はてなキーワード: 事業者とは
労働環境が劣悪な小規模な介護事業者をみると、そんなの潰して大規模でホワイトな介護事業者に補助金出して小規模事業者分カバーしてもらう方がだいぶましだよなって思う
https://anond.hatelabo.jp/20240227085257
手帳が無いだけのほぼ障害者が云々と言っているが、それは生産性とはほぼ関係ない。
下請け中小企業は大企業に搾取されるから生産性が低いという意見もほぼ間違い。
そもそも日本のBtoB企業は中小企業まで含めておおよそ生産性が高いのだ。
生産性が低いのは圧倒的にBtoC。もっと限定すれば宿泊業、飲食、介護だ。
こいつらがボトムのボトムに停滞してるから、日本全体の生産性も低く算出されているだけ。
じゃあこいつら最低生産性業界はどうすれば良いのかといえば、答えはもう完全に出てる。誰でも知ってる誰でもできることで解決可能。
値上げすりゃ良いのだ。
ニセコの宿泊業、飲食業の生産性は、同業界内では全国屈指の高さを誇る。
その理由は馬鹿な経営者でも分かるだろう。料金が高額だからだ。
こいつらは別に大企業に搾取されてるわけでも何でもない。経営者が無能過ぎて、適切なブランディング、マーケティングができないだけ。
無能だから値上げしたら一般客が離れるとチキンになっているだけだ。
介護についても答えは出てる。小規模事業者を集約して地域毎に大規模介護拠点を作れば良い。
介護ほど規模の経済が効きやすく、それでいて小規模事業者が乱立している業界も無い。
介護者5名で診れる人数と、50人体制で診れる人数は単純に倍数にはならない。
ゴネる介護事業者(社長)と、地元で介護されたいというゼイタクな爺婆を政治のチカラで黙らせればすぐ実現可能だ。
(参考)
相続で成り行き上賃貸マンションの大家になり10年が経った。約100部屋を自主管理している。
もう消しちゃったけど、昨年に賃貸マンションの入居審査について色々書いて、皆様をお騒がせしておりました。
ところで……
https://anond.hatelabo.jp/20240217193512
こないだ話題になってたこれ、面白かったなあ。すごく参考になって、いっぱいメモを取った。書いてくれた人ありがとうございます。
ところで同じマンションのリフォームでも、自宅をリフォームするのと、俺みたいな大家がお客さんに貸すための賃貸マンションをリフォームするのとでは、重視する部分が異なってくるように思う。
リフォームと呼べるほど大したものでもないが、住宅設備の修繕だの入れ替えだのは俺も年がら年中やっているので、いろいろネタがある。ちょっと書いてみたい。
エアコンについて。
賃貸経営の場合、設備として導入するエアコンはとにかく機能の種類が少なく、シンプルな機種の方がいいという結論に落ち着いた。
理由は3つある。
(1)使い方の問い合わせが減る
下手に多機能だと、説明書の読めないお客さんから使い方を問い合わせる連絡がくる。これが意外にしんどい。相続後に色々あって自主管理を始めた当時は、某社のグレード高めエアコンがついていたのだが、いろいろ余計な機能がついているおかげで、定期的に使い方を問い合わせる連絡が来ていた。あと機能が多いと、故障する箇所もそれだけ増える。
そのうちウザくなってきて、入居者が入れ替わる都度、日立とか富士通とか、その時点で手に入る一番安くてシンプルな機種に順次変えていった。今ではエアコンの使い方を問い合わせる連絡はほぼゼロになった。
ところで、有名どころの家電メーカーのエアコンは一番安い機種ならひと通り使ってると思うが、サポート体制はダイキンが一番良いと感じた。何しろ故障した時に来てくれるのが早い。なので本音を言うと、俺んとこもダイキンの一番シンプルなグレードの商品で統一したい。
だが、最近だと一番シンプルな機種でもスマホがリモコン代わりになるみたいな機能がついててなあ。これ使い方わかんないっていう問い合わせ来そうだなと思って最近はダイキンの製品は買ってない。
自分で自宅用として使う分にはこういう付加機能は便利でいいんだろうけどね。俺みたいな奴がお客さん用の設備として入れる場合だと、全部トラブルの種になっちゃうんだよね。
エアコンはカビやすく、衛生面からも入居者入れ替えの都度ちゃんとクリーニング業者さんに掃除してもらった方がよい。ところが、お掃除機能とか余計なのがついているとクリーニングの難易度が上がるらしく、料金は高くなるわ、場合によっては断られてしまうわでいい事がない。
いまどきの超高性能機種は違うのかもしれんが、俺の経験だとグレードの高いエアコンでも結局カビからは逃れられない印象。俺はカビくせえ多機能エアコンより、低機能でも定期的にプロが清掃している清潔なエアコンの方が好きだな。
数年住んでくれた入居者が出て行った後だと、動作点検でエアコンをつけたら、やっぱりちょっとカビくせえな、という状態になってしまっているという事は普通にある。入居者がエアコン清掃なんてできないし、何年か使っていたらこうなってしまうのはもうどうしようもない。フットワークの軽いエアコンクリーニング業者さんとタッグを組んで、こまめにきれいにするしかなく、清掃しやすい製品を選択するという点からもシンプルな機種を採用することには合理性がある。
ちなみに俺んとこでは「俺の馴染みの業者で良ければ、俺が金を出すからエアコンがカビくさくなってきたら遠慮なく言ってくれ。お客さんは立会いだけやってくれ」という事にしてある。それでもエアコンクリーニングを頼んでくる人は年に1人いるかいないかだな。作業に2時間くらいはかかるからね、やっぱり立ち会ったりするの面倒だもんな。
エアコンに限った話ではないが、事業者が10万円以上の物を買った場合、「減価償却」というバカみたいな事をしなければならない。
これは金を払ったのは今なのに、今期に費用として計上できるのはその一部だけで、残りは来期以降にしてねという超クソ制度だ。
加えて、事業者が10万円以上のものを買うと償却資産税とかいうスーパークソな税金の申告対象になる。
そういう意味でエアコンについても、10万円未満で手に入る製品に限定するのが鉄則だ。
金をもらったのに、その全額が売上にならないような取引
俺みたいな小規模事業者がこれを繰り返していると、じんわりと資金繰りがキツくなってくる。手元にある金が使っていい金なのかそうじゃないのか見えにくくなってくるんだよな。10万円未満で買えない物はもうしょうがねえけど、商売でやってる以上、選ぶ製品を工夫すれば10万円未満に抑えられる物については10万円未満に抑えるべきだと思う。
ところで、30万円以下なら減価償却不要で全額費用にできるなんとか特例とかいうのがいちおうあるが、あれも全額費用にできるってだけで、確定申告の時に出す固定資産の台帳には載せないといけない。だからむやみに繰り返していると固定資産の台帳がクッソ増える。
あと全額費用に計上できるのはいいものの、前述の償却資産税の申告対象にはなるので償却資産税はバッチリとられる。
政治家はパー券売った金を帳簿に書かなくていいし、税金も払わなくていいんだろ?
俺たちが10万円以上の物買うと、帳簿に書かされて消費税だけじゃなく償却資産税まで取られるんだぜ。
要するにゴチャゴチャ余計な事考えず10万円未満に抑えて、払った金は消耗品代として全額一発で費用に計上、固定資産台帳にも載せる必要ナシってのが一番シンプルで最高なわけよ。
まあこれはエアコンとは本質的にあんまり関係ない話だな。でもちょっと上のグレードの製品だと普通に10万円以上するからね。何も考えずに毎回そういうの買ってるとチリツモで少しずつ大変になるよ。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
この人たちって自分たちの意見がマイナーな部類であるという認識にはたどり着けないのはなんで?
それともマイノリティだから尊重して意見採用すべきなのにってやつ?
パブコメで忙しくて読めてなかった第5回AI時代の知的財産権検討会(1月26日)の資料。なんかもう、辛くて泣きたい。「クリエーター自身が生成AIを使って高度な作品を生み出し利益を得ることが一番の利益還元」だと。我々が送った意見を総括して出てきたのがコレらしいhttps://t.co/5CJrXy4pf8 pic.twitter.com/59oOinXn8i— mirium (@numatakeja) February 7, 2024
…最悪の予想が当たった形になって悲しい。
恐らくパブコメは読まれているが原文の意図を汲み取る気が全く無いと見ている。
魚拓取って原文を残しておかないと、生成AI推進事業者に都合の良い部分だけ抜き出される可能性が高い。 https://t.co/jJglbRvxhu— 八熊 諒 (@laughingman2419) February 7, 2024
ぶっちゃけ年〇〇万円以上の収益が発生する配信者は事業者としてVtuber・ストリーマーの統括する組合に所属し、管理されなければならないとかしたほうがいいじゃねーのかな
X自身がいまだに真っ当に会社経営するには過度なユーザー抱えてて、顧客を篩にかけてXにとっての優良顧客選別しようとしてもできていない。
他社にしたって「サービスにタダ乗りするだけで大した利益ももたらさない優良顧客気取りのお荷物」なんか引き取りたくない。
目先の数字のために考え無しに引き取ったらTwitterと同じ末路を辿るだけってのは皆理解してる。
でも、そういうお荷物で飾り立てなきゃ盛り上がらないのも事実な訳で、ActivityPubみたいな仕組みでいろんな会社が少しずつお荷物を分担するってのがXにとっても他のテキスト系SNSにとっても最善な気がするね。
「脚本は異能」なのはともかく、初手への評は「シゴキで傍にすり込む話じゃねえだろ」感。ただこれ、実行者はプロデューサーだよねえ……。
800円はちょっと低すぎるよね?
くらいの価値はあると思うのだが、なんでこんな一般消費者向けサービスを頑なに維持してるのか分からん。事業者向けの商売だけでいいんじゃないの?
1980年代、旺文社と言えば、参考書や英語教育で業界最大手だった
ところが87年ごろから社長が建築家ノーマン・フォスターに入れ込み、センチュリータワー不動産事業を始めてしまった
赤字を抱え、「百万人の英語」などの教育ラジオ番組や雑誌をバタバタ終了させた
結論から言うと、このことには阪急グループ、日テレの関与が疑わしい
後楽園球場(東京ドーム)社長で日本ボクシングのコミッショナー、世界ボクシング協会の名誉会長の弁護士真鍋八千代は矢来町にいた。日テレの田邊宗英との共同事業者。矢来町には新潮社もあって、知る人ぞ知る地区。旺文社は1993年に本社ビルを竣工して入居したが、1998年にアディダスジャパンと入れ替わり、アディダスは2013年に転出して取り壊された。20年で建築史から消えたフォスターの歴史的なステルス建物。証拠消滅完了
誰かが旺文社社長に、著名な建築家の建物なら運用も容易だと持ち掛けたはずだ。あるいは、ドイツ企業日本進出の際には…云々。アディダスはドイツの多国籍企業でボクシング用品で有名。ちなみに社長真鍋八千代時代はナチス全盛で、戦中はアディダスも親ナチで、靴の工場が対戦車兵器パンツァーシュレックの製造に使用されたりした