はてなキーワード: 予言とは
そっかぁ
見た目が可愛くて愛らしいポメラニアンを助けるために私有財産を割くのかぁ
そしてそれは、差別じゃないのかぁ
あーあ
キモくてカネのないおっさんは、現代社会の価値観がどれだけアップデートされようとも
これは当然出てくる発想だけど、ボランティアのニーズ情報が一元管理されるような方向の発展はないだろうと予言しておく。
あるとしても何十年先かな。
ボランティアは統一組織ではない。組織でないものが組織のマネしても中途半端なことにしかならない。
だいたいどこそこに何人回せとかそういうふうに計画的なオペレーションと命令系統が成立するならそこには契約と報酬があってしかるべきなんよ。
ボランティアは予備役兵みたいな便利に使える二軍の人員ではない。
あくまで個人的な人助けの延長なんで、公的・組織的な支援からどうしてもこぼれるイレギュラーな需要に、ある意味では泥縄で対処するのが身上。
心のなかで倒せたならクリアだろ
現時点ではクリアまで見れない原神なら進めるのに躊躇ないはずだしやろうぜ
メインシナリオだけなら3ヶ月やれば最新にたどり着けると思うが
サブまで含めてしっかり世界観を理解しようとすると6ヶ月あっても足りないと思うぞ
その過程で見られる景色とアート表現は正直どのゲームにもたどり着けない領域だと俺が保証する
累計の開発費では700億以上かけてると思われ、これは既存のどんな買い切りゲームよりもお金かけて制作してる事になるからな
モバイルも含めたプラットフォームなのでぱっと見の美観はAAA級に劣って見えるかもしれんがアニメ調としての映像表現はPC/PS上では超一流だ
序盤の国では平凡な風景かもしれないが騙されたと思って継続してみてくれ
海を渡ったり巨大な穴に潜ったりするあたりからすごくなってくるはずだ
今4年目入ってるが、6年目あたりで現存の国は巡り終わる予定だ
サービス開始時に出てるティザーというか予言ムービーを参考にするならだが
ちなみに同社の別作品では7年目でやっと第一部完結させて今1.5部も終わったところだが
年末からVtuber見始めちゃったって言ってた増田ですけど、年明けても相変わらずVtuber見続けてますよ
ブコメでも、「コラボ動画見たらだんだん見る対象が広がっていくよ」みたいなことが言われてたけど、予言通り見事にちらほら見始めちゃいました
お勧めされていた順当な後継者っぽい子は、なんか授業みたいでちょっと聴きにくかったけど、昨日ちょっと、昔から仲良さそうな関西の女子高生とか、なんか国持ってる王女様っぽい子とか聴いたらけっこう楽しかったです
というかすごいね!
企業Vtuberの事務所って、こんなにしゃべりが達者で、キャラが立っている人が何十人どころか100人以上所属してるの?やばいじゃんまじで
多くの古参からしたら5年遅れの感想だろって感じなんでしょうけど、こんな上質な話芸のエンターテイメントが無料で、無限にyoutubeに存在していたということに衝撃を受けている状態です
正直、他人が遊んでいるところ見るくらいなら自分が遊ぶわ!ってゲーム配信とか絶対に見なかったんですけど、これ、ゲームを見るっていうかお気に入りのアイドルのリアクションを見ている自分がいることに気付いてまたなんか価値観が揺らいでますよ
あとお気に入りの声をイヤホンで、ずっと聴いてるとね、なんか恋人、とは言わないまでも、すごく親しい友人みたいな気分がしてくるんだよね
語りかける口調も多いじゃん、ラジオDJとかテレビのMCよりずっと個人に語り掛ける感じがあるじゃん
なんか毎日ずっと電話してる相手みたいな気持ちになってこない?
幸いまだコメントとか全然つけてないし、youtubeのアカウントとかもないからチャンネル登録すらしてないけど、やりはじめたら厄介ファンになりそうな自分がすごく怖いね
もう片方の方にもいつか手を出す日が来るんだろうと思うと、なんというか、とても恐ろしいねこれ
マンガやアニメのキャラにすら熱烈なファンがついていることを思うとさ、Vtuberって将来性やばくないか?
俳優とか芸人とかは本業があるから、ファンサ100%みたいな活動はまず無理なのに、Vtuberって存在そのものと本業がそのままファンサじゃん
こんな業態他にある?
こう、誰しもお気に入りの推しポケモンがいるように、推しVtuberが普通にいるのが当たり前の時代がくるんじゃないのこれ
そしてガワを作ったり配信に関する技術開発は必要だろうけど、それ以上の元手ってほとんど必要ないことを思うと、営利企業としても将来性すごそう
Vtuberになりたい人は事務所の看板と、すぐれたアバターが欲しいので、今の二大看板が有望な新人を集められる構造はすでにできているでしょう?
すんごいね
数分前の予言通りに行動するやつがあるか!
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書を読み終えたところだけど、どれもなろう小説じゃん。
福音書は細かく章や節で分かれていて、一つ一つが読みやすい分量に収まっているところなんて、まるで毎日更新のなろう小説じゃん。
内容だって、神からチート能力を授かったり、チート能力で怪我や病気を治したり、チート能力で羨望の的になって仲間を集めたり、悪役を論破したり、なろう小説そのものじゃん。
チート能力で人の病気を治して「このことは、だれにも知らせてはいけない」と言っておきながら、話が広がってしまうけど満更でもなさそうなところなんて、やれやれ系主人公じゃん。
自分がいずれ死ぬことを予言したり「あなたは三度私のことを知らないと言う」と予言したりと、運命を予言するところは軍師系主人公じゃん。
処刑される段になっても抵抗せずに不暴力に徹するところなんて、達観した不殺系主人公じゃん。
そんなこんなでマタイの福音書を読み終えて次はマルコの福音書を読んだけど、内容はほとんど同じじゃん。
細かいところが違うだけで話の大筋がほとんど同じなんて、なろう小説の作品群そのものじゃん。
そして、ルカ・ヨハネと続けて読んだけど、同じような話を四つ連続で読むのはしんどかった。
まあ、同じ話を八連続で見させられるエンドレスエイトよりはましかな。
四連続で同じような話を読むと、それぞれの話の違いだったり優劣だったりが気になってくる。
描写の細かさやストーリー展開のスムーズさなど、小説としての完成度が最も高いと感じたからだ。
イエスの口調がやたらと尊大で、父が神であることを殊更に主張する権威主義者になっていて、「えっ、イエスってこんなキャラだっけ? 他三つの福音書とずいぶんと性格が違うけど」と読み始めたころは困惑した。
しかしながら、イエスがいけ好かない人物として描かれているからこそ、処刑されることの納得感が強かった。
他三つの福音書ではイエスが奇跡を起こしては「やっぱりイエスさんはすごいや」を繰り返すばかりでワンパターンだけど、ヨハネの福音書では奇跡を起こす回数はそこそこにして、ファリサイ派との論争を中心に描かれているのも良かった。
なんやかんや長年Twitterで生きてきたのに最近は男女対立やトランスや中韓系やらいろんな話題が延々に流れてきて疲れましたね
元々政治系の話題とか同世代よりは関心あって何流れてきても普通に耐えられていたんだけれども
バズ狙いの対立煽り、強い言葉や恐怖を煽る言葉を使う、インプレ稼ぎ、日本語読めない等々もう疲れちゃいますね
他のSNSで生きられたらよかったんですが、なかなか環境が合わず渋々Twitterに戻ることを繰り返している
リアルの方とは深い仲になれず、インターネットに居場所を見出してた人間には厳しいです
少しでもマシなSNSを探しましたがどこにでも攻撃的な方はいますね
ここもクスッと笑えるようなものが少なくなり行き場がないです
若い頃は人との関わりなんて煩わしくて嫌だったんですけどね、周囲に何度も助けられて少しでも交流の糸は残していこうと思うようになったんですが
気づいた時には手遅れなんですよね、もう何も無いんです
さっさと取り締まれ!←ちがくね?
あなた方が望んでいることは、交通事故による被害者が減ることですか?それともムカつく自転車乗りが罰金を払ってスカッとすることですか?
被害者が減ることを望んでいるなら、今の状況での青切符は反対してください。
自転車乗りに罰金を払わせたいなら止めませんが、「事故を減らすために!」とか正義のフリしないでください。胸糞悪い。
つまらない罰金を払うのが嫌になった自転車がこぞって車道を走るようになれば、車との事故が増えるのは当然。
しかも歩行者vs自転車ではなく、自転車vs自動車・バイクという事故になるので、事故の重大さは増えます。
交通ルールを守ることと、安全に走ることが必ずしも一致していないから。
その多くは路上駐車が原因。
自動車などに比べて速度の遅い自転車は、車道の中心を走ることで容易に交通の妨げとなります。
それを避けるには道路の脇を走ることが求められますが、それを駐車車両が容易に阻害します。
車にしてみれば、道路上を低速でフラフラと走る自転車はストレス以外の何物でもなく、そのストレスは簡単に人の判断力を鈍らせます。
これはあくまで確率論の話であって、倫理や道徳の話ではないです。
倫理的に考えれば、誰だって車道を走る自転車には優しくするのは当たり前だってことはわかってます。
ただし、それはあくまで自分に害をなさない存在だからこそであって、何かしらの理由で自転車側から邪魔をされた場合に、感情に負けてその正義が逆転してしまうのが人間です。
あおり運転が悪いことだと皆がわかっていてもなくならないのと同じです。
例を挙げれば、信号の前方に路上駐車する車両が止まっていることがわかっている状況であれば、あくまで左右の安全を確認した上で、信号を無視してでも自転車が先行したほうが自転車も車も安全が守られるという状況はいくらでもあります。
信号を待って自動車と同時に出発するほうが、お互いにとってストレスが高く、事故の確率が高くなるのは馬鹿でもわかることです。
その方が危険だとわかっていても、ルール側を疑わずに守らない側を咎める理由とは何でしょうか。
青切符という強制力を働かせる前に、自転車が安全に走れるための交通ルールの整備と、自転車のみならず、歩行者、自動車の運転手側にも合わせて啓蒙活動をしてからにしましょうという話です。
そうはいっても青切符は施行されるでしょうから、とりあえず予言だけしておきます。
青切符施行後、自転車被害者の自動車交通事故死者数は、歩行者と自転車の交通事故死者数とは比較にならないほど増えます。
増田で断言しても説得力がないことはわかってますが、そんなことも考えずに青切符導入を喜んだ人は、自分の苛立ちをぶつける腹いせで人が死ぬことくらいは覚えておいてください。
今の交通ルールと周知のままで自転車青切符だけを導入すれば、今より多くの人が死にます。これだけは言っておきます。
※追記
議論が進まないコメントして気持ちよくなってるやつ居るから先に釘を刺しておくよ。
・他人のためのフリはしていません。
終始、「安全のため」に青切符に賛成している偽善者に腹を立てている内容です。
今の状況での青切符は「安全のため」にはなりません。むしろ被害者が増える可能性さえあり危険です。
終始そのことしか言っていません。
「自転車乗りがムカつくから罰金を取れ」と言っている人には腹を立てていません。
そう思っているのに「安全のため」と偽善に振る舞って、青切符に賛成している人間に腹を立てています。
・理由を一切書けていなくありません。
「今の状況でルールを守ることと安全に走ることが一致していない」の一言に尽きます。
嘘だと思うなら都内の車道を交通ルールに従った上で走ってみてください。
ルールを守ることに比例して安全だと感じられなければ証明終了です。
ルールを守ることで返って危険だと感じたなら、素直に負けを認めてください。
なぜそうなるのかは要因が多すぎるので一例にとどめましたが、多くは路上駐車、つまり車側の違反行為です。
それに加えて、自転車側の交通ルールが世の中に浸透してないという状況的事実。
歩行者、同じ自転車乗り、自動車、それら全てが、ルールを守っている自転車に対する理解に不足しています。
そのような状況で、=ルールが世の中に浸透してない状況で、青切符というペナルティだけが実施されれば、ルールを理解しないで罰金を払いたくないと思考停止した自転車が車道に溢れます。
そうなれば車道上のストレス要因が増えることは必至で、それが事故増加の原因になるだろうことは誰が考えてもわかることです。
繰り返しますが、「今の状況で」青切符を導入するということは、そういう状況を招くだけだという警鐘を鳴らしているに過ぎません。
ルールをわかった上で明らかに交通を乱すような悪質な違反者については一切擁護しません。
なのであのヘイトをぶつける相手は自転車乗りではなくてバイク乗りであり、まだまだ取締りが足りてない警察です。
・その他コメントに対して
「こうしたらいいよね」の大半はそのとおりです。
だけど守っていない人が大多数なのも現実です。
もしそれが常識だとするなら、とっくにルールは浸透しています。
クソみたいなUIのソフトウェアを使えと言われても、だったら先にUIを改善しろと思うのが普通です。
・解決策
その上で、自転車を乗り始める時期の年齢から教育と周知を徹底してください。
教習所に通って免許を受け取った人が乗る自動車、バイクと違って、自転車に乗る人間の交通ルールに対する知識は与えられた環境によって差異が大きすぎます。
一番理解がないレベルに合わせて、視覚的に間違いが起こらないようなUIで道路標識を完備してください。
その後であれば青切符導入は賛成です。
・自転車に乗ったら頭が悪くなりません。