はてなキーワード: 二世とは
15歳でスマホを貰ってニュースサイトを「はてなブックマーク」しか入れてませんでした。LINEニュースとかYahooニュースの大手ニュースサイトを知らなくて、父親が見ていた「はてなブックマーク」を正しいニュースサイトだと本気で思ってました。
でも、殆ど良いことありませんでした。
同年代と全く話合う気配ないし、流行が二世代ズレてるし、Tiktok入れてる奴はバカだと今も思ってます。
クソデカ羅生門とか、とってもAppleとか、増田文学が面白いから好きなんですけど、知り合いに伝わった試しは一切ないです。
それならTwitterとかInstagramsに精を出すのが正しい若者なんですけれでも、それが出来ないから老人会に片足踏み入れてる今日この頃です。
もし都内なら、持ち家なんていらないんじゃない?
・子供が一人だけ
前提ならわからん。
そうでなければ、「持ち家を子世代に引き継ぐ」というのは幻想でしかない。
まず、子が所帯持ちになるタイミングで、職場の関係から違う地域に住居を構える可能性も十分高い。
そもそも30年も違えばライフスタイルが変わるし、子世代がその地域に住み続けたいかなんて保証はない。
自分自身、親の死後に親が「終の棲家」として買った実家には住めず、結局売りに出した。
そして老後を迎えたとしたら、戸建てはメンテナンスが負担になるし、マンションは管理費取られ続けた挙句、老朽化・建て替えの問題に直面する。
ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方のペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。
これまで取り上げている二つの戦いから分かるように、戦争芸術の定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術の極致と言える。
当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事・政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である。
その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロスが企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。
アレクサンドロスは紛れもない西方世界の英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロスが破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。
アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世はペルシア西岸のイッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効な機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。
それから二年、ダレイオス三世はアレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢を招集し、ガウガメラの荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。
この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。
第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世の招集した軍勢は傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベルの軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。
また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア軍騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。
更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車(チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数の軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利な刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである。
また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである。
相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器、駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。
紀元前331年10月1日、ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。
この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦はシンプルなものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵を突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。
言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである。
開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロスは自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼)から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。
その大軍の王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロスは自軍を純粋な横列ではなく、左翼と右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼と左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。
しかし兵数の差が決定的であったことから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。
とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。
曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面に鋭利な物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしまう本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまり、チャリオットの突撃を部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘から、マケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。
これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効な戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。
さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。
ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世は本来であれば本陣の防衛に充てるはずであった予備兵力の騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである。
この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。
アレクサンドロスは超人的な直感によりペルシア軍の崩壊を予知した。右翼の防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア軍本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵は世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世の位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。
やがて、ダレイオス三世の本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである。
参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw
「生存権?お前生きるだけで権利が必要なの!奴隷じゃん!生殺与奪権が人に奪われてるじゃん!」
多分だけど、政治家にしたって同じなんだよね。
『健康で文化的な最低限度の生活』という言葉は知っているけど、それを目指す気持ちなんて無い。
障害者は野垂死ねばいいし、優秀であっても自分に逆らう人間は鎖に繋がれて死ぬまで拷問でも受けていて欲しいと思ってそうですらである。
人権宣言から既に二世紀半弱たってるわけだけど、日本人が人権を天賦のものだと理解しだしたのは本当につい最近なんじゃないだろうか。
いや、理解したと言うよりも「理解は出来ないが、そうしないと何故か世界の笑いものになるらしいから、分かっているふりをするようになった」が正しい気もする。
でも形だけでもやるだけで何だかんだ効果があるのか、今の若い子を見てるとなんだかんだで「人間というものは皆基本的人権を持って生まれるらしい」ということが精神の根幹にはうっすらと敷かれているように思える。
虐めや暴力と行った行為を全く行わいわけではないが、それらが「基本的人権を侵害している」という意識がどこかにあるようには見える。
これが昭和生まれのアラフォーより上になると「そもそも人権なるものは偉い人間が弱者にくばるものであるからして、弱者が最初から人権を持っているはずなど無い。つまり社会的弱者を痛めつけることは、単に人権を最初から与えていないだけであり、与えていない人権が侵害されているはずなどないのだ」といった考え方をしている者が未だに多く見える。
なんとも情けないものだ。
いや、日本以外の国であっても、人権というものを理解したのはここ100年ぐらいであって、日本の遅れなどせいぜい半世紀にも満たないのかも知れない。
だが確実に遅れているだろう。
日本人は大日本帝国の影をなぞることを正しいと信じてきた時代が長すぎた。
だから大日本帝国のやりかたをなぞれば基本的人権を理解することなど一生できないのだ。
日本という国の世界的な立場が弱ってきて、内向きな前例踏襲主義が幅を利かせることが出来なくなったことでようやく日本人は基本的人権を知るようになったのである。
父方の祖母に会いに行った
数年前から認知症を患い私の家から車で1時間の施設に入っていた
あんまり記憶にないけど木曜日でピアノの先生の家にレッスンを受けに行っていた
そして帰ってきたら自宅で死亡確認をされていた
その時祖母に「○○ちゃんは泣けるなんて優しい子ね」って言われたのを覚えている
他にも家族で旅行に行って帰ってきたら必ず甘い卵焼きと、俵型のおにぎりを用意してくれていた
それがめちゃくちゃ美味しくてすごい好きだった
小さい時一緒に遊んでもらってくるくる回ってたら「○○ちゃんは宇宙飛行士になれるね」って言ってくれた
でも最近は家から遠いしで全然行かなくて、でも元気そうに過ごしていると聞いていた
なのに急変したようで慌てて有給を取って会いに行った
行く前は全然平気で会社にも「午後始まりに間に合わなかったらテレワークで!」とか言ってたけどおばあちゃんの顔見た瞬間勝手に涙が出てた
私にとって施設に入ってるのはいつか一階に戻ってくるまでの治療場だと思ってたから、卵焼きもおにぎりもまた食べれると思ってたのにそれが無理なんだなってなってやっと実感した
全然現場を理解してなくて理解できてなくて自分の浅さに気がついた
最後の布団越しの手はまだ暖かかった
今は結婚して妊娠中だが、コロナ直前、2ヶ月ほど、いわゆる「婚活」をした。
6人の男性と婚活で出会い、そのうちの一人が今の夫だが、他の5人がヤバかった。
実際に彼らに会うまでは、普通に生きてきた人間の想像力では思いつかないレベルで、常識やコミュニケーション能力が欠けていた。
事例1。都内の駅近くの商業施設で待ち合わせ。私はてっきり商業施設内のカフェかどこかで話をすると思っていたら、彼「車で来た」と言って車を駐車している所に私を連れていき、乗るようにと言う。
初対面の男性の車に乗るのは怖いし、普通の女性は男性の車に乗るのを警戒する事を知らないのか?
知らないなら非常識すぎるし、知っててやってるなら悪質なので、その場でお断りして帰った。
事例2。ホテルで待ちあわせ、そのままラウンジにて面接。色々とありえないので早々に帰りたく、コーヒー代として「お釣りは要りません」と千円札2枚を出すと(実際のコーヒーの代金は1500円くらいだったが、細いのを出すのが面倒だった)すごく嬉しそうにニンマリして、「合格です」と。
帰ってから、正式にお断りしようとすると、彼から熱烈な交際申し込みのメッセージが届いていて、二重に驚く。
彼は私が2千円を出した事に感激していたが、私は彼が不快すぎて、お釣りのためのやり取りをするのも嫌で早く帰りたかっただけだ。
事例3。プロフィールに「一人暮らし」と記載があったが、親が建てた二世帯住宅の一方に一人で住んでいた。女性側からしたら義両親と強制半同居となる新築二世帯住宅を、「家賃かからない、新築」と、まるで私にとってメリットであるかのようにアピール。
事例4。私が仕事を続けたいと言うと、典型的2ちゃんねらーみたいに口汚く専業主婦をdisり、「君はそんな寄生虫みたいな女性じゃなくてよかった」と。
いや、たしかに今の時代、キャリアが断たれたり無収入になるのは怖いし、仕事は続けたいけど、女性は妊娠出産で何があるかわからない。
仕事を続けたいと望む私でも、「俺の稼いだ金でお前を養うのは嫌だ、何があっても仕事を辞めるのは絶対に許さない」という強烈な信念を持ってる男と結婚するのは嫌だし、そういう奴に限って「子供は欲しい、できれば二人」とか記載している。
事例5。ホテルのラウンジで面接。色々とありえなかったので、テーブルにコーヒー代を置いて帰ろうとすると、そのお金をしまわせて、店員を呼んで彼が会計する。が、ラウンジを出てから、「さっきのお金」と請求する。コミュニケーションはアスペなのに見栄っ張り。
ちなみに婚活していた時、私は29歳で、お相手にはプラマイ5歳までを希望していたのに、何故か40代、中には50代60代からも大量に申し込みが来た。
私が利用していた所は、未処理の申し込みが一定数に達すると自動的に異性から申し込みできなくなるので、毎日高齢男性からの申し込みで枠が一杯になるのはストレスだった。
実家住み、アラサーの妹に数年ぶりに彼氏ができた。(私は結婚して実家を出てる)
彼氏は私の1つ上。
久々の恋人で浮かれてる妹。
夕飯要否連絡がなかったり、
宿泊するか帰ってくるのか事前連絡なく深夜に帰宅するなど、お花畑。
(外泊ダメって実家ではなく、夕飯いるいらない、その日のうちに帰る帰らないの連絡しないのがルール違反)
二人とも社会人で良い年なのに、っていうので、浮かれてる妹は勿論、彼氏の家内評判は悪かった。
親に会わせるよりも先に、姉のチェックを受けておこうという算段らしい。
私は15分くらい前に着いて待ってた。
・15分遅れてきて、二人でヘラヘラ手を繋いで歩いて現れて、事前の連絡も「遅れてごめんなさい」の一言もない
妹とお互い好き合ってるのは確かだし、
後日妹に、親に紹介するつもりなら本気で気をつけろ、と説教したが「緊張してたんだよ、ごめんね」と軽く言われ、それもイライラ。
実家に妹を車で迎えに行き、庭いじりしていた父にエンカウント。「こんにちは」「はじめまして」で止めておけばいいものを、
「◯◯(呼び捨て)のお父さんですか?」と声をかけて父をイライラさせていた。
これが1年くらい前の話。
二人で同棲する、って話を1年以上しながら、
二人暮らしのアパート借りて住み始める初期費用なんて、どんなに盛って盛って見積もっても50万程度では?
と思うが、全く目処がたたない。
給料少なくても、毎月二人で◯万ずつね、と決めれば、それが半年後なのか1年後なのかなんて決まるだろうに。
まあ、お遊びならそんなものなのかな、妹が浮かれてるだけなのかなと思ったが、
プロポーズしてきた、のに、親への挨拶とか同棲は「彼くんの準備が整ったら。」
さすがにおかしいと怒鳴ったら
妹も若干正気に戻ったのか、彼氏と色々話したところ、借金こそないものの貯金ほぼなくてカッツカツだったらしい。
車通勤の癖に、『車を売れば金ができるから大丈夫』とかその場しのぎの発言。
妹は彼氏のことが好き、田舎だし20代とはいえ焦りあり、で別れる気はなく、とりあえず待つらしいが…。
姉の本音としては、
別れてほしいが、
「あのときお姉ちゃんに反対されたから結婚できなかった」と後々独身人生まっしぐらで恨まれても困るので、
同じく反対派の母とともに「いつでも帰ってきていいよ」というスタンスでいようとは相談してる。
■追記
割と反応いただいていて驚いた。
コメント全部読みました。優しい言葉も辛辣な意見もありがとうございます。
元々明確に反対の意を示していたこともあって、
妹本人にとっては私は過干渉でキツい姉のようなので…。
自分が結婚する時は、親への報告とか挨拶とか、その後の顔合わせとか、
妹が結婚する時は、いろいろ相談に乗ってあげたいと思っていたし、
お姉ちゃん楽しみにして張り切ってたから、彼氏に会ってまじでがっかりした。
本当は妹のことも祝福してあげたいんだけど、
明らかなだらしなさと先に見える苦労で全然そんな気持ちになれず。
お金もためてて、一応自分1人が暮らし始めるだけの費用はある。(親が確認済み)
自分は大した支出なしに同棲始めようとしてたんじゃないかって姉は疑ってるよ。
「お金ないなら私が一人暮らしする部屋に来る?」って考えにならなかったのは本当によかった。
車の貸し借りって田舎だと当たり前ですか?
税金の金額も非対称だし、整備とか大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないよね。
妹馬鹿じゃね?お似合いじゃね?というのは辛いけど認める。
少なくとも親が存命のうちは、
アプリ版は下手にいじるとバランス損なうし混乱するからしばらくこのままでいいと思う。
アニメ・漫画には多少物足りないところがあるので提案してみたい。
スペちゃんは二人の母が居たが、実質ウマ娘(アプリ版)にも二人の母が居るようなもので。
オリキャラで二世、三世と紡いでいく時に、なんかぼんやりした存在の父親と実母、因子母の3人から生まれ、因子母と実母の絆が子供に影響あたえるみたいな。
各チーム個性があり、それぞれ敵対しながらもリスペクトしているいい関係だとは思うがぬるい。
ここは多少不自然でも、悪のウマ娘組織(学園)を登場させるなりして、チーム対抗戦をやる。
パラレルワールド的な話でもいい。シン・ウマ娘として、スピカ、リギルその他チームの精鋭や、他のウマを勝たせるために、大逃げしてペースを乱す師匠とか色んなウマにスポット当てつつ、努力友情勝利。
競馬には必要不可欠な存在。現状、トレーナーからの指示やアドバイス、本人の作戦観などで多少は補強されているが弱い。
また、一部(ズっ友コンビ)を除くウマ娘にとってレースが孤独でありすぎる。それはそれでもいいが……。
物理的に騎手を載せるなんて無理なので、浮遊する妖精をパートナーに着けるなど考えたらいけるかとも思ったが、ファンタジーが過ぎる。
唯一の打開策は、小動物(しゃべれる)を頭にのせたりポケットに入れて支持を仰ぐことであろう。
ねずみとかが適任だと思う。