はてなキーワード: 中森明夫とは
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
毎年、夏がくるとYahoo知恵袋などに「野沢直子って面白いんですか?良さがちっともわかりません。」との質問が1回は上がってくる。
私はもう何年も野沢直子のファンだけど野沢直子をオモシロイと思ったことはあまりない。
どっちかというと渡米して現地で結婚してしまった友人と重ねあわせて見ている。
野沢直子は若い頃か「クラスに一人はいそうな授業中に面白いこと言って笑いを取る女」タイプの芸人だった。
そのうち「ばくばくばくばく おーわだばく」と身も蓋もない歌を歌い出した。
ヒロトと破局したと噂が立ってからしばらくしてアメリカに行ってしまい、
ボブという直子が出演していた番組でよく恋人同士をやっていた松本人志の役名と同名のアホ米国人と結婚した。
直子より少し年下の私達は男女雇用機会均等法の制定の数年後に夢を持って就職したが、
やはりかなりの高学歴な女性や何らかの資格を持たない女性は多数が挫折を経験している。
1年程度で会社を辞めて留学したり、資格をとってから再就職した友人が大勢いたと記憶している。
しかし30を過ぎる頃にはほとんどの友人が専業主婦に落ち着いていった。
そんなわたしの友人たちの状況と女芸人の先駆者なのに失恋したら勢い渡米してしまった直子はかなりカブる。
だから直子が3人の子供を育て上げ、Tumblerに中森明夫の「東京トンガリキッズ」のような小説を書き散らし、
今では看護師となって偶にキチガイじみた絵を描いているちょっとモリッシーに似てきた旦那と幸せに過ごしているさまを見るとかなり応援したくなる。
直子、良かったねって思う。
夏になると日本に帰ってきて旧友と再会して楽しんでいる直子をブログで確認しながら、
私も子供の休みに合わせて帰国した友人と会って、此処ぞとばかりに高いレストランに行ってわたしたちいろいろあったけど色んな幸せを見つけてよかったよかったとかみしめている。
自分語り(了)
http://anond.hatelabo.jp/20090113152435
の6を、文字数制限を避けるために別立てにしました。
6.書いたものの元ネタは全部↓ココにあります。
DENPAレポ
DENPA!!! at EVER Aoyama - EVENT REPORT
http://www.digitaldj.jp/2008/02/16_160000.html
フォトレポート:オタク文化とクラブ文化の融合イベント「DENPA」1周年パーティー
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20379628,00.htm
【レポート】サブカルチャーと音楽、そしてアバターとのコラボイベント「DENPA-電刃-」
http://www.secondtimes.net/news/japan/20081118_denpa.html
アニメとファッションとクラブが融合したイベント「DENPA(電刃)」
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2008/06/denpa-2.html
またDENPAに行ってきたよ
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2008/09/post-2.html
俺もDENPAに行ってみた
みんな“DENPA!!!”に行ってみません?
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_38c2.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-0243.html
オタク第一世代の証言から
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_7bb2.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_12a6.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_b05b.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_b082.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_10.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_11.html
70年代は変な時代だった
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/70.html
第二世代から見た「オタク問題史」
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8515.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_82ee.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_29d1.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1b43.html
村上隆さん、ごめんなさい
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_fab6.html
[オタク]DENPAが従来のコスプレダンパ文化とどう違うのか誰か教えて欲しい
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081221/denpa
おっさんその2
http://anond.hatelabo.jp/20081224135706
[考え事]越境現象においてメイド喫茶が果たす役割
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20081231/1230728340
超ライトオタクは誕生していない。ぬるオタが歴史から抹消されている
http://anond.hatelabo.jp/20081222122907
おたく→オタク→ヲタク⇔クラバー 「DENPA!!!」 ???
http://d.hatena.ne.jp/no-spoo/20081224
http://anond.hatelabo.jp/20081224085025
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20081222/p2
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20081224/p1
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20081225/p1
http://d.hatena.ne.jp/yuki-unlimited/20081229
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081224
[オタク]「超ライトオタク」が流入してきたとしても、既存のオタク文化とは住み分けが行われるだけ
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20081226/1230217279
[オタク][ファッション]「超ライトオタク」は、オタク文化に流入してきているのではない。オタク文化を自分の文化に持ち帰っている
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20081226/1230217280
オタクとはなにか
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
同年代からはむしろスゴイと思われていたような
http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20080128/p11
オタク文化大勝利!!
http://anond.hatelabo.jp/20081220191940
[オタク][culture][history] 昔からあったことをさも最近起こったことように語られても
http://d.hatena.ne.jp/lakehill/20081223/history_of_otaku
http://anond.hatelabo.jp/20081224095913
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081227
http://d.hatena.ne.jp/sskhybrid/20081227
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-266.html
2008 ニコニコ 雑感 まとめ
http://d.hatena.ne.jp/triqster/20090106
オタクとか
http://d.hatena.ne.jp/strange/20081224
http://d.hatena.ne.jp/mokkei1978/20081225/p1
オタクの濃さについて
【雑記】・「上の世代に対抗するには……」
http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-264f.html
http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_29f7.html
【萌え】・「本当は萌えと特撮オタクは直結していかないといけないんだよ。」
http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-6305.html
【雑記】・「何かがすでに死んでいる件について」
http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_17c3.html
その他
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/excerpts-musicalBG.html#15
オカノ通信
http://www2u.biglobe.ne.jp/~captain/sub1.htm