はてなキーワード: 井戸とは
こういう大規模震災のときに何が一番まずいって、秩序をぶっ壊されること。
たとえば私営の給水所(たまたま井戸水が出る家があって、でも水を出すのに独特のコツがあるのでその家のオーナーが操作する必要がある、とか)があって、オーナー自身の休養を考えて水の提供は9時から17時まで、みたいに決めているところがあったとして。
18時に来た人にもお水をあげていたらキリがない。病気の子どもがいるんです、とか言われても、時間は厳守してもらわないと、結局はオーナーさんが疲労で倒れて給水所自体が運営できなくなるかもしれない。実際、その子どもが本当にいるかどうかもわからないしね(嘘を言っているかもしれない)。
でも「病気の子どもがいる」って言ったら時間外でも水をくれたとしたら、こういう時って美談になってしまう。本当の美談はみんなが運営時間を守って水をもらうことだと思うのだけど、当たり前すぎて話題にならない。
ルールはルール。赤信号でも強行したら事故るでしょ。そういう日常なら守られている規範が、非常時だからと破られる。それが横行すれば町がおかしくなる。おかしなことになった町を正常に戻すのは本当に大変だろう。だから、こういう時こそルールを守ることが本当に大事なんだけど、そういうことをいうべき自治体がきっぱりと言わなかったら、その町をぶっ壊してもいいってみんなに思われても仕方がない。
地震発生直後、NHKアナウンサーさんが大声で「高いところに避難してください!」って呼びかけていたけれど、いまはあれくらい「ルールを守ってください!」って市長が言わないとヤバい時なんだと思うよ。ゴミ捨てにしろ何にしろ。
ともかく、何とか耐えてください。
どうか人間性を失わないで欲しい。
大きい地震がちょいちょい来る地域だけど(今回は震源付近じゃないけど可也揺れた。震度6弱)
揺れてる時なんて何も出来ない。這いつくばって頭抱えたり出来るなら超優秀だと思う
グラッと来た初動は建物出口に向かっていけるけど、爆揺れ中はそっから動けなくて中腰になってる
(どっかに掴まっちゃう人は揺れの隙をついて逃走する際、掴まったものから手が離れなくなる場合があるから注意だなあ。特に老人)
ガチの震源地だった時は睡眠中だった為にベッドから落っこちて天井を見上げて「うあああ」とか言ってるだけだったぞ。一緒に寝てた猫も傍で固まってたほどだ
あの太刀打ちできない感、何回味わっても慣れることはない(でもその恐怖は直ぐ忘れる。そうじゃないと生きていけないからな。繊細な人はドキドキしっぱなしで辛いだろう。過敏になるし)
もーやだなー(今回の地震後、何が嫌って、この季節に「やたら晴れてる」ことだよ。異常だよ。毎年このくらいの時期は雨雪霰霙で空は常に灰色だぞ。冬の晴天なんて不気味過ぎるんだよ。フラグ立てんなよなあ)
「絶対潰れない家」が作れるならなあ。揺れで倒れる家具とかすっ飛んでくる物とか置かないで暮せば安心だよな
太陽光発電とオール電化導入しておけば地震直後でもほぼ通常の暮らしが出来るし(敷地内に井戸があると尚良し。飲料用じゃなくてもトイレや風呂に使える)
まあ…津波で根こそぎ流されたら、どうもこうもないけどな
弱者中年女性で生きづらいけど、いつの時代に生まれてても自分は生きづらかったろうなと思う
最初のうちはドラマとかで見た「リンがあれば肥料になりますよ!」「ペニシリンって抗生物質があるんですよ!」「建築には釘使うといいですよ」とか現代知識で無双しようとするけど、その作り方は?と言われれば答えられない
せめて測量でもできたら役に立ちそうだけど、三角関数は覚えてるけど微分は最初のとこだけ、積分は知らない
途方に暮れてたまたま出会ったちょっと面倒見のいいおばさんにどうやって生きていこうと相談して
「ちょっとトウが立ってるけど女郎屋なら雇ってくれると思うけどねぇ」と言われて内心比較的若く見えるのかしらと喜んでたら
「あそこは50すぎでも働いてるのもいるし」と言われてしょんぼりする自分が目に見える
言葉もうまく通じないんで外国(ペルシャとか)生まれですって適当に言ったらお坊さんが大勢駆けつけてきて教えてくれと言うんですいません一般人なので知らないですって言って帰ってもらい
最終的に肩身狭くしながらどこにでもいる謎の河原者として生きてそう
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リアルな転移もの読みたいって人もいたので、その後の末路を思いつくところまで書いてみた
ロビンソン・クルーソーにはならなかったよ…
江戸時代にタイムスリップして早々、どうやって生きていくかが最大の悩みになった。
女郎屋なら雇ってくれるという話だけど、この時代の性風俗といえば本番つまり射精。
年齢的に妊娠する可能性は低いけど、いつ病気をもらうかわからないロシアンルーレットの毎日になる。
想像するだけでげんなりする。
今日は無事だったけど明日はわからない不安が毎日続いたら、いずれ死にたくなりそうだ。
実際に女郎さんはうつにかかる人(気病みと言うようだ)や自殺を試みる人が多く、女郎屋の井戸には何人もの身投げがあったらしい。
私は死ねるだろうか。
生活保護もないこの時代、女郎もいやで他にできる仕事もなければ生きてはいけない。
寒さに凍え、病気にかかったり凍傷を負って不具のまま死を待つよりは、ひと思いに自決したほうが楽のように思える。
でも深くて暗い井戸を覗き込むと、怖くてとても身投げなどできる気がしない。
度合いで言えば樫の木のような太い枝で首をくくったほうが楽だろうけど、これまたかなりの勇気がいる。
結局みんな思いきれず、死にたい気持ちを抱えたまま女郎を続けていくことになるんだろう。
これまでは「楽に死ねないかな」だったのが「どの死に方が一番苦しくないか」になった。
リスクで言えば本番のほうが高いけど、物珍しさで案外人気になるんじゃ?
口でだってやりたくないけど、他にどうしても職がなかったらこれでいくか……。
おばさんが心配そうに顔を覗き込む。
「うちのこと手伝ってくれるんならいてくれてもいいけど」
「ぜひ、お願いします」
これは嬉しかった。
家に住める。このおばさんなら嫌な仕事は断ったり交渉もできそうだ。
おばさんは家をぐるりと見回して、「じゃあ……」と言った。
子守は一番簡単な仕事のようで、十そこらの女の子でもやっている。
どうやら無能そうな私でもできそうな仕事を考えてくれたようだ。
情けなくもあるけど、赤ちゃんは大好き。
喜んで抱こうとすると、背中側におぶされた。
おばさんはそう言って帯をぐるぐると巻きつけた。
え……赤ちゃんと遊べるんじゃないの……。
「じゃあアタシらは野良仕事に行ってくるんで、日暮れまでよろしくね」
唖然とする私をよそにそう言うと鋤やクワを持って行ってしまった。
この時代は、赤ちゃんに情操教育が必要だとか誰も思ってないんだなぁ。
それどころか大の大人が野良仕事もせず子供にかまけてると、さぼりだとか楽してると思われるらしい。
あのおばさんだって、産まれたばかりのかわいい我が子のそばについててやりたいだろうに。
まあ、仕方ない。
せめて役に立ちたくて、おじさんがやりかけで放置されてるわらじを編んでみる。
編み方自体は単純だ。
両足にわらを固定して巻いていくだけ。
1からやれと言われたらまだできないけど、すでにある程度できているものをかさ増しするならできる。
なかなか面白い。けど、腰が!腰が痛い!
おろしたいけど帯はかなり固く巻かれてるし、一回ほどいたら自分じゃ巻けない。
みんなが帰ってきたとき帯がなくなってるとほっぽいて遊んでたんじゃないかと思われそう。
気のせいかもしれないけどここの人たち話が通じないというか、気持ちがわかってもらえないというか、
何を言っても全部甘え、人間失格って言われそうな雰囲気あるんだよなぁ…。
なんとか楽な体勢を探していると、生暖かい感覚が背中に広がった。
赤ちゃんがおもらしをしたようだ。
あー……やるよねえ。
家を出て井戸のある村の中央に向かうと、ところどころで泣きっぱなしの赤ちゃんを背負ったまま座り込んでいる女の子がいる。
かわいそうに小さな身体に帯を何重にもまきつけられて、自分では外せないようだ。
女の子の目は年齢に見合わぬ苦労がにじみ出ていた。
こういうのって、よくないと思うんだよな。
だから帯でぎゅうぎゅうにしないで、赤ちゃんや自分の体をこまめに洗えるようにしましょうと言いたい。
けど、幼い子守娘が赤ちゃんをずっと見ておけるのかとすごまれたら何も言えない。
そもそもこんな小さい子に赤ちゃんの命を預けるべきじゃないんだよね……。
豊かになって子供が働かなくて済む社会にする、くらいしか思いつかないもの。
ため息を付きながら井戸で帯をほどくと、むせ返るような悪臭が漂った。
気づかなかったがウンチもしていたようだ。
しかも、カピカピ具合を見るにおばさんたちが家を出る前にしたみたい。
替えていきなよ、親ならさあ……。
桶に水をザブザブ入れ、赤ちゃんのお尻を洗うと汚物が浮き上がってくる。
気持ち悪いなあ。
子供を持ったことのない弱者中年女性はこの程度で目をそらしたくなる。
何度も水をかえてようやくきれいになったが、かえのおしめがないので裸の赤ちゃんを抱えて急いで家に戻る。
さらしを巻いて囲炉裏のそばで体を温めるけれど、赤ちゃんは泣き止まない。
おなかでもすいてるんだろうか。
赤ちゃん大好きだと思ってたけど、かわいくて興味深いたからもの、というよりも片付けなくてはいけない存在に思えてくる。
なんでも山を一つ越えなくてはならないらしい。
わらじはすり切れるし足場は悪いしで足に傷ができてしまい
「すいません、私この靴だと歩けないです……」
おばさんの肩をそっとつついた。
見ればどの人の足も傷だらけだ
「どこの殿様の姫さんじゃろうねえ。辛抱がたらんよ」
まあしょうがない。
やっぱ女郎しかないのかなぁと死にたくなるが、出ていけとは言われず子守をしてるだけで家に置いてもらえた。
意外と人情が残ってるんだろうか。
それからしばらくは子守で暮らすゴクツブシだったが、あるとき仙台の大店の下働きを募集してるとかで口利きがあり、そちらに紹介してもらえることになった。
勘定計算は苦手だし計算間違いもしょっちゅうだが、接客が丁寧だとかで評判が良かったらしく、普通に暮らしていけるようになった。
ときどき、現代知識があればもう少し楽に暮らせるんじゃないかと思うことがある。
大通りで瞽女さんや芸人がやかましい歌やたいして面白くもない芸を披露しているのを見ると、自分だったらもっといい歌や面白いネタも知ってるのにと思う。
思うだけでやらないのだが。
ケアレスミスだらけの無能だけど謙虚で真面目な前垂れというキャラが壊れるのが怖いのだ。
そもそも芸って人を引き込むぐらいの思い切りや自信が必要で、社会が怖すぎる私にはその一歩が踏み出せない。
A:はい、まずツイッターで「井戸 毒」などで検索し、ヒットしたツイートの全てに文脈 文意を無視してコピペでお説教文を送りつける自慰行為をします。
Q:それ何か意味あるの?
A:気持ちいい
文脈 文意どころかそもそも読んですらいなくてただ目の前に存在するというだけでギャォーン突撃していくのさ
お前みたいな奴こそが、かつて井戸毒デマで虐殺を起こしてんだよ。情報を判断しようとしないから
これって考え方色々あるよね
「いや緊急時にツイッタなんて見てんなよ」ってのも正しい意見で
「なので別に、そうでないところはいつも通りでいい」とも言えるし
「それでももしかしたら貴重な情報がツイッタから入ってくる可能性はゼロではない」も正しい意見だしね
どのポジションでも尤もらしいこと言えるから、結局、各々の自由にすればいい
ただ一つだけ言えることは
何の足しにもならん「気遣えるアテクシ」というのが、3か4番目くらいにクズムーブだと思う。
それするくらいなら、リソースの節約のためにツイッタお休みがいい。これは非常に無難だよね。
不謹慎ネタで遊ぶのも、それが好ましいかどうかはともかく、法の範囲内なら自由。
でも、ここぞとばかりに「気遣えるアテクシ」アピールに利用するのはわりとクズムーブ。
大きめの地震が起きたらいつもぼくは
をやってる。
でもね、「地震に便乗して遊ぶな」ってジャスティスお説教してくる奴らが、「大地の怒り」の嘲笑を批判してきた回数は、ゼロなんですよ。
ネットの普及で、『世間』の範囲が広くなっている感覚がある。沖縄の人がネットや報道を通じて北海道の『世間』を垣間見ることもできるし、逆もまたしかり。なんなら日本にいながらアメリカやイギリスの『世間』の情報を得ることだってできる。
しかし、『世間』に出てくる登場人物が増えすぎて、身動きが取れなくなって苦しむ人が増えてしまった。ネットという広い『世間』で「○○を頑張った、○○の努力をした」と言えば、「世の中にはもっと凄い人がいる」と膨大な成功者のデータで叩きつけられ、「○○で辛い、○○があって苦しい」と言えば、「世の中にはもっと苦しんでいる人がいる」と捨て置かれる。
ネットの海は広い。けれど広すぎて手に負えない。今や大海は全世界まで広がっている。そのせいで、あまりにちっぽけな自分に絶望して精神を病む人もいる。そうなるくらいなら、井の中の蛙に徹するほうが余程幸せじゃないか?ちょっとしたコミュニティで、ちょっとした成功をおさめて、ちょっとした幸せを味わう。そっちのほうが、余程充実しているのではないか?
ネットが悪いとは言わない。広くなった『世間』が悪いとは言わない。ただ、安心できる井戸の一つや二つは持っておいたほうがいいと自分は思う。
会社で、夜間に何かしらシステムアラートを検知すると当番に電話がかかってくる的なあれがある。昔は人がかけてきたんだけど、どこかのタイミングから自動コールになって、機械音声が流れるようになった。それがなんか、抑揚のない、いかにも機械音声って声なんである。まあ言ってくることなんて「アラートを検知しました。メールをご確認ください」くらいの定型文だから別にいいんだけど。
で、その日も電話が鳴って起こされた。夜中の3時くらい。眠い目をこすってパソコンを開けて、アラートメールを見ようとするが、特にメールは来ていない。おかしいな、メールの調子が悪いのだろうかと思って、監視システムの画面とかいろいろ見てたら、また電話が鳴った。アラート通知である。
アラートメールはやっぱり来てない。監視システム側も何かを検知した形跡はない。そういえば、アラート通知の電話で機械音声がしゃべる文言が、なんかいつもと違った気もする。文言なんて定型文だから、ろくに聞かずに切っちゃうんだけど、なんかちょっと違った気がする。
これはもしかしてあれかな。自動コールの業者がオペミスかなんかで、全然関係ないシステムのコール先を俺にしちゃってるんじゃないか。システムが違うから通知の文言も違う。そういうわけだ。無駄に起こされて気分も悪いし、本当のコール先に電話がいかないことで、その何かわからないシステムの障害がさらにひどいことになってるかもしれない。クレームを入れよう。
業者の連絡先を探していると、また電話が鳴った。アラート通知だ。今度はちゃんとメッセージを聞いてみよう。電話に出ると、いつもの抑揚のない機械音声がこう言った。
「いど の なか を のぞかないで ください」
なんだこれ。意味がわからない。気持ち悪い。背筋にひんやりしたものが走る。俺は電話を切って、そのままうちの会社の監視システム担当の人に鬼電する。担当の人は電話に出てくれて、自動コールの業者にクレームを入れてくれることになった。
結局、たしかにアラートは検知していないのだがコールした履歴は残っていたとのことで、誤検知でした申し訳ございませんでしたって話になった。ただ、通知の文言が変わってたってことはないはずで、監視システム担当の人にも寝ぼけてたんじゃないかって言われた。
その日はそれ以降、電話が来ることはなかった。その後も夜間アラートの当番が回ってくる日はあったけど、誤検知はなかったし、メッセージが変なこともなかった。だけど、俺は夜間アラートの電話に出るのがなんとなくきつくなってしまって、会社を辞めた。
あと、井戸を覗けなくなった。いや、現代日本に井戸なんてほとんどないからどうでもいいんだけど、古い神社とか城とかにたまにあるじゃないですか。あれに近づけなくなった。覗かないでくださいってだけ言われたけど、覗いたらどうなっちゃうんだろう。そう考え始めると怖くなって覗けない。
ホガーッス
本日は日本において技能の日、エレベーターの日、トイレの日、井戸の日、断酒宣言の日、島唄の日、川口の日、希少糖の日、無電柱化の日、肢体不自由児愛護の日となっております。
また、今日から12月10日までの一ヶ月間を「手足の不自由な子どもを育てる運動」期間とされているそうです。
本日は技能の日ということで、何か技能を向上させた方がいいかもねと思ったりするのですが
まぁ、なかなか上手くいかなかったりするのが通常です。
通常の出来事ですが、そういう上手くいかないことも含めての向上なんだと思えるには精神的な強さが必要だなぁと思ったりもします。
そういう時になるべくストレスを軽減してはおきたいのですが、未知のトラブルなどに出会うとストレスがかかったりしますので、ではなるべく「どんな失敗があるのだろう」と知ることは大事なのかもしれません。
ある程度は失敗の予測出来ていると、多少はその失敗が起きた時にリカバリーできたりするかもしれないのではないでしょうか。
ということで本日は【危険箇所の予想よいか】でいきたいと思います。
源義経は平泉で死なず、ここから大陸に渡ったという伝説から。なんで義経の名前じゃないん?
義経一行が一冬過ごしたと隠れ里という伝説。なんで義経じゃry。
芭蕉の句碑の土台に空いた穴は弁慶の足跡と言われるが、時代が合わないような。
明確な由来はよくわからなかったが、たぶん義経の逃避行中に立ちよった場所なんだろう。なん義。
逃亡中に生まれた義経の子の名前を付ける際にここで墨を擦ったとされる。硯持ってなかったんか。
頼朝の軍勢から逃亡中に岩壁を馬で飛び越え、弁慶の馬の蹄の跡が残ったという伝説が残る。
江戸時代の大工、弁慶小左衛門が作った橋。武蔵坊弁慶とは無関係。
弁慶がここにある井戸から汲んだ水で墨を擦り、般若心経を書写したという伝説より。弁慶って普通に坊さんやってる伝説あるんだな。
岩が積み上がった天然のトンネル。今にも頭上の岩が落ちそうなので弁慶ですら渡るのを躊躇したから、と言われる。
近くに瓶割坂という義経由来の坂があるが、こちらの由来はよくわからず。単に通ったから?弁慶坂多いな。
頼朝勢からの逃亡中にここで弁慶が洗濯したという伝説から。海なんだけど、海水で洗濯したの?
大岩に空いた穴が足跡に見えることから。何故弁慶なのかわからないが、義経軍が進軍した場所だかららしい。ちなみに近くに弁慶の弁当と言われる岩もあるとか。さすがに岩は食べないだろ。
古墳なのだが、怪力の弁慶が巨石を積み上げたんだろうと地元民が言い伝えた結果、この名が残ったそうな。
脛のこと。弁慶ですら強打したら泣くほど痛い箇所。
弁慶の名前付くの多すぎる。これ以外にもいっぱい。名前付いてなくとも弁慶伝説由来だったりするのもたくさん。
みんなに好かれてたんだなあ。