はてなキーワード: 人工中絶とは
経済的に余裕があっても望まれなかった子供は親からも除け者にされてモラルが育たず、本人も周囲と健全な人間関係を築く事ができないまま大きな苦しみを味わい生きていく破目になるからだ。
今みたいな不景気な時代には老若男女問わず人脈を作っていかなければ生きていけないのに、残念な子供はまともに人と関わる手段や自分のしっかりした正当な意思を持っていないから、誰か(自分か他人)に負担の掛かる方法でしか生活できない。
その結果追い詰められて悪意を持って人を傷つける犯罪が起こってしまったり、社会貢献などせずブラブラ遊び呆けるだけの人間に終わってしまったりと、どちらにせよ生産的な人間にはならない。
迷惑な人が増えるのなら、いっその事中絶という方法でその人の未来を断ち切った方が周りにとっても本人にとっても幸せなんだ。
全て、家庭を持ちたいという意思もなく子供を作った親に責任がある。
避妊をせずに子供を持ちたいという意思なく行為に及び、子供ができてしまった時点で親は極悪人だ。
事態の大きさに気付いてちゃんと育ててあげるならそれまでの話で特に問題はないが、俺の知っている限りそういう親の中で結局子供を人間らしく扱っていた人は一人もいなかった。
自分の子供に一人の人間として接する事ができない親というのは、人間ではなく何か別の生き物だと俺は思っている。そうした畜生のために中絶が必要なんだ。
幼い頃の虐待によって心に闇を抱える者に接する。
さまざまな人格障害、子供では稀な統合失調症、解離性同一性障害、何時間も手を洗い続けている強迫性障害なる者もみたことがある。
その多くが15歳未満の子供だった。
その中で性教育は重要な課題であった。性的虐待を経験している子供達の多くは、
・二度とまともな性交渉ができない
・あるいは見捨てられたくないという過度の不安から、やりたくもないセックスを、
などがある。要するにまともじゃないわけだ。
普通に育ててもらっていれば、普通と変らぬ大人になったであろう被害者達。
10代の少女が妊娠したとき、関係者はそろって「人工中絶」をすすめた。
その少女は性的虐待により精神を病み10歳の頃から施設で暮らしていた。
13歳の夏、吐き気と貧血を訴え診察を受けた結果、妊娠5週であると診断された。
彼女は泣いた。父親が分からないことを泣いていたのではない。手術が怖いからでもない。
こんなに無知で幼稚で避妊もできない子供が、なんと命の大切さは理解していたらしい。
彼女が泣きながら腹部をさすっている姿を見た。
「手術」を頑なに拒否し、周りの説得も耳に入れず「産む!」の一点張りだったが、現実は彼女の希望通りになるはずはなく、
手術の日を迎えた。
もともと重度の鬱病も発症していた彼女が、より一層失望感に溢れているのは誰が見ても明らかだった。
「もう二度と、私のような子を増やしちゃいけないよね・・・。ごめん・・・・」
なにも言えない私。
「でも、この子はきっと良い子だから、いつか他のお母さんから生まれてくることになるよね?その時この子は、幸せになれるよね?」
もちろん、そう答えるのが精一杯な私。
いつだって犠牲になるのは弱いもの。だからこのように身をもって知る前に、自分で自分を守る術を学ばせないとならないはずだった。
そしてさらに、ビッチを軽蔑するのは咎められることではないと思っていた。
妊娠した15歳の女が語ったこと。
うわぁ馬鹿だろこいつ・・・・。
私「相手は分かっているの?これからどうしたいの?」
少女「年上の人。相手のことが大好きだった。まだ怖かったんだけど・・・好きだから断れなかった。」
「好きだから」だって(笑)
相手が遊びだったらどうするつもりなんだよ。利用されないようにもっと賢くなれよ。自分を守るのは自分だろうが。
はぁ?大丈夫?子供がかわいそうだよ。かと言って堕胎を推進しているわけでもないけど。
だいたい避妊を知らないうちから性行為なんてするなよ。
てか性行為するなら避妊しろよ。どんだけあほだよ。
少女「産んで・・・育てます」
ドラマとか小説の見すぎ。子育てとか大変だから。キレイな部分だけじゃないから。
それ分かってる?ちゃんと育てられるの?あんたには無理だろ。
なんだかんだ心の中で少女のことを馬鹿にしていた。馬鹿にしきっていた。
私「22週未満なら、人工中絶という選択もありますが。」
少女「あ、はい・・・知ってる・・・。でも責任とります。あと、産みたいって思う気持ちもあるし」
虐待によりかわいそうな事件を発生させないためにこっちは言ってるんだ。
あんたを楽にしてあげたいからなんて理由なんか一切ないからね。
あぁ、
あれから8年が経過したか。
23歳の女性が輝かしい笑顔で8歳の子供を連れている。8年ぶりの再会だ。
こんなケースもあったのだ。勿論稀ではある。が、確かに彼女は責任を果たしている。
その最中なのだ。
8歳の子には兄妹がいて、傍らには父親がいて、彼女は立派な母親だったからだ。
人を見下し、決め付け、罵倒していた自分に性教育などできるているはずもなかった。
性の乱れが目立つ現代で、まず変えてゆくべきなのは、
教える側なのかもしれないとこれほど思った瞬間はなかった。
人工中絶の是非に関するエントリ「マザーテレサは間違えている」http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090318/p1について。端的に言えばこのエントリには重要な見落としがある。それは「人は必ずしも自らの権利を行使できる主体ではない」ということだ。
権利は行使されるためにある、と言えるのは、祝福すべき幸福な人々だけである。多くの人にとって権利とは、私の所有物であって私の所有物ではない。強いて言えば私から奪い取ることが定められている誰かの為のモノなのだ。私の問題とは、せいぜいその搾取にあたり私の同意をどの程度顧慮してくれるかとか私の犠牲はどの程度感謝されるのかということでしかなく、あるいはその搾取の仕方があとう限り痛みの少ないやり方であってくれればいいなと願う、その程度なのだ。たとえば飼い猫に餌をせがまれる程度の甘美な搾取であれば多くの人は苦笑いで済ませるだろう。我が子の教育費用ならば、年老いた両親へのプレゼントならば。時には見知らぬ誰かのために募金する程度の良心なら持ち合わせなくもない我々は、アイドルタレントという名の客引きに袖を引かれ、気づかぬうちに大金をボッタクラレていたとしても笑って許してしまう程度には寛大だ。だが、それが我々の尊厳や生存そのものに関わるような搾取であったなら?
……それでも我々はしばしば許すのだ。どうしようもない男に引っかかる女のように。寂しく笑って仕方がないのと呟くところも、いいところもあるのよといいつつ良い所なんて思い出せないけどなと思いながら、そしていつか報われる日が来るかもしれないという根拠無き希望にすがる……人間とは本当に弱い生き物だ。
堕胎が普通に合法化されれば、何が起こるだろう。あらゆる女性は心痛むことなく自らの身体に対する所有権を回復できるのだろうか?否、断じて否。
堕胎が普通に合法化されれば、そこで多くの男性は心痛むことなく、自らが《所有》する女性たちにこう告げるだろう。
『私はその子どもが不要なので堕胎しなさい。あなたの意志で。』
私の権利を私のために行使できる人間は、その時点でそもそも他の多くの人間に比べて相対的に幸福である。kaien氏は「自分の権利は自分のために行使できる」という女性のために、心優しくも「彼女らの権利を回復すべきだ」と訴える。だが私は言いたい。kaien氏よ、マザー・テレサが見ていた人々は、そんな強く祝福された女性たちではないのだ。もっと弱く、果てしなく愚かで、何も持たずそしてたった一つ持っている身体さえ搾取され続ける女性たちなのだ。悲劇と向かい合う覚悟を今からしなくてはいけない女性たちではなく、何一つ覚悟も無いままに悲劇そのものを人生として生きざるを得ない女性たち。あなたの論にはその視点が決定的に欠けているのではないかと私は思う。