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はてなキーワード: 中島義道とは

2024-02-29

じゃあ俺だってめちゃくちゃ面白い本をみんなに薦めたいじゃん

20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。

桶川ストーカー殺人事件遺言清水潔

1999年埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者ルポルタージュ事件事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミ面白おかし報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。

LIFE 人間が知らない生き方麻生羽呂

人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマビジネス書”と紹介されているが、バリバリビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。

『私の嫌いな10の人びと』中島義道

世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間中島が嫌いなのは「常に感謝気持ちをわすれない人」や「自分仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。

ナポレオン狂』阿刀田高

はいきました、直木賞作品小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章オチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。

宇宙人出会う前に読む本』高水裕一

めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系マジで想像以上に理系文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーション解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学科学技術系の新書シリーズの中の一冊。

マノン・レスコー』プレヴォ

光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやす出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃え駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないか詐欺します、どうやら彼女浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったか人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。

アタゴオルますむら・ひろし

小学生の頃図書館で読んで不思議気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブヒデヨシとその友達テンプラパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後コマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。

ものぐさ精神分析岸田秀

無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会本屋で、片田舎図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人からいたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論社会ピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。

2023-01-01

中島義道がカッコよくなってて驚いた

ビジュアルが完全に哲学者になってる

https://news.yahoo.co.jp/articles/298025d17b59cec5bd2d3b07fbf15afcaec9f2c2

20数年前はこんなんだったのに

https://www.aflo.com/ja/editorial-images/search?package_id=40294599


76歳らしい。俺もこんなふうになりたい

2022-11-26

哲学って何の役に立つんだよ

https://togetter.com/li/1978452

三角関数3D周りとか物理計算かいくらでも使うところがあるけど

大学哲学を専攻して社会に役に立ったという話を一度も聞いたことが無いんだが?

そもそも哲学を専攻する奴は社会不適合者ばっかりだし

存命の哲学野郎のうちトップ層を走ってるだろう中島義道も超IQが高いASDじゃん

哲学を専攻する時点で社会の役に立たないんじゃないか?とすら思えてくる

ここまできたら哲学をやるくらいならプログラムやれよって言いたくなるわ

2021-11-17

そもそもネット上での対話不可能

https://anond.hatelabo.jp/20211116100901

まあ、長年ネットやってれば分かると思うけど、ネット上で対話不可能だし、リアルでも真の対話が成立しているケースも稀だと思ってる。

ちなみに、ここでいう対話とは哲学者中島義道さんの著書『<対話>のない社会〜思いやりと優しさが圧殺するもの』での対話の基本原理を基とする。以下引用

(1)あくまでも1対1の関係であること。

(2)人間関係が完全に対等であること。<対話>が言葉以外の事柄(例えば脅迫身分の差など)によって縛られないこと。

(3)「右翼」だからとか「犯罪人」だからとか、相手一定レッテルを貼る態度をやめえること。相手をただの個人として見ること。

(4)相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉のもの問題にすること。

(5)自分人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれを引きずって語り、聞き、判断すること。

(6)いかなる相手質問も疑問も禁じてはならないこと。

(7)いかなる相手質問に対しても答えようと努力すること。

(8)相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立積極的に見つけてゆこうとすること。

(9)相手見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。

10社会通念や常識に納まることを避け、つねに新しい了解へと向かってゆくこと。

11自分相手意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること。

12)それぞれの<対話>は独立であり、以前の<対話>でコンナことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を棄てること。

2021-11-15

anond:20211114154151

人気のエッセイnoteってほとんどが日常愚痴文句と、薄っぺら社会考察を書いてるだけなんだけど、この"共感される文章を書き続ける"は"ヒット曲を作り続ける"事と同じでとっても難しい事なんだよな。

中島義道の「うるさい日本の私」みたいに自分の中にあるエゴを売れる商品にできるかどうかが、素人プロを分かつんだろう。

2021-04-10

中島義道が語るKKOやBKO(ブスでカネのないおばさん)

もうちょっと対象範囲は広いが。上級弱者、下級弱者もつながる指摘。

現代日本のように表面的な平等化が進み、飢えも暴動戦争も無いところでは、みんな小さな差異に敏感になり、『正常値のうちの下限にいる人々』はますます救われない。これは、ほんとうに大変なことである

現代日本身長155センチメートル若者はこの悩みを知っている。醜いとしか言いようの無い女性はこの悩みを知っている。身体障害者精神障害者なら、その人権は手厚く保護される。彼らは人権侵害に対して声を大にして訴えることが出来る。だが、身長155センチメートル若者が『チビ同盟』を結成してその苦しみを訴えることが出来ようか?偏差値40の大学生が『アホ同盟』を結成して『我々を軽蔑するな!』と叫んでも誰が耳を傾けよう?まして、醜い女性が『ブス同盟』を結成してみても、それは結構お笑い種だろう。・・・かくして、彼らは『正常値』のうちにあるがゆえにいかなる声も発することも出来ず、社会問題にすることも出来ず、彼らの悩みは打ち捨てられた悩みとなる」

2021-03-02

anond:20210301102544

中島義道の『差別感情哲学』を読むと少しは救われるかもしれません。

嫌悪はしばしば観念的でしばしば理不尽であるからこそ、それは豊かな人間性を映し出すのだ。嫌悪の完全に欠落した社会人間性の欠落した社会にほかならない」とかそういう話がたくさんされている本。

2021-02-11

anond:20210211163551

あなた荒野にいるタイプの人だな(中島義道カイン読んだ感想)

そのままでいるのも反発するのも、どっちも辛そうだね

2021-01-14

anond:20210114171220

坊さんがご親族を悪しざまに罵るのはどうなんだろうね。あいつらは縁なき衆生ですから、って、それ宗教家が言う言葉かね?

リモート葬儀仏教台無しになりません」と僧侶立場から名言することには意味があるかもしれないが、そもそも元増田僧侶の説法なぞ必要としていない。当人の後悔や懸念は「親戚から非難された」「母親が落ち込んでいる」点がメインであって、故人の冥福仏教神聖性云々については特に心配していない。であれば親戚関係母親についてはもはや坊主の出る幕ではないので、ブコメに書いてる人もいるが、対話関係修復を図るしかないと思う。

で、それはそれとして、坊さんが「みんななかよく」みたいな話しかできないのはどうなんだろうね。下記とか。

仮にご親族が正しかったとして、実際に葬儀場に遺族知友が寄り集まり、そこで増田さんの危惧した通りに感染者が出たり、最悪死者が出たとしたら、どうでしょうか。お祖父様の死によって、お祖父様に連なる命がさらに失われてゆくことになってしまます。遺族知友が命を危険晒すリスクを負うことを心から望んで、お祖父様は何が何でも葬儀式を執り行って欲しいと願われたのでしょうか。

そうではなくて、「自分の死(一生)を大事に受け止めて欲しい」。それこそがお祖父様の本当の願いだったのではないでしょうか。

まずあなたがお祖父様の何を知ってるんだって話だし、こんな通り一遍の話しかできないならそもそも怒りを表明するべきではないんじゃないですかね。俺は友達いないか自分葬式についてはわからんけど、「旅立ちに際し大勢に見送ってほしい」という気持ち理解できるし、もし仮に俺が葬儀される側で、事前に「遺族知友が命を危険晒すリスクを負うことを心から望んで、何が何でも葬儀式を執り行って欲しいですか?」って聞かれたとしたら、「密を避け、換気を徹底し、感染リスクに注意して開催していただきたい」って答えたと思うよ。政治家みたいな言いぐさだけど、でもまあそうでしょ。そうした身勝手で不合理な欲望なり怒りなり悲しみなりに寄り添うのが、アウトサイダーたる僧侶しか果たせない役割なんじゃないんですかね。

東日本大震災の時に中島義道っていう人が新聞に書いてた話だけど、美談が覆う真実もあると。ちょっと引用すると:

被災した小学校から、泥だらけのランドセルが回収されたという出来事美談として報道されましたが、学校が大嫌いな子も級友からいじめに遭っている子もいるはず。それなのに、すべての子学校勉強友達が大好きだという「神話」が真実を覆ってしまます

目下メディアをにぎわしているのは "心温まる家族間の話" であり、そこに登場してくるのは、原発作業員と妻、妻を失った被災者の夫、祖母と声を掛け合って助かった孫など法的に認められた家族だけです。不倫相手を失った愛人とか、同性愛恋人を亡くした人などはまったく抹殺され、天涯孤独な人も、家族を激しく憎んでいる人も切り捨てられた「健全な」家族美談だけです。

もちろん、ほとんどの人は「健全な」社会を望んでいるし、メディアもそれに配慮して取材対象を選んでいるのでしょうが、それが「多数派」あるいは「普通派」の暴力であることを自覚してほしい。日本言論自由な国とされていますが、この点ではまったく違うのです。

(中略)

震災後、さまざまなイベント行事自粛され、それは他人にも同様の自粛を求める「他粛」の風潮になっていますが、みなそれを無自覚に受け入れて、互いに自粛し合い「いい人」しか出てこないいまのような言論状況が、私には不気味な感じさえします。

仮にお祖父さんやご親族が従来通りの、親戚が一堂に会する形の盛大な葬式を望んでいたとして、それは現在社会情勢からすれば批難されるべき欲望であるんだろうが、その欲望を「故人の死が自分たちに何を訴えているかも受け止めず」「ろくに理解もできていない宗教の『神聖さ』とやらを根拠に」「葬儀らしいことをやった気になりたいだけ」などと口を極めて悪罵しながら、増田に対しては「明日からまたあなたを続けてゆきましょう」「それもきっと、お祖父様がかつて願われたことのひとつのはず」程度の当たり障りのないことしか言えない、これは中島義道が言うところの「多数派暴力」というやつではないんですかね? いやいいんですよ、多数派は多数だから多数派なんであって、ほとんどの人は健全社会を望んでいます。大変結構。でもその多数派の代弁って坊さんがやる意味ありますかね?

2020-10-31

彼氏の気に食わないところ

好き嫌いが割とメジャー食べ物に対してあること

ご飯粒を食器に残すこと

・事あるごとに中島義道の本を勧めてくること

2020-07-15

派遣社員同士のカップルのおもいで

この話はフィクションで、俺もこんな職場存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。

から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センター派遣社員をしていた。

就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。pha中島義道斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。

こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。

主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。

みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子ちょっかいかけて迷惑がられる中年オヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。

生涯非正規雇用しかいたことのない年輩者。漫画映画サブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダーリーマンショック会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性派遣をしながらアート勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員制度福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。

そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。

彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。

どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。

穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツ草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。

二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。

時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)

何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣職場を去った。

派遣時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINE新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段gmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。

職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一漫画世界マイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。

上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。

若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。

もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。

そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。

昇給もなく、雇用も切られやす派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親から容認も難しいだろう。友人から理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事ストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。

「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。

今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せ暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。

PS. お外出たくないし通勤しないで寝ていたいので在宅で食っていける仕事おしえてください。

2020-06-13

anond:20200611111647

孤独について 生きるのが困難な人々へ / 中島義道

序章 孤独に生きたい / 孤独になる技術

 私が本書で語りたいことは、他人はけっしてあなた孤独を解消してくれないこと、一時あなた孤独を巧妙に隠蔽するのを手伝ってくれるかもしれないが、あなた孤独自体を根絶してはくれないことである。このことを心底から自覚するとき、人は孤独から逃れるのではなく、孤独を選ぶようになる。孤独を嘆くのではなく孤独を楽しむようになる・・・。こう書けば簡単であるが、じつは孤独になる技術を学ぶのはなかなか難しいのである

 まず、問うてみよう。どんな人が孤独であろうか? 親も兄弟も友人も恋人もいない人は天涯孤独であるしかし、その人になすべき仕事があれば、孤独はその仕事を育て上げる大切な養分である。その仕事さえない人は? いや、だれでもぎりぎり自分孤独直視すれば、何か手応えのあるものを求めるはずなのだ

それは、哲学かもしれない、宗教かもしれない、芸術かもしれない、ボランティア活動かもしれない・・・。こうした広義の仕事に邁進できる人は、すでに孤独を利用できる技術を体得したことになる。

 だが、私に切実な手紙をよこすのは(たぶん)こうした極限的孤独に陥っている人ではない。うめき声とともに自己表現技術を体得した人でもない。彼らには親も兄弟もあり、そこそこの友人なりそこそこの恋人なりいるのだろう。だが、孤独なのだ。彼らにはそこそこの仕事も与えられているのだろう。だが、孤独なのだ。つまり、すべてがぼんやりしており、自分が何をしてよいのか、何をしたいのかわからない。あるいはわかっているとしても、それができない。

 人生の折り返し点を過ぎた人の多くは、自分に与えられた小さなものあるいは自分の獲得した小さなものを黙々と守るだけの生活を続けている。そして、まもなくーー高々三十年後にーー死んでゆくのだが、そのことはひたすら考えないようにしている。たしかに時折無性に虚しくなるが、そんな落とし穴に落ち込むほど青くはない。思考をぐっと現実的対象に向け変え、気持ちを整える。今自分が考えるべきこと、それは息子の大学入試であり、娘の結婚であり、自分の昇進であり、もっと広いマイホームを手に入れることだ。だが、その後はだって? 年金はいくらもらえるのか、老後の世話は誰がしてくれるのか、たしか心配は残るさ。それは二十一世紀の大きな問題だなあ。地球温暖化という大問題もあるし・・・

 ごまかすのはやめなさい! あなたはまもなく死んでしまうのだ。あなたをまもなく襲う死をおいてほかにもっと大切な問題があるのだろうか? あなたは死とともにまったく無になってしまうかもしれないのだ。そして何億年たっても二度と生き返らないかもしれないのだ。もうじき終わってしまうこの人生が、あなたに与えられた唯一の生きる機会、考える機会、感じる機会なのかもしれないのだ。もうすぐ死んでしまあなたが、必死日常的な問題にかかずらっていること、それはたぶん最も虚しい生き方である。死を目前に控えて震えている死刑囚よりも虚しい生き方であるキルケゴールとともに言えば、日常絶望していないことこそ絶望なのだ

 私に手紙をよこす人々は、こうした日常を守りながらも「どうにかしたい」と考えている。彼らは日常生活の虚しさの背後にーーたとえ自覚しないとしてもーー死を見ている。いかなる他人との交際の後でもふうっと虚しさを感ずる。恋人親友に会っても、一抹の後味の悪さが残る。こうした体験を知っている人は、勇気をもってだらだらした生活をどこかで打ち切り、少しずつ孤独になるように努めよと言いたい。もし、あなたが死を最も大切な問題だと考えているなら、孤独になるしか方法はない。そして、孤独になるには、日常生活犠牲にするしか方法はない。少しずつ日常生活から遠ざかるしか方法はないのである健全日常生活を守りながら、孤独を獲得することはできない。あれかこれかしか得ることはできないのだ。

 具体的に、孤独になるとは、他人時間を分け与えることを抑えることである自分生活を整理し、なるべく他人のためではなく自分のために時間を使うことである。多くの読者は「そんなことはできない」と言うであろう。しかし、私が強調したいことは、頭で考えるのではなく少しずつ実際に石を動かしてみることだ。生活を変えるように努力してみることだ。すると、たぶん思わぬ手応えを感ずるであろう。あなたは、次第に孤独であることに喜びを見出すであろう。他人に囲まれていなくとも、寂しくなくなるであろう。そして、自分固有の人生の「かたち」が見えてくるであろう。

 そんな曖昧模糊としたことは信じられないという人に答えたい。それなら、あなた死ぬまであなたぬるま湯日常生活を続けるがいい。そして、小さな薄汚い世間体を抱えたまま「これでよかった」と呟いて死ねばいい。

2019-12-12

anond:20191212030010

哲学者哲学研究者、使い古された言い回しだけど永遠課題やね。

中島義道喝破したように、歴史上の哲学者を誰一人知らずとも哲学に射抜かれた魂を持つ市井の人はたくさんいる、と。

2019-08-22

知識人読書量・知識ランキング

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2017-12-26

私のオタク

最近聞かなくなってきた、ヤンキーマイルドヤンキー論。2014年くらいに一時期関連本がでて、斎藤環さんの言葉鵜呑みにしていた自分。我ながら滑稽。後出しじゃんけんっぽくてズルいんだが、この「ヤンキー論」ですらオタク達の一時の清涼剤に過ぎないんじゃなかろうかと、何処かでは思っていた。私も立派なオタクから言わせてほしいが、オタクはまず興味関心の占める範囲が、ヤンキーの人たちと比べて、狭い。物理的な意味視野が狭い。私の好奇心、私の興味関心、私の本棚、私のプレイリスト、私のベスト10など。あらゆる「私の」を所有しようとしている。私は例えば好きな作家のひとりの中島義道さんを、「私の先生」という意味付けを行っている。私だけの、というtagをつけて初めて安心して作品鑑賞に移れる。では自分中島さんの哲学領域であるカント哲学や、時間論が好きかと言われればそうではない。私は、私の先生というtag付けされた、特殊中島義道の語る「カント哲学」や「時間論」が好きなだけだ。もう一例上げると、町山智浩さんの映画評もそうだ。例えば私はターミネーターシリーズが好きだったが、町山さんの映画評を読んでから、私の好きな町山さんが好きなターミネーター、という特殊tagけがされたターミネーターが好きになってしまった。要するに、このtag付けという行為、私の所有であるという意味付け行為のものが、オタク的と呼ばれる要素なのではないだろうか。好奇心の向くものはすべて「私」という意味がなければならない。そんなmission自分に課して楽しんでいるのが、案外オタクの生態なのかもしれない。

2017-12-13

中島義道説教あんまりおしろいと思えないんですけど

死ぬのこわいしぬのやだやだやだとかゆってるのはすごい面白いので

もっと死ぬのやだやだこわいこわいやぢゃぢゃyだyぢゃゆっててほしいですね

2017-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20170505101030

勉強に気が進まないなら、気晴らしを兼ねて読書はいかが。物事の観方と読解力が両方手に入って、大学受験の気晴らしには一石二鳥

何を読むかだけど、増田の状況であれば、自分自分自身理解するのと自分の考えを整理するのに役立つ本がいい。

自分自身理解する

・働くことがイヤな人のための本 中島義道(哲学者)

仏教は心の科学 アルボムッレ・スマナサーラ(仏教僧)

森田療法 岩井寛(精神科医)

生き方の参考にする

人間における勝負研究 米長邦雄(棋士)

自分の中に毒を持て 岡本太郎(芸術家)

自由をつくる 自在に生きる 森博嗣(作家工学博士)

素人のように考え、玄人として実行する 金出武雄(工学博士)

ストーリーメーカー 大塚英志(まんが原作者批評家)

■考えを整理して計画し実行する

ストレスフリーの整理術 デビッドアレン(経営コンサルタント)

・夢に日付を! 渡邉美樹(経営者)

理系のための「即効!」卒業論文術 中田亨(工学博士)

絶対達成マインドのつくり方 横山信弘(コーチ)

全部ほんとうにおすすめ。ざっくり順を追って読むといいけど、もし一冊だけ手に取るなら「森田療法」を勧めるよ。

後は、ペースづくりのために相談に乗ってくれる相手をつくること。例えば、メンタルクリニックジョブカフェで相性良い人を探すといい。こちらが現状を打ち明けるのを批判せずに聞いてくれて、一緒に考えてくれるけど、最終的にどうしたいかはこちらにゆだねてくれる人(いわゆるコーチ的な振る舞いをしてくれる人)がいると心強いね

2017-02-04

なんで勉強するのか

ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。

私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいいくそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。

さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。

院進しなかったから「学問のもの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。

就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂とき救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。

かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」

娘の言葉遣いは本当にこんな感じだった。中二病なんやろな。

はいえ、「反抗期つらい」じゃすまされないなあと思った。

言ってから気付いたが、オウム真理教幹部高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。

そりゃあ、私にも、東大受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子ども勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。

追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。

追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会普通に生きていくことができないか勉強するのだとしても、ではなぜ社会私たち勉強要求するのか」あたりが質問真意だったと思う。

つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉ほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。

追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。

自分東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。

追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系リア充グループ所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生学校を酷く軽蔑しているようで、「中学システムはぜんぶクソ、教員馬鹿ばかり、数学教員数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道哲学教科書」を見つけたから。自分利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。

追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。

2014-09-21

私は働くのが大嫌いです

私は「働く」ことが大嫌いです。少なくとも今の仕事には何のやり甲斐も見い出せません。

それなら何故「働く」のかと言われれば、ひとつ理由として飯を食うための金が必要から、と答えます

夢も希望もないですが現実です。働かなくては生きていけないから


かつては、こんな私のような人間も「働く」ことに対して意欲的になれる環境が整っていたのだと思います

終身雇用制と年功序列制度。人は働けば働くほど給料が上がることが保証されていました。

しかし、ご存知のようにそれはもう遠い昔の話です。「働く」ためのモチヴェーションは失われてしまいました。

幾ら働いても惨めなままで過ごすしかないのであれば、「働く」ことから降りる人間が生まれるのは当たり前の話だと思います

まり、今こそ何故人間は働かなくてはならないかを問うべきである、ということです。


私が「働く」理由にはもうひとつあります。それは働かないでいると人間世間との繋がりが切れてしまうから、というものです。

引きこもって外に出なければ人は実社会のことが分からなくなり、狂気をこじらせてしまます。少なくとも私はそうです。

でも、ここで大事なのは必ずしも引きこもっていることを私は否定しないということです。

「働く」というのは世間とのコミットメント手段ひとつに過ぎません。

引きこもっていても何らかのかたちで「外」と繋がっていれば、それはそれで(もちろん親の経済力に余裕があり、親が寛容であればの話ですが)悪くないことなのではないかと思います

このあたりの議論をする際に、私は中島義道氏のことを思い出します。氏も一時期引きこもっていたことがあったそうです。

しかしその期間中、月に 50 冊の本を読み勤勉に勉強を重ねておられたと聞きます引きこもりは勤勉であれ、というのが中島氏のメッセージです。

そして外との繋がりを断ち切るな、と。このあたりは私自身読んでいて、非常に得心の行くものを感じました。

私自身引きこもっていた時期に図書館大江健三郎全集などを読んで過ごしていたので。


今の私は、基本的貧乏でもあるのでどこに行くことも出来ずに引きこもっています

ただ、日銭を稼ぐ仕事があるのでそれに参加して最低限の税金を収めているだけです。そんな私にはだから引きこもりの人の絶望が分からないです。

ただ、先に書いた半年ほどの引きこもり体験の間に感じていた薄っすらとした絶望は今でも思い出すことが出来ます

私のそういう期間は二十代初めだったので私は何とか辛うじて社会復帰することが出来ましたが、三十代になって引きこもっている人の絶望は大きいものだと思います

私には何も言えません。ただ、「働く」という大嫌いな手段を通して先の見えない人生を送っている男がここにひとり居るということ、

そんな人間引きこもりについてどう考えているか書くのも無駄ではないと思い、メモのようなかたちで残しておくことにします。

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