はてなキーワード: 主人公補正とは
「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」「インフィニット・デンドログラム」少し前だと「七星のスバル」「SAOAGGO」といったオンラインゲームを題材にした作品に対し「こんなバランス、ネトゲであり得ない!こんな運営いるわけない!設定ガバガバ!作者はネトゲエアプのクソアニメ!」と心無い批判をする人が居た。
現役ネトゲユーザー目線で見るとおかしな部分があり思わずツッコミを入れてしまうのだろうが、これらは「実在しないゲームを描いたフィクション」だ。
多少現実的じゃなくなって別にいいじゃないか。二足歩行ロボットが活躍したっていいし、腐女子という属性以外完璧な夢女子がイケメンにモテてもいいし、女子高生がおっさんの趣味をやっても別にいいのに、ネトゲにだけ厳しい視線を向けるのは偏狭でしょう(ネトゲ警察?)
「実在しないゲームを描いたフィクション」である以上、現実のネトゲと同列で語り批判すること自体がナンセンス。
防振りに関しては原作者がはっきりと「設定ガバガバだけど許せる人だけ見てほしい」と書いている。
また、作者が息抜き程度に書き始めたもののため読む人によっては耐え難い矛盾や違和感を感じる可能性があることが予想されます。
特に、【VRMMO】として完成されたゲーム性を楽しみたい方にはお勧めできません。
そして、それらに対しとても不快に思った際は速やかにページを閉じ、この作品を切ることをお勧めします。無理して読むことは息抜きや趣味の読書では無いと思います。
またストーリーを作る以上「主人公が活躍できる理由」が無いと話も盛り上がらない。
俺TUEEEEするためにゲームとして許される範囲内で強い理由や設定を盛り込むことが悪いとは思わない(これが本来の意味のチートで無双だったら怒るけど)
リアルさを重視して地道なレベリングやアイテム集めで少しずつ強くなっていく話もそれはそれで面白くなるのかもしれないけど、視る側が求めている刺激や爽快感とは違うと思う。
「こんなガバガバな運営・バランスあり得るのか」というツッコミも、そもそも現実のネトゲ運営もしょうもない調整ミスをするし、ちょっとやればすぐ分かりそうなバグを残したまま世に出すし、すぐ炎上するようなガバガバな所ばかりでむしろリアリティーがあるんじゃない?
現実のオンラインゲームなら全てのプレイヤーは公平で特定のプレイヤーだけ贔屓するのはおかしいのだろうが、そこはお話だし……
FF14のプロデューサー吉田直樹氏のインタビューに答えがあった
今の世代のオンラインゲームは、当時の思想とはまったく異なるゲームになっている。キャラクターやジョブのレベルは、ストーリーを追いかけているだけで、サクサク上がっていくようになった。むしろ、そのレベルアップの速度は、一般的なスタンドアローン(一人用/オフライン)のRPGなんかよりも、ずっと速くなっている。だから、部下のプライベートな時間を拘束してまでレベル上げをする必要もないし、ダンジョンを攻略するために、ゲーム内の町の中で同じ目的を持った人を探して、大声を張り上げる必要もない。ダンジョンを攻略するためのパーティメンバーは、マッチングシステムが自動的に探してくれる。マッチングした人と無理に友達になる必要もなく、「よろしくー!」「おつかれー!」と挨拶する程度の気軽さである。
今の世代のオンラインゲームは、“自分から”友達を作ったり、チームを組んだり、仲間を増やそうとしない限り、自由に一人で遊んでいくことができる。だから、人間関係に悩まされることはない。
FF14に限らずネトゲをソロで遊びたいという需要は確実にあり、ゲーム側でソロプレイをサポートする仕組みがあるのは別に珍しいことではない。
問題のボスも「実はソロでも倒せる程度の強さだった」というだけで何の問題も無い。
レベルも知識も無いはずの初心者がいきなり初見ボスに挑んで勝つようなやつは知らんけど。
ネトゲ経験者なら知っていると思うが「海外の人とゲームで異文化交流」なんてのはほぼ幻想で、実際は通信速度の問題や言語のせいで同じ国のプレイヤーと遊ぶことがほとんど。
そして人口統計から考えて関東在住のプレイヤーと遭遇する確率の方が高いので問題無い。
それがたまたま近所に住んでいるイケメンでも同じ高校に通っている同じ学年の美少女であっても確率的には0ではないから問題無い。
そもそも「東京と青森と島根に住むプレイヤー達の物語」とか成立させるだけでも大変だし……。
まったりギルドだと思って入ったらイベント時にノルマ達成できなかった下位プレイヤーとしてチーム内チャットで晒されたので、本格的にやるところやるんじゃない?
未来の話なんだから、ムーアの法則と量子コンピュータと5GとAIとクラウドとブロックチェーンとGAFAとミノフスキー通信のおかげで全部解決してるに違いないため問題ない。
1話目みたときよく1時間やろうって思ったなって見てたら、一般人が車で突っ込んできて勝ってめっちゃ笑った。ちょくちょく主人公補正が不自然で面白い。BGMが末廣さんなのでかっこいいぞ。
まどマギっぽいけどちゃんと違うものって感じで良い。背景の近未来感がすごく好き。
・映像研には手を出すな!
あさくさしみたいな丸っこい子好きなんすよ。
・群れなせシートン学園
すっごく面白いし、狼のランカちゃんの声すっごくかわいい。EDかわいい。
・number24
オリジナルアニメでラグビーってことでトライナイツみたいかなと期待したけど全然しっかりしてた。ちょっとBLっぽいけど気にしなければ絵もきれいだし、話もしっかりしてるし、EDのショタも可愛いのでオススメ!ただキャラ多くて覚えきれない。ラグビーします!
・痛いのは嫌なので防御力に極降りしたいと思います。
2話から面白くなるし百合だし、いいアニメだよ。主人公と友達のプレイスタイルの差分化がしっかり表現できててすごい!友達のバトルパートすごい!
シュール。動物形態と人間形態がコロコロ変わるし、人間形態でも動きが動物っぽかったり見てると混乱してくる。話自体も結構おかしい。元ネタもこんな感じなの?
・ARP Backstage Pass
貴重なダイナミックコード枠。いろいろおかしい。トライナイツみたいな普通に作画がちょっとユニークなアニメよりダイナミックしてる。Cパートで普通に話してるんだけど、レイジくんが視聴者目線でつっこんでくれる。今期一押しです。
・バビロン
敵と味方が交互に強化されていく様は、さながらターン制のTCGバトルのようだった。その中でも主人公を中心とした人気キャラへの補正は凄まじい。
こういったインフレを起こさずに長期的に存在するためにはどうしたらいいのか?
簡単な話が、仮面ライダーやプリキュアの手法である。世界観はある程度似ているが登場人物が異なることで、前作のインフレをリセットできる。非常にお手軽な方法だ。あるいは、同じ世界観で全く異なる人物に焦点を当てたり時間軸をずらす方法もある。スピンオフだったり過去編だったり。長期連載ではよくある手法だ。とある魔術とかかな。
逆に主人公側が別の世界観に移行することもある。うまい例をいえないが、SAOが近いのでは?
主人公が次々に別のゲームにチャレンジすることで、移行するたびに今までのチート能力は一時的にリセットできる。
名探偵コナンやアニポケがそれにあたる。これらは長期連載にもかかわらず殆ど内部時間は経過していない。サトシはシリーズを跨ぐと単純なポケモンバトルですら簡単に負けてしまうし、コナンは推理力が上がるわけでもない。こういやって時間経過が殆ど感じられずにいつのまにかループしている作品もままある。
シリーズごと手持ちポケモンをチェンジしたり、サトシの能力はあげずにポケモンを進化させたりなど、アニポケから学べることは多い。
ただし、コナン映画は例外。アクション主体なのでアイテムや身体能力の強化が青天井過ぎる。隕石(に近い落下物)の軌道をサッカーでずらすとかどうなのよ。
ラスボスを決め打ちすることで、そこに向かって成長するという過程を描く方法もある。これも一般的。
シャーマンキングにおけるハオや、封神演義の妲己のような存在。少年漫画における王道。
ただ、長期連載組はどんどんラスボスをすげ替えるか、ラスボス戦を延長しすぎる傾向にある。その過程で主人公側の過度なインフレで不均衡が生じることも多い。犬夜叉がわかりやすいか。ようは諸刃の剣。
最近はこれが流行なのかな。何度かはやった手法だとは思うけど、なろう系で完全に定着した奴。
ようは主人公補正全開にすれば、常にハイパーインフレの状態となり感覚が麻痺するという手法。
ノーゲームノーライフとか。
これを逆手に取ったのがワンパンマン。主人公を実質おまけにして、その他のメンツの群像劇にするという斬新さがある。まあワンパンマンの場合はちょっとネタ切れ感があるが。
リアルな愛はご都合主義や主人公補正がないからどっちかまたは両方が薄暗いものやらツライ義務やらを背負う(長期的にはだ。短期的には義務や辛さなどない組み合わせに見えることもある)
フィクションの愛はどちらも背負わなくてすむよう世界のほうに補正がかかる
商業化された愛は「どっちも背負ってないですよ」という顔をするために片方がものすごい努力をし、しかもその努力を隠す
(無償か有償かは長期的にみないとわからないが長期的にみて有償でやってることが多い)
フィクションが理想、リアルもフィクションなみをめざさなければならない
と勘違いする読者が増えると
「そのフィクションは商業化推進してませんか」とフィクションに詳しい界隈から指摘や補正が入る
それに対する反論は「フィクションとリアルを混同するバカなんかいません。フィクションはフィクションとして楽しませろよ」しかない。
ここ増田にもなんか個人のヘイト感情と平等を勘違いしてるアホとかしょっちゅういる
まあでも結局のところ好みなんだよな
フィクションのせいじゃない「困り」の発生は必ずある。
すべてをフィクションのせいにするのはさすがにお門違いだが
かといってやめるときもすこやかなるときもと誓ったり「フィクションはフィクションとわきまえた」程度で
困りがなくなるわけでもないんだよな
ゲームオブスローンズっていう海外ドラマがあるんだけどさ、本当になんでこんなに見てる人が少ないんだ。。。
個人的にアニメ、漫画、映画、小説も含めた全コンテンツの中でも文句なく1番面白いのがゲームオブスローンズだと思ってる。
似たようなのだと戦記物で国を統一するキングダムがあるけど不思議とキングダムは流行ってるんだよね。キングダムも面白いと思うけど結末がわかりきってる上に主人公補正がかかりすぎてる。それでも面白いけど「人の本質は光だ」って政が言った時になんだそれって冷めてしまった。
ゲームオブスローンズは舞台設定はキングダムみたいに七王国を統一する物語だけど史実を元にしていないから誰が統一するのかまったくわからないうえに主人公補正もない。ばんばん主要人物が死んでく。さらに綺麗事も存在しない。みんな自分の欲望や理念のために行動してるのでリアリティーがある。
映像制作にも1話に数億円かけて作ってるから映像作品としてのクオリティーも高い。シーンごとにあわせた音楽の質も他の海外ドラマと比べても別格。
ファンタジー要素もあるけど作品の現実感を壊さないようになってる。
そして何よりも海外ドラマ特有の「途中で話がだれて冗長になってくる」ということがない。ロストとかプリズンブレイクとかひどかったしな。ゲームオブスローンズはむしろどんどん面白くなってくる。
本当にここまで完璧な作品はないと言ってもいいぐらいの出来になってる。あと数年はこれを超えるコンテンツって出てこないんじゃないかな。現に世界中で流行ってる。のになぜか日本で見てる人がまじでいない。
名作と言われる映画ショーシャンクやロードオブザリング、タイタニックと比べてもゲームオブスローンズのほうがはるかに面白いのに。
人物相関が他のコンテンツと比べて多すぎるのであれこの人どこで誰と話しててどこの家のもんだ?みたいになることが多いのが傷だけどそれをおしてでも見る価値がある。
自分はあまり人に映画とかアニメとかすすめないほうでみんな好きなものを好きに見ればいいんじゃないかと思うけどゲームオブスローンズは本当におすすめする。
※私見です。
私は所謂”女さん”ですが、『男性向けハーレム物』が好きです。
何故なら女向けの女主人公作品(※乙女ゲー原作作品&BL作品を除く)は、
所謂、
『メインカレシ』
1,物語開始当初から作者の確固たる意志とともに設定されており、
3,最終的に女主人公結ばれることが確定している
どんなにたくさんの男サブキャラが出てこようとも所詮は”当て馬”なので、
正直読んでいても、
「どーせ最終的にはメインカレシを選ぶんやろ?」
と、紆余曲折のすべてがオール茶番に見えてきて面白くないのである。
女主人公作品が読みたくて選んだのに、実際作品を読んでみると、
『メインカレシ』には女主人公以上の主人公補正がかかっている場合が割とある。
「この作者は女主人公の活躍を書きたかったんじゃなく、『メインカレシ』に愛される女主人公を書きたかったんだな……」
まあこれに関しては別に「良い悪い」の話ではなく、
単に作品が自分に合うか合わないか? の判定基準のハードルがぐっと上がるということです(個人の感想です!)
もちろん男性向けでも上記のようなパターンになる作品は多いのですが、その他にも、
・女性向けのように完璧な当て馬扱いではなく、わりと平等に複数いるヒロインたちを愛でる
・メインヒロイン的な立ち位置の女の子キャラは居るが、ハーレム状態のまま完結
みたいな決着のつけ方にバリエーションがある(気がする)
最終的なヒロインが最後まで確定していない場合もある(個人の感想です)
ちなにみ女性向け女主人公作品は 概ね唯一無二の伴侶を一人だけ選ぶ方式で、
ハーレムエンドで終了する作品というのは、おそらくあまり無い(個人の感想です)
有るには有るのだろうと思うが、ぱっと思い浮かぶ頻度では存在しないと思う。
(個人の感想です)
ちなみに私が一番好きなのは、メインヒロインを誰も選ばないハーレムエンドである。
何故かと言えば、
お気に入りのコは一人には絞れない!
そんな私のウサギのように繊細でガラス細工のように壊れやすい心に、
うるせーー!! そんなもんどーだっていいのだ!
平和で優しい夢を見せて欲しい。
……あ。
ちなみに、女の子がきゃっきゃ☆うふふ♪ している日常系も大好物です。
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
ハイファンタジー世界の学校生活。Cygamesお抱えの新規アニメスタジオ、CygamesPicturesによる初制作アニメ。Cygamesアプリ「神撃のバハムート」のアニメ化企画を立ち上げた頃から自社制作を構想し始め、神撃のバハムート内イベント「マナリアフレンズ」をアニメ化することに。ところが諸事情で放送が延期され、ついでにスタッフも刷新(制作:スタジオ雲雀→CygamesPicturesに)という紆余曲折を経て、今期ショートアニメとして放送開始。d'アニメストア等配信サイトでは2分程度のショートアニメが追加されたロングバージョンが配信されている。ショートアニメの内容は、主人公のお姫様に仕えるパラディン君が主人公の物語。
本作の監督は、百合姫Sの漫画原作アニメ「このはな綺譚」で監督を務めた岡本英樹。お察しの通り百合アニメ。非常に丁寧な作画、演出によって主人公の心情を非言語的に描くハイクオリティ作品。魔法学校が舞台なので魔法使うシーンもあるけど、そういう特殊効果なんかも綺麗。埃がキラキラしてるの良いよね。
主人公の心情を描くシーンで一番好きなのが、図書館での騒動が終わったあとの会話。「あの、他になにか手伝えることがあれば…」という主人公のセリフに「大丈夫」という優しい拒絶からの、突っ立ってる主人公に目配せもせず黙々と業務に戻る司書さん。トボトボ帰る主人公のロングのバックショットは、彼女の心情が痛いほど伝わるシーン。ピアノが中心の優しい音楽が心に響く(音楽:渡邊崇)。
今期のアニメの中でも特に背景がすごい(背景:草薙)。基本的に学校の校舎くらいしか映らないけど「さよならの朝に約束の花をかざろう」みたいなハイファンタジー世界みを強く感じる。いかにつくり手が(神撃のバハムートの)世界観を大事にしているかがわかる。もうね、騒動収束後、主人公が帰ってきた食堂の静寂感が最高に美しい。
2018年冬アニメ「刀使ノ巫女」大ヒット御礼につきショートアニメ化。登場人物のうち半分はゲームアプリからなので、ストーリーを追うならまずはアプリをDLしてみてね!
ノリは「てーきゅう!」みたいな高速コント。アプリネタもアニメネタも拾ってくれるシナリオ好き。細かい事だけど、アニメでは登場しなかった夏服に衣替えしてて、制作陣の愛を感じた。
「生徒会役員共」横島ナルコ先生の中学生時代。10分位のショートアニメ。きたないシモネタ全開のラブコメ。
中学生どうしのラブコメを描いた作品でいうと「からかい上手の高木さん」を思い出すけど、高木さん(理性的、積極的だけど表面上は慎ましい)と西片(直情的、積極的だけど恥ずかしがり)に対して、上野さん(直情的、理性が限界を迎えている、きたない)と田中(鈍感、打っても響かない)みたいな。特に田中の響かなさが好き。キャラデザ的にもっと感情表現を豊かにできるポテンシャルがあるのに、どんなにちょっかいを出されても表情がほぼ(´・_・`)で笑う。西片の反応が面白すぎてからかいがエスカレートする高木さんに対し、いくら打っても全く反応が返ってこない田中のせいで理性が限界を迎え、どんどんからかいが雑になる上野さん。何故か、からかう側が追い詰められていく。からかい上手の高木さん2期おめでとう。
動画工房による、ロリコン大学生と幼女(小5)のラブコメ。幼女?原作は百合姫コミックス。
動画工房は先の10月クールで幼女が主人公のアニメ「うちのメイドがうざすぎる!」を放送してたけど、本作と幼女の描かれ方がかなり違う。うざメイドは主人公の幼女が成長する姿を、ロリコンと変態が見守るハートウォーミングコメディだったのに対し、本作は原作が百合姫ゆえ、幼女の描き方が完全に恋してる人からの視点。幼女の立ち位置も、うざメイドはロリコンと変態の奇行に対して主人公の幼女が何らかのリアクションを返す形式で進むコメディなのに対し、本作は幼女の愛らしい行動に対して主人公のロリコンが悶絶するという流れ。まさに恋。物語も基本的に主人公の家の中で進み、家の外を描いた背景だけが淡い感じ(背景:スタジオオリーブ)になっているのが、「秘密の園」とか「楽園」とか「家の外は外界」みたいな雰囲気に包まれている。そういえばタイトルで天使って言ってるし。
動画工房作品はコミカルでヌルヌルしたアニメーションが印象的な作品が多いけど、本作は比較的おとなしい。幼女こそ元気ハツラツだけど、主人公があんまり動かない。一方で静かなアニメーションはすごく丁寧で、特に髪の毛の演技は主人公の心が揺れ動く様子が伝わってくる感じが良い。2話の「好きな子が迫ってきて、間近で見た髪の毛があまりに綺麗だったのでつい視線を集中してしまう様子」を描いてるところが好き。
本編とあんま関係ないけど、母ちゃんが電子タバコ持ってるシーンがすごく自然なの良いよね。最近だと「ひそねとまそたん」で小此木さんが喫煙スペースで吸ってたっけ。
ディスガイアの2週目。STUDIO五組(制作)xかおり(監督)xあおしまたかし(脚本)xなもり(キャラ原案)によるオリジナルアニメ。いい最終回だった。
インタビュー記事で監督曰く「前のめりで正座しながら観なきゃいけない……というよりはTVの前でゆったりだらっと、大人の方はお酒を飲みながら観ていただけると嬉しいです(笑)。」とのこと。割と何でもありのファンタジー日常アニメ。ゆるい。このすばよりゆるい。監督繋がりで「ゆゆ式」っぽいノリ。
飯塚晴子のキャラデザ好き。原案こそなもり先生だけど「クジラの子らは砂上に歌う」に近い、柔らかい色味とデザインになっている。ちなみにクジラの子は微塵もゆるくないアニメ。
物語は勇者パーティvs人生2周目の魔王による戦いが中心なのだけれど、魔王の方に感情移入しちゃう作りになっている。魔王マジ不憫。なので、魔王ががんばる→勇者が苦戦する→やったか!?→なんか主人公補正で勇者パーティが勝つ(オチ)という、勇者パーティーの成長物語が一転して「今回もだめだったよ…」というコントになってるのが面白い。ノリが「秘密結社鷹の爪」に似てるかも。デラックスボンバー(オチ)とか。
やっぱ音楽すげー好き。音楽は「となりの吸血鬼さん」に引き続き藤澤慶昌。このすばもだけど、日常パートの音楽と戦闘パートの音楽が両方良い(このすば音楽:甲田雅人)。シリアスパート向けの音楽を日常パートのネタとして使うセンスよ。
EDはメイ役・水瀬いのり個人名義による楽曲。ほんと歌うっまいよね。「僕らが目指した」の部分が意図せず脳内再生される。
AmazonPrimeVideo独占
「ガーリッシュナンバー」の監督が送る、クズの本懐。ディオメディアって、エロい女の子を描くアニメ作りがちだよね。本作は(3話まで)原画をほぼ自前でやってて、かなり気合が入っている模様。背景もスタジオちゅーりっぷだし。
クズの本懐はいろんなクズ同士の物語なので相関図がカオスだったけど、本作はひとつ屋根の下なのでかなりわかりやすい。わかりやすい?1話は関係性の判明までだったけど、恋愛モノのお約束っぽい展開(が若干こじれた感じ)。
主人公と瑠衣が割とリアルな高校生しててかわいい。School Daysの誠くんみたい。青春がテーマではあるけれど、徐々に先生や瑠衣が心を開いていく様子を丁寧に描いていく部分が重要なテーマなのかな。先生が彼氏と話す時、声がワントーン低くなるの凄く良かった。
草。Vtuber文化祭。制作の株式会社リド…株式会社ドワンゴ、株式会社KADOKAWA、株式会社カラー、株式会社インクストゥエンター、アソビシステムホールディングス株式会社が共同で2018/12/14に設立した、Vtuber特化した事業をする会社とのこと。本作は同社のアドバルーンみたいな感じ?
各Vtuberはそもそもツールが同じじゃないと共演できないという技術的ネックがあった的な話を聞いたけど、そこらへんを克服したと言う意味で画期的なのかな。「へー、こんなことできるんだー」っていう、知らない人向けのショーケース的側面が強そう。
内容はアドリブでわちゃわちゃするのではなく、(ある程度ベタを踏襲して)作ったショートコント。色んなVtuberが出演するが、全員が全力でやりきってくるところを見ると流石プロフェッショナルのエンターテイナーって感じ。
ニコニコ生放送では各話の放送前後で生配信をしていて、そこにVtuberが直々に参加している。本編上映中もコメント参加してたり非常にアットホームな内輪ノリで楽しい。割とこっちが本編な気がするくらい、作品を通して身内ネタが豊富。Vtuber界隈の空気を描いた作品っていう意味もあるのかな。
Vtuber全く知らない勢の印象として、現時点でVtuberはゲーム生配信が主戦場なので、こういう動画形式は彼らの魅力が一切伝わらないんじゃ?という感じなのだけれど、一方で株式会社リドとしてはそこに頼らない、別の戦場を探しているのかなぁとも思う。簡単に言うとバーチャルアイドルが活躍する場所づくり。Vtuberの歌番組、Vtuberのニュースコメンテーター、Vtuberの写真集、Vtuberのラジオ番組、Vtuberのコント番組(これ)、Vtuberのスポーツ大会とか作られてそう。
空軍版「蒼き鋼のアルペジオ」。マクロスやシンフォギアでお馴染みサテライト制作のオリジナルアニメ…ではなく、電撃文庫のラノベ原作アニメ。
未知の脅威(メカ)と、脅かされる日常、そして突如現れた、謎の戦う少女(メカ)っていうサテライトらしさを感じるシナリオ。ちなみに河森正治デザインのロボは出てこない。監督、脚本はシンフォギアの人。シンフォギアと比べると、主人公は多感なお年頃の少年なのでラブ要素があるっぽいけど、ライブ要素は無いみたい。
サテライト制作だけあって、戦闘シーンはやっぱりすごい。戦闘機が戦うアニメなので敵も味方も見た目は実在の戦闘機だが、コックピットでバターが作れるレベルの超人的なハイスピードバトルを繰り広げている(乗ってる少女は特別な訓練を受けているんだよーっていうくだりは2話以降で)。直線的にカメラの手前→奥に移動からの急旋回で直角に曲がりカメラに向かって飛んでくるミサイルとか、めっちゃサテライトっぽい。
特に2話は(アルペジオのイ401よりもおしゃべりな)戦闘機ちゃんとのデート回だけど、同時に「人間らしさ」「兵器らしさ」の間にある存在としてのアイデンティティを掘り下げていくキッカケになっていて面白かった。
2期。制作はヤオヨロズから別の会社(トマソン)に。OPは引き続きおーいしおにいさん。
1期で「フレンズって?」「ジャパリパークって?」「ヒトって?」「セルリアンって?」等あらかたネタを彫り尽くしたので、そこら辺を知っているテイで話が進む。序盤の展開は1期と同様「見たことのないフレンズ(主人公)がサーバルちゃんに出会い、パーク内を観て回る」っていう感じ。ノリは軽め。1話あたりに登場するフレンズがまだ少ないので、もっとたくさん出てくれないかな。
1期から続投してるのはPPP、アルパカ等。カラカルはアプリのシナリオでお馴染み。彼らがどの世界線のフレンズかは明言されていない(1期はアプリと同じ世界線)が、強いて言えば1期を見てから2期を見ると非常に悲しくなるので注意(ここは1期「ろっじ」においてアニメサーバルとアプリサーバルの関係を描いた、早起きのシーンを踏襲してるのかな)。
1期と同じBGM使ったり(音楽:立山秋航)、同じ構図を使ったり、「すっごーい!」等節回しが健在だったり。1期を通じて「けもフレらしさ」がアップデートされている感じがある。らしさといえば、些細な仕草にも動物だった頃の仕草が反映されている仕様はけもフレらしさを強く感じた。特に2話のジャイアントパンダ、レッサーパンダめっちゃかわいい。あとAとBパートの間にちゃんと本編もあるよ。へー。
吉崎観音が言ってた「けものフレンズは原作:実在の動物で、すべてのけものフレンズプロジェクトは二次創作」を思い出す。プロジェクト自体ずっと続くと良いね。
一番身体能力高い奴がいる確率が高いし、体力もあるし、ガタイもデカイし、投擲能力やそれに付随する空間認識能力、バット振り回す腕力等も有る。
格闘技より武器やそれに近いものを扱う能力の方がものを言う筈。
あと一番忘れてはならないのは他社に対する残忍性。
学校や大人から特別扱いを受けやすい現代の日本の野球部は、自分たちが特権階級だという意識が無意識にあるので、他社を踏みにじったり虐めたり利用する事に躊躇ない、沢山居る野球部の中でも序列あるので、下位の者をゴミのように使って勝つだろう。
バトルロワイヤル本編でも最強な奴は他人に対する残虐性(良心の呵責の無い)奴が無双する、彼は一人だが、野球部は集団でそれをやるだろう、なので、本編のように、女連れで体力も無い主人公達は現実では主人公補正がかからないので、野球部の誰かが最後まで生き残る。
幸色のワンルーム、pixivにあるラフの奴全部読んでみたけど面白かったぞ。ゲラゲラと笑えて。
一応、単行本や連載版は色々と修正されてるらしいが、連載版とラフ版を今読める範囲で比べると大きく変わっている印象は個人的にはないかな。
しばらく過ごして、いつでもどこでもマスクを外さないお兄さんとの生活に幸せを感じるようになった主人公。
そんな平穏な誘拐生活に兎のお面を被った謎のユーチューバーが現れる。
自らを主人公を連れ去った誘拐犯だと名乗り、誘拐理由は美少女ハーレムを作ることとか何とか言って大衆を煽ってバズっていた。
煽られた大衆は主人公の写真や捜索を訴える動画をネットにあげたりしていて、その様子を見た主人公は「偽善者」と蔑む。
そのあと、何気なく何度も謎のユーチューバー動画を見た主人公は髪型と話し方からレイパー担任じゃないかと感付いた。
謎のユーチューバーはお面で前髪は見えないし、変声機で声を変えてる。
担任にこんなことやるメリットはないと思いつつ、本当に担任だったら実は自分が幸せに暮らしていることを気付いているんじゃないかと主人公は考えていた。
それで、次に投稿された動画でユーチューバーが主人公と担任間でしかわからない合言葉を言って、ユーチューバー=担任だと確定。
この担任、監禁場所にネット環境やテレビがない可能性とか考えなかったのかな。
そんな野暮なことは置いといて、担任は主人公にいつもの場所へ呼び出す。
担任は動画で特に居場所を特定したとか言ってないし、主人公も自分を誘き寄せるための動画投稿だと思っている。
どうやら、謎のユーチューバーの登場で、警察の警備が強化されてるらしい。
だから、動画が投稿され続ける→どんどん警備が強化されるという図式で、今の幸せな生活を守るために担任と会って動画を消させないといけないと主人公は考えた。
これ、無視して、警察がユーチューバーの居場所を特定して公務執行妨害で逮捕してもらうのを待った方がよくないか。
そう思うのは野暮かもしれないが。
警察に保護される危険を侵してまで、わざわざ学校へ担任に会いに行く主人公。
虐められていたうえにレイパーまでいる、嫌な思い出しかない学校に乗り込むなんて主人公健気、と思うべきなのか……。
手持ちはお守り代わりの部屋中に張ってあった写真と主人公補正と包丁。
主人公補正で警察や学校関係者の目から逃れる描写は特になく、主人公は担任と無事に会うことが出来た。
ネットであんなに大騒ぎなのに、やっぱり皆は主人公に無関心なんだ……って思わないとダメなのだろうか。
主人公、担任を騙して動画を消させて逃げようとするけど、すぐにバレる。
警察の警備が強化される中、主人公を誘拐したがる担任は何か策を練っているんだろうか。
誘拐できると思った担任が盛って主人公をその場でレイプしようとする。
そんな主人公のピンチにお兄さん登場。どこから持ってきたのかわからない猫のお面で顔を隠してる。その下には当然白いマスク。マスクの上にマスク。
お兄さんがさっきの一部始終を撮っていて、担任をボコボコにして主人公と去る。
その流れで担任は特に主人公自身に執着してる訳でもないことが発覚。
担任は腹いせにお兄さんを逮捕させようと通報しようとするが、逆にお兄さんの通報で来た警察に任意同行を求められる。
主人公自体に執着がないなら、この担任は何のためにユーチューバーになったんだよ……。
ついでに、このあと主人公とお兄さんは真っ直ぐ帰らず、廃業になったホテルへ行って、主人公がここで結婚式を挙げようと提案して過去篇に突入する。
警察の警備が強化されたとは一体、何のことだったのか。
うん。めちゃくちゃ肩入れしてるよ。私はナウシカという人物が大好きだし。
そして、ナウシカは現人類に肩入れしている。ユパが好きだし、アスベルやチククも好き。クシャナやクロトワだって好きだ。風の谷のみんなが好きだし、トルメキア人やドルク、蟲使いも。それ以上に王蟲が好きなんだけど……。いがみ合いは嫌いだが、いがみ合ってる人物そのものを嫌っているわけではない。
その好きな人々を亡くしたくないんだよ。そのためにできることは何でもするだけだ。犠牲行動を「良い」と思ってやっているわけではない。行動原理は「その相手を助けたい」だ。そのためなら瘴気の中でマスクだって取っちゃうし、周りをドルクに囲まれて死の一歩手前だろうがトリウマを助けるのが先だ。「良いか悪いか」で判断してるような人にこの行動はとれない。
ナウシカは墓所が現人類に邪魔だから消したんだよ。私もその決断に同意する。「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこい人間」なんていらない。少なくともそれを生かすことによって自身の愛する世界を失うことになるのなら、その障害を潰すことを厭わない。
作中の現人類の多くはこの思考に同意するだろう。漫画の世界ではなく、今PCを閲覧している読者の多くも、ヴ王と同様に「そんなもの人間とはいえん」と思っているだろう。
うん、それは私の思い込みだな。新人類が進化して「凶暴で、おだやかでない、バカな人間」に、現人類並みに育つ可能性はあるよ。私はそれまで待てない、と言い換えるか。それにどうせ現人類並みになるならリセットせずに今の現人類を使えばいいじゃない。そしてそのとき、墓所の技術は現人類にとって危なすぎるの。そこの技術が現人類のいがみ合いの種の一つになってるから。「ヒトラーと同じだ」というが、ヒトラーなら優性思想だから「おだやかで賢い人間」を生かすんじゃないの。知らんけど。
墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。現生人類を死滅させたいのも当たり前だ。それが残っていては計画が水の泡になる。交渉する余地など最初からない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あ、そういうこと言っちゃうんだ。じゃあまあ墓が弱かったから仕方ないね。「交渉の余地すらない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある」と言うからには負けた旧人類と新人類は黙って消えるしかないだろ。どうもあなたは「墓所が勝った場合は人類に交渉の余地はない」しかし「墓所が負けた場合は、墓所は交渉のテーブルに着かせてもらえる」と思っているようだが、そんな甘いわけがない、巨神兵の裁定はおりている。そして巨神兵をプログラムしたのは旧人類だ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
「今」を生きるのに精いっぱいの人々にはるかかなたの未来に生きる人類を気にかけてる余裕なんかない。21世紀の現代日本ですらそうだろ。繰り返すけど、あなたは物語の中の今を生きている人類に寄り添えていない。そんな人物の言説を誰が聞く?
古今東西、人を説得できないと物事は変わらない。国会でどれだけ「日本を良くする法だ!」と自説の正しさ唱えたところで、党内の票をまとめられなければ法案は通らず歴史は変わらない。
その、愚かな人類と決別しようとする "新人類教" では物語の中の世界を変えられないんだよ。せいぜい数千年後にまだしぶとく生き残っている現人類が「古文書見つけた!『お前ら人類は虐殺者だ』『ナウシカは悪魔だ!世界を滅ぼしたのだ!』とか書いてあるよ。新人類教だってさ」と珍しがる程度だ。
そうだろうね。そしてそういう人物は、誰かを殺す心配をするまでもなく、とうに誰かに殺さているだろう、と先にも書いたよ。
ナウシカの世界は、その環境の過酷さにより人々がいがみ合い、憎しみ合っている。しかしそれぞれの人は "新人類ではない" から、憎悪の一方で愛も持っている。良い一面も悪い一面も持っている。これが人間だ。そういう人々の行動を変えるにはどうしたら良いか。まずは説得だ。ナウシカは数々説得してきた。しかし凶暴で賢くない人類だから、説得には応じられないこともあるだろう。では説得に応じない相手はどうすれば良いのだろうか?そう "行動を起こす" のだ。あなたは「交渉する余地などない、まず武力だ」と言っているが、まずは交渉、のちに行動。
最終話近く、マニ族とクシャナ軍がにらみあっている。ユパが、ケチャや年寄り連中と一緒に必死にマニ族を説得している。だがマニの若者たちは納得しない。彼ら彼女らも "復讐は何も生まない" と理性では分かっているのだ。だが自身の感情を説得しきれない。そして、この気持ちを晴らすにはトルメキア人を殺すしかない、と"行動を起こし"クシャナに襲い掛かかった。(法の整備された現代日本では許されないよ)
ここでユパも説得は通じなかったことを悟り次の手段に出る。マニ族とクシャナの間に割って入り、マニの刃を受けることで双方の連鎖を止めた。先だって左腕も犠牲にし「この片腕、わしの心のあかしだ。たのむ判ってくれ」と再度説得。単なるきれいごとではなく、自らを痛めてまで訴える人間の言葉は人の心に届く。(これには先立ってマニの僧正が同じ方法でユパの命を救っており、恩返しという側面と、僧正の念がこの場に出現しマニ族を説得するという流れになっている。この通り、聞かなきゃ殴るだけが行動ではない)
ナウシカも同様に、数々の行動によって人々を説得してきた。
ナウシカは恐れでためらうことが少なく、瞬時の判断力を持っており、おおむね良い方向に作用する。(主人公補正はあるが)
アスベルを新人類と入れ替えてみたらどうだ?と言いたそうだな。やってみようか。新人類は生き残ろうとしない。生に執着しない。あなたと同様に「人間の凶悪さを発揮し蟲を殺してまで生きようとは思わない」と言い残し、ナウシカに遭遇する前に蟲に食われる。おしまい。
説得・行動・説得・行動だ。これによりナウシカは数々の障壁を超えてきた。残念ながらあなたの思惑とは違い、最終話ではもはやナウシカを止める人はいない。ナウシカはもう辺境の一首長ではない。行動により強力な支持者を得て、民衆を説得できる力を持った。ナウシカはみんなをつなぐ糸になれた。
あなたには説得力もなければ行動力もない。だから序盤で死んでいるだろうけど、それを大目に見てこの場で
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
と言えたとしよう。で?誰が耳を……あ!聞く耳持つ人がいたわ!墓所と守り人。ヒドラ。
これがあなたの発言。そして墓所・庭園の主『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』。そっくりだな!といってもあなたは墓の側に立って意見を出してるんだからそりゃそうか。
あなたが墓所かヒドラだった場合、結局ナウシカを説得できなかったので歴史は変わらない。変えるとしたら、最後の生き残りの人々の前に現れ、今回の数々の教義を唱え、賛同者を募ってナウシカを止めてもらう必要がある。
そこにいる人々は、戦乱の世を必死に生き延び、死にたくないと願い、場合によっては人を殺めても生き延びてきた人たちである。その中でどのくらいあなたの賛同者がいると思う?ナウシカを引き留めるには到底足りないと思うんだけどね。
ナウシカだって最初は無垢でいたかったんだよ。でもそれだけでは自分の愛する人は救えないと理解し、成長する物語だ。そしてナウシカは罪悪感や自己矛盾をちゃんと受け入れている。「人類を滅ぼしにいくのかもしれない」と自覚している。「悪魔として記憶されてもかまわぬ」と言っている。それに比べりゃ私たちなんて楽なもんだ。最後の決定をナウシカに任せちゃえるんだから。だからこそ、その決定について、ナウシカに責を負わせることはしないでおこうと思う。
新人類だってあなたを救世主だとは思えないだろう。「その人は私たちのために何かをしてくれたの?」「なんだ、世界の片隅で祈ってただけか」と。
あなたは、未来を変えたいが、自分の手は汚したくないという。墓所の主はそういう役割としてプログラムされているからまだわかる。しかしあなたはには自分の意志があるのに、その体があるのに、先へ進もうとしない。今の自分を超えようとしない。現人類より新人類側に思いを寄せている。もしかしたらあなたも旧人類のように全てに絶望しているのかもしれない。どうせ全滅するのだから何をしたって同じか?「そうではない」とこの物語は示している。
ナウシカの行為に正当性を産むことができるとしたら現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
「答え」なんか分かるわけがない、っていうか自分で考えろってことだよ。人類は再度火の七日間を起こすよ。歴史は繰り返す。人類は愚かだから正統性より目の前の命を取る。
今回私が書いたことはほとんど漫画の中に描写されていることだ。あなたは最後の答えを知りたいというが、まずそこに至るまでをうまく読み取れていないじゃないか。まずもう一度通して読んでみてはどうだ。
あなたは結果を重視しているが、私は現人類の過程を重視している。あなたは「自然に任せよう」と思っているらしいが、あなたが自然だと思っていることは実のところ人間のプログラムだ。穏やかで、賢い、人工の物体だ。自然体は許されない。人も動物も全てを書き換えるつもりだ。ナウシカの方法の方がずっと自然だ。「今」を乗り越えても、凶暴で頭の悪い人類は結局は滅ぶかもしれない。でも人類は滅んでも虫や動物は生き続ける。人類は滅ぶが、世界は滅ばない。とはいえ、人類はそんな簡単には諦めないという話だ。
たとえ過去1万回同じ過ちを繰り返したとしても、諦めなければ1万1回目でクリアできてしまうのが人類だ。1万1回やったけどダメだったから諦めたのが旧人類なんだろう。現人類は1万2回目、歴史は繰り返す。しかしそれがいつになるかは現人類が決めるし、現人類はその今を精いっぱい生きるの。
このあたりはどこまでいっても平行線かもしれない。だからあなたが「私はナウシカの決断に同意できない」と宣言すること自体に問題はない。ただ、最後の決断をした人物を責めてはいけない。私は旧人類の決断が間違っていると思うが、旧人類がそれしか取る手がなかったのだということは受け入れる。旧人類を責めはしない。現人類として、その決断には従わないという意思を示すだけだ。
1万2回目の人類の最後はナウシカが決める。少数の反対を除き、私を含め大多数はナウシカに最後を託した。
歴史に埋もれたできごとが間違っているわけではないが、トルメキアとドルクをクシャナとチククが再興していくことを考えると、はるかかなたの未来に生きる人類たちはナウシカを「救世主」として受け止めることになるよ。「青き衣の人」として。新人類は生に執着しないが、もし執着するほど進化したとしたら、その時は現人類の選択を理解し受け入れるだろう。(同時にはなし得ないのでパラドックスだが)
あなたは現人類に絶望しているのだろうが、それでも旧人類の決断に自分を託すんじゃなくて現人類として自分で決めよう。誰からも必要とされない自分なんていなくていいと思っているかもしれないが、人の評価で未来を決めることはない。
本当に絶望の淵に立っている人に「マンガでこう言ってるし」「不安も絶望も背負って、それでも生きていくしかない」と諭してもまったく力にはならないだろうなとは思う。私は漫画版ナウシカから力をもらったけど、絶望中にはせいぜい現実逃避として読んでただけな気がする。ある程度元気になって、現実世界に少し救いがあったからこそ、余裕をもってああだこうだ言える今がある。
とはいえ、あなたは「マンガだし」と投げ捨てず、その内容について意見を書き綴れるくらいの力があるんだから、もう一度立ち止まって読んでみてはどうですか。
つぐみとマリーに春ちゃんが終盤で適当に切られた悲しみを忘れたのか。
いちご100%だって、こずえちゃんという負け確ヒロインを突然投入したときは正直どうかと思った。
基本はこれに尽きる。いわゆる萌属性を網羅していくことで間口を広げる。
文系理系のダブルヒロインに追加された体育会系、そして先生・先輩etc...
確かに商売である以上読者を増やすのが第一で、そのために手っ取り早いのは、未読者が興味を惹かれるようなキャラクターを用意することだ。
今の御時世2次元でも3次元でもアイドルはグループで阿呆みたいな数いるし、まあそういう時代なのかもしれない。
膠着状態だった三角関係が、第3のヒロイン登場により引っ掻き回されるパターンなど。
こうなるとこの第3のヒロインは負け確で存在意義がそれしかなかったりするんだけど、
作者の力量次第では救われたりもする。
ただし、三角関係が四角関係になっただけみたいな例も多々ある。
あと「話が進むたびにヒロインが増える」という似て非なるものもある。ラブコメじゃないけど「とある」とかそういうの。
まずこれ。ダブルヒロインだと二週に一回メイン回だったのが一月、あるいは二月に一回になるなど。
いわゆる主人公補正
「主人公にはカッコいいところがあるから納得できる」とか言う声もあるけど
じゃあこいつ今までなんで彼女いなかったんだよ?なんでこんなに女子に免疫ないんだよ?みたいな。
ラブコメで大事なのはヒロインもそうだけど、主人公の魅力がいちばん大事な所だと思うわけで、
「なんでコイツがモテるんだよ」って思われたらその時点で全て冷めるわけです。
あんなに可愛かったヒロインだって「男を見る目のない女」になってしまう。
楽さんとかそんな感じでした。真中だって高3になるくらいまでは非難轟々だったし。
そうなるとですね
いちご100%を読んでいたと思ったらToLOVEるになっていた!?
魅力的なラブコメにもっと読者を集めたい気持ちはわかるけど、その方法がラブコメの質を落としている。
まあ今はまだ先輩も先生もフラグ立っては居ないけど、だったらその分を文系理系に回してよって思うし
だがしかしはハジメさん出てきた時はどうなんだと思ったけど、あれは何かもう作品全体が作者の性癖に忠実な感じがして許せる。
からかい上手の高木さんもゲッサンだし、ここ数年のサンデーは推せる。
そこまでテイルズユーザーではないのだけれども、ヴェスペリアに関しては割とやってきたつもりではある。
その中でも料理システムに関しては自分なりに考えたり想像を膨らませたりしている方だと思う。料理システムから見るテイルズオブヴェスペリアの面白さについて書いていきたい。
ヴェスペリアの料理システムはキャラ毎に「作るのが得意・苦手」「好き・嫌い」があり、それにより料理の成功率や料理による効果の増減が違ってくるのが特徴と言えるだろう。
そしてこのシステム、かなりキャラの設定として凝っている部分でもある。
得意だったり苦手だったりはキャラの料理上手い下手設定によるものが大きく、エステルやリタ、ラピードが設定通り(というかラピードは犬だから)苦手な料理が多い。レイヴンは甘いものが嫌いだから作りたくないんだろうなという感じ、味の好みが上手い下手に繋がるのもイエスだね。
料理がヤバいキャラとして定着しつつあるフレンは実は苦手な料理が無いんだけど、これは成功した時のクオリティの高さで評価されているのかな。フレンの料理は成功時の効果が高いもの。
ジュディスは料理が上手い設定がバッチリあるから苦手なし、ユーリも無いんだなあこれは主人公補正か?カロルは手先が器用な設定があるから苦手なし、ここは一つ二つあってもよかった気もする…パティは料理上手に加え年齢関連の設定的に上手いんだろうね、APTX4869服用させられたみたいなもんやし。
得意苦手についてはまあこんな感じか。思ってたより考えてなかったな…すまない。
私がとても注目していたのは好き嫌いについて。
どうもヴェスペリアのメンバーは「味が嫌い」「特定の食材が嫌い」「その他特殊な条件で嫌い」があるようで。今回はユーリ、エステル、カロル、フレンに絞って書いていく。残りは各自考えてまとめておくように。
ユーリは嫌いなものなし。育った環境の貧しさや親友のアレがあって出されたものはなんでも食べるスタイルなのだろうな。そんななかマーボーカレーが好きっていうテイルズ主人公のお約束的なところと、甘いもの全般が好きという属性盛り過ぎなところが憎めない。あんだけ今までの主人公と違う!とか言われてたのに結局扱いが王道な感じや、甘いもの好きという安易なギャップ好きだよ。ユーリはダークに、変わり種なりたくてもなれない男だなぁ。王道な人だと思います。
好きな食べ物は天ぷら、ビーフシチュー、甘いもの全般。甘いものは女子だからって感じだろうけど、天ぷらとビーフシチューは凝った料理が好きなのかなというイメージ。
問題は嫌いな食べ物!みそおでん、すきやき、ちゃんちゃん焼き、漁師鍋…食材に嫌いなものがあるのかなと見るとミソが挙げられそうだけど、すきやきはミソ入ってないし…。味噌汁と豚汁、サバみそというミソ料理は嫌いじゃないんですよな。だから味が嫌いってのもあまり当てはまらない…。
しかしここで嫌いな料理の特徴を見てみると、大体がみんなで箸をつついて食べるスタイルなのではないかと気づくわけだ。みそおでんは設定画だと取り分けられてるけど、もしかしたら鍋からみんなそれぞれ取っていくスタイルなのかも…。みんなで一つの鍋をつつくのが嫌、これって割とよくある話だけどそういう気持ちをエステルが持ってるかもしれないというのは面白いしありえなくはないと思えないだろうか。お城暮らしのお姫様、食事はシェフが作ってくれて毎回きっちりエステルの分だけ取り分けられている、毒味なんかもシェフがしてたんだろう。そんなエステルが一般市民と仲間となり一つの鍋をつつく…ほんとは嫌だけどみんなと食べるのは楽しい、青空の下みんなで…エステルの仲間と一緒が好きなところと食への思いがぶつかる。
よってエステルは「ミソが調理法によっては苦手かもしれないけど、基本的に食材の好き嫌いはなく食事のスタイルに拘るタイプ」ではないかと推測する。
カロルは好きな食べ物がわかりやすい。主食系は大体好きで、オムライスやカレーやミートソース(スパゲッティ)が好きだなんてもう絵に描いたような子供だね。おすし好きなのも可愛い…あの小さな手で…。甘いものやお肉料理が好きなのも可愛い。
一転嫌いな食べ物についてはちょっと捻っていると思う。サバみそ、ちゃんちゃん焼き、クラムチャウダー、ヴィシソワーズ、大根とイカの煮物…味も食材も一貫性がない。魚が苦手なのかなと一瞬思ったけど、ならおさしみやおすし(生魚)も嫌いでいいのでは?ポテトがとてもダメなわけでもなさそう、からあげポテト好きだもんね。
ここで私が提唱したいのは、カロルの好き嫌いは子供の味覚を再現しているという説。クラムチャウダーとヴィシソワーズはお味が上品過ぎて難しい…サバみそやちゃんちゃん焼き、大根とイカの煮物は酒のつまみ系というイメージがあるし…。嫌いっていうより、味覚が子供だから美味しさが分からない状態なのでは?
我々リアル人間だって嫌いな食材でも調理法によっては食べられるわけだから実際ポテトと魚苦手なのかもしれないけど、フレンが特定の食材を完全に拒否しているのを見るとカロルも「特殊な条件で嫌い」なのではないかと推測。子供というキャライメージを損なわない好き嫌いだなと感心してる。
フレンは肉が好き!イカが嫌い!とてもハッキリしている。エステルやカロルといった初期メンバーの好き嫌いの凝り方を見るとフレンのそれは些か雑な気もするけど、フレンにもそういう「好きなものは好き嫌いなものは嫌い」という意志があるって素敵だと思う。いつも何かしらに抑圧されてるイメージなので…食くらいは素直になりたいよね。
肉が好き!の中でもどんな肉が好きなのかっていうのは分かれるもので、フレンは肉の塊が好きなんだろうなと。ハンバーグ、ステーキ、豚の角煮、ビーフシチュー…豚汁とすきやきが普通であることを見ても肉はなるべく塊であることが望ましいようで。
嫌いなイカについては食材にイカが入ってるのは全てダメという徹底ぶり。漁師鍋という自分のために作られたような料理に嫌いな葉物野菜が入っているからと顔をしかめたりしないパティのような辛抱は一切なし、頑なにイカと和解しないその姿勢は評価に値する。
ちなみにフレンのイカ嫌いがきっかけでヴェスペリアの料理の食材に目を向けるようになった。ありがとうフレン。
このように、本編での言動以外でもキャラの個性を見ることができるって素晴らしいと思う。
今回は書かなかったけど、リタの「食べる手順が面倒なの嫌だし生魚も嫌」とか、パティの「葉物野菜嫌!!!!!」とか。趣向の違いは、あって当然なのじゃ。
そしてそんな個性豊かな面々が毎回どこからともなく集まってワイワイやってるのが好きなんだなあ。お互いに曲げられないところはあるけどそこを抑えてみんなでやっていく、大事なことですね。
救いがねえ。
やっぱこうブラック産業を描く以上は、その業界が纏う閉塞感のある空気をぶち壊してくれる何かが必要なんだ。
何ていうか、この世界をコントールしているのは主人公たちなんだと信じさせてくれる力が。
炎尾燃もテラさんも編集者や世間の空気には3:7ぐらいで負けてるけど、それでも3割ぐらいまでは押し込んでくれる。
それがないとやっぱキツいぜ。
いつの間にか周りの空気の側が主人公補正に対して譲歩してくれるようじゃ駄目なんだ。
俺達のルールを押し付けてくれる俺達の旗印がいないと駄目だわ。
SHIROBAKOとか今考えるとそういうキャラの集まりだったな。
大部分のキャラがエゴと正論が混ぜ合わさったものをぶつけ合いながら描かれてた。
受け身なだけじゃ駄目なんだよ。
高速道路をノンストップですっ飛ばして急にブレーキを踏むことで後部座席から視聴者をふっとばすのが目的だとしたら?
恐ろしいアニメだ。
俺達は全員異世界スマホという作品の手の平の上で踊っていたんだ。
なろう作品をバカにしようと異世界スマホを見続けていくうちに我々はファンタジー小説の持つ数々の馬鹿馬鹿しさを目の当たりにすることになる。
主人公に都合よく配置されたクエスト、特別な能力、勝手に惚れてくるヒロイン。
それらのくだらなさを最もくだらないと思うテンポで投げつけられるうちにいつの間にかそれを快感とすら感じるようになった。
そうして11話を迎えた。
そこで我々が見たのは、くだらない物はやはりくだらなくてどうしようもないというむき出しの事実だ。
それと同時にフラッシュバックするのは、今まで見てきたハーレム物の物語構造が抱える主人公と視聴者にとっての都合の良さ、つまりはくだらなさだったのだ。
自分が今まで楽しんできたものはどこまでもくだらなくてどうしようもない娯楽だったのか?
では我々がくだらないと感じるか面白いと感じるかの違いは単なる先入観でしか無かったのではないか?
コーラと思ってコーヒーを飲めば人間の舌はそれを腐ったコーラだと感じてしまう。
果物の香料をかぎながら砂糖水を飲めばそれをフルーツジュースだと人は感じ取る。
それと同じだったのではないか、我々が今まで数々のファンタジー物に上げていた熱は全く持って中身のない先入観とその場の雰囲気だけだったのではないか?
そういう疑問が湧いてくる。
異世界スマホが暴いたのは我々が創作物に望むものの程度の低さだった。
一見程度の高いものを求めている用に見えて、実際は鼻の下を伸ばしてくだらないハーレムを望んでいる。
だがそれをそのまま出されてもプライドが邪魔をして受け付けないので、さも中身のある物語であるかのようにラッピングして欲しい。
そんなどこまでも浅ましい欲望が白日のもとに晒されてしまった。
なんということだ。
完全な詰みだ。
異世界スマホはファンタジー小説、いや、全ての娯楽作品の持つ生来の馬鹿馬鹿しさを、その馬鹿馬鹿しさを目一杯使い切って我々に叩きつけてきたのだ。
これはまるでThe video game with no nameの진실게임(チンシルケイム)のようではないか。
主人公が悪い奴を倒して欲しい。
だが、その倒し方はただの主人公補正であって欲しくはない。
だが、そこにはちゃんと理由があって欲しい。
だが、そこまでの過程はしっかりと納得できるように踏んで欲しい。
ああなんと浅ましい。
ポルノに対して倫理観を求める風俗説教親父が我々の心の中に住み着いている事を、もはやどう言い訳しても隠しきれないじゃないか。
なんて事をしてくれたんだ。
ああ畜生、完全な詰みだ。
1話の段階でかけられた王手をなんとか誤魔化し誤魔化して我々は11話まで引き伸ばしたがいよいよもってチェックメイトだ。
まるで将棋だな。
他の作品も、結局最後は主人公が主人公補正で事件解決してめでたしめでたしヒロイン達とハーレム結成というオチになるのばかりじゃん。
それをわざわざ余計な要素で水増しする必要がある?
どうせ雑魚モンスターなんて一瞬で吹き飛ぶんだからスマホポチーで倒せばいいじゃん。
遺跡を見つけるための聞き込みなんて別に面白くないしスマホポチーでいいじゃん。
敵との死闘なんて言っても主人公補正であっさり勝つやらせ同然の無駄バトルなんだから魔法ポチーで終わりでいいでしょ。
様々な要素でハーモニーを形成できる作品は否定しないけど、本題を水増しして尺だけ稼ぐようなブリーチ系作品なんかよりも異世界スマホの方が面白いよ。
作画のレベル、シナリオの安定さ、キャラの魅力、デスゲーム、主人公補正…どれも今際の国のアリスに似てるなこれ
面白さはどちらも同じぐらいかなーダーウィンズゲームはキャラ萌えが若干勝ってるかも
扉絵とかガンツを思い出すようなサービス精神旺盛なものばかり、まあグラマーなキャラが不在なため少女・ロリ系ばかりだが
シナリオの展開はなあ、デスゲーム作品の序盤はもう似たようなものになるしかないのかもしれないから置いておこう
しかしね、大規模イベントで都合よく主要メンバーが集まったりするのはご都合すぎていまいちかなあ
あそこで謎解いてゲームクリアによるイベント終了を狙う展開はすごい良かったと思うけどね
チームを作る展開からはこれ東京グールだよなって思って見ていた、外人の元で修行受けて常人越えちゃう当たりとかさ
ランキング1位があっさり仲間になったり婚約申し込むのはどうなんだろうなあ、萎えた人多そう
ここまで読み進めると気づいてしまうけど、この漫画は俺TUEEE系のデスゲーム作品だよね
圧倒的に主人公が強いわけじゃないが仲間は有能揃いだし主人公補正かかりすぎて敗北がまずあり得なさそう
今際の国のアリスだって毎度窮地に立たされるぐらいでハラハラしたのに、ダーウィンズゲームはそれない
初戦みたいな能力も何もなしで逃げ回ったりするのがデスゲーム作品らしくていいと思うのに、これは流石に味方陣営が強くなりすぎた
もう完全に俺TUEEE系でいいと思う
キャラについて、シュカもレインもスイも可愛いと思うけど少女・ロリ系ばかりは飽きる
扉絵でガンガンえろいの(つっても下着・裸ワイシャツ・水着程度だが)描いてるのに作中じゃシュカの全裸ぐらいしか記憶にないな
生殺しだからもっとエロいの描いてくれ、ってのとグラマーキャラも出してほしいわな
リュージは最近もうトグサにしか見えんよなあれ、つかトグサだ、トグサって呼べ
オージは完全にアクセルワールドの主人公じゃねえか!!!飛べないとか飛ぶとかもう意図的に寄せてるだろ、いいキャラだと思うけどさ
あとはなんだ、ゲンスイの宗教?あれは未来日記の千里眼の宗教と日記を樹形図的に増やすやつと同じだよな
まあ宗教キャラなんてたいてい未来予知か信徒とのチャネリングとかそういうのになるお決まりテンプレだから仕方ないか
この作品はあとどれぐらい続くんかね
レーベンズが日本掌握したしGMも顔バレしたし、急に展開が早くなるからなあ
もっと日常も描けばキャラ萌えシーンも増えるんだろうけど、シナリオを先に先に進めたいのかな
こういう系はネタバレ描いたら終わりだとおもんだけどなあガンツみたく
まあどちらでもいいか
ヤクザ映画や新撰組をイメージして、主人公達が成り上がり破滅して全滅する物語として監督が構想を練り脚本に依頼した所がそもそも失敗。
主人公の目的は達成されるべきだし殺すべきではない、そもそも主人公達にはっきり目標を持たせず流されるように動くようにしたのも悪い。
特に主人公はサブ主人公に理想も思考も託しており、敵に向ける人間味や外部への興味は薄く、自らの意思で行動しないまま最終回まで来てしまった。
2時間ヤクザ映画ならともかく四クールの長丁場の物語でこれをやるのはいけない。
世界設定も伝わりにくかった、酷い世界なのは解るが何をどうすればいいのか悪いのか視聴者には解らなかった。
主人公達が下層過ぎて目先の生存と利益を目指して進むしかなく、ヒロインも火星の目先の利益を掴む為に動くしか無かった為に、視聴者にも主人公達の目先しか見えず世界に関わる物語の目的が無かった。
一期は主人公達が成り上がり成功する物語だった、最終回では監督が脚本に希望を持って明るく終わらせろと依頼した結果驚くほどの御都合主義になってしまったがそれでも多くのファンに歓迎され受け入れられた。
しかし二期は一期で得たものを失っていきどんどん追い詰められ最後に破滅する物語だった、主人公は死にガンダムの首は切り落とされ晒し首のようにかかげられた。
監督の構想ではヒロイン達も含めて主人公サイドを全滅させ三日月を殺してエンディングが流れ、生き残ったライドがノブリスに復讐をして終わる予定だったが、脚本が救いが無さすぎると抵抗した為に多くの仲間が生き残り子作りや最終回Bパートが無理矢理捩込まれた。
キャラを救うためのこの中途半端さもいけない、悲劇をやらかすならとことん突き詰めた方がまだ物語としてまとまった。
逆主人公補正とも言えるほどに無理矢理主人公達が滅びに向かう中で、最終回Bパートの為に急に色々な物が主人公達に都合よく働き、何ともいびつで中途半端になってしまった。
無理矢理な救いは半年かけて主人公達がひたすら破滅する拷問に堪えた視聴者を救うほどの希望でも無かった。
敵に監督と脚本が感情移入したから二期は面白く無くなったと言う意見を見かけるが私はそうは思わない。
むしろ監督の興味が主人公サイドに集中し過ぎていた為に主人公達に時間を割き丹念に描写する反面、敵の最低限必要な説明を削り本編に入れられず、視聴者に愛されるように個性を描写された主人公達が描写が不足している敵に無様に追い詰められ滅びていく様子を見ると言う嫌な話になってしまったのだ。
強くするべき敵キャラも間抜けなヘイト引き受け役や主人公サイドの引立て役に使われ、強パイロットを作らなかった結果最強主人公を倒せるのが遠距離兵器のみになってしまいモビルスーツ戦も盛り上がらなかった。
脚本は確かに敵に愛着を持ったが、それは主人公の成長と変化を許さない監督の三日月へのこだわりの為に主人公を動かせず、監督がノーマークなので好きに動かせて成長させられるガエリオが面白くなった為だ。
ガエリオの活躍シーンはヒロイックで面白かった、監督の書きたかった変化せず感情もあまり表にださない強い主人公の骨太興亡物語と、脚本の書きたかったドラマチックな物語の食い違いを感じる。
結果他と関係を持とうとしない主人公からドラマの中心が動いてしまった。
しかしガエリオに尺はあまり割かれず視聴者に説明をされなかった為によくわからないキャラになってしまった、普通に見てたら何で最終回で急に車椅子に乗っているのか解らない、監督がインタビューで漏らすまで一期最終回時点で半身不随だった事すら解らなかった。
一期で一番面白くなかったのはドルトコロニー辺りだと思うが、監督と脚本が殺したかった主人公サイドキャラを殺させて貰えなかったと言っていて納得した、そのために中弛みしたのかと。
脚本が気に入った為に初期に殺す予定だったアインが一期のラスボスになり、初期に死ぬ予定だったガエリオユージンは最後まで生き延び、最後に鉄華団は生き延びた。
バンダイもドラマを削りモビルスーツ戦を増やすように口を出した。
タイトル通り、YOIは男主夢なのか?という疑問を夢を好む側の人間から考えてみたいと思います。
初めて自分の考えているところや疑問点を書いているため、読みづらい点が多々あるかと思いますが、どうかお付き合いいただけると嬉しいです。
【当記事で申し上げたいこと】
「シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というものの範囲内ではないでしょうか。
Twitterなどで、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などのつぶやきが散見されています。
放送終了した今は検索しても流れてしまってなかなか見つけづらいのですが、、、
個人的な感覚であり一切の非難の意図はありませんが、感覚それ自体にとても驚きました。
http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/11/26/222114
にて多彩な夢小説の形が紹介されているように、これが夢小説だ!と、このような記事を書いておきながら恐縮ですが、明確に提示することは大変難しい事だと思います。
そのように申し上げておりますが、それでも勝生勇利とヴィクトル・ニキフォロフの関係が夢であるかと問われれば疑問が残るものであると申し上げたいと思います。
では、なぜそう思うのか、認識のずれはどこからきているのだろうと疑問に思い、当記事を書くに至りました。
・夢小説についての考え方がずれている
ずれている、という表記は私に向けられているものであり、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などとツイートされた方へ向けたものではありません。
私と、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」とツイートされている方の認識のずれがあると言う意味で使用しています。
どちらの認識も極論を言えば正答などないものです。自分の意見が正しいという主張でもなければ、考えを押し付けるつもりもありません。
「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などというツイートを書いていらっしゃる方の九割以上が、腐女子とプロフィールに書いていらっしゃいました。
もしかして、現在検索除けが夢界隈の「マナー」として定着して久しく、Pixivへ投稿するならタグや注意書きを書くことを半ば強制され、ツイッターのプロフにサイトURLを書こうものならマナーがなって居ないと晒される状態で、SNSが同人の主流になった今、10代の方や最近同人を知った方などはあまり夢小説の事をよく御存じでなかったり、昔夢を好んでいらっしゃって現在BLを好んでいらっしゃる等、夢小説というものの認識のアップデートをされていらっしゃらないのではないかと思いました。
https://togetter.com/li/324664
上記記事で記述されているような類のものや、#夢小説あるあるというタグが付いているツイートで茶化される夢のスタイルの認識でいるのではないかと。
夢のひとつのスタイルをいちいち束になって茶化す事や何かを貶めるシーンである特性を指すときに侮蔑的なニュアンスを含む「夢」表記に関して個人的に悲しく感じるのですがそれはまた別の話なので割愛します。
そういった、夢のスタイルとして広く認識されている「誰か素晴らしい特性を持った人から見初められて運命が一転し、その過程で成長する話」のことを指して夢と呼んでいるのではないでしょうか、というところに落ち着きました。
個人的に、それは夢というのは最適解というには首をかしげたく思います。
「シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というものの範囲内ではないでしょうか、と思います。
以上です。
ここまで読んで下さってありがとうございます!