はてなキーワード: 中学生とは
ワイは、中学生のとき、通ってた病院の雑居ビルのトイレで、ビッグトゥモローのグラビアにムラムラしてオナニーしてて、ふと振り返ったら誰かの頭が静かに沈んで行くのが見えて、それを思い出すと今でもすごく恥ずかしい。今ならその人がホモの人なら、オナニーぐらい見せれたのに。
ってのがいちばん恥ずかしい思い出なんです。「私は、自分の裸とかまんこの自撮りをネットに上げててバレそうになったとき」「なんでバレそうに?」「外で撮った写真の背景から近所じゃんってなって、ちょうどその頃、女子の間でみんなでスーパー銭湯行くのが流行ってて、友だちが『裸似てない?』って。最後林『まんこ見たら分かるから』とか言うから見せたけど、第二次性徴期で助かったって感じ」「男子はいっぱいおなにーしたかな」「するのかな、あんなで」
うちは俺入れて子供が3人なんだけど、あんまり金ない家だって気づいてからしんどい
弟は金かかる部活してるけど、母親がよく、また?もう壊れたの?ってため息ついてる
俺はそれが嫌で高校では部活やめた、中学からのチームメイトは今も部活で頑張ってる
親にバイトでもしろって言われたからバイト始めることにした、夏休みは家にいるとエアコン代かかるから図書館とか行けって言われた
本当は友達と遊びに行く約束してる、親にお小遣いの話したら嫌な顔するからバイト代から出す
弟の合宿代がかかるから節約しないとらしくて、最近は兄弟揃って風呂に入れられる
高校生の俺と中学生の弟いるだけでもういっぱいで、ろくに入らずに出る
1番下の弟は俺らに対するあれこれ見てるせいか、前はやりたいって言ってたバスケのことを言わなくなった
小学校で友達と一緒にやってるけど内緒にしてね!だって、靴が高いの知ってるからか裸足でやってるんだって
他の家庭ではあるものがうちにはなかったりしてた
昔からそれが嫌で、だれだれはあるのに、持ってるのに、って素直に言えてたけど、前に父親にいい加減にしろ!金かかるんだよ!って殴られたから今は言わない
大人に聞きたいんだけど、なんで金ないのに産むの?
3人もいるんだからしょうがないでしょってまるで俺らのせいみたいな言い方するけど、親が好きで産んだのになんでそんな言い方すんだろ
うちの母方の家は商売やってて忙しく、手が空いてる人が家事しなければならんかった
一方、中年〜初老のうちの兄弟は中学生の頃からいわゆる「パソコンの大先生」だし私立校でしっかり家庭科教育をうけているが、食べるものはコンビニかほぼレンチン、たまに肉を焼くために台所を使ってもコンロ周りを掃除する概念がない
脂っこい食器を洗って汚れたシンクの掃除もしない(洗ったつもりらしい食器もベタベタ)風呂掃除もしない洗濯すらまともにできないから臭いし10代からずっと汚部屋住人
何でこうなったかというと「男の子に家事をやらせてはだめ」と母(故人)がアタオカな教育方針を打ち出したため(当時信仰していたカルトの洗脳)
家事を押しつけて好きなだけ遊ぶ兄弟を許せないのと、当時母が予後の悪い病で早死するのが見えてたから、視界に奴が居るときは呼びつけて家事を教えながら手伝わせた…が、アタオカ母を味方につけたり、帰宅後に即出かけるなどして家事を回避しまくった
翻って、家庭科教育を受けなかった高齢男性についてだが、一人暮らし用の易しい家事指南書はなんぼでもあるし、新聞にも初心者や知識が古い人向けの家事のコツは頻回で載ってるし、レシピも手軽・時短の特集はよく組まれてる
中学生の時はなんにも考えず、違法アップロードで音楽を聴いていた。曲によっては中国語だったりしたもんで、曲を覚えるのを苦労した
YouTubeでアップされているライブ映像もよく見ていた。抜き取られたCD音源、もちろん違法
高校生になり、やっとCDが買えるぐらいの金が手に入る様になった。だが、TSUTAYAに行って驚愕した、CDは高いのだ
バイト代は4万ぐらいしかないのにCDは安いものでも1000円はする。それでも欲しい物は欲しい物で2枚ぐらい買っていったら母親から「そんなものに金を使うぐらいなら電気代払え」と言われた
そして、あの日のことだ
信じられなかった、大好きなアーティストのCDがシングルとは言え、200円で売っているのである。すぐさま私は買った、そして家で聴いた
と、同時に涙が出てきたどうしてこんなクオリティが高いCDを定価で買ってあげられないんだろと。それから何年もブックオフとハードオフの世話になる日々、家にあるCDの数は親が買ったのを除いても100枚を超える
今はもうクレジットだってあるし、給料もそこそこあるし、いくらでも定価でCD買える
でもミュージシャン、あの日ブックオフでCDを手に取った私は貧困でした
1958年、学習指導要領が男女の学習内容を分けるものに変わった。
中学校では男子は社会で役立つような「技術」を、女子は家庭の担い手となることを想定した「家庭」の内容を学習するようになった。
この方針は後々撤回され、中学校は1993年の全学年から技術・家庭科として男女共通授業に戻り、高校は1994年入学の1年生から家庭科の授業が男女共通になった。
男性は家庭科を学ばなくて良いという価値観は、実のところ長い歴史を持つものではなく、「高度経済成長への対応」のための限られた時期の国策である。
文科省が男女差別方針を採用していた時代に中学校に通っていた世代の男性は、女性が家庭科を学習して生活を支えるから男性は家事無能でOK、
男性ならば製造業の労働者であることに専念しなさいという学びを「義務教育によって」押し付けられており、結婚できなければ生活が終わるリスクが相当高い状況に追いやられていた。
若い世代で家事ができない男性については、本当に自業自得。少なくとも男性差別の結果ではない。
1993年以降に中学生だった世代については男子も平等に家庭科教育を受けられているので、家事教育の機会が女性と均等になっている。
何も知らない人間については「義務教育で習ったのに真面目に授業受けてなかったんですね」となり、文科省・国策による男性差別のせいなどではないし、
今の時代に至ってはYouTubeもレシピサイトも、無料でアクセスできるノウハウが大量にあり、何の言い訳もできないくらい充実している。調べられるのに調べていないだけである。
しかし高齢男性が家事無能化したのは文科省が男女差別方針をとっていた時代の男性であり、インターネットを使いこなすのも年齢的に厳しかったりするので、
国策として家事無能の製造業従事者を生産しようとした結果がこれであり、100%の自業自得とは言えないのではないかと思う。
文科省は「ゆとり教育」をやって撤回したように、「男性に家庭科を教えない教育」をやって撤回したのだ。要するに、失敗したのだ。
家事無能の彼らは失敗した教育方針の被害者であり、だから独身男性の生活の質は既婚男性よりも極度に低レベルなものになり、15年も短命なのだ。
>「ケンタッキーの食べ放題って結局そんなに食べれないから普通に買った方がいいよね」って言う奴は何も分かってない。考えられない。友達になりたくない。近所にいないでほしい
>ケンタッキーの食べ放題の値段は?【平日】17:00~21:00 (90分制) 大人(中学生以上) 2,880円
1本310円だから9本以上食べないと元が取れないのかー。9本くらいなら何とか行けるんじゃないか。二郎食べれる人なら余裕でしょ
凶悪犯を最も多く出したのは、1985(昭和60)年生まれ世代となっています。1998年に栃木県黒磯市で、13歳の中学生が女性教師をナイフで刺し殺す事件が起きましたが、凶行に及んだ生徒はこの世代に属します。世紀の変わり目において、「キレる子ども」と恐れられた世代です。
ー「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。」
ー「風俗で培った、なし崩しの技ですね!」「お城みたいなとこあったからそこ行こう!あとは入ってから、話そう」「なんか色々遊べるし、DVDとか見れるし!」「お願いします。心から優しくします。」
https://www.jaaf.or.jp/remote/juniorhighschool/2023/ranking/?event_id=203&type_id=2&#sectionRanking
https://www.jaaf.or.jp/remote/highschool/2023/ranking/?event_id=101&type_id=1&#sectionRanking
7月9日(火)午後3時50分ころ、南富山駅前において下校中の中学生に対し、「だまれ」「なめんなよ」等と声かけをする不審者の目撃がありました。
不審者の特徴は、
〇男性
〇40〜50歳代、小太り
〇黒色、短髪
です。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1277196
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1277/1277196/1277196_avatar_detail_1720613480639.png
社会人になってから数年、基本無料のゲームと基本無料の漫画ばかりを読んで毎日を過ごしている。
どんどん金を使わなくなってきてる。
体力とか集中力とか信念とか意志力とかそういうのも使わずに済むものばかり好きになっていた気がする。
金を稼いで金のかかる遊びを楽しもうって気持ちになれないんだよな。
金を稼がなくても楽しめるものをそこそこに楽しもうって気持ちにしかなれない。
学生時代に少ないこづかいをやりくりしながら楽しもうとして、「そうだ中古でレトロゲーム買えば安く済むじゃん!」とやっていた頃の延長から一歩も進んでいない。
きっと、金や手間のかかってそうなものを無料で味わうのが好きなのだろう。
いつものように昼飯を食べながらスマホでニュースを読んでいたら視界がおかしいことに気付いた。
文章を読むとき、大体4~6文字くらいを同時に認識して文章を読むと思うんだけど、その中の後半1~2文字くらいが盲点になっているようになって読めない。
視線を数文字横にズラせば文字は読めるが、やっぱり一度に認知できる文字は3~4文字くらい。
視野の98%くらいは普通に見えているのに、ちょうど、文章を読むときのちょっと先が見えない。
このストレスは思ったよりもすごい。
試しに横書きの文章を右から左に読むと、一応読むことは出来る。当たり前か。でもものすごく疲れるし、一文が長いと無理だ。
片目をつむったりしても盲点はなくならないが、気持ち読みやすい気がする。おそらく片目を瞑った状態の肉体的な刺激と視界が一部奪われるのは似ているから?そんな気がする。
新鮮な経験だったので色々と試してみたけど徐々に盲点が大きくなってきた。
今日は運転をする予定は無いけど、資料を読みながら電話で打合せをしなければならない。
仕方なく前もって資料を読んでおくことで何とかなった。
視野が欠けるのはたまにある。梅雨のこの季節が圧倒的に多くて、この症状は1時間程度で治まり、そのあとでとんでもない頭痛が来る。
初めては中学生のころで、部活でへとへとに疲れて家に帰ったら徐々に視界が狭まって、最終的に4割くらいが見えなくなった。
視界は戻ったが、それと引き換えのように地獄のような頭痛に襲われ、次の日は微動だに出来なかった。
太陽光の眩しさが頭痛を悪化させるので、貴重な休日を一日中窓のないトイレの暗闇で過ごしたこともある。
今ではすっかり慣れて、むしろ頭痛を予告してくれる症状としてありがたいとさえ思う。
いつものパターンでは視界の端が見えなくなることが多いのだけど、今回は珍しく視界の中心に近い場所、それもよりによって滅茶苦茶邪魔な位置に視界の欠けが発生した。
珍しいパターンだったので記録しておく。
あ~~~~~~~~~~~~ちょうど頭が痛くなってきたいててててててて
友達に「自慰も含めて性行為したことないんだよね~」という話をしたら健康を心配されました!
多くの人とちょっと違うパーソナリティなのは認識しているけど、
自分みたいな人は世界でどう分析されてるのかあんまり知らないので、
キミのことはこういう言葉で説明できるよってのもあれば教えて下さい!
以下、自分語り
エロコンテンツはコンテンツ内の1ジャンルとして認識してるので、別に嫌悪感などはないです!
異性・同性の友達とも特に抵抗なく話せます!自分と仲良くしてくれる好きな人達と話すの楽しいね~
射精の快感を得たことがないので、射精したい!みたいな気持ちはないです。
不定期で”溜まってる”な~という感覚を認識することがあって、
そのときはお腹の中がモヤモヤするし、焦燥感やイライラが発露する機会が増えるので人との関わりをセーブするようにしてる。
でも、大抵は夢精による射精のあと、事後的に認識することが多いです!
頻度は1ヶ月だったり半年空いたりするので、いつ来るか予測できません~;;
少女漫画とか恋愛小説とか読んでると、一緒にいて信頼できるパートナーがいるってことに、純粋に羨ましいな~と思う。
ただ一人でいる時間がしっかりないとストレスがたまるたちなので、積極的に求める行動はしてない~
好意を示されたり、仲良くしてくれるとすぐに喜ぶのでチョロいんだと思う!
肉体が男なので、性別を求められたときは”男”じゃーん?と言うようにしている(ドーキンス&ソーカルが言うように)
望みを言えば、美少女ボデーになりたい。
しかし、これは女性になりたいといよりも女体のフォルムにとても美を感じているから。
自分も自分の美的感覚に則った美しい存在でありたいという願望です!
恋愛対象は、女性でも男性でも僕の好きな要素がつよければどっちでも問題ないと思う
猫のかわいさにオスもメスもない、みたいな?あ、でも、女体のフォルムが好きなので基本は女性が好きです!
かわいいものが好きなので、自分がかわいいと思う要素が多い方が好きという単純な?理由
かわいいおんなのこを見ると「かわいい~!」となります。性的なことをしたいとは思わない。
かわいい服を見たときと同じように、自分もこうだったらもっと幸せだろうな~!という気持ちが強い。
好きなものに関われるのは幸せなので、かわいい人とは男女問わず仲良くなりたい気持ちはあります!
僕は子供の頃からちゃんとした大人(人間)になるぞー!という気持ちが強かった。
性的なものはいけないものです!という大人からの暗黙的な(或いは直截的な)意図を感じていたので、
純粋に「あ、性的なものを欲するのは、いけないことなんだ!」と考えていました。
他にも「人間は理性的であるべき」と認識していたので、肉体や感情からくる要求は理性で捻じ伏せるように頑張っていました!
小学六年生くらいで第二次性徴を迎え、女の子を見ると性的なことをすぐに考えてしまうようになった。
これまで培ってきた理性を突破し、本能に突き動かされることに恐怖した僕は、これをどうすれば抑え込めるのかを考えました。
まず、性的なことを考えてしまう(本能に従う)自分というものを強く嫌悪しました。
これはとても辛いことだったのですが、この嫌悪を乗り越えることで、性的なことを考えられない状況に追い込むことに成功しました。
つまり、「性的なことを考える自分」「それにに対する強い嫌悪」「自己嫌悪はものすごく苦しい」から「性的なことを考えるのは精神的にものすごく苦しい」に転嫁し、
「性的なことを考える」というのは苦しいことだと肉体に教え込ませました。
その結果、肉体は苦しいことをやめ、理性が勝利しました!やったね!
でも、成長してみたら性的なものって全然ダメじゃなかった!あんなに苦労したのに!?
中学生になって、自慰行為をしてみようと思ったこともあったんですが、やろうとした瞬間自分への嫌悪感から吐き気が・・・。
まあ、あれから20年たってるので、もしかしたらできるかもしれないけど、全くやる気は起きないですね!
野球部に野球知らないことをバカにされて、体育でルールも教えてくれないくせに野球させられたせいで、
因みに、別に親が厳しかったわけじゃないです!僕がめっちゃ理性的にあろうと勝手にがんばってただけです!!
おかげで怒ったりしないし、理性的で平和な性格に育ったので自分は満足してます~
「え~!こんなに頑張って人間(理性的)であろうとしたのに!?悲しい~;;」ってなったこともあったけどね。
そのせいで?(鶏が先か卵が先かみたいな話ですが)
僕は肉体の感覚(内受容感覚?)が薄いみたいで、体の不調が認知しづらいです。
会社に行こうと思ったら急に動けなくなって、病院行ったらうつ病と診断され休職したりしてます。(この12年で2回)
理性というか意識としては「え~?なんで?ある程度の休みは与えていたよね?」という気持ちです!
予防的に行動しても、結局不具合は起きるものなので、できればフェールセーフも用意いたいんですが、如何せん認知できないので難しい!
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。