はてなキーワード: 人の力とは
うちの部署が無能という指摘はある点では確かにそうなのかもしれない。
しかし、この例にあげた問題は解決できなかったが、組織としてキチンと売上に結びつく結果は出している。
競合他社との技術競争でも、一進一退の部分はあるが客観的に見て大きく負けているとはいいがたい。
勿論、ここの人員のエンジニアとしての能力を比較したときにどうか、というのは別問題で、
今回は、個人の力量というものが、組織としてのパフォーマンスを大きく左右する場面もあるのだと意識させられた。
個人的な見解では、彼はむしろ、細かい機能実装を言われた通りやる能力よりは、全体的な部分を俯瞰した設計能力が高いと感じた。
ただ、一方で現在の職制の下で彼がそのようなポジションを獲得するのはかなり難しいだろう、とも思う。
今回の一件で、多少のことは大目に見てもらえるようになったという点では彼にとって良かったと思うが、
それが更に他の社員の反感を買う事態にならなければ、と思う。
角が生えていて赤色で怖がられる存在、または青で気味悪がられる存在だったとしましょう。
容姿は 「 鬼 」 だけれども、異種である人間と共存したいと希望して、村人としての規格に容姿以外が適合できているとしましょう。
これだけの質問であれば、おそらく理不尽でしょう。 「 鬼 」 という種族だからこそ、村人に役立てることもあるかもしれないとも考えられるでしょう。
しかし、内面を理解する以前に外見は、状況に初めて接する人間には視覚認識によって状態を判断されることがあります。
その状態を管理する人間、村を収める役割にある人間は事情を理解する以前に、独自の判断によってまず改善を提示し始める事もあるでしょう。
往々にして物語は、事前調査で状況を把握した上での改善を試みて無事解決したことを議題にはしないものです。
意思の疎通が不足している等により総合的に不利益を講じる結果から、一つないしは二つ程度の情報価値を含ませるものです。
ここでは、心優しい 「 鬼 」 が村人の仕事を手伝っていたのに、役人が「状況を理解せず排斥行動に出た(概要の一般通例から異例の相互利益関係を破綻させた)」という鬼を迎え入れた場合に発生する可能性がある将来的な利益が存在するとした事柄についての機会損失を例にしてみましょう。
「 鬼 」 だからというだけで排斥に至る、これは相手側の利益を考慮しない愚策であることは既にある物語のいくつかから想像のつく知識でしょう。
「 鬼 」 だけども役に立っている、しかしそれは利益を放棄しても守らなくてはならない事項があるため、利益を減少させてでも控えてもらいたいという全体が理不尽を理解したうえでの悲劇、往々にして悲劇を生み出す原因としての尊厳をどれほどのものかと考えさせる物語も近代には多くあると思います。
またどれほど全体が理解をして均衡を保っていても、自然の摂理として 「 鬼 」 という構造が結果利益関係を破綻させてしまうという物語も考えられます。
これらの物語の中で一番差別的であろうというのは最後の「構造的に無理がでる」で、そういうものだから結果何を努力してもうまくいかないという意図を組み入れた作者でしょう。
理解の未熟による軋轢は、未熟者の問題でありどこにも差別的なものはない、もしあるとすれば未熟な判断を養ってしまったその環境であろうとは思われますが作品に関与する部分が少なくそれは物語の範疇と成さずともよいでしょう。
これらの既にある文学等の情報を学ぶ機会があったと想像に難くない日本で、まず状況に不適合な状態をもつ個人が、望む現場においてどうあるべきかはすでにオチを含めて想像ができる材料は学んであるはずです。
村に合わない 「 鬼 」 は村人の役に立ちたかったけれども、去らなくてはならない。共存を許される場所へ移る必要がある。
スーツで週5出勤するオフィスに自分が適合しないのであれば、その他業務を考えなくてはならない。
「 鬼 」 で共存は望ましくないが相互利益を考慮すれば問題を充分に克服できるものである。
臭くて汚くてオフィスにいてほしくないけれども、いなくては会社の利益は何割落ちるかわからない。
「 鬼 」 であることを全ての状況で容認されているが、結果 「 鬼 」 であることが理由で状況を破綻させてしまう。
問題は充分に承知していて、それを現場レベルでは対応していくつもりもあり、利益と損失では利益が勝るであろうと誰しもが判断するけれども、社則や規則として禁止されている事項。
「 鬼 」 という形を維持しながらということであればこれらの例が想像できます。
その他の手段として 「 鬼 」 をやめるという手があります。
むかしは顔面を削ったり肉を切り取ったりすることが出来なかったため不可能であり物語には生まれなおしとか神による恩恵とかで具体例にはならず御伽噺、稀に当たる超ラッキーのファンタジーでしたが今では人の力で可能なことがあります。
肌の色をかえたり角を切り取ったりということで、村人になることもできるでしょう。
オフィスに適したからだに変える事も、おそらく可能なのではないでしょうか。
さて、これらの展開は、義務教育内で育まれる知識でしょう。これらを踏まえて、お悩みの件を考えてみると「自分が排斥されそうな立場にある」という「鬼がおりました、村がありました」だけのお話です。
じゃあどうするのか、読者の皆様村人を殺してください、鬼って不幸ですよね読者の皆様やさしくしてください、鬼と村人が住むところを同じにするよう決まりを作りましょう、その他どんな物語を作るのでしょう。
選択肢は充分にあるのに、自分はないて苦しみ問題は放置、という物語を皆に聞かせたかったのでしょうか。
臭い消すんですか、臭っても居てくれって人になるんですか、臭いは仕事と関係ないだろといいますか、臭うだけで「くさいくさい」と業務と関係ないことを言うなと業務的に訴えますか。
他の残業してる人達の仕事が別にその日にヤラなくても良くてただただ無駄に残ってるだけなら正しいと思うが、
他の人がやってることがその日のうちに終わらせなきゃいけないことなら残って手伝えよ。
お前は会社に雇われて使われてるだけなんだから、別に「ここからここまでがお前の仕事」なんて何も決まってないだろ。
他の人間がやらなきゃいけないってんならお前も手伝えよ。
そうじゃないなら、皆が皆、その日のうちに終わってなくても定時で帰れるような風潮を作る。これならいい。
だが、
これは大きな間違い。
お前は組織の中で仕事をしてるだけ。仕事がはやい人間も遅い人間も居る。きちんとした会社ならその仕事の出来を評価してくれようが、
評価してくれない会社ならお前がそこに入ったんだからそれに従うしか無い。
お前個人ができるかどうかなんて関係ない。その組織として全体でどのくらい成果を上げるか、だけが重要項目。お前が先に「自分の分」(を勝手に決めてそれだけ)だけ終わらせて
他のものは、お前らが遅いからいけない、お前ら勝手にやれ、なんてどんだけ自分勝手だ?
そこまでわがまま言いたいなら独立しよろ。そうじゃないのにこの理論を賞賛するのはあり得ない。
別に社畜を賞賛しろ、って言ってるわけじゃない。その社なり部門なり全体で定時で帰れる様な雰囲気にする、ッて言うなら良い。
だが、勝手に「自分の仕事量」を自分で決めて他人に押し付けてやっていることは別に賞賛されることじゃない。
「自分の仕事」「他人の仕事」等、会社組織として見れば関係ない。お前は仕事を放棄して他人に押し付けて帰ってるだけだ、と言うことをきちんと自覚すべき。
その上で、自分は他人に仕事押し付けてでも絶対に残業しない主義、というならそれでもいいが、根本組織に属してる人間として考えがおかしいことに気づけ。
ちょっと近所の地域団体活動のイベントに関わったり、地域ボランティア活動に顔を出してみた感想。
まず1つは、構成員がほとんど定年後のじいちゃんか、専業主婦ばっかりで、誰もこの活動を通して(直接的にしろ、間接的にしろ)収益を得ようとしていないこと。アンタたちはたしかに年金だの旦那の稼ぎだので生活出来てるんだろうけど、これではそういうので生活出来てない人が入り込めないね。定年が延長され、定年の人が働く職場も増え、兼業主婦も増えてる現状、これで新しい人が入ってこれると思っているのか。
2つめは、この状況を誰もまずいと思っていないこと。
新しい人が全く入ってこないことを悔やむ人はたまに見かけるものの、それを自分たちの問題だと考えもしない。「最近の若いもん(※ 定年退職直後の人たちのこと)は、活動に見返りを求めてくる」とか、当たり前じゃないか。見返りがあるかも分からないことに時間を割くよりかは、なんとかして生活を安定させたいだろうよ。
3つめは、地域NPOだのの地域福祉活動をやってる団体が、そういう人たちをアテにしていること。
(そうじゃないところもあるだろうが)地域NPOだのの団体は、結局ボランティアが手伝ってくれることによってなんとか回ってる状態。そして、ボランティアは何をするかというと、基本的に地域NPOの有給スタッフと同じレベルのことだったりして。年金ってのはこういう地域ボランティアの給料じゃないかと思ったくらいだった。
不思議なのは、地区センターだの社会福祉協議会だのの職員には結構若い人も多いのに、そういう人が一言も現状の問題を口にしないことだよなと。
「最近地域の担い手(地域活動団体に関わってくれたり、ボランティアを手伝ってくれたりする人たちのこと)が少ない、どうしたらよいか」と口々に語る人はちょくちょく見かけるが、その先のことを聞いたことがない。
まあ、無償で手伝ってもらってるじいちゃんや専業主婦の人たちの目の前で言いづらいのは分かるが、ここまで隠していられるものだろうか。
そういう人たちが、ボランティアのイベントを企画して、ボランティアで集まってくれた人に「それでは皆さん楽しいボランティアを」と笑顔で言える心理がよく分からない。それとも、心の底では悲しんでいるのだろうか。
IT業界だって、無料のもので回ってる部分はたくさんある。有名どころのWebサービスだったら広告料なりプレミアムサービスなりでしっかり稼いでるから良いものの、オープンソースソフトウェアだのITコミュニティイベントだの、まったく収益を上げていないものも多い(オープンソースのものの中にはちゃんと収益が回るしくみがあってそのための手段として配布されてるものも多いが、そうでないものも結構な数があるはずだ)。
WindowsやMacのいわゆるフリーソフトの類いにも、本人の力量アピールでもなく自社有料アプリの導入でもなく、真に作者の趣味だけで製作されたソフトなんかも多いし、なかにはそこそこ知名度の高いソフトなんかもあったりする。自分も結局そういうソフトをたくさん見てきたからこそそこそこIT分野を勉強し、はてなで愚痴るくらいまではなったのだと思う。
だからこそ無償で活動することそのものを非難することは出来ない。ただ、この状況はそろそろヤバいんじゃないかと。
正直、日本にいる限り、そんな地域とはどこかしらで関わるんじゃないかと思う。どんなところで仕事してたって家に帰れば地域に関わることになるし、日常の買い物で一切地域と関わらないのは味気ない。もちろんネットで買い物するなり遠くの専門店に行くなり、地域の人間と一切顔を合わせない(あわせてもろくに話さない)暮らしも出来なくはないが、味気ない。なにより、災害時など何かあったときには結局地域の人と関わることになるわけで。
それに、地域の人たちがITに関わる人間を「自分とは全く違うタイプの人間」と思っている限り、何かあったときにIT技術なりアニメなり、主にああいう人らがあまり関わらない分野に関する誤解が解けない。
最近の「犯人はアニメオタク」なんかの報道も、遠隔操作ウィルス云々も、だいたい地域の人らがこういうIT技術なりアニメ文化なりに誤解ばかり抱いているからこういうことになるんじゃないかと。
だから結局、地域にはなんとかして関わらないといけないし、それはなるべく早いほうが良いんじゃないか と。
もちろん、なんとかして地域活動を収益化して、「地域活動でもやりようによっちゃ生活出来る」ようにしなきゃいけないんだろうけど。
与えられても、活用できないでしょ。その辺は上の世代も、中の世代も、下の世代も、ひっくるめて日本人には信用がないよ。
若い世代に権力を与えても、結局丸投げと同じようなことしか出来ないでしょ。
すくなくとも、若い世代には十分な経験がない。そして、経験をするだけなら今の仕組みでもできるが、経験をしようとすらしてないだろ。
権力を活用することの難しさすらわかってないから、権力や権限という言葉が出てくる。
俺の世代にもいくらでもいたよ。『俺のほうがもっと上手く出来る』ってやつ。だが実際やらせてみたら、もっとひどかったという奴だ。
彼らが悪いんじゃない、十分な経験をするシステムがなかったことが悪いんだ。
何度も言うが、日本に必要なのは経験やスキルだ。 口先でなんとかする力ではなく、小さくてもいいからその人自身が現実に作用させられる力だ。
何よりも大切なものを手に入れた。
同時に、今後一生、消えることのない憂いを背負って生きていくことも覚悟した。
覚悟なんて大げさだけど。
所詮自分の悩みなんて、例えば、不治の病を抱えた人に、そんなことでと笑われるくらいちっぽけなこと。
けど、もうこれから先、心から楽しんだり、声を上げて笑えることはないかもしれない。
心から笑えないのは不幸な症状だと考えていたのだけど、それでも、今はこの身を幸せだと思う。
誰か困っている人、苦しんでいる人の力になるためにその身を捧げている立派な人がいるけれど、
どれだけ力を尽くしても苦しむ人は尽きないと知っていたはず。
そうと知って、それでも何の憂いもなく、
可笑しいとか楽しいとか感情のままの笑顔になれる瞬間ってあったのだろうか。
慈しみの微笑みなんかじゃなく。
学校の30人学級でも影響力のある人と空気みたいな奴がいるのに
衆参あわせて700人もいる国会で影響力を持つなんて相当難しいだろうに。
タレント議員が選挙に通ったくらいで「これから何をやってくれるか見てみよう」とか言っちゃって。
何もできねーよ大抵は。空気で終わるんだよ。
俺らは1億2千万分の1だから、超小さい存在で、その何万倍も権力のある国会議員はきっとすごいことができるんだろうなと思ってるのかもしれないが、
それでも700分の1は無力。
せいぜい、20人くらいの党の党首であれば、その党が賛成するかどうかで成否が変わる法案とかの時に重要になってくるかもしれないが、まずその状況が来るケースがあまりない。さらに20人くらいの党の党首になること自体も相当難しい。
相手しないで寝ようかと思ったけど、勘違いされたままで気持ち悪くていつまでも寝れないので書いとく。
大体自称理系でまじめに授業受けて勉強してる自称国立大生が本気で勉強しなくても良いと思ってるってそれは日本語が通じないのか?
たぶんこれ俺が書いたhttp://anond.hatelabo.jp/20130619203416に対して言ってるんでしょ?
俺が勉強しなくて良いと思ってるなんてどこに書いてあるのか聞きたい。いや、なんかみんな勘違いしてるみたいだから俺の書き方が悪いんだろう。
むしろ俺は大学は大学として高等教育(研究)機関であるべきだと思ってるし、俺自身はそうであろうと一生懸命やったよ。意識高い系(笑)とか今は笑ってるけど、傍目から見れば俺もそんなやつだったんだろうな。あの頃の友達には「よく切れるナイフみたいだったw」と揶揄される始末。大学の授業は楽しかったし、他学部の授業もとったりして。でも授業受けるよりはやっぱり自分で調べて考えるのが一番楽しかったな。学術と言えないくらい幼稚なレベルだったけど、一緒に学術的な話ができるやつがいたらと思った。同じくらいの学年の人はほとんどそういうのに興味が無いみたいだった。他学部まで探せばもっといたのかもしれないけど、50人中2人しか話に乗ってくれる人を見つけられなかった(めんどくさい奴に付き合ってくれた二人には多謝)。大学生のころに見知った博士の知り合いはみんなそういうのが自然にできてて、勉強っていうものに嫌々やるものなんてイメージを感じなかったなあ。何を言っているのかはちんぷんかんぷんだったけど、物理やら数学やらいろんな分野のハイレベルな学問の話が日常会話でされるのは聞いてるだけでもほんと面白かった。まるで漫画やラーメンの話するみたいにそんな話をするんだよ。漫画やラーメンの話もしたけど。そういうところを見つけられただけ幸せだと思う。
本題より長くなっちゃった俺の思い出話は良いとしてさ、他のとこでも書いたけどこんなにいっぱい大学生がいて、みんなが一生懸命勉強するなんて図は不自然なんだよ。だから、大学生の大多数が望んで勉学に励む状況にするためには大学に来たがる人数自体が減らなきゃいけない。そのためには企業が学歴を重視しなくなって、その事実がみんなに広まらなきゃいけない。それは俺一人の力じゃどうしようもないし、みんなで一致団結したところでどうこうなるものでもない。考えの違う他人を変えるのは難しい。
勉強したくないのに大学に来た層っていうのは就職に有利とかそういうの目当ての人たちと、「みんな大学行くから俺も」な人たちで、それもやむにやまれぬことではある。就職氷河期のうわさは高校生でも聞くし、一度そういう流れができたらその流れに逆らうのは怖い。親からも小さい頃からそれこそ刷り込みのように、塾に行って、良い成績を取って、いい大学に入って、いい会社に入ってと期待されるしさ。
こんなこと書くとまた「当たり前のことをしたり顔で書くな」とかいわれるな。
何が言いたいかというと、「勉強しなくても良い」と思ってるんではなくて「こんなの絶対良くないし嫌だけど、勉強しないやつがいっぱいいるのもしょうがないよな、今の状況じゃ」と思ってるんだということです。回りくどくてごめん。
でもこれだけ大卒が増えたら、そろそろ学歴の価値がなくなってきて大学全入時代もおわるのではないかなあと希望的観測をしてるよ。
東京まで60分首都圏在住、33歳女。共稼ぎで世帯年収約700万。
リーマン・ショックを境に以前より下がり、元に戻る見込みはない。
自分が400万、相手が300万だから、出産すると一時的に年収が半減する。
男性側はお金に興味がなく、収入より自分の時間を大切にしたいタイプ。
完全にリミットが迫っているので、ライフシュミレーションを行い、
「育休1年ですぐに復帰すれば問題なし」とわかった。
ムリな前提……。ただ、無謀ではない。
今すぐ首都圏内で、家賃・生活費が安い場所(教育レベルは平均~高め)に引っ越すか、
育児休業制度が充実した有望企業に転職したほうがいい。それだけで貯金は一気に増える。
目安は年収400万(手取り23万、夫婦2人の年金生活者の年金支給額と同じ)。
http://anond.hatelabo.jp/20130526021902
http://anond.hatelabo.jp/20130528230001
の続き
2.中間者攻撃(man-in-the-middle attack)
ブラック企業は鉄壁の防御で僕等の希望を押しつぶすように見えるけど、たかが人の子の作りしもの。
必ず「人間」という弱点はある、というのが前回のあらすじ。
さて「釣りバカ日誌を参考にしてもスーさんなんて見つからないよ」というのが●●の壁。
順番が逆。
まず組織の偉い人にターゲットを定めて、アプローチする為の踏み台を探す。
例えば「お局様、『偉い人』が新人時代の世話役。口癖は『▲▲ちゃんも偉くなったもんよね』」とか
新人だったら「新人同期◆人で『偉い人』のお話を伺いたいっす」とか
ブラック企業の中で頑張ってもしょうがないなら、社外の偉い人をロックオン
とにかく人の力を借りて「1.なりすまし」に使える材料とアプローチする機会を探す。
これが二番目
(続く)
すごく悲しい出来事だと思うし、報道されてる事が事実であれば行政、支援者のみならず全ての人がDVの問題についてもっと考えたりするべきなんだと思う。
ただその、自身の経験からどうしても1点ひっかかる所があって、
その後、井上さんは実母や知人に金銭面の不安を訴えるメールを送っていた。母親は昨年10月、府警守口署に「娘が満足な生活ができていないかもしれない」と相談した。母親と署員が井上さんと会い、広島の実家に帰ることも勧めたが、井上さんは拒否したという。直後に、瑠海ちゃんと大阪市へ家族に無断で転居したという。
この部分、「なぜこの母親は実母、署員のヘルプを振り切り、無断で転居してしまったのだろうか?」
もしくは気づいていたとしてもDVをたいした問題と捉えず、母親にもう少し我慢しなさいというスタンスだった。
そこで母親は実母も自分の味方ではない、この人は頼れない、頼ってはいけないと判断し、
友人の力を借りて黙って引っ越すことにより夫からも実母からも距離を置いた。
最初にたどり着いた結論はこれ。報道されている内容が全て事実であればおそらくこんなところではないかと思う。
ただ今回の件、DVを働いたとされる夫側の声がどこにも書いていない。
この問題、もしかしてBPDが絡んでいたりはしないだろうか。
なんとなく気分障害の気分循環性障害っぽいなと思ったけど、素人判断は危険なので医者にかかろうと思ってるならかかったほうがいい。ただ大きな期待はしないほうがいいかなと思う。特に気分障害って難しいらしくてうつの薬だと躁転する可能性があって更にひどくなることがある(自分はそうだった)。気分障害について詳しい医者にかからないとなかなか寛解はしない。特に金循環性障害であれば限りなく性格に近いようなタイプの病気なので、行動療法で社会に合わせていくほかないという気もする。もちろんちゃんとした話はお医者さんの話を聞いてください。私は素人なので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%88%86%E9%9A%9C%E5%AE%B3
http://www.ipt-clinic.com/case/post_3.html
勉強するのは大好きだし、好きな勉強をさせてもらってるわけだし、やりがいを感じてすごく真面目にやる。
やればやるほどできるようになるのが嬉しくて、もっと褒められたくて、期待に応えたくて。
あれもやろうこれもやろうっていう気力に溢れてて、実際やる。そしてできる。
あれもこれもやれる気がするけど、やってはいけないよ。それが動けなくなる理由だと思う。こういう気質もしくは病気にかかっている以上少々の無理は絶対にしてはいけない。確かにリミッタがないので(いわゆる軽躁状態)楽しいし頑張れちゃうんだけど、そこをぐっと我慢するところから行動療法は始まると思ったほうがいい。
自分の場合、学生時代は頑張りすぎる→しんどくて動けなくなる→反動でまた頑張りすぎる→動けなくなるという無限ループを繰り返していた。動けなくなる時期に医者にかかったけど、頑張る時期になると本人治った(薬飲んでたし!)と思うのでまた頑張りすぎてその後ダウンする。
体の不調が出るというのは、体がもう限界だとおしえてくれているということだから、素直に従ったほうがいい。本当はもっとその手前で警告はでているんだけど、見逃してしまってるんだと思う。自分も未だによくわからないけど、本当に注意深く自分を観察すると、食事が適当になってたり、朝起きるのが辛くなったり、肌が荒れ始めてたり、毛穴が開いてても気づかなかったり、美容院に何ヶ月も行ってなかったり、部屋の片付けをめんどくさく思ったりと兆候は出ている。個人的には植物を育てていると、割とこういう自分の変化はわかりやすいと思う。学生時代は植物をすぐに枯れさせていた。元気なときは水やり忘れるか水やりすぎるし、動けないときは放置するから。
結局寛解したのは社会人になってからだった。四月から八月まで新人教育で定時に会社に行き、定時で帰って(五時とか)、ご飯作ってお風呂入って遅刻するのが怖いので10時半から11時には寝て、土日はきっちり休むという生活をしていたら、いつの間にか生きていくのがそんなに大変じゃなくなった。もう五年目になるけど、時期によっては終電で帰って定時にきて休みなしということもあるけど、昔のようにダウンすることはあんまりない。たまにだめだーと思ったら潔く二日くらい休む(うちの会社がそれをOKとしてくれてるのもありがたいんだけども)。暇になる時期に一週間くらい休んだりね。
人の力を借りたって全然いいんだよ。全然構わないし、だいたいの場合みんな許してくれる。周りの人達ってそんなに意地悪じゃないし、むしろ優しい。私もかなり暗くておとなしくて地味なタイプだったけど、やることやってれば信用はしてもらえる。というか他の人は結構適当に手を抜いてるし、そんなに頑張らないから、だから肩肘はらなくたっていいんだよ。休みたければ休みな。それで行きづらいなっていう気持ちだけ克服して、休んでごめんね疲れてたんだって正直に言えばいいんだよ。それで何か嫌なことを言ってくる人は、単なる嫌なやつだから気にしなくていい。
ここ数年、このくらいの時期になると、4月からの頑張りが燃え尽きたかのように学校に行けなくなる。
勉強するのは大好きだし、好きな勉強をさせてもらってるわけだし、やりがいを感じてすごく真面目にやる。
やればやるほどできるようになるのが嬉しくて、もっと褒められたくて、期待に応えたくて。
あれもやろうこれもやろうっていう気力に溢れてて、実際やる。そしてできる。
それが、この時期になるとまず体の不調が現れる。
暴力的な眠気、と私は呼んでいるのだけど、自分の意思とは関係なく強制的に二度寝させられるような感じ。
何も考えられなくて、寝ること以外の全てのことがあとまわしになる。
実は一度、睡眠導入剤?とかいうのを飲んでみたことがあるのだけど、あのとき感じた、眠いというよりは気を失う感じ、あれに近い。
まあ、体の不調っていってもそんだけ。
あとは、起きてる時間も頭がぼーっとしてるのが、精神的に結構辛い。
大抵、体力的にかなりきついスケジュールをこなしたあと、布団から起き上がれなくなるところから始まる。
眠いから寝ます、とは言えないから、体調不良です、と言って休む。
最初は「一日寝れば明日からは学校に行ける。みんなに心配かけちゃったし、元気なとこ見せて大したことないよごめんねって言わないと!」って思ってるんだけど、次の日もその次の日もずるずると休む。
体調不良を言い訳に休むことに味を占めている、と言われたら言い返せない。
でも信じて欲しい。私は決して、勉強が嫌いではない。学校に行けば楽しく勉強ができることを、私は知っている。
なのに、休んでしまったことが負い目になって、だんだん人と会うのが億劫になる。
後ろめたくて、連絡も取れないし人としゃべれない。部屋が散らかる。洗濯物がたまって着るものがなくなる。
どれか一つでも疎かにすると、後ろめたさから他のことにも消極的になる。
そうなるともうおしまいで、完全に昼夜逆転生活・コンビニと家の往復しかしない引きこもりのできあがり。
もともと人と接することは苦手だったけど、ここ数年は自分でいろいろ試して変わったと思ってる。
先生や同級生、先輩後輩と話すのが楽しい。バイト先の人とも笑顔で話せる。
私のことを「暗すぎる」って言った、昔のバイト先のマネージャーに見せてやりたい。
いろんな人に仲良くしてもらえているからこそ、もう人の信用を失うようなことはしたくないのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。
人と良好な関係さえ築ければ、学校休みがちになるようなことはないだろうって思って、少しずつ変わってきたのに。
残業含めてもほんの5時間弱の勤務。本来なら、学校で講義や実習を受けたあとに行くはずだったバイト。
今日はそんだけしかしてない。なのに、足を動かすのが辛いくらいに疲れてる。
風呂に入る気力もないから、さっさと寝て明日の朝起きて入ろうと思うのに、寝たら今度は明日の朝起きられないんじゃないかと思っちゃって眠れない。
ぐちゃぐちゃ考えるならせめて文章にしてみようと思って増田立ち上げてみた。
これまでは、医者にかかるまでもない、自分でどうにかしなきゃならないことだ、っていう認識だったから。
でもな、大学編入し直して、周りともうまくやれてて、今年はいける!と思ってた矢先にこれなんだよ。
このままじゃやばい。でも今ならまだ間に合う。
間に合うから、少しカウンセリング受けたり?漢方処方してもらったり?して、人の力を借りてもいいのかなって、最近思い始めた。どうなんだろう。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/medical/655528/
こうした新型鬱の記事について、声高に「甘えだ!」という人がいるが、正直どうかと思う。
実際のところ甘えかそうでないかは知らんが、現実として仕事が手に付かないほどパフォーマンスが低下し、それを本人の力ではどうしようもないという状態なのは事実なのだ。それを根性論でどうにかできないから問題なのである。「個体差です」で説明できないほど最近症例が増えてきたから問題なのである。「甘えだ」ということを本人が自覚して自発的にパフォーマンスを改善できるのならばそもそも問題にはならない。
したらば、他人の手を借りて業務改善をしようと考えるのは、個人的には健康的なことのように思える。
山田教授は「従来型の患者には『頑張って』などの言葉は禁句だったが、新型は別。
様子をみながら、ハッパをかけるような対策も必要だろう」と話した。
いいんじゃないだろうか?成人にもなるとハッパをかけてくれるような親切なひとはそういない。カウンセラがその役目を引き受ける、いいじゃないか。よくなるどうかはしらんが。
現実問題、私も自分で自分のモチベーションやパフォーマンスをうまくコントロールできないと感じることがままある。
「自称:非ゆとり世代」の方々はこうした「甘え」をどうやってコントロールしてきたのだろうか。
煽りではなく割と切実にそう思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130226135757
元増田は数字ベースでやっているので、俺は経験談ベースで行こう
医療保険は、後遺症が残る病気かかると、その後継続を拒否される事が多く、さらに支払いのタイミング歪んでいるから本当に必要な時まるで役に立たない。
日本人の死因第一位は癌、第二位は心臓だが、第三位は脳卒中(←肺炎に抜かれて死因では第四位になっていたようだ)三大疾患と言えば、癌、心臓病、脳卒中だ。この中で最新の厚生労働省患者統計によると、一番患者数が多いのが脳卒中(脳血管疾患)である。年間172万人が入院している。死因第一位だからといって癌がクローズアップされがちだが、癌の入院患者数はおよし151万人であり、癌よりも脳卒中の方が入院患者数は多い状況である。
この脳卒中と言う病気は恐ろしく金がかかる。癌より金がかかる。まず脳梗塞の場合倒れてから手術、急性期が終わるまでで医療費総額数百万医が必要になる。パック一つで数十万という薬がばんばん使われる。
当然高額療養費制度のお世話になるわけだ。さらにリハビリによって長期入院が必要になることが非常に多い。最大で180日で毎月毎月医療費総額で数十万かかることになる。
ここでリハビリをやらずに退院させると、患者に良くないのはもちろんなのだが、今度は介護の方に負担が大きくなって全体として金がかかる。従ってきっちりリハビリする方が良いと言う流れができている。
これだけ長期入院になると高額療養費制度があってもお金がかかって大変だから医療保険は必要か…そんな風に考えていたことが僕にもありました。長期間入院していると、家族の方も金がかかって大変なので、ここで医療保険が必要だという事になるのだが医療保険は大抵60日で打ち切り。それ以上は支払われないので本当に苦しくなってからはほとんど役に立たない。
さらに、後遺症が残ったとする。脳の病気は症状の違いこそあれ、間違いなく後遺症がのこる。しかし、巷で宣伝されている一般的な医療保険は、要支援認定がつくと多くの保険は継続できず保険には加入できなくなってしまうケースが多い。(当然ながらより保険料が高くなる特殊なタイプにはまだ加入は可能だ)
癌もそうだが、脳卒中も再発が多い病気だ。だいたい半数の人が再発を起こす。障害は基本的に蓄積する。再発の時の方がより症状が重くなることが多く、対処は難しくなる。入院も長期化する。残る障害も大きくなる。こう言う場合にこそ保険は必要だ。しかし、こうなった時には多くのすでに医療保険は継続できずに打ち切られており毛の先ほども役に立たない事が多い。
必要な保険は今医療保険として売り出されているものとは全然違う保険だと思う。入院1日目から対応される必要など無く、入院が長期化した場合にこそ必要である。1回目は保険が効くが、2回目は出ないのではなく、2回目こそ備えが必要である。
さらに言えば、退院するときに必要な設備費にもお金が必要である。介護保険があるのでそこからの住宅改修などの費用は出る。またベッドや車いすなども補助を受けることで安くレンタルできる。しかしそれらは非常に大まかな制度の中でしか利用できず、自己負担もまとまるから、一ヶ月分の医療費支払いよりも金がかかる。また、患者の症状に応じた、たとえば自宅でリハビリを続けるための運動器具と言ったものは補助の対象にならない。だからそういったものは自費で賄う必要がある。しかしこれらは出ない。さらにこれは制度的な部分でどうにかするべき話なのだが、介護保険は認定が出て、支払いが開始されるまでのタイムラグが存在する。実はこれが非常に問題で、家庭で設備を整えてから退院しなければならないのに、病院を退院するまで介護保険が出ないと言う事になってしまう。手続きを取っておけば後で支払われるにしても、一時的に自分の金でなんとかしなければならない事になる。では、現状はどうなっているかというと、介護保険対応の介護用品取扱業者が支払い見込みにより一時的に立て替えたりしてくれる。非常にありがたいこれで制度の谷間の補完ができた? いや、実はこれは副作用がある。実はこれのおかげで、一般価格よりも高い保険対応の業者を使わざるを得ないと言う事情が発生して業者のいいなりになりやすい。できる限り自立してほしいということで、設備を最小限にしたいとする。しかし業者は制限一杯レンタルした方が儲かるので、よりたくさんレンタルしたがる。これは患者のためにならないことも多い。 ここで業者のいいなりにならぬためにも金が必要である。
現状の医療保険は本当に役に立たない。
入る必要があるとすれば、十分な貯蓄を貯める事ができず、さらに緊急融資などを依頼できるだけの信用が得られない期間にスポット的に入る場合だろう。貧困層はいざとなれば行政の支援を得られるので無理してはいる必要は無いし、それ以上は普通の医療保険を用いればいいので入る必要は無い。
これらが必要なのでは無いかと思う。いずれも制度の谷間で、一人の力ではなかなか乗り越えるのが難しい部分であるからこう言う所をカバーする保険が欲しい。保険というのは、確率は低いものの、いざその状況になったらいわゆる「積む」という状態になる事を避けるために存在するわけでこういった保険は開発できないのだろうか。またこれらであれば、おそらく確率的にはそれほど高くないので、保険料も安く抑えられるはずだ。
どうもこの元増田についているブコメにもあるけれど、趣旨が理解されてない感じがするのでちょっとだけ。
要するに、元々は健康保険によって
と言う形でリスクが抑えられている。健康保険に加入している限り、これ以上リスクは増大しない。この健康保険で押さえられているが、それでも残るリスクをさらに低減するために医療保険の支払い額は似合っているのか、と言う話なのだ。ヘッジできたリスクも含めて元を取れているかと考えると言う事。
それを数字的に計算したのが元増田で、経験談として書いたのが俺というわけ。
短文過ぎて理解するのに時間がかかったが、要するに保険が支払われたのならば加入していた事により、保険料として支払った額よりもプラスになっているはずである、と言う主張だろうか。
「病気になって保険のもととれたんだから保険を肯定しなければおかしい」こんな馬鹿なな主張をしていると言うことにまず気付いて欲しい。次に、情報として、本当に致命的な事態には役に立たず、それに保険料が似合っているかと言う事をよく考えるべきだと言う趣旨である。またきちんと計算をしてみないと分からないが、備えとして有効なのは、1ヶ月程度の別の病気を複数回繰り返すと言ったレアケースのみであると考えられる。
ここまでわかってるなら、そういう保険に入ればいいんじゃねーの?
そういう保険があるなら教えて欲しい。
民間医療保険と公的医療保険をネットで考えたとき、果たしてどうなるかというと、皆さまの大嫌いな税金、保険料という話になって帰ってくる、という話だと思われます
違う。民間医療保険があるから公的健康保険の保険料が低減されていると言う事実は無い。民間医療保険はかかった費用にかかわらず支払われるタイプと、手術などのかかった費用に支払われるタイプがある。
前者は完全に公的健康保険とは別であるが、後者においてはかかった費用は自己負担額に応じて支払われるため、この場合でも公的健康保険の支払い額は減らない。むしろ民間医療保険の再保険として公的健康保険制度が機能していると言う性質すらある。
「高齢者も含めて計算した生涯罹患率の平均で、50歳までの罹患率はたった2%。」←ガン保険って、この2%の人のためにあるものだと思う。
高額療養費制度が知られていないことを利用した保険商品ではなく、適切に設計された重大な病気にだけ対応した医療保険に加入していた場合は、現状の医療保険よりも保険料は安く、さらに手厚い保証を受けられていた可能性が高い。
日本は"公的"医療保険で全カバーが原則。"共済"とかをプラスαで使うなら良いんで無い?差額ベット代目当て(がんは支払日数無制限)とかね。まあ、自営業で体壊して「経営者保証で資産全滅」時の"家族への保険"かな。
これは医療保険のカバー分野ではなく、就業不能保険、あるいはその他の損害保険がカバーする分野かと考えられる。また自営業で金をかりると、通常銀行が保険をかけてくるはずなので廃業しなければならないほどの致命的な疾患を負った場合、そちらで借金が支払われる可能性が高いのでは無いか。
つうか保険って勝つためじゃないでしょ。大負けを防ぐためじゃないの。
大負けを防ぐための仕組み「高額療養費制度」が既にあるので大負けはは無い。そのような状況で保険をかける意義があるのか、と言う話。
2回目以降の保障が欲しいのは同意だけど、それが1回目の保障も不要とはならないでしょ?増田も自分で書いてある通り、高額医療費だけじゃカバー出来ないんだよ。
賭けられる資金は一定であると言う事を無視されては困る。1回目のリスク、2回目のリスク。どちらがより大きなリスクであり備える必要があるかと考えたとき、かけらるリソースを考えたときどう適切か。そして多くの保険は高額療養費制度への無知・誤解を利用してバランスが悪い商品になってしまっている。こう言ったものは役に立たない。
1回目の保証については普通に生活している分には賄えるように制度設計がされているので高額療養費制度でほぼ足りる。低所得者の場合、高齢者世帯なら最小負担額1万5000円、70歳以下だ34500円まで減額される。また臨時の資金需要には、生活福祉資金貸付制度もある。これらの制度があっても一時的に払わなければならない自己負担額が賄えない場合ならば、このような形態の保険でも有効だろう。しかし、そこまで困窮している世帯に月々の医療保険料を支払う余裕があるのか、と言う根本的な問題があり、ここにゆがみがある。
なんか論旨が行ったりきたりしている。死因と医療保険は微妙に関係ないと思うし・・・必要な保険の姿をちゃんと考えてるのはいいと思うけど医療保険じゃないものも含まれてるし
いろいろと伝えたいことがあるので詰め込んだら分かりにくかったかも知れないが、多くの方は理解してコメントを残してくれているので、読んでみて欲しい。
死にそうな病気ほど金がかかるのが現代の医療なので死因と治療に高額な金が必要になる。脳卒中は近頃、患者数の低下以上に死亡者数がが低下しているがこれは高度化した医療によって救われているが、高度化した医療はタダではない。では手遅れの場合はどうなるか。癌などの場合はホスピス医療が保険医療に含まれていて推進されている。これからさらに広まることだろう。
医療保険ではないものが含まれているとあるが、医療保険がおかしいと言う話をする時、現状の医療保険の枠内で語らなければならないと言う制限は適切では無いと考える。
思い浮かんだのは父親だったので電話して助けになってほしいと思ったが、
返ってきたのは人の話も聴かず分かろうとせず、スパルタ一点張りだった。
だから分かったのは、
だから心身ともに鍛えることにしたし、引き受ける負担を減らすようにした。
自分の生命維持という命題について他人の力をなるべく借りないようにした。
100%にはできないけどね。
死にそうだから助けて!と叫んでも助けてくれる人なんて居ないかも知れない。
まあ、今思えば、もっと適切な相手に助けを求めればよかったんだと思うが、
それだけ信じていたからこそ、辛かった。
かかわるのをやめた。
アフィリエイトなんぞで食っていこうとするのは、競合が多すぎて結局個人の力では月10万円稼ぐのも難しい。
当たり前のことだが競争相手が少なく潜在ニーズがある商材を見つければ客は向こうからやってくる。
ポイントは
2.仕入れ値と売価の差額で儲けるのではなく、製造元の販売を助けてインセンティブをもらう。
だからこそ、そこで頑張れば食えるのだ。
当たるかどうかわからないWebプログラムをチクチク作るよりは
一つでも売れたらその瞬間に製造会社にとって貴方は籠もりながら「その会社の営業マン」にステップアップできる。
利益さえあげられれば、その会社の足で稼ぐ旧いタイプの営業マンよりよほど必要とされる人間になれる。
(本当に簡単に・・)