はてなキーワード: 人の力とは
「男は女に偉そうに振舞えるが逆は困難」だからじゃないの?
普通に収入なり社会的地位なりが男>女なカップルや夫婦は、大抵二人の力関係も男>女で、男の方が偉そうに振舞っているけど
逆の場合女が偉そうにしているかと言うとそんな事はなく、女が男に凄く気を遣ってる。
そうなる理由は、女は男に仕えるべき的なジェンダー意識とかそういうものもあるだろうけど
例えどんなに収入なんかで女が男を上回ってようと肉体的な力は男の方が圧倒的に上だから、ってのが根本的な理由じゃないかと思う。
人間、自分よりでかくて力も強い人間に対して強気には出られんよ。
暴力が行われにくい衆人環視な環境ならまだしも、夫婦は基本的に家庭という個室で暮らすわけだし。
でもって収入なりetcが女>男なのに力関係は男>女な夫婦は、女が恋愛感情に酔っていたり共依存気質だったら成立するけど
そもそも自分より劣る男に恋愛感情を抱く女や、共依存メンヘラなのに収入etcなどは高い女と言うのが少ない上に
そういう女もふと「何で私は自分より劣る駄目男のご機嫌を必死で取ってるんだ?」と言う気分になったら続かないわな。
男に偉そうに振舞えるのであれば、下方婚でも良いと思う女はいると思う。
創作の世界であれば「高スペックな女が可愛くて従順な男と付き合う」的な話は存在するしね。
でも現実じゃ無理。
http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/10/31/223934
http://b.hatena.ne.jp/entry/skky17.hatenablog.com/entry/2014/10/31/223934
「単純に考える」ということの意味を分かってない人って多いのかねー。
「難しい問題を単純に考えたら失敗するだけだ」みたいなこと言ってる人を見かけたんだが、まったくそんなことないから。
「難しい問題を単純に考える」ことができる人こそが、その問題を解決に導くんだよね。
単純に考えられないってことは結局その人の力量が不足してるってことなんだよ、ほとんどの場合。
たとえば素人さんにはとても手が付けられないような複雑な事件も、実体法をしっかり勉強して要件事実も学んだ法律家であれば、かなり単純な要素に切り分けることができる。
だから、(俺は読まないけど)自己啓発本とかが「単純に考るのがよい」と言ってるなら、それ自体は正しい。
ただ、「単純に考える」という行為自体は簡単な事でもなんでもなくかなりの修練が必要である、という事実を隠蔽してるだけでね。
【追記】
俺が見かけた分かってなさそうな人(の一人)がやってきてて笑った。
単純に考えることと大雑把に考えることとは違うって説明してるんだけど、案の定分かってないなあ
先日ついにretractされたNatureのSTAP論文2報だが、著者の数は8人と11人。作ったSTAP細胞からマウスを作るためには第一人者の若山氏の技術が必要だったという。多くの人の力を借りたというが、揮発性の高い人物が紛れ込んだおかげで、連鎖で理研を木っ端微塵にする大爆発を起こしてしまった。
Obokata H., Wakayama T., Sasai Y., Kojima K., Vacanti MP., Niwa H., Yamato M., Vacanti CA., Retraction: Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency. Nature, 2014. 511(7507): p. 112.
Obokata H., Sasai Y., Niwa H., Kadota M., Andrabi M., Takata N., Tokoro M., Terashita Y., Yonemura S., Vacanti CA., Wakayama T., et al., Retraction: Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency. Nature, 2014. 511(7507): p. 112.
一方、後にノーベル賞をもたらした山中博士のiPS細胞の論文がCellに載ったのは2006年。著者はたった2人。どんだけこの筆頭著者の高橋氏は頑張ったんだっつう話。このエレガントさにはあらためて驚かされる。彼らもiPS細胞からマウスを作り出したはずなのに、他に共著者がいないってことはやろうと思えばこれだけの論文が二人で作れるってことなのだろう。
Takahashi, K. and S. Yamanaka, Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell, 2006. 126(4): p. 663-76.
過酷な体験によって(幸か不幸か)成長した、大人びた部分。
研ぎ澄まされた、その突出した部分は、ときに、過酷な体験を知らない並の大人の届かない場所まで、軽く突き抜けていく。
その突出した部分に、過敏に反応する大人がいる。大人気(おとなげ)なく。
「その一部分において」突出しているからという理由だけで、未成年を有無を言わさず大人の土俵に引きずり込み、大人の力で叩きのめす。
反射的に感情的に馬乗りになって殴りつける。
確信犯ならば、おそろしく底意地が悪い。
年長者としてきちんとナイフの使い方を教えるということと、出る杭を冷やかし傷つけ滅多打ちに打ちのめすことでは、根本的に意味が違うだろう?
「美味しんぼ」の鼻血問題に、一般人はもとより、政治家や官僚までもが釣られているけど、
(むしろそう言いだす人をなだめる立場の人の方に、個人的に同情する)
いくら取材したとしても、これだけの大きな問題は、個人の力では限界があるし、自分の都合のいいように解釈したら、どうにでもなる。
実際に「風評被害だ!」と言っている人がいるということは、ある一面では事実ではないことは明らかだ。
しかも瞬時にその声があがったし。今まで取材してきたのは何だったのか。
つまり、あれに描かれているようなことは所詮はフィクションなのに、それに対してカリカリするのは馬鹿らしいと思わないのだろうか。
むしろそれをあたかも真実のように見せかけたことが問題。これは佐村河内問題にも通じる。
労組活動をさんざんやって、団交しようとしたら誰もついてこず、クビになったらしい。
そんな話はどうでもいいんだが、スピリッツ編集部はたぶん『美味しんぼ』の打ち合わせも原稿チェックもやっていない。
「できない」と言ったほうがいいかもしれない。人から聞いた話だけど、俺は「さもありなん」と思ってる。
さすがに福一取材には編集が同行してると思うが、花咲アキラ先生は間違いなく行ってないよな。
まあ全く打ち合わせ抜きで仕事をするのは無理なんだが、今後は編集部との綿密な打ち合わせのうえで中途半端な落とし方で終わるという予測はおそらく外れる。
よく言えば作家本位。悪く言えばプロデュース能力もマネジメント能力もない。
小学館の編集者には、たまに凄腕の人がいるけど、ノウハウが共有されていないし、横の連絡も悪く、結局個人の力量以上のことはできない。
労組活動をさんざんやって、団交しようとしたら誰もついてこず、クビになったらしい。
そんな話はどうでもいいんだが、スピリッツ編集部はたぶん『美味しんぼ』の打ち合わせも原稿チェックもやっていない。
「できない」と言ったほうがいいかもしれない。人から聞いた話だけど、俺は「さもありなん」と思ってる。
さすがに福一取材には編集が同行してると思うが、花咲アキラ先生は間違いなく行ってないよな。
まあ全く打ち合わせ抜きで仕事をするのは無理なんだが、今後は編集部との綿密な打ち合わせのうえで中途半端な落とし方で終わるという予測はおそらく外れる。
よく言えば作家本位。悪く言えばプロデュース能力もマネジメント能力もない。
小学館の編集者には、たまに凄腕の人がいるけど、ノウハウが共有されていないし、横の連絡も悪く、結局個人の力量以上のことはできない。
はてな界隈の「少子化は由々しき問題だ」という論調に流され、ふと試したところ、本当に子どもを授かってしまった。
何度もシミュレーションして、30代の平均年収以下(首都圏在住・フルタイム正社員・年収300万円台)でも、
今と同じ、「共稼ぎ」を一生続けることができれば、資金面では不足はないと確認した。
逆にいうと、一生涯働き続ける覚悟がなければ、もはや産み育てられないほど、「子どもは金持ちしか持てない贅沢品」だ。
庶民には、手が届かない高嶺の花。一人はともかく、2人以上は高所得者だけの特権。
しかし、それでも、比較的安全・平和な国、日本に女性として生まれた以上、
大学進学、就職、結婚(結婚式・新婚旅行)、そして出産・子育てという「人生のフルコース」を味わいたいと思ってしまった。
子育ては、コース料理の最後の「デザートビュッフェ」のようなもの。食べる/食べないは、個人の好み。
次々と新しいお菓子が出てくる「デザートビュッフェ」は、一度、足を踏み入れたら欲望が止まらない、半エンドレスなステージ。
そのためには、女性であっても、仕事に熱心に取り組み、配偶者に頼らず、自分一人の力で子どもを育てるという強い覚悟が必要。
ただ、実際に体感してみて、今の日本で少子化が進むのはやむを得ないと感じた。
「つわり」と総称されるさまざまな身体変化・不快感は、仕事と両立しない。
検索すると、どうやら、かなり軽い部類らしい。軽度でもこんなに不快なら、重度の人はまったく仕事にならないだろう。
少子化対策として、育休・産休取得者1名につき、国が相応の補助金を出せば、企業側の負担は減り、一般社員は、会社の業績や人員配置を気にせずに報告できる。
誰でも思いつくような、こんな簡単なことがなぜできないのか。
もう一つ、雑誌やインターネット上のエセ科学に辟易した。妊娠したらオーガニック推奨、健康に気をつけて、ではなく、
年齢や性別、体調を問わず、「健康的でストレスのない生活」を送れるようにするべき。
不安につけ込む関連ビジネスのカモにされている感は否めない。結婚式を含め、こういう独特の雰囲気が嫌いな人も多いはず。
未婚化・少子化の隠れた要因の一つかもしれない。
では、ここで冒頭の主張に立ち返る。
“戦う相手は他でもない自分であって、「運命や人の力の及ばないものに対して己は無力である」と折れそうになる自らの心と戦わねばならない。”
このように主張していたのを覚えているだろうか。
反論の趣旨を要約してみると、心的外傷により精神的余裕を喪失させられた人間は戦う事などできない、だって人間は感情の生き物だから、というものであったように思う。
しかしながら、精神的余裕の発露と、精神的余裕の喪失とは、実は表裏一体でもある。
王の死を悲しみピラミッドを作る。
これらはいずれも精神的余裕の喪失と表現する事もできるが、また同時に、精神的余裕の発露と表現する事もできる。
巨大な墓を建築するのは、巨大な喪失の表現であるのと同時に、巨大な余力が残されていた事を示す。
生死の境においてなお迷信を恐れるのは、迷信への恐怖の大きさを示すと同時に、迷信を気にする余裕が残されていた事を示す。
つい悲しんでしまうのは、悲しむだけの余裕があるという事。
つい恐れてしまうのは、恐れるだけの余裕があるという事。
コップには水が半分入っている。まだ半分も残されているのか、もう半分しかないのか。これは主観と表現の違いでしかない。
よって、人の心にはいついかなる場合でも己の心と戦うだけの余力は残されている。
無為無気力となった人間の場合は、これは己の心と正面から向き合い戦うことを避けた結果陥った症状であるがために、そもそも己の心に敗北する機会すら得られず、よって心を折られることも無い。
最近、失恋したので、次はもっといい人を見つけようと思い恋愛講座だの復縁講座だのを読んでいる。
その中に女性の考え方、モノの伝え方、男の考え方、モノの伝え方が書いてあったので
もし、今恋愛がうまくいっていない人がいたら参考になるかもしれないと思い、書いてみる。
必ずしも、すべての人がこの考え方をするわけではない、ということを念頭において欲しい。
女性は…
おしゃべりによって、自分の気持ちを整理し、ストレスを発散する
誰かに世話を焼いて、その結果、誰かの調子が良くなることに喜びを感じる
世話を焼く事が当たり前だと思っている
男性と付き合うと、その男性を「立派にしなければいけない」「外で恥をかかないようにしなければいけない」
「男性はこうしてくれるべきだ」と、教育委員長またはお母さんになりたがる。
男性は…
悩みがあるとまず自分の中に閉じこもり考える
一人で解決することが、自分の自信につながる
常に自分の力を信じ、誰かからそれを否定されると激しく拒絶する
悩み事を聞くと、指導者になりたがり、具体的な解決方法を指示しようとする
その結果、誰かがうまくいくと、自分の自信に繋がる
誰かに求められ、頼られる事に喜びを感じているが、失敗をとても恐れている
自分で判断する、という選択肢を与えられる状態でないと、拒絶をする
女性→男性へ相談する場合、ただ女性は男性に優しく話を聞いてもらう事だけを望んでいる。
決して解決方法は求めていない。
女「会社の上司が口うるさくて、仕事がぜんぜん進まない」=だからとっても疲れているの、癒やされたい。抱きしめて欲しい
女「そんなことできない、だって~~(上司の上司とは面識がない、会社に居づらくなったらどうしよう 等)」=この人はなんにもわかっていない
男「じゃあ転職すればいいだろ!」
女「あなたって本当に何も考えてないのね!」=そういうことじゃない、大丈夫だよ、次の休みは気晴らしに食事にでも連れて行って欲しい!
となる。
男は「そうか、それは大変だね」「おつかれさま」と女性の目を見て
「僕は君が大変なことは分かっている」という姿勢を見せる。
決してゲームをしながら、鼻をほじりながら、女性の相談(という名前の愚痴)を聞いてはいけない。
男「……」
女「何か悩みでもあるの?どうしたの?話してみて」
男「なんでもないよ」=自分一人で解決できることだよ、君の手は煩わせないよ
女「なんでもないことはないでしょう?言ってみてよ、解決できるかもしれないから」
男「ほっといてくれ」=君が口うるさく聞き出そうとしなければ、考えはスッキリまとまって解決出来るよ
女「どうしてそういう態度なの?あなたはいっつもそう!大事なことは何も言わないで…」
女性は「お母さん」になりたがらず、世話を焼かず、男性がきっと悩みを自分の力で解決できると信じているという姿勢を見せる(見せなくてもいい)。
口うるさくしたい気持ちをこらえ、そっとしておいてあげること。
そして、男性が悩みを解決し、気分が晴れたら元通りの環境で迎えること。
仕事をすることで、家庭がうまくいき、女性も幸せになれると信じている。
恋人(または妻)と生活しているとき、恋人(または妻)は無条件に50点分何かを尽くしてくれるべきだと思っている。
だから、家庭で黙って50点分のサービスが受けられないと、女性を非難し、サービスしない女性に対して減点する。
男性は、日常の小さなこと(例えば家事の手伝い等)に対し、女性が感謝し自分に加点してくれているとは思っていない。
または、仕事の50点プラス、家事手伝いの10点をプラスし、女性に対して大きな貸しを作った、と考えている。
そして、クリスマスのプレゼント、誕生日のプレゼントにはそれぞれ金額や手間のかかり具合に応じて30点をプラスする。
それを女性に対しての貸しだと思う。
女性が加点するのは小さな家事の手伝い(掃除、電球の取り替え、ゴミ捨て、ちょっとした買い物)である。
そして、いつも自分に気を配り、優しい言葉をかけてくれること、先回りして家事の手伝いをしてくれることに加算する。
誕生日やクリスマスなどのプレゼントも、小さな手伝いも総じて1~3点で収まる。
ようは、大きさではなく頻度の問題。
なぜなら女性は常に「言われなくても気がつく」ことが美しさだと思い、また自ら実践しているため、
何も言わなくても愛情を注いで、自分のことを考えて、先回りしてエスコートしてくれることを求めている。
だいたいが本の受け売り。
以前書きなぐった増田がいきなりホッテントリ入りしたのでびっくりしました。
ブコメにいくつかお返事を。
内容云々は置いといて、「車のコピペ」の解釈って実はもう一つあるそうな。(電話口で女性は早く迎えにこい言わせんな!!とイラついてる)
共感を得たいのとともに、女性は相手の話から裏を読んだり先回りして何がして欲しいのか、オブラートに包みまくって伝える考え方をします、ということです。
女性同士の会話ですと
B「え?リップ持ち歩いてるのー?」 ←ここでだいたい、Bは自分の唇を触ります
A「うん、1000円したんだけど、す~って伸びるし」 ←持ち歩いてるので見せます
B「へー…」
A「あ、ヤじゃなかったら試して~」 ←お母さん的おせっかい&彼女の唇カサカサを解消してあげたい!
…分かりづらいですね、すいません。
この例えはわかりづらかったですね、本の受け売りなのですが、だいたいがすでにお付き合いを始めている、同棲または結婚しているカップルが該当します。
出典先は最後にまとめて記述しますね、本は今手元にないのでページ数はご容赦ください。
あくまで傾向。頭でっかちにならないよう気をつけよう。
はい、あくまでも「傾向」でありますが、知っているのと知らないのでは全く違うと思います。
私はこういったいわゆる恋愛本を知らずにン十年生きてきたので、目から鱗がポロポロ落ちました。
もちろん、「そうかなぁ?」と疑問を持つこともとても大切だと思います。
こういう性別論ではほぼ賛同を集めることがないわりに、世の中の男女は確かにこんな感じで回ってるところを見ると、みんな演じてるんだなあって思うな。
「ゆきこ道」という恋愛系ブログを読むと、女性の恐ろしさが分かるかと思います。
男性である、女性である、という他には「恋人である」「母親である」「父親である」「子供である」という様々なペルソナを持って社会は回っているのですね。
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた
そんな若者がいる。
初めてさわったティッシュはやわらかくていい匂いがした。
だって生まれてこのかた暮らしが良くなったことなんてないんだもの。
…とはいえロイヤルファミリーを倒す術なんて今の自分にはないもんな。
聞くところによると資本主義も現界に来てるらしいけど、
社会主義よりはマシなはず。すでに時代遅れなのは重々承知だけどもやらないよりはマシなはず。
…とはいえ俺1人の力じゃムリだな。同志を見つけなくちゃ。ご近所のアイツを説得してみるか。なあなあ今の体制に不満ない?このままでいいのかなぁ?
…そうかなぁ…いや俺こないだ日本人の友達と話してさー話聞く限り資本主義も捨てたもんじゃなさそうなんだ
なにいうか!!将軍さまのご英断にケチをつかるつもりか!国家の恥だ!非国民め!!
…そうかなぁ…気分悪くしたらごめんね。でも思わない?このままだとこの国やばいんじゃないかなぁ。日本のこと教えるからさ、ちょっとだけ聞いてくんない??
うるさいっ!そんなものは必要ない!お前は今の生活でなんか困ることあるのか!!毎日笑って暮らせてるではないか!!これ以上の生活を望むのか
たしかに笑ってはいるんだけどさぁ…たとえば俺いっつもお腹すいてんだ。もうちょっと暖かい場所で眠れたらなとも思う。それって贅沢かなぁ
贅沢に決まってる!!そんなことつべこべ言わず黙って昔のやり方を踏襲すればいいではないか!ずっとこのやり方でやってきたんだ!お前の考えは危険思想だ!!場の空気を読め!輪を乱すんじゃない!!上のもんの言うことは絶対なんだ!!
…そっかぁ…ごめん。たしかに俺が間違ってたかも。ごめんね。でもなんだかこのままじゃヤバイ気がしてさ。みんな限界を見て見ぬ振りしてるだけなんじゃないかって。思考停止してるのは楽なんだけどさぁ。でもたしかに輪を乱しちゃったねごめんね。
というのがここ2、3日の実感。
なんだか疲れてきちゃった。
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。
しかし、多くの心ある方々が学会誌を擁護してくれているそうで心強くある。
ああいう表紙にして、実際に売上が伸びたという事実以上に強い擁護はない。
このリンクから人工知能学会のサイトへ飛べるので、そこから購入手続きをしてもらえれば幸いである。
http://www.ai-gakkai.or.jp/journals_of_jsai/
では、以下にこの件が女性差別でない理由をまとめていく。
ネット上の発散しがちな議論を一本にまとめたつもりだが、個人的な解釈の違いからくる間違いが含まれるかもしれないことは断っておく。
まだロボットは人間の決定に文句を言う権利を持っていないが、この絵に差別を感じられるのは当事者であるロボットだ。
つまり、この絵にどのような意味が込められていようとも人間の女性への差別には当たらない。
これに女性差別を感じるならば、それはロボットを人間だと曲解した上での議論である。
実はロボットだったとしても、外見がここまで女性的である以上言い訳にすぎないのではないか、という言い分も理解できないこともない。
だが、仮に絵の中のロボットが腰にケーブルをつけているだけの人間の女性だったとしても、そこに差別的な表現を読み取るのは難しい。
批判しているようなごく一部の人を除いて、この絵を見た時のリアクションは
「あ、かわいい子が掃除サボって本読んでる・・・あれ、これロボットなの!?」
数十年後の未来、なんの変哲もない日常生活の中に浸透した人工知能の姿を読者に届けるという目的に合致している。
女性の品性を貶めよう、人権を侵害しよう、男性と同じ権利は与えないようにしよう、といった、差別を助長しようという意図がないのは明らかである。
おそらく問題視されているのは差別ではなく、古くからある偏見が強化される恐れだろう。
例えばこの絵を見た人は
「XPのサポート終了にすら対応できない日本人は技術革新についていけず、遠い未来においてもほうきで掃除する」
「なんだって!日本にはこんなかわいい掃除ロボがいるのか!俺の国には太ったババアしかいない!ファック!」
といった偏見を強化される恐れがある。
(なぜか問題視されているのは最後の一つだけであるが・・・特に3番目の例は今後深刻な話になっていくだろう。日本人は損しないかもだけど)
それは確かに問題なので、断り書きの一つもつける必要があるだろう。
「たばこの吸い過ぎは健康を害する危険性があります」っていうのと同じ程度に。
ドラマの最後にだって「この物語はフィクションです」みたいな断りを入れる。
今回の場合は、
「表紙絵の女性はロボットであり、いかなる人種、個人に対する差別、偏見を助長する意図はありません。また、表紙絵の中で使われている技術や生活用品は現在あるものを基準に描かれており、未来の技術の発展の様子を予測するものではなく、このような女性形ロボットは未だ開発途中であり一般家庭に普及しているわけではありません。」
といった断り書きを小さく裏表紙の隅にでも書き込むべきだった。
そういった怠慢への批判は甘んじて受けるべきだと思うし、今後生かされていって欲しいと思う。
ここから先は生産性のない議論になるので読み飛ばしてもらっていい。
一言で言えば、自分の姿にコンプレックスを持っている人が、そのコンプレックスを刺激されて爆発したというだけの話なのだから。
今回騒いでいる人は、社会正義のために声を上げているのではなく、とにかく不快になったという人の方が多く目につく。
目立った批判を集めて一つにまとめるとこうなる。
「なにこれキモッ!
男の女を支配したいって欲求むき出しじゃん!
家事なんて、そんな底辺の女がする仕事なんて私はしたくないし、私はそんな底辺女とは違う。
これで『女性はかくあるべき』なんて偏見が助長されたらますます仕事がしづらくなる。
汚らわしい。
私は絶対そんな、男に媚びるような女にはならない。
そんな都合のいい女いるはずないのに、今度は人工的に作るとか言い出しやがった。
男の欲望の思うがままにされるためだけの女性が人工的に作られるなんて、同じ女性として気が狂いそうになる。
それを日本の人工知能研究の主流と取られかねない場に乗せるなんて、死ねエロ猿ども!
なんの反論もございません。
全員がそうとは言わないまでも、確かにそういう流れは存在すると思う。
だが、それは差別ではない。
男性の性欲についての話だ。
おしとやかで従順で決して逆らわないようプログラムされていて家事炊事で甲斐甲斐しく世話をやいてくれる女性が好きだと言って、なぜ女性全体を差別していることになるんだ!
不快になった人は単にお前は俺の好みの女じゃない、と言われただけだと気づけ。
学会誌の表紙でそんな恥ずかしいカミングアウトをするなという批判はその通りだ。
「私はこんな風潮は間違っていると思う!個人的に嫌いだ!」
しかし、実際には個人的な不快感でしかないものを差別という絶対的な社会悪と結びつけて主張している。
しかも主張の内容は男性に性欲を持つなという、無茶苦茶なものだ。
そんな主張、そのまま出しても鼻で笑われるだけだ。
だから差別という、絶対反論できないお題目を掲げて主張するのだ。
自分の力ではなく、他人の力におんぶで抱っこで議論をしようというのだ。
俺はそんな卑怯者に払う敬意など持ちあわせていない。
もちろん女性蔑視などしていないが、そういった卑怯な女性ははっきりと軽蔑する。
だいたい、女性側が専業主婦にひどい差別意識を持っていない限り、こんな主張は出ないのだ。
これは述語論理を使えば数学的に証明できるのではないだろうか。
一方、普通の男性は専業主婦に差別意識を持っていないから、何が問題なのか分からない、そもそも問題など存在しない、と思うわけだ。
一体どちらが差別主義者か。
もし、彼女らの専業主婦への差別意識が、自発的に生まれたものではなく人から刷り込まれたものだとしても、
それはこの絵を書いた人や表紙に採用した人ではなく、あなたにそう言った人に直接言ってくれ!
まず単なる個人の不快感を差別という文脈で語るのが許せないというのは先に述べた。
それに加えてこの件のおかしなところは、仮に表紙絵のロボットが性奴隷に従事させられていたとしても人間の女性に被害者は一人も居ないということなのだ。
これは「非実在青少年の人権」などという存在しない権利をもって、言論の自由を制限しようとした表現規制へと直結する流れだ。
そんなロボットを作りたいと願うのも、当然自由だ。
なぜなら、それにより女性の権利はまったく損なわれないからだ。
にも関わらず、これを差別だなんだと、表現規制をかけたり、無意識の差別、つまり考えることすら規制しろとか言う人すらいる。
それを表現しないなら、内心の自由として憲法でも保証されている。
その自由を脅かすのは、まさに人権侵害だ。
歴史に汚点を残して1000年経っても記録に残るぞ。
だいたい、差別と言っても、身の回りの人物から家事を強制されるとか、そんなもんだろ。
そんなの個人の話し合いで解決しろよ。
なんのために口がついてんだ。
そこを差別問題として取り上げて、もしなんらかの法規制が行われたらどうなると思うのか。
個人と個人の間にある、個別の問題にまで規制が踏み込むことになったら、どうなるのか。
最終的に行き着く先は「少子化対策のために20代の夫婦は毎週3回セックスすること」なんて法律で規定されるような社会だ。
本当にそんな社会になっていいのか?
いいという人が国民投票で2/3を超えたらそれに従おう。
しかし、そうじゃないだろう。
本当にそんな世の中になったらみんなが不幸になるだろう。
ならば戦うしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
↑のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131227195049
家事って卑しいの?
http://anond.hatelabo.jp/20131227201943
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
http://anond.hatelabo.jp/20131227220739