はてなキーワード: 予定調和とは
京アニ放火事件の青葉被告の、裁判での言動が日々メディアを騒がせている。
ヤフコメやXで見られる反応では青葉被告を徹底的に断罪したいようだが、私は公の法廷に現れた存在としての青葉被告を応援しているし、彼が無罪になればいいとも思っている。
少なくとも、青葉被告が、予定調和的に死刑になることは絶対に望んでいない。
被害者(=京アニ)についてはよく知らないし、遺族ほかを非難するつもりもない。これはただ私の思い入れこみによる勝手な文だ。
「もしお前やお前の家族が殺されたらどう思う」みたいな質問はここでは意味をなさない。そんな質問しかできない時点で、大きな断絶があるのだ。
青葉被告の死刑を容認する人々でさえも一部が指摘しているように、世間には「青葉」的な者がいる。そしてそれは、どんどん増えている。
魔の82年生まれとか発達障害の増加とかそういうお茶の濁し方ではなく、明確に、「青葉」被告的な苦痛に満ちた者が増えているのだ。
世間は少なくともそれをずっと認知して来た。それも、机上のグラフの上の数値ではない。
クラスに一人はいる彼。職場に一人紛れ込む彼女。近所や親戚に一人いるあいつ。
青葉の体験を一般化することはできないだろうが、あえて広く「彼等」の問題として考えたい。
彼等がコミュニケーションに行き詰った時、あなたはどう振舞っていたのか。
彼等がコンビニの列の最前列で何かにつっかえた時、あなたは舌打ちしなかったか。
彼等が同じ教室・職場で、教師・上司に何度も叱責される中で、ただ「そう」であることで評価を下げていなかったか。
私は、平均とか標準という考え方で言えば、「青葉」側の人間である。
ただ、例えば、世間の人々が得られる「幸せ」をあきらめることには納得はいく。
しかし、世間の人々に与えられる「逃げ道」をなぜか私が使えないとなったとき、その惨めさは何百倍にも何千倍にもなる。
私は青葉被告のどうにもならない体験を見て、そんな説明をひねり出すことができた。だが過去のいろいろな事件の時点でひねり出すべきだった。
小学校・中学校を通して、本人でもうまく説明が出来ない様な過ちをして、しょっちゅう教師にクラスメイトの面前で厳しく叱責されている、今でいえば学習障害とか自閉症なのだろうか、そんな同級生がいた。
この男子同級生はとても「愚か」「間抜け」ということになっていて、実際何を考えているのか、私達にもわからなかった。いや、わからないようになっていった。教師の度重なる叱責や軽視によって。彼が精いっぱい受け答えを捻りだすたびに、教師はその言動を叩き潰した。
今考えれば、教師は彼を叱責すべきではなく、話をゆっくりと聞くべきだった。もっと言ってしまえば、もはや「赦す」べきだった。教師こそがこの同級生の代弁を私達にすべきだった。
大げさに言えば、人に生きる意味を考えさせ、死の世界から遠ざける、ということをこの教師や社会はしていなかった。健全な市民を育むとかそんなのはどうしようもない建前だ。
そしてそれが為されないとき、この同級生が、教師を刺し殺したり私たちごと教室に「理不尽に」「逆恨みで」放火したとしても、私はもはや文句は言えない。これは一言で言えば「窮鼠猫を嚙む」という格言であり、逃げ場の許されない中で当然生じうる人間のむしろ正常な反応だとおもう。
そうできないならば、世間が彼を徹底的にバカにした通りに、彼はナイフやマッチの使い方もわからないまま見当違いの人を刺して燃やす。それは自然なことでしかない。世間が彼をそうさせた。
人を大切にしない社会は、そのどこをやりかえされてもしょうがないとおもう。
私は、あの同級生やそれと同じ人々が何千人と重なって一人となり、被告となって証言台に立っているのだとすら思う。
監禁された人間が「ストックホルム症候群」を起すことには同情されるのに、なぜ狭い世界で逃げ場を失った人間の行動には同情がされないのか。
そこで世間の人々は目を逸らし、「仕方ない、悲惨だけど、死刑」などという。
私は堂々と「青葉は無罪だ。無罪にすべきだ」という。それだけの問題提起をすべき理由がある。青葉を診療し死の淵から回復させた医者は「生きて裁かせる」という信念があったそうだが、直接関係ない私は「生きて無罪になれ」といいたい。
そして99%くらいの確率で青葉が死刑になったとしても、私はいい続ける。似た様な事件がまた起きればその被告を擁護する。
世間は、事件を繰り返させる前に、「青葉」的なものを真摯に今度こそ見つめ、「赦し」、我々の社会の要素として自然に見なすべきだ。それが達成されるまで、世間が目を背けた回数の分だけ事件が起きても、無罪にすべきだ。
十九世紀末のヨーロッパでも、社会の矛盾に対し、富裕層の集まる場所や公務員への爆弾攻撃で答えたアナーキストたちがいた。彼らは少なくとも自分の言葉と道具があった。
今は自分の言葉も道具すらも持てない時代が来ている。少しでもそんな時代から遠ざかるために。
私の匿名の日記は世間には何の影響も与えないだろうが、たくさんある非難に対して一つでもこういう意見があったと、どこかで思い出してもらえればいいなとおもっています。
東京出身のお前らさ、付き合っててつまんねーし、仕事もできねーんだけど。何食ったらそうなんの?特に交渉とか話にならん。地方から来た奴の方が芯があって話も面白いし人間的に魅力的だからチーム仕事も進めるのが上手い。
でもお前らさ、見栄えや経歴だけはキラキラしてるよな。でもインスタでバエバエしてるくせに、電話取るだけでハアハアしてんなよ。こっちは隣でヒヤヒヤだよ。お前らのせいで何度お客様にペコペコしたと思ってんだよ。
あと、お前らの話つまんねぇ。似たような話を何度もすんな。
お前らの話は、例えるならチェーン店の可もなく不可もない味というか、コンビニのような統一感なんだよ。YouTubeのサムネのような類似性、選挙の街宣のような空虚さ、映画の予告編のような予定調和、迷惑メールのような分かりやすさ。そんな話しかしねぇから何も心に響かねえよ。
学歴トーク?留学自慢?大企業勤め?高収入あるある?資産運用だ?伊勢丹でショッピング?韓国に美容旅行?モデルやってた?モデルと付き合ってた?親がどこどこの偉いひと?何だかのコンクールで入賞した?自分、ギフテッドです?フォロワー1万人?知らんがな。全部同じ話にしか聞こえねーよ。まさか話しながら自分が尖った人材だと思ってんの?
いいか、お前らは尖ってなんかいなくて、まんまるなんだよ。競争に揉まれ、効率的に人より優れる方法を叩き込まれ、試験やシステム、整えられたステージでだけ勝てるように最適化された都市型ロボットだ。お前らなんかな、水流に揉まれた岩石が下流で丸くなって見つかるように、ツルツルで、小粒で、手に取りやすいだけなんだよ。ちょっとのヒビも目立つからびくびくして生きてんだろ?厚化粧に脱毛、整形、加工で自分磨きする奴もいれば、ルッキズムみたいなのをでっちあげて他人を引きずり落とそうとする奴もいるよな。お前らみんな生き物としてよわっちいし、生き方はセコイし、生き様はダセーんだよ。だから話もつまんねーし、人も付いていかねーんだよ。
いいか、お前らご自慢の東京の多様性はそんな丸石の寄せ集めだし、そんなのは画一性の見間違いだからな。丸くて灰色の石ころ同士背比べして、まさか自分らがカラフルだと思ってんの?お前らなんか石石混淆だよ。まあ逆に言えば、そんなつまんねぇ場所で病んでるそこの東京人は目を覚ませってんだ。
お前らが相手にするプロ東京人なんてな、都市に適してるだけの、コンクリートジャングル大帝だよ。まっさらな場所に放てばコイキングだかんな。そんな奴らは、ダイバーシティ東京でレインボーブリッジをバックに、仲良く手繋いで一生跳ねてろってんだ。でもたまにいるんだが、赤色ギャラドスに進化して、ポリコレを盾に破壊光線吐き散らかすやつらは、お願いだから線状降水帯の下で雷に撃たれてくれ。
あのな、多様性とかSDGsとかフェミニズムとかを地方相手に偉そうに説くまえに、お前らの居座る快適な高層ビルを建ててくれた、汚くて臭くて危ない思いをしながら低賃金で働く野郎どもに思いを馳せてみろよ。そいつらはお前らの多様性に含めてんのか?あーあ、また東京人が金髪白人と英会話して多様性気取りしてるよ。東京が誇るコンビニで働くベトナム人たちは、安い賃金で使いたい放題してんのにな?そうやって子宮を途上国や地方に外注しなきゃ成り立たないくせに、女性を解放したと思ってんの?SDGsを学ぶべきなのはお前らだろ。
せいぜいアホ東京人どもは、手始めに、てめぇらが高い金払って食べる寿司が、誰がどこの海でどうやって獲られて、どう東京まで運ばれて調理されるか、想像でもしてみろってんだ。文明はお金で買えないんだよ。
まあ無理か。子供時代から東京なんかにいたら想像力乏しくなるよな。どうせ親父はホワイトカラーだろうから、肉体労働の親父の汗臭さすらも知らないんだろうな。外行っても管理されたサンドボックスで遊ぶしかないから、アリを潰し回ったり、バッタを千切ったり、トンボの羽をむしったこともないんだろ?だから痛みなんか学ぶ機会もなければ、生と死も知らないんだ。草を掻き分けて腐葉土を踏みしめることもないまま、カブトムシより先にヘラクロスをサファリボールで捕まえたんだろ?そんな奴に世界の本来の姿は見えねーよ。ARやらVRメガネなんか付けてないで裸眼で世界をよく見てみろよ。
この前、六本木ヒルズレジデンスの公園行ったら驚いたね。地面がふわふわの特殊加工の床材で出来てて転んでも怪我しないようになってるんだわ。そこで防災頭巾みたいにバカデカい日除け帽子被ったお子様たちが銀のスプーンを咥えながら、「バルス、バルス」って遊んでたけど、お前らなんか、どちらかと言えばムスカ側だかんな。さらに言えば、これからそのムスカにもゴミ呼ばわりされるような、バルスなしで始末できるモブどもに育って人混みの一部に消えていくんだわ。
そしていつかそれに気づいて惨めな気分になった奴らから、カラオケで汚ねえダミ声で地上の星を涙目で披露するようになるんだろ?アホか。本当の地上の星を知らない人間にその歌を歌う資格なんかねぇんだよ。お前らみたいな夜空のお星様はな、たとえ六等星でも、中島みゆきのファイト対象外なんだよ。残念ながらアスファルトに落としたお前らの涙で育つ芽はないから、せいぜい東京の夜景に負けないように無理してキラキラしてろよな。
皆、焦り過ぎだ。
1万円弱払った新作ゲームを皆に送れまいと2日間でクリアしようとうする謎の焦りがSNSから溢れてくる。
あのキャラに苦戦した。
コイツ強すぎる。
どうだ参ったか。
攻略法、
うんざりだ。
「インターネットが攻略情報を無償でばら撒くからテレビゲームは手探りの面白さを失ってしまった」
この言葉は単に自分が攻略情報を見るのを我慢できない精神薄弱者の戯言だと僕はずっと思っていたけど、
それは間違いだという確信に至るにはこの数日間の体験は十二分だった。
チュートリアルのボスが物凄く強くて簡単には勝てないことを、SNSの噂話より先に自分の体で体験したかった。
「コイツ強すぎるんだけど俺がおかしいんか!」と自分のタイムラインで皆と同時に叫んで、皆が同じことを言ってるのを見て安心したかった。
でもAC6の発売日、俺は必死になって仕事を終わらせていて、土日に持ち込まずに済ませるために鬼の形相になっていたんだ。
だから皆がチュートリアルでヘリをぶった斬り終えてから、俺はようやく闘争の世界に降り立った。
とっくに知っている「チョウ=スゴク=ツヨイ=チュートリアル」……
予定調和の苦戦……
そうだね皆が言ってた通りだね……
久しぶりにACに乗り込んだ自分が完全にナマクラになっていた事に対しての自己憐憫よりも「あーこれは確かに強いな―」と噂話を実体験していくことの感動が勝ってしまった。
辛い……感動がなかったわけじゃないよ。
皆が言うように本当に強いじゃんという都市伝説の目撃体験をちゃんと楽しめはしたよ。
でもさ、フロムが俺たちに突きつけたかったのって本当に「コレ」なのかな?
「え?俺はチュートリアルで負けるほどゴミなのか……俺だけがゴミ……俺はゴミ……
アップルボーイ……
エイトボール……
もうムリ強化人間になろ……皆もう先に進んでる……俺だけ置いてけぼり……」
そんな絶望だったんじゃないのか?
皆が同じように苦しんでると知らないままに挑んでボコボコにされて、
自分が正真正銘のクソザコナメクジだと思い知らされる所までがチュートリアルじゃなかったのか?
「ファイアワークスならきっとクリアしてた。俺だから駄目だった……」
でもその機会はSNSが全部ぶっわした。
10年ぶりの再開に対しての手洗い歓迎会。
それを知らないままで挑まなきゃいけなかったんだ。
本当にショックだ……。
テレビアニメのOPでまだ存在さえ知らされてないはずの四天王が全員顔なじみになってしまうような状態だ。
認めた。
お前らが正しかった。
俺が間違っていたよ。
メイルゲームを知らない人に、辞典的な通り一遍の説明ではなくその魅力を説明するために書いてみた文章なんだが、
知らない人にわかりやすいか、興味を持ってもらえそうか、みなの意見を聞いてみたい。
メイルゲーム(PBM)とは90年代にアナログゲーマーの間で人気になった、郵便を使った物語形式の大人数参加RPGの一種である。最盛期には1ゲームで5000人以上の参加者を集めた。
メイルゲームは主催が用意した世界にプレイヤーが自分の分身になるキャラクターを登録するところまではインターネット上のオンラインMMOに似ているが、メイルゲームでは当然リアルタイムではなく、プレイヤーは1か月に一回の締め切りまでに自分のキャラクターの行動を所定の行動計画書に記述して運営会社に送ると、運営会社のゲームマスターたちは各PCの行動同士を突き合わせ、行動結果を判定して、ゲーム中でのPCの実際の行動と生じた事件を小説形式(リアクションと呼ばれる)にして各プレイヤーに返送する。
これを一般的に12回(12ターン)繰り返して1年で一つのストーリーが終了するのが一般的だった。
メイルゲームの(MMOと比較した)特徴としては以下の点があげられよう。
①時間は拘束されないが期間が拘束される。
1ターンは通常1か月で、プレイヤーは行動結果小説を受け取ってから2週間のうちに情報を集めて仲間と行動計画を相談し、締め切りまでにPCの行動を決めなければならず、かなり忙しい。とはいえ、イベントでもない限り時間配分は融通が利き、拘束されることはない。行動提出した後は、今度はマスター陣が2週間のうちにPCの行動判定をして、小説化して、発送する。その間、プレイヤーは特にすることはないのでのんびり待つことになる。
しかし、一度参加するとゲームを中断しない限り1年間はゲームに時間を取られることになる。
②キャラクターの取れる行動にシステム的な制限がない
MMOであれば、PCがゲーム中で取れる行動はある程度決まっている。自由度が高いゲームでもキャラクターは事前にシステムに実装されている行動しかとることはできない。
しかし、メイルゲームでは「状況や能力が許す限りで、行動用紙に書ける内容であれば」大抵の行動はとることができる。チームを組んで複雑な行動をしようとすることも、新興宗教を立ち上げようとすることも、敵の親玉を口八丁で騙して罠にかけようとすることも、地球を担保に異星人からロボット兵器の購入を試みることもできる。
ただし、その行動が成功するかはマスター陣の判定次第。行動内容が目的達成にはに不十分と見なされれば失敗するし、多くのプレイヤーの行動が相互に影響を与え合うため、時に誰も想定しなかった結果になることも多い。
このように、問題解決において他のプレイヤーとの根回しや行動の創造性がかなり影響する。
③情報が分散して提示される
返送される小説はそのPCか、同じグループの視点から知りえることしか書いていない。同じ場所にいて同じ事件に遭遇しても、そこに書かれる情報は大きく異なる場合もある(あるバージョンでは突然起きた正体不明な事件が、別のバージョンではその内幕が詳細に書かれているなど)。
プレイヤーは自分の受け取った情報を他のプレイヤーに伏せておくこともできる。が、その場合、プレイヤー同士の情報交換に参加することが難しくなる。どれだけレアな情報であっても、全体からは局地的な一事件の情報でしかない。なので、ゲーム全体の動向を知ろうと思えば情報交換に参加する必要があり、自分が受け取った情報をどこまで・誰に公開するかが重要な駆け引きになる。
ゲームで必要な最低限の共有情報はプレイヤーに毎月送られる冊子に書かれているけれど、それも「真実」が書かれているとは限らない。真実を知るにはやはりいくつものバージョンを収集して突き合わせるしかない。
特に参加者が多く情報戦重視の遊演体のゲームでは、1ターンに200バージョンを超える種類のリアクション小説が発行されていた。このため、2週間の「プレイ期間」には速報同人誌が発行され、情報収集やプレイヤー同士の作戦会議のためのプレイヤー主催のイベントが盛んに行われていた。
④全体を貫くシナリオとタイムリミットがある
MMOはゲーム内ではシステムアップデートでもない限り大きな変化はないが、メイルゲームでは12ターンの間に解決せねばならない問題が設定されていて、さらにそれが最初は隠されていることが多い。そうした課題は一人では解決不可能で、多くのPCの協力が必要になる。プレイヤーたちは期間内に、自分たちそれぞれの課題を解決したり足を引っ張り合いながら、隠れた課題を見つけ出して集団で解決することを求められる。
例えば90年の「蓬莱学園の冒険!」では、巨大学園都市に新入学したPCたちが、最終ターンで「地球空洞世界」の危機と学園独立騒動を解決して終わる。
わずか12ターンの間にゲーム構造が変わってしまうほど状況の変化が速いことも、情報収集が必要になる原因である。
この「シナリオ」は予定調和的なものではなく、隠された大まかな仕掛けのようなもの。プレイヤーの行動次第でどんなストーリーになるかは全く変わってしまう。
なので、もしプレイヤーがこの問題解決に失敗するとバッドエンドも普通に発生する。93年の「夜桜忍法帖」では人類がほぼ絶滅し阪神タイガースが世界制覇、95年の「鋼鉄の虹」では対立し戦うプレイヤーの所属国が両国とも第三国に攻め込まれ滅亡した。
⑤PCのゲーム内社会への影響力が大きい
数千のPCが相互作用するゲーム世界は一つの社会である。MMOでもプレイヤー同士の相互作用はあるが、メイルゲームはそれに比べても相互作用の強さや範囲はかなり大きい。
さらに、NPCがいる。メイルゲームのNPCは「むらびと」や「モンスター」ではない。ゲーム上の重要キャラクターも操作するのがプレイヤーかゲームマスターかが違うだけで、PCの動向を観察し、時に主体的にPCに関わろうとしたり、PCの影響で行動を変えたりする。
このため、自分の考えたアクションによってゲーム状況に大きな影響を与え、重要な情報を得たPCは、数千人のプレイヤーに知られた「有名キャラクター」に成り上がることもよくある。中には総集編の表紙の中央を飾るほどの出世を遂げたPCもいた。
MMOだと(ブロントさんのような「話題になるプレイヤー」はいても)ゲーム世界の行く末に影響を与えるほどのPCはまず出てこない。
Twitterもない当時ではこのレベルで自己実現欲求・承認欲求を煽る娯楽はなかなか無かった。
もっとも、その地位や影響力は一時的なもので、1~2回的を外した行動を取ってしまうと失われる流動的なものにすぎない。しかし、それが余計に競争心や射幸心を煽ることになった。
こうした「メイルゲーム」のプレイ感覚は、今なら成田良悟のライトノベル小説(「バッカーノ!」「デュラララ!!」など)を読むとわかりやすい。実際、「バッカーノ!」は遊演体のメイルゲーム「こうもり城へようこそ!」のサブストーリーの一つを元ネタにしている。
ホビーデータや遊演体でもこうもり城以降は③④⑤をそれほど重視していないとか、ネット88ははじめは小説型リアクションじゃないってのはわかっているんだが、まあ許してほしい。
そういえば、顕正会ってテレ朝が特集していた記憶があったなー、と思ったら裁判やってた。予定調和的ですな。https://www.sankei.com/article/20180926-7ZO6WV3ESZJ3BKRALD24ZBYSUE/?outputType=amp
「人殺しの顔をしろ」ってそういう意味じゃないだろ……って見かけるたびに思っている
このフレーズってこのブログの記事がきっかけで広まった認識なんだけど
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101212/p1
言っておきますが、この記事にはお化粧も、予定調和もありません。いつものように、人間のふりをしていません。私は人殺しの顔をして書いている。だから、さらに話を広げてしまうとすれば、私にはこの記事の町内会長の男性(62)のように持ち家も土地もありませんし、おおよそ年収200万円程度の人間に過ぎませんが、私も失いたくないし、私のこの生活が成り立つためであれば、どこかの誰かが職を失ったり、人格が破壊されるほど惨めな目にあったりしようが、知った話ではありません。ましてや、日本であるという程度の理由でこの王侯貴族のような暮らしが成り立つなら、どこかの国で悲惨な児童労働が何百万件行われていようと、知った話ではありません。知った話だとしても、知った話ではありません。せめて、人殺しの顔をしたい。
「今の私の暮らしは他の誰かが犠牲になることで成立している。だが私自身が代わりに犠牲になりたくない。しかしせめて誰かを犠牲にしたという自覚を持つ。」って意味だと思うんだよね
それが芸能人が自殺して、批判だか誹謗中傷だかしてた人に「人殺しの顔をしろ」って言うのは……
「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味で言ってるんだと思うんだけどね
そりゃ「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味の大意は同じだけどさ
生活を成り立たせるためにやむをえず行う「人殺し」と、積極的に批判だか誹謗中傷だかをする「人殺し」は違うだろ
まあミームってのは意味がどんどん変質していくものだから、これは当たり前の事ではある
だが元々のブログ記事が言いたかったことが忘れられているような気がしてちょっと悲しくなってしまう
(それとも私が知らないだけで「人殺しの顔をしろ」ってセリフは他に元ネタがあったりするのかね、だとしたら納得ではあるんだけど)
https://anond.hatelabo.jp/20230713110743
id:goldheadはその前から「人殺しの顔」論法を使っているが、
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101003/p2
たとえばこちらの記事では、横浜市が「市民の半数がアダルトビデオを問題視するように教育する」ことを目標にしていることについて、
とし、
と結論している。
教えてくれてありがとう
住むなら都市の中心部、さもなければ自然に接近した田舎だと思っている。
自然の一部である人間が作り出した有機的な面白さがそこにはある。新宿東口に広がる、あの整然としていない猥雑な感じに私は自然を感じる。生き物としての人間が作り出した街。渋谷や秋葉原も、それぞれにいいね。
増田が、駅の形が個性的で画一的ではない、と言っているのはそういうことかな。
一方で、賢しらな人間が、みみっちい打算としみったれた妥協の末に作り出した人工物たる街が嫌いだ。
おしゃれ感を装った駅前のショッピングモール、区画整備された造成地にならんだコピペ住宅。
つまらない人間の臭いが染みついた場所に、家を買って住む人の気が知れない。
キャストで揉めてるアリエルが面白い、いや面白くない…みたいな話をされてるのを見るんだが、アラジンも美女と野獣も今までの実写化全部、もちろんアリエルも含めて見に行く人は面白さを期待して見に行ってるのか?とちょっと疑問に思う
自分はアラジンだけ友人の付き合いで映画館で見て、美女と野獣は金ローで見た(たぶんアリエルも配信とかに降りてきたら見るんだろうなあと思っている)が、ディズニーの実写化なんて映像美を見に行くものであって話の面白さへの期待ってほぼゼロというか抱かない感情じゃない?
マレフィセントとかならわかるよ、でもディズニー古典童話のそのままの実写化なんてもう小さい頃に何回も見たり聞いたりした話で、アリエルがやっぱりアンデルセン原作と同じく泡になって消えます!とか、野獣は人に戻らずそのままですがベルと結ばれたのでハピエンです!とか、ジャスミンが最後に死んでしまいます…とか、今更そんなことが起きるわけないし、誰もそんなこと期待してないじゃん。二時間ずっと予定調和だよね。
劇団四季のライオンキングとかもそうだけど、名作童話の美しい表現をみんな見たいのであって、今更オリジナル改変とかしたらたぶん逆に怒る。
だから今回のアリエルもキャストが誰だろうと面白さというベクトルの評価値は変わんねえだろと思うし、映像美が武器のジャンルだから受け入れられない人は作品自体の評価を落とすだろうなあと思うので、いい派とダメ派の和解も無理だろうと考えている
ディズニー実写については「キャストは解釈違いだったけど作品が面白かったから…」みたいなのなくない?作品への感想はそのまま原作?への感情になるだろというか。次の展開にドキドキワクワクはしないでしょう、という…
○ご飯
○調子
原作は同人ゲームながら何度も移植されていて、これはニンテンドーSwitch移植版。
過去に何かがあった風の男子高校生、御剣総一がデスゲームに巻き込まれながら、色々な女性と交流をしつつ、過去の因縁を吹っ切るノベルゲーム。
13人の男女が閉鎖空間に閉じ込められて殺し合いをさせられるというイントロはベタ中のベタながら、13人それぞれのクリア条件が異なる点、閉鎖空間が建造物になっており上の階に登れば登るほど強い武器があるなどなど、読み物として面白いデスゲームを提供しようとする設定の工夫がされているのが良き。
四つのエピソードが収録されており、それぞれ初めに出会うヒロインが異なるだけで、13人の登場人物やクリア条件などは同じ。
それだけに前のエピソードでは密接な関係だったのに次のエピソードではあっさり亡くなったり、逆に活躍したり、敵や味方の関係値が入れ替わったりと俯瞰しているプレイヤーだけが気付く人間関係の妙が面白い。
全体的にデスゲームもののベタをしっかりやっていて、疑心暗鬼なサスペンス感、そんな中で結ばれた絆の尊さ、ゲームを攻略するのを読む楽しさなど良いところがいっぱい詰まってた。
ただこの辺の舞台設定や物語の展開はデスゲームという題材に対して良いも悪いも無難に揃えてるだけって感じで、僕が面白いと思ったのはキャラクタにまつわる部分、特に以下の二名はお気に入りのキャラになった。
デスゲームに巻き込まれる前に起きたとあるトラブルによって、自己犠牲を厭わない献身的な姿勢で仲間を作っていく展開がお馴染みなんだけど、割と早々にコイツこそがヤベエ奴だと気付く展開がある。
自己犠牲を厭わないというよりは、自殺願望という究極の徒手空拳を武器にしている感じで、自身の死を弊然とペットする展開が格好いい。
デスゲームに巻き込まれた殆どの人には優しい態度になるが運営サイドへ格好いい啖呵を切るシーンが激った。
内心ビビりながらと述懐しつつも、強大な敵のリスクとリターンを計算しつつ自身の要求を通したりと、無茶ながらイケメンなシーンだった。
彼はかなり好戦的な性格で様々なエピソードで主人公たちを強襲する。
単に戦闘能力が高いだけでなく、陰湿な作戦を立てるその狡猾さ、躊躇しない思い切りの良さなど、名敵役として幾度なく対峙する。
飄々と軽口を叩く性格なのが一貫しており、序盤のまだ殺し合いを疑う頃から、後半の本当にやりあう中でも、常に軽い人なのが恐ろしいキャラだった。
そんな怖いキャラが、人間関係の妙によっては必ずしも敵対するとは限らないというのが面白かった。
彼と手を組んだり戦ったりと色々な関係を結ぶことになる高山浩太さんとのえちえちBL二次創作でシュガーキッスしているに違いない、そう思った私はPixivへ向かい、きちんとあることを確認して満足したりした。
面白いは面白かったけど、良い意味でも悪い意味でも普通だったかなあ。
予想外の展開がないからダメだと思う気はないけど、ある種の予定調和なピンチ、お約束な逆転、王道な終わり方だった。
物語の外に仕掛けがあったり、構造自体に誤魔化しがある類のサプライズは無いのは、良く言えば地に足が着いた展開だから悪くは言いたくないけど、少し地味だったかな。
(例えば、実は全てのエピソードが繋がっているみたいな展開で、特殊設定有りなら時間を繰り返してるとか、無しなら時系列と登場人物の名前を誤認させられていたとかの類ね)
デスゲームの緊張感と、可愛いヒロインとの交流の落差を楽しめたなら、もう少し好きになれたかもだけど、ヒロインの子たちにはあまり興味が持てなかったかなあ。
なお、ヒロインに魅力を感じなかった大きな理由に、ほとんど睡眠も休憩もせず二日間ほど動きっぱなしでシャワーも稀にしか浴びれない設定なのに、ヒロインたちが自身の体臭を気にしたりするシーンが無いことが関係しているかは、自分でもわからない。
たしかに僕は「蒸れ」なシーンが好きであり、そのような展開が可能であるにも関わらずそのような描写がなかったことに内心腹を立てているのかもしれない。
(ここまで)
ヒロインより男性キャラを気に入ったせいで、100乗り切れたわけではないものの、楽しいは楽しかったので、続編のリベリオンズも機会を見て遊ぼうと思う。
興味を持ってくれてありがとう。
私が考える「つまる人生」すなわち面白い人生とは、一言で言えば内発的な動機と偶然性に彩られたものです。
内発的な動機とは何か。
人はそれぞれ違った関心や性質を持っています。度肝を抜かれるほどの変人や天才はほんの一握りだけれど、それでも誰もがそれなりにはユニークです。
大勢の人と社交するのが楽しい人がいれば、独りで黙々とこなすのが好きな人もいる。競争や勝負に燃える人がいれば、それらに興味のない人もいる。絵を描かずにはいられない人、気がつけば星空を見上げている人、なぜか魚類に深く心を寄せる人。
そのような、その人だからこそ持っているものを突き詰めたり、大いに発露している様をとても興味深く感じるのです。
たとえそのような生き方が、世間的に評価されず、まったく金銭的な価値を生み出さず、場合によっては呆れられたり白い眼で見られるものであったとしても。
なぜ登るのかという問いに「そこに山があるから」(正確には「そこにエベレストがあるから」であるようですが)と答えた登山家の話はあまりに有名ですが、内発的動機というのはまさにこれです。
私は登山どころかアウトドアに全く親しみがありませんが、彼が見事に言い表しているように「ただ、そうしたいからそうする」という生き方に心を打たれるのです。
もう一つ、偶然性とは何か。
人がそれぞれ違っているように、一人の人生の中で起こる出来事も様々です。何が起こるかを予測することはできません。
この時代に日本に生を享けたという出生の偶然性に始まり、実に様々な偶然性に晒されながら人生は進行していきます。そういう偶然性の一片に、人生全体を方向付けるものがあったりするものです。
重い病気に罹った自分や家族を治療してくれた人への感謝と畏敬の念から、医療の道を志すとか。ある芸術作品に衝撃を受けて、創作や研究活動にのめり込むとか。
もし、それに出遭っていなければそうはならなかったかもしれない、でもなぜかその出来事が起こって現にこうなっているという面白さ。似たような経験した人は他にもいるはずなのに、その人にとってはそれが決定的に働いて今があるという不思議さ。
偶然性そのものは何でも良いのですが、偶々起った出来事とか人や物との出会いによって人生が動かれていくというのが、また人生の妙味だと思うのです。
こうやって考えていくと、内発的動機も偶然性の一つと言って良いのかもしれません。
(なぜか分からないけれど、それをしたい。そういう性質に生まれた、あるいはそういう経験をしたという偶然性。)
「激レアさんを連れてきた。」という番組がありますが、そこに登場する人にはそのような面白さを感じることが多いです。(たまたま何度か見たことがある程度で、特に熱心に見ているわけではないですが)
そんなにレアではなく、経歴や属性だけ聞くと凡庸に思えても、内発的な動機に突き動かされて、そして不思議な縁に引っ張られて生きていれば、それはとても面白いものです。
なので、元増田の人生もつまらないものでは全くなく、とても面白いのかもしれません。普通の家庭を持ったサラリーマンとしての側面しか記述されていませんが、その仕事は(なんらかのきっかけで深い関心を寄せて)人生を捧げるようなライフワークとして取り組んでいるかもしれないし、あるいは賃労働とは別の社会貢献活動に情熱を注いだり、何らかの創作に精力を傾けているのかもしれません。
ただ、大多数のレールとしてある学歴を重ね、就職するものだからという常識で就職して、結婚した方がいいという観念で結婚して、子どもを産み育てるべきだという規範でそうする・・・そういう既定路線・予定調和的なものを逸脱するものを見出したいという思いがあります。
常識を逸脱するもの・普通を横溢するものを、(程度の差こそあれ本当は誰しも持っている・出遭っているはずなのに)無いことにした生き方を「つまらない」と思うのです。
そういうわけで、私は、ライフプランとか人生設計とかいう考え方が嫌いです。
何歳ごろに結婚して、何歳までに子供を何人産んで、それから家を建てて、教育費がこのくらいで、老後の生活費がこのくらいかかるから、貯金がこのくらい必要で・・・とか、そういうやつです。
(「一流のプレイヤーになる」とか「自分の店を持つ」とかの目標を持つことは良いと思いますが(持たなくても良いと思いますが)、それは志とか野心とか呼ぶべきもので所謂ライフプランとは別です)
中等教育くらいまではこの社会を生きていく前提としてレールの上を歩くということで良い(そうでなくても良い)と思いますが、そこから先は偶然性の織りなす世界で自分の心の赴くように生きるものだと思っています。
人生で何が起こるのかなど分からないし(極端に言えば明日死ぬかもしれない)、自分の考え方だって変わります。貯金とか保険とかある程度の備えは必要と思います(生き方によってはそれすら無くても良いけど)が、結局その場その時で決めていくしかないし、その方がきっと面白いはずです。
プランなど立てるのは偶然性を塗りつぶす所業であって、人生の醍醐味を毀損するものとしか思えないのです。
最後に「つまる」人生ということで、私が大好きな映画を紹介しておきます。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画です。
もちろんフィクションなのであまりにドラマチックなのですが、この作品には人が生きるということの面白さ(内発的動機と偶然性)が詰まっていると思うのです。
この映画の中で何度か主人公が口にするセリフ(それがこの作品のテーマでもあります)が、「人生、何が起こるかわからない(You never know what’s coming for you.)」です。
未見でしたらぜひご覧ください。
漫画ぢからを高めるために読切を無選別に読んでみる試み。苦手なジャンルはそれだけで低評価になる当たり屋みたいで申し訳ないが、読み続ければ何か新しい嗜好が開拓されるかもしれない。
・ ゲスの恩返し
・ ウソキヅキ
・ ある王の日記
・ おもてなシミュレーションゲーム滝川
・ キュウビ
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549851
結構面白かった。ワンピース好きそうな画風?「なんでも甘く食べられる」道具が「なんでも食べられる」方面にシフトするのは面白かった。けどそこから恋愛に行くのは曲げに曲げたなあって。序盤の彼氏描写や(あれで付き合ってたの?)浮気と断じる描写が弱くてオチはよかったけど気持ちをちょっとだけ合わせられなかった。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549863
可愛い女の子によくまとまっていてるシナリオ、カタルシス。読切としてよくできてると思いました。
飛び降りるシーンやよじ登るシーン、ナイフで襲い銃を抜き突きつけるシーンとか動きのある絵がキマっていて良くてかっこよかったです。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549869
でもそれ以外はとてもよかった。エロがちゃんとエロコメとしてのエロでお出ししてる。好印象。
幼馴染の距離感にギャグと年上の間がいい。幼少期の記憶の差いいよね…。クソダサ私服好き。
とても刀っぽい七星剣が気になるところ。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549878
台湾漫画家が日本の漫画市場に台湾を舞台にした日本人のでてくる台湾人が主人公の漫画を日本語で書く。とものすごく混乱した漫画。韓国の翻訳漫画は人名とかを日本ナイズして持ってくると見たことがあったのでこれもそれなのか?でも舞台、台北だし、しかし人名はギリ日本人でもありえそう…といらぬノイズが生じて集中できなかった。
絵と家族の空気感、ラストなどはとても良かった。が、しかしメインの"不思議"部分がちょっとなにをしたかったのかわからなかった。オチもうーん、全体的に読者の琴線に触れようとはしてるんだけど、はじき方が全然足りなくて感情が動かない。古本屋との出会いのプロローグならOKだけど読みきりだとちょっとねーっと言ったラインだった。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549881
大甘に大甘でこっちに…?
フィクションの創作ってウソだよねってところは一応加点要素なので。あそこの物語で笑ってる二人は好き。
主人公はデスノの月タイプじゃなくてバカがバカな感情で嘘の発明を得たんだから説明台詞やオチみたいな知的なものよりバカっぽい面白い発想で広げていけばよかったのでは。
逆にテストの点の改ざんを削るだけでまだ「地頭はいい」キャラの線は残せるし、最低限やりたいストーリーとキャラの知的レベルは合わせてほすぃ。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549845
星新一みたいな短篇異星間交流話。とくに…言うことはないかな。温和な人物を信用したこと、農業に従事すること、地表が多いこととかがノイズに感じた。さりげなくレアアースを匂わすとかでもっと誘引するか、即ネタバレでなくもうちょっと弱者を演じてオチに逆転的な要素を入れるとか…でもまあそれでも予定調和内か。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549848
ピン芸人の一発芸を一人ひとつずつただただ流してくエンタの神様みたいな構成。キャラ紹介だけで終わって物語や相互作用がなかった。
https://www.shonenjump.com/p/sp/gatarou/w3tKVEbNHbi2TBzt/
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549860
うん
ttps://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049549872
クラシックやジャズに興味がないという人も少なくはないでしょう。かなり初歩的な内容になりますが、編成について少しだけでも知れば解像度が上がるかもしれません。音楽は調和の芸術ですが、個々の音に分解して耳を傾けてみるのも楽しいのではないかと思います。
バッハやベートーヴェンなど、いわゆるクラシック音楽などの編成。映画音楽もこれが多いですね。弦、金管、木管、打楽器が編成の基本。
弦は小さい方からバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。
打楽器は……まあ、色々です。スネア、ティンパニ、シロフォン(木琴1)、マリンバ(木琴2)、グロッケン(鉄琴1)、ビブラフォン(鉄琴2)、…etc
ここぞという時に使う持ち替えの楽器というものもあります。フルートの人がピッコロ、トランペットの人がピッコロトランペット、オーボエの人がイングリッシュホルン、他にも色々。
小さい楽器ほど高い音が鳴り主旋律を担当し、大きくなるほど低い音になりリズム隊の担当になります。中間の楽器はそれぞれの橋渡しと言った所でしょう。
弦楽器は和音も出せますが、基本的にオーケストラで使う楽器は単音しか出せません。調和の音楽たる所以でしょう。
楽曲によってはハープやピアノ、その他おもしろ楽器(打楽器による担当が多い気がする)が入ったりもします。サックスは基本入らないのですが、新しめの曲だと使われる事もあります。
楽器ごとに1st、2st、3rd(、4th…)と担当が分かれます。部活などでは、基本上の学年(か実力者)ほど若い数字のパートを担当。ソロは基本1st、曲により2ndが担当。
数字が若いほど高い音を担当し、パート全体で和音を構成します。
ソロパートなど目立てる箇所もありますが、個は埋もれがちかもしれませんね。指揮者に束ねられ、各々が細かく決められた役割のもと調和を目指す編成なのでしょう。
余談ですが、指揮者ってただ棒を振り回しているだけではなくて、コンサート本番に向けて楽団の練習を仕上げる監督の役割も大きいんですよ。
・室内楽
「クラシック」で一括りにされがちですが、オーケストラ以外にも少人数の編成があります。オーケストラが大衆向けの音楽だとしたら、室内楽は音楽が貴族のものだった頃の編成と言えるでしょう。音楽家に演奏させたり、自分らで演奏したり。バッハやモーツァルトが得意とする所ですね。
二人ならデュオ、三人ならトリオ、四人ならカルテット、五人ならクインテット……
編成は色々です。
弦楽四重奏のパッヘルベルのカノンなんかは極めて有名ですね。エヴァの旧劇場版のエンディングで流れた時、感動しました。木管五重奏では、なぜか金管のホルンが入ったりもます。
少人数で個が立つ編成の分、ジャズにも近い側面があるかもしれませんね。
・ジャズ
現代のポップスやロックの原点である、偉大なブラック・ミュージック。
ルーツについては色々言われているようです。その一つに、スコット・ジョプリンに代表されるラグタイムというピアノの曲のジャンルがあります。彼の"The Entertainer"は誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。"Bethena"もベンジャミン・バトンで重要なテーマ曲になっていました。
彼の曲を「クラシック」ではなく「ラグタイム」と言えると、ちょっとかっこいいかもしれませんね。
さて、ジャズの編成について。
トリオやカルテットなど、少人数でのセッションとビッグバンドに大別されます。
ドラムス、ウッドベース(オーケストラで使うコントラバスと同じものです。弓は使わずピッチカートだけで弾く場合が多いですね)、エレキベースなどのリズム楽器、トランペット、トロンボーン、アルトサックス、テナーサックスなどのメロディー楽器。あるいはボーカルも。ピアノとエレキギターは万能です。
それぞれから一つずつ以上選ぶのが基本です。ベーシックな編成としては、ドラムス、ベース、ピアノ/管楽器/ボーカルのトリオでしょうか。
しかしジャズは自由な音楽です。リズム隊のベースやドラムにもよくソロが与えられますし、何ならメロディを丸ごと担当する事だってあります。
変わり種でフルートやバスクラリネットという楽器なんかも使われたりします。
大きなクラリネットにサックスみたいなウツボカズラがついててかっこいいんですよこの楽器。ジャズの奏者ではエリック・ドルフィーが有名です。
色々な編成を聴いてジャズという音楽の懐の深さを感じるのもまた一興でしょう。
そして、ビッグバンドについて。ビッグバンドといえばグレン・ミラー。youtubeで色々聴けると思います。どれか一つくらいは耳に覚えがあるでしょう。『茶色の小瓶』や『アメリカン・パトロール』なんかが特に有名ですね。
編成としては、ブラスバンドに近いかもしれません。金管はトランペット、トロンボーン、木管はクラリネットとバリトン〜アルトサックス、リズム隊にピアノ、ベース、ドラムス。オーケストラ同様に、1st、2ndが割り振られます。
少人数でのセッションのライブ感に対して、比較的まとまりのあるサウンドと言いましょうか。予定調和的ではあるかもしれませんが、足並み揃った音の厚みや迫力はまた魅力的なものです。
偏見ですが、中高の吹奏楽部員上がりはビッグバンドかオーケストラに入りがちな気がします。
ジャズの魅力の一つに、キンキンと鳴り響く金管のハイトーンがあります。メイナードファーガソンや、エリック宮城なんかが有名どころでしょうか。「すごい!かっこいいなあ…」となるものですが、こればっかりは実際に自分で楽器をやってみないと凄さが中々分からないものでしょう。
余談ですが、ビッグバンドのトランペットは2ndがソロを吹く事も少なくありません。1stもハイノートで疲れているんでしょうかね。
ジャズにはフュージョンというジャンルもあり、T-SQUAREやウェザー・リポートなどが代表的でしょうか。今はあまり流行りではありませんでしたが、EWIやリリコンという電子管楽器が使われていました。ジャズがスノッブで肩肘張った音楽ジャンルに思われるかもしれませんが、案外ミーハーな所もあるかもしれませんよ。
・吹奏楽
日本の部活ではこれ。たまに間違えられますが、「ブラスバンド」はサックス+金管楽器(+パーカッション)の編成なので、実は異なるものです。サックスも金管楽器なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、楽器の素材ではなく音の出し方による分類のため、木管楽器になります。
ブラスバンドにはスーザフォンやコルネット(ほぼトランペットです)、バリトンやアルトホルンなどマイナーな楽器が使われたりもます。
さて、本題の吹奏楽。
基本的にはオーケストラから弦楽器が丸ごと抜け落ち、管楽器にユーフォニアムとサックスが入ります。「吹奏」楽たる所以ですね。
管弦楽曲の吹奏楽編曲では、弦楽器が担っていた主旋律をクラリネットが代わりに担当している印象があります。しかし、弦と管ではやはり表現が異なります。特にピッチカートという弦を弾く演奏法は、管楽器でいくらスタッカートを強調した所で別なものです。にもかかわらず、指揮者に「ピッチカートっぽく弾いて」なんて無茶振りをされる光景はままあるような気がします。
中高生の部活で弦楽器を扱うのが難しい(幼い頃からやっていないと人前で演奏するレベルになるのは難しいという風潮?傾向?があります)という事情のもと、部活では管弦楽ではなく吹奏楽が多く採用されているのではないかと思います。
しかし、吹奏楽独自の編成を活かした曲があまり書かれておらず、オーケストラやジャズ、ポップスの吹奏楽版編曲が多く演奏されがちな気がします。それって別に吹奏楽編成でやる必要なくない?となってしまうので、吹奏楽らしさを活かした快活で明るいサウンドにしようとの苦心が見られますが、どうにもダサい方に転んでしまう印象を受けます。
悪口のようになってしまいましたが、吹奏楽にも独自の良さはあるはずです。コンクールでもよく使われる曲を作っている樽屋雅徳という方は、吹奏楽編成のための曲を書いているので、興味があればぜひ。