はてなキーワード: 人は人、自分は自分とは
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
どうも、ブロガーの端くれです。
イケハヤをはじめ、最近のブロガー界隈は仮想通貨の話題が盛り上がっている。
イケハヤは保有仮想通貨の評価額は遂に億り人に到達したと、はしゃいだ記事をあげてたな。
社畜の通貨とJPYをディスりながら結局評価額を円で換算するあたり、なんか違う気がするけど。
いろんな価値観の新しい生き方を体現しながら紹介するのがブロガーだと思って活動してるけど
最近は仮想通貨の景気のいい話して、JPYディスってるのはトップブロガーになってきたよね。
僕もお金は好きだから、ブロガーしてるし、話題作りに仮想通貨はわずかだけど保有している。
仮想通貨自体でも自分が紹介した銘柄にお金は流れればJPYの資産価値は増えてるし、
アフィリエイトでも儲かるからね。仮想通貨ホルダーのブロガーにとっては
感謝こそすれ「意識が低い」「終わってる」とディスるのは如何なものか。
仕事は辛ければやめればいい、ワクワクすることだけ生きていけばいい・・・
耳障りのいい言葉を並べ、比較的自由な生活を手に入れた自分に酔いしれているのだろうが、
自由な生き方を人に布教するためにディスったり、煽ったりしているのなら方法が違うし、
本心でそれをしているのなら人として終わってるな、と思う。
これをここに書いてる僕もまた、それは肝に命じて自分の書くべきことを書いていこうと思う。
ちょっと誤解を招いているので付け足しておくと、「他人の話に耳を傾ける上で自分の中に絶対的な価値基準が必要だよね」って意味合いでそう言ったの。
(自分の中の)絶対的な価値観は相手に押し付けるものじゃないし、それは相対主義前提の上に成り立つ「個性」を引き受けながら他人と接するものだから、人は人、自分は自分だと思ってるよ?
元増田と同じ悩みを持ってたのかは判断のしようがないけど、文章から読み解くかぎり自他の区別が曖昧な感じがするので、もうすこし個性を鍛えるために価値観を体系化してみればいいんじゃないのっていう助言にもならない助言です
故郷には、本当に何もなかった。
遊ぶ場所は友達の家か、外か、イトーヨーカドーか、くらいしか選択肢がなかった。
それは別にいいんだ。自然に囲まれて、それなりに楽しかったから。
しかし、田舎特有の性質なのか、周りにいる子の多くは早熟で、恋愛至上主義だった。
早い子は小学校高学年から、普通の子でも中学生のころには付き合っている人がいるという状態だった。
女子は、ちょっと顔がタイプとか、足が速い等という理由でバンバン告白していた(今でも、あの積極性はすごいと思う)。
部活の帰りに待ち合わせして、男女で手をつないで帰るのがステイタスだったようだ。
友達同士で話す内容は、ほぼ恋愛か、巷で流行っている音楽の話、雑誌に載っているおしゃれの話だった。
私は本が好きだった。星が好きだった。この世界の不思議に興味があった。
でも、そういうことを話すと茶化されてしまったから、ずっと一人で胸の中にしまっておくことにした。
誰かと付き合うこと自体が怖かった。
中学のころは、そのことで散々からかわれた。付き合ったことないって言うとすごく驚かれた。
高校になってちょっと垢抜けたせいか、告白されるようになった。
彼氏がいたことがないのが恥ずかしくて、いい人だなと思った何人かと付き合った。そうして、「過去にいた彼氏の数」を増やしていった。
高校三年生の頃、付き合っているうちに好きになった人にセックスしたいと言われた。
私は拒めなかった。
理由は二つある。
一つは、その人に嫌われたくなかったから。
大学進学のために上京し、東京で暮らすようになってからすごく驚いたのは、
周りにいる人々の多くが、付き合った経験がない、あるいは付き合った経験があってもおそらくセックスはしていないということだ。
そして、中学生の頃に共有したいと強烈に願っていた事柄を話せる人がたくさんいることも、
誰とも付き合わなくても、別に変ではないということも。
見栄のために人と付き合い、処女を捨てたことが今では人生の汚点になっている。
私がこのような恋愛遍歴になってしまったのは、育った環境によるところが大きいだろう。
しかし、もし私がその中でも「人は人、自分は自分だ」と強い意志を持ちつづけることができたなら
後々恥ずかしい思いをすることはなかっただろうとも思う。
はてな、ツイッターとか、最近主婦層は繊細じゃなきゃいけない、常に弱者に最大限の配慮をしなきゃいけないっていう逆繊細ハラスメント多いですよ。
そこで文句をいったらネットくらい愚痴吐かせろよとかよくオバママ界隈とかいうけど、
今はネットもリアルも繋がった自分の世界なんだから区別ないの普通になってきてんだよね。
そういうところに生きづらい・・・つらい…とかやられても、何言ってんの運動でもしたら?で終わっちゃうじゃない。
人は人、自分は自分なんだから、もっと強くなったり、いい意味で鈍くならないでよく親やってるわなーと思う。
平等教育の弊害なんですかね。それとも私の世代がさとりで、あきらめてるから?
オバママ界隈は、まだ世の中になんか期待してるってこと?
詳細には言わないようにしている。
色々と話してみたんだけど、
病気であることをプロフに書いたり、毎日の話が病気のことばかりの人、同じ病気の仲間としかつるまない人って、
正直、自分は病気のために生きているわけではないので、色々うわぁ…と思うことも多かった。
症状って人によってけっこう違うと思うし、○○という症状が出ていなければ絶対何病じゃない、ってことはないと思う。
自分は症状がちょっと珍しいケースでもきちんと薬が効いてるし、病名もついてる。
けど、こういう人たちって、ネットや本なんかに書いてある知識にはやたら詳しくて
自分たちの知っている知識に該当しないと、きちんと通院してる人間を相手にしても、
時々「本当の病気じゃない」って言う人たちがいるのね。
「何病にはそんな症状は出ないし、あなたは勉強不足。いい加減なことは言うもんじゃないわ。
本当に苦しんでいる私たちに対して失礼です。」
そんなこと言われても困るし、私の医者にでも言ってくれ…
病気故に被害者意識が強いので、正義感で攻撃的な態度に出て来るのが困りものである。
なんか、一昔前にネットで流行った、これに当てはまる貴女はナントカ同盟です、みたいなのを思い出す。
こういうこと言う人に限って、謎のお薬アピールとか、今日はこんな症状がと逐一アピールしてる。
そんなこといちいちアピールして一体何のステータスになるって言うんですか。
病んだ人間同士で価値観を共有して群れてるから、いつまでたっても病気のことしか考えられないで、だらだら治らないんじゃないかな。
彼らには、
責任感や使命感の薄さが目立ち、興味本位の生き方をしている傾向の強いタイプです。好奇心や本能的欲望に振り回されやすく、自分は今何をすべきかと云う事が、良く掴めていないタイプであるとも言えます。人は人、自分は自分と割り切っていて、他人の言動には、殆ど干渉しないでしょう。又、一寸変った面白い事でも有ると、すぐに付和雷同する傾向がある、御祭り好きの楽観主義者です。今後は、もう少ししっかりした目で、社会機構や自、他の言動と云うものを見直して行く必要が有ると思います。
趣味や嗜好、ギャンブルなどの延長線上に恋愛や結婚もあると云ったタイプです。うっかりすると、一体何が本命なのか、見当の付かないような事になり兼ねませんので、いい加減な考えで、恋愛や結婚をしない事が、貴方の為でもあるし、相手の為でもあります。貴方の場合は、恋愛や結婚と深刻なくらい真面目に取り組んで、丁度良い按配だと思います。
職業適性
無味乾燥な堅い職業を避ける事が、先ず第一です。例えば、警察官、刑務官、検事、判事、弁護士などのような治安や法律関係の仕事。キーパンチャー、オペレーター、単純労働者のような仕事です。貴方に向いていそうな職業は、落語家、漫才師、コメディアン、漫画家、エロ文学作家などに代表される、軟派の芸能、芸術、文芸家とか、企画宣伝などの仕事のように思えます。
対人関係
人付き合いにおいて、最も心すべき点は、人を騙したり、騙されたりしない事だと思います。自、他共に甘い点と、正義感に欠ける面が有って、自由奔放で我儘な貴方のようなタイプが、最も陥ち入りやすい弱点だからです。
威張りたいという願望や欲求
人を見下したいという願望と欲求
そうすることで自分の位置を確認して安定安心したいという願望と欲求
人の言うことや、することや、やることを見て、
妬んだり僻んだり反論したくなったりイライラしたり焦ったり動揺したり不安になったりするのって、
要は人間は自分一人では絶対的価値観を設定できない生き物ってことだよなぁ。
人とのコミュニケーションの中で自分の位置を確認して安定安心する。
人は人、自分は自分、って分かっていても、
周りと比べちゃうのはそういう性質が人間にあるからなんだろうなぁ。
やっぱどんな相手にも、
威張ったり見下したりと言った態度は取らないでいられる人間になりたい。
幸せってたぶんその人にとっての生きやすさ(あるいは息やすさ)なんだろうな。それがベース。何よりも大切な基盤。
生活保護とか金がどうこうってのじゃなくて、愛だの恋だの、モテるモテないコミュニュケーション能力云々とかじゃなくてさ、もっと根源的に平らかな思想があると思う。
無論、そういったことが基盤になってる人だっている。パーソナリティーの基礎として人格にとっての重要な位置を占めている人は確かにいることだろう。
将来を見通して計画的に目標を乗り越えていくことが、すなわちその人にとっての生きやすさを保証したり実証することだってあることだろうし。
だからそう言った人々を否定したり馬鹿にしたりするつもりはない。そもそも幸せの基盤を比較できる確かな尺度を持ち得ていないから判断できない。
人は人、自分は自分。つまりはそういう事で、どんな基盤だって正解だろうし、間違っている部分があるのだと思う。
話がズレた。平らかな思想について。その上に積み上げられていく、幸せを形成するたくさんの部品について。そんな事のはずだったのに、どうにもダメだ。
まあいいか、こんなポエムチックなもので。いやポエムにすらなってないか。とにかくもうこれでいいや。
幸せはその人にとっての生きやすさ(息やすさ)に相応/比例する。
すごく当たり前のことだったけど、ちょっと前に気がつけたので取り敢えず記念に残しておこう。
それにしても、こう云った一瞬の「気づき」には鮮度が大切だね。三十分ほど間を空けるだけで随分とツヤが落ちてしまう。
まぁ、気持ちはわからなくもない。
自分が苦労して努力したり頑張ったりしている(つもりの)場合、
他の人が努力していないのを見ると不思議に思ったり、イラっとしてしまったりする事は、かつて自分にもあった。
社内の若い人の愚痴を聞いていても、努力家のタイプの人から似たような愚痴を聞いた事がある。
「なんで同僚の○○はやろうとしないんだ」とか。
だからといって軽蔑したり、バカにしたりしていいかというのは話が別。
人は人、自分は自分。その努力っていうのは、他の人にできるものではないよね。
同僚で努力しない奴がいて迷惑を蒙ったりすると、愚痴の一つもいいたくなるかもしれないが、友達だったら関係ないでしょ。
努力しない人とは付き合えないっていうなら、それは価値観の相違なんだろうから仕方ないだろうけど。
ただ、自分と同じような立場の人がいたら自分と同じように突き放すのではなく
うまく努力させるきっかけを与えてあげれるようにしてみてほしいと思う。
なんで?それは余計なお世話じゃね?他人を変えようなんて簡単な事じゃないよ?
他人を変えようなんて大それた事考えない方がいいよ。
そういう人たちに努力させるきっかけを与えてあげようとして、うまくいかなくてウツになった人も知ってる。
本人がやる気にならなきゃ何やったって無駄だよ?
変われるのは自分だけ。
増田は、努力しないで世の中渡っている人とか、努力してこなかったせいで苦労している人を見ると
ムカついたりするかもしれないけど、それ、意味ないから。
給料より、定時で上がる事のが大事だっていう人だって沢山いるよ?
色んな価値観を許容できる器を持てるよう「努力」した方がいいんじゃない?
>って余計なお世話でしょ??
自分の将来なんだから、努力して当然。第一志望に受かって当然とは言わないけど、何かを見据えて努力している人間からしたら結果を残すのは“当たり前”だよ。あなたの、“結果に結びついた適切な努力”のことはもちろん認める。でも、そんなの当然だよ。
あなたの言いいたいことは分かる。自分の置かれた環境に文句を言うのではなくて、まずは自分を変える、努力する。でも、自分がそれが出来た(出来る)なら、それでいいと思う。その努力を、黙ってまた続ければいいだけのこと。
伝えたかったことは何?
自慢したいの?いや、違うな。
周りの人たちがそんなに気になる?
つまりあなたの文章からは、この人は努力しない他人が気になって仕方がないのだなぁ、という印象を受ける。もしくは、そのような人たちと自分は違うんだ!ということを主張したいのかな、とか。
あなた自身がある程度“逆境”にいて、それでも環境に文句を言わずに自分で努力をした人間、だと自分のことを認識しているのかな?
“自分は環境に文句を言わずに努力し、結果を残しました。褒めて!”なら、よかったね、って素直に思える。
だけどあなたの文章からは、“努力できない人たち”を見下している感じを(少なくとも私は)受けるから、そこがすごく引っかかる。
“環境に文句を言わずに自分を変える努力をしろ!”というメッセージを伝えたいんだったら、それをメインに書けばいいと思う。あくまでも自分の出した“結果”はそのメッセージには付随的なもので、ちゃんと出来た“例”として自分の体験を付け加えてあれば、メッセージとして分かりやすい。
あなたの書き方だと、読者を煽っている感じがする。むしろそれが目当てだったのかな?そうだったのなら仕方ないけど、そうじゃなくて本当に色んな人からの純粋な感想を聞きたかったのなら、もっと誠実な伝え方をした方がいい。無意識にこんな書き方をしているようなら、あなたを採用した“第一志望の会社”とやらを疑ってしまう。
あなたの目的のための努力は正しかった。第一志望の会社に内定をもらったから。
じゃあ今度は、「第一志望に受かった。これから会社のために、社会に貢献するために、またさらに努力を続けよう」ただ、それだけのことじゃない?それがあなたの一番欲しかったものなんでしょ?その“努力”を、黙って続けなよ。
それとも、他人と比べながらじゃないと自分のモチベーションを保てなかった?
人は人、自分は自分だよ。
自分の将来なんだから、努力して当然。第一志望に受かって当然とは言わないけど、何かを見据えて努力している人間からしたら結果を残すのは“当たり前”だよ。あなたの、“結果に結びついた適切な努力”のことはもちろん認める。でも、そんなの当然だよ。
あなたの言いいたいことは分かる。自分の置かれた環境に文句を言うのではなくて、まずは自分を変える、努力する。でも、自分がそれが出来た(出来る)なら、それでいいと思う。その努力を、黙ってまた続ければいいだけのこと。
伝えたかったことは何?
自慢したいの?いや、違うな。
周りの人たちがそんなに気になる?
つまりあなたの文章からは、この人は努力しない他人が気になって仕方がないのだなぁ、という印象を受ける。もしくは、そのような人たちと自分は違うんだ!ということを主張したいのかな、とか。
あなた自身がある程度“逆境”にいて、それでも環境に文句を言わずに自分で努力をした人間、だと自分のことを認識しているのかな?
よく分からない。どちらにしても、あなたの努力はもちろん評価されるべきことだし、というか、実際に“第一志望の会社”に内定をもらうという形で認められたということだと思う。
だけど、周りをそんなに気にしているのはなぜ?楽しそうに、何も考えてなさそうに大学時代を過ごしている同級生たちが、今になって焦っているのを見て、あざ笑ってやりたかった?彼らに“勝つ”ことが目的のひとつだったの?
あなたにそういうつもりがなくても、そう見えちゃう。
でも、彼らがあなたよりも収入や、精神的満足度で劣る将来を迎えるとは限らないよ。あなたが“努力が足りない”と決めてかかっている人たちは、あなたの知らないところで何かに打ち込んでいるかもしれないよ。
あなたから見てすごく“無駄な時間”を過ごしているような、“結果を出せていない”同級生たちが、後になって大逆転するかも知れないよ?留年したり、就職浪人したり、就職してもすぐに転職しちゃったり。今の時点では、あなたから見れば自分より下に見えるのでしょう。でも、そんな経験から彼らがもっと大きな何かを掴むかも知れない。それは誰にも分からないと思う。
あなたは先手を打って努力して、彼らが得られなかったものを今の時点では手に入れたかも知れない。
それはすごく近道で、無駄がなくて、そのような能力は確かに社会において求められるものでしょう。
だけど、いっぱい“無駄”を経験して、時間をかけて、やっと手に入るものだってある。あなたの“努力していない”同級生は、そういう何かを追い求めているかもしれない。極端な話、十年後あなたが毎日会社でへとへとになっている頃に、ミュージシャンとして大ヒットとかね。いや、それは違うのかな?ピントがずれてたらごめんなさい。
例えば、“大学卒業後はいろいろ経験して、その後実家の酒屋の後を継ごうと思っている”とか、そういう話したくないな、って感じのキャラな気がする。違ったら、ごめんなさい。
あなたが見下している人たちは、そんなにバカじゃないよ。
もちろん努力の足りない、文句ばかりの人もいるかも知れない。
だけど、世の中には本当に色んな人がいる。色んな境遇がある。
教授からもめちゃくちゃ期待されて、将来は研究職につくと信じて疑われてなかった友人は、学部出てすぐ高校の教師になった。超惜しまれてた。だけど本人は、高校時代の先生にめっちゃ影響受けて、教えるのが好きで、地元が好きで、それが自分の天職だ!って。何かすごく魅力的な人だった。大学でこういう人に出会えてよかったなぁって思った。
これもちょっと話が違うか。ただ、あなたの文章を読んでいて“勝ち負け”に拘っているように感じてならなかったので、思わず挿入してしまった。ずれていたらごめんなさい。
あなたは、“大学には色んな人がいる”と言っている。その通りだと思う。だけど、あなたが“実際に”関わっている人は少ない気がする。彼らは、あなたには話していないだけで、本当は様々な野望をもっているかも知れない。もしくは、今これからがスタートかもしれない。
彼らはあなたと違う。ただ、違う生き方を選んだだけのこと。
あなたが彼らに対して診断を下すようなことじゃないと思う。
“自分は環境に文句を言わずに努力し、結果を残しました。褒めて!”なら、すごいね、よかったね、って素直に思える。
だけどあなたの文章からは、“努力できない人たち”を見下している感じを(少なくとも私は)受けるから、そこがすごく引っかかる。
“環境に文句を言わずに自分を変える努力をしろ!”というメッセージを伝えたいんだったら、それをメインに書けばいいと思う。あくまでも自分の出した“結果”はそのメッセージには付随的なもので、ちゃんと出来た“例”として自分の体験を付け加えてあれば、メッセージとして分かりやすい。
あなたの書き方だと、読者を煽っている感じがする。むしろそれが目当てだったのかな?そうだったのなら仕方ないけど、そうじゃなくて本当に色んな人からの純粋な感想を聞きたかったのなら、もっと誠実な伝え方をした方がいい。無意識にこんな書き方をしているようなら、あなたを採用した“第一志望の会社”とやらを疑ってしまう。
あなたの目的のための努力は正しかった。第一志望の会社に内定をもらったから。
じゃあ今度は、「第一志望に受かった。これから会社のために、社会に貢献するために、またさらに努力を続けよう」ただ、それだけのことじゃない?それがあなたの一番欲しかったものなんでしょ?その“努力”を、黙って続けなよ。
それとも、他人と比べながらじゃないと自分のモチベーションを保てなかった?
人は人、自分は自分だよ。