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2022-08-30

anond:20220829234829

メリットあるのも分かるんだけど

自分の周り(友人知人は自分を映す鏡。要するに自分と似た人たち)がことごとく投資で失敗して

多額の借金背負って落ちぶれてるので、自分もきっとそうなるだろうからやらない

2022-08-26

JR福知山線脱線事故の真因は氷河期世代採用ミスだった

なんとなく調べてたらこんなのを見つけた

脱線事故、高見運転士遺体収容

https://seesaawiki.jp/w/umedango/d/%C3%A6%C0%FE%BB%F6%B8%CE%A1%A2%B9%E2%B8%AB%B1%BF%C5%BE%BB%CE%A4%CE%B0%E4%C2%CE%BC%FD%CD%C6 

運転士遺体収容されたという記述の他に、その運転士の人となりが書かれている。それによると、

1.頭は良いが注意力散漫なところがあり、「しまった」が口癖だった

少しでも気を抜いたら事故に繋がる鉄道運転士には不適格とも考えられるエピソード。この運転士はきっと事故前のオーバーランでも「しまった」と言い、事故直前のカーブでも「しまった」と言ってたのだろう。おそらく人生最後発声も「しまった!」ではなかろうか。

2.安定志向であり、2000年4月JR西日本入社した理由企業としての安定性

運転士は超氷河期2000年卒組であった。あまり就職難で大卒高卒枠に割り込んでくるのか社会問題になったが、この運転士はそれを乗り越えている。また、当時は「安定性」を志望動機にしたら面接で一発アウトとも言われてたが、きっと面接ではそれを見せないように演じていたのだろう。

3.JR運転士という身分を周りに自慢していた

氷河期を乗り越えてJR高卒就職運転士になり手に職を持てたのは当時としては神レベルキャリアであり、それを友人知人に自慢していた。逆に考えると、運転ミスが続いて日勤教育を食らっていた事故前の状況はその鼻がへし折られていてメンタル不安定状態であったことが容易に想像でき、さら事故前のオーバーランで「もう俺の人生\(^o^)/オワタかも」という心境に追い込まれていた可能性がある。一応言っておくが、これは運転士自業自得である。この運転士プライドが高く、謙虚自身省みる能力が欠けていた。

結論福知山線事故の真因は、注意力散漫でプライドが高い不適格者を運転士として採用してしまったJR西人事部門ミスである

よく日勤教育が真因と言われているがそうではない。日勤教育が原因で事故を起こしたのはこの運転士以外にいないのだから

採用段階の適性判断ミスと考えるほうが適切であり、このような不適格者をいか運転士にさせないよう取り組むかが本当の再発防止策になるはずだ。つまり人事部門改善必要だ。

2022-08-19

美味しくない豚カツ理由増田巣間農ユリの束ント居鳴くし井尾(回文

おはようございます

今年なみんなどんな夏だったかしら?って

まだ夏は終わっていないんだけど、

私は人知れず

美味しい豚カツ自由研究をすべく

そういや豚カツってお店によって違うのかしら?ってのがそもそも自由研究をする発端となったのよね。

ことの初めは、

定食ご注文でビール200円!って破格の定食セットビールなんだけど

お客がぜんぜん入っていないのよね。

私はその時は豚カツにたいしての意識が低かったので、

とりあえず、

ルービーでのどに流し込めばそれは豚カツ!って

流しそうめん版のビールで流し豚カツを楽しめればって思っていたの。

そんでね、

そのお店にビール200円で釣られて入店すること幾度となく3回目で気付いたんだけど

もしかして

ここの豚カツ屋さんの豚カツっていまいちなのかしら?

そこで私は豚カツジプシーの旅が始まったの。

いきなり振り幅がマックスのいい豚カツ屋さんの豚カツはどうなんだろう?って

大将!やってる!って心意気で暖簾に腕押ししたのよ。

そのお店は

私が知っている東京の有名百貨店デパートにもお店を出しているお店の豚カツ屋さんが近所にもあるらしく、

もれなくそのお店の豚カツを試してみることにしたの。

そしたらよ!

揚げたての衣がサクサクで、

ロースをほおばった瞬間美味しい肉汁と脂のマッチした旨味しか勝たん!ってぐらい

その揚げたてのロースカツ膳は

ビール200円のロース定食よりはるかに凌ぐ美味しさだったの。

今思うとそのビール200円のお店の豚カツ

揚げたてのはずなのに提供された瞬間ですらもう衣がベチャッとしていて、

揚げたてをしばらくどこかで休んでいた感じのくたびれている感で

とてもじゃないけど、

その200円のロース定食は何度か食べたけど、

揚げたての感動と迫力はなかったのよね。

そんで溢れ出る肉汁感のシズル感とでも言うのかしら?そう言ったカツの迫力もなく、

もしかして

それだからこのお店はビール200円でもお客さんが入ってないんだ!って私の結論はそうなったの。

から

私は揚げたての提供ロースを知ってしまった美味しさをほおばってしまっただけに、

うそビール200円のお店には飛び込み前転するまでもなく二度と行くことはないわ!ってさようならしたのよね。

たとえビール飲みたくてもよ。

もう私ビール200円には釣られないわ!

そのビール200円のお店は食べ終わった後のここ美味しいのかな?って首をかしげるぐらい

豚カツってこんなもんだったっけ?って疑問を投げかかる意味では秀逸なお店だったのかも知れないわ。

そんで、

私が揚げたて感動したお店は、

しかにその分コスパの点では劣るけど

それにも勝る感動というロースカツ膳の最高峰を私は引き当ててしまたかのように、

いきなりにして、

ここは殿堂入りよ。

殿堂入りってのはしょっちゅう頻繁に通うことの出来ないぐらいの微妙ハイコストパフォーマンスってことなのよね。

そんでね、

今日何気ないいつもやってる定食日替わり定食の美味しいランチのところに

久しぶりにランチに行ったの。

運命かな、

今日の日替わりはロースカツ!

ここのお店は手堅く他の日替わりメニュー定食も抜かりない美味さで、

ロースカツは控えめな厚さでの迫力はそうないにしろ

ただこれ揚げたてを提供しているので、

衣がサクサクなの!

定食屋さんの豚カツビール200円でお客を釣っている専門店のはずの豚カツ屋さんに負けているって言う事実

専門店定食屋の豚カツに負けてどうする!って

いや専門店って豚カツ専門で頑張ってるんでしょ?って思うけど、

もはやここの定食屋さんのハイコストパフォーマンス良の豚カツ定食はとても良いわ!って思ったわ。

ただ日替わりなので、

レギュラーグランドメニューには無く好きなとき毎日食べられないところが欠点ね。

まだ研究の途中だけど、

豚カツ屋さんをいろいろ食べ歩いてみて良し悪しを知るのは

豚カツ部活にしてもいいぐらいの活動よね。

最近最初そのお店しか知らなかったので、

ビール200円でもお客さんが入っていないのなんでだろう?って

テツアンドトモさんばりに思っていたんだけど、

カツがいまいち美味しくなかったんだわ。

肉の厚さの迫力と言うより、

もう豚カツを注文が入ってから1つ1つ丁寧に揚げる料理人の揚げテクニックが一番大事ってことなのかも知れないわ。

豚カツも奥が深い話しよね。

うふふ。


今日朝ご飯

野菜サンドしました。

トマトタマゴの組み合わせが美味しくてここ最近ハマってるわ。

トマト美味しいわよね。

夏!って感じ。

トマトも高いかサンドイッチに使う生トマトもさぞ入手に苦労しているのかも知れないわ。

デトックスウォーター

トマトよりも安いピンクグレープフルーツを果汁搾り~の

炭酸ウォーラーとでの

炭酸ピンクグレープフルーツウォーラーよ。

炭酸も取り入れることで

なんかシャキッとするわよね。

今日はなんだか涼しそうだけど、

水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20220819071213

やり手のエンジニアで相当稼いでるけど

リボ払い借金が膨れ上がってる人知ってるからそいつかな…

住んでるところがまた家賃高いんだよねそういう人

2022-08-11

anond:20220811102350

まり人知人にいないタイプの困難当事者についてはアテクシは差別とは認識していませんので今後も無自覚弾圧していきますよって宣言

2022-08-09

anond:20220809190532

自虐ポンコツエピソードはウケも良く、キャラ付けにもなり、炎上リスクも少なくて使いやすいのはわかるだろ

全部実話というわけでもなく、友人知人その他のエピソードも混ぜておもしろおかしく脚色ぐらいしてるだろ

2022-08-06

人知れず尊師の絵を何百枚も保存してた人がいるの面白すぎる

なんなんだよ

アラフォー、ぼやく

「アラ○○」と言う言葉意味四捨五入して年齢だと言う事を最近知った

30代中盤だと思って時は「知らない事を知れるのは楽しい!」「若い人には負けない!」って思えてたけど

アラフォーと言う自覚が出た途端に心が一気に老けこんだ…

頻繁に脳裏ゲームリザルト画面が過る

自分人生評価がかなり低いランクになっている光景

何のために生きてるんだろう…って心が沈む

独身無趣味、低収入、友人知人皆無…

色々な事や出来事から避けて来た結果だけど、こんなガラクタみたいな人生を期限が分からないまま過ごさなきゃいけないと思うと嫌になる

2022-08-05

anond:20220805131139

これに取り憑かれて40代になった人知ってるけど悲惨やぞ

[]

商店街靴屋の店主が元シンガーの渋いおばちゃんで店の中が満員になってて(コロナなので時期的にちょっとなと夢の中でも思ったがまあ夢だし)満員御礼マイクを持って歌のショーをはじめた。

俺は同じ商店街?の雑貨セレクトショップ店長で、小さい子が「これください!」っつって商品と一緒に万札千円札を曲げたもの無造作に出してきたので、「あんま人に見せないほうがいいよ(取られるので)」ってあわあわして金額分受け取って釣り銭渡してしまわせた。

商店街神社だか城跡だかのお膝元って感じで、結構立派な石垣に覆われた川沿いの歩道が山の方に向かって続いている。そこをウォークラリー的に大人子供歩いてる、歩きながらたまたま隣り合ったタメくらいのあんちゃんと話してたらさっきの子父親だった。ウォークラリー学校主催行事だったらしく学校の中に入っていく、小学校ぽいんだが一貫校みたいな感じで、中は学祭のような催し物、展示があちこちで行われてる。さっきの父親複数の子供達とわいわい言いながら見て回ってたら教員から注意された、どこかに集まるらしい。

 

ちなみにこの話の中には俺目線主人公も含めて誰一人知ってる人間は出てきてない。こういうときって、「誰かの見ている夢の中に自分が混じってるんじゃないか?」という気もする。ビル街の夢はぜんっぜん見ないので、自分が生まれ育った環境の方に郷愁を持って好ましいと感じてるんだろうな。自然と共にある古都子供大人家族

2022-08-02

ミッドライクライシス

最近、何をしていても熱中できなくなった。

『やろうかな?』と思ってもすぐにこう思うのだ。

「それをやって意味あるのか?」

意味を求めだすと、すぐに結論が出て来てしまう。

「いや、意味なんてないなあ」

なので手を出さない。

このままではいかんと思って何かをしようとするも、空回りが続く。

最近では仕事アイディアを出そうとしても

「それで、没になったらどうする?」

と考えてしまい、凹んでしまう。

どうすればいいのだろうか?

躁うつ病を患っていることもあるのだろうか?

なので、少し教えてほしい。

『何をしても虚しいと感じる時に、アナタはどうする?または、それを乗り越えた人はどうした?なにをした?』

人知人に話したいのだが、ちょっと重すぎるテーマだし、匿名のこの場所なら聞けると思った。

是非とも教えてほしい。

よろしくお願いします。

2022-07-31

爬虫類から哺乳類

最近、今まで楽しかたことを心から楽しむことができず困っていた。

酒を飲むとか、風俗に行くとか、ギャンブルをするとか、物を買うとか、Youtubeを見るとか、ゲームをするとか、

そうした単発の快楽はたしかに楽しめるけど、それらの隙間をどう楽しめばいいのかがわからなくなってしまった。

また、単発の快楽も長続きしないようになってきた。昔はなんの違和感も持たずに一日中ゲームをする事もできたのに。

  

おそらく年をくって考え方が徐々に変わってきて、

一時的快楽よりも連続的な快楽を求めるようになってきたのかなと思った。

なにか、大きく漠然とした快楽があって、個々の行動はその快楽に向かう一歩みたいな。

  

じゃあ、その大きく漠然とした快楽ってのは何だ、と考えたが、困ったことに何も思いつかない。

起業家活動家のように人生をかけて達成したいテーマがあるわけではないし、幸い恵まれた家庭環境もあり、成功して大金持ちになりたいという渇望があるわけでもない。

ただこれは、ほとんどの日本人がそうだと思うし、悪いことだとは思っていない。

  

問題は、生き方シンプルにしすぎてしまっていることなんだと、考えた。

  

ここ数年位は、個人として全ての物事を完結させられることを目標に動いていたような気がする。

生活面では、いつでも居住地を変えられるようになるべく物を持たないようにした。

また、他人に貸しを作らないように、物を借りたり手を借りたりはせず、極力金と時間を使って物事解決した。

仕事面では、フリーランスとして独立した。クライアント仕事をするときも、なるべく仕事面での付き合いに限定するように心がけていたし、友人知から仕事は受けないようにしていた。

まさに、システム開発におけるモジュール化の考え方とおなじで、なるべく依存性を廃して、自分個人独立したモジュールに閉じ込めようと動いていた。

  

結果、自分要求される行動が自分の短絡的な快楽だけになって、小さく単発的なものしか残らなかったのだろう。

もう少し関係している人間が多ければ、最小公倍数的な大きさの行動が要求されて、実現のための時間軸が広がり、連続的な幸せを感じられるのかもしれない。

  

とりあえず、明日からちょっと雑談増やしてみましょうかね。

anond:20220731115701

人知人なんて何十年も前にすっかり居なくなったわ

言ってる事がおっさんなのにいつまでも独身非モテ気分のままな人はてなに多すぎる気がする

歳食うと本人が独身非モテのままでも周囲は変わってくると思うんだがそういう友人知人とかもいないんだろうか

2022-07-26

痩せたぜイエイ!という自慢を書く

約3ヶ月で10キロ痩せた。理由デスクワーク部署から外回り現場メインの部署に異動したから。

部署内での人間関係が合わなかったのもあるが、とにかく動いたら痩せた。

運動してない食事制限してないのに痩せた、なので、友人知人に行っても自慢乙されそう。実際知人に痩せた自慢扱いされた。

痩せた?と聞かれてこういう理由で痩せた、といっただけなのに。

痩せたことは嬉しいが他人に言えないので吐き捨てる。

ウエストというものが生まれた。

しまむらの大きいサイズしか選べなかったのが、しまむらふつうサイズが選べる。なんならMサイズも着れる。

くびれがある、太ももの間に隙間がある

スキニーが履ける、流行りとかは置いといて履ける。

カップ付きタンクトップが着れるようになったので休日だらしないスタイルさら捗る

EカップCカップになったので安いブラが買えるようになった

・服が選べる

運動はしてないので皮膚はたるんだ。ちちもたれた。

・服をほぼ全部買い換えた。痩せ始めたタイミングで買ったジーンズ100均で買った「着脱楽ちんゴムベルト」をつけてごまかしたが結局だめでメルカリで売った。

・今まで妊婦に見えるから敬遠していたワンピースを試着したが、今年の流行りはウエスト部分の絞りなしなのか、結局妊婦に見える。

運動はしてないので腹は出てる。腹筋鍛えないとだめだ

食事量は変わってないのでリバウンドはするだろう

・でも痩せてウエストが初めてくびれたんだ嬉しいぜいえい

2022-07-25

anond:20220725094126

医学部人間は中高で勉強ばかりしてきたので、部活に傾けなかった青春を取り戻そうとして東医体などというシステムが生まれたという言説がある。これには概ね同意できる。

地方公立高校出身だけど、友人知人で医者になったのは体育会系部活動をして勉強もこなす(或いは、3年になってからスパートをかけて受験クリアする)のがたいていで文化部帰宅部出身者はほぼほぼいなかった(例外として、吹奏楽合唱といった音楽はいた)ので、その感覚は無かったな。都会の私立中受験組だと事情が違うんかな

適応できなかった人間部活など時間無駄趣味でやるのはいいが神聖化するな、と主張し、部活に心血を注ぐ人間(これは先述のスポーツガチ勢も含む)は部活を楽しめない人間理解できないと主張する。公的な場ではマイルドに、インターネットではインキャだの脳筋だの酷い言葉で日夜抗争が行われている。

ひょっとしたら都会対地方みたいな別の対立構造も含有してるせいで、抗争が過激化してるのでは

2022-07-22

anond:20220722102425

大学がいいとこだったか金持ちの子息の友人知人も多いが差がつくのは趣味余暇

楽器や道具はいもの買うしスポーツトレーニング個人トレーナーつけるし本は買いたいだけ買えるしパソコンハイエンドを用意するし旅費のかかる遠方のコンサートや展覧に行くのをためらわないし、新しい趣味に手を出すのを金の問題で躊躇しない

万事が万事その調子で、自分みたいな貧乏家庭でたまたま学力高く生まれたみたいな奴とは教養文化への造詣の深さが雲泥の差だった

2022-07-19

山上を全く理解できない、たった1つの理由

山上を全く理解できない。同情するはてなー意味が分からない。

そもそも山上は本当に不幸なのか?とすら思う。

僕について語る。

僕は地方で生まれ指定難病と、それとは別の厄介な持病持ちで、高卒

幼少期はネグレクト中学校過ぎると「お前は最低の人間だ」と言われ続け、殴られて育った。

なんとか高校卒業はしたけど、周りには、僕より酷い子も結構いた。都会のはてなーは信じられないかもしれないけど。

いじめ登校拒否になって小卒になった同級生を3人知ってるし、他にも

家の乗っ取り、家が破産、親が自殺性的暴行、酷いアトピー不細工いじめられ、

男で極端な低身長暴力障害が残った子、それらの複合など。。。

山上自衛隊に入れるほど健康体で、頭もトップクラスで、資格も取れてる。

少なくとも地方氷河期独身40歳状態として考えると悪くないんじゃないか

僕の持病は他の人に言わせると自殺したくなるレベルハードモードらしいので

その面で言うと山上は相当恵まれている。

僕の話に戻すと、20代に入った会社では病気の事をねちねち言われて退職した。

次の会社ではトラブル責任を僕のせいにされ、退職する流れになった。

その後の飲食店ではヤクザみたいな店長毎日大声で怒鳴られ、やめた。

それから難病悪化し、外ではまともに働けない体になっている。外出はできるけど。

食費月1万円の生活シェアハウス生活、ボロアパートや極貧も経験した。

その後個人事業主としてリモート仕事しまくって、平均年収に近づいて、今に至る。

僕の「ころ〇たいリスト」には沢山の人間が書いてあるが、山上みたいに実行する気はなく、

妄想はするけど、実行しようと具体的に思った事はない。

僕のクラスにいた小卒の子も、極端に不細工な子も、破産した親の子も、親が自殺した子も、

みんな事件を起こさずに、つつましく、必死に生きていると思う、多分。少なくとも事件は起こしていない。

山上はむしろ余裕があったというか、本人が「米国で生まれたら乱射してたかも」と言ってたように、

たぶん狂気暴力性や反社会的欲望が先にあって、それから後付けで対象を探していたんじゃないか

なので秋葉原加藤とか、池田小の宅間とか、京アニの青葉の同類で、

深い理解や同情などはしてはいけない対象だと思う。

事件も本当なら「SP1人死亡、1人重傷、安倍氏が軽傷」あたりで終わってて、

宗教も騒ぎにならないものだったと思う(ある意味そこが一番の不幸なのだが)。

そう、僕は山上が全く理解できない。理解できる気もしない。

あの銃を作る時間があれば、僕がやってるようなネット販売仕事など、副業で稼げるはずだし、

あのスペックであれば、贅沢しなければ結婚だって出来ると思う。

境遇が生んだモンスターではなく、反社会的性格を持ったモンスターが、たまたま対象にしたのが宗教だったという事件だと思う。

(※と同時に、あの宗教はあの宗教で、メスを入れるべきだとも思う。)

ミャクミャクさま

おもしろ現象だよなほんと

なんでか知らんがかなりの人数が土着神っぽい名前だと思う(ハッシャク様、ミシャグジ様とかと似てるといえば似てるがそんなに似てないだろう?

なんでか知らんがかなりの人数が自然と様をつける(アトラスミシャグジ騒動って今の若い人知ってるのか?

anond:20220719155140

海とゆったら

SEX

(詠み人知らず)

2022-07-18

anond:20220718233714

日本人の大半の自認は無宗教じゃないぞ

正月には神社にお参りに行って葬式仏式クリスマスはお祝いすることに疑問を持たないのが

日本人であり、神も仏もキリストも天に祈るという意味では同じこと

自民党政治家文鮮明池田大作に祈っていたとしても

人知を超える大きな存在仮定して心の中で祈る、その意味で大した違いはない

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-13

兄妹がいる人に聞きたいんだけど

から愛情格差があるなーって感じたことある

増田は上に2人下に1人の4人兄妹なんだけど、年子&初めての男の子女の子な上2人と、増田と6個離れて生まれた下1人と、親からの扱いが違くない?と思うことが増えてきている。習い事や進学、就職先を制限されることはないんだけど、例えば他の兄妹の友達のことは名前レベルで把握してるのに増田友達のことは誰1人知らないし聞かれないとか、「この子は1人でも平気だから」と頻繁に言われるとか。増田だけ飛行機距離の遠方に住んでいてコロナ禍でどうせ参加出来なかったとはいえ家族旅行が事後報告だった時はさすがにちょっとしかった。でも、これは増田が悲観的になっているだけで、親が子供への愛情差別化することなんてあるんだろうか…と疑っている部分もある。それとも4人もいれば1人くらいどうでもよくなるのか…?

兄妹側でも親側でもいいので差別があるorないのエピソードを聞かせて欲しい。

みんなシライサン見てない悲しみ

ネットフリックス台湾製ホラーの「呪詛」が大ヒットしてて、

こないだは日本ランキングでも1位を取ってた

 

急にネタバレするんだけど、この映画を見た人は呪われるでヤンスって映画なのね

ホラーYoutuber主人公妊娠中に秘境儀式に乗り込んで子供呪いをかけられて

その呪いを弱めるにはその呪いの印と呪文他人に知らせなければならない

みたいな感じで、作中ではドゥンドゥン人が死んでいくファウンドフッテージもの

 

映画の冒頭で「娘の命を助けるために呪文の印を覚えて呪文を唱えてクレメンス!」って

主人公が頼んで

映画最後で「呪文の印と呪文を唱えると呪われるでヤンス、ごめんねテヘペロ」って終わる

 

で、この感想でやれ「リング」だ、やれ「呪怨だってのが出てくるんだけど

一番似てるのは「シライサンダルォ?

 

シライサンシライサンを知っている人のところに三日に一回ランダムで来る。

きたら死ぬ回避方法がないわけじゃない)

シライサンの出勤は三日に一回で一人限定なので、10人知っていると来る確率が10分の1になる。

映画内でも「世界中の人にシライサン存在を発表しようZE!」という解決策が提示される(破棄される)

 

で、この映画エンドロール脚本家名前が作中の登場人物名前になっていて

「この映画は作中の物語と地続きです。これを見たお前もシライサンを知ってしまいましたね^^;」

というオチがついて終わる。

 

似ている(確信)。

少なくともリングよりも映画の作りとしては似ている(強い確信)

 

呪詛は先に述べた通りファウンドフッテージもの(作中のカメラ撮影されたドキュメンタリー風の映像構成される作品)なんだけど、他の作品同様に「いや、このカメラ何のために回してるねーん」ってカットがけっこうあってそこが引っかかる人にはつらいのと、

モロに蓮コラが出てくるので集合体恐怖症の人には相当つらいのと、虫さんとグロがいっぱい出てくるのでそういうのが苦手な人にはつらいのと、なんか時間が行ったり来たりするのでそういうのを整理するのが苦手な人にはつらいのを除けば万人にオススメできる作品

台湾ナンバーヒットホラーというのもうなずける

主人公人生疲れたあんまりかわいくない竹内結子みたいでイイ

お暇なときにでもどうぞ

2022-07-11

anond:20220405201106

既婚者の出生率は昔からまり変わっておらず、未婚率の上昇のほうが問題

テレワークだと仕事外で接するメンバーが狭く、そのコミュニケーション限定的なため(異性に限らず)仕事関係ないプライベートを共にする友人知人の新規獲得が困難

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