はてなキーワード: 事象とは
独立事象って高校で習うはずのことなんだが千日手に持ち込むためにわざとあべこべの解釈してるのか?
あることとあることが独立事象とはお互いが原因と結果の関係で影響を与えないこと。
その行為が原著作者に許されてるかどうかはその行為が違法かどうかには関係しない。その行為が違法かどうかは権利者の意思とは無関係に、行為自体ががどのようかものかという観点から違法とする条件の構成要件との合致具合で定まる。
もし上記を踏まえて行為が違法かどうかが、子供に真似するなとか含めなんらかの行為が虐待に当てはまるかどうかに関係するとすればそれはどういうことなのか。
虐待に当てはまるかどうかで、構成要件との合致具合が変わってくるのか?虐待に当てはまるかどうかという虐待の定義のありようが、構成要件と照らし合わせるその行為自体の内実に影響を与えるのか。支離滅裂にも程があるしやっぱお前は自分の言いたいこと言ってるだけ。論理のろの字も弁えてない
独立判断事項なのに「実際は許されている事項」を介して「違法行為」と子供を関係づけようとすんなよ
もちろんおまえが「広義すぎて直接感得できないものまで違法とする著作権」なるものが存在するという幻を抱いているんだよな
どうしてそういう幻想を受け取ることになったのかそっちから説明してくれ
サルがタイプライターをいくらたたいても違法でもなかろうが保護もされない
個人の創作がすべて国家のものとして管理していた近代中国人かよ
そうであっても使わせることは使わせてたのに一体なにさまなんだろう
だよな、とゴリ押しで主張されましても両者がどう論理的に結びつくのか詳しい説明が欲しい所なんだが。
対偶をとれば「許されていることを違法行為という理由で子供にやるなと強制することは虐待ではない」ならば、「許されてる(権利者が罰せよと国家権力に請求しないこと)と、その行為が「許されてる(権利者が罰せよと国家権力に請求しないこと)と、その行為が違法行為であるかどうかは独立事象ではない」意味不明だね。なんで虐待じゃないとすると独立事象でないことになるのか、論理破綻も甚だしい
誰の許しでメシ食ってんのかとか話の流れにどう関係あるのかそれともただ思いついた言葉をとりあえず書いてるだけなのかとにかく支離滅裂だし。
「許されてる(権利者が罰せよと国家権力に請求しないこと)と、その行為が違法行為であるかどうかは独立事象」
なら
「許されていることを違法行為という理由で子供にやるなと強制することは虐待」だよな
ああん?だれの許しでメシくってんだ?
なぜ主権者と思うことが政府と思い込むことになるのか、論理の飛躍としか思えないが。
何も真似させないことは虐待だなんてのも、虐待の要件として聞いたことがない。そうであるなら都合がいいというお気持ちでしょ?
一方元増田で言いたいことは結局「違法行為(になりうるもの)をやればと言ってしまうのはたとえ自己責任でならとか条件付けて言っててもそんなの関係なく異常でしょ」であり、私はそれに即して言ってるだけだ。俺はそんなこと言うのは憚られるので正常。
あと、許されてる(権利者が罰せよと国家権力に請求しないこと)と、その行為が違法行為であるかどうかは独立事象なんでそこんとこよろしく
まとめ
・ヒヤリハットは本当
・敗戦処理の手札を握っておければなんとかなる
それでも何とか昼には収まったわけですよ。
それでまあスカしてみたわけです。
ムニュッ
となったわけですな。
慌てず騒がず身体を揺らさずトイレの個室へ行ってみると、大さじ2杯ぐらいのしおからっぽいものがパンツの上になんとか留まっていたんですわ。
落ち着いて周りから包み込むようにペーパーで取り去って、落ち着いて残りを出し切ってからケツを丁寧に拭き、ロッカールームに向かいました。
帰り支度を始めるにはまだ早い時間だったのでロッカーは空いてて、パンツを脱いでるところを見つかる心配はなかったということになりますね。
実は私、夏場は外回りで汗グチョになったときのために替えの下着を常備しているのです。
それにささっと履き替えて、下着を入れていたビニールにパンツを移してカバンにポイでこの件は終わりなのです。
いやはや用途は違いますが「いざという時に備えて常備しておく」というのがこれほど効くとは思いませんでしたよ。
仕事でも人生でも必要なのは、なにかあったときに咄嗟に切れるカードがあることですねえ。
持ち駒が沢山あれば王手をかけられてもなかなか詰まないということです。
そもそもの話は私の油断が原因ですね。
昼には出し切っていたと思っていたのが間違いだったわけですね。
サメ映画で言えば沖から泳いでビーチまで来た所で「ふー……助かったぜ」と座りこんでしまったばかりにビーチングかました鮫に食われたようなものです。
これはもう自分が悪い。
まあ10回中9回ぐらいは本当に終わってるのかも知れないのですが、1000回やって999回安全だったかと言われると全然そんなことはないわけです。
今回はプリッとですみましたが、一歩間違えればケツからナイアガラが吹き出して床に足跡を残していたリスクもあるわけですよ。
ゲリをしたあと12時間は透かしっ屁をしてはいけないという教訓を得ました。
ピンチを乗り越えたと思ったときこそ、まだピンチが続いてると思って油断しないことの重要性。
日頃から準備をしていれば想像とは別の形でそれが助けてくれる可能性。
人生においてサヴァイヴするための秘訣はまさにこの2つではないでしょうか?
安全確保は油断せず、準備をしっかりすること。
2023-09-05
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
管理人中心のスレを拾っただけだのでユーザー間の議論部分は見てません。あしからず。
ルール作成議論スレも拾い読み。増田は熱心な利用者でも内情に詳しい人でもないです。
5chのスレ読めばもう少し背景わかるかもしれないがしんどいので。。
管理人の最終的な考えはwikiトップページだけ読んでもらえればよいと思う。
という作品の、ある1話を解説する都合上、引用の範囲を超える翻案・盗作のような内容の説明を行う記事が多数あった・ある恐れがあった(管理人が一部盗用認定済み)
細かい付記として
(前略)
私は今でも著作権侵害で訴えられる可能性を考えると今回の対応が間違っていたとは思っていませんが、見通しは甘かったと考えています。
正直言いますとルールで方針を明確にし、理想的な修正後の項目を示しただけで、もっと修正作業はスムーズに進ものと思っていました。
ルール改定の周知についても、トップページの一番上に「重要連絡」として書いただけで充分周知できていると思っていましたが、皆様の反応を見る限りどうやらその考えも甘かったようですし、相談所だけでコソコソやっていると言われても仕方のない状況だったのだと思います。
(後略)
普通の人間なら、で想定すると失敗するのは企業・ソフト・サービス限らずの常だが、無償の管理活動でいつまでも付き合いきれるものではない。
管理人が示した権利侵害しない程度の文章にするという指針やルールはデカパイ妥当に感じるが、集合知に集合する衆愚には大抵通じず。彼らの相手は大変なのだ。いわんや編集というあるいみ個々人の創作活動でラインの協議をや。
前提:アニヲタwikiでは漫画・アニメ・ドラマの各話タイトルごとに記事を作成した「エピソード項目」が量産されていた。
長期シリーズものも多く、挙げられた一例だけでもドラえもん、コナン、こち亀、ウルトラマン、ゴルゴ13、ポケモン、ライダーなど総数は不明。この項目の議論は過去からあったという言もある。
そして
ja.wikipedia.org/wiki/ファスト映画#裁判および有罪判決
削除要因は明言されていないが、アンチスレや裏チャでは、校歌をまとめた記事が原因と考えられている。本家膨大では過去にも著作権侵害で運営から注意を受けていたが、今回は企業からの申し立てだったため、閉鎖になったと考えられる。
twitter.com/asakahajun/status/1621121095628881923
wikisitewiki.miraheze.org/wiki/膨大なページ数_Wiki*
seesaawiki.jp/bondai/d/%CB%C4%C2%E7%A4%CA%A5%DA%A1%BC%A5%B8%BF%F4%20Wiki%2A%B5%DA%A4%D3%B7%CF%CE%F3Wiki%C1%FB%C6%B0%B0%EC%CD%F7#content_7_25
テキストによる引用を超えた著作権侵害の意識が再度高まったか。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/303
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1638604623/ (発端の削除議論スレ290から)
6/25~ これを盗用と裁定し、ストーリーラインが丸ごとわかるような内容は禁止し既存記事の修正を促し、されなければ削除の方向となる。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/305
6/27
ただし、ファスト映画のように結末やネタバレ、核心部分を省略形で摂取できることを禁止しているわけではなく、あくまで書き起こしのようなものを禁止しており、独自に全体を文章でまとめることは禁止していなかった
私の考え方としては、>>319で書いていただいた内容と概ね一致しています
「単なる台詞と事象を丸写しした文字起こし」はダメで、「描かれた物語を噛み砕いて解説する文章化」であれば問題ないという考えです
「ストーリーや核心部分がほぼ全部分かる事」はOKで、「誰が何をどうしてどんな会話をしたかまで事細かに知れる」というのはNGという認識と考えてもらって構いません
ただ、会話を全く入れてはダメというわけではなく、常識の範囲内で少しくらいなら入れても
構いません
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/326
直後、「今後エピソード項目は全面的に禁止」の個人意見が出て、管理人はまだ、と応える
329:名無しさん:2023/06/27(火) 11:54:22 HOST:p104106-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp
その方が話がこじれないでしょ
335:管理人★:2023/06/27(火) 16:50:50 ID:???0
>>329
ルールを守ったエピソード項目が作られる分には問題ないと考えていますので
ルール違反の項目が複数のユーザーから作成され続けるのであれば要相談にするなどの措置も検討しますが、当面は制限をかけるつもりはありません
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/329-335
その後、報告・議論・整理スレなどで実際に判定や修正が行われていったものと思われる。
続く
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
「A」さん「B」さんとアルファベットで人の区別をして話してるのに
同じアルファベットを重ねて語り始めるところがリアル無能って感じがするな
読み手のことを考えられないのだろうな
自尊心はまだない。
何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。
他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。
ウィトゲンシュタインはコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。
まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的な共感能力と空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ。
一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間のコミュニケーションの曖昧さが本当にもう耐えられない。
明確で論理的で常に同じ意味で言葉が扱われることは、法律の世界においてさえ存在せず、裁判所で弁護士や裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧なものがその場限りの意味と解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。
私からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。
恐ろしいのは、その99:1が出来る人間の割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。
いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。
彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出して必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。
犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?
ふざけているわけではない。
色盲にとっての戦隊―ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉の機微なのである。
これはもう大変に厳しいことだ。
きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃんと文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。
私だってそう思う。
だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ。
これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。
今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的なパズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである。
普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。
こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。
何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから。
これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。
私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。
行き詰まった人生に方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家や芸術家になりましょう」「発明家や研究者に向いてますよ」と無責任な言葉が返ってくる。
実に下手くそに「貴方は社会不適合者なので、象牙の塔なり自分のアトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋な善意によっての社会からの排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。
その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別な生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日も迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。
これはもう精神的なリストカットとしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。
私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。
もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。
いい加減疲れた。
人生の先行きのなさが、生来生まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。
これ以上我々を責めないで欲しい。
責めるべきは、我々のような人間が人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか?
本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通の人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから。
私はジャニーズ社のタレントを応援してきたかつてのファンだ。今はファンのタレントはいない。みな、去ってしまった。
私がファンだったのは10代の頃だ。親は差別的な意味でジャニー氏はホモだと言っていた。ホモだから悪いという論理で性加害をしているから悪いとは言わなかった。私は、ホモだから異性としての魅力が分かり、優れた人材発掘に繋がっているのだろうと捉えた。
当時、私は性加害という言葉で教育を受けた記憶はない。当時は女性が受ける男性からのレイプは、そうさせた女性が悪いという認識が当たり前だった。DVという言葉も、女性が男性から受けるものであり、更にそうさせた女性に悪い所があったと見られていた。私はそれをそのまま受け取った。そう理解して欲しいのならそう理解するという従順さで従った。
成人になり、様々な経験を経る中でようやく、レイプをすること、暴力をふるうことは加害であり、女性が受けているのは被害であると認識できるようになった。これは悪い事ではないと思い込まされる、という事象も知った。
ジャニーズ社の事件の後、調査が入り公開された資料の全文を読んだ。70だか80ページ位あった。まず、これを全文読める人は限られるのだろうなと感じた。10代の子は読まないだろう。マスコミかSNSが流す情報から推測するに違いない。
今回の事件は、男性から男性への性加害であるということが、主に女性で構成されるファンの理解を難しくしているのだろうと思った。個人的な見解だが、ファンに限らず全体として、私と同世代の人間は同じ教育を受けているから、まずレイプやDVはそうさせた女性に非があり、女性が悪い、だから女性はそうさせないように身を守るべきだったのだと考える女性が現在でも多いのではないか。レイプやDVは加害行動であり、受けた人は被害者であるという認識が必要だが、かつて私がそうであったように、その主張は女性のワガママで生意気な態度だと女性でも思っている人はいると思う。私は親世代なので、この価値観で教育した親、された次世代もすでに世の中にいるだろう。
異性間のレイプやDVでも認識が難しいのに、今回は同性間であり、しかもともに異性である。男性から性加害を受ける男性を女性が理解するのは、かなり難しい。だから、ファンの中には「ジャニーズ事務所という名前を変更するべきだと思わない。応援して支持する」、「被害者も過去ジャニー氏におもねっていたではないか」という意見が見られるのではないか。
私が応援したタレントの中には、おそらく加害を受けた人もいる、と考えると、全く信じられない気持ちにはなる。報告書によれば加害されるのは小中学生だったとあった。その頃だと、性の知識はほとんどなく、ましてや被害と加害の認識なんて無いだろう。尊敬する先輩、親しい仲間、周りの大人がそれを許容も奨励もする中で、意味が分からず加害され、その意味をいつか理解したとき、耐えられるのだろうか?と思った。
ファンの中心層が10代であることを考えると、ファンにジャニーズの応援を辞めるか支持するかとか、会社名とか、判断や理解を迫るのは間違っている。良識のある大人が、粛々と組織の改善あるいは解体を進め、良い社会の在り方を子に示す責務があると思う。また、所属タレントは所属タレントであり、罪は罪である。罪は罰せられるべきだ。事実を報道しないマスコミは、各人が性加害に加担していたという意識は無いだろう、分業化を進める事でユダヤ人を虐殺できたナチスドイツと同じように。
「そう言われても、俺にはAとA'の振り分ける見分けがつかないんだ。新しいBとかCの事象に思える」
→ここはわかる。経験が少なかったり、あと俯瞰がめちゃくちゃ苦手で小さな違いにとらわれてしまったりする。ミクロとマクロを言ったり来たりしながら調整したりすることも難しかったりする。
正攻法としては<どこまでが同じでどこまでが違って、その結果マニュアルのステップXまでは適応できるが、その次のステップが適応できなくなるのだが、そこはどうしたらいいのか>みたいな分析をした上で、<どうしたらいいか>の仮説を立てて、<この部分がAとは違うので、マニュアルとは違うがこう対処する、ということでいいのか>という質問をする、ということになるのだろう。ただ、ここまでの分析検討に時間がかかりすぎて時間切れになってしまったりするんだよな。
まあ、でもミスってそのミスを後から分析して先輩が出した答えと同じになるように練習問題として考えてみて、時間を少しでも短くしていくしかない。
ASDには「見えないものは存在しないのと同じ」「知らないことは出来ない」みたいなことに陥りがちなので、可能な限り情報集めて疑似体験していくしかない。
別の場所で成功できたんならそれはそれで本人にとっては良かったんだと思うが、今後何かつまづいたときにはこれを試してみるといいかもしれん。
誰もが知る外資IT企業のマーケティング責任者で、弊社では新規プロダクトの営業戦略を任せるとのこと。
その前は大手広告代理店でも20年近く働いていたそうで、コネクションにも期待されて社長が呼んできたらしい。
ちなみに俺はその事業部の数値管理をする管理職なので給与もわかっているが、低年収の弊社にしては破格のオファーだった。
入社後挨拶したときの印象としては、人当たりがよく物腰の柔らかな方だな、というところだ。
しかし入社2ヶ月目から「ん?」と感じることが増えてきて、3ヶ月が経過したころには「この人ダメなんじゃないか」が事業部全体の共通理解となっていた。
一応2名の20代社員が部下についたが、事務周りのフォローがメインであり経営層への報告・提案資料を作るのは荷が重い。
前職では優秀な部下に指示すればいい、という考えで何とかなってきたのだろうが
JTCである弊社はそこまで人材豊富ではなく分業制も機能していない。
「◯◯業界向けの商品を作りましょう」といきなり口頭で提案してくる。
じゃあ簡単な事業計画を作ってください、と依頼して2週間後、会議に30枚くらいの資料(カラーコピー人数分)を持ってきた。
びっしり文字が書かれているが、よく読んでみるとChatGPTに「◯◯業界とは何ですか」と聞いた回答のコピペで、資料の7割は競合企業HPのスクショだった。
最後は「これで売上1000億を目指します!」で終わっている。
これでは何も判断できないので少なくとも利益計画とスケジュールについて追記して再提出してください(あと次回からは投影だけで印刷不要です)、と伝えたが
「やっぱそうですよね!これからやろうと思ってたんです!!」とのこと。ちなみにこのセリフは今後も何度も聞くことになる。以降ヤッパ氏とする。
会議後に事業トップから事前に資料のレビューしてあげて、と俺に指示があったため、資料を見せてもらうことにしたが
以下のようにまともな社会人として出せるレベルのものではなかった。
初めのうちはこうしたらどうか、この観点が抜けているのでは、と改善案を提示していたが
そのたびに「やっぱそうですよね!」と言われるとだんだん腹が立ってくるので、
「これを書いて読み手に何を伝えたいのですか」「前ページと矛盾した言葉になってますがどちらが正しいのですか」と質問するだけにした。
また、ヤッパ氏の悪癖として話が長い、ということがある。
ちょっといいですか?と声をかけてきて1時間平気で話し続けてきたりする。しかもメモはとらない。
俺はそれなりな立場にいるので「忙しいので15分にしてください」と言えるが
若手社員が捕まって2時間くらい雑談につきあわされている、という話をその後何度も聞くようになった。
一般的に異業界への転職は覚えることが多く、特に弊社の新規事業はハイプサイクル前半の業界なので
「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」みたいに聞こえるだろうな、と思い
社内のteamsに定期的に配信している記事も、同じ単語を使っているがまるで別のビジネスだったりすることが多い。
外資出身なので海外事例のレポートを要約してもらったりもしていたが
技術がわかっていれば明らかにおかしいと思われる文章がたびたび混在し、その度に原文を読みにいかなければならず、結局機械翻訳を使うことにした。
勉強がてら社外イベントに行きたい、というヤッパ氏の希望にも応え遠方のイベントにも頻繁に行ってもらったが
出張報告では誰々の有名人がいた、ニュースにもなっていた、という話ばかりで自社に関係がある情報かという観点はほぼなかった。
イベントで資料をもらった会社が面白かったので今度訪問してもらうことになった、とのことでその会社を調べてみたが明らかに弊社とは相性が悪そうだった。
(例えるならガソリン車しか作ってない弊社と、EV車用のエンジンをつくってるベンチャーみたいな感じ)
弊社のプロダクトに活用できないと思いますけど、先方はわかってますか?と聞いたが
「やっぱそうですよね!ちゃんと伝えておきます」とのことで一抹の不安はあったが会議に同席した。
当日先方のプレゼンを聞いても、どうしても弊社で活用できるイメージはない。
一通り聞いたあとで「弊社はこういうビジネスなのですが、そういった企業向けのプランはありますか?」と質問したときの「え・・・?」と引きつった顔は忘れられない。
片道2時間かけて来ていただいたのに申し訳ないことをした。会議以降その会社からの連絡は来ていないらしい。
大手広告代理店出身ということで大企業にも知り合いが多いらしく、「あの会社の責任者なら知ってますよ、声かけましょうか?」とアポをとってきてくれるのはカッコよかった。
20年前くらいにドラマのいい役やってた芸能人なんかを会社に連れてきたこともあった。
しかしアポのレポートを読むうちに、連れてくる人は3パターンに分けられることに気づいた。
(1)先輩後輩の関係で仕方なく来る人
(3)ただ喋りたい人
→(3)が半数以上であることが意外だった。
世の中の大手企業にはなんたら部長という役職は持っているものの実質一人部署で、知り合いの会社を回ってそのまま会食へ行くというポストが割とあるようだ。
1度だけ同席したが、会議中は「あのときの同期は何してる」「この人は昔こういう仕事をしてて、、」という話が延々と続くので、以降顔合わせを頼まれた際も断ることにした。
また、上記の中でも一応は真摯に向き合ってくれる企業もあるので、こちらからRFPを作成する必要も出てくるのだが
ヤッパ氏の実務能力の低さから、若手社員がそのフォローに入る(ヤッパ氏的には相談しているということだが若手は断れない)ことになり
通常業務に支障をきたすことが増えた。「発注書をもらうまでは一人でやること」というルールになった。
ヤッパ氏が引っ張ってきた案件はその後結実することはなかった。
6ヶ月目目からはマネージャー会議には呼ばれるものの、発言もほぼなく、たまに会った他社との商談(雑談)報告をするだけとなり、
1年経たずに退職することになった。
最後の方では事業トップとの1on1ではかなり厳しいことを言われていたらしい。
外回りがないときは休憩室にいることが増え、他部署の新人を雑談に付き合わせて上司から苦情が来たらしい。
ヤッパ氏についた部下2名は仕事が減って暇になったタイミングで俺の部署の仕事を手伝ってもらいそのまま引き受けることになった。
本人としては「もっと裁量があれば話は進められるのにマイクロマネジメントをされた」と考えているかもしれない。
正直このレベルの役職であれば我々も「結果さえ出ればやり方は任せる」としたいが、
新規事業とはいえ弊社はキャッシュが潤沢にあるわけではなく、よくわからないけど投資して失敗しました、だとガバナンスを疑われる。
だからこそ、周囲を納得させるためのロジックが最低限欲しいのだが、それが出てくることはなかった。
ヤッパ氏は悪い人ではないし、優秀な部下がいれば活躍できた可能性もあるので、単なる採用のミスマッチとも言える。
弊社の他部門でも実務能力が同じくらい低い管理職が率いていながら何とかなっているところもある。
前職にいれば安泰だったのに、弊社に来たがゆえにヤッパ氏のキャリアやプライベートが悪化したとなれば悲しい話だ。
しかし仮に退職したとしても持ち前のコネとノリでいい会社に転職できた気はする。名前でエゴサしてみたが見つからなかった。
n=1の自分語りですまん。
でもBさんだった俺の助かった話を聞いてほしい。
君には幸せになって欲しい。
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端的に言うと、数年前の俺もBさんで、君と同じ状況だった。
A'のときには、A2の処理を
そう言われても、俺にはAとA'の振り分ける見分けがつかないんだ。
新しいBとかCの事象に思えるし、俺には俺の理解というか、論理があるのだけれどそれが仕事の流れと合致してくれないから、俺には延々と対応出来ない(教えてもらってない状況であると誤解や錯誤した)状態となり、質問しにいくと「それはもう教えたのになぜ出来ないのか?」とお互いに呆れて苛立ち、ため息をつくばかりだった。
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君のいう「内部出荷の担当がCの部署なのだから、C部署のコピー機で印刷するのがあたりまえだろ!」という場面に、俺も毎日何度も遭遇した。
俺の場合は、あぁそうだなと納得出来ることもあれば、「いや、C部署のコピー機が正常に印刷出来るか分からないではないか。次の担当者のタスクに加えられるよう漏れがない様に手渡しするべきなのではないか?そもそもC部署のコピー機を使うなど、どうやって推察すればいいのだ、言ってくれなきゃ分からないだろう」…なんて思っていたのだが、周りはこうした“職場のお約束”がすぐに察し取れて理解出来るらしい。不思議である。
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こうして俺は「気のいいお調子者」から「へらへらした無能」に転がり落ちた。
諸所省くが、適応障害を罹患して数ヶ月の引きこもりを経て退職。一年超も傷病手当金を頂戴しつつ鬱々とした日々を過ごした。2回も。
いやマジで辛かった。省くけど、辛すぎて交通事故を起こしたくらい。もう認知がだめだめよ。
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現場に立つ講師の中で俺の成績はほとんどトップで、ぐんぐん報酬は上がり、方々から誉めそやされる日々である。
Bさんとして各社(片手じゃ数えられない)を追われた俺は、超有能ホープとして大切に扱われている。不思議な話である。
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だが俺は何も変わっていない。
俺が小さいときからこんな(仕事の出来ない)性格で、こんな考え方で生きてきたことは何も変わってない。
ということで、俺は「失敗した数」「失敗した状況の内容やバリエーション」「その度に改善を試みたあれやこれやの対策」については、俺なりの理解と理論ではあるものの先駆者なのだ…と気がつくに至る。
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俺は世間一般ではクソどうでも良いことでもつまづいてきた、つまづきエリートなので、生徒さんの勉強が出来ない原因やおおよその内心が分かるし、その解決に向けたアプローチの仕方も多数に揃っている。
そんなときにスポンサーである父母様や祖父祖母様の不安や望む未来も、まあそれなりにわかる。
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と言うわけで、勉強が楽しくなって生徒もにっこり。我が子が学習に意欲的になって保護者もにっこり。会社は金を、俺は金と名誉と居場所を得られて万々歳だ。
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話は元に戻るが、
きっといろいろと考えてしまったり、職場の思考回路と一致しないせいで仕事が出来ない…そんな我々Bさんにも、やはり適職があるのではないか?
君にも、君が必要とされる職場や職種があるのではないだろうか。
落ち込む日々だろうけれど、どうか君自身の強み、自分には簡単で他者には難しい、そんな得意なことを見つけ出せることをマジ心底願ってる。
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追記。
退職した職場やその業務内容、全然興味なかったのよね。だから早く帰りたかったし、勉強やメモの見返してすら苦痛だった。
今思えば、無意識にやる気がなかったのだと思う。だから覚えられなかったのかな?覚える努力もしなくなかったのよね。
今は何時間でも稼働出来るし、働いている時間が楽しい。まあでも“働かなくてはいけない”のが嫌いなので一生懸命に不労所得を作ってます。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』を読んだ。ナチスの行った行為についての<事実>や<解釈>については自分が誤解していたこともいくつかあり、とても面白く読めた。一方で、著者らの<意見>は、タイトルの問いに対する十分な回答ではないというのが正直な感想である。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』というタイトルを読んで私がまず考えたことは、著者らは「良いこと」をどう定義しているのだろうかということである。
②Xは善い(価値判断)
①については著者らの言う通りナチスが実施した行為について歴史学の方法で事実とその解釈を検討することは重要であろうし、素人の考えが誤っていることは多々あるだろうこともよく理解できる。素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ない。
一方で、②については、"「~である」から「~べき」は導かれない"というヒュームの法則が端的に表すように、事実・解釈とは独立した善悪についての価値判断である。①についてお互い同意していたとしても、②が異なれば善悪の意見が真逆になることは十分あり得る。
もちろん、何を善いとするかは自由に決められるわけではない。「ナチスは良いこともした。なぜなら ②ナチスのしたことは善い からである。」という主張は(そう言うのは自由だが)多くの人を説得できないだろう。
そこで普遍化可能性という基準が出てくる。普遍とは簡単に言えば、固有名詞を含まない、という意味合いである。例えば、「金を返さないのは悪いことだ」という価値判断を採用するのであれば、誰であろうと金を返さない人は悪人であると判断しなければならない。
「あなたが私に金を返さないことは悪いことだ」とするならば、「私があなたに金を返さないこともまた悪いことである」としなければならない。ナチスの行為を何らかの理由で善い/悪いこととするならば、他の〇〇国がした同じようなことについても、別扱いをする普遍的な理由を挙げなければ、同様に善い/悪いこととしなければならない。
ナチスの政策Aが良くないことならば、同様(に見える)〇〇国の政策Bも良くないことですよね?という問いはWhataboutism論法ではなく、価値判断の普遍化可能性についての確認である。同様に良くないことだと言うならそれでいいし、違うならその理由を説明すればいい。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』は歴史学の本であり倫理学の本ではないから、ナチスの政策についての事実・解釈の説明がメインなのは当然である。しかしながら、「良いこと」もしたのかというタイトルにするならば、著者らの価値判断が普遍化可能であるのかについてもある程度の紙幅を割くべきだったろう。
さて、本では素人が考えがちなXとして、A:オリジナルな政策、B:目的が善い政策、C:結果が良い政策 の3つを挙げ、「素人考えでは政策AはXに見えるが歴史学の手法で解釈するとAはXではない。よってナチスは良いことをしていない。」とする方式で説明が進む。
まず、著者らがオリジナルの定義をかなり狭いものとしているのが気になる。まったくのゼロから何かを考え出すこと以外にもオリジナルさを見出すことは特段おかしな考えではないはずだ。
私はメーカー勤務の研究者である。ニーズ先行の商品開発は、(i)市場調査部が計画を立て、(ii)R&Dがラボ試験をして、(iii)工場が大量生産化するという流れで進む。ここで、市場調査が計画をしたことをただ実験して、ただ大量生産しただけなので、研究者も工場技術者もオリジナルなことはしていないと言われたら、ちょっと待てよとなる。
また、実はコピー製品も安定的に製造するのはかなり難しい。同じ会社の別工場で品質がぜんぜん違うことは珍しくないし、他社製品をコピーするのに数年以上かかることも珍しくない。
私は政策を計画・実行したことはないが、計画を実際の法案として成立させることや他国の制度を法律も文化も経済も違う自国で同じように実施することには何らかのオリジナリティが必要であろうことは想像できる。
これについては、著者らも書いている通り、オリジナルであることと良いことは何も関係がない(もちろん、オリジナルでないからといって良くないとも言えない)ことを説明するのが適切だったのではないか。
「確かに狭い意味ではオリジナルでないことは同意する。しかし広い意味ではオリジナルであったし、A:オリジナルは善い という価値判断の元、ナチスは良いこともしたという意見は変わらない」と言われるだけのように思う。
著者らはナチスの政策の真の目的は戦争のための「民族共同体」の構築であるとして、それは良くない目的であると価値判断をする。これは(i)戦争のためという目的は良くない、(ii)「民族共同体の構築」という目的は良くない という2つに分解できる。
(i)戦争のためという目的が良くないとすると、例えば福祉政策が戦争のために発達したことは多くの指摘があるが、福祉政策は良くないことと言えるのかという疑問がでてくる。またインターネットやロケットなど戦争のために生まれ発展した技術は良くないことと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、これらを良くないとするなら(同意を得られるかは別として)普遍化可能性についてはクリアしている。しかし、これらを良いとするならば説明が必要だろう。
また(ii)「民族共同体」の構築が良くないとすると、例えば「国家共同体」の構築のために移民(特に既存の国民にとって良くない影響を及ぼす可能性が高い移民)を排除することは良くないことなのかという疑問がでてくる。
私はリバタリアンとして個人の自由を尊重する立場から国家が移民を制限することは良くないことだと考えるが、日本はもちろんヨーロッパやアメリカの現状を見るに、世界全体で受け入れる人は少ないと思われる。
「民族共同体」の構築という目的は問題ないが、その方法としての搾取・断種・敵対者の排除が問題であるという主張も考えられる。私もそれらの方法について全く支持しない。
しかし、目的は問題ないとするならば、②目的が善い政策は善い の反論としては不適である。
また、占領地・植民地からの搾取や障害者の断種、反政府思想の弾圧などは同時期の他の国でもあったことであり、それらと比べてナチスの政策はと同程度に悪いのか、それともより悪いと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、①事実・解釈について素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ないが、気になる点をいくつか挙げる。
(i)失業者600万人に対して雇用創出政策では50万人程度であるから効果は限定的というのは乗数効果を全く考慮にしていない。私個人としては政府の雇用創出政策の効果に懐疑的ではあるが、ケインジアンはこの<解釈>に文句があるだろう。
(ii)「膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力に直面することになった」について、例えば日本の社会保障政策も同様という論者は多いが、良くない政策だと言えるか?(なお、私は良くない政策だと考える)
(iii)「「軍備の奇跡」なるものも結局のところ戦争の集結を引き延ばし、多数の人命を犠牲にするだけに終わった」は枢軸国側が負けることを知っている前提の意見ではないか。(現在はともかく)露宇戦争開始当初はウクライナが人命の犠牲を避けて早く降伏すべきという意見はそれなりの数あり、またそれに対する批判も多くあった。
(iv)例えば医療分野の発展はその大部分を動物の搾取を前提としているが、動物愛護思想の人が「医療は"何も"良いことをしていない」と主張することを認めるか?もし動物愛護思想を認めた上で医療分野は「良いこと」もしたと言うならその理由はなにか。
(v)タバコについて、一方では「最終的には自己責任であった」と強制がなかったことを問題としているが、もう一方では特に女性について「家父長的干渉主義」という強制があったことを問題としている。これはダブルスタンダードではないか。
ナチスの政策・行為の"総和"として大きくマイナスであることは多くの人が認めるだろう。
しかし、"個々が全て"マイナスであったというのはかなり強い主張になる。
「ナチスは「私たちはこうあってはならない」という「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能している」ことが正しいとしても、それは"総和"で達成できるのではないだろうか。
ただニュートンが考えたような絶対空間ではなく、質量によって歪んだり、ダークエネルギーで膨張したりする。
空間自体は物理法則が当てはまらないようなので光速を超えられるけど、その空間内にある事象は準絶対空間の座標を基準にした光速までしか出ないと考えればいい。
でもちょっとややこしい。
準絶対空間の座標AからBまで1光年だとする。光がAからBに到着するまでに空間が一定速度で2倍(AからBまで2光年)に膨張したらかかる時間はいかほどか?
移動しながら膨張によって距離も変わってくるので積分が必要になってくる。
ニュートンの絶対空間なら「空間が膨張することはない」で話が終わる。
膨張したとしても現在の空間の範囲の外側に新しいエリアが追加されると考えるのが正しいのかもしれない。
例えば方眼紙で10cm×10cmから四方に5cmずつ追加して20cm×20cmになる。でも元の座標は動かないのでAとBの距離も変わらない。
一方、準絶対空間だと方眼紙のマス目を2倍に広げるので座標間の距離も2倍になる。でも速度を考えた場合は元のマス目の大きさ(距離)で考える。
うん。ややこしいね。
実際に観測結果から宇宙(空間)は光速よりも速く膨張しているとみられている。だから地球から見て光速を超えた範囲は観測できない。
その範囲では地球に向かってくる光も膨張の速度に負けて遠ざかっていくように見える(観測はできない)。