はてなキーワード: 人知とは
来年2023年の前期(4月から9月)朝ドラ「らんまん」も舞台の1つは練馬区である。
実際に練馬区が登場するかは分からないが、某区議会議員が自分のチラシにそう書いていた。
また、2022年9月に確認したが練馬区の保健所には「らんまん」のポスターが貼られていた。
「らんまん」の主人公のモデルは植物学者の牧野富太郎だが、1926年から1957年に逝去するまで練馬区に住んでいる。
そこは現在練馬区の施設「牧野記念庭園」になっていて一般開放されている。
当初は練馬区出身者として「らんまん」楽しみにしていたが、まだ放送が始まっていないのにも関わらず観ないことに決めた。
理由は「最近の朝ドラ視聴者は『反省会タグ』を付けて放送中の朝ドラをTwitterで叩く人、主演や脚本家などのキャストやスタッフを誹謗中傷する人が多いから」である。
木村隆志さんが「東洋経済オンライン」に書いた記事「沸騰する「#ちむどんどん反省会」批判かイジメか」にその実態が詳しく書かれている。
詳しい説明は省くので是非木村さんの記事を読んでいただきたい。
現在放送中の朝ドラをTwitterで批判あるいは誹謗中傷するとき、「○○反省会」(○○には作品名が入る)というハッシュタグを付ける視聴者が多い。
元々2chで「○○反省会」というアンチスレがよく立ち上がっていたらしい。
最初のうちは最終回まで終了した作品の悪かったところを批判するスレだったらしいが、やがて現在放送中の作品の反省会スレ、つまりアンチスレも立ち上がるようになったという。
この前(2022年9月末)に終了した朝ドラ『ちむどんどん』は不満を覚えた大勢の視聴者が「ちむどんどん反省会」などのアンチタグにドラマへの批判、キャストやスタッフへの誹謗中傷を書き込んだ。
私は『ちむどんどん』を全く見ていなかったが、偶然見てしまった誹謗中傷の数々は目に余るものだった。
上述の木村隆志さんが私の言いたいことを代弁してくれた。
私は、作品への批判がキャストやスタッフへの誹謗中傷に発展してしまうのはまずいと思っている。
絶対にやめてほしい。
放送中の朝ドラを気に入らない視聴者が同じタグに集まり批判や不満を言い合っているとすぐに陰口で盛り上がるようになるし、それが誹謗中傷に発展するのは想像に難くない。
リアルの仲間内なら嫌いな朝ドラの陰口で盛り上がるのもいいかもしれない。
しかしTwitterの公開垢でやる以上キャストやスタッフ本人達も見るものだ
(もしかしたらキャストは見ないようにしてるかもしれないが、NHK職員は朝ドラの反響を調べるために見ていると思われる)。
アンチタグが作られ、利用者も増えると発言がより攻撃的になるし、嫌いなドラマの感想を同じような顔ぶれで毎回毎回言い合うのはまるでイジメみたいだ。
嫌ならドラマを観なければいいと思うが、どうしても観てしまうならせめて反省会タグも公式タグもつけずにツィートしてほしい。
こういうことを言うと反省会民は「だったら反省会タグをキーワードミュートしろ」と反論するが、私はキーワードミュートしてもTLや「その他のツィート」に表示されることがあったし同様の報告をしているユーザーもいる。
反省会タグがトレンド入りしたときは「有害であるかスパム」の報告もしたが、それでもトレンドに入ってきた事もある。
放送中の朝ドラのアンチがTwitterに集まり攻撃的なコメントを繰り返すようになると作品のファンはTwitterを見なくなっていくだろう。
実際には野放しになっているとはいえ、Twitterもヘイトスピーチや差別発言を禁止している。
「ちむどんどん」では沖縄出身の主人公一家が非難された事で沖縄出身者へのヘイトスピーチを行う視聴者もいた。
他のユーザーがTwitter社に違反報告するので従業員が報告通りのツィートかどうか判断しなければならないのだ。
「ちむどんどん」は一度も見たことがないが、アンチタグで誹謗中傷が行われている事については直接、NHKのお問い合わせ窓口あてに「何か対策を取ってほしい」と意見を言った。
もちろんアンチタグはNHKが作ったものではない事は分かっている。
しかし過去の朝ドラ(名前出すけど『なつぞら』がそうだった)では主演女優が誹謗中傷されたというのにNHKがこのまま傍観しているのはおかしいと思った。
このままだとリアリティ番組の「テラスハウス」で出演者の木村花さんが番組内での言動を理由に視聴者から誹謗中傷され、自殺してしまったあの事件と同様の事件が起きかねない。
俳優や脚本家に仕事を依頼したNHKとして、視聴者の目に見える形で何らかの対策をしてほしかった。
私の提案は
だったが、どちらも行われる事はなかった。
「視聴者ではない人間に分かるか」と突っ込まれるがあったら絶対にネットニュースになりTwitterでも話題になっている。
私が言っても説得力がないが、ある視聴者が「ちむどんどん」を炎上商法ではないかと指摘していた。
イライラする展開が立て続けに起きTwitterが度々炎上するからそう思ったらしい。
本当にNHKが炎上商法を狙っているのか分からないが、仮にそうだとしたら誹謗中傷される関係者がいるにも関わらず、沖縄出身者への差別意識を持ちヘイトスピーチをする視聴者が現れたにも関わらず、NHKは何の対策もせず傍観していたどころか炎上商法が成功したことを喜んでいるようにも見える。
2022年9月21日のNHKのメディア総局長定例会見では、「ちむどんどん」への厳しい意見について「どの番組にもいろいろなご意見が寄せられます。そのご意見の全てがエールだと思って、ありがたく思っています」とコメントしている。
NHK職員ではないキャストや脚本家への誹謗中傷に対して何もコメントしていない。
見て見ぬふりをしているように思えた。
「撮影現場に行きたくないと思う朝は一度も無くて、毎日ここに来て作品を作ることがとても楽しかった」
「これを聞いてありがたくうれしく思いました。俳優陣の皆さまやさまざまな形でこの作品に携わってくださった方々のおかげで、無事クランクアップまで走り抜くことができた。制作スタッフともども御礼申し上げます」
私は黒島さんが「ちむどんどん反省会」を見ていたかどうか知らない。けれども仮に見ていたとしたら、傷ついた心を隠して気丈なコメントをしたのかもしれない。
それなのに黒島さんが「ちむどんどん」放送中にTwitterで誹謗中傷されてきた事に一切触れなかった事に不信感を覚えた。
黒島さんのこのコメントを「ありがたくうれしく」思ったなら視聴者の誹謗中傷を止めようとするコメントをしてほしかった。
NHKはアンチタグに対応する気も、キャストやスタッフや沖縄出身者を守るつもりもなく、視聴率を得るために炎上商法を狙ったのかと失望した。
私が来年前期の朝ドラ『らんまん』を観ないことに決めた理由は上に書いたとおりだ。
朝ドラに関わってもらった事で誹謗中傷されるようになった関係者のことも、ドラマ内で描いたマイノリティのこともを守ろうとしない。
そんなNHKの姿勢に抗議するために私は出身地でもある練馬区も舞台になる「らんまん」を観ないことに決めた。
私のような一般視聴者がいくら抗議しようとNHKが態度を改めることはしないだろう。
私にできる事で最もNHKにとって困る事は「朝ドラを観ない」ことである。
第一、私には朝ドラを観るメリットも時計代わりにするメリットもない。
気に入らない朝ドラをわざわざ観続けTwitterで誹謗中傷を繰り返したり、そこまでいかなくても嫌味を言い続けるような視聴者はリアルでも似たような事をしているんだろう。
誹謗中傷をしなければそういう視聴者は性格が悪いとは思わない。
そうはいってもリアルの友人知人との会話でそういう、的を射た朝ドラ批判を聞きたいとは思わない。
大好きとまではいかなくても自分が不満なく見ている朝ドラを『ちむどんどん』みたいに酷評されたらモヤモヤする。
「私は面白いと思う」と素直に自分の意見を言っただけで、アンチは私を嫌う。
そもそもドラマ批評(しかも評論家でも有名人でもない人の)に興味はない。
少しでも朝ドラの展開や登場人物に不満を言おうものなら反省会民と誤解されてしまいそうだから、朝ドラ視聴を趣味や習慣にするのはリスクしか感じられない。
反省会民には朝ドラという枠に愛や思い入れが強いあまり、現在放送中の作品が気に入らない人が多いようだ。
そんな「ファン」が将来的に朝ドラ枠を滅ぼすことになるんだろう。
最後になりましたが、「らんまん」主演の神木隆之介さん、脚本家の長田育恵先生には申し訳ありません。
決してあなた方のせいではないんです。
なんか登場人物に「え?お前の感覚どっかおかしくね?」ってなる場面がめっちゃ多い
もろちん、感覚がおかしいキャラが出てくること自体は悪くないんだけど
普通はそういうのってやっぱ感覚おかしかったよねっていう展開が作品内であったり
感覚がおかしいことが作品内で重要な意味を持っていたりするもんだけど
細田守作品だとどっか感覚おかしいですか?みたいな顔で感覚おかしい行為が繰り広げられるので
見ていてめちゃくちゃ混乱する
俺が「なんか細田ダメかも」と一番最初に思ったのはサマーウォーズで
特に親しくもない後輩である主人公に「バイトで田舎に一緒に来てくれ」と持ち掛けて大家族の待つクソ田舎まで引っ張っていった挙句、現地についてから「婚約者連れていくって言っちゃったから彼氏のふりをしてくれ」と言い出した上に勝手に「実はスーパーエリート」と勝手に属性まで盛っておいて、自分は久々に会う親戚や小さい時に憧れていたイケメンおじさんとイチャイチャしまくって大団円を堪能、急に誰一人知り合いもいない大家族の中に「可愛い娘のスーパーエリート彼氏」として放置された後輩がひたすら居心地悪い思いをするというシーン
控えめに言ってもこのヒロイン、クソイカレてるとしか思えないんだけどこの展開は後々別に拾われることがない
つまりヒロインはこの自分勝手極まりない行為に対して主人公に謝罪や対価を与えるシーンもなければ、しっぺ返しを食らうシーンもない、ただただヒロインがこいつイカレてるのでは?と観客に思われるだけのシーン
でもたぶん細田さん的には「年下男の子を弄ぶ先輩女子」という範疇に収まってるんだと思う
こういう視聴者の感覚と細田さんの感覚のズレが一番大きく出たのが竜そばの最後の展開だと思う
一般の感覚からすれば「そうはならんやろ、どういう感覚やねん」となるんだけど、細田さんは本当に純粋に「この展開が正しい」と思って描いていそうで本当に怖くなる
人よりも出来ないことが多いので、他人が出来ないことを仕方ないと思えた・人の善意を信じることが出来た
人よりも周り道をしたので、まぁそこそこ色んなものが見れた
その経験を持ってなお明らかに人よりも共感性が低いと自認できるレベルなので、
(いわゆる良い人・穏やかな人・福祉の人の話を聞いている時に、
自分もみんなの中のひとりに入れて貰えていることに気づいて、さらには人知れず頑張っている人や配慮が必要な人に常に心を配っていることに気づいて、
凹凸が少なく、真っ直ぐな道しか歩いてこなかったとしたら、ちょっとどうにも出来ないレベルだっただろうなと思う
というか、ワイくんエリートでも無いのに、思い出したら恥ずかしくなるような口をパートナー企業や下請けにを利いてたな
恥ずかしくなるような口を利いていたのは悪気があったわけではなく単純にワイくんの頭が悪いだけなのだが、
その記憶を何故か消去しておったわ
厳密には、「外見の美醜を判断せずに生きることはできない」が正しい。おそらく、人類の99.999%は、生きている内に心の内で他人を美醜で判断する。数字に根拠はない。99%かもしれないし、もっと低いかも。ルッキズムを批判してる人でさえ、それは多分否定しようがない。なお、これはルッキズムと異なる概念だとまず押さえてほしい。
すっげえ素朴な話、鼻毛切らないやつとか髪の毛の寝癖ひどくて頭のフォルムがおかしいやつ見て「なんだこいつ?」って思うの避けられないと思うんだよね。なぜなら、ルッキズムの根っこにある「美しいものがいい」の裏には「嫌いなのは醜いもの」がある筈で、それはおおよそ「醜いものは嫌い」と同質だから。完全に同じとは言わないが、嫌いと醜い、鶏と卵なので。
問題はさ、「みんな美しくあるべき」はうーんって思っても、「みんな醜くなるのは避けるべき」ってさ、すっげえ素朴な感情として「まあ、そうね」ってなっちゃうところ。
ルッキズムの一番ひどいパターンの、「美しさの理想像に合致しない存在は社会的に不利益を被る」みたいなやつ、これはまあ否定すべきなんだけど。この否定って極論「美しくないとされるような見た目をしてるやつは良くない」って価値観を反面で肯定しないといけないんだよ。
これさ、すっげえ難しくね?
前者はまだ否定できるんだよ、社会的には。社会的に不利益を与える規範は絶対によくない。デモ後者は無理。美醜における醜って、不衛生と漸近することが多いんだよ。髪の毛ぼさぼさって風呂入ってないってことじゃん。服が汚れてるって洗ってないってことじゃん。そういうのは生理的嫌悪感を惹起する。
生理的嫌悪感を許容できるかっていうと、理性的な頭では許容すべきってのは言えるかもしれないが、生理的な部分では無理じゃん。それを否定しきれない部分で、究極的にはルッキズムの根っこにある価値観からは逃れられないと思うんだよね。もちろん思考実験として「鼻毛ボーボボOKであるべき」は言えるけど、もっと生活に根ざした価値観としてOKって言えるかってことよ。
なお、この問題は男女関係なく発生しているからな。どっちも男女両方で発生してる問題だ。ただ、その不利益を被りやすいのは圧倒的に女性ってのは間違いない。この増田投稿してるのは男性だけど、男性の中でも何かしらある。自分はおそらく中の中から中の下、くらいだと思う見た目的には。女性の場合は「美しくあるべき」って+側への規範が、男性の場合は「醜くならないようにすべき(清潔であるべき)」って-側への規範が強いんじゃねえかなって思ってる。
だから、増田の意見としちゃ、社会制度としてはルッキズムは否定しなきゃいけない(見た目による差別は罰則を設けるなどの制度を設けるべき)、その反面でルッキズムを人間の感性からは除去できないんじゃないかなってところです。
じゃあどうすればいいかって? そんなのわからん。ただ、過度なルッキズムの否定はおそらく「生理的嫌悪感の許容」に少しずつ近づく(ように見える)ので、筋がよくないってのは前提に議論されねばならないと増田は思う。
(出てきそうな反論に先に返しておくと、国や文化が違えばルッキズムの尺度変わるって話はされても困るからな。アフリカのある部族じゃ男性は服着ない女性ではなく服着る女性に興奮するらしいんだけど、じゃあその例出されて反論されても、お前じゃあ女性は服着ないでもOKであるべきって友人知人家族の前で言えるのかって話よ。言える人もいるかもしれんが社会的にはおそらく狂人なんよ。もうちょい生活に根ざした反論を頼む)
今は国葬に反対というか、あんな法治国家としてのルールを無視した運用と人権踏み躙る統一教会などカルトとの癒着で長期政権維持してきたバカの”国葬”儀など国家の恥もいいとこだから反対だが、
若い頃というか28くらいまでの自分なら賛成してた気がするし、中高生の頃なんかもっとそう考えてたと思うから「若年層ほど賛成が多い」の分かるんだよな。
ネトウヨは麻疹みたいなもんと言うが若い頃にはまあかかるもんで(大人になってから患うとバカになるのは左翼もしかり)自分も高校生の頃にはかかっていたのも理由だが、そもそも若さ故に歴史を積み上げて作り上げられた国会の運営そのものにイライラしてた。
そんなふうに思えて大人ってバカじゃねーかと思ってた。バカなのはもちろん子供だった自分だったわけだけど。
だから国葬儀に関しても「葬式なんだから送りだせば良いじゃん。失礼じゃんか。そもそも安倍さん長く首相してたし、一・二年で首相が入れ替わり立ち替わりしてた昔の日本よりよっぽど良かったじゃないか。反対なんかカッコ悪い」と思ってたに違いないし、まあ今の若い子も大体そんなもんと思う。
民主主義とは多数決じゃないし、議論をアホほど重ねてこそ民主主義だしそれこそが誇るべき事だと分かったのはここ数年だ。
てか安倍政権で嫌と言うほど法治・民主主義をぶち壊されてくところを目の当たりにして「分からされた」のが正しい。民主主義って面倒くさいのだけど、野党や国民が監視しないと人間って暴走していくのだ。
強いリーダーを欲していて、若しくは自分がそのリーダーになって、即断即決。ガンガン先に進みたい。
これは若い人にとって成長するのに大事な感覚だけど、他人を軽んじた歩みとなってしまい最終的に自分をも傷つける羽目にもなる。
そんな事に気づくのは35超えたあたりからだ。
だからおばさんは若い女の子を守るために「とうがたつ」し、おじさんは面倒くさい人になる。
けど、そういうもんだ。
面倒くさいし老害と言われたりするけど。
そんなわけで、若者はそれで良いと思う。そういうもんだ。
余談
そう思うと50過ぎてネトウヨに罹患したおじさんを数人知ってるんだが(何故かおばさんがいない)その人らの主張って、自分の高校生くらいの頃の青臭い意見と変わらんのよね。
おまけに上記のように”他人を軽んじて”生きてきたことに気づけず、家族との関係が壊れてる理由が分からないまま未だに「俺に反対するあいつらが悪い」と叫んでいる。(何故か彼らは私生活が例外なく破綻してる。自分の観測範囲だけの話だけど凄い確率)
アレ、わたしだいきらい。
わかるよ、よーく笑ってきた人は笑いジワはいちばんクッキリでてくるだろうし、
いつも怒ってばかりだったらマユだって目立だってだんだんつり上がってきて、それが表情にでてくる。
そういう感じでしょ。
もちろん、生き様って言うのはあるていどその人の見てくれに出てくるとは思う。
大会にでるような筋肉マッチョが毎日ダラダラとお菓子食べている生活をしていないだろうと予測できるのと同じで、
でも、わたしはすごくイヤ。
先日読んだ書籍で、「クレームを起こす人の顔は大抵わかるから、やさしくて温和そうな人に不運を与える」みたいなことを書いていて、(接客に関係したエピソードを紹介する書籍で、クレームを起こさなさそうな人を見極めてその人から席順の優先度を下げる、クレームを起こす人はクレームになりづらい席を選ぶみたいな話だった)すごく不快になってそこから読むのをやめた。全方面に失礼すぎる話じゃないか。
そして、私はこれを読んで、自分はきっとクレームを起こす側だとこの人に判断されるんだろうなと思ったら、涙が出てくるほど悲しくなったのだ。
私はずっと、顔がこわい、いじわるそうな顔、顔がクール……などと言われて生きてきた。
「クール」は主に知り合い友人で、「こわい」「いじわるそう」は主に肉親とかだ。
じゃあ実際に性格が怖いのかと言えば、そりゃあ確かに怖い部分もあると思う。ええ年した社会人ですからね。厳しいときもありますわ。
でも、人にいじわるなんかしたことなんて、妹以外に(笑)覚えがない。
落とし物をしたら必ず届けるし、誰かが落としているシーンを見かけたら走っておいかけてでもわたしにいく。
子ども2人つれてベビーカーを階段であがろうとしているお母さんを見かけたときはベビーカーもってあげたし、
なんていうか、そういうのを自然とできるタチではあると思うんだ。それを見た友人知人はよく褒めてくれたりするし。
ちなみに妹は「おねえちゃんはやさしいよ!顔はちょっとこわいけど!」と言う。おい。
「だから自分はいい人なんだよ!」と主張する気はもちろんないし、いい人だとも思わないけれど、
でも、だからって、「顔がこわい、だから性格も怖いのだろう」と思われるシーンがあり得るかもしれないというのは受け入れられない。
すごくイヤだ。
「あなたって顔怖いよね」何気なく言ってる言葉かもしれないけど、ものすごく傷付く。
好きでこの顔に生まれたわけじゃない。
プリクラ期を経てあるていど笑えるようになったけれど、恋人や家族からは「引きつった笑い」と言われて悲しい。
みんなそう思ってるんだろうか。
たまに笑ったと思ったら、声だけ笑ってると言われる。うるせえうるせえ。
でも、社交性はそれなりにあるようで、
「友だちが多いね」というのは職場の人や恋人、家族などに言われることは多い。
もし私が、本当に心から怖い人なら、そんな状況にはならないだろう。いやなるのだろうか。
だから、あんまり顔の怖さは性格と比例しないと思って生きているが、書籍の1エピソードで心が悲しくなるほどには気にしてしまう。
いい人だと思われたいわけではない。でも、「顔が怖いから性格もあれだろう」と判断されるときがあるというのは本当にイヤだ。悲しい。
明日起きたら、やさしい顔になっていたらいいのに。
それどころか、今以上の疎外感、劣等感、その他諸々に襲われて立ち直れなくなるんやで。
やる気が出ないんやない、お前が立ち上がろうとしとらんだけや。
努力してるって言っても、それは口先だけや。
努力は結果のためのものであって、努力を誇ってもなんも偉ない。
よくSNSなんかで『逃げても良い』って聞くやろ?
逃げても良い時は絶対あるんや。それは間違いない。
だけどな、何でも逃げていいわけやない。
根性論とか嫌いやけど、気合い入れて踏ん張らないけない時はある。そんな時に逃げるやつは駄目なんや。
たまにいるんや、頑張って生きてる人に頑張れなんて酷いって言う奴がな。
違う、みんなそれぞれ頑張ってんのや。逃げたい時があっても踏ん張って乗り越えて、そんでたまに楽しい事して生きてんのや。
お前一人が頑張ってるんやない。お前の周りも生きるために頑張っとるんやで。
鬱ってな、ホンマ辛いんや。だけどな、鬱は誰も治してくれへんのや。
自分で治す病気や、自然治癒なんか無い。己が治癒させるもんなんや。
こんなもん続けっとたら、ホンマにお前立ち直れないどころかただの穀潰しや。
そんなん家族も見たない。友人知人だってそんなお前を見たない。
お前しか治せへんのや。
辞めた同僚のことをふと思い出して検索した
けど見つかったのはうちの会社で働いてたころの他社合同イベントの記事だけだった
もしかして死んでるかもとはじめて思った
正確には同僚は辞めたのではなく、懲戒解雇になっている
2週間連絡もなく職場に出てこなかったと聞いている
交流が社内外とも多く、たくさんの人が彼を知っていた
容姿も良く人当たりも良く、ちょっとチャラい性格で友人知人も多かった
突然来なくなったという話を聞いて、鬱かバックレだとずっと思っていた
ああ見えてストレスを抱えていたのかもしれない、うまくかわせずメンタル病んだか、あるいはバックレたか、と
けれど彼なら何処でもうまくやっているだろう、などと思っていた
検索したキッカケは、怪しいビジネスコンサルの本を読み、その評判をネット検索したことからだった
検索にヒットした怪しいコンサルはお世辞にも格好いいとは言えなかった
が、痩せて長身そうな体格に明るく染めた髪、そしてこういう調子のいいことを言って人を集めたがる人間、そういうのが辞めた同僚を想起させた
彼ならきっと会社を辞めてもこういう事をしていそうだ、と思ったのだ
前向きで耳障りのいいことを言って人を集める
パッと目立って新しくて皆で楽しくやって話題になってお金にもなる!
そういうのが好きそうな感じだった
が、検索しても一切出てこない
容姿自慢の社交キャラならまずはやっていそうなSNSも出てこなかった、Facebookもインスタも
普通に生きてる個人ですら検索したらヒットするのに、あの派手な男が出てこないなんてと思った
で、もしかしたら死んでるのか、と
数年前、2週間来なくて会社を辞めたあの時点で、もしかしたら死んでたのかもしれないと思ってしまった
彼の退職後、今何してるんでしょうねと、元気でやってたらと、そんな会話をしていたけれど
バカバカしい