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2015-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20151210155008

第一に一般人に行き渡る前に政府規制するハメになる。

たぶん業界団体とかが「一般市民が最新技術行使することは憲法に定められた権利だ!」とか言ってロビー活動をして

ある程度一般に行き渡るかもしれないけど、かえって悪用されて逆に規制の方向に世論が動く。

米国の銃問題をなぞる事になると思う。

きっとヒーロー法規制されてマーベルのシビル・ウォーみたいになる。

第二に最新技術を持ってしても個人の力では組織に対抗するのは難しい。

攻殻でも9課も組織支援がなきゃ簡単に捻り潰される。S.A.C1期の最後みたいに。

同じ技術レベルじゃ1人じゃ3人に勝てないのよ。

ただヤクザとかマフィアの武装が高度化するとか、PMC正規軍よりいい装備持ってるとかは起こりえるかもしれないけど。

2015-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20151026183014

最悪の場合エロい目で見てなくてもそう思われるなんてこともある

これは本当にこの状況があったとしたら、相手が悪いから、堂々と生きてください。あと人に伝えない・実行しない以上、妄想妄想で終わらせる事ができる、罪にならないというのは相手にとっても同じ事。

相手がどう考えるかの自由は、相手にある。増田がそこまで深読みして、心をいためる事ではない。

セクハラを止められないのも、どこまでがセクハラかわからないのも、経験が足りなければ無理もない。そして男女共に、若いうちはそういう経験は足りなくて普通加害者同調しないだけでも充分だと思う。

つの日か、「セクハラで傷ついている」と誰かに相談された時に、全力でその人の力になってあげれば、それでいいと思う。

2015-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20150930033613

女は女自身1人の力では幸せにも裕福にもなれないんだ。

ビッチ美人金持ちに好きなだけ贅沢をさせて貰え楽しめる、だが増田の様な男を拒絶する女は男にも女にも攻撃される。

結局の所、女の容姿というのはどのレベルの雄まで捕まえられるかの指標でしか無い。

当然底辺から上限までの男が寄って来る。

底辺の男やライバルの雌から守ってもらうために強者男性に取り入って生きるしか無いのだ。

2015-09-29

自己肯定感も、誰も始めから上手く持てるわけでは、ないんだろうと、思う。

http://anond.hatelabo.jp/20150929000832

自己肯定感も、誰も始めから上手く持てるわけでは、ないんだろうと、思う。

から、助けて貰って、小さなところから肯定しあうのだと、思う。

赤ちゃん幼児の時に受けるべき愛情というのかな。

話をただただ聞いてもらう経験が、少なかったのかもよ....

トレーニング経験だと、思うよ。

自己肯定感自分では、持てなくなるぐらいの自己否定を繰り返してきたんだろうと、思います

私も、そうです。

カウンセリングとかを受けてますか?

 

自分一人だけの力で、自己肯定感を持つことが、辛いことが辛い。

普通の人の感覚だと当たり前のことが、出来ていない。

その状態を、続けていても、回復は出来るのかな?

まり、一人の力で、自己肯定感を持つことが理想だし、目標とすべきところで、現状はそうでないままに成人をしたわけですよね。

でしたら、それも、人の力を借りるってことですよ。

その絵を褒めてくれる人や、ここで、ポジティブ意見をくれる人の言葉に、こそ耳を傾けるのが、良いと思います

  

増田で、ブックマークで400集めるってことも、それだけ、アンチも含めて認識されていると、言うことだよ。

これって、すごいんじゃないのかな?

水準以上の文章力があるってことだよ。

  

余計なお世話かもしんないけど。

病院を変更するかセカンドオピニオンを受けてみたら、いかがでしょうか?

2015-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20150909011540

いいことを教えてもらった。

立食パーティー全然うから、流れをぶった切るけれど。

私は無理に、社交性をあげようとして、こじらせてしまった気がする。

キョロ充」って言葉があるけど、正にそれだ。

  

  

子供の頃から自分感覚に自信を持って話せていない人は、

ー社交性を高める話し方。

内面を見つめて、気がつく話し方。

両方を、高めた方が長期的には良いように思う。

社会性がないことで、悩んでいる人というのは、(私の場合だけど)

自分性格能力を案外、正確に把握できていないことが、多いように思える。

他人からみた自分の外面と内面とのギャップがあるために、「こんなつもりでないのに」

と思って、ズレてしまう。

心理的カウンセリングや悩みの相談なんかだと、

自分でも自分で話してから始めて気がつく自分がいる。

「あれ。私、こんなこと話している。本当は、こんな気持ちだったのかなって」

自分人の力では、知識や経験では、答えが探せないから、困っている。

また、自分人の力では、何が問題になっているのかを把握できないから、困っている。

  

素直な自分では、社会的な場面では、通用がしないが、

信頼できる人との話では、素直になる方が、良いと思う。

  

 

2015-08-28

柳に雪折れなし

25年前のおれよ。お前はよく頑張った。

お前のその経験は、お前の心を豊かにして、お前を優しい大人に育ててくれた。あの時よくそこで踏みとどまった。他の誰も知らないことだけど、おれが一番良く知っている。

からおれが誰よりも褒めてやる。

お前はもう少しで一つの言葉出会う。

から一歩も家を出ず辞書を読むのが好きだったお前だからできたことだ。それが「柳に雪折れなし」という言葉だ。

この言葉が、世の中に負けまいとがむしゃらに理論武装してますます自分を追い込んでしまったお前を救ってくる。

流れに流されるでもなく流れを押し返すでもなく、受け入れて受け流す。柔軟なもののほうが剛直なものより耐える力があるということを知るんだ。

逆を返せば、剛直なものがいつ割れるかもわからない危うい存在であることも知る。いじめる側の人間も、実は弱い人間だということを知るんだ。

その後しばらくして、もう一つの言葉、「水は高きより低きに流れ」という言葉にも出会う。上善如水といったほうが馴染みがあるかもしれない。

物事は全て下へ下へと流れてくる。低きにいることは決して悪いことではないのだ。高くに上り詰めることに疑問をもっていたお前に、それが間違いではなかったことを気づかせてくれた言葉だ。

水はすごいぞ。

どんな姿にも形を変え、人の生活を豊かにする。その実、一度暴れ始めれば人の力ではどうすることもできないほどの力を持っている。

固く閉じこもる必要はない。そのことがむしろ自らを危うい存在に追い込んでいるとしたら、お前はもっといい加減でいいんだ。

それでもお前は、そのあともいやというほどの苦労をする。

あの頃のお前は選んでいるようで流される生き方をして後悔をしていた。良からぬ方向に知らず知らずのうちに進んでいたんだ。

でも心配するな。それがあったからこそ、お前は「中道」という言葉意味を正しく理解することができる。「中道」とは、何事も偏りがないことが理想だということだ。あの頃のお前は、生まれ環境が特異だったせいで、この言葉を信じ普通でいよう努力していたはずだ。

ところで、平均台の上を歩くことを想像してみてほしい。両の手を閉じて歩くのと、広げて歩くのとではどちらがバランスを取りやすいだろうか。

当然手を広げたほうがバランスは取りやすいのだ。つまりは、狭い見識や経験ではバランスよく歩くことは難しいということだ。

極端な考えや生き方は悪いものではない。極端だと感じたら戻ってくればいいのだ。そうして極端な考えや生き方をしたもののみが、両の手を広く広げるかのように安定したバランスを養うことができるのだ。

誰に遠慮する必要もない。お前はもっと大胆に、もっといい加減に生きていいんだ。

他人自分の都合に合わせて人を褒めてくるから気をつけろ。褒められなくても気にするな。褒められても喜ぶのはほどほどでいい。

まら衝動で人を傷つけてしまうだろう。それを許してもらえなくても気にするな。最善を尽くしたなら、あとは相手に事情があるんだ。

疲れたら休め。少しくらい逃げでもいい。それで力がたまったらまた頑張ればいい。

そうして頑張ったなら他でもないおれが褒めてやる。

大丈夫だ。諦めずに探していればいつか必ず見つけられる。

努力全てが実るとは限らないが、今のおれは少なくともお前の努力の結果でここに立っている。

心配するな。あの時のお前は今のおれにこれほどまでに愛されている。

2015-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20150811092918

宮﨑 駿 は常々今作ってるものおもしろいのか自分ではわからないと不安を語っていた。

ピクサーの本を読むとその不安を多数の人の力で越えようとしてる。

全部を背負い込むのは極めて日本人的だなと思った。

2015-08-03

カフェウンコ問題

先日、飯田橋で用事を済ませた俺は一休みするべく某チェーン系のカフェに入った。

そこそこ広い店内には落ち着いたBGMが流れ分煙もしっかりしていたので嫌な思いは全くなかった。

トイレに入るまでは。

入店してから30分を経ると店内の冷房アイスコーヒーで体温が下がったせいか、大便の気配を感じ迷うことなトイレへ。

あいにく先客がいたものの、3分ほど耐えて個室に入るとそこにはなんとありのままの先客のウンコが。

「なんだよ、流してから出ろよ」と悪態をつきつつレバーを押した瞬間、すべてを悟った。

固くて動かないのだ。

動かない、というのは大げさな表現で本当に動かないわけはない。

思い切って力を込めれば流すことはできたのだが、老人の力では厳しいだろう。

先ほどすれ違った先客はたしか老人だった。

とりあえず自分も出すものを出し(漏らしてないです、ごめんなさい)席に戻り店内を眺めてみると

無難内装ではあるが建物自体の古さが目についた。

パッと見はごまかせてもトイレダメさでケチってる印象がついた。

今の時代どこの店も年寄りがメインの客になっているのだろうから、せめてウンコくらい簡単に流せるようにしておいてほしい。

トイレメンテナンスくらいちゃんとしとけ。

あとこれは推測というか願望だが、数年以内にカフェレストラントイレの清潔さやショボさが食べログとかで掲載されるようになってほしい。

2015-07-23

姉の問題解決能力が高過ぎる

子供の時から姉は問題解決能力が高過ぎた

うちの親はすぐに子供従順にさせるため困らせるのだがそれを切り捨てて1人の力で解決してしま

先日、姉の就職が決まって就職保証人になって欲しいと姉が頼んだのだが親が拒否した

そこで頭を下げてお願いと言って欲しかったのだろう

しかし姉は大学生で有りながらあっさりと保証人代行業者に金を払い保証人を手に入れた

きっとこれからも続くのだろうな

2015-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20150705032222

上手い理屈をつけて反論は出来ないから感情意見を言わせてもらいたい。

まれてこない方がいいと思うことは、社会全体から見たら生産的なのかもしれない。

健常な労働者が1人増えるわけだ。だが社会全体から見たら1人の力の影響は微々たるもの

誤差のレベルしかない。

あなたの街の人口は何人ですか?日本人口は?世界人口は?

そのうち障害を抱えた方の割合は幾らですか?

1人の存在些細な問題です。少なくとも世界にとっては。

もちろん、あなた自身やご家族にとっては悩ましい大きな問題だろうと思います

社会全体の問題よりも、もっとずっと大きな問題なはずです。

私は、あなたあなた自身を含めた障害者の方達が生まれてくるべきか否かと、

考えてしまうことが、非常に勿体無いと思う。

私なら、生まれて来たんだから何か人の役に立つことをしよう、人の役に立てる人間になろう、と考える。

そう考えるようにしている。

私もあなたと同じように、生まれてこない方が良かったという思考に囚われた時期が有った。

でも、そんな風に考えると前に進めなくなってしまう。

思考が狭く狭く自分の殻の中に閉じ込められて行くような感じがして生きる気力が湧いてこなくなる。

から自分誰かのために出来ることはなんだろう。

まれてきて良かったと思えるように出来ることはなんだろう。

そう自問自答して、日々の行動に移すようにしている。

しょっちゅう躓いて、後ろ向きなことを考えて、時々死にたくなっても。

私は歯を食いしばって、這いつくばって進んで行こうと思う。

2015-07-04

splatoonで勝てなくなった

昨日のフェスであまりにボロ負けしたので申し訳なくなってそっとWiiUの電源を切った。

ブキはシューター自己最高はウデマエB+80くらい。今はC+まで落ちている。もともとB+のウデマエは無かったんだと思う。

落ちた原因は分かっている。

Cに居た時は、勝てるか勝てないかはブキの偏りやランクの偏りなどの「チーム運」と思っていた。

しかしBくらいから自分が頑張れば勝てる、というのが分かってきた。活躍できれば勝てて、できなければ負けた。

自分人の力で勝っていた、という意味ではない。

一人一人がちょっとずつ頑張って相手を倒せばそれだけ隙が生まれ勝率が上がる。

死なずに倒せれば勝てる。当たり前の事だけど。

どんどん、勝てる試合自分がキルした数が多かった試合になっていった。

最高で20キル台も出した。

そこからどんどん落ちていった。


明らかに焦りすぎてたんだと思う。

つの間にか「とにかくキルしないと」となって、無茶な撃ち合いが増えた。

ネギトロ炭鉱マップに加わった時、そこで見事に連敗し、ウデマエはあっという間にC+まで下がった。

一体何が悪いのか?と反省した結果、無茶な撃ち合いが原因と考え、

相手を倒す、ではなく、死なない、姿を表さない、一箇所にずっと居ないを心がけて、別のマップでBまで戻せた。

しかガチヤグラで再びC+に転落。

そのままフェスでもボロ負けして今に至る。

まだ焦ってるんだろうか、そんなことは無いはずなんだけど

なんか段々splatoonをやるのが苦しくなってきた。

2015-06-15

勇気を出して話をしたのに。

最近の悩み。

私は、口下手だ。

感情量と表現力とにギャップありすぎるのだろう。

内面で感じていることに対して、言葉になることが、少ない。

自分の感じたことだが、頭で整理をして、口に出して話すことに、自信が持てない。

  

適応障害うつ状態)になって、昔の友人から職場の人から色々と悩みを聞いてもらっている。

話をしている。

  

悩み事を人に打ち明ける。

あなたのケースは、重いね

あなたのお父さんが亡くなられたことは、知っていたけど、まさか、死因が...そういうことだったとは、知らなかったよ」

そんな(ある種、期待通りの)温かい言葉を掛けて貰えると、嬉しい、話して良かったなと思う。

私としては、ほっとする。

口下手なりにも、通じて良かったなと。

  

でも、その後のアドバイスが、

「色んな人と話した方がいいよ」とか

「頭を整理するには、人に話す方がいいよ」とか

機能不全家族の下に生まれた人でも、大人になってから克服は出来ると思うの。だから、話してね」

なんか、結局、話せって言われる。

もちろん、今まで、人に症状が軽い段階で、話すことが出来ていたならば、状況は変わっていたのかもしれない。

私一人の力では、にっちもさっちも、いかなくなったので、適応障害になった。

いざ、病気になっると、周りも理解を示してくれて、私の話に耳を傾けてくれるようになった。

そこで、話すようにしているのだが。

サボってた訳じゃなのに、な。  

かなり整理して、良く考えてから話をしているつもり。

(だから、以前とは、違った回答や反応も、もらえている。)

  

からこそ、そうは、言われたくなかったな、と思ってしまう。

 

勇気を出して話したのに、これで、終わりたいと、思ったのに。

また、色々な人に口下手だと悪口を言われて傷つくリスクを犯したくはないのだ。

これ以上の失敗はしたくない。

これ以上、傷つきたくないから、話をしたくないのだ。

   

話題としては、自分家族の重い話でなくとも、世間話でも結構、気を遣う。

そう、私は、世間の人に気を遣って生きてきたのだ。

それなのに、報われないのは、コミュ障だったからだと、気がつき始めた。

何か、良いことを陰で行っても、見ている人は見ていたのだが、

思いの外、仕事評価ってそんなに高くない。

報連相が出来る方が、やっぱり、いいのだ。

ちょっとした立ち話で、打ち合わせを、さっと済ませることの出来る器用さが、重宝されるのだ。  

  

でも、私にとって話すということは、困難を伴うことなのだ。

心の中のハードルが、高い事柄なのだ。  

  

前は、口下手だったのに、良くなったねって言われたいのかな。

2015-05-25

努力とつかれ

がんばることに疲れた

正確に書くと、体はまるで疲れてないのだけど、頑張ろう。まだまだできる。まだ成長が足りない。と気持ちが先走りすぎて心ががんばることに疲れている。

 

 

自分にはまだ力量がない。

まだまだ成長はできる。

それならやるしかない。

そう思ってギリギリまで努力することにした。

から誘われた飲み会や食事を理由をでっちあげて断り、一人でひたすら自分を成長させようと意気込んでいた。

 

 

具体的な目標として「今年度中に1人の力である程度の額を稼げるようになる」ことを目標としていた。

正確にはもう一つ根本的な目標があって、それをするためには家にいる時間もっと作った方が効率的だと思ったのでこの目標を立てた。(もともとネット関係の知識と技術は多少あったので、それを伸ばすチャンスとも思い)

 

最初こそ意気込んでいたからひたすらにパソコンの前で作業していた。

電車に乗って移動しているときは新しいものを学ぶ時間にした。

バイト先は基本自由なところだったので、早々にやるべき作業を終わらせて残りの時間を作業に費やした。

日が経つごとにどうにも体が動かなくなる。

ライフハックの本を読み、遠い先の目標よりも5分後の目の先の目標からやっていった方がよいという文章を読み、それを実行しながらゆっくりとまた進んでみた。

 

 

ただもう体が動いてくれようとしない。

頭ではやらなきゃと思い日々のto doリストを見てやれることはないかと考えようとするけど、あまりにもだるすぎてなにか検索することすら億劫だった。

食欲が尽きないしいくら寝ても眠い

どうにかしないとと思って朝日を浴びてもどうにもならない。(今思うと単純に朝日を浴びるだけなら気持ちいいのだけれど、作業をしなきゃ、起きなきゃと思って朝日を浴びるとただ暑いだけだった)

 

 

 

(当たり前だけど)頭の考えと心が感じることってやっぱり違うんだよなってとても実感した。

自分キャパシティを理解してその中で行動して考えて、徐々にそのキャパシティを伸ばせればいいんだなと思った。

 

楽になる人生を歩むための布石を用意するのはいいことだ。

ただ、その布石を用意するために自分の心を削りすぎるのは頭がよくないし、自分によくない。

 

その日が来るまで

ゆっくり自分を磨いていくことがなによりも大事なんだと。

それをまた忘れないようにもするためのつぶやきでした。

 

2015-04-30

すぐ隣で誰か死ぬ

正義の為に人は、人を殺す。

権力を持った革命家馬鹿であることはあまりない。

頭が良いから権力を持っている。

所詮、個人の力や、単純な金の力だけでは、

権力を築けないから


彼らはなぜ人を殺すのか。

戦争をするのか。


それは、

今すぐそばで同志が死ぬからだ。

銃で撃たれて死ぬのではなく、

ナイフで刺されて死ぬのでもない。


同志は、

圧倒的な自由主義によって、

絶望的な格差によって、

平等とは程遠いパワーバランスで、

経済政治で殺される。

東南アジアにてTシャツを量産し、

先進国ファッションを満たしたとしても、

圧倒的な為替の差、

圧倒的なビジネスモデルの偏りで、

ファーストフード店で1時間も働けば1つのTシャツを手に入れられる先進諸国の人々と相対して、

彼らは1日中働いてもそのTシャツを手に入れられるかどうかわからない。

出来上がった格差の元に、

目の前で同志が死んでいるとしたら。

富は更に強固な富を作ろうとする。

その格差をもはや正攻法では塗り替えられないとしたら。

彼らは戦争という革命を選んでしかるべきではないか。

勇者よ、世界を半分やろう、仲間にならんか。」

それでも勇者は断った。

正義の為に。

半分でも断るんだよ。

今、先進国が、

発展途上国提示している条件は、

半分どころか数分の一か、数百分の一か。

そんなもの、当然に断って断固革命を目指すだろう。

これは、グローバリズムの片りんだ。

暴挙(だと思われる行動)を起こす人を馬鹿だとみなすことは、

そこで思考の停止を生む。

なぜ起こすかを深く考えて、

その背景をたどらなくては、何も解決しない。


何も解決をする気の無い人々に操られれてしまう。

すぐ隣で誰かが死ぬという想像力を以て、

このグローバル社会を生きなくては、

隣にいる最愛の誰かを自分の手で傷つけてしまうことになる。

大きな力にはあらがえないが、

大きな力の中で自ら考え、自ら行動することはできる。

から

しっかり考えよう。

2015-04-10

人の力量を正しく見る事と、人を敬うことは話が別。

人の尊厳尊重することと、人の力量を正確に判断することは別物。

人の力量に対し、過小評価過大評価もせず、

正確に力量を見ることは、当たり前だけど重要

でないと、仕事もなにも出来ないでしょうと言いたいんだけど…

これがわからない人(人の能力を見抜けない人は)は、

毎度毎度、この人、仕事できないな~と思う。

で、ある人に対し低い評価をしている、というのは、

見下しているのではなく、あるがままに事実を見ているだけだし、

その事実を見ない方が不味いよねって話…。

みんな同じじゃない。平等の履き違えほど嫌なものはない。

能力の低い人もいれば、高い人もいる。

繰り返し言うけど、

どんな人間でも畏怖の念を抱くことと、人の能力を正確に把握するのは別物。

人を正確に見抜き判断することに、心理的な嫌悪感を持っている人いるけど、そんなんだと、人を見る目をいつまでも養えないだろうね…

2015-04-09

あなたはまっすぐで

あなたはいつもまっすぐで

穏やかな春の太陽のように誰に対しても優しい人だった

あなたは優しすぎるがために

ときどき静かに傷ついた

そんなときあなたはわたしにだけそっと弱音をはい

それでもまっすぐであろうとし続けるあなたにわたしは惹かれた。

私はどこか曲がっていて

壊れたラジカセのように不完全な存在だった

できることなあなたのようにまっすぐな人になりたかった

それでも私はどこか曲がっていた

そんな曲がった私にあなたは惹かれた

あなたと初めて結ばれたのは4月の冷たい雨の降る夜だった

あなたの部屋で酒を飲んでいたわたしたちは、どちらからともなく自然キスをした

あなたの少し緑がかった瞳はまっすぐに私を見つめていた

私は目を閉じてあなたに全てをゆだねた

最初はお互いの唇の感触を確かめるように、そして次第にねっとり深いキスをした

かすかな雨の音と、2人の深い息遣いけが部屋を包み、まるでこの世界には私達2人しかいないかのような錯覚に陥った

あなたはわたしの腰を抱き、服の中に手を入れて背中を優しくなぞった

わたしはあなたの頬から首筋、背中へと指を這わせた

2人の呼吸はだんだん荒くなり、あなたはわたしのカーディガンブラウスボタンをそっと外した

あなたの指がわたしの背中をなぞり、首筋に優しくキスされると、ぞくぞくするような昂りを感じた。

2人は狂ったように抱き合い、互いに欠けたものを探し求めるように愛しあった

あなたは潮の満ちたわたしの海に潜り、わたしは全身であなたを受け入れた

それはもう絶望するぐらい幸福時間だった

一生分の幸せを使い果たしてしまったような気分で、死んでもいいと本気で思った

その夜を境にあなたと私の間には何かが生まれ、同時にそれは崩壊に向かって時を刻みはじめた

北極海氷河が少しずつ溶けるように、ゆっくり

世界ほとんどのものは前と何も変わらなかった

相変わらずあなたはまっすぐで

わたしはどこか曲がっていて

冷たい雨の音はあなたが果てたあとも当たり前のように続いていた

それからわたしはいつも土曜日の夜にあなたの部屋を訪ね、2人で酒を飲んでセックスをした

それはいつも絶望するぐらい幸福時間だった

あなたはは毎回新しい発見を与えてくれて、けしてわたしを飽きさせなかった

欲するままにあなたはわたしを求め、わたしはあなたを求めた

身体を重ねるたびにわたしたちはどんどん惹かれ合った

セックスのあとわたしたちは裸のまま眠くなるまでいろんな話をした

好きな映画音楽のこと、昔の恋人のこと、近所のまずいラーメン屋のこと、行ってみたい国のこと、上司不倫相手の話とか

わたしはあなたとそうして過ごす土曜日の夜が大好きだった

夏と秋が過ぎ去って冬がきて、また春がきた

相変わらずあなたはまっすぐで

わたしはどこか曲がっていて

あなたとのセックス絶望するぐらい幸福時間だった

ただそれだけだった

相変わらずセックスのあとにわたしたちはいろんな話をした

妹が留学したこと、近所の野良猫事故で死んだこと、宇宙の端っこはどうなってるかということ、いちばん美味しいパスタの食べ方は何かということ、上司不倫がばれて離婚した話とか

思いつくかぎり、ありとあらゆる話をわたしたちはした

でも不思議とわたしたちは、2人の未来についての話は全くしなかった

1度だけあなたはわたしに聞いたことがあった

君が未来のことを考えるときに、少しでも僕の姿があるのかと

わたしはそれにうまく答えることができなかった

わたしにはあなたとの将来を想像することができなかった

もちろんあなたのことは狂おしいほど愛していた

心も身体もあなたを求めて、壊れてしまいそうなほど

でも、2人が互いを求めて愛し合うほど、あなたとの間にある目に見えない透明な壁のようなものをわたしは感じた

あなたのことを知ればしるほど、惹かれれば惹かれるほどその壁は重く、冷たくわたしとあなたあいだを阻んだ

なんというかそれは、2人の力ではどうしようもない種類のものだった

わたしは、あなたのX軸にどれだけ近づいても、永遠に交われない反比例曲線のように

あなたの隣で虚空を彷徨った

あなたはあまりにまっすぐすぎて

どこか曲がったわたしはどうやってもあなたと寄り添えなかった

あの冷たい雨の降る夜、あなたとそうなるべきでなかったのは、わたしには最初からなんとなくわかっていた

でもそれはどうあがいても変えようのない運命であったような気がする

近所の野良猫事故で死んだことのように


人間は欲望の奴隷である


あなたはどこまでもまっすぐで

あなたとのセックス絶望するぐらい幸福時間だった

さようなら

2015-03-25

日本沈没させる

http://alfalfalfa.com/archives/7857181.html

見た。作者と同じように「沈没すればいいんじゃない?」と思っている人は多いはず。

から、みんなもっと「どうやって日本沈没させるのか」を真摯に考えるべきじゃないのか?天変地異を待つのではない、人の力で!

日本円紙くず同然にする。

領土紛争については争わない。譲渡させる方向に。

米軍を完全撤退させる。防御を手薄に。

政権暴走させ、戦争大国に仕掛けさせる。

TPPなど不平等不利益が想定されることこそ諸手を挙げるべし。

文化を断絶する。表現規制を推し進める。最終的な目標は「日本語」を地上から消滅させること。

天皇制は廃止する。

自殺率について、対処しない。

高齢化社会について、対処しない。

思いついたことを書いた。あとはどうやって実現させるのか。

まだ色んな手段があるはず。いまこそ、知識を結集し、日本沈没に邁進すべきである

2015-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20150227123615

人間1人の力には限界がある。

多くの成果を上げたということは、その分他人の力をレバレッジとして利用したということであり、その成果部分については評価に値しない。

2015-02-15

周囲の皆さんには本当に感謝していると言ったら怒られた話

先週金曜に職場飲み会があったんだけど、そこで俺が仕事で良い成果を出したという話になり、

さすがだな、たいしたもんだと先輩方に言ってもらえたので、いい気になりそうなのをこらえ、

「いえ、自分一人では絶対何もできませんでした。皆さんが僕をサポートしてくれたからこそ、

ここまでやってこれたんです。本当にありがとうございます。この恩は仕事でお返ししていくつもりです」

というようなことを言った。

そしたらその晩、その場にいた先輩のうちの一人からLINEメッセージが来て、

「お前は人に支えてもらうことしか考えていないのか」

自分が誰かをサポートする、という発想がないようなら、俺は今後お前と仲良く仕事していくことはできない」

などと言われた。

飲み会での発言は当然この先輩に向けたものでもあったし、先輩のサポートだってしていきたいと思っていたので、

このメッセージにはびっくりしてしまい、何か誤解があるのかなと思って、

自分も人に支えてもらうばかりでなく、誰かのために力になりたい、サポートしたいと思っています

しかし、今は人に支えてもらったぶんの半分も返せていないと思っています。先輩にもこれまで助けてもらっていて、

感謝してもしきれません。その分これから返していくつもりです」

と返事したんだが、

「そんなふうに、自分が誰かの力になるという行為エクスキューズをつけるようではまだまだだ」

と返され、どう言っていいのか分からず、以降会話が途切れている。

確かに、誰かに何かしてもらったか自分もお返しに、というふうに交換条件的に他人に何かしてあげることしか

できないのは人間としてどうかと思うし、できることな自分も、無償の愛っていうと大げさだけど、見返りを期待せず

自発的に人を助けられるような大人でありたい、と思っている。それでこそ立派な社会人だと考えている。

ただ、もしかしたら、自分も後輩や友人、恋人に対して支えとなったり助けを施してこれたのかもしれないけど、

それを自分で「俺は見返りを期待せず、こんなサポートをしてきた」「頼まれたわけではないのに、人にここまでしてあげた」

などと主張することが、とても品のないことに思えてならない。

から俺もその先輩に「いえ、自分エクスキューズなしに人の力になれる人間です。誤解です」と言うことができないでいる。

自分のしてきたことや、それが職場人間関係にどんな好影響をもたらしたかをちゃんと述べることは大事なんだろうけど、

どうしても「自分は見返りを求めずに行動してきた立派な人間だ」と言うことが下品という考えにしばられ、

「いや、あのときは借りを返しただけです」「あのあときっちり奢ってもらいましたから」というようなことばかり言っている。

皆さんは、ちゃんと自分が見返りを求めず行動できる人間だって人に主張できますか?

2015-02-13

女子力が出る義理チョコ

男目線で「この人は女子力が高くて素敵だな」と感じるのは、「自分への気遣い力」だと思う。彼氏に送るような所謂本命チョコには気遣いはいらない。自分の思いの丈を詰めればそれが一番よい。

だが、義理チョコ。これは気遣い必要会社で渡すなら、日持ちがするもの、そのまま会社に置きっぱなしにしておいて、小腹が減った時に食べれるようなものが相手への気遣いを感じる。

これが、今日が期限の生チョコ(要冷蔵)なんかだと地獄。それを複数貰ったらどうすれば????甘い物が苦手な可能性のある人だったらどうだろう?事前にリサーチしておいてカカオ濃度が高い渋いものウイスキー小瓶などとセットにできないだろうか?義理チョコ手作りしかも普段料理全然しない)なんかはもってのほかだ。何が入ってるか分からない上に、味の保証もなく、賞味期限も気になる。

ホワイトデーに返す時に男性は少し大きめのものを返すことが多い。すごく高そうな義理チョコを貰ったらどうすれば???

当たり前のことなんだけど、そういう、気遣い、人への気配り、それが“義理”で“人の力”なんだな、と思った。今日ありがとう

2015-02-11

著作権非親告罪化は、二次創作に関しては割と楽観的に見ている

しろそれ以外が心配

TPP交渉 著作権侵害は「非親告罪」で調整 NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150211/k10015379371000.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20150211/k10015379371000.html

保護期間70年は来るだろうなと思っていたがまさか非親告罪も飲むとは…交渉とはなんだったのか。政府のふがいなさは置いといてここでは二次創作の話をしたい。

まりにも危機感がなさすぎたのでは

TPPにより非親告罪化現実になってきても、出版社や作者があまり具体的な行動をとってこなかったのは残念だった。

特に出版社作家では赤松さん冲方丁さんなど問題意識をもって活動されていた方はいたが、個人の力には限界がある。報道もされにくい。

さすがにこのニュースがきたなら焦り出すだろう。むしろ焦らなかったとしたら、もうそんな文化は潰れてしまったほうがいいのではないか。二次創作文化保護する気なんてなかったということだ。

ライセンス出せばいい

はい自分二次創作に関してはそこまで心配していない。むしろこの機会にライセンスが整備され、安心して二次創作活動ができるようになるはずだし、そう期待する。既に実績もある。

同人関係事件話題になるたび、もう牧歌的時代ではなくなってしまった、版元も二次創作者も「黙認」にあぐらをかきすぎてるのではないか、と自分としては思う。

コミケがこれだけ巨大化し、ネットでの二次創作活動も活発になったいま、同人誌即売会という限られた場で少数頒布されることを前提に「黙認」する、いわゆる「同人」の慣例はもはや限界に近付いていると思う。この機会に黙認からライセンスベースとした明示的な許諾に踏み出すべきだと考えている。

既にいくつかの作品二次創作ガイドラインを出しているし、東方同人流通であれば緩いガイドラインを示していて、それも人気に貢献している。初音ミクなどボカロクリプトン社の先例もあって、ほとんどのキャラガイドラインがある。

自分ボカロ絵を主に描いてるのはこの理由もあって、ほとんどのキャラガイドラインがあり、さらクリプトンキャラならピアプロキャラクターライセンスPCL)により、完全に合法二次創作ができるからだ。

http://piapro.jp/license/pcl/summary2012年にはクリエイティブ・コモンズ採用してデュアルライセンスになった)

まずガイドライン作成し、次にライセンスを整備するだけだ。ライセンス法律も考えなければならず簡単ではないが、無理な話でもない。

初音ミクほどの規模で、クリプトンほどの小さな会社でもやっていけていることだ。ほかの巨大出版社ができないとは言わせない。

(巨大だからできないんだよという突っ込みは無しで)

今までやってこなかったのにライセンス出すのか?

ネットでのファンアートの数・コミケサークル数は元作品人気のバロメーターになりつつあるが、非親告罪化されればライセンスがない作品二次創作をする人は激減するだろう(しなかったら怖い)。即売会リスクを恐れてライセンスのない作品NGにしていく。

二次創作人気が元作品への人気にもつながっている今、版元には死活問題だ。

大人向け以外でも、例えば娘が描いたプリキュアの絵をネットにあげて、それが通報されてしまったらさすがにかわいそうだという意見が広がるだろう。

いままでは「黙認」が一番楽だからとあぐらをかいていた権利者も、ようやく重い腰を上げざるを得なくなるはず。

「うちのキャラ非営利ならOKです!安心してイラストをアップしてね!」というのが宣伝文句になる。どこかの先進的な版元が1つやればあとは一気に流れていくのではないかと見ている。

というわけでネットファンアートや、全年齢向け同人に関してはライセンスによる許諾が広がるのではないかと考えている。

今回の調整案も「営利目的などの場合著作権侵害原則、「非親告罪」とする方向」だし、もし全面的非親告罪化されて本当にコミケファンアートが壊滅状態に陥った場合、ここでライセンスを出せば独占できるし評判がうなぎのぼりからやらない手はないと思うのだが…楽観的すぎ?

エログロはどうなるの

ライセンスを出しても許可しない部分は当然ある。物好きなとこ以外は18禁エログロライセンスに含めないだろうし、そもそもライセンスを出さな方針のとこもある。即売会営利と呼べるまで稼いでいるのはだいたいエロなので、二重に問題になってくるところ。

ここが問題になるけど、二次創作は認めない、あるいはエロNG判断した作者を尊重せず、無理やり二次創作するのは果たしてどうなのってとこからまず考える必要はある。

(作者よりも偉そうにしていて、二次創作できて当然と思っている同人ゴロをたびたび目にするのも、現状の同人に不信感を持っている要因の一つ。権利者の意向は基本絶対です)

ただそこまで堅苦しくなってほしくもないので、パロディフェアユース条項が同時に整備されることを望む。

フェアユースって裁判判断されるものから訴訟大国ではない日本でどうするかってのはある。エロ同人フェアユースだとして裁判する人はいないだろう。

最後

長文になってしまった。

もちろん非親告罪化しなければそれが一番だが、もしなってしまってもただ絶望しているわけにはいかない。

現にガイドラインライセンスを出してる作品があるわけだから即売会が完全消滅するわけでもない。(東方ボカロ赤松作品とあと少数、しかないコミケを見てみたい気はするw)

各自できることをやればいい。自分ライセンス推進派なので、自分オリジナル作品(まだないけど)にはCCライセンスをつけるつもりだし、プログラムも書いているが公開するプログラムにはきちんとライセンスをつけている。

ただ嘆いているだけじゃ始まらない。

2015-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20150210164113

条件に該当するサイトリストアップいただきありがとうございます

https://jjyap.wordpress.com/2014/05/24/installing-opencv-2-4-9-on-mac-osx-with-python-support/

OpenCVの導入解説として、初めてこの操作をする人に向けて丁寧に説明されているのは素晴らしい。初めて取り組む人に向けては、ここまで噛み砕くと不安感を払拭できてよさそう。ただし、慣れている、またはOpenCVを実際に使って云々と解説する場合は、コマンドの例は飛ばす方がすっきりしそう。

http://kometchtech.blog.fc2.com/blog-entry-1173.html

からないことはわからないと書くのは、賛成。Qiitaのような知見をさくっとまとめるサイトなら、これくらいがいいかも。

問題が起きたときに、わからないと一旦置かれていた部分を追いかける必要があるフラグも立ちやすい。

苦しんで覚えるC言語

http://9cguide.appspot.com/ にもアップされているものと同じ?もしそうだとしたら、解説→ドリル→解説…と、学習参考書に近いものを求められているのかと理解している。

自分自身が持つ技術水準や、求められる情報(導入, 応用, ケーススタディサイズ)によって、読んでもらったとき理解してもらいやすものは違うことを、別の観点から知ることができてGoodでした。

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さて、自分自身が先に示された6つの条件を満たしていると考えているブログはこんな所。

上記2つはいずれも読者に「ある程度」の知識があることを要求している。その上で、運用している上で遭遇する問題…それもドキュメントにない情報…を、後で同じ問題に遭遇した人が問題解決を再現できる水準で記録されていることに感服する。

ただ最近はまず公式マニュアルを見に行って、よくわからなければググって傍系のStackOverflow(一番これが多いです)・英語圏ブログ・解説サイトに行く、エラーが出たら--debugしてみてよくわからなかったらエラーググるなどの使い方をしているので、あまり日本ブログにぶち当たることは無いです。

これは同感。公式マニュアルを見たら解決する問題が多いし、公式マニュアルで嘘をつかれる可能性は比較的低い。

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技術ブログを書いている人間として、嬉しいなと思うのはこんな順番。

  1. 拡散してくれること
  2. 拡散する際に何がポイント一言書いてくれること
  3. ブクマしてくれること
  4. 内容に問題があればコメント編集リクエストを通じて記事を鍛えられること

で、何より嬉しいのは、なんてことはない話だが…

である

多分、自分に役立っていれば、同じ境遇に接した他の人の役にも立ってるはず。そう考えて書いている。

2015-02-01

友達を簀巻きにした話

友人のYは、ちょっと危ないなとは思ってた。仲間内の中でも「あいつはきっとホンモノのマゾヒストだ」って密かに噂されてた。

けど、さすがに「ちょっと布団で巻いて欲しいんだけど」と真剣に頼まれた時は、頭の中で盛大にパトランプが回ったよね。(これは! ガチで! ヤバいやつ!!)って。

私「え……何……布団……?」

Y「そう。それで俺をくるんで、縛って欲しい」

私「しば……?」

Y「ああ、何で縛ればいいんだろう……あ、延長コードとかでいいかな?」

私「え、私が? Yを? 縛るの?」

余程怪訝な顔をしてたと思う、いや、して当然だと思う。

いろはすをガブガブ飲んでいたYは、私の珍妙な顔を見てキョトンと返す。

Y「いや、何も本格的に筵(むしろ)でくるんでくれとは言ってないじゃん?」

私(え、簀巻きって筵でやるのが正式なの?)

どこのマゾヒスト帝国常識だよ。知らんよ。

断っておくけど、Yはただの友達だ。彼のプレイに協力する義理必要も、一切無い。

でも頼まれたからやっちゃうよね。簀巻き。

気を付けの姿勢で横たわるY(ちなみに、暑いだろうからという理由パンツ一丁だ)の首から下をくるんと布団で巻く。出来るだけ圧迫してくれと本人が強く希望するので、胸部・膝付近の二ヶ所を延長コードで強く縛る。ごわごわしてやりづらいし、女一人の力では足りない気がする。人を簀巻きにするのがあんなに大変だとは思わなかった。

延長コードはYが用意していた結束バンドとやらで固定した。あれ、便利だね。まさか人を巻く為に使うはめになるとは思わなかったけど。って言うか何で常備してるんだろう。

ジャジャーン。Yの簀巻き、一丁上がりー。

見るも無残な簀巻きっぷり! 手も足も出ないとはこのこと!

ひょっこり頭だけ布団から飛び出してて、かえって無力感が増してる。

私「で、後はどうするの?」

Y「何もしなくていい」

私「うぇ?」

Y「今から、そうだな……2時間。俺の上に座って、漫画でも読んでてくれればいい」

えっ、この簀巻き状態で放置プレイを敢行? しかも私を参加させるつもり?

簀巻きのYは当然身動きもロクに取れず、ただ力無くフローリングの床に転がるだけ。更に漬物石(=私)を上に乗せて2時間を茫漠と過ごすって、それ何が楽しいのよ。

でも頼まれちゃったから、やるよね。

丸太にまたがる時の要領で、友人である(はずの)Yを布団で巻いた何かにまたがる。胴の辺り。

Yの妹が愛読していると言う『君に届け』が揃っていたので、とりあえず手に取る。

君に届け』がなかなかどうして面白くて、しばらくはYの上にまたがっていることを忘れて読んだ。

Yはすごく大人しくて、実に優秀な簀巻きだった。呼吸による微弱な動きも、モコモコな布団に吸収されるのかあまりこちらに伝わってこない。

3巻を読み終わりそうな頃だから、30分くらいかな。だんだんモゾモゾが目立つようになってきた。

そりゃあね、身動き一つするなって言われたって、生きてるんだもの。するよ。身体のどこかが痒くなったり、居心地悪く感じたり、絶対にする。動かしたくなる。

でもYは動けない。

Yの簀巻きが不快そうにモゾモゾ動く。「……んん」みたいな、吐息めいた声が微かに漏れ始める。ああ、気持ち悪くなってきたんだなって思った。でも私は何も言わないし、どいてもあげない。

2時間ゲームが始まる前、Yに念を押されたことが1つだけあった。

「何を言われても簀巻き状態から解放しないこと」。これだけ。

どういう意味かは後々よーくわかった。

モゾモゾが目立つようになってきて、7巻を読み出す頃、Yが明確な言葉を発した。

Y「ね、ちょっと解いて」

たか、と思った。試されている。

私は「んー」とあからさまに上の空で答えた。

Y「脚がさ、痺れてきてて」

私「あー」

Y「攣りそうなんだよ、ほんとに」

私「そりゃ大変だ」

Y「だからさ、ちょっとでいいから緩めてくれないかな」

私「もうちょっと頑張ってみよっかー」

何してんだろ、私。とは思った。

脚が痺れてきたのはきっと嘘じゃないんだろう。1時間重石を乗せて同じポーズでいたら、そりゃ身体のどこかしらが悲鳴を上げる。

しかし一度引き受けたからには職務を全うせねばなるまい。

彼がマゾヒズムを味わいたいと言うのなら、私はサディズムを発揮しなければならないのだ。目覚めよ、私の内なるサディストよ!

Yは聞いているこっちが可哀相になるほど、憐れな声を上げ始めた。おずおずとしたお願いが、徐々に鬼気迫ると言うか、迫真の嘆願へと変わっていく。

まるで本当に筵にくるまれて東京湾に落とされる寸前みたいなテンションで「解いてくれ!」って言ってくるから、(えっマジなの? マジでヤバいの?)ってヒヤヒヤしっぱなし。『君に届け』ってこんなに冷や汗が噴き出すようなホラー漫画でしたっけ?

そしてクライマックスは終了20分前に訪れた。

Y「漏れる」

私は戦慄した。そして唐突記憶フラッシュバックが脳裏を襲った。

こいつ、簀巻きの前に、水(いろはす)を摂取してやがる。

まさかこれも計算なのか? 事前の水分摂取により、簀巻きプレイ中に圧倒的尿意を催すことを計算していたのか? そうまでして自分限界へと追い込みたかったのか?

二十代男子が「おしっこ漏らす」のって、もう人としてアウトだろ。人として。

そこまでスレスレの状況を楽しめるのかこいつは、と私は心底愕然としていた。それとも私が知らないだけで、放尿プレイとかが紳士淑女の貞淑なお遊戯の一つとして流行ってたりするの?

漏れそうなYはモゾモゾどころか牡牛の如くのたうち回り始めて、上にまたがるどころではない。私はロデオなんて嗜んでないんだよ、悪かったな。

呆気なく振り落とされたカウボーイの私は、Yが苦悶の表情で「漏れる」「もう」「だめだ」と言った断片的なワードを唸るのを茫然と見ていた。あと15分もこれを観戦してろって言うのか。苦行かよ。

15分後、私は暴れる芋虫と化したYを人間へと戻してやる。

ハサミでパチンと結束バンドを切断し、布団から脱皮したYは酸欠なのだろう(そうだと思いたい)、紅潮した顔でぼーっとしていた。

早くトイレに、と言いかけたが、もうそ必要は無くなっていた。

名誉の為に言っておくけど、彼は簀巻きにされている間、尿意に耐え続けた。人間である為に、ひたすら我慢して我慢して我慢した。

から、簀巻き状態から解かれた瞬間に気が弛んだとしても、まぁ、何も可笑しい話じゃないのだ。

Y「いろいろ悪かったね。でも面白かったよ、ありがとう

見事におねしょした布団を洗濯機ねじ込みながら、Yはスッキリした表情で礼を告げてくる。

この先『君に届け』を読むたびに今日のことを思い出してしまうんだろうなって思った。まるで呪いだ。

2015-01-11

他人の不幸を動画で見る人たちのポジション野次馬

不謹慎なことかもしれない話だけど、ぶちまけたいので書いた。

あんまり文章書かないから汚い文です。

今、振り返ってぞっとした記憶ことなんだけど・・・

現在自分の中で何かの折り合いが付いていない件がある。

それは、他人の不幸の前にたった自分のことだった。

大阪住まいだが、阪神大震災の時はあまりの揺れに恐怖で飛び起きたことしか覚えていない。

でも、そんなに自分の周りで家を失ったとか、被災して亡くなったって人はいなかったので隣の神戸の有様には新聞TVしか見たことのない現実にどこか上の空になっていた。

あの時見た報道内容が、震災の怖さなんだなって程度に思ってた。

当時はネットが普及していなくて、自分センター試験受験の年だったのでそれどころじゃなかったのだ。

というか、むしろ受験勉強の年にあんな事態になっても、勉強のことで頭がいっぱいだったので思い出に残らなかっただけなんだろう。

だが、2011年の震災の時はその受け止め方が変化した。

TV被災して川に飲み込まれる人を撮影した動画画像ネットに散乱していたのだ。

遺体が流れているのはあそこだとか、今あの動物が水に飲まれたよねとか某動画サイトで多くの人が見てコメントを流していた。

流されて悲鳴をあげて、それが消える瞬間とかリアルな人の死を動画サイト自分は見てしまったのだ。

あのとき、すごく衝撃的でコメントできなかった。

コメントできる人が、怖いって感じた。

でもコメントできない自分も恐ろしいって思った。

べつにコメントすることで何か得るものがあって前向きなものになるってことでもないというのはわかってる。

見たあとに本当にいろいろ思ったんだ。

TV報道されない部分を見て、報道規制のないもっともっと残虐な他人の不幸を見せろと言わんばかりの煽りコメントがある件には言葉が出なかった。

しかし、言葉の出ないようなものを見ている自分の中の野次馬根性もひどいもんだと落ち込んだ。

臨場感あふれる悲惨さ、残酷映像、溺れてる人の姿を見てもこれはすぎた過去なのに、どう視聴していいのか戸惑い、怖くなって閉じてしまった。

中には被災者に祈りを捧げます。無事でありますようにって祈るコメントも多くあった。

だが、大抵のコメントが「すごい・・・」「やばい」「逃げて逃げて」「そんなとこいるな」「ひどい」「日本終わるのか」「あの犬逃げて」「うわあああああ」

とか過ぎ去った過去動画を見ながら、映画館アクション映画を視聴している時のような印象が圧倒的だった。

モニターの前に映るものを、全て現実の中から切り取ってきた事実として位置づけているのに、どこかアクション映画のように眺めている感覚だったんだ。

興味本位であんなの見るんじゃなかったって当時、思った。

だけど、興味があったからあの動画を見たのは自分だ。

選択したものに関心があったか自分はあれをクリックして見ていたんだ。

結局、それが自分以外の他人の不幸だから見れるってだけで見てしまったんだろうって言い聞かせて画面から逃げた。

近所で火事が起きて人だかりができて見物するのも、こうして動画を見て人の不幸にコメントするのも・・・結局は他人の不幸で飯が美味いっていうものなのだろうか。

自分じゃない他人が苦しんでる姿を見て、なにができるかって思考がすぐにあの時、自分は思い浮かばなかった。

ただコメントで「無事でありますように」「冥福を祈ります」とかそういう言葉を送っても、届くものってないんじゃないだろって何度も何度も思考したけど答えがすぐにでなかった。

少ししてから義援金を振り込むという金策援助に自分の中で落ち着いたけど、動画を見てると人を助けるための、人の力になるために必要な最速最短の思考決断が鈍ったのは事実だった。

他人が苦しんでるから助けたいので義援金を送るっていう選択をしたってことになかなか困惑したんだ。

自分は、「あの動画を見て野次馬をしていた。好奇心に満ちたハイエナみたいなもんです」って心を隠してあの頃日々を過ごしていた。

まりハイエナ行為をしていたけど、後ろめたさを感じながらあなた方の不幸を知って支援に関わっていますって己が惨めでたまらなくかんじてしまったんだよね。

多くの人が困ってるっていう状態を知る手段が、あの動画で心理迷路に入ったんだ。

パニックになりそうだって思った。

人間の本性で「他人の不幸で飯が美味い」に落ち着く人って、自分のほかにもいるのかなって今でも思ってる。

2014-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20141128004148

あくま作成代行(と言うか印刷)のCMであって、別に「紙で人の力を使って届けるという無駄さ」は排除されてないと思うが。

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