらっと出てしまう人が、数日に1度ぐらい東京のどこかで発生しても全くおかしくない。

考えてみれば、3歩踏み出すだけで死ぬ状況が日常的にあるってどうなんだろう。例えば100階建てのビルの屋上に、柵がない状態で大勢乗っかってるのと同じだ。たまに1人や2人うっかり落ちても不思議はない。

通常はそんな場所は立ち入り禁止か、柵を付けるなどするだろう。

電車のホームってちょっと常軌を逸している場所だと思う。そんなん放置してたらそら死ぬわ。当たり前とか仕方ないとか必要とか関係ない。

2014-03-02

鉄道への苦情と知ってほしいこと

鉄道で働いてて困った経験は何度もある。遅延・運休は毎度のことだし、そのたびに文句言われるのも最初は嫌だったが慣れてきた。

通勤時と夕方退勤時では圧倒的に夕方のほうが乗客を捌くのが難しい。朝は会社着く前に余計な体力を使いたくないからなのか、慣れからなのか、電車ちょっと遅れたくらいでは怒る人はいなかった。運休になれば主婦や行楽らしきシルバー世代からお叱りを受けるくらいで、スーツを着ている人や学生はむしろ哀れみに満ちたような目で見てくれていた。ちなみに苦情受けているときに周りの目が同情の眼差しだと僕は大分救われていた。

夕方特に金土は。酔っぱらいが吐くのは日常茶飯事、仕事終わりの開放感からか、歩く速さが遅いから電車を発車させようとしても安全確認が難しい。というのも車掌時間通りに発車させるのが仕事なので、こちらが目配りしてなければいけない。実際に酔っ払いが車体にぶつかって怪我する事故はかなりある。これも人身事故扱いになることがあるので困ったものだった。

定時出発というのは簡単なようで難しい。運転士車掌のほうが苦労していると思うが、駅員もそれなりに気を使う。無予約の団体乗車、1つのドアに固まる学生、段差があって乗れない車いすの補助など例を挙げれば枚挙に暇がないが、ここで意外に知られていないと思うこと、その中でも運行の上でぜひ知っておいて欲しいことを挙げてみる。

1.団体乗車は乗車駅に事前連絡してほしい

幼稚園保育園小学生団体乗車をよく目にする。通勤ラッシュが落ち着いた時間によく来る。子どもは好きなので苦じゃないし、僕がお願いしたことをちゃんと聞いてくれるのでヘタしたら大人よりもいいお客様である

ただ、団体乗車のように人数が増えるとそれだけで遅延の原因になる。歩幅の小さな子どもではなおさらで、安全確保も難しい。小さな足が電車に挟まるということはままあるからである

団体の乗客がやってきたら、引率者と思しき人に「人数」「乗車する電車」「降車駅」を必ず聞く。遅延が起きないように人数に寄って「できれば2両に分かれてくれると助かります」といえるし、車掌には子どもを残して発車しないように抑止の放送を行わなければならない。降車駅にも団体が降車する手配を行う必要があるし、そこが無人駅ならば指令から車掌に連絡がいくはずである団体乗車は結構複雑な連携必要なのだ

その連携スムーズにするために、必須ではないけれども、事前に乗車駅に連絡してくれるととっても助かるのである。人数が把握できれば、電話で「同日はだいたい1クラスを2つのドアに分けて乗車頂きたいです」であるという風に伝えられるし、引率の先生たちもそのために動いてくださる。安全確保のために人員を割くこともできる。そして整列して体育座りしてくれるとこちらとしては万々歳である子ども集団心理は怖いもので、急に漫才を初めてどつく面白い子もいるので、立たせたままでは心もとない。

2.身体が不自由などでお手伝いが必要ならは「是非」乗車駅に連絡あるいは窓口へ!

これは是非お願いしたい。一度足の不自由な人が乗車するときに、急に「手伝ってくれ」と言われ乗車させようとした矢先に電車のドアが閉まってしまった。当然そのお客さんは超ご立腹で「障害者への配慮はないのか」といったことをなんども言われた。そのときは相手もかなり感情的だったので謝ることに終始していたが、どうやらそのあと3日くらい窓口に来て苦情を言っていたらしい。そこまで根に持たれると怖いのを通り越して逆に申し訳なくなるのだが、そうならないために是非知っておいてほしいことがある。

身体の不自由な人へのサポート本社が考えてくれていて、社局によって扱いに差はあるだろうが、少なくとも僕が働いていたところは、ちゃんと教えてさえくれればお手伝いもするし、車掌に発車させないように抑止の放送もする。一番困るのは電車のドアが開いて「手伝ってくれ」と言われることである。足が不自由、目が見えないなどで乗車に不安を感じたり、手伝いが必要なら躊躇せずに言って欲しいと思う。お手伝いも仕事なので、断らないと思う。

3.頼むから苦情を通り越して罵倒することはやめて欲しい

正直は話をすると、遅延の原因は駅員じゃない。でも駅員は乗客に一番近いポジションだし、多少の文句は当然仕事上甘んじて受けるのだが、たまに駅員の人間のもの罵倒してくる人がいるのも事実である感情的になってしまったゆえのことなのだろうが、だいたいこの手の人間は見た目からして何か違う。人は見た目が9割を実感する職業である

4.飲みすぎないでほしい。最悪吐くなら車内ではなくホームで。(食事中だったらゴメン)

書いていて悲しくなってきたが、頑張って続ける。まず飲みすぎないことが大切だが、その場の雰囲気でついつい、ということは多いと思う。まずウコンの力は飲む前に飲んでおいて欲しい。そのほうが効果がある。次に飲み終わったら大量に水を飲んでおいてほしい。アルコール加水分解からである。そして絶対ドアに寄りかかって寝ないで欲しい。顔面血まみれの人を何人か知っている。最悪吐くなら車外で。ホームなら清掃もしやすいし、吐瀉物カタメールも撒きやすい。車内に吐かれてしまったら電車の運行をその駅で止めるか、人員が確保できなかったら最悪そのまま終点まで運行される。考えただけでもイヤだ。

これは贅沢なんだろうけど…

日本鉄道先進国と言われるが、運賃数百円で定時性と速達性が高くて、サービスもそこそこ受けられる鉄道があることを幸せに思って欲しい。

僕もなるべく遅延させたりしないように努力してるので。

2014-02-28

保険屋に頼らずに、保険を選ぼう

保険ってのは、実は掛け捨て型しか無くて、貯蓄型ってのは投資で、

保険会社投資保険をセットにして、「設計した保険」として売り出してる、

というところまで把握すると、次は、このリスク限定の話になるな。

kingshorses 保険

言葉は乱暴でもなかなか良い提案。ただ掛捨保険の本来の役割リスク平準化保険料分だけ損失の下限は上昇し補償分だけ上限は低下)。あと「お守り」のような数理的に不合理な行為合理性の有無も面白いテーマ

cider_kondo cider_kondo

割と真っ当だった。まあ本当は保険アクシデントを定量化できる(保険起源とはそういうもの)のが最大のメリットなんだけど、そんな話だと誰も分からないので、このぐらいが落としどころなんだろう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140226220704

次にしようと思ってた話を先取りするなんて流石はてブ

あ、繰り返しになるが、人間保険の話をすると、どうやっても養老保険だの年金型だの満期で幾ら返って来るだのっていう、投資の話をしてしまうヤツがいる。ここでは貯蓄とか投資の方は忘れてくれ。ここで言う保険は、全部掛け捨ての話だ。

まずは自動車保険の話で

さて、保険に入らずに自動車に乗ったときの「リスク」とは何だろうか。

ここで「リスク」は、「損をする可能性」と考えて欲しい。

具体的に言えば、「電柱にぶつけて修理諸々で50万かかる」とか「子供を轢いてしまって2億の支払い」とかそういうコトだ。

そうすると、保険に入らずに10年車に乗るリスクというのは、こうなる。

  • 10年間で、最低0円、最高2億円

まあ、ここでは人身事故は1回で最高額が2億だとしてるが、こんなの怖くて車に乗れないだろ。

ここで、保険の出番になる。

自動車保険が、年間5万円だとすると、リスクはこうなるわけだ。

  • 10年間で、最低50万円、最高50万円

こうすることで、保険料分だけ最低損失が増えて、その代わりに最高損失が減る。

まり、何時起こるか判らないカーアクシデントを、年間幾ら払えば良いという形に定量化して、損失を固定する事ができる。

アクシデントの可能性を、固定した損失に変換できれば、それはコントロールできる。

それがまあ、保険本来の役割というか、便利な使い方になるわけだ。

次に、人間相手の保険の話

で、まあ、掛け捨て型の保険人間相手の場合も、自動車と同じだ。

人間の幅広いリスクのうち、どのリスクを固定したいか、だ。

例えば妻(28歳)と娘(5歳)がいる男性(30歳)会社員は、自分死ぬかも知れないリスクを、せめて娘が成人するまでは固定したいと考えるかも知れない。

明日死ぬかも知れないし、無事に定年を迎えるかも知れない。

娘の成人まで働ければ家族はその間月25万の手取り収入があるが、明日死んだら家族は無収入なっちまう。損失はこんな感じになる。

  • 保険無しの15年間で、最低0円、最高4500万(手取り25万x12ヶ月x15年)

これを、4500万の定期死亡保険に入ることで、リスクコントロールしようとすると、まあ、毎月8000円くらいだとしようか。するとこうなる。

  • 保険有りの15年間で、最低144万、最高144万(8000円x12ヶ月x15年)

これで、少なくとも娘が成人するまでの父親が死ぬことによるリスクは、固定化できる。

リスク固定の仕方のコツ

さて、さっきの話で当然気がついていると思うが、15年の間ずっと4500万の定期死亡保険に入るのは、無駄が多い。

オヤジがすぐ死ねば最低損失って8000円じゃん?とか言うなよ、オヤジ泣くぞ)

まり保険期間ってどれぐらいが良いのかな?って質問は、自分計算して答えを出せる。

  • 最初の5年間4500万円保障、36万(6000円x12ヶ月x5年)
  • お次の5年間3000万円保障24万(4000円x12ヶ月x5年)
  • 最後の5年間1500万円保障12万(2000円x12ヶ月x5年)

こうすると損失額は、15年間4500万円保障時の144万円の半額、合計72万円で済む。

でも、どのタイミングオヤジが死んでも、手取り25万が無くなるって言うリスクは、掛け捨て保険料の損で固定されてる。

保険屋が、定期的に保険を見直しましょうって言うのは、(新規契約に入れ替えたいとかも勿論あるけど)そこそこ理由があるわけだ。

ここでは、期間の話をしたが、損失額も同じだ。

むやみやたらにリスクを高く見積もれば、その分だけ保険料は増えて、日々の生活で使える金は減っていく。

まり、多すぎる保障も、少なすぎる保障も、効率よくリスクを損失に変換して固定できてないわけだ。

結局、何がオススメ保険なのよ?

オススメ保険を聞くって言うのは、「で、どのリスクを固定したら良いの?」って聞いてるのと同じなわけだ。

そんなん、人によって異なるに決まってる。

例えば、病気リスクって言うのは、国保とか社保とかでだいぶん固定されてる。

んで、喪男で養う妻も子供もいないけど、同居してる母ちゃんには心配かけたくないとしよう。趣味に金使ってるから貯金は少ない。

ここで母親が「知り合いでガンになった人が、最初にまとまった金額を払ってもらえて凄く助かったって」とか言って、さりげなく不安に思ってることを伝えてきたとしよう。いま貯金が少ないままガンになったら、母ちゃんに迷惑かけちまう。

高額療養費制度があるから目が飛び出るほど高くはないけど、かなりの安月給だって毎月8万はかかる。抗がん剤治療になったら連続になるからさら負担は減るけど、それでも月4万5千円ぐらいかかる。治療であっさり派遣をクビになったら結構キツイ

と、いうヤツのリスク固定方法ってのは、ガンだって判ったら100万円の一時金が出て、以後通院とか抗がん剤治療してる間は毎月合計4万5千円程度もらえるようながん保険に入ることだったりする。まあ、月3000円ってところか。

フツーの怪我だの病気だのはどうせ大部屋で直して国保もきくしで、医療保険なんかいらんわーって喪男も、ガン保険だけは入っとくかな、心臓病とか糖尿病リスクも固定しとこうかな、とか考えられる。

この手の判断は、損得って言うよりは安心を買う部分であって、人の信念に関わる部分だ。

母ちゃんを安心させたいと払う月3000円は、彼の信念によるもので、無駄だと断じたり鼻で笑って良いもんではないと、オレなんかは思う。

どんな保険に入るか決めることは、どんなリスクがあるか探ることだ

結局のところ保険ってのは、タイミングの読めない不運に翻弄される運任せの人生を、多少の損を受け入れることでコントロールする手段なワケだ。

保険を選んで貰うってコトは、自分人生コントロールを他人に委ねることに他ならない。

保険屋にとって、所詮他人の人生だ。高い保険料を払ってもらえるにこしたこたない。

から保険屋に頼るんじゃなくて、保険屋を使うことが重要なわけだ。

「オレが死んだら毎月25万円分を遺したいと思ってたけど、遺族年金があるから、娘が18歳までは年100万ちょい出るわけか。じゃあ、月17万の15年で3000万保障があれば良いのかな」と、自分リスクを把握して、それに合う保険を見繕って貰うのが、使うって事だ。

そうなると問題は、自分人生にはどんなリスクがあるか見極めるってことになる。

車に乗らないのに、自動車保険には入らないだろう。

ゴルフをしないのに、ホールインワン保険に入ってもしょうがない。

じゃあ、今自分にとって必要保険は?と言う質問は、今の自分にとってのリスクは?という質問に置き換えることができる。

さあ、あなたにとって今一番固定しておきたいリスクは、なんだろうか?

2014-02-01

駅の電光掲示板の運行情報の欄に「人身事故」の4文字を見るたび「この人はどんな風な心境で電車に飛びこんだのかなあ」と考えてしまう。

朝の通勤特急待ちの空白の時間帯は、人間想像力の暗黒面をいたく刺激するらしい。

目の前を猛烈な勢いで通過する特急電車を眺めつつ、自分がこの下敷きになるさまをまざまざと想像する。

きっと飛び降りる寸前は精神が正常な状態ではなく、ある種の狂熱に包まれているんだろう。そうでもなければ、高速で移動する鉄の塊の前に躍り出るようなクソ度胸は生まれそうもない。

つねに自殺を望んでいる自殺志願者であっても、ある程度理性と恐怖心が働けば、実行の瞬間に意気阻喪してしまうだろう。

だが世の中には実際に電車に飛び込む者がいる。それも結構な数の自殺成功者が。

彼らは意を決して飛び込む瞬間、自分を挽肉にしようと巨大な鉄道車輛が迫りくる瞬間、どんなことを考えるんだろう。

これで楽になれると思って救われる気持ちなのか、あるいは今更ながら自分の軽挙を後悔するのか。

飛び込んでから轢かれるまでの刹那、周囲の乗客の悲鳴を聞きながら彼らは何を思うのか。

まあ実際に自分が飛んでみれば分かる話なのだが、死ぬのなら(畢竟他人に迷惑がかかるものだとしても)なるべく迷惑をかけないで憂き世からオサラバしたいものである

2014-01-17

の子のこと

今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。

#書きたいことがまだあったので、内容に一部加筆修正します。

平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。

2人と猫2匹で同棲していた分譲物件タオルをドアノブにかけた非定型首吊りによる縊死だった。

前日に喧嘩をした。予感はあった。

喧嘩理由彼女の寝つきが悪いので、

ベッドのマットレスを新しいものに取り替える。

しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、

どうしよ~と彼女に報告した事。

要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。

「もうあなた学習しないところ、何もかもがダメなの。

最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら

僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、

その好意はあの子に喜んでもらえるものだと確信していた。

その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。

と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。

僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。

僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。

だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、

車をなかなか発車させることができなかった。

その間、何度も家や彼女携帯電話を鳴らしたが、出ない。

その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。

家や携帯はかけてもやはりでない。

家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。

ただ、物音はするから普通に生活してる様子だ。

よかった生きている。

僕は安心してその日予定されていた自治会行事マンション前の草むしりに参加した。

▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。

平成23年5月22日11時くらい。

11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。

意気揚々と家のドアを開けた。

距離は遠いが、明らかにあの子が不自然体制でドアに寄りかかっているのが見えた。

見た瞬間にすべてを悟った。

2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。

ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。

首吊り縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。

ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。

でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。

飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。

それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。

そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。

また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。

それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。

自分発見が遅すぎた・・・・・・

ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、

すぐに110番をする。119番にまわされる。

消防センターからは、

「呼吸はありますか」

「脈ははかれますか」

心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」

の子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。

でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。

足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。

死後硬直まで起きている。

救急隊員が来る間、必死に人工呼吸を行った。

生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。

彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。

鼻の穴をつまみ、口からの呼吸も試す。

まったく入っていく気配はない。

と、いうか口の中が乾きすぎている。

もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。

救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。

まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。

そんな馬鹿げた事を考えていた。

救急隊員があの子ストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。

マンションの前には救急車が突然来た事に驚いて、

野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。

の子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。

僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心

白い布を顔までずらしました。

しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論

白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。

中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、

僕は周りを気にせずに救急隊員に当り散らしてしまいました。

彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています

しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。

結局、病院でも1時間近く蘇生術を行ってくれましたが、

彼女心電図が動くことはありませんでした。

もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。

そんな気は全然しないな。

命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。

あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。

でも、本気で笑う日は少ない。

すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。

だけど、こんな悲嘆すること言いながら、

僕は環境も変わって、嫁さんももらって子供も昨年生まれた。

都合いいよね。

嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。

でも、気落ちした私を心底支えてくれました。

大切な人が命を断つ。

大勢いると思います。こういった経験をされた人。

自死であれ、不慮の事故であれ、闘病を続けられた方であれ。

まりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、

いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、

皆さんこもごもにケースが違う。

似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。

また、社会に出ると毎日のように人身事故自殺ニュースが目に入ってきます

その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。

一人でずっと抱えてきたけれども、そろそろ限界な気がします。

自分価値観が大きく崩れて、自分首吊り死ぬことが一番最良の方法なんではないかと

感じてきてしまっている。

後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。

の子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。

でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。

少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。

きっとなかったんだろうなとは思う。

じゃなきゃ、あんな覚悟ある行動できないもの

の子X JAPANが大好きな子でした。

hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、

それを真似したわけではなさそうです。

とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。

確実に、自分ひとりで逝く方法首吊りだったんでしょうね。

実行の際にはオムツも履いていましたし。

の子の死後、あの子PC警察調査した所、

色々な自死方法を調べていた痕跡があったそうです。

中には硫化水素を用いる方法練炭を用いる方法

それほどまでに死に執着していたのか。

話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。

昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、

の子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。

霊的現象なんてもってのほかだ。

人の死というのは、電気スイッチと同じで、OFFになると消える。

一度OFFになったものは、二度とそのスイッチは戻らない。

火葬場に行くまでのあの子は顔色が青白いだけで、

今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、

何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。

もう、あの子存在は失われ、無になった。

の子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、

僕の夢にも一度も出てこない。

そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。

もし、そういった現象を体験した、と自覚するならば

僕の気が触れてしまったということなんだと思う。

事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、

説明があった事が僕の絶望感をさらに増幅させた。

体はとても健康。でも、死ぬ。いや、僕が殺した。

の子の器だったものの骨壷を持ったとき違和感が今でも手に残っている。

しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。

本心葬儀の日まであの子と過ごしたかったのだけれど、

僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。

葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。

あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫幸せに過ごしている」を見せている。

遺産相続については、とても大変でした。

続柄としては内縁の夫でしたので。

の子は遠い親戚はいるのですが、身寄りがなく、

葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。

でも、あの子遺書を残していました。

その内容を一部抜粋します。

同居人の僕にすべてを相続する。

 これまで大変お世話になりました。

 皆様には幸せになっていただきたいです。」

遺言書検認の手続きの際にお世話になった方に

「とても現代若者が書くような内容の遺書ではない」

と、言われました。

今でも読むだけで心がおかしくなります

正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、

遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。

そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています

また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています

これまで育った経緯の写真

その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真

水泳大会で取ったメダル

幼稚園から専門学校に至るまでの卒業証書

の子宛に届いたであろうラブレターなど。

何も捨てられません。

また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。

今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。

再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺ニュースを目にします。

見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから

しかし、あまりにも自殺ニュースは多く、社会に出ていると

身の回り日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。

昔は僕も普通にこの会話に参加できてはいた。

でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、

いてもたってもいられなくなる。

でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。

けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。

だとしたら、僕はその社会から逃げてしまいたい。

ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。

その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。

そこからの子生前の僕とのやり取りを思い出す。

多かれ少なかれ、関わった人間の生から死に関わると、

皆、こういう感じなのかな。

だとしたら、少しホッとする。

感情の向くまま、書きなぐってしまいました。

最後までお読みいただきました事、御礼申し上げます





(追記 1/18)

多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます

コメントもすべて拝見させていただいています

色々なご感想、どれもこれも自分には有難い限りです。

の子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。

想像しか、あの子表現できなくなってしまっているので、

自分の都合よく美化している面もあるかと思います

僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます

でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。

しかし、時は最良の薬なのですね。

この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたもの

自分の現況を重ねて即興で仕上げたものなのですが、

添削した文はひどいものでした。

死にたい。消えたい。寂しい。会いたい。僕は人殺し。」

そんな事ばかりしか書いていませんでした。

今でも多分に希死念慮に駆られていますが、

それは自分希望であって、多くのコメントでいただいているように、

結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます

上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。

僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。

周囲にダメージを与えない自死なんて存在しない事。

そして、余談とはなりますが、あの子が逝ってからというもの

不思議出来事ばかりが起きています

の子の納骨が終わった日の夜、

15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります

東日本大震災被災地に住んでいた人だったので、

地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。

妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と

思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。

また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。

期間にすると約3年くらい。

結婚子供イコールにするつもりはありませんが、

の子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。

しかし、あまりにできなかった事から、あの子産婦人科不妊検査

僕は泌尿器科で精液検査をしてもらったところ、

自分精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。

しかし、妻とは結婚後3ヶ月の期間で長男を授かった。

自分は正直、恵まれていると思います

……これ以上は言葉になりません。すみません

とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます

ありがとうございました。

2013-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20131027011115

UNKOを出すの遅すぎる知人

知人がUNKOを出すの遅すぎ。夜食っても、出すのは翌日の夜とか丸一日経つのがザラ。

直接会って「もっと早く出してよ」と言ったら「便意がなくて……」だって

「朝起きてすぐ出せばいいじゃん」→「ギリギリまで我慢したいから」そんなん自己性癖でしょ(笑)

電車でUNKOできるでしょ」→「満員電車からしりが拭けない」ティッシュすら出せないほど身動きできない電車って何?毎日人身事故でもあるのな?(笑)

「昼休みは?」→「OSHIKKOだけで精一杯の時間しか取れない」どんなに忙しくても放屁くらいは余裕あるだろうに(笑)

推敲トラバ

2013-10-20

冬が来る ~鬱病患者の憂鬱~ 

 これからの季節、日照時間が短くなる。

 日光の強度も弱くなる。

 脳内セロトニンを増やしてくれるお日様が減って、鬱病患者には辛い季節がやって来る。

 特に朝が辛い。

 鬱病持ちは、朝・午前中に症状重い人が多い。

 不眠症併発している人も少なくない。

 冬日の朝方、眠剤が切れ、浅い眠りから目覚める。

 早朝。外は暗い。

 起きるには早すぎる。

 でも、眠いたいのに眠れない。

 かと言って、眠剤をキメたら会社行けない、仕事できない。

 おまけに、朝だから気分はどんよりとしている。

 食欲はないけど、簡単な朝ごはんを無理して食べる。

 信じられないほど重たく感じられるスーツに袖を通し、家を出る。外はまだ暗い。

 ラッシュ前、人もまばらなホームで電車を待つ。

 駅員が、列車の運行状況をアナウンスする。

 今日も一日頑張ろうと、私はぼんやりとした頭で考えるのだけれど、駅員の声が嫌でも耳に入る。

 人身事故ダイヤが乱れていることを繰り返し聞かされる。

 冬、不眠、早朝、薄暗い空。

 どんな人が飛び込んだのかな。

 鬱患ってる人かな。なんでもない、健康な人かな。

 そんなことを、春が来るまで何度も考えることになる。毎年。

2013-09-30

ポールグラハム氏のエッセイで、プログラムのいくつかは”エッセイ”ではないかという話を読んではっとなった。

エッセイの元々の意味は「何かを理解するために書いてみる」ものだという。ソフトウェアもわからないままに書き始めたという意味で同じではないか、と。

この感覚を長らく忘れていた。

元々何かを作り始めることは好きではない。生粋クリエイターでもメイカーでもない。

手先は恐ろしく不器用だったし、作るより壊すのが得意だったからというのもある。

ブルースクリーンに陥ったWindows Meリブートするために

先生が教えてくれたalt+ctrl+delは、間違いなく最初に覚えたショートカットの一つだろう。

……蛇足だった。

理由がなければ何もしない。プログラマー怠惰な面だけ受け継いだ私は、いつまでも好奇心ばかり加速させて読めない本を読むか美味しそうと親指をしゃぶって何もしないだけのガキだ。あるいは、"試しに"やってくれと課題を言われるのをずっと待っているだけの案山子のような。

理解したいという欲求。分かりたいという欲望。あれは難しいからいいやと逃げてどれくらいになる?

常磐線でまた人身事故だ、あはは

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